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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


偽りの水泳大会(AWAY・草間興信所編) 〜空箱より〜




「……どうやら、生徒会に協力を頼んだみたいなんだ」

 今日も誰も訪れる者のない草間興信所。
 一見のどかな昼下がり、草間武彦は今日もまた押しかけてきた布施啓太と、もはや年代物の応接セットにて額をつき合わせていた。
「生徒会?」
「ああ。うちのガッコ、ってオレが通ってるの神聖都学園高等部だぜ……生徒会長が繭神陽一郎ってヤツなんだけどさ。そいつ、ただ者じゃねぇんだ。取れる限りの段は持ってるし、模試は全国一番だし。あんなのが同級生なんて言われても、あんなの同い年とは思えねぇよ」
「分かった分かった、ひがみはいい」
「ひがみじゃねぇよ!」
「いいから話を続けろ。……それで? なんでまた、あいつはそんなとこに協力を仰いだんだ」

 草間のもっともな問いに、うーん、と啓太は頭を抱える。
「やっぱ……オレたちに警戒して、なのかな」
「あほか」
 啓太の深刻すぎる表情と重々しい口調に、草間は思わずソファからずり落ちそうになる。
「水泳大会に乗じてこっちから箱奪っちまおうなんてバカバカしい計画、お前の他に誰が思いつくか」
「オレは真面目に考えたんだよ、なんだよ名案だろ!」
「分かった分かった」

 一歩も引かない啓太に草間は一つため息をつくと、やれやれ、と首を回す。
「人間ってのは、完全に忘れることなんか出来ないのかね……」
「え?」
「とにかく。今あの『箱』を持ってるのは早乙女美だ。そしてあいつは水泳大会で『箱』を取られるのを恐れ、生徒会に助けを求めた。……そういうことだな」
「うん。だからもしかしたら、当日は他の誰かに預けてるかも……」
「あんな大層なシロモノ、そうそう普通のヤツが持てるとは思えんな。他に心当たりはないのか、その、すさまじい生徒会長の他に」
「……そういえば、生徒会に出入りしてるやつで月神詠子ってのがいた。なんで役員でもないのにこんなとこにいるのかって取材の時は思ったんだけど、とにかくなんかただもんじゃない感じで……」
「別に疑いなんかしないさ。お前がそう思ったんならそうなんだろ」

 そして、草間は傍らの電話を取り上げた。
「そうと決まれば早速だ。今から手伝ってくれそうなヤツ収集するから、お前も誰か当たって来い」



     ■□■



 30分後。
 招請に応じたのは桐生暁と唯崎紅華だ。そしていつの間にか(本人は『呼ばれたのでしょうがなく来てやった』と言い張っている)窓枠に身体をもたせかけている羽角悠宇。
 あと買い物から帰ってきたシュライン・エマと草間、そして啓太を交えた大人数で古ぼけたソファにひしめき合っている。
 暁は何度も興信所に出入りしている身とあって慣れているからかそれとも生来の性格か、足を開いて腰を下ろす態度は堂に入ったものだ。その隣に座る紅華はちょこんという形容詞がぴったりの様子で礼儀正しくそして浅く座っていて、さっそく暁に握手を求められなどしている。
「なぁなぁきみ会った事あるだろ? あ、俺桐生暁。アキって呼んでよ」
「あ。はい、唯崎紅華です。よろしくお願いします」
「紅華か。あ、紅華でいい? そんでさ、きみ、ここの興信所の近くのアヤシー珈琲屋に、この前来なかった? あん時俺いたんだけど覚えてない?」
「その辺にしとけ、イマドキ高校生」
 紫煙を揺らしつつ間に入る草間に、草間さん今時『イマドキ』はないんじゃないの? と混ぜっ返す暁。
「それってオヤジくささの証明じゃね? それに俺、再会を喜んでただけだし」
「喜ぼうとなんだろうと勝手だがな。……紅華はそんなちんまいナリしてて、悪霊退治のプロだぞ」
 ――俺の仕事のつての方で来て貰った奴だよ。
「げ」
 そのギャップの意外さに暁が思わず声をもらし……そしてこらえきれず、ぷっとふき出す紅華。
「確かにそうですけど。……でも、まだまだこの力には不慣れですし、生業としても駆け出しです。そんなに緊張しないで下さい、暁さん」
「……ん。そっか」
 にか、と笑った暁は、じゃあ改めて、と紅華に手を差し出した。
「よろしく、紅華。今回の依頼もがんばろうな。あ、アキでいいって」
「はい、頑張りましょう、暁さん……あ」
 言ってしまってから、もう一度紅華はふふ、笑った。
 

「……いいわね、若いって」
 その横でため息をついているのはシュラインだ。その口調に笑い飛ばせない要素を汲み取ったのか、草間までもが難しい顔をする。
「なに悟ってんだ、シュライン」
「そうそう。オレ、シュラインさんみたいな姉さんがいたら絶対自慢しちゃうけどな!」
「ま、ありがとう。私も啓太君みたいな弟がいたら毎日掃除の手伝いしてもらうんだけどな」
「……それは可愛がるってことなのか、シュライン?」
「だってねぇ、それというのもどこかの甲斐性なしさんが仕事を取ってきてくれないから毎日毎日することがなくて」
「あーごほん、それでだ皆の衆。今回集まってもらった意図だが」
 かなり強引な口調で草間が話題を変える。――今度はシュラインと啓太が顔を見合わせ笑ったのは言うまでもない。
「近々、神聖都学園の方で水泳大会があるらしい。それに乗じて、敵さんの獲物を奪っちまおうってのが今回の狙いだ。まあ、いつもと毛色が違うが深く考えるな、うん」
「……そういや、確かにあったなぁ水泳大会」
 俺サボって久々に劇団の方に顔出すつもりだったんだけどな、と正真正銘、神聖都学園生徒の暁。
「2日間連続で幼等部から大学部、はてはOB・OGまで参加して行う、夏休み前の大イベントなんだ。だから草間さんとかがいても全然変じゃないし、他のみんなも安心してくれよ」
「……なんでそこに俺の名前を出すんだ、啓太」
「例は極端な方がいいっていうだろ、草間のおっさん」

「とは言っても、傍からはただの盗みだし、事が明るみに出たら危ないのはこちらねぇ」
 そう言ってシュラインが再びため息をつく。
「武彦さんも、時々びっくりする様なこと言い出すわよね?」
「うるさい。攻撃は最大の攻撃……ん? あれ? 攻撃は最高の襲撃だったか……?」
「『最大の防御』でしょ?」
 心得たように、草間の言葉をさらり補足するシュライン。その阿吽の呼吸は、確かに他の者の入る隙間はないようだ。
「……っていうか、ほとんどツッコミだったけどな」
「なんか言ったか、悠宇?」
「まあまあ、それより。私はOGというより、顔見知りが多いから知人の応援に来た、って言った方が無難ね。他のみんなは学園生徒で通じるんじゃないかしら」
 シュラインの言葉にうなずく一同。
 と、彼女が僅かに首を傾げた。
「それにしても……」
「どうかしましたか? シュラインさん」
 紅華の言葉に、ううん、と一度首を振りつつも、大したことじゃないんだけどね、と前置きしてからシュラインは再度口を開く。
「何故繭神さんが生徒なのかしら? 眠りについてるんじゃなかったの?」
「……そういえば」
 同意し、同じように考え込んだのは悠宇だ。
「悪企みするやつはおちおち眠ってもくれないってことかもな。
ははっ、あいつ偉そうだったなぁ。……まあ、いろいろ噂も聞いた今となっては、ちょっとだけ同情しないでもないけどさ」
「繭神か……あいつに俺目をつけられてたんだよな。おかげでこの硬派な俺がシガレットチョコなんて始終くわえてる羽目になったんだ、くそぅ」
 過去がよみがえったのか、握り締めた拳を震わせている草間。
と。
「みなさん?」
「どうしたんだ、お前たち? 何のことだ、それ?」
 紅華の呼びかけにハッと我に返る三人。
「……って、そんな連想する自分が謎だわ」
「あれ? そうだよな、俺神聖都学園に通った事ないんだけどな」


「まあいい」
 気を取り直したように、再び草間が一同をぐるり見回す。
「今回の目的はさっき話した通りだ。一応学園の行事ってことだし、俺はハデに動けないと思う。せっかく歳相応のメンバーを集めたんだ、みんなキリキリ働いてくれ」
「はいはい、よく言うぜ」
 啓太の悪態も草間はどこ吹く風だ。
「それからシュライン」
「何?」
「あー……その、なんだ」
 ごほん、と一つ咳払いをし、充分もったいぶってから草間は言った。
「お前は水泳大会に出るなよ?」
「え?」
「……はっはーん。草間さん、シュラインさんの水着姿、他のヤツに見せたくないんだろ?」
「ッ! ば、バカ悠宇!!」
 悠宇のからかいに煙草を吹き出した草間は、とっさに彼の身体を押さえつけようとして――するり腕から抜け出した悠宇によりいっそう焦りだす。
「なんだよ、いい歳して赤くなってんぜ〜? 草間さん!」
「あ、ホントだ、こりゃ面白いもんみたな!」
「草間さん、仕事のと違って素直な方なんですね」
「! 暁に紅華! お前たちまで!! ……ッこのヤロー、悠宇、そこに座れ!」
「はっはっは! 捕まえてみろよ、草間さん!」


 小さなソファの回りでどたどたと追走劇を始める草間と悠宇。
 紅華と暁はその横でやんやとはやし立てていて――そして、そんなにぎやかな様子とは裏腹に、ソファで一人啓太は難しい顔のまま俯いていた。
 そんな彼に気づき、そっと肩に手を置くシュライン。
「どうしたの?」
「……あ、うん。あのさ。……なんというか、その。今回の依頼って俺が草間さんにお願いしたことなんだけどさ」
 ――どうも、不安で胸がもやもやするんだ。そう啓太は言った。
「上手く説明できないんだけど。……何かが、不安でたまんない」
「何か?」
「なぁシュラインさん、シュラインさんが今疑問に思ってることってなに?」
 突然話を振られ、シュラインはまばたきをぱちぱちと繰り返した。が、すぐに思考に沈み、ゆっくりゆっくり言葉を紡いでいく。
「そうね。早乙女くんは、なぜこの大会に対して警戒してるのかしら? 休学中なら学園に居る必要はないのに。何か重要な意味があるのかしら、でもたかが『水泳大会』よね」
「……そう、だよね」
「案外、この大会自体が何かの夢と箱の力が混ざり出来た空間だったりして」
 ――そう言ってしまってから、案外悪い考えではないかも、とシュラインは思っていた。

 だが、シュラインの言葉を聞いているのかいないのか、啓太は難しい顔で何かを考え続けている――。





●A-1

 ――水泳大会、2日目。
 1日目は競泳中心で部外者が立ち入りにくかったため、勝負は2日目に絞る事になった。
 それを天が見越してというわけでもあるまいが、今日も太陽がじりじりと肌を焼いてくる、ある意味絶好のプール日和だ。
 膨大な生徒数を抱える神聖都学園は、またその設備もそれなりのものを備えていた。
 10レーンまである50メートルプールに、まるで国体かはたまた何かの全国大会かと思われるほどの人数が埋め尽くすスタンド席。水着に着替え、そのまま生徒たちに紛れてプールサイドに立ち、わああ、という歓声に囲まれていると、自然と気分まで高揚してくる。
 学校のプールといえば25メートルの小さなもので、プールサイドのコンクリートはひび割れていて――などと想像していた紅華はただただ驚くばかりだった。
「……すごいな、コレ」
 と、同じことを考えていたのか、傍らの悠宇がぽつりと言う。思わず紅華はふふ、と笑い、そうですよね、とうなずいた。

 ひとまず今回は悠宇と紅華がペア行動を取ることになった。他のメンバーはまたそれぞれに動いているはずだ。また草間も満員の観客席の中に紛れているはずだ。
 そしてプールサイドでは、校長の挨拶とやらが延々と続いている。
「悠宇さん」
 マイク割れしている挨拶に紛れ、難しい顔で何かを考え込んでいる悠宇にささやきかけながら改めて紅華は首をかしげる。
「今回は箱の奪取ということですけど、どなたが持っていると思います?」
 ――早乙女美さんか、繭神陽一郎さんか、月神詠子さん、でしたよね?
 紅華が言うと、悠宇はたぶん月神じゃないかな、と答える。
「早乙女の奴根性悪そうだから、強引に奪えないような相手に箱を持たせてるような気がするんだよな」
「だから詠子さんじゃないか、と?」
「そうそう。女だし。……あいつ、そういうとこ容赦なく利用するやつだからさ」
 ホント嫌なやつなんだぜ! と悠宇が力説する。早乙女美のことをよく知らない紅華は、ただうなずくばかりだ。
 校長の話はいまだ続いている。炎天下の中、周囲の生徒たちはすでにうんざり顔だ。
「でももし月神が持ってるんだとしたら、彼女の興味を引きそうな違うものを提示してやる事で箱から興味をそらして取り上げる、とかできるかもしれないな。でも、ああそうか、売ってる物なんかには興味を示さなそうだから、自作してくりゃよかったな。どうせならそういう物はあいつに作ってやりたいけど……」
 しまいには自分にしか聞こえないような小声になって、ぶつぶつと何事かを呟きつづけている悠宇。
 ふふ、と笑ってから紅華は彼の肩を叩き、再びその顔をのぞきこんだ。
「さっきですね、詠子さんのロッカーをさりげなく覗いてみたんです。泳ぐのには邪魔ですから持ってる振りして更衣室に置いてるかもしれない、と思って」
 紅華の言葉に、ヒュウ、と小さく悠宇が口笛を吹く。
「やるね」
「大したことじゃありませんけど」
 すまし顔で答えてから、再び紅華は真面目な顔をする。
「でも、ロッカーにはなかったんです。だから……もちろん、詠子さんが持っているという前提ですけど、ここは水泳大会だけに泳ぎで勝負ってのはどうでしょう?」
「……え?」
 可愛らしい顔の大胆な提案に、悠宇は一瞬あっけに取られたらしい。思わず言葉を飲んで、まじまじと紅華を見つめる。
「50メートル競泳で勝ったほうが相手のいうことを一つ聞くって内容で。これなら『箱』を持っていなくても誰が持っているかの情報聞けますし」
 そう言って紅華は、「断られたらどうしようもないですが」と小さく笑った。
 
 
 壇上では、ちょうど校長の挨拶が終わり、高等部生徒会長でありこの水泳大会実行委員長でもある繭神陽一郎の挨拶が始まったところだった。
 その後ろでは、「ちゃっかり」という形容詞そのままに、セーラー服の詠子がすました顔で周囲を見回している。
 
 


     ■□■



「さあ、飛び入り大歓迎! OB、OGも交えた体力自慢たちの競泳大会はもう間もなくです! エントリーももうすぐ締め切りますのでお早めに!」
 わんわんとエコーを響かせながら何本も立つスピーカーが一斉にがなりたてている。
 思わず顔をしかめ、そして傍らを見て――パートナーも同じ顔をしているのに同時に笑い出しながら、そしてふと悠宇と紅華は飛び込み台の上へと同時に視線をめぐらせた。
 そこには、スクール水着と共に張り切った動作で準備運動をしている詠子がいる。
「……じゃ、俺もエントリーと行きますか」
 肩をぐるぐる回しながら悠宇が歩き出す。と、その後ろを紅華が続く。
「ん?」
「私も、実は泳ぎには自信があるんですよ、悠宇さん」
「ふーん? 悪いけど、俺体育は『5』だぜ?」
 信じていないのか、紅華の言葉に悠宇は軽口を叩く。
 
 そのままエントリーを済ませ、紅華は日和と別れ号砲を待つ列へと並ぶ。自分の泳力に自信がある者ばかりなのだろう、均整の取れた筋肉を身にまとった男子ばかりだ。女子で競泳水着を着た者はともかく、ちらほらと見かけるスクール水着の女子たちはもしかしたら『記念参加』なのかもしれない。
 その中の一人――月神詠子の傍へと、紅華は静かに近づいていく。静かに静かにそうして彼女の横に立ち、次に自分たちの番、という時紅華は詠子に話しかけた。
「……こんにちは。私、唯崎紅華っていいます」
「ん? やぁ、ボクは月神詠子だよ」
 詠子はそう言って屈託なくにぱっと笑う。
「ところで。……私、水泳には自信があるんです。どうですか? 私とあなたで勝負しませんか?」
「……いいね、面白い。ボクは面白いことは大好きだ」
 紅華の前列の者たちがスタートした。次がいよいよ紅華たちだ。
「それで、せっかくの勝負です。ここは一つ賭けをしませんか?」
「んー? いいね、ボクはワクワクしてきたよ」
「勝った方の言う事を一つ、負けた方が聞くってどうでしょう?」
 乗った、と詠子が指をパチンと鳴らしたところで、号令がかかる。
「じゃ、その約束忘れないで下さいね」
 にっこりと笑ってから、紅華は飛び込み台に上がった。




●B

 プール観客席への北ゲート前。
 今ここに人影は今はない。喧騒も遠い分だけ、辺りの静けさを増していくばかりのものと化している。

 そこに一人の少年がやってきた。彼――布施啓太は、だがそのまま転ぶように地面に倒れ、地にうずくまる。
 必死に身体を起こそうとするも視線はずれ、腰は引けている。滴るようにふきだす汗。かきむしるように土をかく指。――その様子は、まるで何かに怯える犬のようだ。
 と。
「啓太」
 彼の前に新たな人影が立つ。啓太が必死の思いで顔を上げると、早乙女美がそこに立っていた。
 以前見た時とは違う穏やかな瞳だった。哀れみとは違う、静かな感情をたたえて啓太に手を差し出す。
「……帰ろう、啓太」
 ――ああ、この声。どこかで聞いたことがある。
 啓太の心の声を聞いたかのように、美はかすかな笑みを浮かべ、啓太の前に膝をつく。
「この場所はまだ、啓太には辛すぎるだろう? ……無理はしなくていいんだよ」
「……だけど、オレは、報道部、で」
 必死の啓太の反論は切れ切れだ。
 美は啓太の頬に手を伸ばし、ゆっくりと彼の顔の前に己のそれを寄せて行く。
「いいんだ。辛い思い出を避けることも、忘れたいと思うことも……『逃げ』じゃないよ」
 ――啓太。
 もう一度名を呼び、そして美は啓太と間近で視線を合わせ微笑んだ。
 

 
「啓太!」
 新たな声が聞こえてきたのはその時だ。
 さっと美が立ち上がる。反応が遅れた啓太は共に立ち上がれず――まるで彼を引き止めるかのように宙に浮いた手だけが彼をむなしく追いかけた。
「また会おう、啓太」
 そうして美は身をひるがえす。地に膝をついたままの啓太が見送るうちにその姿はどんどん小さくなっていき――そして消え失せた時、まるで彼と入れ替わりのように現れたのは草間武彦だった。
「……いま、ここにいたのは美か?」
 息を弾ませながらの問いに、啓太はうなずくのがやっとだ。
「あいつ……まさか、お前に触れるために箱を手放したんじゃないだろうな」
 呟きは啓太に向けられたものではなかったらしい。思わず彼を仰ぐと、ち、と小さく草間が舌打ちをした。
「……何のこと? 草間さん」
「お前は知らなくていいことだ」
「草間さん!」
 叫び、彼に取りすがると――草間は視線をずらしたまま、言った。
「お前は箱には触れないらしい。……だから、箱を持ったままではお前に触れることが出来ない。そういうことだろう。それ以上は俺も知らない」
「どういうこと?」
「……お前がよっぽど心配だったってことだ。場所が場所だったからな。
啓太、それだけ分かってればいい。無理に思い出そうとするな」
 ――あいつも、同じことを言っていた……?
 
 
 呆然とする意識の裏で、暑さに浮かされた歓声が小さく沸いては消えていく。
 やっぱりここは静かだ、と啓太は思った。




     ■□■



「へぇ……これが噂の『箱』ですか?」
「なんだ、普通の箱じゃん」
「あんまり触るなよー。喰われても知らねぇぞ」


 後日。
 水泳勝負に勝った紅華(順位はもちろん全生徒のタイムでも一位だった)がまんまと交換条件にて獲ってきた『箱』は、今も静かに草間興信所にて眠っていた。
 ――などと言うと聞きばえもするのだろうか。
「草間さん、せっかく苦労して獲ってきたんだからさー、もうちょっとありがたそうに置いておけば?」という暁の声が示す通り、草間のデスクの上に置かれたそれは「無造作」というようにも見える。
「なんだか、本物の方が壊れそうな感じよね。私が取ってきた偽物の方がなんだかそれっぽいわ」
「なんだシュライン、負け惜しみか?」
 キッチンから響いてくる声に草間が軽口を叩くと、違うわよ、とわずかに拗ねたような返事が返って来る。
 ――別行動で一人行動し、同じように箱を奪ってきたシュラインだったが、実はそちらは特製のダミーと判明するまでにそう時間はかからなかった。
「あんなにがっくりきてたシュラインもここ数年なかったよなあ」と草間はしみじみと二人に語る。
「ちょっと武彦さん、二人に変なこと吹き込まないでね。……はい、特製のバニラアイス。暑い時はやっぱり冷たいデザートよね」
「お、すげぇ! これシュラインさんお手製?」
「わぁ、ありがとうございます! 私バニラ大好きなんです!」
 事務所の小さなキッチンで盛り付けを完成させたシュラインが、二人の前にデザートプレートを並べる。白いアイスクリームの上に赤いチェリーと生クリームを乗せたそれは見るからに涼しげで――と、草間がシュラインを見上げる。
「おいシュライン、俺のは?」
「さて、武彦さんの分はどうしようかしら」
「……おーい、それはないだろう?」
 肩を落とした草間に、シュラインはまるで少女のような仕草でちろと舌を出して笑い、そしてキッチンからもう一枚のデザートプレートを持ってきた。
「冗談よ。はい、武彦さんの分」
「なんだよ、おどかすなよな」
「……草間さん、今ほどのガッカリ顔、ここ数年見たことなかったぜ?」
「ええ、今の草間さんぐらいがっかりした人、私最近見かけませんでした」
「……お前らなぁ!」


 暁と紅華の言葉に大声を上げるがすぐに降参とばかりにソファに沈み込んでしまう草間だった。
「全く、敵わないな……」




 梅雨の明けた窓の外は、もうすっかり夏の日差しだ。
 デスクの上の『箱』の今後も、そして再び姿を消した美のことも――今だけは置いておいて、この陽光と熱に浮かされ無邪気にはしゃぐのも、そう悪くないかもしれない。
 
 








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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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<草間興信所編>

【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3525 / 羽角悠宇 / はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4782 / 桐生暁 / きりゅう・あき / 男 / 17歳 / 高校生アルバイター、トランスのギター担当】
【5381 / 唯崎紅華 / ゆいざき・せっか / 女 / 16歳 / 高校生兼民間組織のエージェント】

(受注順)


NPC
早乙女美(さおとめ・よしみ)
布施啓太(ふせ・けいた)



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          ライター通信           
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こんにちは、つなみです。
この度は遅延いたしまして大変申し訳ありませんでした。随分とお待ちいただくことになってしまい、身の縮む思いです……すみませんでした。


さて。
今回のお話ですが、「神聖都学園」で募集しました「HOME編」と同時進行になっています。同じ場面でも視点がそれぞれ切り替わっていたり、こちらではぼかしている謎があちらでは解明されていたり、といったお遊びもいくつかありますので、もし興味がありましたら合わせて読んでみてくださいませ。
それと、今回「箱は誰が持っているか?(誰に持たせるか?)」という質問で3択を設定したのですが、草間「詠子」3票、そして学園「詠子」2票……ということで、詠子という読みが数の上で多かった草間側を「勝ち」とさせていただきました。
そんなわけで箱も草間さんの手に戻り、次回からは新展開……というところでしょうか。
もし興味がありましたら、次回以降も参加していただけるとうれしいです。


紅華さん、はじめまして。この度はご参加くださり、ありがとうございました。
明るく大人しくて、それでいて誰よりも強い女の子! なんて、一言で言えばそんなイメージだったでしょうか。そんな姿を書きたいなーと思って頑張ってみたのですがさていかがでしたでしょうか? それとプレイングで水泳のことに触れられていたのが実は紅華さんお一人でしたので、このような形になりました。ご希望に適っていれば幸いです。



反省ばかりのこの身ですが、この後も細々と活動していく予定ですのでまた興味がありましたらぜひぜひ参加してくださるとうれしいです。
感想、ご意見などありましたらご遠慮なく仰ってくださいね。

それでは、つなみでした。