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推定恋心〜キモチのナマエ〜
杉森みさき(すぎもり・みたき)は眉をハの字にして少し困ったような戸惑ったような顔をしている。
大きく吐いた溜息はもう何度目になるだろうか。
そうしているうちに、注文した紅茶とチーズケーキが運ばれてきた。
紅茶に砂糖とミルクを入れてゆっくりとティースプーンでかき混ぜていると、
「みさちゃん、待った? ごめんね」
と、月見里千里(やまなし・ちさと)がやって来た。
Tシャツにジーンズ姿の千里を見て少し動きを止めたみさきに千里は、あぁ……と、自分の姿を見下ろした。
「髪形変えたらあんまりにもスカートが似合わなくって」
千里はそういいながら短くなった髪の毛をひと房掴んで引っ張る。
みさきの向かいの席に腰掛けて水を持って来たウェイトレスにみさと同じチーズケーキと紅茶はアイスで、と頼む。
「お待たせしました」
目の前に注文の品が並び、紅茶にひとくち口をつけてから、千里が切り出した。
「それで、みさちゃん。相談って?」
「うん……あの、ね」
チーズケーキをフォークの先でつつきながらみさきは言い出しづらそうに口ごもる。
その右手の薬指には見覚えのあるシルバーのリング。
みさきには内緒にしてあるが、送り主に付き合って選びに行った物だった。
「もしかして、それの送り主が関係してたりする?」
送り主こと、ヨハネ・ミケーレ(よはね・みけーれ)の顔を思い出し一瞬にしてみさきの顔に朱がさした。
「図星かぁ」
千里は唇をを左右に引いてにんまりとした表情を作った。
今までは傍から見ていてもヨハネの気持ちがあまりにもあからさまであるのに対し、逆にみさきの本意が見えなかったのだが、何があったのかは知らないが少し岬のほうにも気持ちの変化が現れたらしい。
「ヨハネ君のことが、なんだか少し気になって―――あ、でもねイヤとかそんなのじゃなくて、なんだかときどきチクンって」
ヨハネのことを考えたり思い出すときに起きる気持ちの微妙な変化を上手く表現できなくて、みさきはそんな自分がもどかしかった。
もどかしくて、なんとか自分で答えを探そうとして、それでも見付からなくて悩んだあげく気が付けば千里に電話をかけていた。
吶々と、ときどき少し考えながらみさきはそんなことを千里に話す。
ふと気が付くとみさきの紅茶はすっかり冷め、千里のアイスティーもほとんど残っていなかった。
その残りわずかなアイスティーをズズズと音が出るくらいまで飲み干すと、
「まぁ、そんなに考え込まなくてもいいと思うけど」
と軽い口調で言った。
「今無理やり型にはめなくても、そのうちそのもやもやとかチクチクが何なのか自然に判るんじゃない? それまでそれを楽しむくらいの余裕があってもいいと思うよ」
みさちゃんにはね―――とこっそり千里は心の中で付け足した。
なにせ、相手が余裕のヨの字もないヨハネだからと思ったのは内緒である。
「そう、かな?」
「そうそう」
千里に打ち明けたことで気持ちが軽くなったのかみさきにいつもの笑顔が戻った。
「よし、じゃ気晴らしにウィンドーショッピングでも行っちゃおう!」
更に気晴らしに誘った千里にみさきは大きく頷いた。
■■■■■
久しぶりの休養日だというのにヨハネは少し浮かない顔で歩いていた。
「みさきさん、どうしたんだろう……」
最近電話をかけても何となくみさきの様子がおかしい。
『えっと、ちょっとその日は用事があって……ゴメンね』
今日もみさきを誘ってみたのだが、用事があるからといってやんわりと断られてしまった。
もちろん、みさきだって多忙な事は判っているが、今までは誘いを断られてもその他の話しをしたりしてなんだかんだで長電話になりがちだったが最近は用件が済むとそそくさと電話を切られてしまう。
話していてもどこか浮かない声をしているみさきが心配で、
「何かあったんですか?」
と何度問いかけたくなった事だろう。
それでも、休日の誘いどころか相談に乗りたいということさえやんわりと断られてしまったらと思うと恐くて聞けないというのがヨハネの本音だった。
そんなことを考え込みながら歩いていたヨハネは前方不注意で街中で何度も人にぶつかってしまう。
そして、本日何度目かに人とぶつかり、
「すいませんっ」
と、謝った頭を上げたヨハネの目に飛び込んできたのはみさきの姿だった。
声をかけようとしたヨハネは次の瞬間、その声を無理やり飲み込んだ。
ヨハネの数メートル先を歩くみさきは1人ではなかった。
彼女より頭半分ほど背の高い男の子と楽しそうに何か話しながら歩いている。
『ちょっとその日は用事があって……ゴメンね』
先日のみさきの声が頭の中でこだまする。
ヨハネの名誉の為に敢えて言うが、別にそうしようと思ってした行動ではなかった。
ではなかったのだが……気が付けばヨハネはみさきとその連れから隠れるように2人の後をつけていた。無意識のうちに。
しばらく後について歩いていたヨハネだったが、みさきが彼の腕に自分の腕を絡める所を目の当たりにして頭の中で何かが切れる音がした。
今ここで勇気を出さなくてはいつ出すのだと、ヨハネはありったけの勇気を振り絞って声を掛けた。
「みさきさん!」
その声に、みさきとその連れがゆっくりとヨハネを振り返った。
そして―――
■■■■■
喫茶店を出た後、みさきと千里の2人は洋服を見に行くことにした。
夏物バーゲン始まって最初の休日だけあってどの店へ行っても店内は人で溢れ返っている。
そんな中に混ざってみさきと千里もいろいろ試着をしたりして楽しんだ。
「あー、大漁大漁」
大きな袋を抱えて千里はそう言った。
「千里ちゃん、Tシャツとかズボンとかばっかりだったね」
千里の持っている袋の中身はほとんどTシャツやパンツだった。精々タンクトップや今年流行っている半端な膝丈だったりショートパンツなど丈の長さこそ違えどもスカートではなくボーイッシュなパンツばかりだ。
「ホント髪形変えてから今まで持ってた服がどれも似合わなくなって困ってたんだ。でも似合うのってなるとやっぱりパンツが多くなっちゃうんだよねぇ」
「そんなことないと思うんだけどなぁ」
そういうみさきが抱えている袋の中には夏物の涼しげなワンピースが入っている。
「しかも試着室に行ったら男の子と間違われてぎょっとした顔されちゃうし」
勘違いされたのは実は1度や2度ではなかった。
その時の女の子の顔を思い出して千里は苦笑いを浮かべる。
「もしかしたら今もみさちゃんとあたしカップルに見えてるかもね」
自分の腕に回されたみさきの腕を引き寄せるようにしたその時だった、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「みさきさん!」
千里とみさきの2人が振り向くと案の定、ヨハネがどこか必死な顔をしてそこに立っていた。
だが、振り向いた千里の顔を見て呆然とした顔をする。
「ちさと、さん?」
そう呟くように言ったかと思うと、路上だというのにへなへなと力が抜けたように座り込んでしまった。
「ヨハネ君どうしたの? 大丈夫?」
しゃがみ込んでしまったヨハネに慌てて駆け寄るみさき。
「だ、大丈夫です」
そういいつつもヨハネの顔は俯いたままだ。
1人その様子を眺めていた千里は、俯いたヨハネの真っ赤な耳を見て確信した。
「ヨ・ハ・ネ君、なぁんであんな必死な声でみさちゃんの名前呼んだのかなぁ? それにぃ、呼んだのはみさちゃんの名前だけだったよねぇ」
びくっとヨハネの肩が揺れた。
「そんなことは……」
とヨハネは反論するがその声は力ないもので、
「でもさ、さっき、あたしの顔見て吃驚してたし。もしかして、あたしだって判ってなかった? それだけじゃなくて、そんなことないと思うけどあたしのこと男の子だと思っちゃったのかなぁ」
ヨハネが自分を男の子だと勘違いしていたと千里は確信していた。
それを察知した瞬間、千里のお尻の辺りから先の尖った黒い尻尾が生えてしまったとしても無理はないだろう。
ここぞとばかりにヨハネを弄りたおす千里の口は止まる事を知らないようで、みさきに口を挟む隙すら与えない。
こんな光景はいつもの事なので、みさきは単純に自分のことをわからなかったと千里がヨハネを苛めているようにしか見えていなかった。
―――あとで、みさちゃんにコッソリ教えてあげよ。ヨハネ君ったらあたしの事男の子と勘違いしてきっとヤキモチやいて声をかけてきたんだよ、と。
その時みさきがどんな反応をするのか少し楽しみにしながら千里はやはりヨハネを苛め続けた。
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