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けっていてき瞬間?
探偵の仕事というのは基本的に地味なものだ。
陰陽師軍団と戦ったり、吸血王との死闘を繰り広げたり、そちらの方が異常なのである。
そもそも日常的にそんなことが起こっているのでは、
「命がいくつあっても足りやしない」
守崎北斗が呟く。
とあるラブホテル近くの茂み。
こそこそしながら、高感度カメラを構えている。
どこからどうみても怪しい人だが、趣味でやっているわけではなく、これも探偵の仕事である。
浮気調査。
草間興信所に舞い込む探偵らしい仕事の中では、もっとも多い依頼だ。
朝方のラブホテル。
ターゲットは昨夜、ここに泊まった。
積極行動型に属する北斗だが、その程度の下調べはちゃんとおこなっている。
「出張だといって会社の若い女とホテルで密会。元気だねぇ」
皮肉が口調にこもる。
好き合って夫婦になったのなら、その愛を貫き通せばよい。
まあ、理屈としてはまったくその通りなのだが、人間というのはなかなかそうもいかないイキモノらしい。
興信所に保管されている調査報告の束は、かるく東京都の電話帳の厚さを凌駕する。もちろん一頁に記載されている人の数が違うが。
「よくもまあ、これだけ清く正しくない愛に生きる人がいるもんだと感心しちまうぜ」
好きな相手がいるのに、他の異性と関係を持つ。
単なる性欲なのか、心の飢えでも満たしているのか。
そのあたりは、まだ少年の北斗には判らない。
「清く正しいだけは、つまらないからな」
と、所長の草間武彦あたりならば言うだろう。
本人は浮気などしないくせに、他人の情事には寛大というか、
「ありゃ無関心なだけだろう」
ついでに、観客としては明らかに治より乱を好む。
なかなか度し難い三〇男なのだ。
ちらりと腕時計に目をやる北斗。
今日は平日だ。
空出張である以上、出社しないわけにはいかない。
となれば、そろそろチェックアウトしても良さそうな時間だ。
左手で構えたカメラ。
最新式の高感度カメラである。
シャッター音はほとんど発生せず、フラッシュを焚く必要もない。
この時世にデジタルカメラではないのは、依頼人に報告するときにネガも必要になるからだ。
それに、デジタルカメラというのはシャッターを切る音が大きく設定されているので、あまり隠し撮りには向かないのである。
気づかれずに接近し、気づかれずに撮影し、気づかれないうちに立ち去る。
これが隠し撮りの基本だ。
映画やドラマなどでは派手にフラッシュを焚いているが、あれは演出上の効果というものである。
撮られたことをターゲットが知れば、当然のように警戒されるし、依頼人の立場も弱くなる。
というのも盗撮や盗聴の記録には法的な証拠能力がなく、それどころか人権侵害で訴えられる材料になってしまうのだ。
だから撮影したフィルムそのものも、扱いはかなり難しい。
「そのあたりを考えるのは草間や姐の仕事だけどな」
内心で呟きながら気配を殺す。
ターゲットの登場である。
幸い相手の女性も一緒のようだ。
人に見られることを警戒して別々に出てくるという可能性もあったのだが、空出張計画の九割までが成功に終わり油断しているのだろう。
勝利をほぼ掌中に収めながら、最後の瞬間に油断して敗北の奈落へと転落する。
珍しくもない話だ。
小説でも映画でも、
「そして、現実でもな」
連続して切られるシャッター。
ファインダーの中のカップルは、気づきもせずにいちゃついている。
他人の恋路を邪魔しているようで、なんとなく気まずい。
「けど、悪く思うなよ。これも仕事なんでね」
身を翻す北斗。
目的を果たした以上、長居は無用だ。
近くの公園に停めておいたFTRの上、ペットボトル入りの水で喉をしめらせた北斗がフィルムの残量をチェックする。
「残り三枚か。ホテルの外観も撮っておいた方が良いかな?」
カメラを望遠モードに切り替え、公園から見えるラブホテルを撮影する。
ホテルそのものを撮ったところで、さして意味があるとも思えないので、これ以上フィルムを浪費する必要もなかろう。
「けど二枚あまっちまったな」
思案顔をする。
残量がたったこれだけでは次の仕事に回すというわけにもいかない。
現像してしまうしかないが、まだ撮れるフィルムを現像してしまうというのも、
「なんかもったいないなぁ」
えらく貧乏性なことを考える。
これはたぶん兄の悪影響だ。
質素倹約の精神を骨の髄まで叩き込まれているから。
「むぅ」
バイクの上にあぐらなどをかいて腕を組む。
なかなかアクロバティックなポーズだが、これは北斗の運動神経だからできることである。
「あ、そうだ。兄貴の写真を撮ってやろう」
まるで名案を思いついたように手を拍ったりして。
そうたいしたもんでもないような気がする。
ただ、少年がそんなことを考えついたのには多少の理由がある。
北斗と啓斗の双子は両親を亡くしており兄弟二人暮らしだ。親は幾ばくかの財産を遺してくれはしたが、一七歳が二人で生活を営んで豊かであるはずがない。
だいたい、高校生では、まともな収入になる仕事もなく、草間興信所でのアルバイトが収入の全てだといって良いのである。
だから、ふたりの高校入学の記念写真なども撮っていない。
この際だから、ちょっと撮ってみても良いだろう。
「でも、どうせだからびっくりした顔がいいよなっ」
それは記念写真とはいわない。
「ふっふっふっ。ぱぱらっち北斗と呼ばせてやるぜ」
古い上につまらない。
まあ、しょせんは北斗なので、ぱぱらっちでもぱんつまるみえでも、好きな呼称で問題ない。
「なんか扱い悪いぞっ!」
苦情とともに、FTRの排気音が響き、半ば前輪を浮かせながら走り出す。
思い立ったら即行動。
ついたあだ名がイノシシにんにん。
「呼ばれたこともねーよっ!!」
声が遠くなってゆく。
守崎邸は、ごくありふれた日本家屋だ。
と、表現すると、やや語弊がある。
そもそも日本家屋自体、東京の街ではほとんど見なくなって久しい。
もの干し場のある庭など、昭和時代の遺物といっても良いほどだ。
リフォームしたいと思わなくもないが、
「まずは先立つものがなぁ」
溜息を吐く啓斗。
ショートパンツにTシャツ姿。それにエプロンを身につけている。
生足が眩しい。
洗濯物を次々と物干し竿にかけてゆく。
けっこう大変な作業だが、これも家計を預かる主夫の努めだ。
奥様は高校生だ。
「いや、俺しゅふ違うし。女でもないし」
律儀につっこむ。
ちなみに家のリフォームをしないのは、金銭だけの問題ではない。
両親の思い出の残る家を大切に思っているからだ。
ここが姿を変えれば、思い出もまた消えてしまう。
それは錯覚にすぎず、思い出とは心の中にこそ残るものだと判っていても、人間の感情とはなかなか理屈どおりには働かないものだ。
「住めなくなるまでは、なんとか住んでやらないとな‥‥」
大きなシーツを、ばさっとかける。
洗濯石けんの香りが、ほのかに漂う。
澄みきった青空。
シーツの白とのコントラストが美しい。
初夏の朝。
「それにしても北斗のヤツ。上手くやっているかな」
やや心配そうにする兄だった。
本人の前では、死んでも口にも表情にも出さないがけっこう心配しているのである。
今度の仕事もひとりで出て行った。べつにいままだだって単独行動がなかったわけではないが、やはり、待つ身というのはちょっとだけ嫌だ。
と、家の外でエンジン音が止まる。
耳が憶えている。FTRだ。
どうやら、無事に帰ってきたらしい。
どうせ徹夜明けなのだから挨拶もせずに自室に引き取ってしまうだろうが、せめて起きたときにすぐ食べれるように食事の用意だけはしておいてやるか。
握り飯と焼き魚と、あとは適当にありもので良いだろう。
双子の弟の旺盛な食欲を想像する。
「あいつは寝起きでもがんがんいくからな」
変な表現になってしまった。
くすくすと微笑がこぼれる。
そしてその表情のまま振り返ると、
「わっ!?」
驚いている北斗がいた。
なんだか頬が染まっている。
「どうしたんだ? というか、おかえり」
「あ、ああ‥‥ただいま」
どきどきどき。
北斗の心臓が早鐘を打つ。
いつも落ち着いていて冷静な兄が、こんなに明るい笑顔を浮かべるとは。
なんというか、プテラノドンがリンボーダンスを踊り出すくらい衝撃だ。
「顔が紅いぞ?」
「いやっ! 寝てないからっ!」
「それはどう繋がる返答なんだ?」
すっと顔を近づける兄。
やや身長差のある双子だが目鼻立ちはそっくりだ。
目の前には自分と同じ、瞳の色だけが違う顔。
数センチの距離。
「熱でもあるのか?」
「ないないっ! んなわけがないっ!」
どぎまぎし続ける弟。
その手の中。最新式のカメラが恥ずかしそうに鎮座していた。
エピローグ
「北斗」
所長のデスクにふんぞり返って煙草を吸っていた男が、不意に呼んだ。
雑誌から視線をあげる少年。
「煙草なら買いに行かねぇぞ?」
使い走りをやらされる前に釘を刺しておく。
「そうじゃない」
手招きする怪奇探偵。
「なんだよ?」
「こないだお前に頼んどいた仕事だけどな。あれの現像が終わったから」
ちらりと一枚の写真を閃かせる。
無言のまま所長席にダッシュする北斗。
「面白いというか、珍しいもんが映ってたんでな。最後の一枚に」
それは、屈託なく笑う兄。
洗濯物と青空をバックに。
ふたたび北斗の頬が染まる。
「これ‥ネガは‥‥」
「私用に使ってんじゃない」
少年の頭を小突く怪奇探偵の指。デスクには切り捨てたばかりのネガが散らばっていた。
「でも、一枚だけは記念に現像しておいた。ネガは捨てた」
そういって、この世に一枚だけの貴重な写真を手渡してくれる。
「ぁぅ‥‥」
「ところで、煙草が尽きそうなんだが、買ってきてもらえると助かるなぁ」
小銭とともに。
「‥‥おっけぃボス」
少しだけ拗ねたように、少年が頷いた。
働き者のエアコンが涼しげな風を送り出している。
本格的な夏は、もうすぐだ。
おわり
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