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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


偽りの水泳大会(HOME・神聖都学園編) 〜空箱より〜




「協力してほしいんだ」
 約束もなく、突然生徒会室に現れた覚えのない男子生徒に、部屋の主――生徒会長・繭神陽一郎はいぶかしげな視線を送る。
 時刻は放課後。学園における1学期のメインイベント、水泳大会が近いとはいえ――生徒会が忙しくなるのはむしろ当日直前だ。書記らほとんどの役員が顔を出すこともなく、最上階に位置するこの部屋に今は2人だけ。

「きみは誰だ」
「つれないね、同じクラスの早乙女だよ」
「……早乙女……?」
 チタンフレームのメガネをかけ直しつつ、繭神はきっかり3秒ほど考え込み、そしてああ、と頷いた。
「家庭の事情とやらで休学中の、早乙女美……だな」
「覚えていてくれたようで嬉しいな」
「会長クン、コピーを取ってきたよ」
「すまない、横に置いておいてくれ……で」
 新たに部屋へ入ってきた女子生徒に無愛想ギリギリの簡単な礼を言うと、すぐに繭神は早乙女美という見覚えのないクラスメイトに向き直る。

「何を協力して欲しいというのだ?」
「もうすぐ水泳大会だろう。2日間連続で幼等部から大学部、はてはOB・OGまで参加して行う、夏休み前の大イベントだ。そして君は高等部生徒会長として、イベントの総責任者を務める。……だろう」
「それが何か?」
「実はね、その日非常に困ったことが起こりそうなんだ。そこで、ぜひとも君に協力を仰ぎたい」

 そう言うと美はポケットから何かを取り出した。
 ――箱だ。両の手のひらにちょうど乗るような大きさの、一見ありふれた木箱。 
だがちらりと視線をやった途端、嫌な雰囲気をそこから感じた気がして、繭神はわずかに眉をひそめる。
「当日、もしかしたらこれを誰かが奪いに来るかもしれない。それは困るんだ」
「困ると言われても、私は当日忙しい。私に頼られても困る」
「君ほどの『力』を持っている人を……そうだな、せいぜいあと一人ぐらいしか思い浮かばなくてね」
 そう言うと美はにやりと笑う。
「この箱がただの箱でないこと……君には分かっただろう?」


「なんだか知らないが面白そうだね、ボクも混ぜてくれないか」
 と、その二人の間に、傍観していた女子生徒が割り込んでくる。
その無邪気な様子に、だが繭神はしっかりと眉をつりあげた。
「月神。ここでは出しゃばるなと言ったはずだ」
「つれないね会長クン。少しぐらいいいじゃないか」
「その呼び方はやめろ……ふざけている」
 じゃあ繭神クン、とわざとらしく呼びなおした彼女、月神詠子は、あらためて美に向き直るとニッと白い歯を見せて笑った。
「その話、ボクも乗った」
「……わざと、彼女の前で話をしたな?」
「悪いね。君と『あと一人』ぐらいしか思いかばなかったものだから」




     ■□■



 ノックをすると、部屋の中からどうぞ、と直ぐに返って来る。
「初めまして、よろしくお願いします」
 扉を開き、まずはとキッチリ頭を下げる。そうしてから顔をあげてみると、部屋の中にいた人間が自分に注目し、一様に目を丸くしていた。
 あれ、何か外したかな? と彼――陸誠司は内心冷や汗をかく。
「あ、あの……陸誠司です、よろしくお願いします」
「……それは分かっている。早く座れ」
 挨拶のやり直しとばかりに頭を再び下げた誠司だったが、生徒会室の中央の席についていた繭神は誠司を呼んでおいて興味がないのか、視線をすぐ真正面へと戻してしまう。
「ほらほら、ここにおいで〜キミ」
 と、席の一つ――黒尽くめの服にツンと立てたピンクの髪、という派手ないでたちの男がそこから誠司を手招きしている。
 恐る恐る彼の隣につき、よろしく、と頭を下げると、フフン、と彼は誠司を小ばかにするように鼻で笑う。
「キミ、バカ正直だねぇ。あそこまでやらなくていいんだよ」
「……ですが、俺は初対面の時には誰に対しても礼儀正しく、と教わりました」
 そう反論すると、そうかいそりゃ偉いね〜ぇ、とやはりどこかバカにされたように微笑まれ、少しだけ誠司はムッとした。


 
 再び生徒会室に集合した面々。
 誘いを持ちかけた早乙女美はもちろん、繭神陽一郎の後ろには今日もちゃんと月神詠子が立っていてその目を興味にらんらんと輝かせている。
 そして繭神に用心棒として招かれた御守殿黒酒と陸誠司、何を考えてか月神が呼んできた亜矢坂9すばる。
また彼らに気後れするように華奢な身体を心細げに小さくさせているのは、たまたまこの学園を訪れていたという成り行きでこの集まりに参加することになった初瀬日和だ。
「それで、どういう作戦なんだい? 繭神」
「……何様のつもりだ、月神」
「ん? この物言いが気に入らないのかい? ボクはキミの口調を真似ているだけだろう。ということは、大本はキミこそが何様のつもりだ、ということになるのだな」
 そうであろ? と顔を覗きこまれ、言葉に詰まって曲がってもいない眼鏡を直す繭神。
 その横でくすくす、と笑いを漏らしているのは日和と誠司だ。
「まあ、どうでもいい。 ……それより早乙女、全員に説明をしてくれ」
 再び軌道を修正した繭神に従って、美が前に進み出た。
「初めまして、皆さん。……初めまして、ではない人もいるようだけれど、ね。
ま、それより。僕が皆さんにお願いしたいことは、これです」
 美がポケットから取り出したのは、一つの小さな木箱だった。ぱっと見、古ぼけて何の価値もないようにも見える。
「美くん、よければ俺にそれ貸してもらえないか?」
 手にとってよく見てみたいんだ、という誠司の呼びかけに、だが美は笑うばかりでそれを差し出そうとしない。
「悪いけど……君達には渡す事が出来ない」
「すばるたちを信用していないのであるか?」
 依然表情の変わらないすばるの問いに、美は無邪気に笑い、否定する。
「そうじゃない。君達の身を案じての事さ」
「ふ〜ん? つまりはどういうことさ?」
 ガリガリとエンピツの芯を引っ掛けながらメモを取っていた黒酒が、いかにも面白くなさそうな顔でふん、と鼻を鳴らす。
「信用してない、ってんじゃァないなら、ボクたちが力不足だって言いたいんだろ? ンン?」
「まあ、そんなところかな」
 しれっとした表情で美は肯定し、ふと繭神を振り返る。
「でもそうだね、確かに今のままだと行動に支障が出そうだ。出来ればこの箱が誰にでも持てるようになれば理想だけど、それも難しいだろう。繭神君、どうにかしてくれないかな」
「……どうにか、とは?」
 繭神はきらりと眼鏡のレンズを光らせる。繭神は美の言葉を追っていくだけで深く追求する事もなく、また自分から提案をすることもない。
 疲れている、というのとも違う。この作戦に乗り気ではない、というよりはもともとの生来の行動がそうであるように見えた。
 そして、そんな繭神とは正反対なのが月神だ。
「じゃあどうであろう、美君。それとそっくりな箱を作り、本物と入れ替えるというのはどうだ。そうしてボクとキミ、そして繭神の3人で持てば充分であろ?」
 熱心といってもいい態度で提案を出し、美にいいね、などとうなずかれなどしている。
 彼女の場合もまた、作戦うんぬんというより――生来のもの、つまりはただ単に面白いものに興味を示しているだけだろうが。
「あ、それ、ボクもさんせ〜い」
 不敵な笑みを浮かべつつ、黒酒が細い手を上げる。
「ねぇ、誠司もそう思うだろ? だったら挙手だよぉ挙手」
「あ、そうですね。……はい! 繭神さん、俺も賛成です」
 ふらふらと右手を挙げている黒酒と違って、その横の誠司は肘までピンと伸ばし耳にぴたりとつけている。背筋はもちろん真っ直ぐだ。
「日和さんは?」
 そして誠司に話を振られた日和は、え、と一時言葉を飲んだ後に「あの、私もそれでいいと思います」と小さく言った。
「ど〜だい、生徒会長? コピーってのは……ま、直ぐに出来ないんだろうケドさぁ」
 いつでも人を食ったような口調になるのは黒酒の性格だ。ふふん、と鼻で笑われた繭神だったが、やはりというか表情をぴくりとも動かさなかった。
「その点は問題ない。……亜矢坂9、どうだ」
「問題ないのである」
 と、それまで無表情で宙を睨んでいたすばるが口を開いた。ふむ、と一つうなずいたと思うと、かぽんと音を立てて腹を開き――そう、まるで気軽に戸棚を開くかのようになんでもない仕草でシャツをごそごそと探ってから腹の扉をかぽんと開いた彼女は、そうしてそこからいくつもの箱を取り出して見せたのだった。
 そう、それは美が持っている箱そっくりの代物。
「いくつ作ればよいのだ? 101個までならノンストップで作れるのである」
「うっわー、面白いねキミ! うん、実にゆかいだ。他のものは作れるかい?」
そう言っていっそう目を輝かせ始めたのは詠子。
「すごいですね、まるであなたはロボットのようです」
「へ〜え、ぽこぽこ出来ちゃうんだ〜、そら恐れ入ったぁ」
 どこまでも生真面目な誠司と、どこまでも不真面目な黒酒。
 繭神は突然の出来事に驚いていないのかそれとも興味がないのか、「これで心配はなくなったな」と一同を一瞥しただけで、手元のノートをめくり物思いにふけりはじめている。

 そして、窓際でおろおろと戸惑ったように言葉を探していた日和は、何かを諦めたように小さなため息をついていた。
「こんな時、きっと上手く言ってくれるんだろうな……」





●A場面-2

 ――水泳大会、2日目。
 1日目は競泳中心で部外者が立ち入りにくかったせいか侵入者たちが現れることはなく、勝負はどうやら2日目に持ち越されたようだった。
 それを天が見越してというわけでもあるまいが、今日も太陽がじりじりと肌を焼いてくる、ある意味絶好のプール日和だ。
 巨大な学園設備に相応しい、巨大なプールとそれをぐるり取り囲んでいた観客席。――その熱に浮かされたような歓声が、この誰もいない校舎棟にも響いてくる。
 眩しい陽光に反して、影になっている廊下を一人歩いているとふと視界が真っ黒く塗りつぶされるかのような錯覚に陥る。
 ――外が明るすぎるんだねェ。
 立ち止まると、響いていた足音が止まり、辺りは完全な静寂になった。時折思い出したように聞こえてくる歓声が、酷く遠くに感じる。


 黒酒と誠司の二人は誰もいない廊下を肩を並べ進んでいた。生徒たちは皆プールへと行ってしまったのだろう。
 そのいない生徒たちの代わりというわけではないが、黒酒と誠司の二人は神聖都学園の制服を着ている。もちろんカムフラージュのためだ。
「ところでさ〜ぁ、誠司クン?」
「はい、黒酒さんなんでしょう」
 少しだけからかうような口調の黒酒の問いへも、誠司は折り目正しく返事をする。
 そんな彼の返答を気に入ったのか、肩をすくめ喉の奥で笑ってから、黒酒は言葉を続けていく。
「あのさ〜、あの箱だけど……本物は誰が持ってるんだろ〜ね」
「ああ、先日すばるさんがたくさん作ってたあの箱ですね」
 当日になった今でも、本物の箱が3人のうち誰の手にあるのか黒酒や誠司たちには知らされていない。とはいえ、知ったところで陣地に篭って守るしかないのが『HOME』の辛いところでもあり、強みでもあるのだが。

「そういえば、もう一つ疑問に思ったことがあるんだけどさ〜」
「はい、なんでしょう黒酒さん」
 と、二人は示し合わせたようにその場にぴたりと立ち止まる。校舎棟3階、長く続く直線廊下のど真ん中だ。
「あ〜んなにたくさんの箱作ってたけどさぁ、ボクたちの分が余らなかったってのはどういうことだろうね」
「さあ、どういうことでしょうか」
「ボクさ〜、繭神のヤツが食べちゃったんじゃないかと思うんだよね〜ぇ」
「そうかもしれません。あの人は確かに強いですが、少しだけワンマンプレイが心配です」
「あれってさ、オイシイのかなぁ? すばるが作ったって事はなんかのオイルとかで出来てたりして、ククッ」
「彼は少しばかり人に頼る事を覚えた方がいいと思うんです。そうでないと人間としてのさらなる高みへはいけませんから」
「……ンン〜、誠司クン?」
「はい、なんでしょう?」
「人の話聞いてる〜?」
「そういう黒酒さんこそ、俺の話聞いてましたか?」
 二人は顔を見あわせ、そして意味ありげに笑いあう。
「じゃ〜、準備は?」
「バッチリです」
「……いまどきバッチリって言葉ももないと思うけどぉ、ま、いいか」
 話を聞いていないと言いながらそれでもきちんと一つ小さな嫌味を言ってから、黒酒はくるりと後ろを向く。
「じゃあ、俺は後ろから回ります。それまで負けないで下さいね、黒酒さん」
「ジョ〜ダン」
 はい、よろしくお願いします。そう強く頷いた誠司は、そのままぱたぱたと走っていく。
 その足音が遠ざかっていくのを静かに聞いていた黒酒は、小さく喉を鳴らすようにゥクク、と笑いそして再び顔を上げた。

 誠司が去っていた逆の方向、廊下の向こうから、新たな足音が近づいて来ていた。
「ゥ、クッ、クッ、クッ……逃がさないよぉ〜〜〜ン……」
 黒酒の声に呼応するかのように、周囲の壁が、そして天井が生き物のように脈動していた。
 


     ■□■



 現れたのはやはり箱を狙う者だった。
 とても戦闘には慣れているとは見えない妙齢の女性が現れたことに黒酒は驚いたが、見当に反し黒酒のデーモン「ピンキーファージ」の攻撃を彼女がするりするりと避けていくことにはもっと驚く。
 彼女は戦闘力があるというより戦闘慣れしているらしかった。その危惧は、挟み撃ちを狙い彼女の後ろに回った誠司の攻撃までも避け続けたことでますます強くなる。
 実戦で何より物を言うのは「経験」だ。いくら強い力を持っていたとしてもそれを生かすことが出来なければ何の意味も成さない。
 黒酒と誠司は焦りつつ、間断なく侵入者に攻撃を浴びせつづけた。だが彼女は避けつつ、前へ前へと進もうとする。
阻もうとする黒酒と誠司。
追いつ追われつ、刺して交わして――まるで舞踏のような行為を繰り返す一人と二人。

 彼女がするりと二人の傍らを抜けた。
慌てて手を伸ばし、黒酒はデーモンを向かわせる。――彼女が廊下を曲がった。二人は追いかける。追いすがる、共に角を曲がり、態勢を立て直す!

「……やられたぁ」
 二人はその場に立ち尽くした。
 その角を曲がったそこは恐らく生徒たちのちょっとしたサロンになっているのだろう、広い空間と並ぶベンチ、そしてそこから延びる――数本の廊下。
「どっち行った〜?」
「分かりません……」
 細い唇をいっそう吊り上げ、ち、と小さく舌打ちをする黒酒。
 残念そうに肩を落とす誠司。
「……ふ〜う、しょうがないかぁ。図書室、行くっきゃないねぇ」
「あの人がそこへ行く前に、なんとか止めたかったんですけど」

 黒酒と誠司の役目は、侵入者をそこへ至らせず排除すること。
 図書室には箱を持った詠子がいるはずだった。もちろん、その箱が本物かどうかは二人には分からないけれど、そのこと自体は自分たちにはあまり関係ないこと。
「ボクたちは全力を尽くしたと思うけど、さぁ。それで何か言ってきたら、繭神こそ何か出来たのかって言い返してやろ〜かね」
「……そうですね」
 二人は笑い、今度はのんびりと肩を並べて歩き出した。

「……あ」
「どうしました?」
「繭神から電話だ。……もしもし〜ィ?」

 



 図書室にたどり着き、その扉を大きく開くと、見覚えのある顔が二つこちらを振り向く。
 一人は詠子で、もう一人は……やはり、先ほどまでの戦いの相手。
「見〜つけた!」
「……あなたたち」
 その強さに敬意を表すべき相手が、二人の姿になおも身構えようとするのを見て、誠司は慌てて「そのままそのまま!」と抑える仕草をする。
「もう片はついたようです。繭神さんから連絡がありました。……本物は奪われてしまった、大会ももう終わる、だからもうダミーを守る事はないから、と」
「……え? ダミー? 本物って……」
「俺たちの仲間である亜矢坂9すばるさんが、目くらましに箱を模造してくれました。それは俺らも見ただけじゃ分からないぐらいそっくりで」
「ン〜、でもさ、こうすりゃニセモノは中からビックリ何かが飛び出すって言ってたよ〜ん。……それ、ぽんっ!」

 口を挟ませる前に黒酒が手を一つ叩くと、箱から突然白い煙が噴き出して――
「ぽんっ!」







●B場面

 プール観客席への北ゲート前。
 今ここに人影は今はない。喧騒も遠い分だけ、辺りの静けさを増していくばかりのものと化している。

 そこに一人の少年がやってきた。彼――布施啓太は、だがそのまま転ぶように地面に倒れ、地にうずくまる。
 必死に身体を起こそうとするも視線はずれ、腰は引けている。滴るようにふきだす汗。かきむしるように土をかく指。――その様子は、まるで何かに怯える犬のようだ。
 と。
「啓太」
 彼の前に新たな人影が立つ。啓太が必死の思いで顔を上げると、早乙女美がそこに立っていた。
 以前見た時とは違う穏やかな瞳だった。哀れみとは違う、静かな感情をたたえて啓太に手を差し出す。
「……帰ろう、啓太」
 ――ああ、この声。どこかで聞いたことがある。
 啓太の心の声を聞いたかのように、美はかすかな笑みを浮かべ、啓太の前に膝をつく。
「この場所はまだ、啓太には辛すぎるだろう? ……無理はしなくていいんだよ」
「……だけど、オレは、報道部、で」
 必死の啓太の反論は切れ切れだ。
 美は啓太の頬に手を伸ばし、ゆっくりと彼の顔の前に己のそれを寄せて行く。
「いいんだ。辛い思い出を避けることも、忘れたいと思うことも……『逃げ』じゃないよ」
 ――啓太。
 もう一度名を呼び、そして美は啓太と間近で視線を合わせ微笑んだ。
 

 
「啓太!」
 新たな声が聞こえてきたのはその時だ。
 さっと美が立ち上がる。反応が遅れた啓太は共に立ち上がれず――まるで彼を引き止めるかのように宙に浮いた手だけが彼をむなしく追いかけた。
「また会おう、啓太」
 そうして美は身をひるがえす。地に膝をついたままの啓太が見送るうちにその姿はどんどん小さくなっていき――そして消え失せた時、まるで彼と入れ替わりのように現れたのは草間武彦だった。
「……いま、ここにいたのは美か?」
 息を弾ませながらの問いに、啓太はうなずくのがやっとだ。
「あいつ……まさか、お前に触れるために箱を手放したんじゃないだろうな」
 呟きは啓太に向けられたものではなかったらしい。思わず彼を仰ぐと、ち、と小さく草間が舌打ちをした。
「……何のこと? 草間さん」
「お前は知らなくていいことだ」
「草間さん!」
 叫び、彼に取りすがると――草間は視線をずらしたまま、言った。
「お前は箱には触れないらしい。……だから、箱を持ったままではお前に触れることが出来ない。そういうことだろう。それ以上は俺も知らない」
「どういうこと?」
「……お前がよっぽど心配だったってことだ。場所が場所だったからな。
啓太、それだけ分かってればいい。無理に思い出そうとするな」
 ――あいつも、同じことを言っていた……?
 
 
 呆然とする意識の裏で、暑さに浮かされた歓声が小さく沸いては消えていく。
 やっぱりここは静かだ、と啓太は思った。



     ■□■



 ――そして、再度生徒会室。
 
「仕事に失敗したのは事実だ。だから君たちに金は払えない」
 繭神の言葉にあごをがくんと落としたのは黒酒。元々依頼金には興味のなかった誠司やすばるなどが変わらぬ表情でいるのとは対照的だ。
「い、いや、ちょっと待って欲しいな。ボクたちは全力を尽くしたんだよ〜? それに、繭神こそ何か出来たんだか、ボクは聞きたいねェ?」
 ふて腐れたように言い返した黒酒だったが、繭神の返答はにべもない。
「私がいろいろ対応できるほど暇だったら、そもそも君達に仕事を依頼していない」
「っえ〜〜〜ぇ?」
「あきらめるである、黒酒」
「そうですよ、いい修行になったと思えばいいんです」
すばると誠司の慰めも、彼の耳にさえ届いたかどうか。
「このボクが、タダ働きするなんてさ〜ぁ……」
 金のためにやってやったのに、という正直すぎる黒酒の言葉は、残念ながら誰の興味も引かなかった。

 
 箱は残念ながら奪取されてしまった。
 本物はどうやらプールに行った詠子が持っていたようで(他の場所でも詠子を見かけた、と彼女自身に問うと、『ああ、ボクは今3人いるからね』とさらりと言った)話を聞く所勝負を持ちかけられ、そうして負けてあっさり譲ってしまったらしい。
 なんともあっけない幕切れだ、と思う面々だったが――このような平和な幕切れが一番なのかもしれない。

 
「そういえば、せっかくの水泳大会だったのに俺泳いでないや」
「すばるも、水着は着たが泳げなかったのである」
「いいね、面白そうだ! ボクもみんなが泳ぐならまた泳ごうかな」
「君は泳いでいたんじゃないのか?」
「泳いだのは1人目。ボクは3人目だからね」
「……どういうことだかよく分からないけど、じゃあ俺と勝負だ!」
「今度こそ、すばるは負けないのである」
 あれよあれよと進んでいく健全すぎる計画に、興味なさげな繭神でさえ「水泳部に迷惑かけない範囲でならば許可を出してやってもいい」と彼にしては積極的な口を挟んでいる。


 そして。
「キ、キミたち〜? そんなんでいいの? え? ……ぼ、ボクは騙されないからねぇ! 絶対ぜ〜ったい、報酬もらうまで引き下がらないよぉ!」
「ほら、行くぞ黒酒」
「繭神〜ぃ! ボクの話を聞いているのかいぃ!」




 梅雨の明けた窓の外は、もうすっかり夏の日差しだ。
 デスクの上の『箱』の今後も、そしていつの間にか姿を消していた美のことも――今だけは置いておいて、この陽光と熱に浮かされ無邪気にはしゃぐのも、そう悪くないかもしれない。






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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<神聖都学園編>

【3524 / 初瀬日和 / はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【0596 / 御守殿黒酒 / ごしゅでん・くろき / 男 / 18歳 / デーモン使いの何でも屋(探査と暗殺)】
【2748 / 亜矢坂9・すばる / あやさかないん・すばる / 女 / 1歳 / 日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【5096 / 陸誠司 / くが・せいじ / 男 / 18歳 / 学生兼道士】

(受注順)


NPC
早乙女美(さおとめ・よしみ)
布施啓太(ふせ・けいた)


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          ライター通信           
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こんにちは、つなみです。
この度は遅延いたしまして大変申し訳ありませんでした。随分とお待ちいただくことになってしまい、身の縮む思いです……すみませんでした。


さて。
今回のお話ですが、「草間興信所」で募集しました「AWAY編」と同時進行になっています。同じ場面でも視点がそれぞれ切り替わっていたり、こちらではぼかしている謎があちらでは解明されていたり、といったお遊びもいくつかありますので、もし興味がありましたら合わせて読んでみてくださいませ。
それと、今回「箱は誰が持っているか?(誰に持たせるか?)」という質問で3択を設定したのですが、草間「詠子」3票、そして学園「詠子」2票……ということで、詠子という読みが数の上で多かった草間側を「勝ち」とさせていただきました。
そんなわけで箱も草間さんの手に戻り、次回からは新展開……というところでしょうか。
もし興味がありましたら、次回以降も参加していただけるとうれしいです。


誠司さん、はじめまして。この度はご参加くださり、ありがとうございました。
誠司さんは礼儀正しくて明るくて、私自身の好きなタイプなのでとても書いていて楽しかったです。
比較的コメディタッチに近いものになった関係で、あまり戦いの活躍をかけなかったのが残念です。……いかがでしたでしょうか、喜んでいただければ幸いです。



反省ばかりのこの身ですが、この後も細々と活動していく予定ですのでまた興味がありましたらぜひぜひ参加してくださるとうれしいです。
感想、ご意見などありましたらご遠慮なく仰ってくださいね。

それでは、つなみでした。