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<東京怪談ノベル(シングル)>


気紛れの枝


 きっかけは、郵便物に紛れ込んだ一部のパンフレットだった。
 リンスター財閥所有の庭園を全面管理するガードナー宛ての郵便物は、大抵がその手許に渡る前に部下の手で仕分けされる。本人に届くものは極々私的な付き合いのある者からの手紙や、重要な取引先からの直接の招待状諸々である。従って、こうしてダイレクトメールさながらのパンフレットが、モーリス・ラジアルの許にまで届いたのは奇跡といって良い。
「――たまには、こういった場処を覘いてみるのもいいかもしれませんね」
 呟きの先にある紙面には大きく、「植物博覧会」の文字。日付はちょうどオフの日で、且つ会場も気軽に行ける距離にある。
 ざっと詳細に目を通したモーリスは、傍らに置いた手帳の七月某日の欄に、新たな予定を書き入れた。

 ***

 博覧会当日は、曇り空だった。会場はほとんどが屋内施設のため影響は少ないだろうが、中庭のように開いた会場の中心にて天を仰げば、厚い雲が流れてゆくのが望めた。梅雨入りしたというのに真夏のような晴天が続いた先月末よりは良いのだが、降るか否かいまいち掴めぬ優柔な空模様というのも頂けない。
 さして大きくもない規模の展示とあって、会場へ高級車で乗りつけたモーリスは人々の好奇の視線に晒された。ただでさえモーリスの美貌は人目を惹く。陽光に融けいってしまいそうな金の髪、底の知れぬほどおそろしく透いた翠玉の瞳、ダークグレイのスーツに包まれた長身は、計算しつくされたような優美さで歩を進める。モーリスは周りからの視線には気づいていたが、時折それに雑じるある種の色を滲ませたものにだけ、返事のかわりに意味深な微笑を向けた。本日は花々を愛でにはきたが、そちらの花には用はない。
(まあ、帰りがけに好みの花があれば、摘んでゆくに吝かではありませんが)
 しかしふとそんな思いも過ぎらせている辺りが、この男の侮れぬ点のひとつである。
 モーリスはゆっくりとした足取りで会場を廻った。博覧会と銘打たれてはいたが、販売に重きを置いているらしい。狭いスペースにそれでも一定の距離を保って展示された植物には、名称に説明と、走り書きされた値段が躍る。野草を中心に纏めたブースには物珍しさも手伝って興を惹かれたが、長年様々な庭園に接してきたモーリスを長く引き留めるには値しない。
 紅い鳳仙花の寄せ植えの道を進めば、百合の集まり。薄く色づくもの真ッ白のもの、かたちはなかなか良いが、邸の庭園には向かぬし、これぞという種は既に園にて咲き誇る。他に面白いものは何か、と視線を走らせれば、果たして会場の隅に造られた専有の空間が目に留まった。
 夏の花の多い会場は、いっそ毒々しいまでの色彩に溢れている。赤青黄に白、紫のそれさえ濃淡が夏独特のものとなる。そんな花々のなかにあって、そのスペースだけは切り取られたように静かな色に湛えられていた。
 向かってみればそこは、小さいながらに残山剰水の趣が取り込まれたディスプレイ。木と竹とで編まれた台に並ぶのは、鉢植えの小樹木たち――盆栽であった。
 日頃モーリスが手がける庭園はほとんどが西洋庭園ではあったが、かといって日本の園芸に関する知識が乏しいわけではない。特に盆栽は芸術作品として海外でも高い評価を得ている。しかし取り扱った経験はあったものの、モーリス自ら剪定を行い長く手許に置いたことはなかった。
 自然の樹木に手を入れ観賞用に仕立てる盆栽には、常緑針葉樹と落葉広葉樹、大別してふたつの樹種がある。一般的に盆栽と聞くと前者を思い浮かべることが多い。人気は松柏類で、そのほとんどを占めるのが五葉松である。これは丈夫な上、誰にでも培養が易く、樹形の変化も自在だからだろう。落葉広葉樹の方には紅葉、花、実ものがあり、色彩豊かなものが多く、どちらかといえばモーリスにはこちらの方が馴染みやすかった。
 鉢を順に辿ってゆくと、松林を表した根連なりや、荒磯の風情ある松が、この大きさでと驚くほどの存在感をもって並んでいる。日本の庭園は自然の、西洋では人工の美を追求しているとはいまだに聞く評だが、どちらも結局のところ人の手による造形美には変わりない。ただ確かに美を見出すバランスの感覚がそれぞれで違っているのだろうと、眼の前の奇異な幹模様を眺めながら思う。
 と、うちにひとつ、殊更異様な鉢を見つけて、モーリスは立ち止まった。真柏の鉢である。飴細工のような流線を描く幹は、ひどくすべらかで白茶けている。白骨化しているのだ。けれど枝先に繁る葉色は青々として瑞々しい。その懸隔が面白くて、モーリスは辺りの盆栽を改めて眺めつ、思案する。
(ひとつぐらいなら、邸に置いてみても……)
 とは思うのだが、基本的に鉢物である。しかも邸は洋風庭園、鉢植えを使用する庭園もあるが、そのなかにひとつだけ盆栽が混ざっているのはおかしいだろう。間違い探しのように景にそぐわない。
(いっそ日本庭園の区画でも造りますか?)
 ぐるりを樹木で囲ってしまえば隠せるのではないだろうか。そのなかに鑓水を引くか、あるいは枯山水、霰零しのみでも雰囲気は出せるが。
(それはそれで、ものすごい違和感ですね)
 西洋庭園の秘密の花園が、日本庭園ということだ。……面白くはあるが、さすがに自分の一存で決められることではない。
 花ものならば、梅の紅、木瓜の白花、実ものは花梨、梔子、姫林檎。紅葉ものではやはり楓の赤の色合いがうつくしい。欅の取り取りも捨てがたい。
 モーリスは首を傾ける。具体的に樹種を思い浮かべて、それに邸の庭園を合わせていった。頷く。
 結論。
「どう考えても、似合いませんね」

 ***

 数日後のカーニンガム邸にて。ある使用人が、ガードナーが使用する温室前の道具置き場に、ひとつの鉢を発見する。
 掌に乗るほどの小さな鉢に、絵に描いたようなじぐざぐの細くなめらかな幹。黄緑の葉に彩られた先にはまだ見えぬが、もうすぐ薄紅色の花が咲くはずだと庭師は云った。
「記念にひとつだけ、小さいものならと自分用に購入したのですが、数が増えるようなら専用の棚でも設えましょうか」
 その後、そのミニ盆栽の愛らしさがすっかり気に入った使用人の幾人かの手によって、邸内にひそかな盆栽ブームが――起こるかどうかは、モーリスの盆栽の出来に懸かっている。
 とりあえずは百日の間、紅色の花を見せ続けるというこの小さな木は、今日も青空へ向かって枝を伸ばし、真夏の暑さを待っている。


 <了>