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<東京怪談ノベル(シングル)>


幸せのSweetBear −summer again−


 主人が勧めてくれた淹れたての美味しいアールグレイと、大好きなチョコレートを筆頭にスイーツを数点ワゴンに乗せて、先輩の整えた中庭の一角に設えた屋根付きの休息場所で過ごす午後の一時。仕事を一段落させた後に木漏れ日の下で味わうティータイムは格別で、マリオン・バーガンディの幼く見える顔には知らず笑みが零れていた。
「はあ〜、幸せだなぁ」
 紅茶を啜り、その爽やかな香りと優しい甘さにほっと一息吐くと共に自然と言葉が漏れた。その息の吐き方や口調が少々年寄り臭い――もとい落ち着き過ぎていると感じるのは、彼がその可愛らしい外見の百倍は年齢を重ねているからだろう。
 ティーカップから立ち昇る紅茶の香りに目を細めながら、マリオンはテーブルに鎮座するカカオ色のクマを一つ手に取った。クマの顔をじっと見つめた後、マリオンはふと表情を曇らせて、今度は軽く失望の溜息を吐いた。
「でも、もうちょっとでこの幸せも終わりなんですねえ……」
 そう呟いて、クマの耳を一口齧る。濃厚なクーベルチュールチョコレートの甘みが舌の上で蕩けて広がった。
 マリオンがお茶請けに選んだカカオ色のクマ、文字通りカカオつまりチョコレートで作られているこのクマは、先日某興信所で大量に生産されたものである。マリオンが特別に誂えた大中小三つの型で作られたクマチョコは、出来上がりの一部を寄付された興信所の主とチョコレート生産に協力して貰った事務員の某女史を微妙な表情にさせる程、大層大量に作られた。興信所内をクマだらけにされて脱力気味の二人を他所に、チョコ作りを提案した当のマリオンは、それはもう極上の笑みを浮かべて大半のクマチョコを持ち帰り、毎日一個と決めて、飽きる事無く今日までずっと食べ続けていた。リンスター財閥総帥邸の厨房にある、プロ仕様の大きな冷蔵庫の一角を占領したクマチョコは永遠になくならないかとさえ思えた。
 しかし、所詮この世は栄枯盛衰諸行無常。食せる物は胃に入ればなくなっていくのが必然である。
 うんざりするほど大量生産されていたクマチョコも、今マリオンが手にしているのを含め、残りの数が片手に収まるほどになっていた。実の詰まった食べ甲斐のあるチョコレートがもうすぐなくなってしまう事に、マリオンは落胆を隠せなかった。
「こんな事なら、もっともっとたくさん作っておけば良かったのです……」
 先日、一日クマチョコ製造マシーンと化していた某事務員の呆れた顔と盛大な溜息が聞こえてきそうな呟きを漏らしながら、マリオンはもぐもぐとクマを食べていく。そして食べながら改めて思う。この幸せをあと数個で終わらせてしまうのは勿体無い。やっぱりもっとクマを作ろうと。

* * *

 もっとクマを作ろう。そして主人や他の皆と幸せを分かち合おう。そう決意したマリオンはクマ型を使って何を作ろうかと考える。またチョコレートを作っても勿論構わないのだが、折角の特注クマ型三種である。チョコレート以外にもっとバラエティにとんだお菓子を作るのも良い。
 マリオンは一旦邸内に戻ると、自分の管理する蔵書の中からスイーツ絡みの書物を何点か探し出してきた。木漏れ日の下で、傍らに何冊もの本を積み重ねて読む様は、一見読書家の優雅な午後の趣にも見える。しかし、マリオンにしてみれば優雅でもなんでもない。クマチョコがなくなる事は彼にとってある意味死活問題だ。その代わりになるものを、と一心不乱に型を使って出来る菓子を和洋中問わずくまなく調べているのだから見た目以上に必死なのである。
 真剣な面持ちで次々と参考書物を捲りながら、マリオンは大中小のクマ型で作るのに適してそうなレシピの候補を絞っていく。
 例えばパンケーキ。一口大の十センチのクマはマドレーヌ風に、二十センチの中サイズは卵たっぷりのスポンジケーキにして生クリームでデコレート、一番大きな三十センチのものはふかふかのシフォン生地でどうだろう。味も大きさも違うクマが食卓に並ぶ光景は想像するだけで可愛らしく夢の国のようだ。ケーキならば紅茶のお供にも最適だろう。しかし、長期保存には適さないので一度に食べる分しか作れないのが少し残念である。
 例えばプリン。バケツならぬクマプリンはチョコレートと同じく食べ甲斐があり、さぞや幸せな一時を長く感じさせてくれるであろう。こちらもケーキと同じように味を変えて、定番のカスタードプリンからミルクプリン、ココアプリンにしても美味しい。カラメルソースも、上からかけるのではなく器に入れたソースにクマが座るように浸せば少し芸術性が出る気がする。表題は『水辺で戯れるファンシーベア』。
 例えばゼリー。プリンよりも弾力性のあるクマがぷるぷるとその身を震わせる様は「ボクを食べて」と言っているようで思わず笑みが浮かぶ。カロリーも低くダイエット中の女性にもお勧めだ。季節のフルーツから搾り取った新鮮な果汁をふんだんに盛り込んだ爽やかな甘さのフルーツゼリーにすれば、老若男女に喜ばれそうでもある。お中元にも良さそうだ。
 例えば羊羹。小豆や抹茶など落ち着いた色と控えめな甘さは甚く上品で、しっとりとした侘び寂びを感じさせてくれる。日本文化に想いを馳せながらお茶の時間を過ごすのに、これ以上のお茶請けはないだろう。
 レシピの書かれた何冊もの本に視線を走らせながら、クマ型から生み出される菓子の数々を思い浮かべて悦に浸っていたマリオンだが、とあるページで手を止め、とん、と指先で弾く。
「夏と言ったらアイスクリーム。やっぱりこれですよね!」
 熱気に弱った心も身体も冷やしてくれる、甘くて優しい夏のスイーツの王道、アイスクリーム。長期保存も利くので大量に作っても問題はないし、作り方も混ぜて冷やすだけで攪拌の要らない方法もあり、意外と簡単である(マリオン自身が作るわけではないのだが)。それに何と言っても、暑さにすこぶる弱いマリオンの主人にはもってこいのスイーツではないだろうか。
 大中小のスイーツベアアイス。室内で食べるのもいいが、あえて暑い中で食べるのも一層美味に違いない。アイス自体はそのまま舐めて冷たさと甘さを味わうもよし、フルーツソースや生クリームでデコレートするもよし、エスプレッソに浸してアッフォガードで楽しむもよし、だ。ああそうだ、『水辺で戯れるファンシーベア』はこちらの方が似合っているかもしれないと、マリオンは笑みを零す。
「そうだ! アイスクリームを作るならついでにソルベもいけますよね。フルーツパンチに浮かべて『スイミングスイーツベア』」
 脳内をすっかり甘いクマの大群に占拠され、蕩けるような満面の笑みを浮かべたマリオンは、お気に入りのレシピのページに付箋で印を付けると、それを抱えて立ち上がった。その視線の向く先は厨房だ。そう、邸内で働く一流料理人たちにこの心沸き立つアイデアを実現してもらうためである。
「楽しみだなあ、クマさんスイーツパーティ」
 重い書物もなんのその、足取りも軽く厨房へと向かうマリオンを、初夏を過ぎて熱くなり始めた太陽が見守るように、そしてやや苦笑気味に照らしていた。


 ――――その後、リンスター財閥お抱えの料理人たちは厨房に溢れるクマにまた暫く頭を抱える事になり、更に毎夜クマに追われる悪夢に苛まされた者も居たと言う――――。


[ 幸せのSweetBear −summer again−/終 ]