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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計

 それは一見して、この店にそぐうとはとても思えない品物だった。
 古びた大きな壁掛け時計。アンティーク、といえないこともないのだろうが、周囲に置かれた他の品々と比べるとそれは、明らかに平凡すぎる外見で、おまけにずいぶんと和風な雰囲気を持ち合わせていた。
「気に入ったのかい?」
 いつの間に回りこんでいたのか、人の気配などなかったはずの背後から女の声が聞こえた。
「欲しいなら譲ってやってもかまわないよ。ただし条件がひとつあるけどね…」
「条件……?」
 女は壁から時計をはずすと文字盤のガラスを音も立てず開けた。
「簡単なことさ。あんたが一番よくいる部屋に、この子を置いてやってくれればいい。寂しがりやな時計だからね、主人と長く離れていると悲しくて壊れてしまうのさ」
「……………」
 女の言っていることは半ば以上理解不能だった。寂しがり屋の時計だなんて今まで見たことも聞いたこともない。
「使い方は………言うまでもないね。一日一回この真ん中の穴に螺子を差し込んで回すだけ。大事に使ってればそのうちに、時計があんたのなくした記憶を取り戻してくれるよ」
「なくした……記憶?」
「ああ。今はもう思い出されることのない、失われた大切な記憶さ…」
 そう言って女はガラスの蓋を元通りに閉めた。今度はかすかにカチンという金具の音が聞こえた。
「どうだい、買っていくかい?」
 ふわり、と女の前髪が揺れ漆黒の瞳がきらりと輝いた。真っ赤な唇に銜えた煙管からゆっくりと紫煙が立ち上ってゆく。
「あっ…いえ、僕は……」
 プライベートで来ているならいいが、今日は仕事の遣いの身であった。まさかそのついでで、こんなに大きな買い物はできない。
「…カバラ系護符は、置いておられますか?師匠から頼まれて来たのですが」
 ヨハネは時計から視線を逸らすと、柔らかく微笑んでそう尋ねた。
 


 日々の健康と平和への感謝。ヨハネ・ミケーレの一日は聖堂で、神に祈りを捧げることから始まる。
「主よ、今日も我らに平穏と安らぎを与えてくれることに感謝します…」
 早朝の清らかな空気の中、ヨハネはゆっくりとまぶたを閉じた。祈ることで心が浄化されて、魂から穢れが剥離していく。
「……………ふぅ」
 澄みきった、心と同じくらいまっすぐな目で、ヨハネは聖堂の壁を見上げる。見開かれた青い瞳に映されるイエス・キリストの聖なる彫像。
「どうか今日が、すばらしい一日となりますように…」
 最後に小さく一言つぶやいて、ヨハネは静かに聖堂を後にした。


―――キリキリ…キリキリキリ………カチッ
 教会の廊下に並んで置かれた二台の大きな壁掛け時計。一つは昔からここに置かれている電池で稼動するタイプの時計。そしてもう一つは信徒から預かった古い螺子巻き式の振り子時計だ。
「……すごいなぁ。まったくズレがない」
 文字盤の中央の螺子を回し並んだ時計との時差を確認すると、ヨハネは感心したようにつぶやいた。
「このくらい古い時計だと普通は、日に数秒の誤差は出るものだけど…」
 ぴったりと、寸分の差もなく二つの時計は、同じ時間を刻み続ける。普通時計の寿命は数十年で、それ以上たった物では歯車や、他の部品の歪みから正確な時が刻めなくなってしまうものである。
(でも、これは………)
 どう見てもその時計は二百年、あるいはそれ以上の年代物の特徴的な意匠が施されていた。
(ひょっとして、名のある職人の作品なのかな…?)
 だからこそ不思議な力があると、あの店主は言っていたのだろうか。
(………もっとも、僕には関係ないことだけれども)

 あきらめたはずの時計が偶然に、ヨハネの元へと運び込まれたのはあれからほんの数日後のことだった。先日見たばかりの時計を抱え、信徒の一人が協会を訪ねて来た。
『なくした記憶を取り戻してくれるよ…』
 そう言った女の言葉を信じ、その人は時計を購入したらしい。だがすぐに仕事の都合で長期間、家を留守にすることが決まった為、教会まで時計を預けに来たのだ。
「私が戻るまでの間、時計の螺子を巻いてやってほしいんです」
 そう言って頭を下げる信徒に、ヨハネの師匠である枢機卿はにっこりと微笑んで頷いた。
「わかりました。お預かりさせていただきます」
 そしてそのままヨハネを振り返り、彼はやはり微笑んだままこう言った。
「ヨハネ君、お願いしますね」
「はっ…?」
 そしてヨハネは持ち主が戻るまで、時計の世話を任せられることになった(といっても螺子を巻くだけだが)。
 毎朝の日課が一つ増えてからもうすぐ二十日が経とうとしていた。時計は少しの狂いもなく動き、静かに時を刻み続けている。
(あと、三日か………)
 三週間という時間は最初こそ、かなり長いと感じてはいたが、過ぎてしまえば本当にあっという間のことだった。
(結局何も起こらなかったなぁ…)
 期待して、というほどでもなかったが(もしかしたら…)という思いを抱いて、ヨハネは毎日螺子を巻いていた。
『なくした記憶を取り戻してくれる…』
 それが本当ならヨハネはどうしても思い出したい大事な人がいた。
(姉さん……)
 親の顔を知らないヨハネにとって、たった一人の家族だった人。彼が幼い頃病で亡くなった、かけがえのない大切な存在。
(もし、思い出すことができるなら………)
 子供の記憶特有のあいまいさで、彼は姉の顔をよく覚えてなかった。彼が知っている姉の顔はすべて、写真に写る優しい笑顔だけだ。
(姉さん……)
 記憶の中、浮かんでくるのはただ、笑顔だけ。叱られた記憶も確かにあるのに、顔だけはいつも凍りついたように動きのない笑みを見せ固まっている。
(思い出す、ことができるのなら………)
 わがままな願いだとわかりながら、ヨハネは思わずにいられなかった。『主人』でもない自分の願いを、叶えられるはずもないというのに。
(それでももし…)
 そう心でつぶやいて、ヨハネはゆっくりと瞬きをした。耳の奥で優しい誰かの声が、「ヨハネ」と彼の名を呼んだ気がした。



「ねえ、ヨハネ。今日は姉さんと歌を歌いましょうか」
 小さなヨハネを膝に乗せながら、黒い髪の少女はそうささやいた。
「うん、歌うー!ねえ、どの歌を歌う?」
「そうねぇ、なんの歌にしようかしら………」
 首を傾げてヨハネを覗き込んで、少女は「う〜ん…」と小さく唸った。
「………そうだヨハネ、『あれ』はもう弾ける?」
 聖歌の一節を口ずさむ少女に、小さなヨハネは瞳を輝かせる。
「弾けるよ!僕、もう覚えから……」
 そのまま目の前のオルガンに手を伸ばし、小さなヨハネは鍵盤を叩く。たどたどしい動きながらもその指は、確かに少女が口にした曲の伴奏をしっかりと奏でていた。
「聖なる御子に祝福を与えよ…」
 少女の唇がメロディを紡ぐ。それに合わせて指を動かしながら、小さなヨハネも歌を声に乗せる。
「聖なる御子に祝福を与えよ…」
「赤き果実を…」
「赤き果実を聖杯へ…」
 重なり合った二人の声は調和して、美しいハーモニーを作り出す。
「「我らは神の恵みを賜りて…」」
 高らかに響く声は部屋をヨハネ達、二人だけの小さな宇宙に変える。
「父へと感謝せよ…」
「父へと感謝せよ…」
「偉大なる父に…」
「偉大なる父に…」
 複雑な音の並びが連続し、ヨハネの指が一瞬動きを止めた。するとまるでそれがわかっていたように、後ろから少女の手が伸ばされる。
「父へと感謝せよ…」
「父へと感謝せよ…」
「偉大なる父に…」
「偉大なる父に…」
 少女は難しいフレーズだけ弾くと、またすぐにオルガンから手を引いた。慌てたようにヨハネがその続きを再び小さな指で弾き始める。
「我らに神の祝福があらんことを…」
「我らに神の祝福があらんことを…」
 もうあとは簡単な和音だけで、ヨハネも演奏につまづくことはない。
「アーメン」
「アーメン」
 最後に唱和を繰り返してヨハネは、オルガンからそっと指を離した。
「……ちょっとだけ、失敗しちゃったね」
 えへへ、と笑うヨハネの頭を撫で、少女は「いいのよ…」と優しくささやく。
「ヨハネはまだ手も指も小さいから、弾けなくっても仕方がないのよ。でも、よく練習をしていたのね。姉さんとってもびっくりしたわ」
「…うん。だってね、僕オルガンをね、毎日3時間以上弾いてたんだよ」
「まあ、そんなに…!?」
「うん!だからね、他の曲も弾けるようになったんだ」
 自慢げに話しヨハネはオルガンで、今度は別の曲を奏で始める。
「…この曲、姉さんが一番好きな曲でしょう?」
 そう言って鍵盤を弾くヨハネを、少女は後ろからぎゅっと抱きしめた。
「………姉さん?」
 演奏の手を止めて、ヨハネは後ろの少女を振り返る。すると少女は瞳に涙を浮かべ、泣き笑いの顔で彼を見つめていた。
「……姉さん?どうかしたの?ねえ…」
 問い詰めるヨハネに少女はただ、「なんでもないわ」と繰り返していた。
「ちょっと嬉しくて、涙が出ただけ………ヨハネも、すっかり大きくなったんだなあって…」
「…大きく?僕まだ子供だよ?」
「……そうね。でも、もう一人前よ」
 私が護ってあげなくても大丈夫。そう言って少女は涙を拭い、ヨハネを膝から下ろし向き直った。
「………ヨハネ。もうすぐ私はあなたに何一つ、教えて上げられなくなってしまうけど、それでも心だけはいつもヨハネをずっと見守り続けているからね…」
 だからどうか寂しがらないでねと、少女はヨハネの小さな肩を抱く。
「…どうして?姉さんどこかに行くの?」
 不思議そうに聞くヨハネに少女は、小さく首をゆすり答えを返す。
「いいえ……いいえ、どこにも行かないわ。私はずっとヨハネの近くにいる。見えなくても、触れることができなくても、私はずうっとそばにいるからね…」
「………姉さん?」
 更に不思議そうにするヨハネの肩を、少女はきつく、きつく抱きしめた。
「………いいのよ、『今』はまだわからなくて…」
 いずれわかる時が必ず来るからと、少女はささやいてヨハネにキスをした。
「そう、いずれ…わかることだから………」


―――ゴーン……ゴーン……
 鐘が、鳴る。境界中に響く荘厳な音。その音を聞きながらヨハネは、姉の棺に土が掛けられるのをただじっと無言で見つめていた。
「可哀想に。まだ十代なんだろう…?」
「まだまだ人生これからだってのに…」
「美人薄命ってやつなのかねえ。愛らしい女の子だったのにさ…」
「死ぬとわかっていて泣き言も言わずに……立派な最後だったみたいだねえ…」
 周りにいる大人達は口々に、少女の死を悼む言葉を話していた。濡れた土が棺の上に降り積もり、墓穴はゆっくり埋まっていった。
(どうして……)
 ヨハネは涙も見せず、土の中の棺をじっと見つめる。
(どうして姉さんが死ななきゃいけないの…?)
 神父の言葉に皆がまぶたを閉じる。それでも彼は棺を見つめ続けた。もはや棺はすっかり土の中で、その姿を見ることはかなわない。だが彼はそれがあるはずの一点に見据えた視線を動かそうとしなかった。
(どうして……)
 あんなに優しく元気だった姉が、今は冷たい骸となっている。そのことが不思議でならなかった。
(もう二度と、会えない…だなんて……)
 物心つく頃からただ二人、孤児院で寄り添いあっていた姉。彼女だけが里親に引き取られても、二人が分かたれることはなかった。週末に訪れる姉と会うことは、ヨハネにとっては当たり前の幸福だったのだ。
(なのに……もう…)
 修道院付の孤児院というある意味特殊な場所で育った為、死はヨハネにとって身近なものだった。肉体がその動きを止め二度と、笑う事も泣く事もない塊に変わる。どんな優しい人もどんな怖い人も、等しく同じ冷たい骸となる。
(姉さんが……だ、なんて…)
 十日前は優しく微笑んでいた。ヨハネのことをぎゅっと抱きしめていた。ずっとそばにいると約束してたのに――。
「うそ…つき……」
 そうつぶやいたヨハネの瞳から、大粒の涙が一粒落ちる。深すぎる哀しみは心を凍らせて、彼の中の何かを封印させた。
「嘘つき………」
 涙の跡を風が乾かしてゆき、ヨハネはまた無言でそこに立ち尽くす。その瞳に涙はもう浮かばず、ただ静かな哀しみだけがゆったりと青い瞳の中を漂っていた。



「………君、ヨハネ君!」
 ハッと瞳を見開いて、ヨハネは声のしたほうを振り返った。いつの間にかぼんやりとしていたらしい。気が付くと時計の針が二つほど、長針を右に傾けさせていた。
「あっ、はい、すみません。どうかしましたか?」
「どうかって、それは君のほうでしょう?」
 言われてヨハネはようやく自分が、涙を流していることに気付いた。
「………何故?なんで僕は泣いて…」
 不思議そうにつぶやく彼の頭を枢機卿はそっと手のひらで撫でた。
「泣きたいなら、存分に泣きなさい。理由は後で考えればいいから…」
 優しくささやかれヨハネの瞳から、更に大粒の涙が溢れ出す。哀しみが胸いっぱいに広がってヨハネはぽろぽろと涙を零した。
「なんで…?僕……こんなみっともないこと…」
 なんとか止めようとする意思に反して、涙はとめどなく溢れ出してきた。哀しみの雫は彼の聖衣を袖口からしっとりと濡らしてゆく。
「いいから、お泣きなさい…」
 そう再び言われ、ヨハネはこくんと小さく頷いた。理由はわからないけれど泣く事が、今の自分には必要なのだと、何故だか自然に思えてきたのだ。
「ヨハネ…」
 耳の奥で優しい誰かの声が、もう一度彼の名前を呼んでいた。


 数日後、ヨハネは今日も聖堂で神に祈り一日をスタートさせる。
「今日も我らに平穏と安らぎを…」
 つぶやいてまぶたを閉じるヨハネのまな裏に姉の微笑みがよぎる。それは今までのような動かない平面的な笑顔などではなくて、時には怒り時には涙していた本物の記憶の中の笑顔だ。
(姉さん、今日も僕を見守っててね…)
 心の中でそうそっとつぶやいて、ヨハネはゆっくりと瞳を開く。
「どうか今日が、すばらしい一日となりますように…」




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

★1286/ヨハネ・ミケーレ/男/19歳/教皇庁公認エクソシスト・神父+音楽指導者


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■         ライター通信          ■
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初めまして、新人ライターの香取まゆです。このたびはご参加ありがとうございます。
いろいろ書くと言い訳臭いので、一つだけ注釈させていただきます。
言うまでもない事と思いますが、祈りの言葉と歌っていた歌は香取の勝手な捏造品です。無宗教な上無知な人間なので、これといったものが出てきませんでした。「んな歌あるかーい!!」という突っ込みは、ご遠慮いただけるとよいのですが・・・
「悲しくも救いのあるお話で」ということですが、どうでしょう?救いはあるのでしょうか。
私としては希望のあるラストシーンに持っていったつもりなのですが・・・
この作品が少しでも気に入っていただければ幸いに思います。