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<東京怪談ノベル(シングル)>


最後の約束


 満々と満ちた月の光の下、春日・イツル(かすが・いつる)は疲れた体を引きずって、自宅の玄関まで辿り着いた。まだ少年といっていい年頃の彼には幾分似つかわしくない、幾分広めでセキュリティも厳重なマンションの一室。
 だが、その幾重にもなされたセキュリティも、部屋の広さも、今はイツルを憂鬱にするだけだった。
 何しろ、彼は幾つもの肩書きを持つ多忙の身。今日も幾つかの仕事場を転々として激務をこなしてきたのだ。…正直、疲れていた。
(シャワー…浴びたいな。でも疲れたし、早く眠りたい…)
 もどかしげに玄関をくぐり抜け、電気もつけずに寝室に直行する。一瞬、バスルームにも気をやったが、すぐに疲労に負けてベッドへ身を投げ出す。
 ボスンと心地よいスプリングの反発。それと共に深い奈落に墜ちるような感覚。その感覚は眠りに落ちる時のそれに違いなかった。が、イツルはその感覚の中にもう一つの奇妙な感覚を覚えていた。
 悲しいような、切ないような、そんな感情を喚起させられる感覚。
(あ、この感覚…。じゃあ、また、あの夢を見るんだ…な…)
 この物語はイツルが見た夢の記録。
 彼の遠く前世の物語。


   ※         ※


 臨む月は見事な望月。
 その光は全てを浄化するように地に降り注いでいた。
 眠れずにいた私は床を抜け出して、月の光が射し込む軒の下へと逃げ出した。追われる身だというのに呑気なものだと、我ながら苦笑を禁じ得ない。
 私が長を務める一族は、時の朝廷に反抗的な態度をとったことから異形の『鬼』の烙印を押されて、狩られる対象となっていた。勿論、族長である私も例外ではない。人目を逃れてこんな山の奥深くの山荘に身を隠しているのだ。
 だからだろうか。私は人の気配にとても敏感だった。
「誰だか知らないが、そんな茂みに隠れていないで出てきたらどうだ?」
 先ほどから山荘の庭に植えられた潅木の向こうから人の気配が感じられていたのだ。刺客かとも思ったが、それにしては気配の殺し方が拙すぎる。
 数瞬、躊躇うような間があった後、潅木の枝がさわさわと揺れて小さな人影が私の前に姿を現した。月の光がその影を照らす。
 姿を現した人影に、私は思わず息を呑んだ。…知った顔だったのだ。
「…姫!?」
 それは私が愛した人。私を愛してくれた人。
 大豪族の姫君と『鬼』と呼ばれた一族の長という許されない愛だった。だが、そんな柵は私たちにとって何の枷にもならなかった。
 今は追われる身で姿を隠しているため逢うことはできなかったが、いつかは迎えに行こうと思っていた人。
 その人が、突然目の前に現れたのだ。
 戸惑いと歓喜が交互に私を襲う。
「なぜ、このような所に姫が?」
「………………」
 姫の顔色は月の光のせいだけではなく、紙のように白く見えた。
 その顔色に小さな予感を感じながらも、私は彼女の元に走るとその肩を引いて屋内に迎えようとした。
「ここは冷える。とにかく中に入ろう」
 だが、姫は何も言わずに私の顔を見上げるばかりで、その場から一歩も動こうとしない。
「…姫?」
 ちくり、喉元に痛みが走る。それが押しつけられた懐剣の切っ先だと気づくのに、数瞬を要した。だが、不思議と心は乱れない。ああ、やっぱり、と何処か悟ったような感情が湧いてきただけだった。
 懐剣を持つ白い手がカタカタと震えて、私の喉に浅い傷が出来る。微かだが血の匂いが辺りに立ちこめた。
「…姫御自らを刺客とするとは…朝廷もよほど私たち一族のことが気に入らないとみえる」
 この緊張した場に似つかわしくない苦笑混じりの口調でそう呟いた私。それを見た姫はその大きな瞳に涙を浮かべる。
「…わたしとて、そなたにこんなことをしとうない!そなたはわたしが初めて本当に愛した男じゃ!だが、わたしとそなたの仲が朝廷に知られてしまった!わたしがそなたを殺さねば、父上も母上も…幼い弟や妹たちの命までが危うくなる!」
 ぽろぽろ、大粒の涙が姫の眦から零れ出す。その姿は豪族の姫君の威厳など皆無で、ただただ、家族を守りたいという願いに突き動かされた少女の必死さだけが感じられた。
 私は懐剣を突きつけられながらも、姫の頬を流れる涙を拭い、その黒髪を優しく撫でる。家族を守るために私を殺そうとするこの少女が、何故だかとても愛しかった。
「…姫、貴女に殺され果てるならぱ私は本望だ」
「…!!」
 驚いたように、姫は私を仰ぎ見る。涙で濡れた大きな瞳が更に大きく見開かれて、月の光を反射していた。私は微笑んで、彼女の頬を撫でた。
「私が病に冒されていることは知っているね?不治の病で、余命が幾ばくもないことも?」
「…それは!…でも…!!」
 姫の視線が宙を泳ぐ。私は大きく息を吸った。
 細い肩を掴み、強い口調で諭す。
「姫、貴女は豪族の姫君なのだ。貴女には守るべき一族があるはず。それをお忘れか!」
 フルフルと壊れた人形のように首を振る姫。彼女の手から懐剣が滑り落ち、その細い腕が私の胸ぐらを掴み上げる。
「そ、それはそなたも同じはすじゃ!そなたこそ、一族を守る長ではないか!朝廷に追われる一族を見捨て、ここで果てるというのか!?」
「そうだ。私は、『鬼』なのだから」
「…っ!!それは朝廷が勝手に言ったことじゃ!わたしは認めぬっ!!」
 掴み上げた手もそのままに、姫は私の胸に顔を押しつける。その肩が震えていた。私は壊れ物を扱うように優しく、彼女の髪を梳く。
 暫く時が過ぎた。もう彼女の肩は震えてはいない。彼女はとんと両手で突き放すように私の胸元から逃れた。
「…あい解った。そなたは『鬼』じゃ。憎むべき『鬼』じゃ」
 すんすんと軽くすすり上げながら呟く姫に、私は一瞬ほっとする。だが、次の瞬間、姫は私に挑み掛かるように視線を上げてきた。
「だが、それならばわたしも『鬼』じゃ!やはり、わたしにはそなたを殺すことなどできぬ!そなたを生かす為ならば、父母弟妹の命すら惜しくはない!わたしは『鬼』じゃ!愛する男一人の為に一族を捨てた、醜悪な『鬼』じゃ!」
 その瞳には確固たる決意の色。胸に縋る姫の爪が痛いくらい私の肌に食い込んだ。
「…姫…」
 今思えば、何故ここで姫を思い留まらせられなかったのかと、後悔ばかりが胸を突く。だがその時、私と姫はほんの数日の幸せを選んだのだ。
 私たちに逃げ場などないと知っていたのに、それでもたった数日でも、この人と共に生きられるのであれば…と。
 今、冷たい獄中で一人思うのは、姫のことばかり。
 私よりも一足先に、自ら命を絶ったという、姫のことばかり。
 私が『鬼』にしてしまった、姫のことばかり。
 姫、私も遅からずそちらへ行くだろう。今は不治の病も私にとって救いの道。生かさず殺さずの責め苦から逃れ、貴女の元へ行くことのできる最後の約束…。


   ※         ※


 カーテンの隙間から漏れる朝日に目を刺され、イツルはその瞼をゆっくりと開いた。夢のせいか、自分の置かれている状況を把握するのに数瞬を要する。昨日は疲れていてシャワーも浴びず、着替えもせずに眠ってしまったのだと思い出して見てみると、服は思う様皺が寄って、身体もどこか埃っぽい。
 イツルは一度深いため息をついてから、まずはバスルームに向かった。

 Rrrrrrrr…。

 バスルームから出たところで、タイミング良く電話が鳴った。水の滴る頭をタオルでガシガシと拭きながら、拾い上げるように受話器を取る。相手は解っている。仕事のマネージャーからだ。
「…おはよう。…ん、解ってる」
 マネージャーと今日の仕事の確認。相変わらず膨大な量の仕事に、イツルは深くため息をついた。
 今日もいつもと同じ、忙しい一日が始まる。

<了……?>


   ※         ※


 全ての支度を整えて、自宅の玄関を出たイツルに、一人の人が近づいてきた。その人はイツルの足元まで転がるようにやってくると、向日葵の花のように明るくにこっと微笑む。
「おはよう、春日さんっ」
 朗らかに挨拶をしてきたその人に、イツルも普段はあまり見せない優しい笑顔を向けた。いつも逢う度に元気に挨拶をしてくれる人だから。
「ああ、おはよう」
「今日もお仕事頑張ってくださいね!ではっ!」
 春の嵐のように去っていくその人の後ろ姿に、イツルは呆けたような視線を送る。何か小さな引っかかりを覚えていた。既視感、というのだろうか?
「…姫…」
 自然に口をついてでた微かな呟き。自分でも意味など解らない。でも…。
 そんな自分にもイツルは小さく苦笑した。でも、何となくその人に元気を貰えた気がして、小さくなっていく背中にそっと呟いた。
「…うん、頑張るよ…」

<了>