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<東京怪談・PCゲームノベル>


花は空に舞い

 風の香りが変わった。それまで歩いていた雑踏の、排気ガスや埃にまみれたそれから、いつの間にかしっとりとした花の香りに包まれていたのだ。木漏れ日も静かな桃の苑。街の中にこんな場所があると気付く人は、殆ど居ないだろう。ついさっきまで聞えていた雑踏のざわめきも車の音も聞えない。静かだった。
「ふぅ。これで終わり…か。これもつとめとは言え、面倒よのう」
 木々の向こうから聞えてきたのは、その言葉遣いには似合わぬ、少女の声だ。白い髪に真っ赤な瞳、うっすらと紅色のさした着物を着た少女は、都会の真中に現れた桃の苑と同じくらい、異質な雰囲気を持っている。少女の周りには敷き布が敷かれ、その上にはちょっと変わった品が並んでいた。
 
「こんにちは」
 黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)はほんの微かに微笑むと、鈴の居る中庭に足を踏み入れた。ふわり、と良い香りのする風に、魅月姫の長い黒髪と同じ色のワンピースが揺れる。顔を上げた鈴が、おお、と嬉しそうな声を上げた。
「よう来て下さった、魅月姫どの」
先日訪れたその帰り際、是非また、と誘ってくれたのは、鈴だった。中々果せずに居た約束だったが、ここ数日時間が空いて、ふと思い出したのだ。ぱたぱたと駆け寄ってきた鈴に差し出した土産の中身はザッハトルテで、魅月姫にとっては馴染みの深い土地の菓子だ。鈴の家を訪ねると決めた時、ふと頭に浮かんだのがこの菓子だった。礼を言う彼女に小さく首を振って見せて、魅月姫は改めて辺りを見回した。
「お仕事…ですか?」
 桃に囲まれた中庭には、大きな敷布が広げられ、様々の品がぽん、ぽんと並べられている。見た所、ピクニックと言う訳でも無さそうだが。
「まあ、虫干し、のような物じゃよ、魅月姫どの。苑の蔵に収められている品は、時折こうして風に当ててやらねばならぬのじゃ。蔵の事は、以前お話したかのう」
 決まり悪そうに笑いながら、鈴が言った。
「ええ、少し。確か、ずっと遠いご先祖が集めた品々を収めた…」
「そうじゃ。もっとも、一度苑が失われかけた時、かつてあった物の殆どは、どこぞへ消えてしもうて。以来、代々、苑の主は失われし品々を再び苑へ戻す事を、主な務めとしておる。そうして苑に戻った品々も、こうして面倒を見てやらねばならぬのよ」
「そう、なのですか」
 品々の面倒を見る、と言う事が、どうやらこの『虫干し:』らしい。魅月姫は少し考えてから、
「何か、手伝う事はありますか?」
 と聞いた。少し驚いたように目を見開いた鈴は、そうじゃのう、と考えた後、
「この卵を、日陰に並べてやっては下さらぬか。ただの卵ではないが、それでも卵は卵故、あまり日向を好まぬのじゃ」
 と頼んだ。
「なるほど」
 魅月姫は頷いて、卵の載っていた籠を桃の木陰に運んだ。池に落ちぬように慎重に場所を選ぶと、鈴が新しい敷布を持って来てくれた。一つ一つ、卵を敷布の上に並べていく。ただの卵では無い事は、触れただけでも感じられた。危険な物では無さそうだが、封印がなされているようだ。卵をころりころりと並べていると、頭上の桃の樹がはらはらと薄紅の雨を降らせた。始めのうちは、卵にかかる花びらを何とはなしに払ってやっていた魅月姫だったが、そのままにした方が綺麗だと気付いて、やめた。全ての卵を並べ終わって振り向くと、いつの間にか縁側に、鈴が茶を用意していた。魅月姫の持ってきたザッハトルテも盆に載っている。
「魅月姫どの、かたじけない。これで卵どもも喜ぶであろ。こちらで茶は如何かな」
 頷いて立ち上がった魅月姫は、さっきまで卵の置いてあった近くに、きらり、と光るモノを見つけた。見覚えのある、深い緑色をした珠だ。もしや、と思って近寄ると、鈴が
「碧珠じゃよ。今は鬼も居らぬし、苑の気で大分浄化された故、魅月姫どのが知っておられるのとは雰囲気が変わって居るであろ?」
 と言った。確かに、同じ色ではあるものの、あの時見たものとは輝きが違う。魅月姫が碧珠と関わったのは、少し前の事だ。碧珠に封じられていた鬼は力を取り戻しており、画家の女性を取り込もうとしていた。魅月姫は鈴の弟、玲一郎ともう一人の女性と共にそれを追った。その時画家から剥がした鬼は、今は魅月姫の元に居る。
「どうして居るかの?」
 何について聞いたのかは、すぐに分かった。碧珠に封じられていた鬼の事だ。
「大分穏やかになりました。…そう、あれの名前を聞きたいと、ずっと思っていたのですが」
 と、聞きそびれていた事を聞くと、鈴がほう、と目を細める。
「名前とはな。思い至らなんだ。鬼となってからは名を呼ぶ者もおらぬであろうが、かつてはその名を藤季(とうき)と申す絵師であったと聞いておる」
「藤季…良い名ですね」
 口の中で繰り返す。風雅な名前だ。鈴はそれには答えずに、
「…ああ、人であった頃の名を呼ばれれば、何ぞ違う答えも聞けるやも知れぬなあ…」
 と、溜息を吐いた。鈴の聞きたい答えとは、何なのか。そもそも、鈴は何故それ程までに藤季の話を聞きたがるのか。聞こうか聞くまいか考えていると、魅月姫の心を察したらしい鈴が、ふっと笑った。
「わしが藤季の話を聞きたがっておるのは不思議かの」
「ええ、少し。何か理由があるのですか?」
 聞くと、鈴はこくりと頷いた。
「碧珠、と言うよりそれを含めた封鬼連は、少々特別な品なのじゃよ」
 封鬼連、と言うのは、碧珠を含めた幾つかの珠を連ねた首飾りだと言う。かつては寿天苑に収められていた首飾りは、ばらばらになって流出した。
「碧珠を含めた五つの珠を、それぞれ均等に配置した首飾りでな。結び目にあと二つ、光珠、闇珠と言う宝珠がついて封印と制御の役目をしておる。鬼どもの力を利用して強大な法力に束ねる事が出来るものでの、作ったのは人じゃ。鬼の力を以って鬼を倒す、そういうつもりであったようじゃ。強い力は持たずとも、多少勘の良い人ならば扱えたらしゅうての、これで鬼退治をしたという言い伝えも残って居るが。結局は人の手に余る品であった。得られる力が大き過ぎ、手にした人の心を食ろうてしもうたそうじゃ」
「危険なものですね、少なくとも、この世にあるには」
 魅月姫が言うと、鈴も頷いた。
「碧珠がここにある以上、他の誰かが封鬼連全てを手にする事は無うなったが。それでも安心は出来ぬ。碧珠を手にしたのは、幸い、さほど邪気の無い娘であったが、残りの珠の事を考えると、な」
「残り、と言うとあと六つ?」
「いや、光珠と闇珠は少々勝手が違う。残り四つを見つけて封鬼連を元の姿に戻しさえすれば、自然と戻る筈ゆえ勘定には入れぬとして」
 鈴はそう言うと、ザッハトルテをぱくりと一口、食べた。
「残り四つも、それぞれ蒼珠、紅珠、黄珠、紫珠と色の名がついておってな、蒼珠には美しさを求めるあまり鬼となった女の鬼、紅珠には復讐に我を忘れて鬼となった男の鬼、黄珠には嫉妬に狂うた女の鬼、紫珠だけは少々変わっておっての、己の力を示したいばかりに、悪しき預言ばかりしておった預言者の鬼が封じられて居る」
 皆かつて人であった、所謂人鬼ばかりなのだと、鈴は言った。異界の鬼の力は、人の身には馴染まないのだ。
「手がかりはまだ何も無い。が、必ず見つけてみせる。その為にも、藤季の話は聞きたいと思うてな」
「探しているのは、それが務めだから?」
 聞くと、鈴は少し言葉に詰まったように黙り込み、目を細めた。
「それもある。が…多分、本当にわしが探して居るのは、封鬼連を持ち去った者の方なのであろうな」
「持ち去った?ずっと前に流出した物ではないのですか?」
「ああ、そうじゃ。流出し、一度は見つけた。わしらがな」
「鈴と…」
「先代じゃ。…わしは『叔父上』と呼んでおったが。玲一郎にとってのわしと同じで、本当は先祖、と言うた方が良いくらいの関係じゃ」
 鈴はくすっと笑った。鈴と玲一郎は姉弟として暮らしているが、本当は鈴は玲一郎より三百歳は年上の、遠い先祖に当たる。
「わしが玲一郎を見出したように、叔父上はわしを見出してくれた方なのじゃ。天の家系には時折、わしや玲一郎のような異能の子供が生まれた。昔はもっと頻繁に生まれ、仙となったり道士となったりしたようじゃが、そんな記憶も薄れてしもうて…。わしは叔父上のお陰で外に出る事が出来た。そうでなければ、わしは一生を社の奥で過ごしたであろう」
「大切な方なのですね」
 鈴が頷いた。封鬼連と共に、彼は突然、姿を消したのだそうだ。彼女が以前、藤季に彼が目覚めた時の事を聞いて欲しいと言っていた理由が、魅月姫にもようやく分かった。封鬼連の先に、叔父が居るのではないかと、鈴は考えているのだ。両手で囲うようにして持っていた湯呑みを盆に戻して、魅月姫は聞いた。
「その方を探し出して、それからどうするのですか?」
「わからぬ。わからぬがどうにも逢いたい。聞きたい事も山ほどあるが、それよりも何よりも、逢いとうてたまらぬ。…可笑しいのう、魅月姫どの程では無いにしろ、そこそこ長う生きて来たと言うに、まるで幼子のようじゃ」
 鈴が笑う。自分自身、とある存在を探して旅を続けてきた魅月姫には、彼女の気持ちが少し分かる気がした。魅月姫にとって、かの存在はどうしようもなく求めるべきものであり、帰るべき場所であり、それを探し続ける事は、魅月姫に定められた宿命とも言うべきものだ。鈴のような『恋しい』と言う気持ちとはまた違う。だが、それでも。求めてやまぬ気持ちには変わりない。中庭に目をやると、苑の桃がさわさわと揺れてまた、花びらを散らしている。あまり大きくは無い池は、薄紅の花びらで埋まりそうに見える。
「久しぶりじゃ」
 膝の上にザッハトルテの皿を載せたまま、鈴がぽつり、と言った。
「叔父上の話を人にするのは」
「…思いが強ければ強い程、そう簡単に口には出来なくなるものなのかも知れません」
「やも知れぬ。じゃが、今日は良かった。魅月姫どのが来てくれて」
 鈴が微笑む。魅月姫もほんの少し、表情を緩める。二人並んで食べるザッハトルテは甘く、ほろ苦く、鈴の淹れてくれた茶はまろやかで、美味しかった。成すべき事はそれとして胸の内にあるが、まだ時間はたっぷりとある。これもまた、長い旅路の内の、ほんのひと時なのだ。小さく息を吐いた魅月姫の膝に、薄桃の花びらが一片、ふわりと舞って落ちた。

<花は空に舞い 終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】

<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)

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■         ライター通信          ■
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黒榊 魅月姫様
ご発注、ありがとうございました。ライターのむささびです。
前回のノベルで一度お越しいただいているので、寿天苑へのご来訪は2度目と言う事になりますが、お楽しみいただけましたでしょうか。それから、桃の花びらが一片、魅月姫嬢の髪に纏わりついたまま、お持ち帰りいただいたようです。お部屋の芳香、ちょっとした邪気払いなどにお使い下さいませ。今回は、封鬼連にまつわる鈴の想いと事情を、延々とお聞きいただいてしまいました。ありがとうございました。
それでは、またお会い出来る事を願いつつ。

むささび。