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<東京怪談・PCゲームノベル>


□■□■ DRUG TREATMENT<<noise 4>> ■□■□


「夢を、見せられていた」

 繭神家の一室。
 結界が張られ、能力が完全に封じられた場所。布団の上に横たわりながら、レイニーはぼんやりと天井を見上げ、ぽつぽつと言葉を繋ぎ出す。

「なんなんだろう……わたしには、よく判らないのだけれど。変なお香、みたいなものなのかな……そんな感じのものを、ずっと焚かれていて。たまに意識が戻ることがあったのだけれど、それを嗅いでいるとまた眠ってしまうんだ。その間に、いつも同じ夢を見ていた」
「そっちもドラッグ、ってか? サブリミナル効果狙ってんのかねぇー、おじょーちゃん、あんたの考える事は全部現実になるっつってたよなァ? それを狙われたってトコか」
「そう、なのかな。わたしには、判らないけど」

 ギルフォードの言葉に少し怯えながら、彼女は慎重に言葉を選ぶ。

「多分、そうなんだと、思う。確信は無いけれど――黒い草の夢ばかり見ていた。どこかの地下にびっしり生えていて、それを干してからお湯に漬けると、暗褐色の液体が出来る。それを嗅ぐと、みんな、錯乱して――ずっとそんな夢を見ていた」
「たまに意識を取り戻すと、自然そのことを考える。多分、地下と言うのは連中の本部だろうね。ありがとうレイニー、もう休んで良いよ」

 萌はそう告げて、部屋を出る。
 そして、顔を上げた。

「連中の本拠地は、IO2でどうにか調べが付いている。出来れば直ぐにでも乗り込んで殲滅したい。だけど、レイニーみたいな能力者がまだ監禁されている可能性もある――よければ、今回もサポートを頼みたい。私は陽動で連中を引き付けるから、貴方達は内部の捜索を」
「よっし、それなら俺も手伝うぜぇ? よっくもミョーちきりんなのに絡ませやがってよぉ……トラップの類なら、俺が軒並みブッ壊してやれるからなぁ」
「加減はして欲しいけれどね」
「ちっ」
「レイニーが回復したら、解毒剤……って言うのかな。そういうのを作らせる。報酬は、それで構わないよね?」

■□■□■

「流石に警戒が強くなっているか――」

 萌の言葉に、久良木アゲハは小さく息を呑む。場所は流石に都心近くではなく郊外、居並ぶ工場群と調和が取れている用に見える一つの建物が、彼女達の視線の先にはあった。かしゃん、とゴーグルのモードを変えてズームすると、あちこちに非合法であると知れる警備員達が並んでいるのが判る。動きから見て、銃――正規の警察仕様ではない、口径の大きいもの――を携帯しているのも知れた。
 先日のような奇襲にはなり難い空気の中、黒いワゴンから身体を半分だけ出し、シュライン・エマは小さく苦笑交じりの溜息を吐く。同じ策が二度使えるほどに緩い組織ではないだろうが、それにしてもだ。前回よりも難易度の高い条件、難易度の高い状況。どんな予想外も許容されそうな空気は、歓迎できない。報酬きっちり貰わなくちゃならないんだし。光熱費とか。

「だけど、本当に良いんですか、萌さん。前回と同じ策はきっと通じませんよ――陽動に一人で出向くのは、やはり危険ですし」
「うん、通じないと思う。でも、だから、向こうはこっちの狙い――監禁された異能者やその他に対する守りをきっと強くすると思うんだ。陽動に戦力を割いたら元も子もないよね? 最少人数で行くなら、私一人で行くのが一番の良策だよ」
「言い分はもっともですけれどね、それでも、少し心配はありますから」

 言いながら、モーリス・ラジアルはゴーグルの調整をする。萌の視線を受けて、彼は顔を上げ微笑を浮かべた。柔和なようでいて、それだけではないもの――む、と萌は一瞬身体を引く。

「見縊らないで欲しいよ、私だってエージェントとしては――」
「ええ、エージェントとしての実力はあるのだと思います。ですが、表立って動いているからこそ、無名ではないからこそ、向こうも貴方に関して様々な情報を持っているでしょうね」
「…………」
「だから、くれぐれも気をつけなくて頂かなくてはね。こちらの生命線は、貴方に掛かっていますから」
「手なんか、抜いたりしないもん」

 ぷう、と小さく拗ねる姿に、モーリスは笑う。

「うら、遊んでねーでちゃきちゃき準備しろぃ。油断してっとやられっぞー」
「諸悪の根源が何言うか」
「げふん! にゃろ、テメェこそ前回俺を思いっきり囮に置いて行きやがったじゃねーか!! アパートでも豪い目に遭ってんだぞこっちは、どーなんだその辺、もうちょっと反省を!!」
「誰がするか」
「横暴だ、日本人の美徳は謙虚さの癖に横暴だ!!」
「そこ、煩い」

 びし、ギルフォードと高峯燎を指差し、萌は一つ息を吐く。
 そして、その表情を引き締めた。

「それじゃあ、行こうか」

■□■□■

「ッにゃ、ろ!!」

 銃と生身の人間の戦闘能力。冷静に考えるならば、考えるまでもなく銃の方が破壊的な力を持っていると考えられるが、それは実の所ケースバイケースでしかない。ある状況下に置いては生身である方が有利であり、ある状況下においては銃の方が有利になる。この場合は、と考えながら燎は床に手を付き、側転の要領でその長い脚をぶん回した。群がるように迫っていたガードマン達が次々と木偶のように倒れて行く。
 体勢が整わない内に視界の端へと引っ掛かった黒服は、銃を抜いていた。少しは頭が回るか、思いながら上着の内側に忍ばせていたナイフを取ろうとする。が、背後から風のように飛んでいった銀色が、相手を刺した。崩れる身体を無視して振り向けば、モーリスが指にメスを挟みながら、どこか人の悪い微笑を浮かべている。く、と笑い合ってから、次の一団を出迎える――走り出す脇には、シュラインとアゲハの姿があった。

 室内、まして廊下と言う場所で戦闘行為をする場合、武器として銃を選択するのは、限りなく間違っている。狭い場所、しかも仲間が多くいるのだから、同士討ちの危険性が増すばかりだ。しかも各々がばらばらに統率無く行動するのだから、危険性は尚更高まる。迂闊に発砲は出来ない、攻撃は出来ない――ならばそれは、単に銃で手が塞がっていると言う事にしかならない。モーリスはメスを投げて壁際に男達を追い詰める、すかさず、そこに檻を落とす。
 人が出られない程度の格子では銃弾が擦り抜けるだろう、だから、それさえも通れないように。真っ白な檻は一見すると繭のようにも見えた。廊下にそんな繭が幾つも出来て行く。単純な閉鎖だけではなく、目隠しにもなるそれ。こちらの行動を見せないのも、都合は良い。

「やっぱり、警備が多いですね……下手に傭兵なんかを雇われてるよりは余程良いですけれど、数で攻められるとやっぱりこっちが消耗してしまう可能性が高いです」
「向こうの狙いもその辺り、かしらね。ことらが少数だと言う事を見越しての策なのかも――だとしたら、やっぱり萌ちゃんが心配、かな」

 医療道具の鞄を抱えながら、シュラインは小さく眉を寄せる。IO2、エージェント、まさかの事は無いと思うが――それでも。だが思考の間もない、彼女はハッと顔を上げる。音の反響、階段を降りて、角を曲がって――近付いてくる足音は、荒い。四人か、五人か。方角は右手、五秒もあればこちらを視認する距離。アゲハの腕を引いて彼女は壁の影に隠れる、その動作に、モーリスと燎も身を翻した。ナイフとメスと、それぞれに構える。

 怒号と金属音、そして、繭。走る、走るのを繰り返す――
 アゲハは、そこで、
 くるりと踵を返した。

「アゲハさん?」
「私、やっぱり萌さんの方に行きますッ」
「ちょ待てって、お前が行ったって」
「大丈夫です、私これでも運動は得意ですから!」
「運動神経の問題じゃねぇえ!!」
「大丈夫ですよ……それじゃあ行ってらっしゃい、アゲハさん、お気をつけて」

 くす、と笑ったモーリスへと元気に頷き、アゲハは萌達がいる研究棟に向かった。その後姿を追おうとして、だがやはり、燎は足を止める。この状況下で少女一人を単独行動させるのは危険すぎる、萌にしたってギルフォードを後衛に付けていると言うのに。それでも、自分達も行かなければならないのは、ジレンマだった。軽い苛立ちをぶつけるように、彼は小さく舌を鳴らす。

「ッたく、一人で行かせて平気だったのかよ、アゲハの奴ッ!」
「平気ですよ。彼女、確かに運動神経は良いようでしたから。筋肉の付き方が、異様なほどにしなやかで――まあ、下手なガードマンだったら何人でも『こなせる』でしょうね」
「でも、一人でしょう? 本当に良かったのかは判らないわね……精々こっちも動いて、相手の戦力を分散させるぐらいのサポートしか出来ないわ」
「分散、……あ」

 ぽむっ、と手を叩き、燎は上着の内ポケットに手を突っ込む。そこに入っていたのは、ごく小さな瓶だった。手のひらにすっぽり収まってしまうサイズのそれの中には、一匹の蜘蛛が入っている。小さな小さな、蜘蛛――厄介ごとに首を突っ込む、何となく報告のように告げた言葉に、双子の弟が渡してきたそれ。

「おや、なんですそれ。中々面白い気配をしているようですが」
「弟が持たせたんだよ――っと」

 きゅ、と燎は瓶の蓋を開ける。
 飛び出した蜘蛛は。
 おぞましいまでの勢いで、増殖した。


■□■□■

 暗い。
 暗い暗い部屋の中。
 彼は、眼を、開けた。

 空腹感が、強い。
 繋がれた腕が、痛む。
 啜り泣きが、響く。

 ここは、何処だ?
 ここは、何だ?
 否――そんなことは、どうでも良い。

 空腹感が、強い。
 これを、収めるために。
 彼は、拘束具を引き千切る。
 怯えた声を漏らす人々。
 ゆっくりと、身体を近づける。

 そして、
 口を、
 開いた。

「親子丼の取調べはまだなんでしょうか……」

 いつの間にか捕まって監禁されていたシオン・レ・ハイの言葉に、そこに居た人々が一斉に盛大なズッコケを……もとい、盛大な脱力をさせられた。

■□■□■

 それは。
 突然。
 降って湧いた。

「横槍隙在りデモクラシー!」

 呆然としながら、萌はただ佇んでいた。向こうも敵が自分――ヴィルトカッツェであることを認識しただろうと言う危険性は承知していたが、そこでどのような策を講じてくるかまでは予測が出来なかった。とにかく視認されなければ事は運ぶだろう、仲間を頼りにしていたのか、少し、油断もあったかもしれない。不確定の敵として潜入するのに彼女のパワードスーツは適していたが、一旦割れてしまえば、その効力は半減するのだ。
 ガードマン達の不可解な意識消失、もとい、当身による気絶に気付いた連中の行動は迅速だった。研究棟の全体にスプリンクラーを作動させ、彼女の姿を浮き上がらせる。光学迷彩とは言え、水滴の不自然な流れを誤魔化すことは出来ない――居場所が割れてしまえば、彼女の能力は激減する。後方に待機させていたギルフォードを呼び出して、不本意ながらの共同戦線を張っていたところに、

 少女は出現した。
 正に、出現だった。
 てゆーか、神出鬼没?

 黒いワンピース、白い顔、赤い口唇の小柄な少女。長い髪は水でしとどに濡れ、顔や服に貼り付いている。どこか作り物めいた笑みを浮かべて、彼女は、踏みつけていた。女王様もかくやの様子で、ガードマンと思しき黒服の男を。これ以上ないほど嬉しそうに、ふみふみしていた。
 しゅう、と立ち上っているのは蒸気。彼女の近くの温度が異常に上がっているのが、サーモグラフに切り替えたゴーグル越しに判る。どころか、人体に影響を与えない範囲で、水分を高速に蒸発させている――萌の光学迷彩も、既に成立していた。
 少女は、突然の闖入者に動きを停止しているガードマン達の群れへと突進する。撃たれようが何をされようがそり動きは一切迷いなく、そして容赦なく繰り出される。銃を掴み、熱で溶かし、暴発させ、それを繰り返す。一気に焼き払うことはしない、遊ぶように彼女は戦闘行為を楽しんでいた。

 つーか。

「何事だ、これは……」

 ギルフォードの言葉にハッと我に返った萌は、少女に向かって叫ぶ。

「あ、あなたッちょっとそこの貴方、誰、何者!?」
「ああ僕に言っているのかな発育不良気味なお嬢さん、なになに気にしなくて良いよ僕と言うのはただの戦闘マニアな可愛い骨董商ちゃんだからね!」
「誰がぺったんこなのよ誰が、うきぃぃい!!」
「気にしてたのかお前……」
「うっさいギル!」

 そんな遣り取りを半ば無視するように、闖入者の少女はただ哄笑する。濡れていた髪は既に乾き、跳躍に合わせてひらりと跳ねていた。背景も脈絡も、調査も努力も経過も順序も倫理も全て吹っ飛ばして、そこにいた敵を、横合いから飛び蹴り。そんな非常識をやらかした少女は、ただばったばったと薙ぎ倒すように殲滅を果たして行く。

「こんにちは初めましてそしてくたばれ左様なら! 推して参るぞ麒麟ちゃん、ざ・殲滅ターイム! ようこそ、ロマンスなんて微塵にも詩人にも無い世界へ。うぇるかむ、容赦なんて至極にも地獄にも無い世界へ! なにやってんだい野郎共、僕も入れてよ女郎花。踏めてねー!」

 やっべぇ。
 遠くの世界へと適度に、イッている。
 萌は呆然と、ギルフォードは唖然と、ただ光景を見ている。
 ただ響き続ける哄笑を、聞いている。

「ああ、そうそう、一応敵じゃないから安心して良いよそこのお二人さん。かと言って味方かと問われれば首を傾げてしまう思春期特有の不確定性が僕の中にはあるものだから、広い大人の心で流してくれるととっても助かるんだけれどね」
「……敵じゃなくて味方でもないなら、あなた一体なんなのさ……」
「それは勿論あれだよ、第三勢力」

 ぐッ!
 や、ぐッてされても。

「ちょっと実験がしたくてね、今回は快楽も享楽も悦楽も狂楽も関係ナシに、そう、たんなる実験、実践、実戦と言う奴だね――少し伏せているか隠れているかしてくれると有り難いよ、お二人さん」

 言う少女、鴉女麒麟の手には、透明な熱が集まっていた。サーモグラフではっきりと確認出来るその白色に、萌はぎょっとする。人間が耐えられる温度の限界はとうに超えている、事実、麒麟の手のひらは軽く炎症を起こしていた。数百度、下手をすると千度に達している高温で炎症程度、それはそれで驚嘆すべき所だが――放熱に汗が滲む。いや、汗どころでなく、脂汗が。パワードスーツに守られているからまだ良いが、これは、これは、これは――

「ぎ、ギル、隠れるよ!とにかく物陰にッ!」
「あ、あち、マジ何事ですかこれはッ、うひぃー!」
「さあ、対本家用に磨き上げた取って置きだ。ありがたく、僕に祈りを捧げて召し上がれ♪ 美味しく喰らわれな。『超過太陽』」







 ばっこーん。







■□■□■

「う、わわッ!?」

 走っていたところで地響きのような揺れに見舞われ、アゲハはその体勢を僅かに崩した。場所は職員達の休憩スペース、ここを抜ければ、萌達のいる研究棟のはず。地響きはそちらからだったような気がする――何かあったのか。小さく口唇を噛み締め、彼女はもう一度足を踏み出そうとし、停止する。
 感覚に引っ掛かったのは、小さな物音だった。それはささやかで気配もごく薄い、動物か何かとも思えるような音。だが、この場所でそんな音を立てる小動物がいるとは考えづらい。視線を巡らせれば、左手に大きな部屋が見えた。食堂――らしい。聞こえるのは、そこから。

 まさか、騒ぎに乗じて何らかの実験動物が逃げるかしたのだろうか? 動物ならまだ良い、何の警戒もなくいられる。だが、相手は気配を隠している――物音さえなければ気付かなかっただろう、それ。息と気配を殺し、感覚を隅々に行き渡らせる。
 動物ならば、まだ良い。だが、例えば何らかの合成獣。例えば、洗脳を受けた異能者。そういった手合いだったとしたら、事は単純に運ばない。殺すことはなるべくしたくないし、そもそも自分が無事で済むかどうかも疑問がある。

 食堂の奥、台所のスペースだろう。音は、こんこん、と言う硬質の音。それから、何かが焼ける音。醤油の匂いが、かすかに。

 って、おい。

「だ、誰かいるんですか……?」
「きゃッ」
「わああッ」
「ひっいや、逃げッ」
「あ、ちょ、待って下さい怪しい侵入者ですけれど敵じゃないですから!」
「おや、アゲハさん!」

 台所には、シオンが立っていた。
 そして彼の後ろには、数名の男女が立っている。子供もいれば大人も年寄りも、何の変哲もなく何の整合性もなく何の共通事項もなく、いる。ガードマンではないだろうし、研究者も有り得ない。合成獣は言わずもがな、ならば、被検体として監禁もしくは軟禁を受けていた人々だろう――と言うか。

「シオンさん、なにこんな所でお料理してるんですか!?」
「いえ、いつまで経っても取り調べの親子丼が出ないので自分で作りに来てしまいました! その際皆さんもお腹が好いているようでしたので、ここは私のお箸さばきを披露すると同時に親子丼を作ろうと言うことになったのです! さっきの地震でドアが開きまして、食堂もありますし、お腹も空いていますから……宜しければアゲハさんも食べていかれませんか!?」
「で、真相は?」
「彼に引き摺られてきたんです……私達、早く逃げたい、お家に帰りたいんです……」
「そう言う訳でシオンさん、撤収撤収! お箸拳は今度また燎さんのお部屋かどこかで見せて頂きますから、親子丼作りも後でお手伝いしますから、とにかく今は逃げなきゃ駄目ですっ! ここ、すごく危ない施設なんですよ!」
「なんですと! それは大変です、皆さんお腹が空いてカリカリしているのはいけません……一刻も早く親子丼を作ってお届けしなければ!」
「ッて凄い箸さばき!! 黄金玉子! いえ、だからそうじゃなくってー!!」

 激しく突っ込みをするアゲハの声に、食堂のドアが開けられる。一気に臨戦態勢になる彼女は、だが、侵入者の姿を見てその顔をほころばせた。
 萌が、ギルフォード(若干焦げ気味)を支えながら佇んでいた。

「す、すごく良い匂いさせてるところ悪いんだけれど……と、取り敢えず、脱出急いで……」

 と、その時。
 入り口から入り込んだ無数の蜘蛛が、食堂を覆った。

■□■□■

 結果的に。
 シュライン達が潜入した実験棟に囚われていた人々は、ほぼ全員を救出出来たと言う結果だった。少々のダメージはあったものの、IO2で専門の治療を受ければ日常生活に戻ることも可能だと言う。また、シオンが連れ出した順番待ち状態の人々はすべて健常な状態だったため、催眠による記憶の隠蔽の後、家へ戻された――。

 パソコンのキーボードから指を離し、シュラインは大きく伸びをした。報告書の作成は慣れているが、今回のようにIO2が絡んでくるとその情報量が膨大になるために、資料としては作りにくい。コーヒーメーカーからブラックをカップに注ぎ、小さく吐息を吹き掛ける。もう一度向かえば、まだ内容は半分にも到達していないワードが立ち上げられていた。

 ドラッグによって力に目覚めてしまった人々は、IO2が出来る限り絞込み、保護を行った。レイニーが本調子に戻ったら、彼女の能力で――今回の事件、ドラッグの効力そのものを、『なかったこと』にするらしい。それまで余計なことをしないようにと、監視がてらの保護ではあるようだが――それでも、怯えて町で夜を明かしていた子供達は、安堵していた。様子を見に行った際は、随分顔色も良くなっていたように思う。
 ワードを閉じ、電源を落として、彼女は玄関に向かう。
 ドアを開けると丁度、アゲハとかち合った。

「時間ぴったりね。それじゃあ、行きましょうか」
「はい、そうですね」

 アゲハは笑って、シュラインの横に並んだ。

「もう……本当、あのときはビックリしたんですよ。燎さんも人が悪いです、あんなの使うんだったら言ってくれれば良かったのに」
「確かに、私も少し驚かされたわ……虫って苦手なわけじゃないんだけれど、やっぱり蜘蛛であの数はちょっとね。幸いこっちの事は認識してくれていたから襲われはしなかったのだけれど、一歩間違っていたらと思うと、少しゾッとするわ」

 燎が弟から預かった蜘蛛、と言うのは、巫蟲の塊だったらしい。対象者の中に入り込んでその行動や命、精神状態を操作出来るもので、体内に入り込むことで発動する。あの後の道は、酷いものだった。蜘蛛がびっしりと敷き詰められた廊下のあちこちに、精神錯乱状態に追い込まれた研究者やガードマンが転がって――さながら、黒い繭のように転がって。思い出すだけで、背筋に悪寒が走る。術の恐ろしさと言うよりは、ビジュアル的な問題で。

 びっしり、蜘蛛。
 うひゃああ、と女性二人は思い出してその肩を竦める。
 耳から入り込んで行く子蜘蛛の羅列と言ったら、本当に。
 うっかりギルフォードも襲われていたから、もう恐ろしくて。

「おや、いらっしゃいお二人共」
「あ、こんにちは、モーリスさんっ。レイニーさんも、お加減は如何ですか?」
「うん……大分、良くなっていると思うよ。もう少しで、後片付けできるぐらいにはなれそう」
「なら良かったわ。これ、お見舞いね」

 繭神家の一角、結界の張り巡らされた部屋の中。療養中のレイニーに見舞いの品を渡しながら、二人は布団の傍らに腰掛ける。様々な医療器具に混じって置かれた絵本やぬいぐるみが、ほんの少しだけ笑いを誘った。気付いたレイニーは、照れたように視線を逸らしながら、違うんだよ、と呟く。

「わたしが欲しがったんじゃなくて……絵本はモーリスさんが持って来たのだし、ぬいぐるみはシオンさんが……」
「無害で何も考えない、落ち着くもの、を選んだんですけれどね。何を勘違いしたのか、シオンさんがこれも使ってくださいって置いて行ったんですよ。可愛らしいのか、お気に入りのようですが」
「ち、違うよッ!」
「はいはい」
「そう言えば、シオンさんはどうなさったんでしょう? まだこちらにいらっしゃるとの事でしたけれど」
「向こうの部屋でリーフパンフレットを作ってます、忠君と。『こわいどらっぐあぶないぞ』とかなんとか……楽しそうですよ、とっても」
「…………そう」

 何も突っ込むまい。
 何も、突っ込んではならない。

 萌は現在も、乱入してきて研究棟をブッ飛ばした犯人を捜して東奔西走しているらしい。お陰で今回の事件、何がどうだったのか判らなくなっているそうだ。見解としては、異能者の量産による世情の霍乱が主だった動機と見られているが、定かではない。しかし、かなり豪快な爆発で生き残ったのだから、彼女も流石はエージェントと言うところである。

「結局、なんだったのかねぇ……」

 ふあ、と欠伸を漏らしながら、燎は実家へと向かう道を辿る。弟に終了報告をして、とにかく一旦安心させてやらなければなるまい。骨董屋の前を通る、と、足元に何かが引っ掛かった。石にしてはでかい、見れば、アルマジロが丸まっている。なんとなく爪先で突いたら、タックルをかまされた。藪を突付くモンじゃない、脚を引き摺りながら、通り過ぎる。

 骨董屋の中では、黒いワンピースの少女が居眠りをしていた。

「……、……しゃいんすぱーく……むにゃむー」



■□■□■ 参加PL一覧 ■□■□■

2667 / 鴉女麒麟      /  十七歳 / 女性 / 骨董商
2318 / モーリス・ラジアル / 五二七歳 / 男性 / ガードナー・医師・調和者
0086 / シュライン・エマ  / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3356 / シオン・レ・ハイ  / 四十二歳 / 男性 / びんぼーにん(食住)+α
3806 / 久良木アゲハ    /  十六歳 / 女性 / 高校生
4584 / 高峯燎       / 二十三歳 / 男性 / 銀職人・ショップオーナー


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 少々長くなってしまいましたが、『DRUG TREATMENT』全四回終了にお付き合い頂きありがとうございました、ライターの哉色です。最近納品がスロゥながらも、どうにか納品させて頂きますっ。シリーズとしては全体的にコミカルな風味で進んできましたが、どんな感じだったでしょうか…少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。それでは失礼致しますっ。