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<白銀の姫・PCクエストノベル>


レムニスケート〜石翼のハスラー〜

 肌に感じる風の粒子さえも、データで出来上がった架空の感覚。
 そう何度自分に言い聞かせても、違和感が拭えないのはこの青空の鮮やかさだ。
 シュライン・エマは頬杖を付きながら、眼下に広がる世界にため息を落とした。
 雲ひとつ無い青空を見ているというのに、雷雲が近付くような胸騒ぎを覚えるのは何故かしら。
 シュラインは死角なく全方向に向けられた砲台の影から下界を見た。
 城塞都市ジャンゴを中心にして、限りなくフラットに置かれたオブジェクトの数々――森や湖、まばらに散る村々をつなぐ街道、そしてモンスターたち。
 それらは全てデータの結晶、『白銀の姫』と呼ばれたゲームの世界――アスガルドだった。
 この世界でのシュラインは、大きな花にも似たアイテム・妖精の花飾りを髪に纏わせている。
 音に特化した特殊能力を持つシュラインを補助する、アスガルドの妖精の加護。
 と、花飾りにかすかだがモンスターの出現反応を感じた。
 この近くなの?
「珍しいですね、お一人で行動される方なんて。
それに何て変わった外装……あれは防具の一部でしょうか?」
傍らに立っているセレスティ・カーニンガムが声を上げ、忍者装束の藍原和馬も近寄ってくる。
 二人ともこの世界で何度も行動を共にした、気心の知れた相手だ。
 丈の長いローブを纏い、十字架の錫杖をついたセレスティが、顎に当てた指に唇を添える。 
 セレスティの疑問ももっともだ。
 道を歩けばモンスターに出会うこの世界、余程強くなければ一人でなんて危険すぎて行動できない。
「様子がおかしいわ。体力が残り少ないのかしら……」
 シュラインは城砦の手すりから身を乗り出す。
「どこに?」
 二人が気遣わしげに見る先、一人街道を歩く女性が見えた。
 それは今までシュラインがこの世界で見た、どのプレイヤーとも違っていた。
 両手で抱えたトランクを半ば引きずるように歩く、その歩みはひどく頼りない。
 特徴的なのは背中に存在する黒い石のような物だ。
 大きさは両手を広げた程で、細身のパンツスーツのジャケットを突き破り、翼のように背後に広がっている。
 ぞく、と背筋を走る悪寒にシュラインは困惑した。
 まるで、闇を翼の形に切り取ったようね。
 三人が見守る人物は何度もよろめきながら進んでいたが、周りをモンスターの咆哮が取り囲まれた。
 熊の四肢が醜く機械化されたハイブリッド。
 意外に素早い動きと強靭な爪が厄介だ。
 このままじゃやられてしまう。
 彼女は自分たちと同じようこの世界がゲームの世界だと自覚しているのだろうか。
 もしそうならば、戦闘に破れたとしても時をおかずにジャンゴで復活する。
 しかし、受けた傷の痛みは本物なのだ。
「助けに行ってくるぜ!!」
 和馬がそう叫んで駆け出した。
「ちょっと待って!」
「和馬さん、私も参ります!」
 シュラインとセレスティが叫びを上げたが、和馬はもう城砦の外へと駆け出していた。


 シュラインとセレスティがその場に着くと、一足先に到着した和馬が刀を抜いていた。
 二人ともモンスターに囲まれているが、まださほど大きなダメージを受けていないようだ。
 開いたトランクからは納められたビリヤードのボールが顔を覗かせ、数個が宙に浮いている状態だった。
 あれが武器なの?
 ビリヤードのキューを構える女性は近くで見ると思った以上に小柄で、とてもこの世界を一人で旅する高レベルプレイヤーに見えない。
 額やうなじが見える程短い黒髪は少年のようだ。
「遅いんだよっ!」
 ようやく現われた仲間に和馬が声を上げた。
 後先考えないで行動する男に言われたくない。
「あんたと一緒にしないで頂戴。忍者に追い着けるはずないでしょ!」
「全くです」
 辛口で呆れて答えたが、もちろん二人とも和馬達を助ける為に追いかけてきたのだ。
「あなた大丈夫? ずいぶん辛そうね……戦闘のダメージばかりでないように思えるけど」
「実はおなかも減ってて」
 腹部を押さえて見せ、女性は目の前のモンスターに視線を戻す。
「え?」
 今の言葉が本気か冗談か判断しかねているうちにも、シュラインにモンスターは鈎爪の付いた腕を振る。
「まずはこいつら片付けないとな!」
 和馬が振るう黒狼の魂は元々の姿から形を変え、一切の光を吸収するかのように黒い刀身が禍々しく伸びている。
 使い手の昂ぶった感情に呼応しているのだ。
一方シュラインは妖精の花飾りを使い、モンスターの動きを麻痺させながら牽制している。
 味方の耳には美しい旋律としか聞こえない音がモンスターに届くと、一時的にだが動きが麻痺する。
 その隙を突いて和馬が刀で止めを刺すコンビネーションで、現われたモンスターの半分がデータへと還っていった。
 戦闘中も女性の背後に広がる石の翼は、時折石片を落としながら成長している。
 それが大きさを増す度に、女性は痛みを堪えるように背を丸め、集中する間が持たないようだ。
 モンスターに打撃を与えるビリヤードボールの動きにも、統一性が無く乱れている。
 大丈夫なのかしら。
「私が援護しますよ。お一人で戦われる事はありません」
 セレスティが白銀の錫杖を構え、女性に話しかけた。
「私はこういった戦いには向かないのですが、少しでもお手伝いをさせて下さい」
 しなやかに錫杖がきらめく様は、指揮者がタクトを振る姿にも似て優雅だ。
 セレスティと女性を守るように、地面から湧き上がる水が渦巻き、透明な壁を作り出す。
「これならきみの視界を遮る事もないでしょう?」
「……ありがとう。目と耳、できれば押さえてて下さい」
 す、と女性のの雰囲気が変わった。
 人懐こい明るさは、決意を秘めた殺戮の仮面に隠れる。
 キューを持つ腕を交差させると、静かに眼前のモンスターに宣言した。
――ナインボール操霊術式。
「九番、解放」
ド……ォン!!!
 宙に浮く全てのボールが帯電し、モンスターの機械化した四肢に高速で移動しながら電撃を直接叩き込む。
 雷鳴は一瞬だったが、その場にいたシュラインたちの瞳からしばらく視力と聴力を奪った。
「うう〜まだ目と耳痛てぇ」
 和馬がぼやく。
 目を閉じてもなお、光がまだ目蓋の影に残っていた。
「私たちに怪我がないのが不思議な位、ね」
 あのビリヤードボールは一体どんな力を秘めているというの?
 広範囲のモンスターに精確に電撃を当てる集中力は、明らかに戦い慣れている。
「モンスターは……?」
 視力の戻ったシュラインたちが見た物は、倒れた女性の背で雷鳴の残光を放つ石の翼と、黒焦げに身体を焼いたモンスターがデータへと粒子状に変換されていく光景だった。
「気を失ってるだけね。心音は確かだし」 
 シュラインは背中に触れないよう、そっと女性を抱き起こした。
 一度は消えたモンスターの気配だが、いつまた現われるとも限らない。
「早くジャンゴまで戻りましょうか」
 セレスティも油断無くまわりの気配に注意を向けている。
「ああ、俺がこいつを運ぶよ」
「そっとよ?」
 和馬に念を押して女性の身体を運んでもらう。 
「んん??」
 肩口に当る胸の柔らかさに和馬は当惑しているようだ。
「なあ、もしかしてこいつ……女?」
 何を言い出すかと思えば!
 一瞬の間の後、和馬は二人に再び辛口で呆れられる事になった。
「どう見ても女の子でしょうっ!」
「スレンダーとはいえ、彼女はレディですよ。失礼ですね」
「わ、わかったって!!」
 妖精の花飾りでモンスターの位置を探りながら、三人は女性を連れてジャンゴへと道を戻った。


「背中の痛みはどうですか?少しは和らぎましたか?」
「あっ、もうかなり良くなって……皆さんのお陰で助かりました」
 セレスティの問いかけに、背もたれをずらして座った女性がぺこりと頭を下げる。
 ジャンゴの中、機骸市場の路面に出されたテーブルに四人はついていた。
 市場を訪れる客を相手に食事を出す屋台が軒を連ね、人々は各々好きな料理を買ってテーブルで味わっている。
 シュライン達もまた、食べやすく切られた果物や温かな肉料理、香ばしく焼きあがったパンなどの皿をテーブルいっぱいに並べている。
「背中のは石化……ではないのよね?」
 シュラインはここに来る前に立ち寄ったメディカルセンターでの、医師とのやりとりを反芻していた。
 石化を解除するプログラムの投与が紫月の背中に施されたが、石の翼は何も反応を示さなかったのだ。
 効果は無いかもしれないが、痛み止めのプログラムを背中に流してもらった。
 それが効いたのか女性は意識を取り戻し、珍しそうに皿の料理に手を伸ばしている。
 おなかが減ってたってのはホントだったのね。
 結構いいペースで料理を平らげる女性を見ながら、和馬も手掴みで骨付き肉にかじりついている。
「ここに来た時にはもう背中にあって……ここ、東京じゃないですよね?」
 白いティーカップの中で揺らぐ紅茶を口元に運び、女性の疑問にセレスティが答える。
「ここはアスガルド。いわゆる、ゲームの中の世界ですよ。
ここには私たちのように外界での記憶を持ったままの者と、巻き込まれてしまった普通の人間がいます。
そしてアスガルドが異界化した際に意志を持った根幹プログラムが、アスガルド四柱神です」
「ゲームの製作者が死んじまった後、異界化してるのさ。
異界化のせいで、現実世界の一般人も巻き込まれ始めてる」
 セレスティの言葉を継いで和馬も口をはさんだ。
「設定されたイベントは一定の時間がたつと自動で発生するようプログラムされています。
それらを全て終えた時、ゲームはそれ以上進まなくなってエラーを起こす。
その時世界は崩壊し、ゲーム内の全てが消去されます。
取り込まれた一般人の魂も」
 表情を曇らせるセレスティの隣で、シュラインが組み合わせた指から視線を上げて紫月を見る。
「アスガルドの女神たち、アリアンロッド、ネヴァン、モリガン、マッハ……彼女たちはそれぞれのやり方で、この世界自体が消えてしまうのを防ごうとしているわ。
私自身は取り込まれた人達助ける為、ココと現世の出入口って噂のアヴァロンを探してる所なんだけれどね」
 女性は胸のうちで何か思う所があるらしく、黙ってシュラインたちの話を聞いていた。
「そうなんですか。
あっ、自己紹介がまだでしたね。
私、紫月美和と言います。東京で探偵事務所の調査員をしてます」
 手渡された名刺からはかすかに花の香りがし、『結城探偵事務所』とあった。
「あら、結城さんの所? 何度か一緒にお仕事をさせて頂いた事があるわ」
 紫月の表情がぱっと明るくなる。
「所長をご存知ですか? わ、何だか嬉しいな」
 案外狭い業界よねっ、と二人は俄然打ち解けて盛り上りだした。
「所長の雪狼って触ってみましたっ?」
「この前のお花見でこっそり触ってみたら、毛並みがひんやりしてて気持ち良かったわ!」
「そうなんですよっ! 夏はずっとあれに触っていたくなりますっ」
 共通の話題を見つけた女性同士の会話スピードはマッハを超える。
 そんな二人にセレスティがおっとりと言葉をかけた。 
「結城氏と直接の面識はありませんが、私は八重垣津々路氏と知り合ったのが縁で、存じ上げていますよ」
「八重垣? 松江の? つっくんまだ小学生じゃないですかっ」
 やだなー、と紫月が笑った。
「つっくん……私がお会いした津々路さんは背の高い大人の方でしたが?」
 セレスティと紫月はお互いに首を傾げている。
 紫月の記憶にある津々路は、IO2で知り合った彼とは別人なのだろうか?
 でも、変わった名前の方だし、そうそう同姓同名とは思えないけれど。
「八重垣のお店は今、東京に移転してるわよ。お店番は芳人君。
津々路さんはIO2で研究員になってるわ」
 どういう事なの?
 薄寒い仮定をセレスティが口にした。
「もしかしてきみは……場所だけじゃなくて、時間の流れからもはぐれているのですか?」
 そんな事がありえるのかしら。
 けれど東京の異鏡化現象以来、言葉で説明できない事件が続いている。
「お前いつから事務所に戻ってないんだ? 今、西暦何年だよ」
「199X年じゃないの?」
 詰め寄る和馬に、きょとんとした顔で紫月が答え、シュラインがそれを引き取る。
「10年前だわ」
「たぶん、時間軸の異なる東京を転々としているのでしょうね」
 紫月はあらかじめ予想でもしていたのか、特に取り乱したりはしなかった。
 もともとの紫月の性格なのか、全く気負った所が無い。
「ああ、何となくそんな感じしてたんですよね……いつだったかは着物着た人がいるから、時代村にでも入っちゃったかと思ったけど。
うーん私31歳か〜。去年成人したばっかりなのに」
 時間超越の影響は、紫月の外見に影響を与えていないように見える。
 そっと紫月の肩に触れたシュラインがねぎらうように言葉をかけた。
「紫月さんはこちらでの記憶もある人間ですもの、女神の誰かに頼めばゲームから出る事もできるはずよ。
女神は城にいるわ」
 そう話しかけながらも、どこかでそう簡単に物事が運ばないとシュラインは予感していた。
 紫月の背負う黒い石の翼。
 それがある限り彼女はこの世界の特異点なように思える。
 一呼吸置いて、紫月は納得したのかさばさばした表情で頷いた。 
「……そうですか。それじゃ城に行ってみますね。
短い間でしたがお世話になリましたっ」
 紫月はトランクを両手で持って立ち上がると、深々と頭を下げる。
 そしてシュラインたちの別れの言葉を待たず、足早に市場の中心へ歩き出した。
「おい、待てって! 一人で行くつもりか?」
 和馬が慌ててその腕を取って引きとめた。
 振り向いた紫月の顔は意外にも固く、和馬を困惑させている。
「皆さんにご迷惑はかけられません。
私だってこれでも探偵ですからね。
ちゃんと所長たちのいる東京までの出口、見つけてみせます」
 この子はどんなにモンスターに囲まれても、一人で立とうと上を向くに違いない。
シュラインは紫月がどれだけ結城や和鳥を思っているのか感じた。
「必ず所長や鷹群クンも、私を探してくれるって信じてるんです。
だから、一人でも平気です」
 何度もくじけそうな気持ちが湧き上がる度に仲間を思い、ここまで歩いてきたのだろう。
 でも誰かの好意を受け入れる事は、決して悪くは無いはずだわ。
 一人でも地に足をつけて立てる人間なら、尚更。
 少しは周りを頼っても良いじゃないの。
 和馬が紫月のトランクを取り上げて言った。
「俺もついて行く。
さっきみたいに具合悪いのにモンスターに襲われたらどうするんだよ」
 傍らに立ったシュラインが和馬を見て肩をすくめ、微笑んでみせた。
 今の台詞、和馬の彼女には聞かせられないわね。
「私も一緒に行かせてね。こんなのが同行者じゃ危なっかしくて。
どこまで行ったか気になって仕方ないもの」
 セレスティも紫月の傍に寄り添って声をかける。
「今までくじけた事がないきみでも、時には心細くなるでしょう?
少なくとも私は和馬さんより、この世界には詳しいですよ」
「俺は説明するのが下手なんであって、ものを知らねえ訳じゃねぇっ!」
 からかわれた和馬が声を上げるのを無視して、シュラインとセレスティが紫月の身体を押すように歩き出す。
「はいはいっ。それじゃ、紫月さんの装備から揃えなきゃ。
ジャケットの背中が破れてしまって可哀想だもの、ね?
そしてまずは女神に会いましょう」
 石の翼が邪魔にならないように、背中が大きく開いている服が良いかしら。
 ホールターネックのベストなんか、ハスラーには似合うと思うのだけれど。
「あのっ、和馬さんが」
 トランクとその場に置き去りにされた和馬を、当惑気味の紫月が振り返った。
「もし女神に会えなければ、知恵の輪に向かいましょう。
帰り道への手掛かりも見つかるかもしれませんよ」
「知恵の環?」
 セレスティが指差す先に、遠目でもはっきりと螺旋に天を目指す塔が見える。
「そう、ここから見えますか? あの大きな塔です。
中は吹き抜けで、螺旋階段に置かれた無数の本には、アスガルドの世界の情報がリアルタイムに刻まれていると言いますよ」
 穏やかな声でセレスティが続ける。
「道は一つではありませんよ、紫月さん。
その道を一緒に歩く人がいても、良いと思いませんか?」
 そう、目指す場所は同じでも、アプローチは限りなくあるはず。
 この世界を守る方法も、たった一つとは限らない。 
「そう、まずここで何ができるか考えなきゃ。
荷物持ちもいるから、紫月さんは無理しなくても良いのよ」
 荷物持ちはトランクの傍で情けなく肩を落とし、口を大きく開けて不平そうに叫んだ。
「お、俺を置いていくなよ! なあっ!」
 シュラインは紫月に似合う服装をあれこれ考えながら、軽い足取りで歩き出した。

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳  /財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 1533 / 藍原・和馬 / 男性 / 920歳 / フリーター(何でも屋) 】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様

八重垣といい結城探偵事務所といい、いつも男性NPCばかりの華やかさ欠けるノベルなのですが、今回はようやく女の子NPCとの絡みが書けました。
女同士は、当人同士の会話はかみ合って無くても、テンションだけは同レベルなのが見ていて微笑ましいと思います。
少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
ご注文ありがとうございました!