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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


赤い月が見ている

 ある夏の日の夕方を境に、草間の姿が消えた。
 零が買い物から帰って来てみると、事務所の中はもぬけの空になっていたのだ。
 入り口の鍵はかかっていなかったし、彼の机の上には飲みかけのコーヒーのカップが置かれ、灰皿にもさっきまでタバコを吸っていたような跡があった。プリントアウトされた紙束が、乱雑に置かれ、パソコンのモニターはまだスクリーンセイバーに変わってもいない。まるで、ちょっと席をはずしているだけのような、そんな風情だった。
 しかし、草間は夜が更けても帰って来なかった。
 零も、最初の一日二日はさほど心配しなかった。仕事柄、草間が突然家を開けるのは、あり得ないことではない。鍵がかかっていなかったのも、すぐに帰って来るつもりで、思いのほか用件が長引いてしまったのかもしれないし、零が外出していることを考えてのことかもしれない。
 けれど、三日経ち、四日が過ぎても彼は帰らなかった。
(お兄さん……。いったい、どうしてしまったんでしょう……。いくらなんでも、電話ぐらいくれてもいいですよね)
 さすがの零も、不安になって、どうしていいのか途方にくれた。
 机の上に残されていた紙束は、行方不明になって捜索願いが出されている人間のリストのようだった。
(あら? これは……)
 何か草間が消えた手掛かりになるかもしれないと、それを調べていた零は、そのリストに奇妙な共通点があることに気づいた。
 一つは、彼らが消えた時の状況が、草間とよく似ていること。まるで、ちょっと席をはずしているだけで、すぐに戻って来ると言わんばかりの状況だったようだ。
 もう一つは、彼らが消えた時に赤い月が出ていたと、家族など身近にいた人間が証言しているということだ。
(そういえば……)
 零も、ふと思い出す。草間が消えたあの日、帰り道に巨大な赤い月を見たことを。
(赤い月が、お兄さんを連れて行った……?)
 思わず胸に呟き、彼女は小さく身を震わせる。なんとしても、兄を探し出さなければ――。ふいに彼女は、そう決意するのだった。



 草間が姿を消して、すでに一月が過ぎていた。
 シュライン・エマがそれを知ったのは、彼の失踪後、四日目のことだった。
 彼女は普段、ここで事務員をしているが、本業は翻訳家だった。そして、草間が失踪したころ彼女はそちらが忙しく、ずっと事務所に顔を出していなかったのである。
 彼女にとって草間は、憎からず思っている相手だったので、最初に零からその話を聞かされた時には驚き、かなり慌てたものだ。だが、深呼吸しておちつきを取り戻した後は、零から更に詳しい話を聞き、残された紙束に何度も目を通し、更には行方不明者の家族や友人などに実際に会って話を聞いたりと、彼を見つけ出すための、最大限の努力をして来た。
 だが、彼の行方は杳として知れないままだ。
 シュラインが、この事件を聞いて最初に気になったのは、赤い月と行方不明との関係だ。
 零もそうだが、赤い月を見たと証言しているのは、行方不明になった人間の家族や友人など、身近な人間だ。むろん、行方不明者当人が見た可能性もないとはいえない。ただ、それは比較的薄いのではないかと、彼女は考えていた。
 というのも、調べてみたところ、月が赤くなるのには二種類の場合があるらしいのだ。
 一つは、皆既月蝕の時で、月は中空にあって赤く染まる。月蝕は満月の時に起こることが多いため、ホラー映画そこのけの、丸く赤い月が見られるというわけだ。
 もう一つは、月の出や月の入りの、低い位置にある時で、これは地球の表層の汚れた空気層を通過する時に、空気に含まれる塵の作用で赤く見えるのだという。一般的に多く見かけられるのがこれで、月の出没の時間から考えても、零や行方不明者の近親者らが見たのは、こちらだろう。
 零がそれを目にしたのは、買い物帰り――商店街からここまでの途中にある、鬼灯川の堤防の上だった。そこは、地元では眺めがいいことで有名で、花火大会の時などは見物客が詰めかける。
 零以外の者たちも、赤い月を見たのはだいたいが見晴らしのいい場所だ。そうでなければ、低い位置にある月を見ることが、そもそもできないだろう。
 一方、ここの事務所は周囲を高いビルに囲まれて、お世辞にも見晴らしがいいとはいえない。もしもその時、草間が外を眺めていたとしても、ここからでは赤い月は見えなかったに違いない。そしてそれは、他の行方不明者たちも似たような状況だった。
(なんだか、行き詰まっちゃったわね……)
 胸に呟きシュラインは、改めて行方不明者のリストに目を通しながら、小さく吐息をついた。
 彼女がいるのは、例によって草間の事務所だった。すでに日が落ちて、外は暗くなっている。が、帰るつもりはない。彼女はこの一月、ずっとここに泊まり込んでいた。いくら普通の人間ではないとはいえ、零を一人で置いてはおけなかったのだ。
 すでに夕食も終わり、台所であとかたずけをしていた零が、コーヒーのカップを乗せた盆を手に、事務所の方へ出て来た。
「少し、休みませんか?」
 そう言って、テーブルの上にカップを置く。
「ありがとう」
 笑って礼を言い、シュラインは自分のデスクを離れて、そちらに歩み寄ると、ソファに腰を下ろした。コーヒーに口をつける彼女を零は、向かいに腰を下ろして黙って見やっていたが、やがて口を開いた。
「シュラインさん、私、昨日からお兄さんが姿を消した時のことを、もう一度思い返していたんですけれど……パソコンのモニターの方向が、なんだか変だった気がするんです」
「モニターの方向が?」
「ええ。いつもは、今みたいに椅子の方を向いていますよね。それがなぜか、半分窓の方を向いていて……。それと、帰って来た時、部屋の中は赤く染まっていたように思うんです。その時には、夕日が射し込んで来てるんだと漠然と考えていたんですけど……」
 零は言葉を途切れさせ、途方にくれたように窓を見詰める。シュラインも、少しだけ青ざめた顔で、そちらを見やった。
 二月ほど前から、事務所の西側に建つビルが改装工事の真っ最中で、その周辺には足場が組まれ、緑色のシートがかけられている。おかげで事務所は昼間でも薄暗く、当然ながら夕日もほとんど射し込まない。工事が始まる前ならともかく、一月前に室内が赤く染まるほど夕日が射し込むようなことなど、あるはずもなかったのだ。
 ぞっと背筋を寒くしながらも、シュラインはふと思い出す。話を聞いて回った人々のうちの何人かが、家族や友人が行方不明になった時、室内にあった鏡が普段とは違う方向を向いていたと口にしていたことを。それだけではない。夕日が部屋を赤く染めていたのが印象的だったと話してくれた者も、かなりの人数いた。
(鏡に夕日、赤い月……)
 考え込むシュラインの脳裏に、ふと奇妙なイメージが浮かぶ。鏡に映り込んだ赤い月と、それを見詰める草間の姿だ。それは、いわゆる合わせ鏡から現れる悪魔と似た発想だった。が、なんとなく背筋がぞくぞくする。事務所には鏡は置かれていないが、パソコンのモニター画面ならば、外の光が映り込むことはあり得た。
(まさか……でも……)
 彼女は、なんとはない嫌な予感に、思わずカップを置いて立ち上がった。自分のデスクの上から、月の出没時間の表を取り上げる。見れば、明日の月の出は夕方の六時半ごろになっていた。
(何も確証はないわ。でも……これ以上手をこまねいていたら手遅れになる、なんだかそんな気がする。イチかバチか、自分の勘に賭けてみるしかないわ)
 胸に呟き、彼女は零をふり返った。
「零ちゃん、明日、手伝ってほしいことがあるの。武彦さんを無事に連れ戻すためよ。いい?」
 言われて零は、小さく目を見張った。だがすぐに。
「はい」
 と大きくうなずく。シュラインは、それへうなずき返して、明日用意するものを、頭の隅にメモし始めた。

 翌日の夕方。
 まだ六時を少し回ったところだというのに、事務所の中は薄暗かった。西側に建つビルがまだ工事中のせいだ。
 事務所にいるのは、シュライン一人だった。珍しくGパンに長袖のTシャツという恰好で、腰にはベルト式のポーチをつけている。中に入っているのは、小さな瓶に入れられた聖水とお神酒、荒塩、それに携帯食糧と飲料水だった。更に、腰には太いロープを巻きつけており、その反対側の端は、草間が使っている重い鉄製のデスクの足にくくりつけられていた。もしもの時の命綱だ。
 彼女はそのデスクの前に立っていたが、手には小さな手鏡を握りしめていた。
 時計が六時半を回ったころ、デスクの上の電話が鳴った。零からだ。彼女は今、以前に赤い月を見たのと同じ、鬼灯川の堤防にいる。そこから携帯電話で連絡して来たのだ。今、あの時と同じ赤い月が出ていると。
 それに答えようとして、シュラインはハッと身を固くした。いつの間にか室内が、まるで夕日が射し込んで来たかのように、赤く染まっている。彼女は慌てて受話器を放り出すと、手鏡の角度を調節した。小さな円形の鏡の中に、赤い光が映り込む。
「あ……!」
 シュラインは、思わず低い声を上げた。鏡の中に、たしかに赤い月が映っていたのだ。
 と、ふいにその鏡の面がまるで水面のように、小さく揺らぎ、そこから赤い液体に濡れそぼった手が現れた。
「ヒッ!」
 さすがのシュラインも、思わず引きつった声を上げ、身を引こうとした。が、その手が彼女の手首をがっしりとつかむ。そのまま彼女は、鏡の中へと力まかせに引きずりこまれて行った。

 いつの間にか、意識を失っていたらしい。気づいた時シュラインは、赤い光に包まれた洞窟の中にいた。壁から伸びた鎖に両手は高く上げる形で縛められ、足にも枷がつけられて、身動きならない状態だ。ただ、ありがたいことに、腰に巻いたロープもポーチもそのままだった。そのことに安堵して、彼女はあたりを見回す。
 そこはどうやら、牢屋か何かのようなものらしかった。壁にそって彼女と同じように、鎖と枷で縛められた男女がつながれている。どちらもほとんど半裸に近い状態で、腕や腹、胸などの肉が、獣にでも噛みちぎられたかのようにえぐれ、血を流していた。全員生きてはいるようだが、うめき声やすすり泣きなどは、いっさい聞こえない。
 シュラインは、その中に草間がいることに気づいた。彼もまた肩の肉をえぐられ、ひどい傷を負っている。あちらも彼女に気づいているのか、顔を上げ、こちらを見やっていたが、彼女が何か声をかけようとすると、小さくかぶりをふった。
 その仕草に、彼女は小さく眉をひそめる。しゃべるなと言うのだろうか。
 その時、前触れなく奥の闇の中から、一人の女が現れた。褐色の肌に、長い赤い髪をした女で、背には妖精のような薄い四枚の羽根を持ち、額からは細い触角が伸びていた。目は、蜂を思わせる。
 女の姿に、その場の全員が怯えたように顔を引きつらせた。しかし、女はかまわず彼らを品定めするような目で眺めつつ、ゆっくりと歩き出した。やがて、一人の男の前で足を止めると、女は大きく口を開けた。ずらりと並ぶ鋭い牙が見える。女はそれを男の腹へと突き立てた。シュラインは、思わず顔をそむけた。が、ふと奇妙なことに気づく。音が聞こえないのだ。肉を食われている男の苦悶の声も、女の血を啜り肉を喰らう音も、何も聞こえない。そういえば、女が現れた時にも足音一つしなかった。
 シュラインは、思わずそちらをふり返った。女はちょうど、男から離れ、新たな獲物を求めて歩き出したところだった。その足が、草間の前で止まる。
(ち、ちょっと……冗談じゃないわよ……!)
 ぞっとして、シュラインは思わず叫んだ。
「やめて!」
 その途端。草間の上に身を屈めようとしていた女が、小さく肩を震わせ、こちらをふり返った。それとほぼ同時に、音もなくシュラインの両手と両足を縛めていた鎖と枷が砕け散った。
(え?)
 彼女はなぜ壊れたのかわからず、一瞬、きょとんとなる。が、すぐにそんな場合ではないと気づいた。女が、凄まじい形相でこちらに向かって来るのが見えたのだ。やはり声は聞こえないが、もし聞こえていれば、獣のような咆哮だったかもしれない。
 シュラインは、ポーチの中から取り出した聖水の瓶の中身を、蓋を開けるのももどかしく、女に向かって撒き散らした。だが、女はまったく平然としている。
(嘘! 聖水、効かないの?)
 危うく身をかわしながら、シュラインは胸に叫ぶ。そして、それならばと、今度はお神酒を投げつけた。だが、やはり効かない。
「ちょっと、なんで効かないの?」
 思わず、声を上げる。途端、再びこちらへ向かって来ていた女が、小さく身を震わせて立ち止まった。それに気づいて、シュラインは首をかしげる。
(あ……!)
 ふいに気づいた。もしかしたら、ここでは声が武器になるのではないかと。さっき、鎖と枷がはずれたのも、彼女が叫んだ直後だった。
(まさか……。でも、試してみる価値はあるわね)
 心を決めると彼女は、思い切り息を吸い込み、高い声で叫んだ。普通であっても、耳が痛くなるような鋭い叫び声だったが、まさに効果はてきめんだった。
 女は、苦しげにのたうちながら、その場に倒れ、草間たちをつないでいた鎖と枷はどれも、粉々に砕けた。そして、洞窟は音もなく揺れ始める。
 シュラインは、叫ぶのをやめた。そして、草間たちに一緒に来るよう告げる。そのまま、草間とそこにいる人々全てを連れて、腰に巻いたロープをたどるようにして、彼女は走り出した。

 鏡の中へ入った時と同じように、出る時も意識を失っていたらしい。
 シュラインが気づいた時、そこは草間の事務所の中だった。草間と、あの洞窟にいた男女が、床に折り重なるように倒れ、零が一人でそれらの人々を介抱していた。それでも、彼女が目覚めたことに気づいたのだろう。駆け寄って来る。
「シュラインさん、よかった。気がついたんですね」
「ええ……。みんな、無事?」
 うなずいて、あたりを見回しながら尋ねた彼女に答えたのは、草間だった。
「なんとかな。……おかげで、助かったよ。けど、ずいぶんと無茶をしたものだな」
「結果オーライでしょ。……それより、あそこはなんだったの?」
 笑って言うと、シュラインは尋ねた。
「俺にもよくわからんが、あの妖精みたいな女の、餌の貯蔵庫だったんじゃないかな。ただ、おまえの声が聞こえたのには驚いたよ。あそこは、音のない世界で、俺たちも行った途端に音を奪われちまったからな」
「……もしかしたら、私だけが自らあの世界に行ったから、それで音を失わなかったのかもしれないわね」
 草間の言葉に、シュラインは少し考え言った。そして気づく。あの時の草間の仕草は、ここでは声を出しても無駄だと言いたかったのかと。
 やがて、草間と一緒に戻った人々は、零とシュラインの手当てを受け、草間からの連絡で迎えに来た家族と共に、自分の家へと帰って行った。
 それを見送り、ふと空を見上げたシュラインは、思わず身を固くした。空に、真っ赤な満月が浮かび、嘲笑うようにこちらを見下ろしているのを見つけたからだ。
 だが、次に見やった時には、すでにそれは消えていた。
(見間違い……?)
 怪訝に思ってあたりを見回せば、遠くにまだ満月にはほど遠い欠けた月が白く浮かんでいる。その姿にホッとしたところで、中から零の呼ぶ声がした。
「シュラインさん、夕食ができました」
「今行くわ」
 答えて、急に思い出した空腹感に、苦笑しながら彼女は踵を返す。
 白い月は、ただ静かに地上を照らし続けていた――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマさま
ライターの織人文です。いつも参加いただき、ありがとうございます。
今回も少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
ところで、窓開け時間のことですが……
夜間の方が、誰しも都合がいいのは、当然ですよね。
配慮が足りませんで、申し訳ありませんでした。
次からは、夜間に窓開けするよう気をつけたいと思います。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。