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レムニスケート〜石翼のハスラー〜
城壁から見渡す地平に、僅かに混じるオゾン臭を感じる。
雪が一面に世界を覆った朝、冷えた鼻先を掠めるきりりとしたあの感覚。
それが一番近いな、と藍原和馬は漠然と思った。
雲ひとつ無い青空を見ているというのに、雷雲が近付くような胸騒ぎを覚える。
和馬は死角なく全方向に向けられた砲台の影から下界を見た。
城塞都市ジャンゴを中心にして、限りなくフラットに置かれたオブジェクトの数々――森や湖、まばらに散る村々をつなぐ街道、そしてモンスターたち。
それらは全てデータの結晶、『白銀の姫』と呼ばれたゲームの世界――アスガルドだった。
この世界での和馬はいつものスーツから、黒の忍者装束と鎖帷子に身を包み、一振りの刀を背負った忍者姿となっていた。
これが皆作り物だってんだからな。
口元を覆う布をはためかせながら、もう何度も繰り返した感想を思い浮かべていると、傍らに立っているシュライン・エマとセレスティ・カーニンガムが声を上げた。
二人ともこの世界で何度も行動を共にした、気心の知れた相手だ。
「珍しいですね、お一人で行動される方なんて。
それに何て変わった外装……あれは防具の一部でしょうか？」
丈の長いローブを纏い、十字架の錫杖をついたセレスティが、顎に当てた指に唇を添える。
セレスティの疑問ももっともだ。
道を歩けばモンスターに出くわすこの世界、余程強くなけりゃ一人でなんて危険すぎて行動できない。
「様子がおかしいわ。体力が残り少ないのかしら……」
髪に大きな花飾りを差したシュラインが城砦の手すりから身を乗り出す。
「どこに？」
二人が気遣わしげに見る先、一人街道を歩く人物が見えた。
それは今まで和馬がこの世界で見た、どのプレイヤーとも違っていた。
両手で抱えたトランクを半ば引きずるように歩く、その歩みはひどく頼りない。
特徴的なのは背中に存在する黒い石のような物だ。
大きさは両手を広げた程で、細身のパンツスーツのジャケットを突き破り、翼のように背後に広がっている。
胸騒ぎの原因はこれか？
三人が見守る人物は何度もよろめきながら進んでいたが、周りをモンスターの咆哮が取り囲まれた。
熊の四肢が醜く機械化されたハイブリッド。
意外に素早い動きと強靭な爪が厄介だ。
このままじゃやられちまう。
あの人物は自分たちと同じようこの世界がゲームの世界だと自覚しているのだろうか。
もしそうならば、戦闘に破れたとしても時をおかずにジャンゴで復活する。
しかし、受けた傷の痛みは本物なのだ。
「助けに行ってくるぜ！！」
遠目に見たあの顔は辛そうだった。
放っておけるかよ。
「ちょっと待って！」
「和馬さん、私も参ります！」
シュラインとセレスティが叫びを上げたが、和馬はもう城砦の外へと駆け出していた。
「助太刀参上！」
そう言ってモンスターに斬り付けながら和馬が駆け寄ると、中心にいる人物はビリヤードのキューを構えたポーズのまま一瞬動きを止めた。
開いたトランクからは納められたビリヤードのボールが顔を覗かせ、数個が宙に浮いている状態だ。
これが武器、なのか？
「あんた名前は？」
背負った刀――黒狼の魂を抜刀した和馬がモンスターを挑発しながら話しかけると、疲労の色濃い顔に悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「かたじけない忍者殿。ご助力痛み入る」
改めて時代劇口調で話されると、結構恥かしいのな。と、和馬は思った。
「紫月だよ、忍者さん」
「シヅキ？ 俺は和馬。さっさとこいつら倒しちまおうぜ」
紫月は近くで見ると思った以上に小柄で、とてもこの世界を一人で旅する高レベルプレイヤーに見えない。
額やうなじが見える程短い黒髪は少年のようだ。
改めてキューを構え直す紫月の向こうに、モンスターを挟んでシュラインとセレスティが現われた。
「遅いんだよっ！」
「あんたと一緒にしないで頂戴。忍者に追い着けるはずないでしょ！」
「全くです」
辛口で呆れた口調でも、二人はもちろん俺と紫月を助ける為に追いかけてきたのだ。
「あなた大丈夫？ ずいぶん辛そうね……戦闘のダメージばかりでないように思えるけど」
「実はおなかも減ってて」
腹部を押さえて見せ、紫月は目の前のモンスターに視線を戻す。
「え？」
今の言葉が本気か冗談か判断しかねているうちにも、シュラインにモンスターは鈎爪の付いた腕を振る。
「まずはこいつら片付けないとな！」
和馬が振るう黒狼の魂は元々の姿から形を変え、一切の光を吸収するかのように黒い刀身が禍々しく伸びている。
使い手の昂ぶった感情に呼応しているのだ。
一方シュラインは妖精の花飾りを使い、モンスターの動きを麻痺させながら牽制している。
和馬の耳には美しい旋律としか聞こえない音がモンスターに届くと、一時的にだが動きが麻痺する。
その隙を突いて和馬が刀で止めを刺すコンビネーションで、現われたモンスターの半分がデータへと還っていった。
戦闘中も紫月の背後に広がる石の翼は、時折石片を落としながら成長している。
それが大きさを増す度に、紫月は痛みを堪えるように背を丸め、集中する間が持たないようだ。
モンスターに打撃を与えるビリヤードボールの動きにも、統一性が無く乱れている。
「私が援護しますよ。お一人で戦われる事はありません」
セレスティが白銀の錫杖を構え、紫月に話しかけた。
「私はこういった戦いには向かないのですが、少しでもお手伝いをさせて下さい」
しなやかに錫杖がきらめく様は、指揮者がタクトを振る姿にも似て優雅だ。
セレスティと紫月を守るように、地面から湧き上がる水が渦巻き、透明な壁を作り出す。
「これならきみの視界を遮る事もないでしょう？」
「……ありがとう。目と耳、できれば押さえてて下さい」
す、と紫月の雰囲気が変わった。
人懐こい明るさは、決意を秘めた殺戮の仮面に隠れる。
キューを持つ腕を交差させると、紫月は静かに眼前のモンスターに宣言した。
――ナインボール操霊術式。
「九番、解放」
ド……ォン！！！
宙に浮く全てのボールが帯電し、モンスターの機械化した四肢に高速で移動しながら電撃を直接叩き込む。
雷鳴は一瞬だったが、その場にいた和馬たちの瞳からしばらく視力と聴力を奪った。
「うう〜まだ目と耳痛てぇ」
目を閉じてもなお、光がまだ目蓋の影に残っている。
「私たちに怪我がないのが不思議な位、ね」
「モンスターは……？」
視力の戻った和馬たちが見た物は、倒れた紫月の背で雷鳴の残光を放つ石の翼と、黒焦げに身体を焼いたモンスターがデータへと粒子状に変換されていく光景だった。
「気を失ってるだけね。心音は確かだし」
シュラインが紫月の背中に触れないよう、そっと抱き起こした。
一度は消えたモンスターの気配だが、いつまた現われるとも限らない。
「早くジャンゴまで戻りましょうか」
セレスティも油断無くまわりの気配に注意を向けている。
「ああ、おれがこいつを運ぶよ」
「そっとよ？」
シュラインに念を押されて担ぎ上げた身体はとても軽かった。
「んん？？」
肩口に当る胸の柔らかさに和馬は当惑する。
「なあ、もしかしてこいつ……女？」
一瞬の間の後、和馬は二人に再び辛口で呆れられる事になった。
「どう見ても女の子でしょうっ！」
「スレンダーとはいえ、紫月さんはレディですよ。失礼ですね」
「わ、わかったって！！」
妖精の花飾りでモンスターの位置を探りながら、三人は紫月を連れてジャンゴへと道を戻った。
「背中の痛みはどうですか？少しは和らぎましたか？」
「あっ、もうかなり良くなって……皆さんのお陰で助かりました」
セレスティの問いかけに、背もたれをずらして座った紫月がぺこりと頭を下げる。
ジャンゴの中、機骸市場の路面に出されたテーブルに四人はついていた。
市場を訪れる客を相手に食事を出す屋台が軒を連ね、人々は各々好きな料理を買ってテーブルで味わっている。
和馬達もまた、食べやすく切られた果物や温かな肉料理、香ばしく焼きあがったパンなどの皿をテーブルいっぱいに並べている。
「背中のは石化……ではないのよね？」
シュラインはここに来る前に立ち寄ったメディカルセンターでの、医師とのやりとりを反芻しているようだ。
石化を解除するプログラムの投与が紫月の背中に施されたが、石の翼は何も反応を示さなかったのだ。
効果は無いかもしれないが、紫月には痛み止めのプログラムを背中に流してもらった。
それが効いたのか紫月は意識を取り戻し、珍しそうに皿の料理に手を伸ばしている。
腹が減ってたってのはホントだったのか。
結構いいペースで料理を平らげる紫月を見ながら、和馬も手掴みで骨付き肉にかじりついた。
「ここに来た時にはもう背中にあって……ここ、東京じゃないですよね？」
白いティーカップの中で揺らぐ紅茶を口元に運び、紫月の疑問にセレスティが答える。
「ここはアスガルド。いわゆる、ゲームの中の世界ですよ。
ここには私たちのように外界での記憶を持ったままの者と、巻き込まれてしまった普通の人間がいます。
そしてアスガルドが異界化した際に意志を持った根幹プログラムが、アスガルド四柱神です」
「ゲームの製作者が死んじまった後、異界化してるのさ。
異界化のせいで、現実世界の一般人も巻き込まれ始めてる」
セレスティの言葉を継いで自分でも説明したが、やはりどこか架空の出来事のようにも感じられる。
その現実感のなさが、本物っぽい所なのかもしれねぇけどな。
「設定されたイベントは一定の時間がたつと自動で発生するようプログラムされています。
それらを全て終えた時、ゲームはそれ以上進まなくなってエラーを起こす。
その時世界は崩壊し、ゲーム内の全てが消去されます。
取り込まれた一般人の魂も」
表情を曇らせるセレスティの隣で、シュラインが組み合わせた指から視線を上げて紫月を見る。
「アスガルドの女神たち、アリアンロッド、ネヴァン、モリガン、マッハ……彼女たちはそれぞれのやり方で、この世界自体が消えてしまうのを防ごうとしているわ。
私自身は取り込まれた人達助ける為、ココと現世の出入口って噂のアヴァロンを探してる所なんだけれどね」
紫月は胸のうちで何か思う所があるらしく、黙って和馬たちの話を聞いていた。
「そうなんですか。
あっ、自己紹介がまだでしたね。
私、紫月美和と言います。東京で探偵事務所の調査員をしてます」
手渡された名刺からはかすかに花の香りがし、『結城探偵事務所』とあった。
シュラインといい、探偵関係者っていうのは結構多いものなのか？
「あら、結城さんの所？ 何度か一緒にお仕事をさせて頂いた事があるわ」
「所長をご存知ですか？ わ、何だか嬉しいな」
案外狭い業界よねっ、と二人は俄然打ち解けて盛り上りだした。
共通の話題を見つけた女どもの会話のスピードはマッハを超える。
そんな二人にセレスティがおっとりと言葉をかけた。
「結城氏と直接の面識はありませんが、私は八重垣津々路氏と知り合ったのが縁で、存じ上げていますよ」
「八重垣？ 松江の？ つっくんまだ小学生じゃないですかっ」
やだなー、と紫月が笑った。
「つっくん……私がお会いした津々路さんは背の高い大人の方でしたが？」
セレスティと紫月はお互いに首を傾げているが、面識のない和馬には意味がわかりかねる。
シュラインも不思議そうに言った。
「八重垣のお店は今、東京に移転してるわよ。お店番は芳人君。
津々路さんはＩＯ２で研究員になってるわ」
どういう事なんだ？
薄寒い仮定が背筋に忍び寄るが、和馬に代わって聞いたのはセレスティだった。
「もしかしてきみは……場所だけじゃなくて、時間の流れからもはぐれているのですか？」
そんな事がありえるのか。だが、東京の異鏡化現象以来、言葉で説明できない事件が続いている。
「お前いつから事務所に戻ってないんだ？ 今、西暦何年だよ」
「１９９Ｘ年じゃないの？」
詰め寄る和馬に、きょとんとした顔で紫月が答え、シュラインがそれを引き取る。
「１０年前だわ」
「たぶん、時間軸の異なる東京を転々としているのでしょうね」
紫月はあらかじめ予想でもしていたのか、特に取り乱したりはしなかった。
もともとの紫月の性格なのか、全く気負った所が無い。
「ああ、何となくそんな感じしてたんですよね……いつだったかは着物着た人がいるから、時代村にでも入っちゃったかと思ったけど。
うーん私３１歳か〜。去年成人したばっかりなのに」
そっと紫月の肩に触れたシュラインがねぎらうように言葉をかける。
「紫月さんはこちらでの記憶もある人間ですもの、女神の誰かに頼めばゲームから出る事もできるはずよ。
女神は城にいるわ」
一呼吸置いて、紫月は納得したのかさばさばした表情で頷いた。
「……そうですか。それじゃ城に行ってみますね。
短い間でしたがお世話になリましたっ」
紫月はトランクを両手で持って立ち上がると、深々と頭を下げる。
そして和馬たちの別れの言葉を待たず、足早に市場の中心へ歩き出した。
「おい、待てって！ 一人で行くつもりか？」
和馬が慌ててその腕を取って引きとめた。
振り向いた紫月の顔は意外にも固く、和馬を困惑させた。
「皆さんにご迷惑はかけられません。
私だってこれでも探偵ですからね。
ちゃんと所長たちのいる東京までの出口、見つけてみせます」
唐突に和馬は、紫月が何故たった一人でも明るさを失わなかったか理解した。
「必ず所長や鷹群クンも、私を探してくれるって信じてるんです。
だから、一人でも平気です」
何度もくじけそうな気持ちが湧き上がる度に仲間を思い、ここまで歩いてきたのだろう。
誰かの好意を受け入れる事は決して悪くは無いはずだ。
一人でも地に足をつけて立てる人間なら、尚更。
頼っても良いじゃねえかよ。
和馬は紫月のトランクを取り上げて言った。
「俺もついて行く。
さっきみたいに具合悪いのにモンスターに襲われたらどうするんだよ」
傍らに立ったシュラインが和馬を見て肩をすくめ、微笑んでみせた。
「私も一緒に行かせてね。こんなのが同行者じゃ危なっかしくて。
どこまで行ったか気になって仕方ないもの」
セレスティも紫月の傍に寄り添って声をかける。
「今までくじけた事がないきみでも、時には心細くなるでしょう？
少なくとも私は和馬さんより、この世界には詳しいですよ」
「俺は説明するのが下手なんであって、ものを知らねえ訳じゃねぇっ！」
からかわれた和馬が声を上げるのを無視して、シュラインとセレスティが紫月の身体を押すように歩き出す。
「はいはいっ。それじゃ、紫月さんの装備から揃えなきゃ。
ジャケットの背中が破れてしまって可哀想だもの、ね？
そしてまずは女神に会いましょう」
トランクとその場に置き去りにされた和馬を、当惑気味の紫月が振り返った。
「もし女神に会えなければ、知恵の輪に向かいましょう。
帰り道への手掛かりも見つかるかもしれませんよ」
「知恵の環？」
セレスティが指差す先に、遠目でもはっきりと螺旋に天を目指す塔が見える。
「そう、ここから見えますか？ あの大きな塔です。
中は吹き抜けで、螺旋階段に置かれた無数の本には、アスガルドの世界の情報がリアルタイムに刻まれていると言いますよ」
穏やかな声でセレスティが続ける。
「道は一つではありませんよ、紫月さん。
その道を一緒に歩く人がいても、良いと思いませんか？」
癪なので黙っているが、和馬も同じ事を考えていた。
何でも一人で背負い込まなくてもいいだろ？
「そう、まずここで何ができるか考えなきゃ。
荷物持ちもいるから、紫月さんは無理しなくても良いのよ」
ちらりとシュラインが振り返ったかと思えば、どんどん和馬から遠ざかっていく。
「お、俺を置いていくなよ！ なあっ！」
和馬はトランクを抱え、急いで三人の後を追いかけた。
（終）
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【 1883 ／ セレスティ・カーニンガム ／ 男性 ／ 725歳 ／財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 0086 ／ シュライン・エマ ／ 女性 ／ 26歳 ／ 翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員 】
【 1533 ／ 藍原・和馬 ／ 男性 ／ 920歳 ／ フリーター（何でも屋） 】
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■ ライター通信 ■
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藍原和馬様
藍原様は今回、パーティーの中でぐいぐい行動する役回りで書かせて頂きました。
困ってる女の子は放っておけないとの事でしたので、漢気溢れる感じに……でもちょっといじられキャラにしてしまいましたが、如何でしょうか？
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました！
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