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レムニスケート〜石翼のハスラー〜
この世界に海はあるのだろうか。
遠い海原の波濤、水鳥の鳴き声が重なる懐かしの水面。
地平の彼方に、海は作られているのだろうか。
雲ひとつ無い青空を見ているというのに、雷雲が近付くような胸騒ぎがセレスティ・カーニンガムの中に湧き上がっていた。
セレスティは死角なく全方向に向けられた砲台の影から下界を見る。
城塞都市ジャンゴを中心にして、限りなくフラットに置かれたオブジェクトの数々――森や湖、まばらに散る村々をつなぐ街道、そしてモンスターたち。
それらは全てデータの結晶、『白銀の姫』と呼ばれたゲームの世界――アスガルドだった。
セレスティは街道を歩く人物に目を留め、思わず呟いてしまった。
「珍しいですね、お一人で行動される方なんて。
それに何て変わった外装……あれは防具の一部でしょうか?」
道を歩けばモンスターに出会うこの世界、余程強くなければ一人でなんて危険すぎて行動できない。
丈の長いローブを纏い、十字架の錫杖をついたセレスティが、顎に当てた指に唇を添える。
それは今までセレスティがこの世界で見た、どのプレイヤーとも違っていた。
両手で抱えたトランクを半ば引きずるように歩く、その歩みはひどく頼りない。
特徴的なのは背中に存在する黒い石のような物だ。
大きさは両手を広げた程で、細身のパンツスーツのジャケットを突き破り、翼のように背後に広がっている。
何て禍々しいのでしょう。
セレスティには翼状の黒い闇が、女性を包み込んでいるように見えた。
忍者装束の藍原和馬と花飾りを髪に差したシュライン・エマが、セレスティの近くに寄ってくる。
二人ともこの世界で何度も行動を共にした、気心の知れた相手だ。
「様子がおかしいわ。体力が残り少ないのかしら……」
シュラインが城砦の手すりから身を乗り出す。
「どこに?」
一人街道を歩く女性を、二人が気遣わしげに見ている。
三人が見守る人物は何度もよろめきながら進んでいたが、周りをモンスターの咆哮が取り囲まれた。
熊の四肢が醜く機械化されたハイブリッド。
意外に素早い動きと強靭な爪が厄介だ。
このままではやられてしまう。
彼女は自分たちと同じようこの世界がゲームの世界だと自覚しているのだろうか。
もしそうならば、戦闘に破れたとしても時をおかずにジャンゴで復活する。
しかし、受けた傷の痛みは本物なのだ。
「助けに行ってくるぜ!!」
和馬がそう叫んで駆け出した。
「ちょっと待って!」
「和馬さん、私も参ります!」
いくら和馬さんでも、多勢に無勢、という言葉もあります。
シュラインとセレスティが叫びを上げたが、和馬はもう城砦の外へと駆け出していた。
セレスティとシュラインがその場に着くと、一足先に到着した和馬が刀を抜いていた。
二人ともモンスターに囲まれているが、まださほど大きなダメージを受けていないようだった。
開いたトランクからは納められたビリヤードのボールが顔を覗かせ、数個は宙に浮いている。
あれは思念で浮かせているのでしょうか。
ビリヤードのキューを構える女性は近くで見ると思った以上に小柄で、とてもこの世界を一人で旅する高レベルプレイヤーに見えない。
額やうなじが見える程短い黒髪は少年のようだ。
「遅いんだよっ!」
ようやく現われた仲間に和馬が声を上げた。
「あんたと一緒にしないで頂戴。忍者に追い着けるはずないでしょ!」
「全くです」
負けず言い返すシュラインが可笑しくて、セレスティは密かに微笑を浮かべた。
辛口で呆れて答えたが、もちろん二人とも和馬達を助ける為に追いかけてきたのだ。
「あなた大丈夫? ずいぶん辛そうね……戦闘のダメージばかりでないように思えるけど」
「実はおなかも減ってて」
腹部を押さえて見せ、女性は目の前のモンスターに視線を戻す。
「え?」
これは彼女なりのユーモアなのでしょうか?
今の言葉が本気か冗談か判断しかねているうちにも、シュラインにモンスターは鈎爪の付いた腕を振る。
「まずはこいつら片付けないとな!」
和馬が振るう黒狼の魂は元々の姿から形を変え、一切の光を吸収するかのように黒い刀身が禍々しく伸びている。
使い手の昂ぶった感情に呼応しているのだ。
一方シュラインは妖精の花飾りを使い、モンスターの動きを麻痺させながら牽制している。
味方の耳には美しい旋律としか聞こえない音がモンスターに届くと、一時的にだが動きが麻痺する。
その隙を突いて和馬が刀で止めを刺すコンビネーションで、現われたモンスターの半分がデータへと還っていった。
戦闘中も女性の背後に広がる石の翼は、時折石片を落としながら成長している。
それが大きさを増す度に、女性は痛みを堪えるように背を丸め、集中する間が持たないようだ。
モンスターに打撃を与えるビリヤードボールの動きにも、統一性が無く乱れている。
「私が援護しますよ。お一人で戦われる事はありません」
セレスティが白銀の錫杖を構え、女性に話しかけた。
「私はこういった戦いには向かないのですが、少しでもお手伝いをさせて下さい」
しなやかに錫杖がきらめく様は、指揮者がタクトを振る姿にも似て優雅だ。
セレスティは精神を十字架の錫杖に集め、この場にある全ての水霊――それも妖精という形を取っている――に加護を求める。
するとセレスティと女性を守るように、地面から湧き上がる水が渦巻き、透明な壁を作り出した。
「これならきみの視界を遮る事もないでしょう?」
「……ありがとう。目と耳、できれば押さえてて下さい」
す、と女性の雰囲気が変わった。
人懐こい明るさは、決意を秘めた殺戮の仮面に隠れる。
キューを持つ腕を交差させると、静かに眼前のモンスターに宣言した。
――ナインボール操霊術式。
「九番、解放」
ド……ォン!!!
宙に浮く全てのボールが帯電し、モンスターの機械化した四肢に高速で移動しながら電撃を直接叩き込む。
雷鳴は一瞬だったが、その場にいたセレスティたちの瞳からしばらく視力と聴力を奪った。
「うう〜まだ目と耳痛てぇ」
和馬が耳に指を突っ込み、不平を漏らす。
目を閉じてもなお、光がまだセレスティの目蓋の影にも残っていた。
「私たちに怪我がないのが不思議な位、ね」
ビリヤードのキューとボールは媒介のような物なのでしょうか。
いずれにしても、広範囲のモンスターに精確に電撃を当てる集中力はすごいですね。
「モンスターは……?」
視力の戻ったセレスティたちが見た物は、倒れた女性の背で雷鳴の残光を放つ石の翼と、黒焦げに身体を焼いたモンスターがデータへと粒子状に変換されていく光景だった。
「気を失ってるだけね。心音は確かだし」
シュラインが背中に触れないよう、そっと女性を抱き起こした。
一度は消えたモンスターの気配だが、いつまた現われるとも限らない。
「早くジャンゴまで戻りましょうか」
そう言って、セレスティは油断無くまわりの気配に注意を向けた。
モンスターはどんなに倒しても絶滅という事が無い。
そうプログラムで設定されているからだ。
「ああ、俺がこいつを運ぶよ」
倒れた女性に和馬が手を差し伸べる。
「そっとよ?」
シュラインが和馬に念を押し、女性の身体を担ぎ上げた。
「んん??」
肩口に当る胸の柔らかさに和馬は当惑しているようだ。
「なあ、もしかしてこいつ……女?」
和馬さん……。
一瞬の間の後、和馬は二人に再び辛口で呆れられる事になった。
「どう見ても女の子でしょうっ!」
「スレンダーとはいえ、彼女はレディですよ。失礼ですね」
「わ、わかったって!!」
シュラインの妖精の花飾りでモンスターの位置を探りながら、三人は女性を連れてジャンゴへと道を戻った。
「背中の痛みはどうですか?少しは和らぎましたか?」
「あっ、もうかなり良くなって……皆さんのお陰で助かりました」
セレスティの問いかけに、背もたれをずらして座った女性がぺこりと頭を下げる。
ジャンゴの中、機骸市場の路面に出されたテーブルに四人はついていた。
市場を訪れる客を相手に食事を出す屋台が軒を連ね、人々は各々好きな料理を買ってテーブルで味わっている。
セレスティ達もまた、食べやすく切られた果物や温かな肉料理、香ばしく焼きあがったパンなどの皿をテーブルいっぱいに並べている。
「背中のは石化……ではないのよね?」
シュラインはここに来る前に立ち寄ったメディカルセンターでの、医師とのやりとりを反芻しているようだった。
石化を解除するプログラムの投与が紫月の背中に施されたが、石の翼は何も反応を示さなかったのだ。
効果は無いかもしれないが、痛み止めのプログラムを背中に流してもらった。
それが効いたのか女性は意識を取り戻し、珍しそうに皿の料理に手を伸ばしている。
本当におなかが減っていたようですね。
結構いいペースで料理を平らげる女性を見ながら、和馬も手掴みで骨付き肉にかじりついている。
「ここに来た時にはもう背中にあって……ここ、東京じゃないですよね?」
白いティーカップの中で揺らぐ紅茶を口元に運び、女性の疑問にセレスティが答える。
「ここはアスガルド。いわゆる、ゲームの中の世界ですよ。
ここには私たちのように外界での記憶を持ったままの者と、巻き込まれてしまった普通の人間がいます。
そしてアスガルドが異界化した際に意志を持った根幹プログラムが、アスガルド四柱神です」
「ゲームの製作者が死んじまった後、異界化してるのさ。
異界化のせいで、現実世界の一般人も巻き込まれ始めてる」
セレスティの言葉を継いで和馬も口をはさんだ。
「設定されたイベントは一定の時間がたつと自動で発生するようプログラムされています。
それらを全て終えた時、ゲームはそれ以上進まなくなってエラーを起こす。
その時世界は崩壊し、ゲーム内の全てが消去されます。
取り込まれた一般人の魂も」
表情を曇らせるセレスティの隣で、シュラインが組み合わせた指から視線を上げて紫月を見る。
「アスガルドの女神たち、アリアンロッド、ネヴァン、モリガン、マッハ……彼女たちはそれぞれのやり方で、この世界自体が消えてしまうのを防ごうとしているわ。
私自身は取り込まれた人達助ける為、ココと現世の出入口って噂のアヴァロンを探してる所なんだけれどね」
女性は胸のうちで何か思う所があるらしく、黙ってセレスティたちの話を聞いていた。
「そうなんですか。
あっ、自己紹介がまだでしたね。
私、紫月美和と言います。東京で探偵事務所の調査員をしてます」
手渡された名刺からはかすかに花の香りがし、『結城探偵事務所』とあった。
「あら、結城さんの所? 何度か一緒にお仕事をさせて頂いた事があるわ」
紫月の表情がぱっと明るくなる。
「所長をご存知ですか? わ、何だか嬉しいな」
案外狭い業界よねっ、と二人は俄然打ち解けて盛り上りだした。
共通の話題を見つけた女性同士の会話スピードはマッハを超える。
女性同士が楽しく語り合っている姿を見ていると、こちらも楽しくなりますね。
セレスティはそう思いながら、おっとりと二人に言葉をかけた。
「結城氏と直接の面識はありませんが、私は八重垣津々路氏と知り合ったのが縁で、存じ上げていますよ」
IO2で出会った青年は、結城探偵事務所の人々とも懇意にしているらしいのだ。
「八重垣? 松江の? つっくんまだ小学生じゃないですかっ」
やだなー、と紫月が笑った。
「つっくん……私がお会いした津々路さんは背の高い大人の方でしたが?」
セレスティと紫月はお互いに首を傾げた。
紫月の記憶にある津々路は、IO2で知り合った彼とは別人なのだろうか?
変わった名前の方ですし、そうそう同姓同名とは思えないのですが。
「八重垣のお店は今、東京に移転してるわよ。お店番は芳人君。
津々路さんはIO2で研究員になってるわ」
シュラインや私の考える人物たちは共通している。
けれど決定的な隔たりが存在しているのも確か。
「もしかしてきみは……場所だけじゃなくて、時間の流れからもはぐれているのですか?」
そんな事がありえるのだろうか。
けれど東京の異鏡化現象以来、言葉で説明できない事件が続いている。
「お前いつから事務所に戻ってないんだ? 今、西暦何年だよ」
「199X年じゃないの?」
詰め寄る和馬に、きょとんとした顔で紫月が答え、シュラインがそれを引き取る。
「10年前だわ」
「たぶん、時間軸の異なる東京を転々としているのでしょうね」
紫月はあらかじめ予想でもしていたのか、セレスティの言葉にも特に取り乱さなかった。
もともとの紫月の性格なのか、全く気負った所が無い。
「ああ、何となくそんな感じしてたんですよね……いつだったかは着物着た人がいるから、時代村にでも入っちゃったかと思ったけど。
うーん私31歳か〜。去年成人したばっかりなのに」
時間超越の影響は、紫月の外見に影響を与えていないように見える。
そっと紫月の肩に触れたシュラインがねぎらうように言葉をかけた。
「紫月さんはこちらでの記憶もある人間ですもの、女神の誰かに頼めばゲームから出る事もできるはずよ。
女神は城にいるわ」
一呼吸置いて、紫月は納得したのかさばさばした表情で頷いた。
「……そうですか。それじゃ城に行ってみますね。
短い間でしたがお世話になリましたっ」
紫月はトランクを両手で持って立ち上がると、深々と頭を下げる。
そしてセレスティたちの別れの言葉を待たず、足早に市場の中心へ歩き出した。
「おい、待てって! 一人で行くつもりか?」
和馬が慌ててその腕を取って引きとめた。
振り向いた紫月の顔は意外にも固く、和馬を困惑させている。
「皆さんにご迷惑はかけられません。
私だってこれでも探偵ですからね。
ちゃんと所長たちのいる東京までの出口、見つけてみせます」
気丈な方だ、とセレスティは思った。
いったいいつから、紫月は結城探偵事務所の二人と絆を深めていたのだろう。
「必ず所長や鷹群クンも、私を探してくれるって信じてるんです。
だから、一人でも平気です」
何度もくじけそうな気持ちが湧き上がる度に仲間を思い、ここまで歩いてきたのだろう。
誰かの好意を受け入れる事は、決して悪くは無いはず。
一人でも地に足をつけて立てる人間なら尚更に。
彼女を支える事が私にもできないでしょうか?
セレスティが迷っている間に、和馬の手が紫月のトランクを取り上げた。
「俺もついて行く。
さっきみたいに具合悪いのにモンスターに襲われたらどうするんだよ」
傍らに立ったシュラインが和馬を見て肩をすくめ、微笑んでみせた。
「私も一緒に行かせてね。こんなのが同行者じゃ危なっかしくて。
どこまで行ったか気になって仕方ないもの」
セレスティも紫月の傍に寄り添って声をかける。
「今までくじけた事がないきみでも、時には心細くなるでしょう?
少なくとも私は和馬さんより、この世界には詳しいですよ」
「俺は説明するのが下手なんであって、ものを知らねえ訳じゃねぇっ!」
からかわれた和馬が声を上げるのを無視して、シュラインとセレスティが紫月の身体を押すように歩き出す。
「はいはいっ。それじゃ、紫月さんの装備から揃えなきゃ。
ジャケットの背中が破れてしまって可哀想だもの、ね?
そしてまずは女神に会いましょう」
「あのっ、和馬さんが」
トランクとその場に置き去りにされた和馬を、当惑気味の紫月が振り返った。
「もし女神に会えなければ、知恵の輪に向かいましょう。
帰り道への手掛かりも見つかるかもしれませんよ」
「知恵の環?」
セレスティが指差す先に、遠目でもはっきりと螺旋に天を目指す塔が見える。
「そう、ここから見えますか? あの大きな塔です。
中は吹き抜けで、螺旋階段に置かれた無数の本には、アスガルドの世界の情報がリアルタイムに刻まれていると言いますよ」
もしかしたら、たった今この世界で生まれた海の場所も密やかに書き加えられているのかもしれない。
穏やかな声でセレスティが続ける。
「道は一つではありませんよ、紫月さん。
その道を一緒に歩く人がいても、良いと思いませんか?」
頑なに他者を巻き込むまいとする姿は好感が持てます。
けれど、時には誰かと行動を共にして、違った角度から物事を捉えるのも時には良いのではないでしょうか。
「そう、まずここで何ができるか考えなきゃ。
荷物持ちもいるから、紫月さんは無理しなくても良いのよ」
シュラインに荷物持ちと呼ばれた和馬が、トランクの傍で情けなく肩を落として不平そうに叫んだ。
「お、俺を置いていくなよ! なあっ!」
隣でくす、と笑う紫月の細い肩に手を添え、セレスティはそっと歩みを進めた。
(終)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 1533 / 藍原・和馬 / 男性 / 920歳 / フリーター(何でも屋) 】
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■ ライター通信 ■
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セレスティ・カーニンガム様
戦闘では後衛の役回りですが、紫月が異界化した東京を流転する存在であると気が付いたり、知恵の輪への道を示したりとブレーン的な行動で書かせて頂きました。
どんなに戦闘が激しくても、セレスティ様は優雅に女性に手を差し伸べそうに思います。
少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
ご注文ありがとうございました!
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