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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計

 それは一見して、この店にはそぐうようにはとても思えない品物だった。
 古びた大きな壁掛け時計。アンティーク、といえないこともないのだろうが、周囲に置かれた他の品々と比べるとそれは、明らかに平凡すぎる外見で、おまけにずいぶんと和風な雰囲気を持ち合わせていた。
「気に入ったのかい?」
 いつの間に回りこんでいたのか、人の気配などなかったはずの背後から女の声が聞こえた。
「欲しいなら譲ってやってもかまわないよ。ただし条件がひとつあるけどね…」
「条件……?」
 女は壁から時計をはずすと文字盤のガラスを音も立てず開けた。
「簡単なことさ。あんたが一番よくいる部屋に、この子を置いてやってくれればいい。寂しがりやな時計だからね、主人と長く離れていると悲しくて壊れてしまうのさ」
「……………」
 女の言っていることは半ば以上理解不能だった。寂しがり屋の時計だなんて今まで見たことも聞いたこともない。
「使い方は………言うまでもないね。一日一回この真ん中の穴に螺子を差し込んで回すだけ。大事に使ってればそのうちに、時計があんたのなくした記憶を取り戻してくれるよ」
「なくした……記憶?」
「ああ。今はもう思い出されることのない、失われた大切な記憶さ…」
 そう言って女はガラスの蓋を元通りに閉めた。今度はかすかにカチンという金具の音が聞こえた。
「どうだい、買っていくかい?」



 広い庭の一角を埋め尽くす大きな藤棚の下を通り抜け、明智・武丸(あけち・たけまる)は離れを目指す。和室三部屋の平屋建ては現在、武丸と彼の従兄の青年とそのまた友人の自室となっている。
「……誰も、いーひん…よ、なぁ…?」
 土曜の午後、隣室の従兄らは古武術の鍛錬で留守にしている。それでもなお障子ごしに室内に人の気配がないかを確認し、武丸は濡れ縁に足をかける。
 その腕には大きな壁掛け時計―――不可思議な品ばかりを陳列しているアンティークショップで買った代物だ。
「……ああ、よかった。なんとか持ってこれたわ…」
 部屋の障子を閉めほっと息をつくと、武丸は時計を床に下ろした。
「不思議な時計やな………」
 そうポツリと言って、武丸は時計をじっと見つめる。
「なんや妙に懐かしい気がしてくるわ。初めて見る時計やっちゅうのになぁ…」

 店の壁にかかるそれを見た瞬間に、武丸は『これが欲しい』と感じていた。古ぼけてろくに動くかもわからない、しかも今時螺子巻き式の時計をだ。
 骨董品、という割には安いその値札はそれでも五桁のもので、高校生の武丸には気軽に買っていける物ではなく、なにより手持ち金が足りなかった。
 それでもどうしても欲しくて、欲しくて……。未練がましくいつまでもじいっと、時計を見つめる武丸に赤髪の女店主はちょっと笑って言った。
「なんなら金は後でも構わないよ。とりあえず一度持っていってみて、気に入らなきゃまた返しにくりゃいいさ…」
 投げやりなのかそれとも優しいのか、どちらとも取れる女の提案に武丸は困惑の瞳を向ける。
「…そんなこと、ほんましてもええんですか?」
 常連の客相手ならともかく、一見の、しかも制服の少年―――つまりは高校生か中学生―――を相手に、そんな簡単に売り物を渡して。このまま『借りて』いるお金も品も、返さずに逃げるとは思わないのか。
「平気だよ。あんたは信用できる」
 女は胸元から煙管を出すと、武丸の懸念を読み取ったように言った。
「あんたはちゃんと金を払いに来るさ。その時計が選んだ奴なんだから…」
「……………?」
 首を傾げる武丸に女は、「ま、いいからさ」と時計を手渡した。まるで狐につままれた気分で彼は時計を胸に抱え帰宅した。

 家の者に怪しまれないように―――なにしろ今の保護者である祖父はとても厳格な人間なので、見せれば「そんなものお前には早い」と確実に返しに行かされる事になる―――裏口からこっそり庭へと入り、武丸は時計を自室に持ち込んだ。
「ほんま、不思議な時計やわ………」
 壁に掛けて螺子を回すと秒針が、規則正しい時を刻み始める。静かで正確なその音はなぜか、武丸の心を切なくさせた。
「なんで………やろな?」
 何か思い出したというわけでなく、ただ無性に懐かしくて切なくて―――。
(恋しいって、こんな感じかな…?)
 それが『何』への想いなのかは武丸自身にもわからないけど。大切な感情が時計の音でゆっくりと呼び戻される。そんな気が、武丸にはしていた。


 子供の頃、気弱で大人しかった武丸は格好のいじめの的だった。
 祖父の教えで古武術を使うものの、生来の優しい気性がゆえに他人を傷つけるような真似はできず、何をされてもただ耐えているだけの彼を兄弟達はいつも馬鹿にしていた。
『ちょっとくらいは反撃をしろよ』
『武丸は気が弱すぎんだよなぁ』
 弟や歳の離れた従弟にまで武丸は呼び捨てで呼ばれていた。またそんな彼を武道家の祖父はことあるごとに厳しく叱責した。
『明智の血を引く者のくせにそんな軟弱な心持ちでどうする!もっと自己を鍛え上げて武道家らしい内面を育てんか!!』
 当時大阪に住んでいた彼は手習いの稽古や正月などに祖父と会うことが一番の恐怖で、自然東京の『本家』に行くことも嫌厭すべきことの一つだった。
『武丸、週末は本家に行くぞ』
 そう父が切り出すたび武丸は、いつも憂鬱な気持ちになって、週末なんて来なければいいのにと、ひっそり心の隅で思うのだった。

「…んっ………ぅ…んん……」
 気だるげに大きくひとつ伸びをして、武丸はゆっくりと身を起こした。
 壁に掛けた時計は昼前を差し、彼がすっかり寝過ごしたことを教える。
「うわっ、昼まで眠ってもうたんか?」
 いくら今日が祝日だからといって、さすがにこれは寝坊しすぎであった。昨夜遅くまで勉強していたと、言い訳してもなお遅すぎる時間だ。
「あかん、また雷落とされてまう…」
 不機嫌そうに自分を見る強面の祖父の顔を思い浮かべて武丸は、重くて深いため息をついた。
「………しゃあないわな」
 今更早く起き直す事はできない。かなり嫌々ではあるが武丸は、着替えて母屋まで行くことにした。
(この時間ならちょうどメシ時で、祖父様も居間の方に行ってるやろ…)
 そう思いながら箪笥の洋服を取り出そうと振り返った武丸は、部屋の様子がいつもと違っていることに気が付いた。
(箪笥が…ない……)
 ついでに棚と机もなくなっている。よくみれば布団も敷かれておらず、武丸は畳敷きの床の上に直接横になっていたようだった。
「なんで………?」
 首を捻る武丸に障子の向こうから声がかけられる。
「…誰かいるのかい?」
 少し低い老女の優しい声。その声に武丸はドキリとして、閉ざされた障子をじっと見つめた。
 スッと静かに障子戸が開き、着物姿の老女が現れる。灰銀の白髪頭を纏め上げ柘植の櫛で留めたその女性は、いまや武丸の記憶の中にしか存在しないはずの人だった。
「…ばあ………ちゃん……」
 驚きに固まる武丸の身を、祖母の視線は通り過ぎてゆく。どうやら彼女には彼の姿が、まったく見えていないようだった。
「おかしいねえ。気配がしたんだけど…」
 祖母が障子を閉めようとした時、後ろから誰かが着物の袖を引く。手を止めた祖母の身体越しに高い、少年の声が耳に飛び込んできた。
「ばあちゃん、なんぞ部屋の中におるの?」
 少し怯えを含んだその口調は、とても懐かしく聞き慣れたもので。
 祖母の脇に隠れたままでこちらをじっとうかがう少年が誰か、武丸はすでに知っている気がした。
「大丈夫、武丸も見てごらん」
 優しく語り掛ける祖母の着物を力一杯握り締めたまま、少年は恐る恐る顔を出し、部屋の中をゆっくりと見回した。
(ああ、やっぱり…)
 それはまだ十歳にもなる前の、幼い頃の武丸自身だった。泣き虫で臆病だった武丸は昔、よく祖母の後ろをついて歩いていた。
「ね、どこにもなんにもいないだろう?」
「…うん。だあれもいーひんみたいや」
 ほっとしたように微笑むと『武丸』は、握り締めた着物から手を離した。
「この離れは以前お弟子さんたちが、住み込みで稽古してた時のものでね。今は誰もいなくて静かだけれど、昔は三・四人の弟子が一部屋に一緒に寝泊りをしていたんだよ」
「ふうん…」
 相槌を打つ『武丸』の表情は、心なしかまた少し曇り始め、数秒の沈黙の後不安げに短い疑問を祖母に投げかけた。
「ねえ、ばあちゃん。そのお弟子さん達もやっぱり強かった?」
「……そうねえ。よくは分からないけど、それなりには強かったんじゃないかしら…」
「そっかあ………」
 しゅんとうなだれる『武丸』に、祖母が「どうしたの?」と尋ねかける。
「………おじいさまが僕は『出来損ない』だって。『明智の血を引く者だけじゃなくて、弟子の中にもこんな弱虫は一人として存在しなかったぞ』って…」
「ああ、それで悲しそうにしてたのかい?」
 こくんと頷く『武丸』の頭を、祖母は優しく撫でてこう言った。
「武丸、人には優しさと強さ、両方が最初から備わっているんだよ。優しさは人を思いやる心。強さは人を守る為の力。……確かにお前は自分を守る為に力を使えない人間だけれども、それはお前が誰よりも優しい心を持っている証拠なんだよ」
 優しい祖母の言葉は『現在』の武丸の心にも響いていた。
「それにね、痛みを知らないものには決して分からない強さだってある。人を傷付けたり苦しめる事の痛みを知っている人には特別な、『本当の強さ』が身につくものなんだ。………だからね武丸、お前は今のまま、そのままでいいんだよ…」
「「………ばあちゃん…」」
 二人の武丸が同時に祖母を呼び、『武丸』が祖母の身体を抱きしめる。
 泣きながらしがみつく『武丸』の背を、祖母は小さな手で何回も撫でた。
「いい子だね……武丸はいい子だよ…」
 繰り返しささやかれるその声に、武丸は唇をかみ締めた。
「ばあちゃん…」
 胸の奥からこみ上げてくる涙を、彼は必死にこらえようとする。
(泣いたらあかん。俺はもうあの頃の泣き虫な子供じゃあないんやから……)
 そう自分に言い聞かせながら彼は、じっと二人の姿を見つめていた。



「…ぁ………っ!!」
 ふと気が付いたとき、武丸は自室で立ちつくしていた。閉ざされた障子戸の向こうからは、雀達のさえずる声が聞こえる。
「………なに?……今のは…」
(幻…?)
 思い返すこともなくなった幼い頃祖母と過ごしていた時間。あの頃の自分にとって唯一の、そして絶対の理解者だった人。
『お前は今のまま、そのままでいいんだよ…』
 いつもそう武丸をあやしていた『本家』での彼の心の拠り所。
 でももうその人はどこにもいない。数年前亡くなったその人を、武丸はいつしか忘れかけていた。
(いや、忘れてたっちゅうのとも違うけど…)
 思い出すことも辛かったはずのその記憶は不思議ととても優しく、ほんの少しの切なさと懐かしさを武丸の心の中に残した。
「今のまま、そのままでいいんだよ………か」
 祖母の言葉を反芻し武丸は、机から折り紙をひとつ取った。
 それを指で器用に折り広げると、手の中に小さな鶴が生まれる。淡い赤の手の平大の折鶴に武丸は静かに命を注ぐ。
 ふわり、と音もなく鶴が宙に浮かび上がり武丸の周囲を舞う。ゆらゆらと揺れる鶴に武丸は亡くなった祖母の面影を重ねる。
(ばあちゃん…俺、強くなったかな?)
 祖母が亡くなった後に覚醒したこの力こそが彼が『本当の強さ』を持つ証なのか。それとも『本当の強さ』があればこそ、この力の制御がなしえるのか。
 今の彼にはまだわからないけれど―――。
(でもきっと、ずっと変わらないよ…)
 祖母が認めてくれた『優しさ』を、自分は決して失わないからと、武丸は心の中に誓った。
(だからばあちゃん、ずっと……見ていてね…)
 時計の針が静かに重なり合い、低い鐘が正午を知らせる音を部屋中に響かせ鳴り出していた。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

★5438/明智・武丸(あけち・たけまる)/男・17歳/高校生


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■         ライター通信          ■
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初めまして、新人ライターの香取まゆです。この度はご参加ありがとうございました。
また納品をお待たせしてしまい、真に申し訳ありませんでした。
気弱な似非関西弁キャラクター、微妙な言い回しが難しいですね。とはいえ私の関西弁自体かなりの似非臭い代物なので、ちょうど良かった気もしていますけど・・・。まともに関西弁なキャラとかはすっごく悩んでしまいそうですし(^_^A
今回同じ家の祖父と祖母が、それぞれ『おじいさま』と『ばあちゃん』という不可思議な呼び方をされていたりするのですが、その辺は私のイメージによるものです(祖父=武道家なので厳しい。よって呼び名は『おじいさま』だろう。祖母=優しくて身近。よって呼び名は『ばあちゃん』に違いない)。あとリトル武丸の一人称も、勝手に変更させていただきました。どちらも誤字ではないですがもしも違和感を感じたらリテイクをどうぞ。
今回時計の代金を蓮から借りたまま時計を使ってるので、後日バイト代かおこずかいから頑張って返済をお願いします。いや別に買っても良かったんですが、なんかちょっと変わったことしたくって・・・。
少しでもこのお話が気に入っていただければ幸いです。