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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇の何処かに宿りて


 暗い、闇の中。墨汁の中のようだ。真っ黒で何も見えず、何かを見ようとしても無意味だと思い知らされる。
 しん、と静まり返っている。空気の震える音でさえ聞こえず、また俺という存在がいるという音すら聞こえない。
 俺が、本当に此処にいるかどうかすら怪しく思えるから、不思議だ。
(此処は、何処なんだろう)
 俺は何度目かになる質問を、繰り返した。
(暗い闇の中、何も聞こえない状況。……何処だ?)
 答えは、何度問いを繰り返しても出てくることは無い。答えを出す事が困難な状況にあるのだ。
 全くもって、ヒントが無い。
 此処が何処で、どういう場所なのかさっぱり分からないというのに、その答えに繋がるようなヒントは一つとして存在しないのだ。
 此処がどういう場所なのか、と逆に問われてもきっと俺は答えられないだろう。説明しようにも、ただ二つの言葉しか出てこないのだから。
 暗闇と静寂。
 ほんの僅かな情報ですら得られない、この二つの言葉が俺を幾度となく苛める。
(此処は……何処なんだろう?)
 答えが出てくることの無い問いを、俺は再び繰り返した。


 この、どう説明してよいのか分からない場所……墨汁の中のような状況に置かれたきっかけのようなものが、確かにあったはずだ。
(あの、声)
 俺はぼんやりと思い返す。俺がこの状況に置かれる前に、何度も何度も俺に囁きかける声があったのだ。特に変わったことといえば、それくらいしか思いつかない。
(何と言っていたっけ……)
 俺は声の発していた言葉を、記憶の糸から手繰る。
 その声を思い出そうとしていると、空のイメージが俺の中に飛び込んできた。
(そうだ……空を見ていて……聞こえてきて)
 空のイメージといえば、場所は限られてくる。窓のようなガラス越しではなかった筈なので、屋外だ。屋外と一口に言っても沢山ある。道路、庭、山、海……。
(屋上)
 俺の思考は、そこでぴったりと止まった。ジグゾーパズルのピースがぴったりと当てはまったように、俺のイメージに符合したのである。
(そう、屋上だ)
 そこで俺は声を聞いていた。何度も、繰り返し。俺が屋上に行けば、声が聞こえる。だんだん、俺が屋上に行く事すら声に導かれているのではないかと思うほどに。
(……まさか、な)
 それは無い筈だ、と俺は否定する。屋上に上っていたのは自分の意志だったし、自分自身が屋上を好ましい場所として思っていたからだ。
 例え、不可解な声が囁きかけてくるとしても。
(……俺は、何故屋上に上っていたんだろうか?)
 そこで突然疑問が浮かんだ。そのような不可解な声が聞こえてくるというのに、どうして俺は屋上に上りつづけたのだろうか?あの声を聞く事を特に楽しみにしている訳でもなかった筈なのに。
(それでも、俺は上りつづけていた)
 俺は不意に頭が痛くなった気がして、目を閉じた。この場所では目を閉じようが閉じていまいが、暗闇なのだから全く関係なかったのだが。それでも俺は目を閉じた。目を閉じるという行為自体が無意味だとしても、俺にとっては何か意味のある行動のように思えたからである。
『……終ワラセテシマエ』
 俺ははっとして目を開けた。あの、何度も聞こえてきた、囁きが聞こえたような気がしたのだ。
 だが、それは俺が頭の中で思い返した言葉であったことに俺は漸く気づいた。思い返していて、このような状況なのだから、きっと聞こえたように思えたのだろう。
『早ク終ワラセテシマエ』
(そうだ……)
 俺は思い出す。はっきりと、あの声の囁いていた言葉を。あの声は、何度も俺に繰り返し囁いた。
『早ク終ワラセテシマエ。全テ終ワラセテシマエバ、世界ハ少シデモ良クナル』
 確かに、声はこう囁きつづけていた。間違いない。何度も聞いた言葉のだから、間違えようも無い筈だ。
(一体何を、終わらせろと……?)
 改めて思い返すと、疑問が浮かび上がってきて仕方が無かった。何を終わらせ、何の全てを終わらせるというのだろうか?そして、そうする事によってどうして世界がよくなるのだろうか?疑問は尽きない。
 その言葉を聞いた当初は、このような疑問すら思い浮かばなかったというのに。俺は少しだけ自嘲する。
(まるで、洗脳するみたいな……)
 俺はそう考え、はっとする。洗脳、という言葉が突如として現れた意味が、言葉を出した俺自身ですら分からなかったからだ。
 あの言葉が、俺を洗脳していたというのだろうか?俺をあの考えにさせようと、洗脳されていたのだと感じていたのだろうか?
 それなのに……どうして俺は抗う事なく、屋上に行き続けたのだろうか?
 背中が、ぞくりとした。
 俺であり、俺でない誰かの声が屋上に行くたびにあの言葉を囁いていた。そう……洗脳するかのように。
 それは俺自身がそう感じていた事であり、だがしかし具体的な説明をするのは困難な事でもあった。この俺の考えを、どう説明したら良いのか分からない。直感的にそう思っただけなのかもしれないし、じわじわと心の奥底に思い描いていた事が形となったのかもしれない。どうなのか、と問われても困るのだ。
 俺自身、はっきりと分かってはいないのだから。


 どのくらい、時が経ったのだろうか。
 相変わらず暗く、相変わらず静寂を守り続けている。もうこの場所から逃れられないような、抗う事すら許されないような、そんな気分にさせられる。
(……俺は、どうなるんだろうか?)
 出口の見えぬ道にぽつりと置かれてしまったような心境になってきて、俺はふと思った。ずっとこのまま、暗闇の中に居続けねばならないのだろうか。こうして、墨汁の海に潜り続けなければならないのだろうか。
(……なんだ?)
 ふと、俺は気付く。このような暗闇の中にも関わらず、誰かの気配がしたからだ。誰かが、俺の傍に来ようとしている。俺ではない、別の誰かが。懐かしいような気を纏った、誰かが。
 俺は救いかと思った。この狂わんばかりに居させられる暗闇から、救い出してくれるのではないかと。
 だが、それは全く違うものではないかと俺は気付き始めた。近付いてきているその人物は、あの言葉を呟いていたのだ。
『……早ク終ワラセテシマエ』
(何を)
 俺の問いに、答えは無い。
『全テ終ワラセテシマエバ』
(どういう意味だ)
 俺の疑問に、返事は無い。
『世界ハ少シデモ良クナル』
(どういう風に……?)
 俺の問いかけに、返答があるわけも無い。
 俺の目は、だんだん慣れてきた。あの言葉を繰り返し呟きながら近付いてくるその人物の輪郭が、ぼんやりと見え始めた。
 それは男だった。どこかで見たことのあるような、男。
 男は近付いてくる。真っ直ぐに、俺へと向かって。俺はただじっと、男が俺の傍に到着するのを待っていた。何も言葉を発することもせず、ただただじっとして。
(……何?)
 そこにいたのは、俺自身だった。間違えようも無い、俺自身。
 俺は体を硬くする。あまりの驚きに、硬直してしまったのだ。それでも、目は俺自身を凝視していた。目を逸らす事も出来ず、じっと俺自身を見つめ続けた。
 目の前の俺は、そっと俺の耳元に口を寄せた。良く知った声……俺自身の声で、耳元で囁かれる。
「……俺は、お前の影だ」
(何を……?)
「いずれお前を乗っ取り、表に出るがな」
 俺ははっとして、目の前の俺を見た。再び、口を俺の耳に寄せる。
「俺は……」
 ガシャン。
 もしも音がすれば、そのような音がしたと思う。
 ガシャンガシャン。
 小石を投げ入れれば、簡単に砕け散っていく硝子のように。
 俺の姿をした、俺ではない名を名乗ったその男は、高笑いを始めていた。さも楽しそうに、さも嬉しそうに、さも愉快そうに。
 そんな状況の中、俺の心は崩れ落ちていく。
 ガシャン、ガシャン、ガシャン……。
 硝子が砕けるかの如く、脆く、簡単に、俺の心は壊れていったのだった。

<それは鐘にも似た音で・了>