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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雲間に光、射し

 金色の髪は見事に濡れ、花に触れた指先は凍てつくように冷たい。だが青年はその緑色の瞳を一本の赤い薔薇からはなさず花弁に滑らせるようにして触れていく。
 もう少し、屋敷の使用人達がこの雨で屋敷に引いた今、青年は唯一人庭園の薔薇の中をひたすらに手入れし続ける。上を見やれば主の部屋か、今日は具合が良くないと休養をとってはいるが、
「しっかりお休みくださいね、セレスティ様」
 いつも身体を酷使しすぎる主に聞こえるわけでもなかったが、そうごちてまた花弁や刺にまで目を凝らしその様子を窺って行った。


■ 天蓋の風景


 淡い雲が昨日から空に居座っている。それが今日になってか、酷く重い色になり爽やかな雨と共に窓硝子を叩く。
(今日はもう庭は見物できなさそうですね…)
 今朝方大降りになった雨は外で仕事をする使用人達には少々辛く、切り上げられるところで屋敷へ上がれと言葉をかけてからセレスティ・カーニンガムは自室で寛いでいた。

 いや、寛ぐというより床に伏せる。が正しいだろうか、天が泣くようにして降る雨は嫌いではない、が、本日はたまたま運が悪かったのであろう、使用人に言葉をかけ最近仕事や趣味で歩き回っていたせいか酷く重くなった身体を寝台に横たえ外を見る事となる。
(随分とややこしい身体です。 もう少し軽くなれば行動範囲も広がるでしょうに)
 身体はあまり言う事を聞いてくれないとはいえ精神までどうにかなっているわけでもなく、セレスティは寝台の天蓋を見つめてため息をついた。
 決して悪い物ではないその寝台についている天蓋は自らがこうして退屈しないように、と有名な彫刻家に彫らせた逸品だ、木目、そして金箔に変わるその模様一つ目にし、追っていっても飽きないような、まるで美術品の迷宮のようにそれはセレスティの感覚に触れ、そしていつも何かを思い起こさせる。

 嵐のように回る模様、春の風のように優雅な模様、そして秋の葉の様に切なく消えていく模様。
「最近は美術品の手入れもまともにしてあげられませんでしたね」
 そういえば、と思いだったように口にして思う。
 消え行く模様はまるで生命でもあり、そしてセレスティの好む美術品が年月と共に劣化していく様にも似てい、生きているという時が酷く長いと時折忘れそうになってしまう事柄の一つでもある。
 とはいえ、なるべく時間の許す限りは鑑賞し、その美しさを保っていたいと思うのだが。

(テディベア達に少々気をとられ過ぎていましたか)
 端整な顔を柔らかく緩ませ微笑む。
 どうも近頃凝っているテディベア集めはセレスティの最大の楽しみになっていたせいか、行く先々の国やそれに関係のある物を見つけると眺めては引取り、そして屋敷ではもう何番目となったか知れぬ展示部屋に展示してあるのだ。
 勿論、その展示品を愛してやまないセレスティの部屋もまた同じ様なもので、絵画から稀覯本、そして矢張りテディベアが列をなしているような物で、今この自室に入ればもれなくテディの集団の洗礼に出会うことが出来るだろう。
 とにかく、それ程までに気に入り、集めた品々なのだ。

「気分転換に展示室に行くのも良いですね」
 ぽつり、と呟いて自分の手を見る。
 細く白いそれは重たく、歩き回るにはあまり良く無さそうにも見えるがここは屋敷内。車椅子もあればもしもの時には使用人も部下も居て、何かあっても対応できる程度にはなっている筈だ。
(ああ、でもあまり心配をかけてはいけませんよね)
 とどのつまり、使用人達には見つからないように屋敷内を歩くという事で、雨のせいで各々の部屋や持ち場を移動した者達、そしてこの屋敷の構造全てを知り尽くしているセレスティには容易な事である。

 寛ぎやすい形に仕立てた淡い水色の服は中世の西洋服のように手首から下に大きく柔らかな生地で波が出来ていて、寝台を降りる時シーツに擦れては甘い音色で耳を楽しませ、すぐ側に控えてある車椅子に身体をおさめてしまえばそれ程身体の重さは感じられなくなった。

(杖と車椅子では負担が違いますからね、動ける時に動けるもので時を満喫したいものです)
 満足げに微笑んで寝台に横たわる事で随分と乱れてしまった髪を緩く梳かし下の方で邪魔にならぬよう縛る。
 いつもは梳いた後そのまま、という事が多いが趣味の品とはいえ鑑賞している時に降りてきた髪をかきあげる動作ばかりして体力を消耗する、などという真似もしたくはない。違和感を感じない程度に纏め、手と車椅子の車輪が一体化したような気分になりながら静かに自室を後にする。

 なんてことは無い、セレスティの自室は一般人からすれば無駄に広く、近くに使用人の部屋があるわけでもないのでここをどう行き来しようが誰に気付かれる事も無い。何かがあれば車椅子に付属している携帯機器で連絡を取れば良いだけなのだが。
「―――セレスティ様、どちらにおいでで?」
 ふと、後ろからかかった声にセレスティは見つかってしまいましたか、と子供のように笑って振り返った。

「あまり人を驚かせるように声をかけるものではありませんよ、―――モーリス」
 そんなに濡れて。と付け足したセレスティは目の前に立っているモーリス・ラジアルに微笑みかける。
 セレスティと並んで酷く端整な顔立ちのモーリスではあるが、雨にやられたのか少しだけ長い金髪は水の露を滴らせており、多分今しがた着替えてきたのであろう、まだあまり濡れていないスーツに時折雫の跡をつけていて、呆れたように雇い主に向ける顔をハンカチで拭う。

「それにしても随分と濡れましたね。 使用人には雨が降った時点で屋敷に戻れとお話した筈ですが…」
 おや、と傾げた首と相変わらずの悪戯口調は直らないが、言葉を発しながらも展示室に向かう車椅子を止めないのは流石という所か。
「薔薇園の一つが少々害虫にやられていましたからね、治すのに多少手間がかかりました」
 セレスティの庭園、いや、リンスター財閥の所有する全ての庭園を任されているモーリスは全ての『モノ』をあるべき姿へと戻す力で普段はセレスティの居る屋敷に居る事が多いが如何せん、財閥の庭園というものは広く、特に花の咲き誇る時期には一時も惜しいというような働き方をしていた。

「それよりもセレスティ様。 本日は明け方からあまり体調が宜しくないと仰っていた筈では?」
 上手くはぐらかしたと思ったのだが。
「少し良くなったので」
 セレスティは苦笑しながら展示室の扉を開ける、同時にモーリスは矢張り主人に対して身を案じてか、出会った場所からそのままセレスティの車椅子を押し、ついてきている状態である。
 髪から滴る水もようやく落ち着いてくれたのか、もうハンカチで拭くような動作はしなかったが口ではこうして言うもののセレスティの行動はどうやら理解しているらしい。
「了解しました。 私がついてまわれば済む事です。 ごゆっくり展示室のご鑑賞をお楽しみ下さい」
 そっけなく言葉にしてはいるが、雨にやられまだ水の滴る所を、明け方気分が良くないと部屋に行ったセレスティの様子でも見に来ていたのだろう、そのまま展示室へ同行という形にはなったが身を案じている事には変わりない。

「ありがとう」
「いいえ、セレスティ様がこれ以上お身体を酷使しない為の私なりの打開策です」
 だからもしこれ以上無理をしたらすぐに部屋へ運ぶ。という暗黙の言葉ではあったが、それだけ心配されているという事でもあり、
「それでも、ありがとう」
 素直に受け入れない部下に再度礼を行って開け放たれた展示室へのドアをくぐる。
 モーリスとの関係も既に年月を数えられない程になっているが、こうして互いを理解し動けるという事だけは変わらない。
 ついでに、セレスティの好奇心にモーリスが振り回されるという図式もあまり変わってはいないのだが。


■ 生まれ崩れ行く時


「それにしても随分集まりましたね」
 ふと見た先にはテディベア、そしてまた首を回せばテディベア。自分の意識していないうちにこれ程テディベアが集まったのは矢張りひとえにセレスティの情熱だろうか、思ってもみない可愛らしい熊の行列に思わず笑みが零れる。
「ここ以外の展示室にもまだ保管されていた筈ですが、ご覧になりますか?」
 数多くある屋敷の中にまでまだ数えられない程展示室がある。そんな事を把握しているのはセレスティと一部の部下だけであろう。
 モーリスもそんな部下の一人であり、セレスティの車椅子をゆっくり鑑賞できるように押しながら何気なく言葉をかけた。

「いえ、今日は…ああ、あそこです。 あれを見に来たのですよ」
 テディベアという熊の列に見事に隠れてしまっているがセレスティの指が指し示した所にはアンティークドールが所狭しとガラスケースの中に飾られている。
「人形、ですか。 どうしてまた?」
 もうここの展示室も次の部屋に物をうつした方が良いだろう、折角の良い品もこう埋もれていくつかが見えなくなってしまっているのは流石に惜しい。
「ええ、暫く手にとって見ていないので、それではお人形が可哀想でしょう?」
 微笑みながらケースに手をかけ中の人形を抱く。
 元々誰かの手に触れられ、そして愛される事を目的として作られたそれらは矢張り持ち主に触れられている時が一番輝く。

 勿論、人形というジャンルでも美術的品で触れる事を目的としていない物もあるがセレスティはどちらかというと人に触れられたいという気持ちのこもった作を好みこうして触れて、撫で、そしてまた元の場所に休ませる事が多く、大切にしているせいかいくら触れてもその形は崩れる事無く美しく保たれていた。

 セレスティの抱く人形を見たモーリスは暫しその人形の澄んだような美しさを見、苦笑する。
 その意図はわからないがおそらくはこの屋敷の主に合うものだと、らしくない考えを思ってなのか、そうして眺めた後、他の人形にも目をやり、
「ですが随分劣化の激しい物もありますね」
 視線の先に座っているビスクドール。かなり古いものだろう、金色の髪は焦げ茶になり白いはずの肌すらも茶に近く、着ている物すらも少し痛んでいるのかレース網にされた白い布が所々ほつれているその様を見て、眉を顰める。
「それは…、そうですね。 頂いてから結構経ちますし元々少し痛みがありましたから」
 美しい人形を抱いたまま、セレスティはモーリスの隣に行き劣化した人形を見る。
 きっと製造され、世に出た時はこの世にある事すら珍しいような、大きな蒼の瞳に金の巻き毛を天使のように風になびかせていたのだろう。
 だが今はその髪もあまりなびかない程からまり、着ている服すらセレスティの細い指を通してしまう程汚く、穴まで開いてしまっているのだ。

「セレスティ様?」
 モーリスが劣化した人形を抱きしめ、その状態を寂しげに見つめているセレスティを見る。
 自分達にとって時間は殆ど意味を成さず、モーリスに至っては自分というモノの姿形を決める為に流れる時としてしか時間を認識する事はなかった。
「いえ、少し勿体無いと思いまして」
「…確かに、美しいという事はそうそう、永久に保たれるわけではありませんから」
 そう、人ではない者ならばもしかすると永遠の美を保ち続ける事も不可能ではないが実際、この人形は劣化していて見ている者が居る今この時を思えば勿体無い。
 だが、人の作った物や普通の人間、そして矢張り生きる者の殆ど全ては矢張り衰えそしていつか無くなってしまうのだ。

「あの、モーリス。 このアンティークドールですが貴方の能力で直してあげられませんか?」

 何かを考えるようにして美しい人形と劣化した人形を抱きしめていたセレスティは何を思ったのかモーリスに劣化した人形を渡す。
「いいのですか? もし直してしまえば美術品的価値は衰えてしまいますよ?」
 今まで大切にしてきた品は殆ど美品、だが今モーリスに手渡された人形は元々セレスティの物ではなく買い付けや人との親交によりもらった品であり元から美しいとは言えない状態であった。
 だからと言って直してしまえば昔にあった、という痕跡が消え、最後には最近出来た美しい人形になるだろう。
 尤も作られた時のままのように綺麗な状態に直せる自信はあったが、逆に綺麗に変わりすぎ昔の物と認めてくれる人間は多分居なくなるであろうから。
 自信過剰と言われてもセレスティの大切な品に手を施して後悔されないか、とどのつまりそれが心配なのだ。
「良いのですよ。 こうして劣化している状態より綺麗にしてあげたほうが人形としても嬉しいでしょう? それに、モーリスは劣化したままの方がお好きですか?」
 迷う事無くそう言ったセレスティは劣化した人形を撫で、車椅子に沈むようにしてから微笑む。
「セレスティ様がそう仰るのなら」
 意地の悪い問いに苦笑しながらモーリスは人形を見る。お好き、とは一体どういう意味なのか深読みしたいところだが、確かに、人も人形も美しくいた方が気分がいい。
 それがたとえ人のそれであり、容姿にそぐわなくとも中身が美しければ必然的に美しく見えるというものだ。この人形に至ってはその主人に愛される事が美なのであろう、ならばその気持ちを受け直すのも一興か。

「では、お望み通りに…」
 モーリスは微笑し、人形に手を触れる。
 普通の人間が見ればそれこそ何かの手品か魔法の類だと思ってしまいそうな光景、ゆっくりと触れていく指先からどんどん時代を遡って人形に使われている素材だけ過去へ行き、最初に作成した人間に細部隅々直してきてもらったかのように、淡い光と共に元の、天使のような姿に戻っていく。
「いつ見ても素敵ですね」
「人形が、ですか。 それともこの能力が?」
 いつも振り回されているのだから少しくらい、という風に言ってみれば、どうやら主人の方が上手だったらしい。
「ええ、どちらも」
 食えない言葉を口にして満足げにモーリスから人形を受けとるセレスティ。
「敵いませんね」
「何がです?」
 いいえ、とモーリスは額に手を当てながら笑う。上手を取られたというのにこんなに気分の良い人間はセレスティ以外には居ないであろう。そんな所がモーリスのしてやられた所なのだ。

「モーリス。 このアンティークドール、私達の寿命には到底おいつけない物かもしれませんが…」
 元々綺麗だった人形、そして今しがたモーリスが直した人形を膝の上で並べ、セレスティは考えるように言う。
「出来る限り直して、愛でていければ良いですね」
 長く生きる自分達に比べて短い生である『物』その寿命を曲げてしまうのは悲しいかもしれないが、出来れば愛した美術品と共にまだ生きていたい。そんな願いをこめてセレスティは2体の人形を抱きしめる。
「そう…ですね」
 どちらかと言えば自分と、そして主と気に入った者だけがと思うモーリスも、結局の所セレスティが良ければ何故か良いわけで。

「さて、では早速モーリスの手入れが行き届いた庭園を見に行きましょうか」
「セレスティ様…」
 かなわない、そう思っていた矢先にこう言われてしまえば頭を抱えるしかない。
「具合は宜しいのですか?」
 一応問うてみるがこう言ったところで返ってくる言葉は必ず大丈夫です、の一言なのだ。こう聞くだけでもただの社交辞令のようなものといったところだろうか。
「失礼します…」
 大丈夫ですから、と想像通りかえってきた言葉に軽い頭痛を覚えながら車椅子の車輪に置いてある細い腕を取り健康状態を確かめる。
 確かに、今朝方よりは良いのか、少し血行も良くなり暖かくなっているようだ。

「私が付いて行く、という条件でならお連れ致します」
 これだけは譲れない。折角の打開策を使わなければ結局この主は自分の好奇心に突き動かされすぐに何処かに行ってしまいそうなのだから。
「ええ、モーリスも一緒に行きましょうか」
 車椅子を押されながら呑気に言うセレスティはどうやら庭園に行って数名の部下とお茶会でもしたい気分らしい。備え付けの携帯機器で嬉しそうに話した後、ご機嫌だけはすこぶる良くなったようだ。

 きっと、人魚であるセレスティの本性が雨の止む音を聞きつけたのだろう、自分達はまだ外には出ていないし、出たとしても晴れてはいないであろうが、きっと雲間から光が射しているに違いない。

「生きる花を何百年も留めておくわけにはいきませんから、一時の美術館にでも洒落こみましょう」
 セレスティは誰にともなく言い、口元を緩める。
 いつも庭園を管理しているモーリスは流石に冬まで庭園の手入れをしているわけではなく、枯れる時にはそれを見届け、害虫に汚された時だけその形、生態を治す。

 これは長い年月を生きる者の運命にも似た生態系だろう。
 命ある他の生き物の手助けは出来るがその寿命にまでは干渉してはいけない。ならばせめて愛する物と出来るだけ側にいようと思うのは果たして間違いなのだろうか。

 ―――それは、誰にもわからない。