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<東京怪談ノベル(シングル)>


untimely

 懐かしい友と顔を合わせれば、人は往時の気持ちに戻るのが常、槻島綾もその例に洩れなかった。
 場所は友人の実家、嘗ての学舎から様子も雰囲気も遠く隔て、実際にその時間軸に戻れる筈もなく思い出話に終始するのが関の山なのだが、共通の記憶は不思議なもので、最後に会った一昨年の冬から逆行して徐々、懐旧は濃く溢れ出し、綾と友人との間の空気を学生時分と同じ心持ちで満たして行く。
 庭に面した縁側、足を空に投げ出すようにして伸ばし、互い酒とつまみを傍らに思い出話に花が咲く。
「……そういえば、酔った勢いで学長室に襲撃をかけた事もあったなぁ」
「ありましたねぇ……」
冷酒の杯を重ねながらしみじみと思い出す……アレは秋、学祭の準備の合間前祝いと称して複数人と飲んでいた折、そういえば今日ハロウィンじゃん、と言い出した誰かの案に、酔いの勢いにまかせ、ゴミ袋やペンキでありあわせの仮装をして学長室を強襲した、の、だが。
 何かと矢面に立ちがちな最高権力者もさるもので、季節外れながら必ず企画されるお化け屋敷、そのメンバーが常駐するに返り討ちに遭ったというオチがついた。
 また別の話では。頭数合わせにコンパに強制参加させられたのはいいが、アルバイト的にとはいえ文壇の末席に名を連ねる綾に女性の注目が集まり、それを面白く思わなかった男性陣が咄嗟の目論見に綾を酔い潰そうとしたのだが、それより先に会費以上の勢いで酒を開けるもう友人に適わなかったという。
「……えぇと。それは僕に初耳なのですが」
額に指をあて、遠い記憶を掘り起こそうとする綾に友人はしれっと答えた。
「何、いい口実だと思ったから黙っていただけだ」
己の利を迷わない彼の気質に綾は苦笑し(それと同時に宴席を白けさせまいという隠れた気遣いにも感心し)、相変わらずの酒豪っぷりを示す発泡酒の空き缶をしげしげと眺める。
「奥さんは大変そうだね」
「そうでもない。量だけで銘柄には拘らんからな……だが今日は日本酒に手をつけるなと言いつけられている」
そう思えば、確かに冷酒を口に運ぶのは綾のみ。
 好みで呑んでいるのかと思いきや、よもや経済的な理由に裏付けられていたとは露にも思わず、申し訳ないような心持ちを口にしようとした途端に「お前は客だ」と機先を制されて黙るしかない。
「……実は昨夜の内に自分の分を呑みきって叱られた」
言われて見れば心持ち、しょんぼりと落としているようにも見える撫で肩と、子供のような理由と言い訳とに笑う。
「いい奥さんだね」
「本人の前で言ってやってくれ」
即答する友人に、君もいい旦那さんだ、と胸中にのみつけ加えて、地元の名産だという日本酒を口に運ぶ。
 米所で有名な土地は総じて水が良い。その土地で醸された酒ならばなる程美味も道理かと、堪能しながら綾は陽の傾きに夕暮れを帯び始めた庭の……最も裏山との境が見当たらず、こんもりと高い緑を見上げた。
「時に」
不意に友人が声の調子を変える。
「俺がお前が来るのを知っていたのを、不思議とは思わんか?」
言われて改めて。
 友人宅に行き着くまでに遭遇した不思議に気を取られ、連絡をせず……驚かせてやろうと思っての訪れであったのを思い出す。
「そう言えば」
本当に、今更ながら。待ちかまえていた友を漸く不思議に感じる。
「……どうしてですか?」
心底からの疑問に問えば、友人は横顔だけで笑んで顎で庭を示して見せた。
「見えるか? 彼処だ」
示す先に視線を向けるが、如何せん、何を見ろというのかが解らずに濃い影を落とす緑に目を懲らすばかりである。
「……俺が初めて読んだお前の文章を覚えてるか?」
目を眇め、示す何かを見てとろうとしていた綾は、唐突な話題だがそれがヒントと悟って首を捻った。
「初めて、ですか」
となれば自然、彼との出会い、学生時代に遡る。

 当然の事ながら綾は文系、そして友人は理系の学部に所属しており、大学を同じくすれども共通のサークル活動に参加でもしていない限り、知り合う機会は皆無であると言って良い間柄だった。
 そんな中で、近付いてきたのは彼の方である。
『槻島綾は居るか』
と、声をかけたのが綾当人であったという……彼との邂逅は些か運命的だった。
『お前がこの記事を?』
名と所属学部を告げる簡単な自己紹介の後、小脇に抱えた雑誌、最新のイベントスポット等を特集した若者向けのそれの、目的の頁を示した彼に綾は真意を図れぬままに頷く。
 其処には綾が小遣い稼ぎに書いたコラムが記載されていた。

 其処までを思い出して綾は突然吹き出す。
「……いらん事を思い出すな」
察した友人が渋面で頭を押さえ付けてくるのを身を捻って避け、綾は抑え切れぬ笑いにそのまま床板に伏せる。
「だって……ッ、あの時のキミのがっかりした、顔……ッ!」

『……男だったのか』
 まさしく意気消沈、という言葉が相応しい。
 記事の最後、括弧書きに記された本名は、確かに女性と取って難も不思議もない名である。
 勘違いの本人にご愁傷様と労られても腹立たしいだけかもしれないと……かける手と声とを躊躇う綾の前で、然れども次の瞬間に、彼はきっ、と立ち直って見せた。
『なら反対に都合が良い。遠慮が要らないと言う事だからな』
こちらに意図の所在を掴ませぬまま、一人納得し、彼はずいと片手を差し出す。
『友人志願だ』
主張しながらけれど手は握手を求める風でなく、掌を上にしていた。
『この他にまとまった文があるなら読ませろ。寄越せ』

 まさしく不遜、としかいいようのない態度、しかし何故か嫌味に取れない様子に思わず承諾してしまった……それが彼との親交の始まりである。
 つくづく懐かしく、思い出される出会いに、綾は思考がそれているのを思い出す……そう、手繰るべき記憶は最初に彼が持って来た記事が何であったかだった。
「……えぇと、アレは鎌倉でしたか」
懐古を特集した折の寄稿だったように思う。
「高浜虚子だ」
綾の思考の滞りを改善すべく、友が与えた新たなヒントは綾にある種の閃きを与えた。
「……残花の」
頷く友に、綾は傍らの手荷物の中から眼鏡を取り出し、改めて先に示された庭の一角、木立の狭間を注視した。
 緑の鮮やかさの隙間、穴を空いたようにぽつりと白い……一輪だけの桜。
 その間に、友人は綾の傍らにあるとっくりを取り上げて冷酒に直接口をつけ、息と共に句を吐き出す。
「余花に逢ふ再び逢ひし人のごと」
……そう、それが記事の題材となった虚子の句だ。
 春の終わりに咲く桜、枝の全てで春を歌うそれでなく、逝く春に、巡る季節を求めるような、手向けを思わせる一輪の花。
「アレが咲いたから、そろそろお前が来ると思っていた」
花を目安に来客の準備を整える……存外に風雅な感覚を見え隠れさせる、それが彼の不遜さを違う質に見せているのでは、と今更ながら思い知る。
 家の何処かで、彼の細君が子供をあやしているのだろう……流れて来る細い声の子守歌に、木々のざわめきだ重なって、静けさを彩る。
 彼が築いた家庭の穏やかさは、初めての訪れだというのに懐かしい。
「明日は裏山を案内しよう。お前には面白いだろう」
友人の申し出に、君の子供にもう案内して貰っているよ、とはとても言い出せず苦笑を押し殺して綾は友人を見た。
「……あ」
その手には硝子製のとっくり。
「それ僕のでしょう?」
「すまん、呑んだ」
逆さに振って空になった事を示す彼に、仕返しとばかりに発泡酒の缶を奪おうとする綾と、それを阻もうとする友人と……騒ぎに目を覚ました赤子が泣き出して、細君に二人揃って子供ですかとお叱りを受ける、そんな風にして宵は更けていった。