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終焉の先へ - Tales of EA 3 -
昼下がりの北庭苑。
奥の間にて店主、典・黒晶は幅二メートルほどの白いスクリーンを背にして立っていた。
その前の円卓にはプロジェクターが設置され、ノートパソコンと接続されている。
動作音はしているが、スクリーンには何も映し出されていない。
「お集まり頂き、ありがとうございます」
黒晶は円卓についた面々を見渡し、頭を下げた。
「早速ですが、依頼のお話をさせていただきましょう。今回は依頼代行と、仲介の両方を務めさせていただきます。また依頼主の希望により、打ち合わせに同席していただいています」
言って黒晶が視線を落とした先、プロジェクターのすぐ横では黒い猫、チクロが卓上に立ち一堂を見ている。
彼は口を開くことなく、青年の声を発した。
「私が君たちに頼みたいことは二つだ。まず、私たちのいた施設、日本ハイテクノロジー研究所を、表向き壊滅させてほしい。二つ目は、その研究所へ資金を出しているスポンサーに手を引かせて欲しい。そのための情報と資金はできるだけ提供しよう」
言って、黒猫は首を傾げてみせる。
「もっとも、私の持つ情報は内部情報ばかりだ。資金もこちらの店主に一時的に情報を買ってもらっているに過ぎない。あまり大きな口を叩ける身分ではないのだがな」
尾を振るチクロに、すぐ近くに座っていたユウカが手を伸ばし、その尾を掴もうとする。
チクロがユウカと顔をあわせると、無言のうちにユウカが小さく頷き、それから申し訳なさそうに肩をすくめた。
その様子を見て、黒晶は小さく笑みを見せる。
それから、再び一同へ向き直った。
「研究所に関する情報は、今朝ほど草間興信所の方で集めたデータがあるようですので、それを提供していただければ補完ができると思います」
もう少し詳しく説明しましょう、と黒晶はプロジェクターを操作した。
「一つ目、研究所の壊滅ですが、これは外部、内部の人間に研究所の再建は不可能だ≠ニ思わせることが目的です。多少の施設の破壊は許容範囲ですが、本当の壊滅は依頼主の希望ではありません」
スクリーンに映し出されたのは、チクロから提供されたと思しき研究所の見取り図だった。
「敷地総面積は2.5ヘクタールです。建物は地上二階、地下三階で地上が所員棟、地下が研究棟となっています。ここでの目的は、地下三階にある研究データの抹消、それと地下一階金庫にあるアナログデータの抹消です」
そして、と黒晶はパソコンを操作し、スクリーン上の映像を変える。
次に映ったのは、どこかの企業のホームページだった。
会社案内のページらしく、代表取締役の顔写真などが載っている。
「二つ目は、こちらの企業に研究所から手を引いていただくよう、交渉することです。そのための資金もありますし、最初は私が動こうかとも思ったのですが」
言って黒晶は軽く息をつく。
「残念ながら、私は日本の企業に直接的な影響力はありません。知人を介せば可能ですが、それですと時間がかかります。ですので、どなたかにお願いしたいのです。もちろん出来るだけのサポートはしますし、直接お名前を表に出したくない場合も、ご協力します」
そう黒晶が言い終えたところで、再びチクロの声が響く。
「手間のかかる依頼だとは思うが、私たちは人間を殺したいわけではない。ただ、もう仲間たちの誰一人として、人為的に処分させたくはないのだ」
黒猫は、一同に頭を下げる。
「頼む。私たちを救ってくれ」
■■■
「では、手順を確認しようか」
北庭苑別室、円卓上に腰を落とし背を伸ばしたチクロは、座したシュライン・エマ、赤羽根・希、セレスティ・カーニンガム、黒榊・魅月姫を順に見た。
「まずは警備室へ侵入し、私が全ての警備システムを反応しないように固定する。これはそう難しいことではないが、三十分というタイムリミットがある」
シュラインが首を傾げる。
「それは、システムの固定が三十分しかもたないということかしら?」
「いや、そうではない。警備員は全てUNでまかなわれているのだが、その個体のユニットを使用しての提示連絡が三十分おきにある。固有周波数を組み込んだデータによる連絡だから、さすがに偽装できない」
「じゃあその連絡が終わったときに侵入して、次の連絡までがタイムリミットってことだよね」
希が、店主の典・黒晶が入れた茶を飲みながら言った。
かすかに茉利花の香りがするそれは、疲労回復の効果がある特性の薬茶だという。
チクロが頷く。
「そういうことになる。その三十分の間に、研究所内の三箇所に別れて行動する」
「私はそのときに動けばいいのですね。それまでに色々と手はずを整えておきましょう」
セレスティが言うのに、チクロの側に立っていた黒晶が小さく頷く。
「出来るだけのサポートをいたします」
「ほぼ任せる形になって申し訳ないが、私の持つ情報であればいくらでも提供しよう」
頭を下げるチクロに、セレスティは「大丈夫ですよ」と笑んでみせる。
チクロはもう一度頭を下げてから、
「警備システムを固定したら、談話室、金庫室、情報システム室へ各個侵入し、その後合流ということになる。この段階では三箇所同時に動くため、三十分のリミットも問題はないだろう。あとは移動手段だが」
言って魅月姫を見る。
彼女は表情を変えずに頷き、
「影のゲートを使えば問題はありません。それと侵入した箇所にそれぞれ、このようなものを置いておきますので」
そう空中に手をかざすと、ソフトボール大の、影の塊のようなものが現れた。
「これに触れていただければ、ゲートが開き私のいる場所まで転移していただくことができます。一度使用すると消えますので、後に残ることはありません」
それを見たユウカが興味津々といった様子で手を伸ばし、チクロの尾がその手を軽くはたく。
顔を見合わせるだけで会話したのか、ユウカはまた大人しくなった。
「一つ気になるのだけど」
と、シュラインが発言する。
「研究所に侵入したら固有周波数を感知されることはないのかしら?」
そうであればチクロの仲間たちが必ず現れると、彼女はやや危惧した様子で言う。
チクロは、ふむ、と頷く。
「研究所内では、警備のUNを除いて我々実験体は能力を抑制される。我々の能力は人間が抑えきれるものではないからな。そのため、仲間たちが私やユウカの波動を感知することは不可能だ。警備システムにはその機能もあるが、固定できれば問題はない」
そう言って立ち上がり、チクロは再び一同を見回した。
「再び追っ手が放たれることを考えれば、あまり猶予はない。急な話で申し訳ないが、全てが無事に済むと、、私は信じている。よろしく頼む」
静かに、皆が頷いた。
■■■
シュラインはチクロと研究所地下二階の談話室にいた。
時刻は深夜に差し掛かり、ほとんどの所員は地上の所員棟に引き上げている。
警備システムはすでにチクロによって固定されており、警備員も魅月姫の影によって拘束されているため、しばらくは安全に行動できる。
(何もないのね)
シュラインは部屋の中を見回す。
談話室という名から想像される内装とは大分違い、十五平方メートルほどの室内は床、天井、壁の全てが白く、正面の壁は前面が鏡になっていた。
それ以外には椅子すらもなく、緊張と圧迫感を感じさせる部屋だった。
チクロが鏡の壁に近寄り、シュラインを振り向く。
「すまないが、私を持ち上げてくれないか」
いいわよ、とシュラインはチクロの脇を両手で持って持ち上げる。
普通の猫と同じように、チクロの胴も持ち上げると伸びた。
「十センチほど右に。む、三センチほど上だな」
チクロの指示の通りに彼を動かし、
「ここだ。止めててくれ」
言われて数秒そのままにしていると、かすかに何かが外れる音がした。
チクロを床に下ろしてからその場所の鏡に触れると、音も立てずに向こう側へ開く。
鏡の向こうは、薄青い照明に照らされた少し暗い部屋だった。
振り向けば壁は鏡ではなく、明るい談話室を見通せるガラスとなっていた。
(やっぱり、マジックミラーなのね)
こちらの部屋は表の談話室とは対照的に、端末や機械類が並びやや雑然としていた。
「来てくれ、これがそうだ」
チクロに呼ばれ、シュラインは端末の並ぶデスクに向かう。
壁面に沿って端末が六台、その左に大きめのリモコンのような装置が寝かせて置かれていた。
テレビのリモコンより一周りほど大きく、下半分には英字入力可能な数字キーと何らかの機能キーが並んでいる。
上半分は液晶画面のようだが、電源が入っておらず何も映っていない。
チクロが片方の前脚でそれを示し、
「これが我々に命令を送信する装置だ。そのままリモコン≠ニ呼んでいる。この下のボックスで充電とデータの入出力を行い、先端の送信ユニットから我々のユニットへ命令を送る仕組みだ」
どのリモコンも更に一回りほど大きな樹脂製のボックスにはめ込むように置かれていて、そのボックスと端末がケーブルで繋がっていた。
チクロはシュラインに、一番中央にある端末を鼻先で示した。
「私はこの、ホストから各端末へ命令のコマンドを送る。他の端末の電源を入れてくれないか」
「キャンセルのコマンドね」
そうだ、とチクロは頷きホスト端末の電源を入れる。
シュラインも他の端末の電源を入れながら、北庭苑で聞いた命令コマンドの情報を思い起こす。
実験体たちへの命令は、最優先で行わなければならないこと≠ニいう条件付けされた情報として、彼らのユニットから脳へ送られるという。
それを解除するためには行動をキャンセルするコマンドで上書きしなければならない。
全ての電源を入れ終え、やや手持ち無沙汰になったシュラインは、それでも物音がしないか辺りの音を意識いしながらチクロを見る。
彼は器用に前脚と額のユニットで端末を操作している。
幾度かキーを叩く音がして、それから一斉に全ての端末画面に数字とアルファベットの並びが現れた。
それは高速で画面を下から上へと流れ、同時にボックスの隅で緑色のランプが灯る。
「コマンドを読み込ませている。このリモコンが送信可能な距離は二メートルだが、それに関しては拘束できるだろうから、問題ないだろう」
UNや、チクロたち以外のL、Sナンバーたちの命令をキャンセルするのには彼らと対峙しなければならない。
しかし今回は魅月姫の能力により、それほど危険を冒さなくても解決できそうだった。
静かな部屋に、一音だけの電子音が響く。
六重に鳴って止まったそれを聞いて、チクロが小さく頷いた。
「転送の完了だ。あとは念のためもあるが、このリモコンを全て持っていこう」
■■■
希はユウカと共に、地下一階の金庫室の中にいた。
「なんか、映画のセットみたいだねー」
目の前に並ぶ銀色の、コインロッカーに似た扉をみて希は呟いた。
金庫室の中は、四十センチ間隔ほどの格子状の線が天井、壁、床に規則正しく走っている。
蛍光灯に似た弱めの光がその区切られた平面から放たれていて、四方全てが照明となっていた。
そしてその格子の一部のように、正面の壁には銀色の扉が並んでいる。
ユウカが不思議そうな顔をしながら聞いてくる。
「えーが?」
「あれ、見たことない?」
そうかー、と希は考え込む。
(ユウカちゃんたちは、研究所の中しか知らないんだよね……)
映画をどう説明しようかと悩んでいると、服の裾を引かれる。
「こっち、さき」
こちらを見上げながら、ユウカが正面を指差す。
そうだった、と希は扉に向き直る。
コインロッカーに似ていると思ったのはその大きさと並び方のせいもあるが、なによりも一つ一つにシリンダー錠と思しき鍵穴が付いているためだ。
キャビネットと呼ばれているというその書類などの保管庫は、金庫室の扉とは別の鍵で開けるのだと聞いていた。
セキュリティはチクロが抑えてあるし、ここまでの侵入は黒榊・魅月姫の能力で容易に出来た。
彼女の力を借りれば扉越しに中身を破壊することも出来るというが、
(でもそれじゃ意味ないんだよね)
今回の目的は、誰から見ても修復が不可能だと思わせること。
ならばわかりやすく扉とその中のアナログ媒体によるデータや資料を破壊しなければならない。
ユウカがすっと動いた。
キャビネットの鍵穴に爪楊枝大の棒のようなものを手早く差し込んでいく。
ユウカはたどたどしい言葉遣いとは対象的に、流れるような動きで全ての鍵穴にそれをセットしていく。 それを見ながら、希は軽く両手を握ってから開いた。
見た目にわかりやすく、なおかつ完全破壊するのに、希の炎は適役だった。
(撹乱とかもしようかと思ったんだけどねー)
実はそのために、小さめの花火や爆竹の類も持ってきていたのだが、このまま上手くいけば出番はなさそうだった。
全ての鍵穴に棒を差し込んだユウカは、そこから繋がる細い線を伸ばしながら希の前に戻ってきた。
「みみせん、する」
言われて思い出し、渡されていた耳栓をはめる。そして前もって言われていた通りに、キャビネットkらなるべく離れた壁に身を寄せ、耳を抑えて身を低くする。
ユウカも耳栓をし、その片手には銅線の先に繋がった小さな箱を持っている。
耳栓で聞こえない希に、ユウカが指を立てて見せ、カウントダウンを始める。
(五、四、三、二、一)
ゼロ、と希が頭の中で数えるのと同時、前方から衝撃が来た。
思わず一瞬閉じた目を開くと、目の前にユウカの顔があった。
ユウカは達成感溢れる様子で満面の笑みを浮かべ、それから伸びをするようにして自分の耳栓を外した。
希も耳栓を取りながら立ち上がる。
奥のキャビネットは、全ての鍵穴が破壊されていた。
希は近寄って、はー、と感嘆の息をつく。
「すごいねー」
ごく少量のプラスチック爆弾と信管を組み合わせたもの、という説明をチクロ聞いてはいた。
その局所的な計算された破壊力は、実際に目にすると感心してしまう。
「ユウカ、あける」
ユウカが言って再びキャビネットに近寄り、手早く扉を開け放っていく。
「さて、と」
希は軽く肩を回して、気合を入れなおした。
「全部がっつり燃やしちゃうからね」
全ての扉を開けユウカが戻ってくると同時に、希は紅蓮の炎を放った。
■■■
魅月姫は情報システム室に立っていた。
ここは研究所内の全端末、システムの管理調整をする部署だ。
メインコンピューターのある場所でなくこの部屋に来たのは、チクロの提案だった。
魅月姫は、機械の唸りが静かに響く部屋を見回し、彼の言葉を思い出す。
『情報室の役割はトラブルの対処が主だが、そのため研究所内の全ての端末にアクセスできるようになっている。もちろん、メインコンピューターやサーバーにも接続が可能だ』
転移する直前までは当直の所員が三人いたのだが、今は魅月姫の影の中で眠らせていた。
情報室内には十台を越す端末がデスクに並び、ガラスで区切られた奥ではサーバーコンピューターが稼動している。
その全てが、魅月姫がチクロに同調して得たイメージ通りだった。
研究所内に転移するにあたって、魅月姫はチクロと一部思考をシンクロさせ、彼の知っている研究所の内部構造を全て記憶していた。
そのため侵入先を容易に確定することができ、シュラインや希たちをそれぞれ別個に移動させることができた。
魅月姫はそのときにチクロの思考を全て読取ったわけではないが、それでも彼の中にある情報量がかなり膨大であることはわかった。
その情報はチクロが任務で得たデータと、そしてこの研究所内の主要データだった。
諜報活動を専門とする彼はその能力を逆手に取り、自らが所属する研究所内の情報を得たという。
(飼い猫に手をかまれる、といったところでしょうか)
魅月姫はチクロから得たイメージと変わらない位置にある、室内を全て見回せる場所の端末に手を伸ばした。
それが室長の端末であり、もっとも多くのアクセス権限を持つものだった。
指紋認証のロックがかかっていたが、それも魔術で開錠し、難なく端末を立ち上げる。
魅月姫はチクロに聞いたとおりのコマンドを入力し、
(全てを一度に消去していいのなら、いくらか手間も少ないのですけど)
消去するべき領域にアクセスする。
チクロからの依頼は研究データの消去であり、研究所を稼動させるシステムは残さなければならない。
しかし幸いなことに、その二つは別サーバーとなっているということだった。
データ領域を確認し、魅月姫は魔力を開放しようと意識を集中させた。
研究データの破壊と同時に研究所内の他の端末に魔力で干渉し、全てのデータを完全消去するためだ。
(外部ネットワークに繋がっていないというのは楽ですね)
外部への情報の漏洩を強く懸念してか、研究所内の端末は内部ネットワークにしか繋がっていない。
プリンターの台数も少なくその使用も厳しく管理され、なおかつ端末からCD―Rなどの電子メディアに書き込みは一切できない。
更にあらゆるメディアの持ち込み、持ち出しが禁止されており、スポンサーですら研究所内でしかデータの閲覧ができないという。
そんな情報の流出を防ぐための手段が、逆に魅月姫たちには有利に働いた。
研究所内のデータを消去すれば、今回の依頼はほぼ完遂されることになる。
魅月姫は内部ネットワーク内を捜査し、地上階の端末や電源を切っている端末までもを全て把握した。
(これで全部ですね)
どうやら地上階では半数近くの端末がまだ稼動しているようだが、大きな問題ではない。
魅月姫は把握した感覚をそのままに、影を通じて感じられるシュラインや希たちの動向も読取る。
(タイミングを合わせましょう)
データの消去は、魔力をもってすれば一瞬で終わる。
全員が交流するタイミングでもって実行しようと、魅月姫は静かにそのときを待った。
■■■
シュラインは片手でチクロを抱き上げた。
念のためと持ってきたナイロンバッグを肘にかけているため、すこし重い。
「君は、いつでも準備がいいのだな」
そのバッグを見下ろしてチクロが言う。
ナイロン製の手提げは、買い物のサブバッグに有用なサイズで小さく折りたたんで持ち運びできるものだ。
念のためと持ってきたそれには、手で持ちきれる数ではなかった六台のリモコンが入っている。
「買い物のときとかね、便利なのよ?」
言いながら、シュラインは空いている手を魅月姫の残してくれた影に触れる。
酸素を食う音を立てて、紅蓮の炎が渦巻いた。
キャビネットの中の書類や写真が、見る間に崩れていく。
(オッケーだね)
希の意志によって燃える炎は、最後まで見届けるずともキャビネット内のものを全て焼き尽くすまで消えない。
「よし、行こ!」
希はユウカに手を差し出す。
頷きながらためらうように乗せられたユウカの手をしっかりと握り、希は影の固まりに触れた。
魅月姫は、シュラインと希が転移してくるのを感じた。
(今ですね)
感知していたデータ領域、繋がる研究所内の全端末へ魔力を送り込む。
一瞬にして全てのデータを完全消去。
同時に一部の端末を残し、破壊の力を作動させた。
データの消去と物理的な破壊に所員たちが驚愕するのを、魔力で感じる。
(では、仕上げを)
魔力の作用する範囲を一気に広げ、この部屋を覗く研究所内全てに幻覚を発生させた。
■■■
セレスティはある邸宅の前にいた。
目立たぬ場所に車を止め、行動を起こすための連絡を待っている。
(さて、そろそろあちらは到着しているでしょうから、まだ少し時間がありますね)
行動を起こすまで余裕があると踏んだセレスティは、資料に触れた。
A4の用紙にプリントアウトされた資料は二百枚を越す。
午前中に草間興信所で得たスポンサー企業の情報と、セレスティ自身の情報網、それと北庭苑からの情報で、様々なことが判明していた。
内容はほぼ頭に入っているが、今一度の確認のため要所の情報を読取っていく。
日本ハイテクノロジー研究所の経営する運送会社、JHLに資金を提供しているのは、ある総合商社だった。
JHLはそこの物流部門の関連会社とされ、予算を組まれていた。
人件費や維持費、各種経費なども全てその商社からの予算でまかなわれ、億単位の金額が動いていた。
研究所のみを配送先とするJHLの規模には見合わない額の予算だが、国税局の査察では追及しきることができなかったようだ。
(何者かが裏で動いたということですね)
情報を読取りながら、セレスティはほぼ確信していた。
そしてまたその企業のかつてのトップが、政界にも影響力を持っているという情報もある。
と、携帯が鳴った。
セレスティが取ると、電話の向こうからシュラインの声が聞こえてくる。
「――わかりました、気をつけて下さいね」
通話を切って、セレスティは車のドアを開けた。
(さて、私も動きましょう)
スポンサー企業の会長職にある、老年の男性はあからさまに不審げな様子でにセレスティを迎えた。
「財閥の総帥様が、一企業の引退した人間になんの用かね」
応接テーブルを挟んで、セレスティは微笑を浮かべる。
「そちらの物流部門の関連会社で、JHLという運送会社がありますね」
男性は表情こそ変えなかったものの、警戒の気配を強めた。
「ああ。それが何か?」
「その会社を買い取りたいという方がいらっしゃいまして、今日はそのお話に伺いました」
「買い取る? あの会社を?」
男性は馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「何か他の社と勘違いしていないかね? あれは特定の顧客への配送業務を請け負う会社でね、買い取ったところで一銭の得にもならんよ」
「勘違いではありませんよ」
言って、セレスティは持ってきていた書類の一部をテーブルの上に出した。
男性はそれを手に取り、中を見て目を見開く。
「これは……」
「JHLの予算には、貴社以外に三社ほどから資金が流入していますね。貴方の会社がそれを取りまとめ、予算として計上する。その三社とは既にお話をしまして、そちらがJHLへの資金提供を打ち切れば、JHLを譲っていただいても構わない、ということでしたよ」
男性は書類とセレスティを見比べ、難しい表情で考え込む。
頭の中では様々な計算が渦巻いているのだろう。
「そちらにも悪い話ではないと思いますよ。すぐに、期待されているような成果が上がらないとお分かりいただけるはずですから」
「どういうことだ?」
男性が言うと同時に、セレスティの携帯が鳴った。
「失礼」
着信通知に出ているのは、先ほどと同じ友人の番号だ。
「――そうですか、お疲れ様です。ええ、こちらも大丈夫ですよ。では、また後で」
通話を切り、男性に向き直る。
「ところでJHLの配送先ですが、日本ハイテクノロジー研究所、という機関ですね」
「あ、ああ、そうだが」
「もしそちらの研究所が再建不可能な事態に陥ったら、どうされますか?」
「なんだと?」
男性は一瞬間を置き、それから「まさか」と呟いて立ち上がり、慌てて部屋を出る。
五分後、蒼白な顔で戻ってきた男性に、セレスティ微笑みかけた。
「大丈夫ですか?」
「あんたは、一体何をしたんだね」
男性はうめくように言って、俯いてソファーへ腰を落とす。
先ほどまでの尊大な態度は影を潜め、一気に憔悴した様相になっていた。
「もうあそこは使えん……何ということだ」
セレスティは言葉を発さず、静かに男性を見つめた。
しばらくして男性は顔を上げた。
「仕方ない、売却しよう」
「ありがとうございます」
セレスティは微笑んで、そこで初めて男性に金額を提示した。
男性は息を飲み、かすれた声を出した。
「こ、こんな金額、一体誰が!」
「その方のお名前はお教えできません。貴方も詮索せず、今後一切JHLへの関与はなさらないで下さい」
言うと、男性は金額の意味を理解したのか、がっくりと肩を落とした。
「……わかった」
「それでは、具体的なお話に移りましょう」
セレスティは笑みのまま、残りの書類の束をテーブルに上げた。
■■■
深夜の北庭苑、黒晶はテーブルについたセレスティと魅月姫に、新しい茶を注いだ。
「白茶で、白毫銀針(パイハウインチェン)と言います。熱を取る作用に優れているといいますので、こんな夜にはいいかと思いまして」
小さめの耐熱グラスに注がれた薄い色の茶は、爽やかな香りがする。
黒晶のいうように、今夜はやや蒸し暑い。
かすかに甘みのする茶に口をつけて、セレスティが窓の外を見る。
「何とか無事に済みましたね」
「はい。まだ研究所の方は色々と整備しないといけないようですが、皆で力を合わせていくと、そう仰っていました」
つられて黒晶も外を見る。
暗い窓の外では、鮮やかな色とりどりの火花が踊っていた。
花火の明かりに照らされて、シュラインと希、そしてユウカとチクロと、先の興信所で遭遇した少女、EALM0099リナ≠フ姿が見える。
「そちらは戦闘もあるかと思ったのですが、大丈夫だったようですね」
セレスティが言い、魅月姫が頷く。
「彼らは人間と違う気配でしたから、影で捕獲するのは簡単でした。あとは命令をキャンセルするだけでしたので」
「研究所へ戻っていないナンバーの方もいると聞きましたが、そちらは?」
「大丈夫とのことです。きっと、彼には応する策があるのでしょう」
魅月姫の視線の先では、飛んでくる火花を避けてはまた花火の側に戻るチクロの姿がある。
花火に照らされる中で、その金色の瞳が強く目立った。
「ユウカ、花火を振り回すな、私が焦げる」
チクロが言って逃げるのに構わず、ユウカは手持ち花火をくるくると回す。
「これ、わになる、きれい!」
「駄目よ、ユウカちゃん。人に当たると火傷するわ」
シュラインが苦笑してなだめると、ユウカは大きく頷いて花火を下ろした。
「喜んでもらえて、よかったー」
新しい花火に自分で着火しながら、希が笑顔で言う。
局使わなかった花火にユウカが興味を示したため、必要なもの意外はセットで余っていたものも使って、急遽簡易花火大会となった。
「不思議ですね、火薬で遊べるなんて」
そう言うのは、シュラインの持ち出したリモコンにより、命令コマンドをキャンセルされたEALM0099リナ≠セった。
口元を覆っていた布は外し、素顔を出している。
現在研究所内にいるLナンバーがユウカとリナだけだということもあって、ユウカが半ば強引に花火大会に連れ出したのだ。
「リナ、いっしょやる、はやくっ」
少し距離を置いて見ていたリナに、ユウカが跳ねるように手招きする。
リナは「はい」と返事をし、火のついていない花火を手にする。
それに火をつけてやりながら、希は首を傾げた。
「リナちゃんは、名前呼ばれても平気になったの?」
希が教えてもらっていた興信所でのやり取りを思い出して聞くと、リナは困ったような小さな笑顔で頷く。
「この名前は、私たち個人の意識に関連付けて、ユウカさんがつけてくれたんです。でも命令があるとそちらが優先で、個別意識を刺激する名前は障害≠ニ判断されますから、名前を拒否しようと動かなければいけなくなるんです。それで、あの時はそう言ってしまって……」
「……えーと、ごめん、ちょっと難しい、かな」
立て板に水で述べられる説明に、希はすぐには飲み込めず苦笑いを浮かべる。
「終わりよければ全てよし、ということだ」
いつの間にか足元に来ていたチクロが言う。
隣でシュラインも頷き、
「でも本当、ユウカちゃん楽しそうね」
笑みをこぼす。
「君たちと会ってから、ユウカは少し変わったようだ。人と接するということも、大切なのだな」
チクロが頷き、それを見て希がはたと手を打つ。
「そうだ、そのうちおっきな花火大会とかあるから、みんなで見に来たら? ユウカちゃんたち、打ち上げ花火とか見たことないよねっ」
「いいわね。縁日とか、きっとたのしいわよ」
シュラインも言うのに、チクロは一度首を傾げてから頷いた。
「そうだな。そういった日常も、いいのかもしれんな」
チクロの視線の先では、二人の少女が無邪気な笑顔で、手持ち花火の火花を見つめていた。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2734/赤羽根・希(あかばね・のぞみ)/女性/21歳/大学生/仕置き人】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4682/黒榊・魅月姫(くろさかき・みづき)/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
※受注順
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■ ライター通信 ■
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いつもありがとうございます。
こんにちは、ライターの南屋しゅうです。
「Tales of EA」全三話、これにて終了となります。
この話を無事完結できたのも、ご参加いただいた皆様のおかげです。
Experimental Animals、実験動物たちの物語と銘打ったこのストーリーに最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
今回も戦闘を予測していましたが、
皆様のプレイングにより負傷者なしの穏便な解決となりました。
いかがだったでしょうか。
至らないところも多々あると思いますが、
楽しんでいただけましたら幸いです。
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