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<東京怪談・PCゲームノベル>


月は水にたゆとう

ほんの僅かだが、陽射しが変わった気がした。空の色も心なしか澄んで見える。車の音も通りを行く人々の声も遠くなり、それまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。風は甘い花の香りに満ちており、しっとりと湿って心地よかった。都会の真中にこんな場所がある事に気付く者は、きっと殆ど居ないだろう。
「…姉さん、また桃を勝手に…」
 木々の向こうから聞えてきたのは、青年の声だ。銀の髪に金の瞳、白いシャツのよく似合う、穏やかな顔立ちをした青年は、竹箒を手に傍らの樹を見上げて溜息を吐いていた。彼の向こうには平屋建ての大きな屋敷が見え、手前には桃の木が数本、満開に花をつけて居た。季節外れ。それ以前に、桃の花と実が同時について居るのだから、ただの木では無い事はすぐに分かる。庭の真中には小さな池があり、青年と、花の色を映して揺れていた。

「…あの…」
 おずおずと声を駆ける前から、彼女の気配には気づいていたのかも知れない。青年は驚く事無く、彼女に微笑みかけた。
「いらっしゃい、桜さん」
「…こん…にちは…」
 緋井路桜(ひいろ・さくら)はぺこりと頭を下げると、中庭に足を踏み入れた。途端に、甘く涼やかな香りに包まれる。桜がここ、寿天苑に来るのは二度目になる。住人は二人と一羽。そのうちの一人が、この青年、天玲一郎(あまね・れいいちろう)だ。
「これ…それから、これも…」
 少々大きめの風呂敷に包んだ、手土産の和菓子を手渡してから、掌に載せて差し出したのは、小さな花びらだ。この苑に咲く桃の花びらを一片、前回訪ねた時に持ってきてしまったのを、気にしていたのだ。だが、玲一郎はああ、それは、と頷いて、にっこりと笑った。
「持っていて、結構ですよ。いい香りがするでしょう?それに、力は強くないけれど、邪気を払う事も出来ますから、お役に立つ事もあるでしょう」
 どうぞ、と言う玲一郎に、桜はありがとう、と小さな声で言った。特別な力を持つせいかも知れないが、強すぎない香りは割りと気に入っていたのだ。
「何度も…来て…」
 前回の訪問からひと月も経っていない事を気にしている桜に、玲一郎は気にしないで下さい、と首を振った。
「姉もとても喜んで居ました。この間、僕は留守にしていましたから、お会いできて良かったです」
 桜が少しほっとしていると、玲一郎は改めて土産の礼を言って、縁側に包みを置き、一言断ってから中を開けた。箱に詰めてあったのは、二種類の菓子だ。
「綺麗ですね。今の季節をそのまま映したようです」
 感心したように言う玲一郎に、桜がぽつりぽつり、説明する。
「水の…ゼリーと…紫陽花…」
「水の?…変わってますね。水の味が、するんですか?」
 直接の血のつながりは殆ど無いのだ、と聞いたような気がするが、不思議そうに聞く表情はどことなく姉と似ていると思いながら、頷く。
「面白い物があるんですねぇ。ああ、ここに食べ方が書いてある」
 ゼリー自体は手製だが、レシピを貰った時に、食べ方も書いてもらったのだ。ところ天のようにして食べる方法もあるが、黒蜜の方が玲一郎たちも喜びそうな気がしたので、そちらも付けて来た。紫陽花の菓子は、白餡に紫陽花色の寒天を貼り付けたものだ。水のゼリーと並べてみると、キラキラ輝いて、雨上がりの庭のように見える。
「ありがとうございます。姉も喜びますよ、ここでは紫陽花は、咲きませんからね」
 玲一郎の言葉に、桜もこくりと頷いた。先日訪れた時、彼の姉がやはり、同じ事を言っていたのだ。それならばせめて、と思って作った気持ちは、通じたらしい。
「冷やしておきましょう」
 と、屋敷の中に消えた玲一郎を待つ間、桜は一人、桃の木々を見上げていた。時が流れぬ苑で、延々と花を咲かせ続ける仙界の桃達は、自分達と共に暮らす住人達を見守ってきた、苑の隠れた守護者だ。彼らが、今ここに暮らす姉弟達の幸せを、何より願っていると知ったのは、つい先日の事。二人が喜べば、桃たちも喜ぶ。二人が幸せならば、彼らも幸せ。それならば、と持参したのが今日の手土産だった。
「少し…だけなら…手伝える…から…」
 桜の声に呼応して、桃の木が微かに揺れたような気がした。程なくして玲一郎が戻り、蔵でも見ますか、と誘われた途端、縁側の突き当たりに掛けられた掛け軸が、ぱたん、と揺れた。理由は、分かっている。この掛け軸の中に封じられた竜が、桜を呼んでいるのだ。掛け軸から抜け出て暴れた彼を、封じる手伝いをして以来の、知り合いなのだ。縁側からそっと中を覗くと、揺れていた掛け軸がぱたりと止まり、代わりに苑とはまた少し違う気が微かな風となって掛け軸の中から流れてきた。
「莫竜…元気…そう…良かっ…た…」
 竜の名を呼ぶと、気に混じって微かな声が聞こえた。大きななりには似合わず寂しがりやだと言うこの竜も、今は小さな連れ合いを得て楽しそうにしている。
「最近は、姉もよく、この前に座っているのを見ます」
 玲一郎が言った。莫竜の掛け軸は、彼らにとっても、新たな友となっているのかも知れない。それならば、とても嬉しいと、桜は思った。その後、桜は玲一郎に案内されて、初めて苑の蔵に入った。
「…広い…」
 天井を見上げて言うと、玲一郎が苦笑する。
「昔は、広い、なんて思う隙も無いくらい、沢山の品が収められていたそうなんですけどね。一度焼けてしまってからは、こんなものです。失われた品々を、探しだして再び収めなおすのが、僕達の仕事なんですけど…」
 中々上手く行かなくて、と言う玲一郎に、桜は小さく首を振って見せた。二人が頑張っている事は、知っている。あの桃たちが、ちゃんと見ているのだ。だから…
「…大丈…夫」
 小さな声は、玲一郎に届いたのか届かなかったのか。彼は何も言わず、ただほんの少し嬉しそうに笑ったように見えた。蔵の中に収められた品々は、この間来た時にも見かけた物ばかりだ。その中で、唯一知り合いである小さな樹、天逢樹がふわっと葉を揺らして桜を呼んだ。初めて見た時よりもずっと小さくなったものの、元気にしているようだ。鉢の横にすい、と脇に屈んで挨拶をして、桜は蔵を後にした。
「そろそろ、お菓子も冷えたかも知れませんね」
 歩きながら、玲一郎が言い、桜も微かに頷いたその時。ばささっと言う羽音がして、玲一郎が顔を強張らせた。
「…あ」
 母屋の屋根を見て、桜が小さな声を上げる。玲一郎はぎしぎしと音を立てそうなくらい不自然な様子で、同じように屋根を見上げた。
「…ど…呑天…」
 呑天と呼ばれたその白い川鵜は、何故か勝ち誇ったようにくけええっと一声鳴くと、一直線に舞い降りてきた。うわっ、と玲一郎の悲鳴が聞え、続いてどかっと物凄い音が聞えて、気づくと玲一郎がその場に昏倒していた。仰向けに倒れた彼の腹に、呑天が悠然と舞い降りる。
「…玲一郎…?」
 大丈夫だろうか。よくは見えなかったが、どうやら呑天の蹴りが彼の額を直撃したらしいのだ。その証拠に、色白な額に赤く水かきのついた足跡がついている。どうしよう、と辺りを見回し、桜は急いで池の水を汲んで、額に少し、落としてやった。途端にうーん、と唸りながら、玲一郎が意識を取り戻す。
「…呑天…駄目」
 桜に言われて、呑天が不承不承と言った感じで腹から降りると、玲一郎はようやく起き上がった。
「…油断しました…。最近、少しは慣れてくれたような気になっていたもので…」
 甘かった、とうなだれる彼を、呑天がふん!と言うように見上げる。この二人(?)がしっくり行っていないのは、本当らしい。その証拠に、呑天は桜に対しては至極嬉しそうに寄ってきて、夏らしい若草色の着物にぴとりと寄り添ったのだ。
「桜さんの事は、好きらしいですね…」
 どことなく恨めしげに言う玲一郎に、呑天が鋭い視線を投げかける。穏やかで優しく、動物を苛める事なぞ無さそうに見える玲一郎を、何故こうも呑天が嫌うのか、桜はとても不思議に思った。すりよせられた川鵜の頭を撫でてやりながら見上げると、彼女の疑問を察したのだろう、玲一郎がふう、と溜息を吐く。
「世に言う、ライバル、と言う奴だと思っているんですよ、僕の事を」
 桜がまた、首を傾げると、玲一郎は更に、付け足した。
「呑天は、元々先代に懐いていたらしいんです。姉はその頃から、一緒だったそうで。先代が居なくなった後、ずっと姉と二人きりだったんですよ。そこへ僕が来たものだから、気に入らなかったんでしょうね。姉を取られると思ったんでしょう。最初は毎日こんな感じでしたよ。勿論、姉が居ない時だけですけど」
 くすっと笑って片目を瞑って見せた玲一郎は、呑天を嫌っているようには見えない。恐れながらも、認めていると言う事なのだろうか。呑天も呑天で、桜にぴっとり寄り添いつつ、時折睨みをきかせては居るものの、それ以上の事はしようとしない。さっきの突撃にしても、玲一郎があのくらいで参る事は無いと知っての事だったように思えた。よくわからない、と首を傾げた瞬間、呑天が再び飛び上がって、玲一郎を突付こうとしたが、空振りに終わった。玲一郎が、ひらり、と避けたからだ。
「僕も、そういつもやられてばかりって訳ではありませんから」
 と微笑む玲一郎を、どこか悔しそうな呑天が睨む。鈴は玲一郎が一方的にやられていると思っているようだが、もしかすると、勝率は五分五分なのかも知れない。ライバルではあるけれど、それ以上に互いを認め合っている、と言う事なのだろうか。少なくとも、この二人(?)は、消してしまいたい程に互いを疎ましく思っている、と言う訳では無さそうだと、桜は思った。べったり仲良くするよりも、この奇妙な緊張感を楽しんでいるようにすら見える。試しに、
「楽しい…の…?」
 と聞いてみると、玲一郎は、どうでしょう、と笑い、呑天はと言えば、縁側に座った桜の膝に頭を乗せて、目だけを開けてくっと小さな声で鳴いただけだった。不思議な関係だ、と思ってしまうのは、自分が子供だからなのか、それとも女性だからなのか。桜にはまだ、分からない。そのうち呑天はうつらうつらと眠り始め、苑には再び静けさが戻った。はらはらと舞う桃の花びらは静かに池の水面を埋め、映った空には薄紅の雲がかかったようだ。
玲一郎が冷やしておいてくれた水のゼリーは丁度良い加減でひんやりとしており、花びらをあわせたようなカップの中には、昇ったばかりの真昼の月が、ぷるん、と小さく揺れていた。

<月は水にたゆとう 終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1233/ 緋井路 桜(ひいろ さくら)/ 女性 / 11歳 / 学生&気まぐれ情報屋&たまに探偵かも 】

<登場NPC>
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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緋井路 桜様
ご発注、ありがとうございました。ライターのむささびです。
『花は天に舞い』に続いて、今度は玲一郎とお話いただきありがとうございました。楽しんでいただけたなら良いのですが。花びらを持ち帰ってしまった事を、桜嬢は気にしてらしたようですが、どうぞ、そのままお使い下さい。強い邪気を払うと消えてしまいますが、ただ香りを楽しんでいただく分には、そこそこの期間、持つようです。呑天の鋭い蹴りを目の当たりにした、初めてのお客様となってしまいましたが、今後とも可愛がっていただけると嬉しいです。それでは、またお会い出来る事を願いつつ。

むささび。