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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


儚き世界

 朝。
 目が覚めると、そこはジャングルだった。

 ――って、冗談ではありえない光景が、窓の外いっぱいに広がっている。
「…これは、また…」
 真夏の太陽がかあっと照りつける空は、家よりも高い木々に覆われて全体的に薄暗い。
 むしむしとした暑さが快適な環境を育て上げたのか、もっさりとしたシダ科の巨大な植物が庭をこれでもかと自己主張しつつ占拠している。
 空にこれまた巨大なトンボがついーと優雅に飛んでいるのを見るに至って、
「…こんな事をするのは店長しかいないな」
 また何て事をしてくれたんだとぼやきつつ、自転車を引っ張り出した如月佑が、むわんと外に出るのを躊躇わせるような気温と湿度の中、自分のバイト先である『帰蝶』へと走らせて行った。

*****

「ああ、丁度良いところに。佑ちゃん、これの氷取り替えて来てちょうだい」
 店へ飛び込むなり、奥の部屋でぐったりとしていた店の店長、深山揚羽が今日の仕事着なのかノースリーブのチャイナドレス姿で、溶けきった氷嚢を佑へと差し出す。
「あ、…はい」
 虚を突かれて素直に受け取り、フリーザーからがらがらと氷を出して袋に詰めたところで、
 ――はっ。
 店長に問いただそうとした事を思い出す。
 が、途中まで詰めた氷嚢を放置して揚羽のところに戻るのは今の作業が無駄になるような気がして、何となく複雑な表情で氷嚢を作ると、無言で揚羽の元へ持って行く。
「ありがとう」
 にっこりと艶やかな笑みを浮かべる揚羽。常なら、その笑顔で異性の心までをも溶かしてしまうのだろうが、
「店長。とりあえず起き上がった方がいいかと」
 自分がぐずぐずに溶けてしまいそうにべったりと床に伸びて広がっている彼女へ、佑がややひんやりとした声で告げた。

*****

「やだ。そんな事はしてないわよ」
 暑い暑いと呟き、ぱたぱたと、手に持っていたパンフレットらしき紙を扇子代わりに扇ぎながら、佑からの問いを聞いた揚羽が首を横に振ってほんのちょっと佑を睨む。
「もう佑ちゃんったら、変な濡れ衣を着せるんだから…でもそうねえ。なんだか、まるでこれみたいね」
「これ?」
 ひらひら、と手に持つパンフレットの表に描かれているのは、緑生い茂るジャングルの絵と『世界の恐竜展』の文字。
 聞けば、新聞屋にチケットを貰ったので、暑さしのぎがてらつい最近出かけたばかりだと言う。
「子供向けの企画だったみたいだけれど、大人も楽しめるものもいくつか置いてあったわ」
「そうなんですか。…でも、まさかこの展覧会の主催者がこんな事をする筈無いですね」
「――私の事は疑ったのにそう言う事言うんだぁ。ふぅぅん」
 にっこりと笑った笑顔が何故か怖かった。
「にゅ、ニュースでも見ましょうか。どうなっているのか知りたいですし」
 その視線を避けるべく、有無を言わせない速さでリモコンに飛びついてテレビのスイッチを入れる。多分そこに至るまで1秒もかからなかったに違いない。
『――上空からの中継です。御覧下さい、この目の前に広がるジャングルの姿を』
 適当に合わせただけの民放局だったのに、今まさにその話題が流れている最中だった。ヘリコプターからの映像なのだろう、太陽の光に青々とその枝を広げているジャングルは――画面の範囲を大きく外れて、生い茂っていた。
『東京一帯を覆うこの異常現象に、政府は緊急対策本部を設置、あと数時間のうちに調査団を多数派遣する予定と――』
「…東京、一帯?」
「そのようですね」
 自分たちの所だけかと思っていたが、東京をすっぽり覆う程のサイズとなると、これは只事ではない。
『東京に住む皆様にお知らせします。只今は交通機関を一時ストップさせております。また、何が起るか分かりませんので車での移動も控えるようお願いいたします。電気、電話、ガス、水道などの設備に被害はありません。建物破損の情報は入っておりませんのでご安心下さい。繰り返します――』
 政府からの緊急連絡らしく、ニュースの合い間合い間にそのような通達が為され、報道局の中はばたばたと見るからに慌ただしかった。
「緊急報道番組ばかりだわ」
 チャンネルを回し、つまらなさそうにぷつんと電源を切ると、
「手がかりかどうかも分からないけれど…行ってみない?ここ」
 一晩――いや、もっと短い時間で現れたであろう密林の姿。その直前に開催された恐竜展のパンフレット。
 なんとなく、というあやふやな手がかりでしか無かったけれど。
「行ってみましょう。このジャングルの木、テレビで見る今のものと姿かたちが違うように思いますし」
「やっぱりそう思うのね。さすが私の店で働く佑ちゃんなだけはあるわ」
 よしよし、と頭を撫でられそうになった佑が慌てて避け、
「電車やバスは使えないみたいなので、自転車で行きましょう」
 ぷぅと少し頬を膨らませた揚羽に言ったのだった。

*****

「緑が濃いわー」
 目を細めながら揚羽が言う。とは言え、この表情は佑には見えていない。
「そ、そうです、ねっ」
 最後のひと漕ぎで坂道の上にようやく上がった佑が、ふうっと息を吐いた。
 アスファルトや電信柱と混在しているジャングルはなかなか壮観な眺めだった。そんな中、佑が乗ってきた自転車の後ろに横座りしている揚羽が空を飛び交う巨大な虫たちや、次第に密度が濃くなって行く密林を眺めている。
「ほら、頑張って。会場まではあと少しよ」
 何となく言い出した読みが的中したからか、上機嫌の揚羽が佑にぴしぱしと言葉の鞭をくれる。まるで競走馬みたいだな、とそんな事を思いながら、2人を乗せた自転車を漕いでいた佑が「わっ」と声を上げて頭を下げた。
 瞬間。
 ――ぶぅんっ
 羽音も勇ましく、無骨な、そして日本ではまずお目にかかる事の出来ないサイズの虫が揚羽の目前に突如現れ、
「!?」
 声を上げる間もなく顔にぶつかりそうな勢いで迫って来る。
 それをどうにか避けようと動いたか、
 ぐらり、と自転車がバランスを崩して大きく揺れた。
「店長、そんな急に動いたら駄目ですよ」
 悲鳴のような佑の声が聞こえる中、揚羽が少し呆けた顔をして、そっと自分の頬に手を当てる。
 飛び込んで来た虫は、揚羽の顔にぶつかる――と思った瞬間、すぅと揚羽の頬を通り抜けて後ろへと飛び去って行ったのだった。
「…幻ですか?」
 佑が、揚羽が言った彼女の身体を通り抜けた虫の話を聞いて、ふと眉をひそめる。
「幻影と言うよりは、そうねえ、『夢』に近いかしら。それなら納得の行く事も多いのよね。これだけの植物が誰も気付かないまま生えたのもそうだけど、電線や水道管に異常が無い事がそもそも異常なわけだし」
「そう言えばそうですね。それに、道路上に根が張り出して移動できなくなってる事も無いし」
 緩い下りを軽快に走りながら佑が言うと、
「それよりもねぇ、佑ちゃぁん?」
 首筋にぞわりと虫が這うような感触と共に、後ろの揚羽が声を上げる。
「す――すみませんでしたっ」
 思わず謝罪。何に対しての事なのか分からないながらに、何となくここで謝らないときっと確実に怖い思いをするだろうと言う事だけひしひしと感じ取れて。
 それは恐らく人間に残されたほんの少しだけの野生――生存本能。
 だが。
「飛んできた虫くらい、自分の顔で受けないでどうするのよぉっっ。あれが幻だから良かったようなものの、本物だったらどうなっていたと思ってるの〜〜〜っっ」
「わ、わわわわわ、て、店長、そこ駄目首絞まりますっ、ぎ、ぎぶぎぶ〜〜〜〜〜っっっ!!!」
「私の顔に甲殻類の足がしがみ付いておまけにわきわき動き出したら――――!!」
 横座りでいながら両手でぐいぐいと佑の首を締める揚羽と、左右にふらふら揺れながら何とか絶妙なバランスを取る佑。
 その顔色が次第になんとも言えない色に染まりかけた頃、2人が目を見開いて、そして佑が急ブレーキをかける。
 ききいっ、と耳の奥まで響く音。
「……あんなものまで」
 両手でしっかりと佑の喉を掴んでいたお陰で振り落とされずに済んだ揚羽は、何も言わず黙って前方を見詰めている。
 密林の中を、2人に気付かずずしんずしんと音を立てて通り過ぎていく巨大ないきもの…恐竜。
 博物館で見た事のあるその姿は、骨の組み立て方が間違っていなかったんだと分かる立派な証拠で――。
「…急ぎましょう、佑ちゃん。放っておくと、いくら幻でもこの都市に住んでいる人に出る影響が大きくなるわ」
「はい」
 首にかかっていた手を離した揚羽の言葉に、こくりと頷いた佑がぐんとペダルを踏み込んだ。

*****

 駐車場までも木々に埋め尽くされていたその建物は、見た目がまるで探検映画に出て来る古代遺跡のような様相を呈していた。
「あら、素敵じゃない」
 ひらりと自転車から降り立った揚羽と、適当な所に自転車を置いた佑が連れ立って建物の中に入っていく。
「――」
 中は、そこが室内だと一瞬認識できなかった。
 ざわざわと蠢く古代の息吹が、匂いが、感じ取れそうな…一面の緑。
「どこかしら」
「…多分…あっちです」
 ひときわ強い何かの気配が、この室内にはある。それを感じ取った佑がすいと向こう側を指すのを、揚羽は別段驚くでなく見て、「やっぱり」と小さく呟く。
 ここを、東京をここまでした者は一体――次第に強く、きつくなる雰囲気に眉を寄せながら進んでいく先には、
「あら、このブースは――」
 1度来た事がある揚羽が、何かを思い出したかのように声を上げ、
「あれ、ですね」
 貴重な化石を扱っているガラスケースの中でも、恐らく目玉のひとつだったのだろう、一番目立つ場所に設置されているケースを佑が指差した。
「やっぱり、そうだったのね。あの時は気づかなかったけれど」
「店長、そう言えば来たって言ってましたね。あれは何なんですか?」
 そんな事を言いつつ2人がケースに歩み寄る。
 ガラスケースの中に居ても、外の緑の輝きに負けじとほのかに光を発しているそれは、
「これは…」
「琥珀、よ。それも虫入りの完全体で、とても大きいの」
 古代種であるトンボが、まるで標本のように綺麗に羽根を広げた状態で、透き通った黄色がかった茶色い石の中に入っている。
「虫入りの琥珀はね、そんなに珍しいものではないの。でも、ここまで大きな虫が入ったものは本当に貴重なんですって」
 琥珀が光を発しているのか、それともその中のトンボか。
「この子が発端のようね。このところの暑さで過去の思い出が甦っちゃったのかしら」
「えっ、生きているんですか?」
 ぴくりとも動かない虫を見詰めながら、佑が驚いた声を上げる。
「どうかしら。でも…あれだけの記憶を見せてくれたのだもの、『死んで』いる、とは言いづらいわね」
 そう佑に応えた揚羽が、ガラスケースにぴたりと手を付く。
「でもね、ごめんなさいね。今はあなたが空を自由に飛んでいた頃の時代ではないのよ。ただ、これだけは言わせて。…素敵な夢だったわ」
 揚羽の持つ『力』は、ガラスケースをも越えるのか。
 彼女のそんな呟きとほぼ同時に、手を当てたケースの中が一瞬で白く染まる。
「眠りなさい、夢も見ない程に深く」
 きらきらと降り注ぐ白いものは、琥珀に触れるとまるで雪のように一瞬で溶けて行く。
「それは?」
「安眠香の一種と思えば間違いないわ。…ああ、吸っちゃ駄目よ?1日や2日で目覚めるようなものじゃないから」
「ってそんなのは先に言って下さい!」
 すざっ、と一気に数メートル下がった佑が遠慮がちに揚羽へ抗議の声を上げる――そんな中、

 極彩色に包まれたトンボがふうわりと飛んで来て、
 ――琥珀の中へと吸い込まれるように消えていった。

「帰って来たんですね」
「そうね」
 何となく、2人で顔を見合わせて笑う。
 その間にも、室内の風景が無機質なものへ変わり、先程まで感じなかった空調のひやりとした空気が肌を撫でるのを確認してから、ゆっくりと外へ出て行く。
 古代の世界から、現実の世界へと。
 熱帯並に暑い、日本の夏へと。

*****

「佑ちゃーん。ねえねえ、帰りにどこか喫茶店にでも寄って行きましょうよぉ」
「暑いんでしょう?暑いですよ俺も。だから早く帰ろうとしてるんじゃないですか」
「えー。だってこおんなに暑いのよ?どうしてお店に急がないといけないのよ、お店も暑いに決まってるじゃないの」
「そんな事言われたって、店に戻ってからエアコンかければいい話じゃないですか」
「…私にあの暑い室内で冷えるまで待てって言うの?」
「脅迫しても駄目ですって。まっすぐ帰りましょうよ、また氷嚢作りますから」
「氷嚢は当然だけど、冷えていないあの部屋もお店も行きたくないわ」
「当然なんですか。それでもまだ駄々こねますか」
 きゅ、きゅっ、とタイヤを鳴らしながら、そんな埒の明かない言い合いをする2人が、すっかり日常を取り戻した、だがひと気の無い路上を走って行く。
「――あ、トンボ」
 そんな2人の頭上を、
 ついーっ、と一匹のトンボが我関せずと言うように、優雅に流れて行った。


-END-