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<東京怪談ノベル(シングル)>


割れた空蝉は声を上げる

 暑さは酷く身体を蝕む。体力もそうだが精神までも衰えさせ、まるで蛇の毒にゆっくりと殺されていくが如く。
 笑うは蝉。抜け殻を捨て、大きな産声と共に木々にへばり付いた彼らは人の世など知らぬというように鳴く。

「あちぃなー。 おい玲陽、お前よく生きてられるよなぁ…」
 何気なく声をかけて来るクラスメイトの群れの中、夏軌・玲陽(なつき・れいや)はその中心で涼しい顔をしていた。
「ははっ、冗談言うなよ。 これくらいでへばってたらこれからきついだろ?」
 外の蝉の声が暑さを増加させ玲陽の身体にも降り注いだが少しばかり汗に濡れた茶色い髪を手でかき上げ微笑む、三拍子の音楽と共に他のクラスメイトが棒と棒の間で踊り笑い声の絶えない昼下がり。

「でも暑さって結構辛いだろ、玲陽」
 文化祭間近という事で準備と考えられた遊びのダンスで盛り上がる群れから顔を覗かせた男は玲陽の側に来ると少しばかり背の高い頭をもたげながら参った、と汗に濡れる髪を犬のように振り回す。
「おいおい、汚いって。 それに、俺があんま汗かかない体質だっての知ってるだろ」
 玲陽の濡れた髪以上に汗を滴らせる生徒は「そうだったな」と言って笑い、近くの窓辺に背を預ける。

 爽やかに微笑む笑顔、背の高く恵まれた体躯、それだけでも人気があるというのに人の良さそうな性格は玲陽だけではなく他の生徒にも好かれていて、同じくそれより少し背は劣ったものの軽快な話し方や愛想の良い玲陽も例外ではなく、軽く纏まった華やかさの容姿と着飾るアクセサリー選びの上手さに高校二年、同世代のクラスメイトや学校の人間からは受けが良かった。
 そんな生徒と玲陽の二人が『親友』なのだ、文句無しに女生徒、または男子生徒からも一目おかれる存在になるのに時間はかからず、玲陽に至っては人の輪に入ろうとする言葉遣いで誰よりも早く友達を作っていく。

「はいはーい、皆さん注目! 夏軌玲陽さんの大技だよー!」
 自らが大勢の注目を浴びるように両手を広げ、文化祭の為にと用意されたマットと鉄棒に似た比較的大きい物の横に行くと、その棒を片手で掴み身体を宙に浮かせる。

「うぉ、すっご…」
 高校生でここまで出来る人間も居なく、何より教室という狭い範囲で行われる競技真っ青の器械体操にクラスメイト達の視線は集まり、今まで鳴り響いていた三拍子までが時を止めた。
「ねえねえ、やっぱり夏軌君って凄いよね!」
「ああ、ホントアイツには敵わないな…」
 玲陽の回る視線の先で繰り広げられている光景。それは紛れもない賛美の視線と声であったが、矢張り一部の人間は親友が気になるのだろう、話題として持ちかけては話をしようとしている姿が見える。

(敵わないのはこっちだよ…)
 マットレスに一つの狂いも無く完璧に降り立って見せた玲陽は声をかけて来るクラスメイトに笑顔で返しながら瞳を親友の方へ向け、細めた。
 彼が玲陽に何かしたわけでも、玲陽が何かをしたわけでもない、本当に親友。
(だと思えると、いいんだけどなぁ)
 心の中だけで自嘲し、歩みを親友の方へ寄せる。
 中学の頃から聞こえるようになった人の心の中の声、その能力を得てから玲陽は閉じてしまった鉄格子のように堅く、外の空気と中の空気を共用しながらも一歩も他人に心を許さなくなってしまった。

 それが、自分の臆病さだとわかっていても、人が自分に対する思いを直に聞くという事は恐ろしく、親友に対してでも恐ろしくて行使できない。

「お疲れ、玲陽。 おい、れい…や?」

 親友の近くに寄れば寄るほど視界が曲がっていく、まるで今まで信用していた人間に裏切られた時の様に、静かに、ゆっくりと侵食していく歪み。
(おかしいな、俺はアイツの事。 信用…して)
 汗をかかない体質というのは時に酷く体力を奪うものらしい、親友に近寄っていった玲陽の身体は暑さとその熱を外に出す事が出来ない反動で膝の力を失い、前へと重力に従いながら倒れていく。
「夏軌君、大丈夫!?」

 身体が床に完全につく寸前、違う学生服が目に入った。
 色は漆黒、女生徒ならばスカートの白が混じるのだから男子生徒だろう、霞んだ視界の中で何度も玲陽に呼びかける生徒の目は澄み清潔にしているのだろう揺れるようにしている髪は綺麗で、この世の嘘を全て追い払ってしまうかのようだった。



 倒れた時聞こえた言葉は何だっただろうか、自分を心配する声、未だに玲陽に対しての歓声を上げる声、そして軽い態度ばかりとるからこれはその罰だと言う、心の声。

「夏軌君? ああ、良かったぁ…心配したんだよ」
 こんな言葉が聞こえるのは夢の中だと玲陽の心は思った。
 だが段々とクリアになっていく視界には先程の澄みきった黒い瞳の男子生徒で、自らの状況を把握しようと曲げた首には枕が当たり、ここは保健室なのだという事が理解できた。
「あっ、ごめん。 ちょっと調子に乗りすぎたもんなぁ…悪いね」
 身体はあまり良い気分はしなかったがこれ以上体調の悪い時に人を近くに置いておきたくはない。何しろ具合が悪ければ悪いほど聞こえてくる、声。

「駄目だよ無理しちゃ。 俺が先生呼んで来ようか?」
 細い相手の手が玲陽の額に触れ、熱いね、と眉を顰める。
(…う、っ)
 ふいに心を掠める暖かさ、決して熱さではない何か。それが何かわからぬ程子供でもなく、だがまして男子生徒相手にこんな気持ちを抱くのはどうだろう、と久しぶりに心の牢が開き苦笑する。
 そんな事も知らずに生徒は暫く玲陽の様子を見ていたが、ふと立ち上がり、
「待っててね。 熱もありそうだし、保険の先生呼んでくる!」
 後ろ姿が酷く眩しい気がして目を細めた。駆け抜ける軽い足音、静かになろうとしている保健室にただ一言、まるで玲陽の心を見透かし、そして開きかけた牢を閉じさせようとする言葉が耳に入った。

(あの人、待ってるかな…告白できれば良いんだけど…まさかね)



 重い身体を保健室から脱出させ、次の時間を自主休校にと帰宅する道は酷く頭が痛んだ。
 道路という道路、家という家から憎悪と嫌味に満ちた声が聞こえ、たとえそれが玲陽に向けられたものではないとわかっていても精神を蝕む。
 帰ってからの状況も良いとは言えず、両親の非難にも似た学校の自主休校に対する思いがご丁寧に全て伝わってくる。
(あー、やんなっちゃうよなぁ。 まさかアイツにとられちまうなんてさ…)
 いや、好きだと思う人間を親友にとられる等という事はいつか経験すると思っていたではないか。
 玲陽の思考がそう言って自嘲する。そう、学校内の一番に二番である玲陽はそれこそ、逆立ちしても勝てる筈は無く。同じ男であっても何故か階級が存在するのだ。

「玲陽! お友達から電話よ! さっさと出てきなさい!」
 部屋の外から母親の声がする。
 十中八九それは親友からの心配の声、きっと一番仲の良い自分に何も告げずに家に戻った事を聞いて携帯からかけているのだろう。
「ごっめーん、今調子悪いから。 出れないって言っといて!」
 ごくごく自然に、まるで自分はサボりとして学校から出来ましたという明るい声で玲陽は母親の声に対応した。予想していた通り、母の小言は良い物ではなかったが。
(仕方ないよな、弱い所なんて…俺には…)
 無い、とは言えない。寧ろ弱い所ばかりで全てを覆い隠してしまいたかった。そんな事は出来ないと理解した上で心の牢に鍵をかけ、そのまま眠りにつく。
 どうせ次の日は何も無かった事になっていて、普段通りに笑って過ごせると信じて目を瞑るのだ。いや、何も無いのは玲陽自身だと何処かで笑う声を聞きながら。



 次の日も矢張り身体は重いままだった。熱帯夜で溜まった汗をそのままにしたのが悪かったのか、元々あまり汗をかかなかった筈の玲陽も長時間黙っていれば例外もあるわけで。
(さいあく…だなぁ)
 夏風邪一歩手前という所か、朝からのだるさと熱の気配がしたが両親は昨日の自主休校と何より症状を軽く見ているのだろう、玲陽を厳しく学校へ送り出した。

 校門が見えてくると途端に足取りが重くなって、食べてもいない腹が吐き気すら催してくる。
「おい、玲陽っ! 大丈夫か?」
「あっ、ああ。 決まってんじゃん。 何言ってんのさ!」
 心に響く他の人間達の声に気取られ過ぎた。目の前の門ばかり見ていた玲陽は隣に居た親友に肩を叩かれ、一瞬その心を震わせるも口元と声だけで笑ってみせる。

 疑心暗鬼になるような矛盾した心と言葉の世界。
 玲陽と親友を取り囲む声はひっきりなしに頭を駆け回り、本当に心配していると聞こえる声すら何処へいったのか、昨日のように矢張り玲陽の軽く親友を払いのける態度を非難する心の声。

 そして、耳にも目にもしたくはない、親友のすぐ後ろに見えるあの澄んだ瞳の生徒。

「まぁまぁ、秀才のおまえはさっさと学校に行きなさーい。 玲陽さんはちょっと後から格好良く登場するよ」
 突き放すように親友の手を振り払い玲陽は学校の裏庭へと駆けた。
 大丈夫、しっかり微笑んできたし、なにより玲陽の足は速く追いかけようにも追いつかない筈なのだ。

「あー、何やってるんだろ。 俺」
 木に背を預け、背中を押し付けるようにして座り込めば多少、服に木の刺が侵入して来たのだろう。チリ、っとした痛みが背中から全身に伝わっていって、自分という存在の虚しさと人の心が聞こえるという嫌な能力を持って生まれてきた事を心から後悔する羽目になる。

「おーい、…玲陽! お前やっぱ足早すぎ…」
 丁度その声が聞こえてくる反対を向いていて良かったと思う。玲陽の側に来たのは親友である生徒。
「心配してるんだぞ、これでも。 なぁ、最近お前調子悪そうで…」
 伸ばされる手を無意識に掴んだ。誰にも自分には触れさせない、そういうような一瞬の反応。
 手首を一度相手が顔を顰める程強く掴み、こんな事してはいけないとすぐに緩める。これが玲陽のやり方、これ以上自分の弱い所など絶対に、
「だーいじょうぶだって。 心配しすぎ!」
 する事は無い。が、親友の手を放す時、一瞬だけ震えた。
 この手をもし離して、もしも耳に入ってくる心の声が親友のもので、それが自分に対しての蔑みの言葉だったのなら。そんな恐ろしい事は出来ない。
 どんなに共に居ようとも、玲陽の能力はそれを崩して無残にも踏み潰す事が可能になる程の物なのだから。

「なぁ、文化祭の準備だろ? そろそろ行こうぜ」
 吐き気と熱に身体機能の全てを持っていかれ、また学校内から罵倒や痛みの伴う声が聞こえる。玲陽に対しての物、他の誰かに対しての物。

(告白…上手く行ったよね…?)
 あの少年の親友に対しての思い。

「お、おいっ、具合大丈夫かよ!?」
 玲陽の状態に気付いているのか居ないのか、親友が先を行く玲陽を追ってくる。歩きながら自嘲していた玲陽の背中はあっという間に親友につかまりその顔を覗かれた。
「心配しすぎだよ。 ほらほら、遅刻魔の俺がまた遅刻するのをお望みかなー?」
 今度は、上手くいった。そもそも笑顔が身体に張り付いているようなものなのだ、痛みも辛さも何もかもが麻痺して悲しさの上で玲陽は微笑む事が出来る。

「―――玲陽…」

 歩く後ろから寂しげに声を落とす親友に玲陽は遅刻するぞ、とだけ言い残しその場を去った。途中、何かがぐしゃりと潰れた音がしたがきっと、雑草か何かを踏みつけたのだろう。

「俺はいつかお前の口から本当の声が聞こえるまで待ってるからな…」
 親友の声はもう玲陽には聞こえない。夏の日差しが照りだす中、焼け焦げ、そして段々と死に行く者のように誰もいない裏庭での苦痛に満ちた声はかすれ、消えていった。

 玲陽の足跡、その小さな先にある蝉の抜け殻のように、繊細な牢獄は踏んで行った彼の心のように出口も知らずそのまま殻に閉じこもる事しか知らずに儚く消えてしまうのだろうか。

「おーい、だからぁ、遅れるぞ!」
 上げる事の出来ない筈の顔を上げ、前を向く。
 まだ―――まだ大丈夫だと心の中で言い続けながら、玲陽は学校の中へと消えて、この先どんな事が待ち受けていようとも自分は、自分だけは弱くはないと言い張れる。
 麻痺した脳はそう言って微笑み、玲陽はまたクラスメイト達の輪に入っては笑うのだ。

 自分は何も痛くは、怖くはないのだ、と。

END