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<東京怪談・PCゲームノベル>


懐かしい色の硝子玉
 
 尾神七重は陽炎の立ち昇る道を歩いている。
 日本家屋が連なる路地裏に人気は無いものの、不思議とそれに寂しさをを感じはしない。
 そこに誰かが住んでいる、という安心感があるのだ。
 七重は路地の向こう、角を曲がった先の店を目指していた。
 最近よく足を運ぶ場所、得物処・八重垣。
 七重の手には半透明の皮が揺れる水まんじゅうの箱がある。
 知り合いの和菓子店で買い求めた、七重も好きなものだ。
 芳人くんも喜んでくれるといいのだけれど。
 少年の屈託のない笑顔が七重の脳裏に浮かぶ。
 八重垣の暖簾をくぐると、クーラーには無い爽やかな風が七重を出迎える。
「七重さん、いらっしゃいっ!」
 芳人の挨拶に七重は水まんじゅうの箱を差し出す。
「これ、良かったらどうぞ」
「わ、水まんじゅう!」
 箱を受け取った芳人が瞳を輝かせて微笑んだ。
「ありがとうございます。
今、七重さんにも冷たいものお持ちしますね」
 壁面いっぱいに掛けられた刀剣類は、殺傷用としての鋭さを保ちながらも、不思議と殺伐とした雰囲気ではない。
 洋の東西を問わず一見無造作に置かれたそれらに共通する物は、確かな技術に裏打ちされた製作者のこだわりと機能美だった。
 刀剣類を見ている間の七重に、芳人は話しかけない。
 どんなに短い時間でも、それは店を訪れた相手がさく貴重な時間だからだ。
「……若旦那様!?
お店に直接いらっしゃるなんて、どうしたんですかっ」
 七重が視線を投げた先に、二人の男が立っていた。
  一人は強面のサングラスの男で、麻のスーツの上に纏う雰囲気は彼が常に戦闘の緊迫感の中で過ごして来た日々を思わせる。
 七重に一度だけ素早く視線を走らせたが、興味が無いのか壁に掛けられた日本刀に近寄って行った。
「IO2から連絡が来ていなかったか?」
 津々路が不思議そうに尋ねている。
「一応これが材料提供の依頼書だ。
霧嶋氏の刀が折れてしまって、俺が新しく作るんだよ」
 指差された霧嶋徳治は一心に刀を見続けている。
「IO2にはろくな鋼が無いから、八重垣に提供してもらう事になったんだ。
あまり顔出したくないから、物だけもらってさっさと帰るつもりだったのにな」
 青年は――後にこの店の後継者である八重垣津々路とわかった――苦笑しながら懐から白い封筒を取り出した。
 津々路は喉元まである対怪異プロテクトスーツの上にロングコートを羽織っている。
 この暑さの中、津々路は額に汗一つかいていない。
 津々路はがっしりした身体を芳人の上に屈め、封筒の中身を広げる少年を見守っている。
「……玉鋼は倉庫ですよ。お店閉めなきゃ取りに行けません」
 顔を上げた芳人の表情は曇っていた。
「芳人は店番してればいい。俺が倉庫に入るよ」
 勝手知ったる風で店の奥へ歩いていく津々路を、芳人が慌てて引き止めた。
「無理です! 今は昔と違って、僕と大旦那様以外入れません。
若旦那様だって式神に襲われます!」
 『今は』という単語にかすかに寂しげに笑って、津々路は芳人の頭を撫でた。
「玉鋼の置いてある棚は今でも覚えてる。心配するなよ、一人で行く訳じゃないから。
最近暴れ足りないって言ってましたよね?」
 最後の言葉は霧嶋に向けられたらしく、彼は壁から一振りの刀を取った。
「これを貸してくれるなら、俺も行こう」
「ダメです! せめてもう一人いなきゃ、僕はお店閉めますからね!」
 噛み付くように津々路のコートを掴む芳人の髪の上に、黒猫の耳が立ち上がっている。
 本気で怒っているようだ。
 意外に芳人くんも頑固なんだな、と七重は思った。
 二人の言い争いはまだ続いている。
「お前に店なんか閉めさせたら、二度と親父が材料なんか出してくれないだろ」
 ここは僕が倉庫に行く『三人目』になるべきかな。
 何だかあの二人なら、安心できそうだし……芳人くんも困ってるようだ。
 倉庫に何が納められているのか、一度見てみたいというのもあるけれどね。
「僕がご一緒しましょうか?」
 初めて芳人、津々路、霧嶋の視線が七重に集中した。


 八重垣の店の裏手に置かれた土蔵は思ったよりも小さく、とても全ての在庫が納められている風には見えない。
 扉を開ける七重たちに芳人が声を掛かける。
「気を付けて下さいね若旦那様。
お二人とも、若旦那様をくれぐれもお守り下さい」
「僕よりより八重垣さんや霧嶋さんの方が強いよ」
 苦笑する七重に、芳人は「でも、心配です」と続けた。
 放っておけば土蔵から出てくるまで店に戻らないで待っていそうだ。
「すぐ戻るから、な?」
 分厚いグローブに包まれた津々路の指に喉元を撫でられ、芳人は渋々頷いた。
「津々路さんは何か武器を持って行かないんですか?」
 何も持たない自分が言うのもおかしいけれど、と七重は思いながら聞いてみる。
 すでに土蔵に歩み出した津々路と霧嶋が、暗い内部から振り返った。
「大抵の物は扱えるよ。これでも武器屋の子供だからね。
今日は余計な物壊したくないから、このグローブだけだけど」
 津々路が手の平を振ってみせるそれは、彼が着ているスーツと同系統のデザインで、時折細かな光の軌跡が腕から指先へと流れている。
「精神力を霊力に変換・増幅して対象物に直接ダメージを与えるんだ。
元々、俺の霊力はほとんど無いから……ところで、きみがもし特異能力者だったら今回はその力、使わない方がいい」
 声をひそめる津々路に、七重も声のトーンを落とす。
「どうしてですか?」
「霧嶋さんは異能者嫌いなんだよ。不機嫌どころか、あの刀で切られかねない。
でも、蔵の中では俺がきみを守るから安心して」
 グローブに包まれた手を振って津々路は明るく笑い、先を行く霧嶋の傍に歩み寄る。
「きみがいてくれて良かった。
でなきゃ、いつまでも芳人が倉庫に入らせてくれなかったからな」
 今の芳人には言わないでな、と津々路が悪戯っぽく付け加えた。
 土蔵の中は冷やりとした空気で満たされ、高い位置にある窓から通路に四角い光が差し込んでいる。
 通路は大人三人が並んで立っても余裕のある幅で、その周りに木製の棚が整然と並んでいた。
 棚に収められたものは武器ばかりでなく、鮮やかな塗りの絵付け皿や、丁寧に刺繍の施された着物なども置かれている。
 広い土蔵の中を津々路は迷わずに進んで行った。
「見た目よりずいぶん広いんですね」
 七重に合わせてゆっくり歩く津々路が振り返る。
「松江の蔵と繋がってるよ。
小さい頃はよくここに隠れて遊んだな、芳人と」
 思い出を語る津々路は精悍な印象が薄れ、穏やかな雰囲気になる。
 七重は思い切って疑問を口にしてみた。
「芳人くんと八重垣さんは……一緒に遊ぶには年が離れてませんか?」
「芳人の外見は俺が初めて会った時から、ほとんど変わってないんだよ」
「え?」
 ちょうど光が当る通路の真ん中で、津々路が曇りの無い、薄い色合いの瞳を七重に向ける。
「もう気が付いてるんだろ?」
 そして眩しそうに瞳を細める。
「芳人の本体は黒猫だよ。
松江では八重垣から出ないで暮らしてたけれど、店番一人でやってるし、きみみたいな友達もできた」
 口調には嬉しさと寂しさが入り混じっていた。
「もう、俺が心配しなくても大丈夫かな」
「八重垣さん……」
 言葉を続けようとした七重の視界の端を、何かが素早く走り去る。
「式神か?」
 霧嶋が低く唸ると同時に獣の叫びが上がり、一斉に三人めがけて飛びかかってきた。
 低い姿勢から一気に抜刀し、霧嶋が獣の喉元をなぎ払う。
 そして津々路が、霧嶋の刃をかいくぐった獣の身体に拳を叩き込む。
 ほの暗い倉の中、拳から放たれた光が獣を突き抜け、七重の瞳に残像を残した。
 式神の群れは霧嶋や津々路に打ち据えられると動きを止め、護符を貼り付けた土塊に戻っていった。
「八重垣の式神はこの程度なのか?」
 霧嶋が不満そうに足元の土塊を蹴る。
 動いていた時は日本猿にしか見えなかった物が、今では砂となって床にざらりと広がっている。
 霧嶋の言葉に怒った風でもなく、津々路が淡々と返した。
「倉で運搬用に使役してるのはこんなものですよ。厄介なのは翁です」
「翁?」
 いぶかしげに霧嶋が聞いた。
 翁は老人を表す古語だ、と七重は思った。
「能面の『翁』に人工精霊を定着させたものです」
 聞きなれない単語の羅列に七重も聞き返してしまった。
「人工精霊?」
 津々路は先程よりも少し歩調を速めながら答える。
「八重垣が伝えてきた、器物に人格を与える技術だよ。
独立型戦闘知性、とでも言うのかな? だいたいが製作者の性格を受け継ぐ。
ここにいる翁は室町時代から蔵を守ってきた奴でね。
ちなみに松江には、戦闘用じゃないのも何体かいるんだ」
 人工知能、AIと呼ばれる技術とでも考えれば良いのかな。
「そういった事柄って門外不出なんじゃないですか?」
 真面目に聞く七重に津々路は苦笑した。
「八重垣はIO2に物資だけじゃなく、ほぼ全ての技術情報を提供してるよ。
それでもまだ、IO2では八重垣レベルの人工精霊を作り出せない。
悔しいけどね」
 この人はどうして八重垣を出たのだろう、と七重は思った。
 八重垣にいれば、好きなだけそれを研究できるはずだったのに。 
「八重垣をそのまま継がなかったのは、どうしてですか?」
 何度も聞かれた質問なのか、特に表情を変える事無くさらりと津々路は答えた。
「親父の仕事を外から見てみたかったんだ。
あんまり近くにいると、見えない事っていうのもあるよね?」
 そうなのだろうか。
 まだその言葉は、七重には実感を伴わない。
 どこからか突然、年老いしわがれた男の声がこだました。
 ――おお珍しや。津々路様がおいでになるのはいつぶりかの。
 ――おお、おお。立派になられた。
 ――人の世の時の流れは、かくも早きものよ。
「翁に付いてる人工精霊は一体ですが、三つの身体を同時に操りますから気を付けて」
 通路の真ん中、中空に能面が三つ浮いている。
 すぅ、とこちらに歩み出る翁面の下に、薙刀を手にした着物姿が繋がっている。
「翁があなたを津々路さんとわかっているなら、理由を説明すれば通してもらえるんじゃないですか?」
 七重を背後にかばいながら、津々路が言う。
「芳人も『今は』って言った通り、俺は八重垣を出た身だ。
翁は侵入者として判断するよ」
 霧嶋が上ずった声を津々路にかけた。
「斬っても良いのか?」
 表情とも呼べるものがほとんど無かった霧嶋が、今は瞳を異様に輝かせている。
 薄い唇が吊り上がり、抜刀した刀身が冴えた光を放った。
「どうぞ。面を壊せば人工精霊とのつながりが絶たれて止まります。
棚はできれば壊さないで下さいね。あとで請求来ますから」
「わかった」
 笑い出すのではないかとも思える霧嶋の声だ。
 了解したのは人工精霊の急所についてか、棚についてなのか、わかったものではない。
 二手に分かれた翁が霧嶋と津々路に薙刀を向ける。
「八重垣さんっ!」
 七重の目には、薙刀の切っ先が津々路の黒いスーツを貫いたように見えた。
「大丈夫」
 グローブがぎし、と鳴ると同時に、津々路は左腕で挟んだ薙刀の柄を引き寄せ、翁面に右拳で打撃を加えた。
 乾いた木の面が割れ、砕け散る。
 霧嶋も薙刀の長い攻撃範囲を巧みにかわし、懐に入ろうとしているのだが、棚が邪魔をして上手く立ち回れないでいた。
 長い柄の付いた薙刀は振るのではなく、槍のように霧嶋を狙っていた。
「……せ、えッ!!」
 あえて切っ先ギリギリまで踏み込み、霧嶋は手首をきかせて薙刀を跳ね上げる。
 そのままよろめく翁面に、霧嶋が刀身を突き立てた。
 二つに割れた面が、床でカタカタと震えている。
 それを踏み砕いた霧嶋は、愉快そうに喉の奥で笑った。
「あと一つか」
 最後に残った翁は俯いていた面をゆっくり引き上げた。
 薄く開いた口から暗い空洞を覗かせ、面はどこかしら笑ったように見える。
 ――お強くなられましたの。
 前に進み出ようとする霧嶋を制して、津々路が答えた。
「懐かしんでる暇はない、翁。
どけとは言わない。俺と戦え」
 ――おお、嬉しや。
   津々路様とまた手合わせできるとは、長生きはするものですの。
「死なないくせに」
 床に落ちた薙刀を拾い、津々路は翁の足元目がけて突き入れた。
 それをするりとかわし、翁が津々路のすぐ傍まで間合いを詰める。
 腕が届かない絶妙の間合い。
 一瞬翁の動きが止まった。
 翁の長い袴の裾が、津々路の薙刀で床に縫い止められている。
 すぐに裾をひけば解けてしまうとはいえ、その一瞬があれば津々路には十分だった。
 が、拳で打撃を加えるまでの時間は無い。
「ら、あぁッッ!!」
 とっさに右足を軸にし、左の踵を打ち込む。
 翁の面は弾け飛び、顔のある場所には闇が広がるばかりだった。
 す、とそれも蔵の闇に溶けて行き、しわがれた声が響く。
 ――またこの爺と遊んで下され。
 遊びか、と津々路は舌打ちし、七重と霧嶋に向き合う。
「翁が再生される前に急ぎましょう」
「あの面がまた集まって、同じ人格を持つのか?」
 霧嶋の言葉に津々路はため息で答えた。
「ええ、そうです。実際かなり食わせ者のじいさんですよ」
 その後も時折獣に模された式神が襲ってきたが、全て霧嶋が片付けてしまった。
 ある棚の前まで来て、ようやく津々路が立ち止まる。
「桜鋼。今じゃ玉鋼自体貴重だけど、その中でもたくさんの名刀を生んだ鋼です。
帰りましょうか」
 棚のすぐそばに吊るされた台帳に持ち出した桜鋼を記入し、津々路は鋼の袋を肩に背負う。
「そういえば、一度も翁は僕に薙刀を向けなかったな」
 翁の刃は常に津々路と霧嶋に向けられていたのだ。
「翁は殺気に最も反応する。
きみがここに入ったのは翁と闘う為じゃないだろう?」
「そうですね」
 帰り道、一度だけ津々路は床にしゃがみこみ、棚の隅から何かを拾った。
「ああ、ここにあったのか……」


「皆さんご無事で……っ!」
 蔵から出ると、出入り口の段差に腰掛けた芳人が待っていた。
「ちょっと蔵に入っただけだろう。結局店も空けてるし」
 津々路の渋い表情と口調が、今の七重には照れ隠しのように聞こえる。
 霧嶋は肩の凝りを伸ばすように大きく伸びをし、さっさと店の方に歩き出している。
「ほら、これ。お前に返すよ」
 両手を差し出す芳人に、津々路が夏の日差しの下で光る硝子玉を渡した。
 普通のビー玉よりも少し小さなそれは、幾つもの気泡を閉じ込めている。
 硝子玉は深い山間に湧き出る泉の水の色をしていた。
「ごめんな、あのあと俺も何度か探したけど、見つからなかった」
「覚えてて下さったんですね」
 芳人の手の平で光る硝子玉を七重は覗き込む。
「綺麗な色だね」
 七重を見上げる芳人が、弾かれたように笑顔を作る。
「これ、僕と若旦那様が子供の頃遊んでいて、中で失くしちゃったものなんです。
硝子玉はこれが一番好きでした」
 愛しそうに芳人は手の平に硝子玉を封じ込める。
 親しい人間も少なかった芳人の過去で、硝子玉は思い出以上に光を放っていたのだろう。
 「じゃあな」と頭を撫でて立ち去る津々路を、芳人は引き止めた。
「あのっ! もうお帰りになるんですか?」
「すぐ帰って鍛錬に入るよ。霧嶋さんも待ってるし」
 店の裏口の前で、サングラスを掛け直した霧嶋が立っている。
 霧嶋は無表情に津々路と芳人のやり取りを見守っている。
 本当は八重垣さんも、ここでもっと芳人くんと話したいんじゃないかな?
 蔵の中でも、ずいぶん芳人くんを気にかけていたし。
「もう少し休んでからでも良いんじゃないですか?
それに、僕ももっと八重垣の事を聞かせて欲しいな」
 霧嶋も七重の言葉に続いた。 
「多少遅れても、良いものを打ってくれるのなら問題ない」
「……それなら、少しだけな」
 七重と霧嶋、芳人を順に見て、津々路はぼそりと答える。
その腕を芳人が嬉しそうに引いて駆け出した。

(終)
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生 】

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■         ライター通信          ■
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尾神七重様

納品が遅れまして、申し訳ありませんでした。
七重様は芳人と(外見)年齢が近いので、津々路としても友達になって頂けた事を感謝していると思います。
意外と津々路は子供に弱いタイプなのかもしれません(笑)
また、今回はアイテム『八重垣の絵図帳』をお贈りしました。
七重様は基本的に武器アイテムを使わないとの事でしたが、見て楽しんで頂ければ嬉しいです。
それでは、今後とも得物処・八重垣を宜しくお願いします。
ご注文ありがとうございました!