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◇ 蒼い影法師 act2−Ver.AC ◇
否。
それは白手袋を填めた手だ。
次第に黒のインバネスへと吸い込まれて行くその手は、まるで闇の中から落とされた蜘蛛の糸の様に思えた。
声が、聞こえる。
『ねえ、ネットワークで生まれた貴方。気紛れで生まれ、見捨てられた貴方。外へ出たくはないですか? 偽りのペルソナを、本物にしたくはありませんか? さあ、僕の手を、お取りなさい。外で楽しく暮らしましょう』
言葉は使い古されたハンカチの様に、既に飽きが見られる程、魅力のないものだ。
けれど、それを伝える『声』は、どんな甘美な誘惑よりも甘く優しく響き渡った。
蒼い髪に蒼い瞳、そして青い衣装。肌の色までが、青みを帯びた白であるその青年は、ぴくりと頬を引きつらせた。
彼は、消えゆく定めを受け入れようとして、まるで宇宙を行き交う船の軌跡の様な仄白いそれを、ただただぼんやりと眺めていたのだ。
「うーん、随分とセンチメンタルなオハナシだこと」
何処か巫山戯た調子で言うのは、このアカウントCの調査員、金浪征だ。彼はシニカルに唇を歪ませ、そのシナリオを書いた張本人、ミシェル・クレールの顔を見つめる。
「ぶーぶー。オトメの報告書に、文句言わなぁーい」
「御歳幾つのオトメ?」
征が間髪言わせず冷たく突っ込んだ。
更にマッハでスパナが飛んでくるが、それを食らったのは巫山戯た征ではなく、楯に使われたもう一人の調査員だった。
「……。痛い」
へのへのもへじを書いたコンクリートよりも愛想のない顔を向けるのは、陽・コンラートだ。顔面へスパナをまともに食らったにも関わらず、『痛い』の台詞だけで、傷一つ付かない顔を持つのは、何処か間違っている気がする。
「解ってる? これ、報告書なんだぜ? こっちの保存用資料になら、ミシェルの好きな様に書いたって構わないけど、これは提出するんだぜ? お役所に。こんなもん通る訳ゃねぇだろ」
「えぇーー、そんなことないわよぉー。前もこう言うの書いて出したら、Aちゃんてば文句言わなかったし」
またもやぶーぶーとブーイングの意思表示をする彼女だが、それを可愛いと思う人間なぞ、ここには誰一人いない。
「Aも災難だな。資料を見て、結局自分で書き直したのか」
ぼそりと言う陽の言葉には、情けも容赦も潤いも全くない。国家公務員の一人で、このアカウントCへ仕事を降ろす一人でもある通称『A』が、ミシェルに書き直させても似たり寄ったりが返って来ると確信していることを想像するのは、決して難しい話ではないだろう。
今回の依頼もまた、彼を通してここにやってきた。
未だ事件の決着は付いてはいないが、現時点で解ったことを報告書にまとめて送ることも、彼らの仕事の一つである。
今回は通称『蒼い影法師』と呼ばれる未知のシステムの調査、及び駆除であった。
これについては、心優しき協力者を得て、現在いくつかのことが判明している。
1:『蒼い影法師』のオリジナルは、青年の形を持ったアバターだった
2:『蒼い影法師』はヴァージョンアップしており、一定世代毎に自身をコピーする
3:『蒼い影法師』は、後の世代になるに従い、不要コードを吐かなくなっている
4:2の現象より、『蒼い影法師』は後ろ向きから、振り返って描画される
5:『蒼い影法師』は、同じNOCを通過している可能性が高い
6:『蒼い影法師』は、助けを求めている様に見える
7:『蒼い影法師』に話しかけている存在がある
これだけを書けば終わりな筈であるが、何故か彼女は、ヘタレなポエマー宜しくポエムだかSSだか良く解らない報告書を書いてしまうのだ。ちなみに短かろうが長かろうが、ヘタレた文章を全て『ポエム』と言って憚らないのが征である。勿論、高尚なそれがあることくらいは知っているが。
ならば他二人が書けと言う話だが、面倒なことはご勘弁とばかりに逃げ出す征と、報告書を書かせようとPCの前に座らせたが最後、延々モニタを睨み付けるだけの陽であった為、ヘタレポエマーでもミシェルの方がマシと言う、何とも情けない話になっている。
「ま、書き直すのは俺じゃないし」
そう言ってあっさりと報告書を手放した征は、巫山戯た表情を一変させて真面目な調子で続けた。
「場所のアタリは付いてる。正体だって、そこそこ判明している。後は『蒼い影法師』を何とかするだけだ。だが…」
「うーーーん。問題は」
「本当に消すのか? それとも捕獲か? もしくは修復か…」
「それなんだよな」
どれが最良の手段なのだろうか。未だ彼らは迷っている。
「急いては事をし損じる」
ぼそりと言う陽に、征は肩を竦めてこう言った。
「ごもっとも。ここは一つ、皆様のご意見を再確認と行きたいね」
三人の視線が『心優しき協力者』達へと向けられた。
話は少々戻り。
「……おい。またあそこに行くのか?」
仏頂面は、今回彼のデフォルトの表情なのだろうかと思ってしまう。
「行くわよ。だってまだ仕事は終わっていないもの」
呆れてしまう様な、けれど何処か微笑ましい物を感じてしまうのは、惚れた弱みと言うのかも知れない。
そんな風に、彼女──シュライン・エマは思った。
「くそ。電話を渡したのは失敗だ……」
ぶちぶちと言う草間興信所の所長、草間武彦に向かい、シュラインはくすりと笑う。
「ねえ武彦さん、何でそんなにあそこへ行くことを嫌がるの?」
「……言いたくない」
長い付き合いだ。
その顔には、あんまりにもくだらないことだから、言いたくないと書いてあるのがしっかりと見えた。
まあ良い。そこらへんは、相手の方に聞けば解ることでもあるだろう。……もっとも、相手がすんなりと話してくれるだろうかは謎であるが。
それにシュラインは、今回の仕事で得る収入で、暑さが想像できる夏に向け、この興信所に新しいエアコンを買いたいと思っていた。少なくとも、最低限それくらいは出るだろうと踏んでいる。
草間興信所と言うところは、何時の間にか得た収入が消えてしまい、新しい設備投資が出来ないでいるのだ。だからここにあるエアコンは、黒電話と同じく骨董の域に達してしまうのではなかろうかと言う具合だった。
「ともかく、行ってくるわ。ちゃんと零ちゃんの言うことを聞いて、煙草ばっかり吸ってないでご飯も食べるのよ。それといくら暑いからって、そこら辺で寝たりしないでね。風邪引いたら大変だから。じゃあ、何かあったら連絡を頂戴ね」
そうきっちり釘を刺し、シュラインはじゃあねとばかり、興信所を後にしたのである。
一日も早く……、そう言われている割に、何故かのんびりのほほんとした雰囲気を持っているのは、ここの主(の一人)の性格であろうか。
『蒼い影法師』の調査を行い、その正体を粗方突き止めた彼らは、一旦解散した後、翌日再度アカウントCへと訪れていた。
現在ここにいるのは、職員を除く五人で、内四名は昨日からの続投、一名が新規の参入である。
「んーー、そうねぇ……。私としては、切っ掛けは何であれ、生まれたものを殺してしまうことは避けたいわねぇ」
蒼い双眸を持つ美女、シュライン・エマは、そう言いつつ僅かばかり眉間に皺を寄せた。彼女はその細腕で、草間興信所を切り回している人物である。その興信所の所長よりも、ずっとずっとずーーーーっと、……役に立つと言うことは、縁のある者ならば、誰であっても知っているだろう。
シュラインは手持ちぶさたの様にして、首からかけている眼鏡を弄っていた。
「私も『影法師』さんを助けてあげたいです。元には戻せないのでしょうか……」
ぽつりと淋しげに、けれど口へお茶請けの饅頭を詰め込むことは忘れていないのは、シオン・レ・ハイであった。当然の様に、お持ち帰りの饅頭の約束は出来ている。ゆったり結わえた長目の黒髪に、彼の家族であるウサちゃんが悪戯しているのは『アタシにも寄越しなさいよっ』と言う抗議なのかもしれない。
「そうですねぇ……。私は最初と変わらず、基本的に封印すると言った方向が宜しいかと思うのですけれど」
落ちてきた銀の髪をさらりと掻き上げつつそう言うのは、セレスティ・カーニンガムである。リンスター創設以来の総帥と言う肩書きを持つ彼は、思うところありと言った風であった。
「それぞれの案に懸念を申し上げれば、やはり『影法師』を消さずにおいても害のある可能性が、ないのかと言うことでしょうね。私には、何か有る様な気がするのですけれど。……時限爆弾的な仕掛けが、……そうですねぇ、例えて言うならば、ゲーム内での最終的な敵が、進化を遂げた後にとんでもない物に変化する様な」
確かにその言葉は、尤もな話であった。
唇に指を添え、思案げに緑の瞳を眇ませそう言うのは、あるべきものをあるべき姿へと修復することの出来るハルモニアマイスター、モーリス・ラジアルである。
この四名が、先の調査を行った者達だ。
そして。
「それをラスボスと言うのである」
彼の例えに反応したのは、黒い瞳黒い髪の、ぱっと見平均的な日本人の少女である亜矢坂9すばる(あやさかないん すばる)である。ぱっと見と言うのは、バストアップを背景排除で切り取ってと言う意味だ。背景付きで見てみると、平均的と言う言葉からは、可成り逸脱している。彼女が、今回のニューフェイスだ。
「あ、私、知ってますよ! 草間さんのところで、書類整理に飽きた草間さんと一緒に、零さんとシュラインさんの目を盗んでやったゲームに出てきました!」
とっても誇らしげにシオンは言うが、その『種類整理に飽きた草間』と言う言葉と『零とシュラインの目を盗んで』と言う言葉に、シュラインのこめかみがぴくりと動く。
「……シオンさん、良いこと教えてくれたわ。ありがとう」
いやーん、楽しそーとばかりなミシェルを尻目に、シュラインは脳裏でとある手順を考えていた。
「……帰ったら、じっくりと話を聞かないとね」
自分でも、目が据わっているのが解ってしまう。セレスティにまあまあとばかり宥められ、取り敢えずはその怒りを静めた。
「幸いなことに、ここには先日お借りしてきたパソコン内に『影法師』がいますからね。それを使って、シミュレートをしてみてはどうでしょう?」
「あ、それ良いかも。予めこちらの管理下の元に進化させるのなら、相手から不意打ち食らうよりは対処のしようもあるわね」
他事を考えていても、流石は大御所。シュラインは即座に思考を切り替えた。セレスティの視線も、彼女の言葉を肯定する様に微笑んでいる。
「もしも対処不能と言う事態になったら、善後策を見いだす間、緊急避難で私の檻に入れてしまいましょうか」
その後モーリスがぼそりと言った、『まあ、ハードは壊れてしまうでしょうけど』との言葉を、征が人の悪い笑みを浮かべて引き取った。
「ま、元々壊れてたからな。もう一回くらい壊れても、大した話じゃねぇしな」
全く以てその通り。壊れていたものは、別に直して返してやる謂われもないのだから。
「もう一つ、良い方法がある」
ぴっと人差し指を立て、淡泊にすばるが言う。
「何かしら?」
知り合いであるシュラインの問いを聞いたのか聞いてないのか、すばるはやはり、無表情に淡々と続けた。
「『影法師』の臨む方向へと導いてやるのが吉。後ろに戻さず、前に振り向かせてやるのである」
「……? それはセレスティさんと同じことですよね?」
シオンが暫く考えた後、そう結論に至った。確かに彼の言う通り、前に振り返らせてやるのであれば、進化のシミュレートに他ならないだろう。
しかし。
すばるはちっちっちとばかりに、やはり無表情で人差し指を振っている。
「補填してやるのである。『影法師』自身の望む形をすばる達の意見も取り入れ、再構築してやるのだ。互いの意見を取り入れるのならば、ピエロとやらも満足するのである」
しっかり先の調査結果を頭に入れているすばるは、ピエロのことも考えていた様だ。
「いやーーん、すばるちゃんってば、オステキっ! みんなが幸せになるのね」
「皆さんが幸せになるのなら、私は大賛成ですっ」
「うーん……。あのピエロが満足するかどうかは謎だけど、こっちの望む方向へと再構築出来るのなら、殺す必要もないわよね」
何だか天然ボケ倒しているミシェルと、それに感激しているシオンを生温くスルーしたシュラインは、けれど消滅させない方向に固まりそうな雰囲気に安堵を見せた。
「もしもそれが出来ないのであれば、わざとルーチンで無限ループを作っておくのも、一つの案ではありますね」
「延々アップデートを繰り返す様に、ですか?」
流石は主従、阿吽の呼吸である。
「確実かどうかは、解りませんけれどね」
そうセレスティが付け加えるのには訳があった。
「相手がピエロだから、……ね」
一筋縄で行くのだろうかと、シュラインもまた思っている。
「あのさ、そのピエロってのは、何な訳?」
彼女のしかめっ面に、征が怪訝な顔で聞いて来た。
面識……と言って良いのかどうかをさておき、そのことを知っている四人が顔を見合わせると、一応に眉間の皺を深くした。
そのことを知らないすばるは、四人の眉間の皺を計りたそうな顔をしている。
「……私達にも、はっきりとしたことは解らないのよ」
あの得体の知れないものについて、確実な情報を持つ者がいるのならこちらが聞きたい。
「解っているのは、神出鬼没で属性が魔、そして大抵の事では死なないってことくらいですね」
モーリスがあっさりそう口に出すと、続いてシオンが、小首を傾げて呟いた。
「ピエロさんって、何をしたいのかが良く解らないのです」
「異能者とは数多くお会いしておりますけれど、彼はその中でも異質ですね」
伏し目がちに言うセレスティの内心は、誰にも計ることは出来ない。
「怖いって言うんじゃないの。ただ、良く解らないのよ」
珍しくシュラインの歯切れが悪い。
そしてその言葉を聞いていたアカウントCの面々は、暫し思案した後、征が代表するかの様に口を開いた。
「ま、会って見ないと解らないってことか」
会わなければ、あの感覚は解らないだろう。誰もがその通りとばかりに頷いた。
「征さん、そちらはどうですか?」
シュラインの視線の先は、複数個あるモニタの一つに向いている。
その中には、征と陽、二人がいた。中からバッチが与えた結果を収集しているのだ。
また外側では、セレスティとシュラインが中心となり、モーリスがサポートで『影法師』への干渉を行っている。ネットイン管理は、ミシェル。その背後で見ているのは、こう言ったことを得意とはしないシオンと、ネットの中を見るのが初めてのすばるだった。
『ダメだ、こりゃ』
「やっぱり抜けがあるのが、可成り痛いわよね」
肩を竦める征の声を聞きつつ、シュラインは黒い画面に現れては消えるいくつものウィンドウを見て言った。
「それでも『影法師』が二体ありますからね、まだマシですよ」
ミシェルの管理するモニタと、繋がっているPCに目をやりつつモーリスはそう言う。
そのセカンドモニタにて、内部へと干渉しているセレスティは、個々の『影法師』の状態をチェックしつつ、シュラインと共に中の征と連携して、バッチの中身を改変していた。
『『影法師』より、ナビが二人いりゃあ、もちっと楽なんだけどねえ』
『攻撃専門でワリかったなっ』
ぼやく征に、むくれた陽がそう言った。彼は、周囲のデータを破壊しようと行動する『影法師』の動きを防ぐ役割であった。
当初、ネットの中に入った筈の陽の姿が見えないことに、すばるは小首を傾げたが、すぐさま、赤毛の彼が様であることを納得した。
驚きの色を見せなかったのは、やはりすばると言ったところだろうか。
外側の面々がいるのは、通常のネットインするあの部屋ではない。ブリーフィングなどを行う方の部屋である。征と陽の二人は、本格的なネットインと言う訳ではなく、『蒼い影法師』の入った二台のPCとサブのサーバに繋いだだけと言う簡易ネットワークに入っていた。メインサーバに接続する訳にも行かず、携帯用のネットイン装置を使用している為、些か不安定なそれとなっているのだ。そんなところに他の者達を連れて行くのは危険すぎると言う理由で、外と内に別れて作業している。
「方針を少し変えましょう」
「突撃有るのみである」
セレスティの言葉に、何時の間にか内部に干渉していた二人の背後に立っていたすばるが淡々とそう言った。
「まさか……本気?」
少々顔を引きつらせて、シュラインがセレスティへと確認するかの様な視線を投げる。すばると同じ事を考えている訳ではないだろうとは思いつつ、繊細な見かけを持つこの青年が、実は大層大胆であると言うことも十分に知っているからだ。シオンの視線も、同じくセレスティを見ていた。
「半分正解で半分外れですね」
にっこり笑う彼の作戦はこうだ。
「まず、『影法師』のヴァージョンアップを早め、そしてこちら側の意図した進化を遂げさせるバッチを作成します。こちらは変わらず。けれど、現状を鑑みるに、完璧なものは作成出来てはおりません」
「『影法師』さんにも個性がありましたしね」
その原因を、ミシェルの背後から見ていたシオンが述べる。それに肯き、続いて口を開いたのはシュラインだ。
「コピーは少々不安定だから、あんまり強いカウンターは仕込めないものねぇ。でも、オリジナルのレベルもそうかと言えば、解らないし。こればっかりは、オリジナルの方に直接干渉するしかないもの」
問題はそこにあった。
微妙に違う二つのコピーのことから考えて、オリジナルがこの二つと全く同じ構成になっているとは限らないのだ。
「臭い物は、元から立つべきである」
今まで行っていた『影法師』への干渉データを取り込んだすばるは、本日の装備その一である確率改変リサーチャーを作動させてそう結論を下す。
「オリジナルを進化させる為には、それを捕捉する必要がありますね。基本は作っておいて、後はオリジナルを見つけて、直接干渉しようと言う訳ですか」
くるりと椅子を反転させ、セレスティ、シュライン組へと身体を向けたモーリスは、アイスティへと口を付けつつそう言った。
「ええ、そう言うことです」
『アルゴリズム的には、これで間違ってはいない筈だからな』
コンソールを叩いて内容をチェックしている征が、解ったとばかりに頷いた。
「ですから、本体の方を、該当のNOCへと誘き出して仕掛けましょう」
「散らばったコピーの方は、こっちにある『影法師』を参考に、コピーにのみ反応する様にすれば良いわよね。取り憑いているPCがネットに接続した時、『影法師』にタグを付けてくれるでしょうし」
シュラインは、そのロジックを脳裏に浮かべながら、視線を宙に彷徨わせている。
「そして後もう一つ」
セレスティの唇に笑みが浮かぶ。
『何かあるのか?』
「ええ。首謀者を取り押さえたく思っております」
『あのピエロってヤツか?』
「……でも、捕まえられるかしら?」
「さあ? でも、やってみるだけの価値はあるでしょう?」
そう不確定な物言いをしつつも自信ありげであるのは、何か考えがあるのだろう。
「捕獲する確率は、未だ見えない。すばるはピエロの詳細データを所望する」
モニタを見ているのか見ていないのか解らない視線を浮かべて言うすばるに、シュラインが肩を竦めてこう言った。
「詳細なデータは、これから色々集めて行きましょ」
『んじゃま、こっちは一応上がるわ』
「んじゃー取り敢えずはティーブレーっイク」
ミシェルの言葉に、誰もがほっとした息を吐いた。
「ねえ、シュラインちゃんって、タケちゃんの奥さん?」
お茶の用意に立ったミシェルの後を、手伝うわと一声掛けて付いていったシュラインは、そう声を掛けられた。
「……えっ?!」
瞬間、彼女の思考が停止する。
何時の間にやら『さん』が『ちゃん』へと移行している。だが、シュライン本人は、そのことよりも、言われた内容に関して大いに反応していた為、変化していることに気付いてはいなかった。
いや、そうなれば嬉しいなーだとか、思ったりすることは多々あれど。
未来予想図に、そんな風景があったりもするのだけれど。
面と向かってそう言われてしまうと、少々心臓に悪い。
「あらやだ、まだ違うの?」
「え? あの……。ええ……」
「それは草間興信所の七不思議なのである」
何時の間にやらぬっと現れたすばるの存在は、更にシュラインの心臓に悪かった。
真面目に言っているのか、それとも巫山戯ているのか、さっぱり解らないのがすばるである。他人事なら、それこそ一言窘めるシュラインも、自分のことになるとどう答えて良いのか困ってしまうらしくそれもない。
「七不思議なのね。そっかー。今度、他の六つを教えてね」
「了解した」
「いやそうじゃなく……」
何だか放っておくと、七不思議が八不思議だの十六不思議だのになって行くかもしれないと、イヤな予感がシュラインの脳裏を過ぎって行った。
「でも違うのね。なぁーんだ。良くお名前聞くのにちっともお会い出来ないから、てっきりそーかなーと思ってたんだけど。タケちゃんがあたくしに隠すって、大体大事なもんなんだもんね。でもー、そーだったら良かったのになーーって思ったのよ。だって、タケちゃんってば、おバカさんだしねぇ」
何となく、草間がミシェルとの関係……と言えば語弊があるが、ここへ来ることを回避したがる理由が飲み込めた気がする。
「おバカ……」
「うん。そーよー。おバカさんだから、いーーっつも、ビンボークジ引いちゃって。しっかりした人が付いてたら、それもなくなるかなーって思ったんだけどぉー」
かまぼこ目でちろりと見られ、シュラインがどう答えようかと迷っていたところ、背後から声が落ちる。
「お前も貧乏くじ引かせてる一人だ」
征だった。
入れたお茶をトレイに乗せたミシェルが、何も言わずに征へと差し出すと、こちらも同じく無言のままに受け取った。
「……テヘ」
「笑って誤魔化すな」
そのやりとりを見て、シュラインは何だか草間に会いたいなと、そう思ってしまった。
昨日と同じ、ネットに入る為の準備は完了した。そしてそれを確認し終えたらしいミシェルの声が、脳裏に響く。
『VRS(ヴァーチャル・リアリティ・システム)オンライン。ニューラルネットワークオンライン、ハイセレクトシステムOK、位相コントロールOK、フィードバックシステムOK、エイアリシング・ノイズNoting、アンチチェイサーシステムOK。VRSオールグリーン。VDまで、テンカウントーー』
緊迫感の欠片もないその声は、けれど急激に襲ってくる唸りを緩和している様にも思える。
カウントダウンが進んでいく。
一つ数が下がる毎、何かが身体から流出して行く感覚がした。
耳鳴りが激しくなり、そして──。
カウントがとうとう『ゼロ』へと落ちた。
どうんと。衝撃の様な、けれど誰かの腕に抱き込まれる様な、そんな感覚。
ねっとりとした海に包まれたと錯覚させるそれは、何時しか身体の内部で奔流へと変わる。
一つ一つの細胞がリフレッシュされ、そして再生と言う現象を経て、形が出来る。
駆け抜ける螺旋の流れは、脳天から一気に足下へと落ち、また即座に頭上へと昇った。生まれたばかりの身体には、リアル以上に熱い流れが駆けめぐる。
更に生まれる己の欠片は、やはり渦を作り上げる螺旋の形。
最後の儀式は、瞳の構成だ。
不意に視界が生まれた。
その時。
彼らの時間は、ネットワーク内で動き出した。
見ると、己の肩に小動物が張り付いていた。
「柔らかい。リアルな感覚である」
すばるはそう漏らす。
彼女の肩には、デフォルトのナビであるハムスターがいる。可愛く小首を傾げ、まるで挨拶しているかの様なそれを、まじまじと、けれど淡々と見ていると、何故かハムスターは恥じらう様に頬を染めた。
「ひんやりとして気持ち良いわねぇ」
そう言うシュライン肩には、は虫類が尻尾を首に巻き付けつつ乗っていた。
横帯間に斑紋状の模様を持つ赤いトカゲ……に見えるが、実はヤモリの一種であるマダラトカゲモドキが元のデザインだ。宜しくとばかりに鳴く声は、何故かメェと言う山羊である。
「親分さん!」
そう叫んだのはシオンである。彼の頭には、白い垂れ耳子兎の形状を持つナビが乗っかっている。子兎であるが、何故かサングラスをかけ、迫力満点だ。手入れ状態の良い黒髪がわさわさになるのも構わず、シオンは気持ち良さげに白い柔毛を撫でている。
「良い子ですねぇ」
セレスティの首には、ふんわりとした縞々の尻尾が巻き付いていた。そこからひょこりと顔を出すのは、背中に数本の縞模様と大きな目のエゾシマリスの姿を持つナビだ。
ネットインする際に姿を少年へと変えているセレスティには、大層良く似合うコンビだと思える。
「ほらほら、よそ見していてはダメですよ。後で、ゆっくりと遊ばせてあげますからね」
流し目をちらりと余所のナビに送りつつ、己の肩から好奇心旺盛に周囲を見回しているモモンガを撫でているのは、モーリスであった。
茶褐色のアメリカモモンガの姿を持っている所為か、はたまた主の気性の所為か、何故か好奇心も旺盛で、他事も旺盛の様に見えるのがモーリスのナビだ。
『ナビぴょんは、どんな感じぃー? 皆様のリクエストにお答えしましたわよーん。細かいトコは、都度言ってくれれば対応可でぇーっっす。あ、すばるちゃんのナビは、お試し期間と言うことでー、後日ご要望をお聞きするわねー』
暫しの後、ミシェルの声が彼らの中で響いた。
それぞれが一言感想を述べると、それを待っていたかの様に、征が口を開く。
「んじゃ、仕掛けるポイントに行くとするか」
征の指がコンソールへとかかると、目まぐるしい勢いでパネルを弾いて行く。
その動きをナビに指示して追っているのは、シュラインとセレスティ、すばるの三人だ。
見る間にそこへ、ワイヤーフレームが現れたかと思うと、表面をテクスチャマッピングが貼り付けられる。オフロード使用のバイクは、まるで魔法の様に出現した。
「成程……。データベースから部品を選び出し、再構成させている訳ですね」
「そのデータの固まりを、そのままDLしてあるプログラム上に走らせるのね」
ミラーグラスに移し出されるのは、シュラインが知るどのプログラミング言語とも違うが、一つ知っていれば大抵応用は利く為に、彼が何をしているのかが何となく解ったのだ。
「パズルと同じなのである」
三人三様の言葉にナビゲータは、口角をつり上げて笑うことで返事をする。
「シュラインさんは、一台任せてOKだったよな。すばるさんは? 乗れる?」
「すばるは乗れる」
それじゃあと一台任せようとするが、シュラインはとあることを思い出して待ったをかけた。
「任せるより、後ろに乗って貰った方が良いかもしれないわよ。……そうね、陽さんの後ろが良いかも」
「え? 俺?」
何故に? とばかりに自分で自分の顔を指すが、こっくりと頷くシュラインに解ったと返事を返した。
『……確か、すばるちゃんて、妙な力があったものねぇ。一人じゃバイクが壊れそうだし、かと言ってナビゲータの征さんの後ろに乗せたら、もしもの時に困ってしまうもの』
シュラインは、そう考えたのだ。勿論、自分の後ろで何かあるのは遠慮したいと思っているし、モーリスの後ろはセレスティの指定席である為、頑丈そうな陽の後ろにと考えたのだ。
「あ、そう言えば、誘き出すって、でもどうやるつもりだ?」
征の問いに、今度はピエロと面識のある者達がくすりと笑う。
「大丈夫よ。過去数度の傾向から、最後にピエロは顔を出すわ」
「何時も何時も、いきなり顔が出てくるんですよ…」
その時を思い出したのか、シオンが寒そうに身体を抱きしめた。
「ある意味、期待を裏切らない方ですからね。もしかして、何処かでこっそりと覗いているかもしれませんよ」
モーリスの言葉が終わると共に、四台のバイクが一斉に唸りを上げた。
ワイヤーフレームの世界が、徐々に自身の情報を取り戻す。
キキィッと言う音は、それぞれのバイクが停止した音だ。
「……。姐さん、解ってて俺の後ろって言ったろう」
陽の額には切り傷とたんこぶ、バイクも少々テクスチャが剥がれかけている。
道中、一部の人間のみ散々であった。
バイクが勢い良く飛び出たかと思うと、何故か前輪がいきなりロックし、後輪のみが鼻先人参馬の如く暴れ回り、征が修復をかけた後も、可成り『重い』ゴミデータが顔面へとダイブしてきたりと、すばるの失敗プログラムの影響は絶好調であったのだ。
半分涙目になりつつそう言う陽に、シュラインが満面の笑顔で答えとした。
『だってスパナを顔面に受けて、平気だったんですものねぇ』
そう思ったことは、きっと口に出さない方が良いだろう。
「この程度、大したことじゃねぇだろ」
無問題とばかりに言ってのける征は、NOC──Network Operations Centerのビルを眺める。尤もビルと言っても、そのビル内にあるPCのアドレス群代表のことではあるが。
内部へ入ろうと征はコンパネに手を滑らせるが、それをセレスティの声が遮った。
「ナビゲーションの真似事をさせて頂いても、宜しいですか?」
恐らく、好奇心からやってみたいと思ったのだろう。物静かな青年の姿であれば、セレスティが好奇心旺盛な性格であると言うことに驚きもあるだろうが、こうして少年の姿であれば、何となく納得できてしまう。
「OーKー」
征がコンパネに手を滑らせていた征が、暫しの後、これでOKとセレスティに告げる。
「こっちとリンクしてるから。ま、最初だから少々制限かけてるけど、簡単なことなら入力可。ナビにも新しい機能が増えてるから、コンパネ出す指示してみな」
言われた通り、セレスティがシマ吉@陽命名に指示を出す。
くるりと一回転、ふさふさの尻尾がモニタをぺたりと叩く。更にもう一度、尻尾がぺたりとモニタを叩くと、セレスティの右腕の肘下が、征と同じくメタリックな輝きを持つプロテクタの様な物に覆われる。
「入力は……」
しげしげと眺めていたセレスティの呟きと同時、そこから銀の扇が開く様に、スケルトンタイプのキーボードが現れた。
「出し入れは、必要に応じてナビに指示と言うことで」
その言葉に、解りましたと頷いたセレスティの指が滑る。
皆のミラーグラスに、コマンドが点滅。
即座に転移が完了した。
「取り付け作業を行いましょうか」
モーリスがそう言うと、予め決めてあった手順通り、各自がUp Laodを行っていく。セキュリティは、セレスティの魅了の能力で誤魔化していた。
シュラインは征と探査能力のリンクをする為、その設置には加わってはいない。
すばるとシオンのコンビが、彼女の本日の装備その二である強化パラボラを、バッチへとリンクさせた途端、即座に反応があった。
「目標捕捉」
淡々と言うすばる台詞と呼応する様に反応したのは、シュラインのナビである。
ミラーグラスに赤い文字が点滅した後、トカゲモドキの輪郭が僅かにぼやけたかと思うと、その体色の一つである赤が、黄色へと変色していた。
それに誰よりも驚いたのは、シュラインである。
「変わった……」
形状がマダラトカゲモドキからクメトカゲモドキへ。
その驚きから、ミラーグラスに点滅している『Succeed!』の文字を見逃しそうになる。これでリンクも完了だ。
「これなら、シュラインさんだけでなく、私達にも解りますね」
シュラインのナビは、特殊能力発動時、ナビの形状が変化するのだ。モーリスの言葉通り、これならシュラインが聴力で何かを捕らえた時には、他の者にも視覚的に認識できる。
リンクを完了させた征が、即座にタグを貼り付けると、バッチをカスタマイズした。その動作をミラーグラスで確認しているセレスティは、続いての反応に向けて、同じくタグをポイントしている。
『蒼い影法師』専用のねずみ取りが、幾度となく反応する度、まずはシュラインのトカゲモドキナビがメェと鳴く。
各々の為にカスタマイズしたナビは、それ以前に比べ、性能が格段にUpしている。
「オリジナルの『影法師』さんは、恥ずかしがり屋さんなのでしょうか……」
コピーの反応は、既に三桁を超えている。それでもまだ、オリジナルの反応がない。
シオンがそんな呟きを漏らした時。
一層強い値が、シュラインのミラーグラスへ出現する。
「もしかして、これは……」
緊張したシュラインの声と共に、周囲が青く蒼い光に包まれた。
もう誰も彼を省みない。
今や時代遅れとなったタイプである彼は、次々生み出される自分の後発達に追い抜かれ、データの海の片隅でひっそりとデリートされることを待っていたのだ。
それなのに、そんな彼に声を掛けてきた者がいた。
彼が元いた場所は、堅牢な要塞とも言える場所だ。そんなところに侵入して来た相手と言うものに興味も湧いたし、何より、救いの手を、新たな世界への切符を差し出してくれる相手と言うものこそに、心惹かれたのだ。
彼──『蒼い影法師』のオリジナルは、まっすぐ目的の者達へと視線を向けた。
「お願いです。私を解放……、殺して下さい……。私は気が付いたらここにいたのです。生まれたかった訳ではなく、ただのサンプルとして、作り出されていました。だから……。私をここから解き放って下さい。いえ、殺してください。このままでは、私は……」
蒼い涙が一滴、頬を伝って流れ落ちた。
「殺すだなんて、そんなことしないわよ」
シュラインの力強い声が、そう『蒼い影法師』へとかけられた。
「そうですよ。『影法師』さんのコピーさん達が、助けてと仰ってました。オリジナルさんも、助けて欲しいんじゃないですか? 変なことをさせられそうになっているのなら、私達が治してあげますから」
シオンが必死になって、そう説得をしている。
「変質させられ、助けを求めるのは道理である」
すばるもまた、淡々としつつもそう言った。
「それにオイタをしているのは、貴方ではありませんよ。貴方を変えてしまったものでしょう?」
モーリスが何処か謎めいた微笑で、そう伝える。
「私達を信じてみませんか?」
最も年若い姿であるセレスティだが、その言葉には十分すぎる程の重みがあった。
「私は……」
滑る様に、けれど何処か躊躇いつつ、『蒼い影法師』が近付いて来る。
更に視界が深く蒼く変わって行った。
「私は? 生きたいのではないの?」
ゆっくりと伸ばされたシュラインの手は、蒼い世界の中、ただただ白かった。
「さあ、私達の手をお取りなさい」
セレスティに促されていても、その『蒼い影法師』……いや、蒼く染まった青年は、戸惑いの色を隠せずにいる。
「君が本当に害をなそうと思っているのならば、既に私達を襲っているのではありませんか?」
「でも、もしも私が完全に変わってしまったのなら、どうなってしまうか……」
「案ずる必要はないのである。すばる達が治すのである」
「そうです。皆さん優しいですから、きっと『影法師』さんとも仲良くなれます!」
「『影法師』さんが憂慮する事態が起こってしまったのなら、その時は必ず、私達がカタを付けて差し上げましょう」
モーリスの言葉にそれぞれがどきりとするものの、次に続くセレスティの言葉に安堵する。
「お約束致します」
見開いた瞳からは、蒼い涙が零れ落ちて行った。
言葉もなく頷く彼を見て、セレスティは征へと目配せする。
コンソールに指が滑り、シュラインを通じて新たな進化が始まった。
その場に渦巻く蒼い色が徐々に引き、それに伴って『蒼い影法師』であった青年が、他の色を取り戻していく。
まるで引く波から現れる砂浜を見る様に、それは着実に正常へと移り変わった。
そして。
落ちる一滴の涙が、蒼から透明へと変わった時、ネットの世界は、通常の色を取り戻した。
普通のアバターへと戻った『蒼い影法師』を、モーリスの檻で囲った後、征がコンソールパネルへと収納した。
檻は保険の意味である。
ほっと一息吐こうかとした刹那。
「先程から、イヤな臭いがしてたまりませんねぇ……」
その声は、唐突に現れた。
シュラインのナビの反応と、全く同時である。
「何じゃこれっ?!」
陽が声を上げたのも、初めて見たのならば致し方ないのかも知れない。征は眉根を顰めている。
そしてすばるは、初めて見るにも関わらず、動じた様子は全く見えない。
白塗りにした顔の左半分を赤と紫で塗り込め、右には同じ様な化粧柄の仮面で覆った顔が、逆さまに現れた。そこから徐々に全身が浮き彫りになって行く。肩に羽織っているのは、黒のインバネス。中はどうやらスーツの様だ。
モーリスからのシークレットMSGが届いている。同じくこっそりとそれを開くと、目の前にいるピエロのデータを欲しいと記してあった。
「どう言うこと? 事前に関知できないなんて……」
「わ、私、お風呂には毎日入ってますよっ!」
それぞれシュラインとシオンの言葉だ。
臭いと言われ、焦るシオンの言葉が、その直前のシュラインの言葉にスルーされたのは、ある意味当然なのかもしれない。唯一反応していたのは、シオンのナビである親分さんで、うんうんとばかりに頷いていた。
「何時もと同じ手口でしょう。いきなりここへと現れたのですよ」
「流石は総帥。ご明察です」
言葉と共に、ピエロが増えた。
その瞬間、僅かばかり、ナビのレスポンスが遅れた気がした。
「一匹いると三十匹だ」
「すばるちゃん、イヤなこと言わないでよ」
その言葉で思い出すのは、たった一つ。シュラインは、心底イヤな顔でそう言う。
「逃しませんよ」
台詞と共に、モーリスが両手を開くと、金色の光源が出現した。見る間に頭上へ伸びたかと思うと、澄んだ音を立てて檻が現れ、即座に不可視へと変わる。
モモンガナビが、ふわりと飛び立ちモニタを叩く。
現れたのは衣装に相応しい鞭であった。
ぴしりと言う音がフェイクの地に響くと、次の瞬間黒い光玉へと変化する。その舌先は、凄まじい勢いで周囲に湧くピエロのコピーに襲いかかった。
飛び回るのは、リアルワールドと同じだ。
「全く、ちょこまかと五月蠅い蝿です」
うんざりと言った調子のモーリスの脇から、目を射る光が飛び出した。
「ストレス発散出来るじゃねぇか」
陽の光弾だ。
次いでセレスティのナビであるシマリスが、ぺたりと尻尾でモニタを叩いた。同時に彼の指が鳴ると、そこから水の流れが現れる。
シオンもまた、マイお箸で現れては消え、消えては現れるピエロコピーを追い掛けた。ちなみに親分さんは、ウサちゃんキックでシオンの背後をフォローしている。
「本日の装備、その三」
ぼそりと呟くすばるの元から、サイレントヴォイスが展開する。ネット空間の歪みを算出し、ピエロの出入り口を改変させては出現の邪魔をしている様だ。
「空間の歪み……って、これよね」
シュラインの視線は、ミラーグラスとモニタにある複数箇所に注がれる。そのデータは、指示を受けたクメトカゲモドキが全員へと送信した。
シュラインが空間の歪みを追っているのなら、征は各自が最も力を発揮できる様に最適化と言う名のバックアップを行っている。空間だけでなく、その個々のデータが最も効率良く動ける様にだ。
次々に撃破されるピエロコピーは、攻撃のクリティカルと共にデータが瓦解し、キィーンと言う音を立てて崩壊する。
ゴミデータが周囲に浮かんでは何時の間にか形も残さず消滅するのは、ピエロの侵入方法が特異である証なのかも知れない。
みるみる内に、その数は減り、最後の一体が残った。
「止めますよ」
「OーKー」
ふわりと軽く構えたセレスティの右腕から、データの反乱、否、白い凍気が迸る。
大切なデータは、その先頭に付いているパケット情報から判断し、凍らせぬ様に心を砕く。『流れ』を扱うのはお手の物なセレスティが、失敗する筈もない。
彼のフォローを、モーリスの鞭と陽の光弾に依って行っている。逃げようとするピエロを、その動く方向へと繰り出すことにより、範囲を狭めているのだ。
更に主人であるシオンの肩から、何故かナビである『親分さん』が駆けだした。
「ままままま待ってくださいっ!」
半べそ状態のシオンが追い掛けようとするも、下手に出られては不味いと判断した征に足止めされる。
「本日の装備その四、冷線メーサー砲」
おもむろにそう呟くすばるが、両腕をすっと挙げて手のひらを開く。
そのまま飛び回るピエロ目がけて、メーサー砲を発射した。
いきなり彼らのミラーグラスにノイズが走る。触れたデータがフリーズしたかと思うと、文字化けを起こした様な中身がぶちまけられた。
「何よこれっ!」
視界だけでなく、耳でも感じるシュラインが、現在赤縞が黄色く変色し、クメトカゲモドキへと姿を変えたナビと共に耳を押さえてそう叫ぶ。
「……失敗プログラムの作動を確認」
テンション低めで淡々とそう言う彼女の言葉の意味は、端的に言うと、『失敗した』と言うことだ。
すばるに搭載されている『失敗プログラム』が、冷線メーサー砲とマイナスの相乗を起こし、周囲を巻き込んでいた。
未だ耳を押さえつつ、ナビに指示したシュラインが、ミラーグラスを調整し直す。征と情報のやりとりを何とか行い現状を把握すると、即座に冷線メーサー砲が起こした効果の産物へ、今度は『声』と言う手段でもって、ノイズをぶつけた。そこから起こる確立共鳴と言う現象が、ノイズの舞う周囲の状況をクリアに戻す。
更にそれは、結果的に目的のものまでをクリアに見せた。
「これは…っ!」
唖然としている数名を尻目に、セレスティはそう叫ぶ。
その視線の先にあったのは、セレスティにフリーズをかけられ、更にすばるの冷線メーサー砲で掠り取られたピエロのインバネスの一部だ。
「……。何時逃げたのよ」
眉間に皺を寄せ、少しばかりの悔しさを見せたシュラインの言葉である。
ピエロだと思ったものは、所謂そう見せる様に動いているプログラムだった。
「檻に反応はありませんでしたから、これを作る以前ですね」
「もしくは、最初からここには本体が来ていなかったか……」
「本体は来ていたのである」
すばるが持参した本日の装備その二、先程からこの場に設置させていた強化パラボラに、これとは別の反応があったことは確実だ。
「こっちも確認してる。ただ……」
「ただなんだよ。役立たずな征ちゃん」
陽の脳天に拳骨を一発決めた征が、口を開いた。
「僅かな時間だが、その反応が消えたんだ」
「消えた……?」
「やられたわね。……私もそれは確認していたわ。でも、直ぐに戻ったのよ。その時だったのね」
「……本当に、幽霊みたいです」
ぶるると震えるシオンの台詞の後、僅かに皆が沈黙した。
「ま、でも、目的のオリジナル『影法師』はイイカンジに変わって説得出来たし、これはこれで良いんじゃね?」
「まあ、依頼内容としては、完遂したってことよね」
「ピエロの捕獲は、後日またと言うことですか」
少し残念そうなのは、やはり仕方のない話かもしれない。
「だな。……んじゃま、『上がる』か」
ビルの谷間。
アカウントCの事務所内には、数名の影が映っている。
そこが見えるビルの屋上には、異質な影が浮いていた。
「……うっふっふ。これだから、貴方達が大好きなんですよ。皆さん、とってもお優しい。悪は悪意を持つからこそ、悪ではなく、そして聖も聖に属するからこそ聖ではない。善意を併せ持つ魔性は、悪意を併せ持つ聖性よりも御し難いのですよ。……そう、だからこそ、生き延びた彼は、これから僕と楽しく遊んでくれるでことしょう」
Ende
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α
1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い
2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者
2748 亜矢坂9・すばる(あやさかないん・すばる) 女性 1歳 日本国文武火学省特務機関特命生徒
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ライター通信
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こんにちわ、斎木涼です(^-^)。
長らくお待たせ致しました、初の異界依頼『蒼い影法師 Act2−Ver.AC』をお送り致します。本当に遅くなりまして、申し訳ありません。
皆様見事に『捕獲・修復』と言う方向のプレイングでございました。
諄い程三つの方法の念押ししていたのは、ちょっと狡かったでしょうか…。『消去』と言うのが当初出された依頼であったにも関わらず、再度意見を促しているからそれ以外の方法を暗に仄めかしていると言う感じに見えたのでしょうか。更に『助けて』とか言ってましたからねぇ……。
実は『蒼い影法師』の処置は、『消去』と言うのが正解でした。
念押しは『本当に消去しないのか』と言う意味だったのです。
消さなければ、『蒼い影法師』は必ず外へと出て行きます。変質させても、『外へ出る』と言う方向だけは生まれる様になっているからです。
Act1で、とあるPCさまのプレイングで『外へ出たいのかも』と言う記述があり、どんぴしゃだったのでその方の台詞として書かせて頂いたのが、ある意味『蒼い影法師』の目的……と言うか、方向性のヒントだったのです。
> シュライン・エマさま
何時もお世話になっております(^-^)。
『蒼い影法師』に教育を施すと言うのは、姉御気質なシュラインさまらしいと感じました。
プレイングですが、システム系と言うことに拘らず、普通の調査と同じ様な感じで書いて頂いても大丈夫でございます。毎回、シュラインさまの得意とする、そして鋭い調査・解決方法を楽しみにしております。
それにかくいうわたくしが、可成りインチキなことも書いていますので…(^-^;)。
シュラインさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。
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