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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき −雲散鳥没−






枝垂れ柳が綺麗に並ぶ川縁を、旅館で借りた下駄を引き摺りながら歩く。
その一歩一歩が余りに重々しく感じたので、気を紛らわす為に道端にあった小石を蹴ってみると、コロコロと頼りなさそうに転がって川の中へと消えていった。


(ポチャン……)


無機質な音。
生の無いものはこの世から消えても、何も意味を持たない。
そうと言って生の有るものがこの世から消えて、一体幾許の意味や価値を遺すのかも解らない。
世は無常なり。
生は非情なり。


ふと小石が転がっていった川を見遣ると、川面にふよふよと漂う満月が見えた。
しかし本物の満月を見上げる気にはなれず、足元に蹴ってくれとでも言わんばかりの丁度良い小石を、今度は思い切り川の方へと下駄で蹴り飛ばしてやる。
すると川面に映っていた満月の姿が波紋によって消され、眩しい程に光を放っていたその姿はもう何処にも無くなった。
嗚呼、こんなにも簡単にものは消えていくのだろう。
儚い。
刹那的。
そして多分、自分とそう変わりない。





「あれ、見ねェの?」


突然発された人を小馬鹿にしたような笑いを含んだ声と、その者の気配を感じられなかったことに少しばかり驚く。
そしてそれと同時に、ああ、またね、と妙に納得した。
その現代日本には不釣り合いな白装束の男からは、殺気だけではなく生気さえも感じられなかったからだ。


「月、綺麗だぜ?」


透き通るような声は、何処までも続いていく闇を浄化するようだった。
赦される筈もないと諦め掛けていた過ちを、全て初めから何も無かったかのようにしてくれるような、それでいて自分は自分の責に苛まれて苦しんでいるような、そんな酷く自虐的な声に思わず顔を上げる。
……そこには目が眩む程の満月。


月かと思った。月だと思った。
漆黒の夜空に煌々と輝く満月のようだと思った。
満月を見上げている訳ではないのに、白装束には似合わない金糸の髪が余りに神々しかったので月に見紛ってしまったのだ。


「……狐?」


そう自分で問うていながらその答えは期待していなかった。
不思議なことにこの男が、化け狐でも何者でも何も関係ない気がしたのだ。
目が眩んだと同時に、頭も眩暈を起こしたのだろうか。
前触れもなく何の感慨もなく突然頭の中に流れ込んでくる思考。
そしてそれがこの世の真実とさえ思えてくる。


例えばそうだ。
彼の目の前に折り重なるようにして倒れている狐達のように、もし息絶え朽ち果ててしまっても、それがこの男の為なら、この男の手で為されることなら、それはそれで一興だと思えてしまうような、そんな身の毛も弥立つような話をさらりと真顔で言えるようだ。
狂っているのはこの世の中か。
それとも俺か、あなたか。

唯、月が緋色に染まるのならこの手を血色に染め上げても良いと思った。







「この狐達は?まさか、死んでるんですか。」
「俺がやったんじゃねェけどな。」
「じゃあ、一体誰がこんな事を……?」
「お前達だよ。」
「え……、どうして、そんな、」
「さァ?人間様の言う『消去法』ってやつでじゃねェの?」


人間様は高等な頭脳を持っていらっしゃるから俺には解らねェよ、と憎まれ口を叩くのも忘れず、白い手の甲に乗っている白い小鳥と同じように本当に何気なく軽く首を傾げながら、男は敦己の言葉に考える振りもせずに即答する。
嫌悪感を抱きそうなニヒルな笑いに何処か虚無感を覚え、本当に人間は誰かが死ぬなんてどうでも良いことなのだと、そう思っている気がしてしまう。
人は、男の手の甲に乗っている鳥を握り潰すのにも何の躊躇いもなくそれを為すのではないかとさえ思う程で。


「あ−でも、ほら。消してく方が楽なんじゃねェ?」
「それで何も遺らなかったらどうするって言うんです。」


男は敦己を見て、人間の癖に何でそんなことを訊くのだと言いた気に目を丸くし、そして矢張り人を小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべ、くつくつと喉を鳴らして笑う。


「終わり。そこで終了。」


小鳥に頬を寄せて、その羽にそっと口付けながら、本当に何でもないことのようにさらりと言ってのける。
それを見てこの男は鳥篭の中で生きているのかも知れないと思った。
飛べない訳ではないけれど飛ぶ事を知らなくて、それでいて飛ぼうと努力さえもしないような、全てを知らない上に諦めている鳥為らざる鳥。
人為らざる人。人として生きれない人。


「消去法っていうのは最後に何かが残らないと、意味が無いのに。」
「それなら、お前が残ってくれんじゃねェの?」


何て可哀相な狐だろうかと思う。
密猟と言う人間の道楽や欲望から来るつまらない感情による行為で、大切な仲間達を殺されて、それでさえも人間にしか頼る事が出来ない。
狐である自分に出来ることなど無いに等しいから。
敦己は両手で顔を覆いたくなってしまった。


「さァ、飛べ……ッ!!」


ぱたぱたと羽ばたき墨を溢したような夜空へと白い点となり消えていく様は綺麗で、穢れなど知らずにこの先ずっと生きていくだろうとさえ思えた。
敦己がその白い小鳥に見蕩れているとその小鳥と同じような白い着物を着た男は、橋の手摺りから飛び立つようにして足元にくたばる狐の屍の中へと降り立つ。


「……さて、俺も行こうかな。」


手摺りから飛び降りた白装束の男はやんわりと微笑み、それを絶やさないようにゆっくりと歩を進める。
川面に映る月のようにふよふよと狐達は輪郭を無くしていき、遂には跡形もなく消えてしまった。

もう夜空に緋色の月を飛び立たせない為に、死んだように生きる鳥を夜空から堕とさない為に、ただ、人間として心から謝りたかった。