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<東京怪談・PCゲームノベル>


【 閑話休題 - ただいま 前編 - 】


 自分が忘れてしまった「感情」を思い出すという行為が、これほどまでに困難だとは思わなかった。自分の中で欠けてしまった「何か」を思い出そうとするたびに、恐れが生じて何もできなくなってしまう。
 思い出したらどうなってしまうのか。でも、思い出さなければ曖昧な感情だけを抱えて生きていくしかない。
 過去と決別する決意をしたときは、自分が感情を手にしたいと感じるとは、思ってもいなかった。
 でも今は――今は。
「この気持ちは……なんなんだ」
 忘れてしまった感情の名前を思い出せないことが、一種の苦痛となって襲い掛かっている。
 思い出したい。
 そう願う自分がいる。

 ◇  ◇  ◇

 賑わいは引いて静寂が訪れる紅茶館「浅葱」で、黙ったまま何かの仕度をしているウエイターに、トレイいっぱいに使用済みの皿やグラスを乗せてカウンターの中に戻ってきた永久が訪ねる。
「兄さん、この後誰かくるの?」
「ああ。縁樹とノイが旅から帰ってくるから遊びにくると、手紙をもらった」
「珍しいですね、二人が宣言してから来るなんて」
「そうかもな」
 兄、と永久が呼んだ人物は背中に漆黒の片翼を生やしてはいるものの、どこをどう見ても人間と変わらない。名前は遠藤ファーという。もともと異世界からこの世界へやってきたファーに、苗字はなかった。永久の父の誘いにより養子としてもらい、戸籍をつくり、現在では家族として扱ってもらっている。
 永久にとっても、初めてできた兄の存在に、喜ばしいことこの上なかった。
「よほど、何かあるのかな」
「いや……そうではないだろう」
 たまたま送られてきた手紙の中に、たまたま日付が指定してあっただけだ。せっかくだからと、ファーは晩御飯を豪華に用意しているがいつもこういうわけではない。
「お前も食べていくだろ」
「あー……どうしようかな。夏休みの宿題があるし、邪魔しちゃ悪いしなぁ」
「ん?」
 夏休みの宿題の辺りははっきり聞こえたが、だんだんと小さくなる永久の声に首をかしげるファー。
「そう言えば、今度はどこに行ってたの? あの二人」
「行き先は聞いてない」
「そうなの?」
「いつもそうだ。帰ってきてから、話を聞かせてもらえる」
「へぇ」
 だから待っているんだ。
 続いた言葉を吐き出したとき、ファーは自分が一体どんな表情をしているか気づいただろうか。いや、鏡が目の前にあったわけではないから、絶対に気づかなかっただろうし、核心的に作った表情でもない。
 ファーは自身が抱えている一人の女性への思いを、忘れてしまった。
「兄さん……くだらないことかもしれないけど、聞いていい?」
「なんだ?」
「兄さんにとっての縁樹さんって、どんな存在? 私は妹でしょ。血がつながっているわけじゃないけど」
「そうだな」
 うなづいて肯定する。しかしすぐに、眉間にしわを寄せて考え込んでしまう。
「難しく考えないで、こう、今の素直な気持ちを……」
「言い表したい言葉があるんだが、それがわからない」
「え……」

 自分の中に、「知らない」のではなく、「欠落」し、もう二度と戻ってこない感情がある。過去がある。感覚がある。
 それを取り戻してしまったら、自分は昔の自分に戻ってしまうのではないか。

 過去――殺戮を快楽とし、いくつもの命をこの手で奪ってきた堕天使という存在に。

「永久……俺には、わからない」
 思い出してはいけないと押さえ込む理性と。
 もう、全てを投げ出して思い出してしまえという本能と。
 入り混じった胸の奥が熱く焼けるように痛い。苦しい。
「縁樹が俺にとって……どんな存在なのか、表わす感情を失ってしまっているから」
 ファーのそんな台詞とちょうど同じときだ。店のドアが軽快なカウベルと共に開かれ、その先に
「もしかしたら、あまりよくないタイミング……でした?」
 と遠慮がちに立っている一人の女性と、その肩で不機嫌そうな表情を浮かべている小さな存在が見えたのは。

 ◇  ◇  ◇

『縁樹〜。やっぱり店が閉まってからいくって言ってんだから、店閉まってからいこうよぉ』
「でも、早くファーさんに会いたいでしょ?」
『べ、別にボクはっ!』
「またまた、照れちゃって」
 いつからだっただろうか。自分たちの帰る家を手にして、帰ったら一番に会いたいと思えるような存在がいて。
 いつの間にか、この街が自分たちの帰る場所となっていた。一つの場所に住んだり、じっとしていることがなかった自分たちにとって、意外でもあったし、本来ならば当然でもある帰る場所。
 ここにはたくさんの友達がいて、大切な人たちがいて、本当に心地よく思う。
「でも、ずいぶん会ってないから、ファーさんに忘れられていたりして」
『まさか……天地がひっくりかえっても、あいつが縁樹のこと忘れるってことはないと思うけど』
「そうかな」
 軽く染めた頬は、夕陽と同じ色をしていて、ノイにはその変化をいまいち汲み取ることができなかった。でも、縁樹が抱えている感情だったら、その身をもって実感している。
『縁樹さ、なんていうか……その』
「なに? ノイ」
『ファーのことって、どんな風に思ってるの?』
「え? ファーさんのこと? 大事な人、かな」
 予想通りの答えが返ってきて、ほっと胸をなでおろすよな、そうじゃないだろう、と焦らされたような複雑な気持ちが絡み合う。
 ノイにとって、一番面白くない質問。でも、本当はもっと手助けして、引っ張り出してあげたほうがいいんじゃないかと思っている縁樹の感情。
 突き詰めればきっと答えに行き着いてくれるはずなのに、素直に手を貸せるほど「ファー」という男を認めていない。
「ノイは? ノイにとっては?」
『にーちゃんみたいなヤツ。いいダチだし、なんでも言いあえるし、頼りになるし』
「そっか、お兄さんか。お兄さんができたらこんな感じなのかな?」
『え、縁樹は違うよっ!』
「なんで?」
『なんでって……』
 鈍いにもほどがある。
 いや、鈍いわけじゃない。縁樹は知らない。その存在の名前は知っているけれど、身をもって体験したことがない。
 だから、ノイにもはっきり言えたわけじゃない。

 縁樹はファーが好きなんだ。恋愛感情として。

『……ファーは、縁樹のことどう思ってるんだろうね』
「ファーさんが?」
『そう。縁樹は大事な人って思ってるけど、ファーにとっては縁樹はただの友達かもしれないよね。喫茶店にはいろんな人が行き来してるし、ファーにだって特別な人がいるかもしれない』
 迷いなく進んでいた足が突然止まって、肩の上に乗っていたノイはバランスを崩しそうになる。
『え、縁樹!?』
 驚いて覗き込んだ先、
「そう、だよね。ファーさんにだって、大切な人、いるよね」
 縁樹が浮かべていた表情はとても見てられないもの。
『じゃ、じゃあ、聞いてみたらどう? 恋人がいるのかとか、好きな人いるかとか、大切な人がいるかとか』
「恋人……好きな人……そうだよね。ファーさんあんなに素敵なんだから、きっと恋人の一人二人……って、二人はまずいよね」
『うん、そうだね』
 恋人が二人いると正面きってファーに言われても、少々不気味だ。まじめすぎるぐらいまじめが板についていて、感情の起伏をほとんど見せないから表情では何を考えているかなかなかわからない。
 けれど、口を開いてみるとそうでもなくて、喜んでいるのだろうとか、苦しんでいるのだろうとか、伝わってくる。
 そんな彼に二股はどう考えてもかけられないだろう。
「もし、いるんなら紹介してほしいね」
『……縁樹、それ本気で言ってるの?』
「だって、きっとファーさんの恋人だから、素敵な人だよ」
『そうじゃなくて! 本気じゃないでしょ? 本気だったら、そんな作ったみたいな笑顔しない』
 ぴしゃりと言い当てられてしまった縁樹は、何も言い返せない。ノイには自分の全てが見透かされているようだ。
 自分の知らない気持ちまで、ノイには理解できている。そんな気さえしてくる。
『それで、縁樹はファーに恋人がいてもいいの? その人を紹介してもらってもいいの?』
「ちょっと、いやだ。でも、本当にファーさんとその人が一緒にいて、幸せそうならそれでいいと思う。僕はファーさんに幸せになってもらいたいし」
『前に……さ、ファー言ってたよな。ボクたちと一緒にいることが、幸せなんだって』
 とたん、縁樹が頬を真っ赤に染めた。理由はわかっている。言われたときはその意味の大きさに気づかなかったけれど、今はそれがとても重い言葉だったことがわかる。
 嬉しく思う。ファーが重い言葉を伝える相手である自分を。
「あー、もう。とにかく。今日はお土産と今回の旅の話と、たくさん話したいことがあるんだから、そんなこと考えない。考えない!」
『少しは考えたほうがいいんじゃ……』
「何かいった?」
『ナニモイッテマセン』
「よーし」
 大通りから一本路地に入ると、とたんによい香りが広がってくる。久しぶりにその匂いを感じて、安堵を覚えた二人。
 ここが、帰ってくる場所の一つ。
 甘い香りと紅茶の気品にあふれる香りを漂わせているのは、紅茶館「浅葱」。
「二人ともいるみたいだよ」
『なんだよ、そろそろ店終わる時間だから、永久はいねーかと思ったのに』
 ドアノブに手をかけて、ゆっくりと開くといつもより控えめなカウベルが響く。
 ちょうどそのとき、中では。
「縁樹が俺にとって……どんな存在なのか、表わす感情を失ってしまっているから」
 真剣な面持ちで男がつぶやいていた。
 入ってきた縁樹とノイに気づくと、しまったというような顔を見せて、いつもの言葉――いらっしゃい――はくれなかった。
「もしかしたら、あまりよくないタイミング……でした?」
 だからいつものように、縁樹の口からも「ただいま」という一言が出てこなかった。

 ◇  ◇  ◇

 気まずい雰囲気が流れる閉店した後の紅茶館「浅葱」。
 互いに顔をあわせるまで話題にしていたことが悪かったのか、縁樹が入ってきたときのファーの言葉が悪かったのか、とにかく互いに話題が出てこない。
「あの」
「なあ」
 何か話しかけようとすれば、タイミングが重なってしまってそれ以上言葉が続かない。
 そんなことを繰り返して数十分。固まった雰囲気に耐えられなくなったのは、もちろんノイだった。
『で、いつまでお見合いしてるつもり? 二人とも』
「え? あ、そ、そうだよね。うん。実は今日、予定よりも早く帰って来れたんですよ」
「みたいだな。閉店した後にくると言っていたから、もう少し遅いと思っていた」
 凍った場を溶かしてくれたノイに胸中で礼を言いながら、ファーが止まっていた手を動かし始める。
 まだ、料理の途中だった。
 縁樹とノイが来てくれるというから、腕のよりをかけて今まで挑戦したことのない料理でも作ってみようかと思っていたのだが、意識が他のところに行き過ぎて失敗しそうなので、結局作りなれている洋食にした。
 慣れないで失敗するよりも、慣れていてうまいものを食べてもらったほうがいいだろう。
「悪いな、腹減ってないか? もう少しでできるから」
「大丈夫ですよ。ね、ノイ」
『早くきたの、こっちだし。待ってるし』
「そうか」
 二人の返答にほっとしながら、ファーはカウンターで晩御飯の準備に専念した。久しぶりに縁樹の顔を見れて嬉しいはずなのに、心が落ち着かないのはなぜだろうか。
 探しても見つけることのできない縁樹への気持ちに対するいらだちか、それとも罪悪感か。
「くそ……」
 厨房の奥に入って無心で料理をしようとしたのに、うまくできない。
 どうしても考えてしまう。
 
 縁樹が俺にとって……どんな存在なのか、表わす感情を失ってしまっているから。

 そう口にしたとき、縁樹はどんな顔をしていた。
 傷ついていたじゃないか。
 自分は約束したというのに。いつか、彼女にこの想いの名前を見つけ出して教えると約束したのに、それを果たすことができない。
 思い出したら――多くを傷つけてしまいそうです。けれど想いださなければ、彼女を傷つけてばかりだ。一体どうしたらいい。
「ファーさんっ!」
 そんなときだ。
 店のほうから響いてくる縁樹の呼び声に、ファーは急いで火を止めるとそちらに向かった。
「どうした」
「羽根が……」
『これ、お前のじゃないのか? ファー』
 店の中に黒い光を放つ羽根が目に入る。間違いない。自分を追ってきた羽根がたまたま店までやってきたのだろう。
「誰かが運んできたわけじゃないか?」
「はい」
 他の者が触れると、その強力すぎる力から取り込まれ、羽根に主導権を握られてしまうことがある。ファーが過去と決別するために失った片翼の一片。
 この羽根の中に、ファーが失ってしまった様々な感情が詰まっている。
「永久、下がっていろ。縁樹、ノイ、永久を頼む」
『さっさと終わらせろよ』
「ああ」
 いつも、ためらうことなくこの羽根を無きものにしていた。それが、ファーが今まで奪ってきた命への償いの一つでもあるから。
 その場面に何回も立ち会っている縁樹もノイも、心配ないと信じきっていた。
 けれど――

「なっ」

 ファーが羽根に手を伸ばし、握りしめようとした刹那。
 漆黒の光が強く放たれ、ファーの身体を取り込んだ。
「ファーさん!」
『ファー!』
「兄さんっ!」
 三人の声が聞こえる。
 振り払おうとするけれど、闇がいっそう濃くなるばかり。どんどん暗闇に中に沈みこまされていく。深い深い、地の底へと。
 縁樹は黙ってみていなかった。ファーに駆け寄り手を握り締めようとする。しかし、ファーがそれを許してくれない。
「来るなっ!」
「でもっ!」
「お前まで取り込まれる」

 脳裏に響く誘惑の声。
 負けてはいけない。負けてはいけないと理性が注げているけれど、本能が知りたがっている。

「……すまない、縁樹」


 縁樹へ抱えたこの気持ちを――この羽根は知っている。





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■       ○ 登場人物一覧 ○       ■
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 ‖如月・縁樹‖整理番号:1431 │ 性別:女性 │ 年齢:19歳 │ 職業:旅人
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■       ○ ライター通信 ○       ■
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この度は、NPC「ファー」とのシチュエーションノベルとなる、「閑話休題」の
発注ありがとうございました!
縁樹さん、そしてノイさん、またお二人にお会いできて本当に嬉しいです!
二人の関係を一歩進めるお話ということで、長くなってしまいそうなので
前後編とさせていただくことにしました。
後編は縁樹さんやノイさんに走りまわっていただく予定です。
相変わらず迷ってばかりのファーですが、縁樹さんとノイさんで導いて
やってください。
それでは、この度は発注本当にありがとうございました。
後編で再びお目にかかれること、楽しみにしております。

                         山崎 あすな 拝