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<東京怪談・PCゲームノベル>


月は水にたゆとう

ほんの僅かだが、陽射しが変わった気がした。空の色も心なしか澄んで見える。車の音も通りを行く人々の声も遠くなり、それまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。風は甘い花の香りに満ちており、しっとりと湿って心地よかった。都会の真中にこんな場所がある事に気付く者は、きっと殆ど居ないだろう。
「…姉さん、また桃を勝手に…」
 木々の向こうから聞えてきたのは、青年の声だ。銀の髪に金の瞳、白いシャツのよく似合う、穏やかな顔立ちをした青年は、竹箒を手に傍らの樹を見上げて溜息を吐いていた。彼の向こうには平屋建ての大きな屋敷が見え、手前には桃の木が数本、満開に花をつけて居た。季節外れ。それ以前に、桃の花と実が同時について居るのだから、ただの木では無い事はすぐに分かる。庭の真中には小さな池があり、青年と、花の色を映して揺れていた。

「…ここ…どこ?」
 氷川かなめ(ひかわ・かなめ)はゆっくりと辺りを見回した。前を走っていた天(てん)の姿がふいに消えたと思ったら、不思議な場所に迷い込んでいた。木々のアーチを幾つ抜けたか、茂みの向うにぽっかりと開けた空間と、人影を見つけた時には、正直かなりほっとした。しっかりしたお嬢さん、とはよく言われるが、それでもまだ小学生なのだ。
「あのぅ」
 ここはどこですか、と、かなめが聞くより早く、うわんっ、と元気な声が静寂を破った。天だ。銀髪の青年が振り向き、おや、と目を見開いて屈んだ。その腕に飛び上がるようにして天が乗っかる。驚きながらも天を抱っこした青年が、かなめの方に顔を上げて目を細めた。
「おや、これは可愛らしいお客さんですね」
「…あの、勝手に入ってきちゃって、ごめんなさい」
 慌てて頭を下げると、青年は笑って首を振った。
「良いんですよ。別に、塀も門もありませんから、家は」
 手を貸してもらいながら茂みを抜けて、彼の立っていた庭に入る。これまで微かに漂っていた花の香りがぐっと濃くなり、小さな花びらがかなめの頬を掠めた。
「凄い…綺麗…」
 見上げて思わずそう言うと、青年はありがとう、と微笑んだ。
「桃の木なんです。よく花を咲かせてくれて、僕らもとても助かっています」
「桃?でも、もう夏よ?桃は春の初めに咲くんでしょう?それに、一緒に実が成っているなんて」
 かなめが指差した枝には、大きな桃がぶらんとぶら下がっていた。花が咲くだけなら狂い咲き、と言う事もあるけれど、花と実が一緒につく事など、普通はあり得ない。
「うちのは少し、変わっているんですよ。うち、と言うより、この場所が、かな」
 青年の言葉に、かなめは首を傾げた。
「場所が?」
「ええ。…そう、まだお名前を聞いてませんでしたね。僕は天玲一郎(あまね・れいいちろう)と言います」
「私は、かなめ。氷川かなめよ。それで、この子は天ちゃん」
 かなめが言うと、玲一郎の腕の中で、天がまた一声、咆えた。

「寿天苑…?それが、ここの名前なんですか?」
 かなめが聞くと、玲一郎は頷いた。自己紹介を済ませた後、かなめと玲一郎は、並んで縁側に座って、庭を見ていた。彼の膝から降りた天は、大喜びであちこち走り回っている。どこかに行ってしまわないか、少し心配ではあったけれど、今の所庭の外に出るツモリは無いらしい。玲一郎の淹れてくれた茶と、冷たい桃はとても美味しくて、かなめはすぐに平らげてしまった。
「変わった名前。ちょっと中華料理屋さんみたい」
 率直な感想を口にするかなめに、玲一郎がなるほど、と苦笑する。
「昔、寿天老、と言う仙人が、ここを作ったからなんです。その人の名を取って、寿天苑」
「じゃあ、玲一郎さんも、仙人?」
「一応。僕はあまり、出来の良い方ではありませんけど。ここは代々、その寿天老の子孫に当たる仙人が守る事になっているんです。今ここに住んでいるのは、僕と、姉の二人」
 寿天老が作り出したこの空間には、仙界と同じ気が宿っているのだと、玲一郎は教えてくれた。なるほど、そう言われてみれば、ここの空気は何だか瑞々しく清らかな感じがする。花と実を一緒に付ける桃は、とても不思議で美しく、はらはら舞い落ちる花びらに埋め尽くされた池は、薄紅色の絨毯のように見えた。
「とっても、綺麗」
「ありがとう」
 玲一郎の嬉しそうな笑顔を見て、かなめは思わずドキッとした。顔立ちや愛想は全く違うけれど、この人に似た雰囲気の人を、かなめはもう一人、知っている。大好きな下の兄だ。彼は玲一郎のようには笑わないし、滅多に話をする事も無い。けれど、不思議と似ているのだ。どうしてだろう、と見上げていると、かなめの視線に気づいたのか、玲一郎がこちらを向いた。
「どうしました?桃、もう一つ、食べますか?」
「え…ええっと…」
 いきなり振り向かれて慌てたかなめを救ったのは、ささっと言う大きな音だった。見ると、真白な鳥が池に舞い降りて来る所だった。水面を覆っていた薄紅の絨毯が、波紋を描いて激しく揺れて、さらに散って行く。巻き上げた風にまた散った花びらが、白い鳥の周りに舞った。
「…呑天…」
 呟いた玲一郎の声が、心なしか強張っているような気がしたが、池に舞い降りてきた白い鳥の姿に、かなめはすぐに歓声を上げた。
「可愛い!…でも、白鳥、じゃ無いわよね」
「川鵜ですよ。真っ白いのは、珍しいですけれど」
 玲一郎が言った。
「どんてん、って言うの?」
 頷いた玲一郎の表情はやはりどこか虚ろだったが、かなめは庭に飛び降りると、池の端に駆け寄った。無論、天も一緒だ。
「あの、かなめさん!呑天はちょっと…」
 玲一郎の声に、振り向こうとした瞬間、かなめはもうっと生暖かい空気を感じた。水音が聞えたような気がしたが、分からない。だが…。辺りを見回したかなめは、悲鳴を上げた。一緒に呑天を見ていた筈の天が、どこにも居ないのだ。
「て、天ちゃんっ、天ちゃんが居ない!!!」
 池に落ちたのかと覗き込んだが、どうやらそうでは無いらしい。それでは、一体どこに行ったのか。きょろきょろと辺りを見回すかなめの横を、白い鳥が悠然と過ぎていく。その体から、聞き覚えのある声が微かに自分を呼んだような気がして、かなめはぎくり、と身を堅くした。まさか。そろり、と顔を上げる。白い川鵜は何も言わず、ふふん、と首を逸らした。
「れ、玲一郎さん…?」
 振り向いたかなめに、玲一郎が済まなそうな顔で頷く。
「すみません。でも食べた訳じゃ…」
「いやああああっ、天ちゃんっ!!天ちゃんを返してっねえっ」
 玲一郎の言葉を皆まで聞かず、パニックを起こしたかなめを呑天はジロリ、と見上げ、つつーっと近寄ってくる。かなめは更に頼んだ。
「ね?返して、天ちゃんはまだ仔犬だから、美味しくないわ?小さいし、それに…えーっと…」
 天が美味しくない理由を必死に並べ立てようと考えたが、思いつかない。確かにまだ仔犬だが、氷川家の末っ子として大切にされているせいだろうか、天はとても丸々として毛並みもよい。
「天ちゃん…美味しそうに育てちゃって、ゴメンなさい…」
 涙目でかなめが呟いたその時、すぐ傍まで近付いていた呑天がくわっと大きく口を広げた。わっと尻餅をついたかなめの前に、見覚えのある仔犬が飛び出してくる。
「うわんっ」
「天ちゃんっ!!」
 抱きとめた天の体は何だか生暖かく湿っている気がしたが、かなめは構わず抱き締めた。感動の対面を果した二人(?)に再び大きな影が迫る。かなめさん!と言う玲一郎の声で、我に返った時には既に遅く、かなめと天はぱっくりと開いた生暖かい闇の中に…と、思ったのだが。間一髪、ふわりと横から抱き上げられた。玲一郎だ。
「危ない危ない」
 と溜息を吐きながら、玲一郎は天とかなめを抱いたまま、ひらりと縁側まで飛び退った。だが、呑天は諦めない。ばっといきなり飛び上がると、まずはかなめが抱いていた天の頭、次にかなめの頭を踏み台にして…。
「…玲一郎さん。頭に」
 何も言わない玲一郎に、かなめが恐る恐る指摘すると、玲一郎は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、
「わかってます」
 と小さく頷いた。哀しげな顔をした玲一郎の頭の上で、呑天がクエ、と胸を張る。気まずい沈黙が流れた。
「えーと、…な、慣れてるんですね」
 顔を引きつらせながら、かなめが言った。
「そう見えますか」
 と聞き返した玲一郎の声は、力無い。かなめは何とか慰めようと言葉を捜したが、諦めた。
「ごめんなさい、…見えません」
 どう見ても、懐いていると言うよりは、征服されていると言った方が正しい気がする。きゅう、と鳴いた天も、同じ意見のようだ。
「…でしょうね。お恥ずかしながら。呑天は基本的に、姉の言う事しか聞かないので」
「お姉さん?」
「ええ。今日は出かけてしまったようですけど。呑天は、姉に懐いて居るんです」
 要するに、姉にしか懐いていない、と言う事なのだろう。
「もしかして、玲一郎さんも、その…」
「時々、やられますよ今でも」
「…でも」
「でも?」
 頭に呑天を載せたまま、玲一郎が振り向く。
「嫌いじゃ、無いんですね」
 かなめの言葉に、玲一郎は少し驚いたようだったが、すぐに柔らかく微笑んで、
「そうですよ」
 と言った。頭の上の呑天も、にやり、と笑ったようだ。喧嘩をしつつも心は通じているらしい、二人の関係が何だかとても子供っぽく見えて、かなめは堪えきれずにくすくすと笑い出した。
「どうかしましたか?」
 不思議そうに聞く玲一郎に首を振って、立ち上がる。膝に乗っていた天も、ぴょんっと地面に飛び降りた。
「玲一郎さん」
「はい」
「今日のお礼を、させて下さい」
 首を傾げた玲一郎に、にっこり笑って見せてから、桃の木々を見上げる。薄紅に煙るような木々、それらの香りを包み込むように運ぶ風、かなめの耳には、既に謡が聞えていた。

 見もせぬ人や花の友
見もせぬ人や花の友…

「桃と桜は違うけれど…」
 呟いて、ふわり、と立つ。かなめ自身は気づかない事だが、振り向いたかなめには既に小学生のそれとは違う雰囲気が漂っていた。ほう、と玲一郎が息を漏らす。『吉野天人』は、ずっと前に習ったお仕舞ではあるけれど、体は全く忘れていない。満開の桃を背に、かなめはゆっくりと舞い始めた。東の空には、ふっくらとした十五夜の月が昇ろうとしている。あと少しで東京にも、夜の帳が降りるだろう。

<月は水にたゆとう 終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2551/氷川 かなめ(ひかわ・かなめ)/女性/6歳/小学生・能楽師見習い中】


<登場NPC>
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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氷川 かなめ様
ご発注、ありがとうございました。ライターのむささびです。シチュノベや他の依頼では御馴染みでしたが、寿天苑がらみでは初のノベルとなりました。いかがでしたでしょうか。天ちゃんと共にご来訪、そして呑天と遊ぶ(?)とのご希望でしたが…すっかり遊ばれてしまいました。お楽しみいただけたなら良いのですが。
お礼の舞いは、『吉野天人』。天女が舞い、空から花が降り、と言う辺りが何となく場面と合っている気が致しましたので。舞っている最中、かなめさんの髪に絡んだ花びらを一片、そのままお持ち帰りいただいたようです。たいした力はありませんが、お土産、と言う事でお持ちいただければ幸いです。それでは、再びお会い出来る事を願いつつ。

むささび。