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世の奥様方は、旦那のあずかり知らぬところで日々交友関係を発展させるものなのかもしれない。
独自のネットワークと、広範囲に広がる秘密。侵すことの出来ない不文律。不可思議な連帯感。
世代を超えた共通の話題があれば、奇妙な形の友情すら育むものなのかもしれない。
そして。
彼女たちもまた、ソレは例外ではなく――
*
夏に向かう梅雨時期。
久しぶりの快晴の元、倉田静は友人ふたりと連れ立って『SUMMER BARGAIN』の文字が飛び交う街中を歩いていた。
結婚してから覚えた『バーゲンセール』は、これまで無縁だったのが残念だと思えるほど、すごく心がときめくイベントだった。
そして、愛する夫でも尊敬する両親でも有能な使用人でもなく、一緒に楽しんでくれる女友達というのが、どんなに貴重で素敵な存在かも最近知ったのだ。
「あ、そういえば……この間は主人がお世話になりました」
静は、隣を歩くモデルのような彼女――雑誌の切り抜きそのままのファッションが似合う城田とも子を見上げた。
「あら、そういえば……その後、腰の調子はどう?」
「湿布で何とか、と言う感じで……子供の前だと張り切っちゃうんですもの」
「倉田さんに続いて、ウチもそのうち先生にお世話になるかもしれないわ」
横で、藤井せりなが溜息をつきつつ苦笑する。
すでに娘たちを成人まで育て上げてしまった彼女にとって、目下、世話をするべき相手は無邪気で好奇心旺盛な夫ひとりである。
「やっぱり、お花屋さんも腰にきますの?」
色とりどりの花に囲まれた、可愛らしい職業――そんなイメージしか静は持つことが出来ないのだが。
「ん……」
しかし、せりなはそんな彼女の素朴な疑問に、微妙な表情を浮かべる。
「仕入れとかで確かに重いモノは持つんだけど……あの人の場合、気付いたら危ないことしてるのよ。この間も、配達に行ったのかと思ったらそのまま何時間も戻らなくて……」
明け方、ハリセンを持って夫を出迎えたのは、心配ゆえに派生する怒りのためだ。
困っている人を放っておけないと言うのはいい。
それはしかたのないことだ。
しかし。
「分かるわ。あの人も、こっちが尾行するまで思い切り内緒にしてたんだもの」
2人の主婦は溜息をつく。そこに含まれている感情が正反対だとしても、外側から見れば立派に心配性の妻達だ。
そんな彼女たちを見上げながら、静はかすかに首を傾げる。
「そういえば……主人たちが一堂に介したことはまだない、ってこと?」
とも子が瞬きを繰り返し、
「あら。意外とこの街も狭いようで広いのね」
「かもしれないわ。タイミングもあるかもしれないけど……私達よりはうんと機会があったはず」
せりながその言葉の続きを口にする。
非常に特殊な事象に進んで関わるような彼らなら、知り合うチャンスはいくらでもありそうなのに、自分達が先に繋がってしまった。
「ああ、でも、男の人たちって変なところで意気投合するものなのよ。意外と機会が巡ってきたら一気に仲良くなってしまうんじゃないかしらね?」
夫がふた回り近く年下の友人を家に招いたことを思い出しながら、せりながくすりと笑みをこぼす。
「それは……ありそうですね」
「出来れば穏便な出会い方がいいわ。興信所の依頼とかじゃ、うちの人に撃たれかねないもの」
「とも子さんったら」
くすくすと、彼女たちは笑う。
他愛のない日常会話。
他愛のない、主婦達の午後。
けれど、彼女たちは古今東西の名探偵もかくやと言わんばかりの『星の巡り』をもっていた。
人はソレを特異体質を呼ぶのかもしれない。
あるいは、『ヒーロー(ヒロイン)体質』と。
「あ、すみません。銀行に寄らせて頂いても構わないです?」
銀行の看板を認めたところで、静が2人を振り返る。
「え?もちろんだけど……」
「ATMが近くにないってちょっと不便ね。田舎の不便さとはまた違った感じで」
提携しているコンビニでおろすことも出来るが、それでは余分な手数料が取られてしまう。
こういうささやかな節約こそが、主婦に求められる金銭感覚なのだ。
そして、3人は経験年数の差こそあれ、立派に主婦だった。
「じゃあ、申し訳ないんですけど」
最近ようやく銀行でのお金の下ろし方だけでなくATMの使い方も覚えたのよ、と、嬉しそうに報告しながら入った静の足が、ぴたりと止まる。
「これがオモチャに見えるのか?ああ?」
ウィンドウが開いた途端、耳に飛び込んできたのは物騒な怒声、視界に飛び込んできたのはあまりにもお約束どおりの格好をした4人組の銀行強盗だった。
不穏な空気。緊張感。けれど、虚を突かれたにも拘らず、どこか妙に浮ついた雰囲気が漂っている。
そこにいた誰もが、いま現在起きていることに半信半疑だったと言ってもいい。
「……予行演習かしら?」
まるで、全員の脳裏を掠めた言葉を代弁するように、せりなが不思議そうに呟いた。
吸収合併を繰り返して大きく成長したその銀行は、最新の防犯システムを導入し、本格的な訓練を行うようになったらしい。
しかも、場合によっては、臨場感を出す為に抜き打ちで行われることもあるとか。
度重なる訓練が抱える弊害。
臨場感の希薄さ。
「……まあ、オモチャにも等しいのは確かね……でも、あれ、一応本物だわ」
「え?本当に?」
「とも子さん、それって……」
「トカレフ……ちょっとだけ高価な粗悪品ね。だからまあ、あの状況じゃまず役に立たないと思うんだけど」
肩をすくめて2人に解説してみせるとも子の、そんな冷静な一言は犯人グループにも職員にも届かなかったらしい。
「あの……お客様……?」
おずおずと、怯えを必死に隠した支配人と思しき男がカウンター越しに、強盗団へ声を掛けた瞬間。
「動くなって言ってるだろう!!」
天井を向いた銃口が、火を吹いた。
それはけして訓練で使用されるようなものではなくて。
水を打ったような静寂に覆われた館内に、悲鳴が迸る。
それまでの浮わついた空気は霧散した。
いまいち事態を把握し切れていなかった客達も、いきなりの発砲で一気に恐慌状態へ陥ったのだ。
悲鳴。怒号。混乱。
一連の流れはさしずめ、舞台演劇かテレビドラマのようでもあり。
だが、しかし。不測の事態に対し、どれほど訓練を積もうとも職員全員が対応できるとは限らないのが現実である。
遅ればせながら緊急事態を知らせる警報ベルがむなしく頭上に響き渡るが、場の混乱を更に助長させる以上の効果はあげていない。
強盗一味は瞬く間に金の入った鞄をカウンターから奪取して、正面玄関へ。なりふり構わず、そこに居るもの全てを薙ぎ倒す勢いで逃走してしまった。
とっさに、突き飛ばされかけた老婦をせりなが自分の方へ抱き寄せて回避する。
嵐のような一幕。
スマートとは言えないが、鮮やかではあるかもしれない手並み。
静、とも子、せりなの3名は、騒然とする銀行内にありながら、ひどく冷静なまま顔を見合わせた。
やるべきコトはひとつじゃないかしら。
夫ばかりにいいカッコはさせられないわよね。
そう互いの目が語り合う。
それからの彼女たちの行動は迅速かつ的確かつアグレッシブだった。
銀行を出てすぐ、静が騒ぎに乗じて路上駐車していた車に目をつける。
「この車、貸していただけないかしら?」
コツコツと窓を叩いて微笑めば、
「人助けをするってとても素敵なことだと思うのよ」
「すぐに返すわ。大丈夫」
とも子、せりながそれに続く。
見目麗しい3人の女性に詰め寄られ、口々にたたみかけられ、運転手は鼻の下を伸ばす間もなく車を明け渡す嵌めに陥った。
「さあ、行きますわ」
運転席に乗り込んだ静は、後部座席にせりな、助手席にとも子が乗り込んだのを確認し、にっこり笑って化粧ポーチをショルダーバッグから取り出す。
ぱちんと弾いて開いたコンパクトに映し出された主婦の顔。
けれど、幸せが滲み出てくるようなおっとりしたその顔は、メイク道具によって瞬時にカーレーサーへと変貌する。
それは、平凡な主婦が持つ、非凡な能力。
「さすが、ね」
せりなが思わず、かつてのカリスマ・メイクアップアーティストを前に、うっとりとした声を洩らす。
現役自体の彼女はファッション誌の中にしかいなかった。
けれど、今は目の前でそのチカラを目の辺りに出来る。
「……さてと……あの人たち……たぶん、高速には乗らずに、山岳地帯に入り込むつもりね……」
せりなの青い瞳は、バックミラー越しの静から、ここではないどこかへと向けられる。
「通報を受けて警察が彼らを追跡するとして……市街地からかなり蛇行して……そうね、撒くために確保したルートは……」
そこに映るのは、高揚した男達の心の残像。欲望と執着が渦を巻く、仄暗い赤の炎は彼らの過去であり、内面であり――そして、埋め込まれた発信機でもある。
「とも子さん、いかがかしら?」
「ターゲットの先回りしましょ。逃走ルートとしては、多分こっちだと思うから、状況的にこっちを使うとうまく回りこめると思うの」
助手席でマップを広げていたとも子が、作戦を告げる。
「OK……それじゃ、飛ばしますわ」
豹変した静がグンッとアクセルを踏み込めば――ただの自家用車が恐ろしい追跡班に変貌する。
強盗一味はバックミラー越しに信じられないものを目撃する。
猛スピードで、どうみても一般車両と思しきモノが自分達を追いかけてきているのだ。
警察は、まだのはずだ。
自分たちは完全に撒いた。
市街地でわざと路地裏や面倒な回り道を繰り返し、そうして目的地を悟らせないようなルートを確保して来た。
この計画にぬかりはない。
だが、ソレはまっすぐに自分たちを捕え、離さない。
後部座席から、ハンドルを握る仲間の肩をきつく掴んで揺さぶった。
「あの車だわ」
とも子の視線が、数台の先行車を挟んだ合間に見え隠れする標的を捉えた。
「向こうもこっちに気付いたみたい」
アクセルを踏み込んだのか、彼らの車が急激にスピードを上げる。
鋼鉄の車体を通して眺められる炎は、焦燥の色を乗せた赤の色彩。混乱はじきに彼らから正常な判断能力を奪うことになるだろう。
「静さん……お願い出来る?」
ギリギリまで追い詰めて。
そう告げたせりなの言葉に、力強く頷きを返す。
「任せて下さい。私、負けませんもの」
レーサーへとモードチェンジした静の――言うなればプロのテクニックに、彼らが適うはずがないのだ。
白昼堂々と展開される、激しい追走劇が始まった。
対向車線を掻い潜り、信号をギリギリで躱し、辛うじて制限速度を守る一般車両を2台3台と追い抜かし。
急ブレーキと怒号と悲鳴と歓声が、入り乱れて湧き上がった。
慣性の法則で揺れる身体。掛かる重力。心拍数が跳ね上がって。
信号の変わる直前を狙い、彼らの車が無理矢理に滑り込めば、静は隣から突っ込んでくる車をよけつつ対向車線に飛び出して、ハンドル切って、また同じ車線に戻す。
クラクションと怒号とブレーキ音がまたしても盛大に爆発し。
目まぐるしく流れていく景色たち。
追う者と追われる者のカーチェイスは、目撃した全ての存在に、不可解な興奮と驚きとを与え、去って行くのだ。
市街地を抜け、車線は交通量に比例して徐々に減っていく。
負荷の掛かった車体が、ギシギシと壊れそうに軋む。
摩擦によって磨り減って行く、タイヤの嫌な音。
限界まで回り続けるエンジン音。
追いかけて追いかけて追いかけて。
県境の山道に乗り込んだ時、走行しているのは彼らと彼女らの車、それだけだった。
もう、一般人を巻き込むかもしれないという懸念はどこにもない。
「そろそろ……追いついてみせます」
静の感覚が一段と研ぎ澄まされ。
視界がよりクリアになり。
脳内で計算するより早く、身体が反応する。
後ろにピタリと付けたら、今この瞬間に『追い抜く』と相手側にプレッシャーをかけ、彼らの車体が斜面の方へ誘導。
その瞬間を狙ってコーナーを取って、一気に追い抜きを掛ければ、あとは――
「あの……この車、ぶつけてしまったら怒られますよね……」
そこではたと、我に返る。
「うまくぶつけても……その後、私達が帰る時に大変よ?」
後ろから、冷静な、けれど微妙に焦点のずれたツッコミを口にするせりな。
「大丈夫。ぶつけなくても、止められるわ。私に任せてもらえる?」
ブランド物のショルダーバッグから、とも子はファンデーションを取り出すようにソレを引っ張り出した。
「……ねえ?」
「あの、とも子、さん……?」
「なにかしら?」
「ええと、いつもソレを持ち歩いてるの?」
「今日はたまたま鞄の中に入れて置いたのよ。ほら、ようやくコートをクリーニングに出してきたから」
トカレフでもなければモデルガンでもなく、正真正銘の『ワルサーP99』に指を掛けた彼女はにっこり微笑んだ。
「衣替えって結構労力使うものね」
「私、ようやくこの間、全部入れ替えましたわ。寒い日が続くと、どうしてもしまい損ねてしまって……」
「しかも、結構お金掛かるっていうのがね、驚いちゃうわ」
夫の背広だけでもこまめな洗濯が必要なのに、ワンシーズン分の衣服をまとめて出してしまうと、家計のやりくりが少々大変なことになってしまう。
特にとも子の場合、他に掛けるべき部分――例えば銃弾や手榴弾といった、こまごまとしたもの――のしめる割合が大きすぎるのだ。
だが、そんな2人の悩みに、せりなはさらりと助言をはさみこむ。
「季節の変わり目ってクリーニング屋も期間限定でセールするのよ。本当に一週間もないくらいのだけど……あと、あれ。会員セールとかも狙うと結構節約になるわよ?」
「さすが、せりなさん」
「とくに、そうね…ほら、2丁目の角にある……静さん、知ってる?」
けして遊んでいるわけではない。彼女たちに取っては、犯人グループの追跡と同じくらい、クリーニング代金の情報交換が重要だったというだけだ。
しかし、ある種の余裕に満ちていた。
「あ、車、もう少し寄せますわ」
「お願い。そろそろ、決着をつけましょ?」
猛スピードで走行する車の窓を全開にし、上半身を乗り出し、窓枠に腰をかけてとも子は手入れしたばかりのお気に入りのワルサーを構える。
口元に浮かぶのは、艶やかな微笑。
「OK……静さん、そのままキープして」
P99の場合、収束率に少々不安が残るところだが、25メートル圏内まで距離を詰めれば問題ないだろう。
風の抵抗を肌で感じ、計算しながら。
トリガーを引き。
銃声が風の音を切って鳴り響く。
そして。
「……やっぱり防弾ガラスだったわね」
軽く目を細めて、嘆息。
「まあ、当然といえば当然かしら?」
「どうします、とも子さん?この位置、キープしたままでいいかしら?」
ターゲットから視線を逸らすことなく、静は問いを投げ掛ける。
既に道幅は車2台並ぶのがギリギリという状態だ。
僅かでもハンドル操作を誤れば、犯人もろとも大破してしまう危険性は充分あった。
だが、静への信頼は絶対。
「ん。もうちょっとだけインコースに入ってもらえる?」
「分かりました」
身体を乗り出す彼女を振り落とさないように気遣いつつも、静は滑らかにアクセルとブレーキを操り、ハンドルを切る。
「向こうは完全に判断能力を失っている状態ね。逃げ切ることに集中し過ぎて、こちらへの正確なアプローチは無理……多分、反撃するだけの余裕もない……次、山に入る脇道に飛び込むつもり」
後部座席から向こう側を見据えるせりなの言葉をナビ代わりに、
「それじゃ、そろそろ休ませてあげなくちゃ」
再び、とも子は銃を構える。
狙いを定め。
一発二発三発四発――――
ワルサーP99ではタイヤは打ち抜けない。
だが彼女は、自身の手にしている武器の性能を熟知した上で、無駄な賭けに出るのではなく回転する車軸に全弾命中させた。
響く銃声の連続音がいくつ目かを越えた瞬間。
甲高いブレーキ音がアスファルトを削って突き抜けた。
無様に横滑りをする車体は、ぎゅるりと悲鳴を上げながらガードレールに腹をこすりつけ。
不吉な音を叫びながら。
停止した。
「とも子さん、すごいわね」
「有難う。訓練した甲斐があったわ」
にっこりと嬉しそうに、可愛らしくはにかむ彼女に、一瞬可憐とは言いがたい炎が垣間見える。
しかし、せりなはあえて気付かない振りをする。
どんなものを内包していようと、とも子はとも子だ。純粋で可愛らしい、ちょっと変わった感覚を持った友達である。
「あら、ようやく出て来たみたいです」
静の声に、2人も顔を向ける。
完全に車としての機能を放棄し、黒煙が立ち上る車体。
完全に恐慌状態に陥ったらしい犯人グループが、声にならない悲鳴を上げながら、それでも大きな鞄を抱えて外へ飛び出すのが見えた。
もつれる足と、バランスの取れない身体で、懸命にこの異常事態から抜け出そうともがく。
だが、『彼女たち』から逃れることなど出来るはずがないのだ。
「銀行強盗なんてして、ただで済むと思っているのかしら?」
車から降り立つと、せりなの目が咎めるように細められ、すっと腕が持ち上がる。
瞬間。
彼女のしなやかな指先が生み出したのは、透き通った群青の炎だ。
それはまごうかたなき、チカラの具現。
方々に散らばろうとしていた男たちの足が、腕が、方が、腰が、一気に絡みとられる。
すかさず、アスファルトを蹴って、大きく跳躍。
空を切ったスレンダーな足が、動きを封じられながらもまだ足掻こうとする男の後頭部を直撃。
「逃さないわよ」
その隣では、とも子が放つ銃弾が、せりなの攻撃から辛うじて逃れた男の右耳を僅か数ミリ外した所を滑っていった。
絶叫は、喉に貼りついたまま、音にはならなかったらしい。
そのまま、その場に昏倒する。
そして。
2人の活躍を眺めつつ、のんびりと静は運転席で準備をはじめる。
ファンデーション、マスカラ、チーク、アイシャドウに口紅、その他……彼女の指には、ずらりとセットされたメイクアップ道具たち。
彼女の『顔』が、またしてもさらりと塗り替えられた。
そこに現れたのは。
表層だけでなく、深層心理をも自在に操る催眠術師の顔だった。
出来栄えをバックミラーで確認し、車を降りると、たった今せりなによってひとまとめにされて転がされた男たちの前に進み出る。
「それじゃあ、最後に仕上げをしましょうか」
覆面を剥ぎ取られた男たちの瞳を覗きこみ、
「さあ、この私の声を聞いて……まずはゆっくりと深呼吸を……深く息を吸って……吐いて……」
静の声は続く。
高く、低く、波のように揺らぎながらも、忘却の呪を植えつけて。
「みっつ数えて私が指を鳴らせば、おしまい。いくわよ?ワンー、ツー、スリー……」
指を鳴らした瞬間、まるでスイッチが切れたようにカクリと彼らの意識が落ちた。
同時に、記憶も深く落ち込んだはずである。
警察に捕まれば、一切合切の自供をしてしまう。犯行の計画全てを従順に。けれど、彼等は静たち3名のことをまるで思い出せない。顔も名前も。ただ、恐怖心だけが巣食うのだ。
二度と犯罪に手を染めようなどと思えないような、そんな恐れだけを。
「見事な手際ね……」
静の仕事の成果は、せりなの目が確認する。
「これで大丈夫、ですね。任務完了」
自分たちがいた証拠を徹底して払拭していたとも子も、彼女の声に顔を上げる。
「……いっそ、無機物にもそういうメイクの効果が上がると面白いのに」
自分の思いつきにクスリと笑うと、静もほんわりとした微笑みを返す。
「例えば銃を花瓶にしたり、ですか?」
「それなら、むしろ花瓶をショットガンとかに変えてくれた方がうちとしては家計を圧迫しなくて助かるんだけど」
「いやね、2人とも。こういう時は、もっと堅実的に考えるべきだと思うわよ?例えば100円ショップで買ってきた―――」
だが、そんな彼女たちの会話が不意に途切れる。
遠くから届く、パトカーのサイレン。
彼女たちはもう一度顔を見合わせ、
「帰りは私が運転するわ」
せりなに運転を任せ、2人は後部座席に収まった。
「あ……そういえば私……お金、結局下ろし損ねたまま……」
ハンドバッグの中を整理しつつ、困っているのかいないのか分からない表情で静が呟く。
「銀行のATMって何時までかしら?急がないと、犯人は逃げないけど、バーゲンが逃げるわ」
思わず、顎に指先を添えて思案顔になるとも子。
だが、
「間に合うように頑張らせてもらうから安心して。まあ……夕飯の支度まで、あんまり時間が残ってないのはちょっと問題だけど」
せりなの言葉は頼もしい限りだった。
どれほど特殊な能力を持っていようとも、どれほど特殊な環境に身を置いていようとも、彼女たちは紛れもなくごくごく普通の、ごくごく可愛らしいと評判の奥様たちなのだ。
警察に事情聴取をうけるなんて、とんでもない。
道路標識を見上げ、随分遠出したことに今更ながらに驚きつつ、彼女たちは警察の目を掻い潜るようにして街中へ戻っていった。
非日常的な状況下で日常的な会話を交わしながらバーゲンに向かう彼女たち。
3人の『真の闘い』はこれからなのだ。
その夜。
友人たちとデパートのバーゲンを存分に堪能した静は、大きな荷物を抱えて何事もなく帰宅。
戦利品の包装を解いて簡単に整理を付けると、両親に娘の面倒をお願いして、そのまますぐに夕飯の準備にとりかかった。
冷蔵庫の中には、計画的に買い入れた食材が整然と並んでいる。
献立はもう決めていた。
同じ頃。
せりなは店の片付けを夫に任せ、とも子は夫から今晩は早く帰るとの連絡を受け、それぞれもいつもよりほんの少しだけ早い夕食の支度に取りかかっていた。
そうして。
夕げの香りが仄かに立ち昇る、午後6時。
彼女たちの背後では、テレビが今日起きたニュースを饒舌に語っていた。
中でもとりわけマスコミを賑わせていたのは、大手都市銀行を襲った強盗一味の捕縛であり、そして、陰で暗躍したという正体不明の女性たちの話題だった。
『……なお、警察当局では3人の女性の行方を調査中ですが、付近でもそのような3人組は目撃されておらず……』
犯人グループはその件に関しては黙秘を続けている。
ただ、時折うわごとのようにブツブツと、ごめんなさい許してくださいもうしません…だから殺さないで……と誰かに向けて必死に謝るだけだ。
コメンテーターを向かえたスタジオでは、今度は別の角度からの事件の分析も報じられる。
なあ、あそこって。
ねえ、もしかしてさ。
そういえば、きみ……
そんなふうに話題を振りかけた家人の声も軽く聞き流し、
「あら、お味噌が足りないかしら」
不思議そうにこちらを見る夫、あるいは家族の視線を受けつつも、妻たちは別々の場所でまったく同時に、揃って『そ知らぬ顔』で料理を続けたのだった。
*
この世には、小さな秘密が無数に散りばめられている。
そして、艶やかな華は毒を含んでいる。
けして常人の目に触れることのない、けれど華麗にして優美な彼女たちの活躍に乾杯――
END or CONTINUE?
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