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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


新鋭ノ画家

■ 画廊経営者(オープニング)

「だからァ、お願いしますって!!」
 毎度毎度古く汚い事でお馴染みの草間興信所。
 この少しでも暴れれば下の階と破壊的接触が出来そうな床や、武彦が断った依頼書の山、山、もう一つ山。それらをひっくり返すようにして先程から一人の男が必死で何か、机の反対側を向き、子供のようにそっぽを向いてしまった探偵に頼み込んでいる。

「兄さん、少しくらいお聞きしては…」
「零、コーヒー。 俺のだけでいい」
 妹、零の話まで右から左に流し現実逃避するかのように目を背ける。ついでに、武彦に頼みを聞いてもらおうと頭を下げる男にも茶かコーヒーをと立ち上がれば、見越したかのように兄から、いらない、やるなとの命令が下った。
(大体なんなんだ。 探偵に画家の絵を無事に持ち帰れだって? ハードボイルドが泣くな)
 後半の考えは完全に私情だが、出されたコーヒーをずずり、と啜るように飲みながら依頼書を開く。今、武彦の後ろ、大声で依頼を受けさせようとしている若い男が持ってきたメモ帳サイズの書とも言えない紙切れ。

「お願いですよ! 新鋭の画家の最新作! 是非持って来てもらいたいんですよぅ!」

 情けない声が木霊す中、武彦はその依頼を指先でチリチリ弄んだ後、零に渡す。
 全くもって、何故広まるか怪奇探偵の名、今回の依頼も結局そのクチで最近画壇に現れた島崎・悟(しまさき・さとる)という画家が住む東京郊外の森まで新作絵画のおつかい。と、思いきや結局の所何かが出るだのなんだの、そういう事が絡んで草間興信所にこの画廊経営者の男はやってきたらしい。
「残念だったな、俺は探偵だ。 何処で聞いたかわからんが怪奇はつかん、探偵。 そう、た・ん・て・いなんだ。 悪いな」
 大人気無く探偵という言葉を異様に強調し鼻を鳴らす。
「大体、お前さんもお前さんだろう。 こんな安い給料じゃ不倫調査も出来ん」
 画廊経営者といえど、まだまだ依頼内容の画家と同じで新鋭とやらなのか、随分少ない金しか持ってきておらず、どう見てもこれは画家や画廊関係者やそれに興味のありそうな者でなければ受けたくない程無料奉仕に近い依頼だ。

「すみません、兄さん最近あまりにもお仕事が少なくて…やっと来たお仕事があまり…その苦手なお仕事だったので苛立っているのだと思います…」
 ボロになったソファーの上、うな垂れたスーツ服を何度も握り締め、皺くちゃにしながら画廊経営者は零の言葉に唸っている。
「えっと、もう少しお時間を頂ければ兄さんもきっと依頼書を見てくれると思うので簡単にご説明だけして頂けませんか?」
 兄の武彦は最近来ない仕事に重なって、ようやく舞い込んだ仕事が自分でも嫌っている怪奇探偵の文字で集まった物だと知り、かなりイライラしている状態。だが、零にとって仕事は仕事、兄の為に少しでもという気持ちで男に話しかけると、まるで零の華奢な体に飛びつくようにして依頼内容を語り始めた。

「まず、私や私が持ってきたお金の額でわかる通り、自分でも悲しいくらいの貧乏画廊の経営者です」
 くしゃくしゃになった頭をまた掻きながら、男は自分の身なりを卑下するように話す、
「この依頼も私と同じ、貧乏画家の絵画をこちらに届けて欲しいというごく簡単な物なのですが―――」

 鼻息荒く話し続ける男の話は長かったが、要約するとこうである。
 駆け出しの画廊経営者がたまたま路地で目にした画家、それが今回持ってきて欲しいと依頼している絵画を描いている島崎悟だそうだが、その画家、繊細で淡いタッチを主にした新鋭の画家でこの数ヶ月本当に数枚を画壇に売り東京郊外の森でひっそりと生活しているらしい。
 この依頼人もその島崎の絵を言伝や、以前島崎の絵を買った人間からの口添えで絵画の買い付けを申し込めたのは良いが、取引先はなんと山奥。しかも、この画家の絵画を取りに行った画廊の人間数名が黒い獣に襲われているのだ。

「じゃあ、その獣さんを退治して画家さんの絵画取引をしてくればいいんですね?」
「あ、えっと…。 獣の方は噂で…」
「? 噂?」
 信憑性の無い事を話されたものだ。その黒い獣、ただ黒い獣と言われているだけで本当に襲われた者が居ないわけでもないが、逆に襲われず帰ってきた者や出会っても襲われずただ睨み合いのようなモノが続いただけで結局は何事も、という半端なケースが随分と多く、しかも特徴すら名前通りにしか伝わっていないらしい。

(はぁ、どうしたものでしょう…)
 武彦はやる気無し、ある程度の事は聞いて画廊経営者には帰ってもらったが、結局受けるにしてもどうすれば良いのか。先程まで男の居たソファーの横に立ったまま、ヤニで汚れた天井を見る。

「兄さん、本当にこの依頼受けないんですかー?」
 妹の困り果てた声が静まった興信所の椅子で惰眠を貪っている武彦の煙草の紫煙を揺らせるのだった。

■ 夏ノ怪奇探偵

(暑いですね…)
 半ばこの暑さにはもう慣れてしまった、というようにマリオン・バーガンディは草間興信所への道を歩いていた。
 歩いている、とひとくぐりに言ってもマリオンの場合は車で途中まで来てから興信所近くで降ろしてもらった、が正解なのだがこの暑さの中、あまり外に出ないというのもなんだという考えで興信所への道を途中下車してしまったのは彼ながらにして愚行だったと苦笑する。
「興信所も暑そうですしね、早くこれ食べちゃわないと…」
 手にしているのは彼特製のチョコレートアイス。ドライアイスを敷き詰め、花模様の豪華なバッグに入れてきたはいいが、この暑さでは少しづつ溶けてしまいそうだ。

「あれ? 興信所が開いていますね…」
 階段下から上の戸を見つめると開いたままの錆びた戸が、風か、はたまた草間武彦という人物にとり憑いたまま離れない幽霊の仕業か、ギリギリという嫌な音を立てて暴れている。


「あの…戸、開いてますよ?」
 興信所の戸が開きっぱなしのまま放置されてい、そこから入ってきたのは黒く柔らかそうな髪質の青年で、あまりノック無しに入るのは気が引けたのだろう。少し居辛そうな顔をしながら興信所の室内を見回している。

「マリオンさん、いらっしゃい」
 出入り口から近くに居るのは草間の妹としてここに居る零。
 彼女はその青年に軽く微笑みかけると、どうぞ入って下さいと微笑み、肝心の武彦はというと、背の高い黒髪の青年に呆れた顔をされながらも大きな鼾をかきながら寝入っていた。
「あの、あちらは…?」
 興信所の暑さに拍車をかけるような鼾の中、少しは涼しげに立っている小麦色の肌の青年は悪態をつくかのように武彦の側の椅子に座り、惰眠しているその顔を覗きこんでいる。
「ああ、あの方は…」

「? すみません、人が入ってきたのに草間くんの鼾が五月蝿くて耳に入りませんでした」

 零が知り合いを説明しようと言葉を発する同時に、その青年は脇に何処かの土産であろう風呂敷包みを持ちながら都築・秋成(つづき・あきなり)と名乗った。
「よろしく、ええと…」
 今度は秋成が口をどもつかせる番で、先程の零の言葉も耳にすることが出来なかったのだろう、金色の瞳の青年はマリオン・バーガンディです、と微笑みながら礼をする。
「それにしてもお二人とも、どうなさったんですか? 風呂敷包みに、その煙の出る…」
「ああ! アイス!」
 零が秋成の包みとマリオンのアイスを見て、何処かへ旅行にでも行って来たのかと不思議そうに声を上げた。
 貧困極まりない興信所の事だ、旅行にでも行かない限り何かを持ってきてもらえるという習慣は無いのだろう、それだけは哀れとしか言いようが無かったがこの場合、一番哀れなのはマリオンのアイスであり、この暑さで人より辛い思いをしているそれは今すぐにでも液体にならんとばかりになっている。

「お二人とも、有り難う御座います」
 秋成もマリオンも興信所に差し入れをしに来たのだとわかった零はさも嬉しそうに微笑んだ。
「どうせからかい半分だろ…」
 マリオンの持ってきたアイスの爽やかな風に誘われてようやく起きた武彦はそうはいかず、二人共の考えを見抜いたようであったが、
「そんな事を言ってはこの人形…」
「何ッ!?」
 秋成は風呂敷を開けながらこっそりと武彦に耳打ちする。どうやら何かあったらしいその人形という語句に一瞬聞き側が顔を青ざめたが、その中から出てきた可愛らしい人形焼に煙草くさいため息が漏れる。
「…なんだ、人形焼か…」
 いりませんか、と秋成が意地悪気に問うたが食料、及びおやつなど手に出来る状態ではない興信所の探偵は大きく首を振りながらその手にしている人形焼を奪うように持って行く。
「に、兄さん…」
「草間くん、行儀が悪いですよ」
 そんな事は知るかと、自分の机に持って行き、隠すようにして置く武彦の様子を、また後ろで眺めながらマリオンは人数分のアイスをわけながら苦笑した。
(暑いと人は何をするかわかりませんね)
 何をするかわからないのは武彦だけなのだが、この状況では怪奇探偵の名にかけてもこれ以上妙な通り名はつけられたくないものである。

 夏の食魔人草間探偵なとどは、とりあえず絶対に。


■ 依頼


 結局、零がいつものように兄へ戒めの言葉をかけ、全員でのお茶会になった興信所。茶は多少薄く、あまり良い物とは言えなかったが人形焼とアイスという二つの冷たく甘い一時がつかの間の涼みを与えてくれる。
「悪いな、二人共。 どうもここ最近依頼が嫌なものばかりで…」
 ため息をつく武彦はマリオンの嫌う煙草を今だけは吸わせてもらえず、少しやつれたように言ったが甘い物に紫煙は似合わず、アイスで涼みながら人形焼の餡に久々の舌鼓を打っているようで、
「そうですよ兄さん。 この間はたまたま他の人が依頼を受けてくれたから良いものを」
 零が小さな紙切れをテーブルに置き、秋成とマリオンに申し訳無さそうにしながらそれをまわす。

「画家の絵画配達の依頼ですか?」
 秋成は零に手渡された紙を見、その内容を眺めながら目を細める。なにしろその紙に書かれた文字は小さくせせこましく、見ている方を困惑させかねないような字であったのだから、最後まで読むには如何せん骨を折った。
「まぁ、そうだな。 ただえーっと…」
「黒い獣です。 その島崎さんという画家さんの絵画を取りに行く時に黒い獣が出るとかでご依頼されて」
 武彦は依頼を話半分で聞いていたのだろう、矢張り零が途中でしっかりとした説明をはじめ、この依頼は最近武彦に持ち込まれ一度は他の人物がこなしたのだが、また新作が出来た為にまたまた興信所に依頼が来た事。なにより黒い獣の正体も、襲ってくるか否かもしっかりとは掴めていないという事。
「それでもこの興信所にお金を払って取りに行くだけの価値のある絵画、ですか」
 そりゃどういう意味だ、という武彦の言葉を完全に無視し、秋成はマリオンに紙を渡しながら考え込む。
 どうやら少しはこの依頼に興味があるのか、受けるか、受けないかの間でもめている様で暫くして、武彦はこのままでは行かないだろうしと思いつつ、
「良ければ俺が行ってきますよ。 絵画にはあまり詳しい方ではありませんが」
 このせせこましい字を書く人物の困った声はどうせ武彦に襲い掛かるのであろうが一応知り合いなのだ、少しは助け合う気持ちもある。

「あ、島崎さんですね…んん」
 一方、秋成の言葉を耳にしつつ人形焼に舌鼓を打っていたマリオンもその紙を読み、島崎悟という名前に反応して声を出す。が、人形焼を食す合間というのがいけないのか、最後は少し喉につかえさせながらそれでも嬉しそうに微笑んだ。
「知っているんですか? その画家さん…」
 仕事は仕事、と割り切っている零も二度三度と依頼人から絵画の話を聞き、この島崎という画家の絵画が世界でも数枚しか出回っていない事を知り少しだけ大きな瞳が見開かれる。
「少しだけですが、本物を拝見した事がありますよ」
 その口調には本当に少しだけなのか理解しがたいニュアンスがあったが、マリオンはまた一つと人形焼を口にしながら依頼書を読み、
「私もこの依頼お受けしたいです」
 本当にせせこましい字であるが古代文字のもっと複雑難解な文字を読み解くマリオンの目にはあまり苦痛ではなかったらしく、依頼内容に惹かれたのか武彦にこれは自分がもらってもいいか、と聞いた後絵画を扱う物として獣の存在を確かめたい、と言う。

「で、草間くんはこの依頼」
「お前らで行ってくれ」
 秋成の言葉に自分は知った事かと茶を啜る武彦を横目に、いつか呪いの呪具で脅かしてやろうかなどと頭の隅で考え立ち上がる。
「では、マリオンくん…でしょうか?」
「あ、はい。 えーとこちらも、都築さんで宜しいでしょうか?」
 とりあえずは二人、依頼をこなす者同士として挨拶くらいは交わしておくべきだろう。汚い興信所内だというのに随分と呑気な挨拶と、これからについての会議が矢張り、甘い香りのするこの部屋で行われた。


■ 画廊


 興信所で絵画の依頼を受けたのは良かった、マリオンという青年とも穏便に話せそうであり秋成の感覚として仕事で組む相手では最適な相手だとは思えるのだが、
「遅いですねぇ…」
 依頼人、田島・栄一(たしま・えいいち)という人物の画廊についた少し前、マリオンは少し待っていてくださいとどこかへ消えてしまったのだ。それからものの数分経っていないが暑さのせいか、流石の秋成も少し身体に重さを感じてくる。

 確かに消えるという言葉の正しいマリオンは、まるでその場所を消しゴムで消したかのように居なくなり、今に至るのだ。
「都築さん、すみません。 ちょっと遅くなりました」
「…いえ、それより…それ、は?」
 考えていれば何時間、実際としては本当に数分、十分も経っていないか怪しい中、またそこに絵を描いたかのように現れたマリオンはというと、興信所で出会った時の眼鏡はいいとして何よりも大きな鞄のような物を重たそうに持っているのだから秋成は首を傾げる。大体画廊に行くのにこの大荷物は何だろう、と。
「これですか? ビスケットにバゲットですよ」
「ばげっと、ですか?」
 なにも秋成はバゲット、なる食べ物を知らないわけではないが、この大荷物の中にその菓子類がどっさり入っているのかと思えば尚の事理解はしがたい。
「はい、丁度美味しいお店の菓子が焼き上がる時刻でしたし、それにどの道獣の所に行くならおびき寄せる道具にも使えるでしょう?」
 マリオンはどちらかというと後者を意識しているのだが、ついついいつも美味しい店でその類を食すのが当たり前になってしまっていたらしく、画廊経営者に会う前、つまり今この時間に焼き上がるのを思い出して買って来てしまったらしい。
 元々白く、あまり体力のありそうな体躯ではないというのに大きな鞄は彼に食い込むようにしてぶら下がっていて正直辛そうである。
「随分と…多目に買ってきたようですねぇ…、言い出しはマリオンくんとはいえ流石に見過ごすわけにもいきません―――持ちますよ」
 大丈夫です、と苦笑を漏らすマリオンに秋成は苦笑し、食べ物も無いよりは良いかと頭で考えながらマリオンの荷物を肩に上げた。

 田島栄一の画廊はそう広いものではなく、草間興信所に行く道と変わらない辛気臭い路地の端にある建物であったがその中は一生懸命に集めた品ばかりなのだろう、絵画を扱うマリオンには多少それ程の物は無くとも、普通の美術館に匹敵するものでは十分あった。
「流石、と言いますか…美術品に詳しくなくともかなり意表をつく物がありますね」
 秋成の方は物珍しげに色々な絵画を見回っては感想なのか、はたまた色々な物があるという不思議を一つ知ったという声なのかを上げては小さな画廊を歩き回っている。

「ああ、この絵画はどうですか?」
「…これは…瞳の印象の強い…」
 色々と眺めている秋成に気付いたのだろう、奥から背の低い皺のよったスーツの男が一枚の絵画を指差し、自慢げに口元を綻ばせて見せた。
「都築さん、それが島崎画家の絵ですよ。 …そうでしょう? 田島さん…ですよね?」
 顔の輪郭ははっきりしているものの、その中の鼻や唇はおぼろげなモザイクに似た画風、だが瞳。翠にその生命の全てを宿すような画風は確かに島崎悟という画家の物なのだろう。スーツの男はマリオンの問いに少し興奮気な声をはっとさせるようにして振り向くと、
「ああ、はい、はい! この画廊を経営しております田島栄一と申します!」
 声色の上がった、また違う意味で嬉しいのだろう、声を何度もどもらせながら頷く。
「興信所の依頼主さんですか。 俺は都築秋成」
「申し送れてすみません。 私はマリオン・バーガンディと申します。 草間探偵の代わりに此方に伺いましたが私達で宜しかったでしょうか?」
 勢いの良い田島に押されながらも秋成とマリオンは互いに言葉を交わす為、重要な位置にある名前を名乗る。
 どうやら田島の方は武彦ではなく、この画家の所に絵画を取ってきてくれるという人間が居る事が嬉しいらしく、マリオンの問いに何度も何度も頷いてから癖なのだろう、頭をくしゃくしゃと触りだした。

「有り難う御座います、ああ、私は何をお話したら良いのか…あ、島崎の事…いやいや絵画の事でも…」
 興奮すると周りが見えなくなる性質なのか、田島は自分の画廊だというのにあたりを見回しながらしきりに話題をつくろうとしてい、
「いえ、私達は地図のもう少し詳しい見方を説明して欲しいだけなのであまりお気になさらずに」
 そうですよね、と秋成に振ればどうやら画廊や絵画に本当に詳しくないらしく、黙って島崎の絵を見つめていて、その光景にマリオンは苦笑した。
(矢張り素晴らしい絵画というものは良いですね…)
 美しい、とただそれだけで人を魅了しかねないのに更に作者の思いやその筆遣い等で魂を与えられた絵画は素晴らしい。マリオンも島崎の絵画を目にしたことはあっても着色された現物を見るのは初めてである。

 いつもなら美味しい紅茶とそれこそ今あるビスケットやバゲットを持って絵画鑑賞と洒落込みたいものだが実際は依頼の最中。仕事の合間であり、秋成もマリオンも田島から地図の詳細を元々依頼書にあるものよりまだ詳しく、精密といって良い程聞きだした後にその場を離れた。

「黒い獣、ですか。 むやみに襲ってこないというのなら知能を有しているかもしれませんね…」
 森に行くその道で、秋成はぽつりと漏らし、そして考え込む。地図の詳細があるから危険は最小限にできそうだが黒い獣の行動理由は未だ謎になったままなのだ。
「獣との遭遇率もお聞きしましたけれど、結構色々な場所になっていましたね…森も広いですし画家さんまでの道のり、もしかしたらお腹が空いて襲ってくるのかもしれませんよ?」
 まさか、と秋成が苦笑する中、マリオン的には意外と本気だったようで少しむくれた後、思い出したかのように懐中時計を見ると。
「でもその獣。 出没時刻が夜ならライカンスロープの可能性もありますからね…確かに都築さんの言う様に知識があってもいいかもしれません…」
 懐中時計を見るとまだ午前中、そしてこれから昼という時、もし画家の所へ行って日帰りで帰ったならば夜。その夜に皆帰っていたとすると獣の出没は必然的に深夜になりライカンスロープ―――狼人間の可能性も出てくるのだ。
「うーん、だとすると俺の力を行使する事が出来ないかもしれませんね」
 襲われる事は万一だとも思うが、一応そういう事も想定して考えなければならない。
「いえ、都築さんにはとても助かっていますよ」
 マリオンは微笑みながら少し言い辛そうに秋成の持っているビスケットやバゲットのいい香りのする鞄を指差す。
「全く、あまり荷物持ちにさせないでくださいよ?」
 秋成自身体力には自信のある方であったのでこれくらいどうという事は無いが、相手の口調に合わせ笑みを浮かべながら歩く。
 鬱蒼と茂る、目の前に見えてくる森の木々を目にしながら。


■ 森


 森を目の前にし、マリオンは暫し黙り込み地図を凝視していた。
「それにしても距離的には随分ありそうですね…、大丈夫ですか?」
 秋成もこの鞄すら体力的に辛そうにしていたマリオンを見る。自分ならば時間はかかるが森を歩く事も可能だ、が、隣の青年は乗り物も無しにここを通れるような人物ではないだろう、と。
「うーん、大丈夫といえば大丈夫なんですけれど」
 大丈夫じゃないといえば大丈夫じゃないんです、とマリオンは秋成に顔を向けた。日に当たる眼鏡の光が少し知的に光る。
「と、いうと?」
「はい、私の能力でこの距離を飛ばして移動するのは簡単なことです。 なのですが…」

 二人の間に地図を広げるとマリオンは森の中に自分でいくつかマークしたのであろう、赤い点を指差し、これが獣の出た場所、つまりは出没地点なのだという。
「さっきも言いましたが私はやっぱり画家さんの貴重な絵画がどうなってしまうかわからない状況は阻止したいので獣に一度会ってもう出てこないように説得したいんです」
「まぁ、確かにそうした方が良い所もありますが…。 できるのでしょうかね」
 マリオンの提案に秋成も賛成ではある。興信所に来てから今まで、あの画廊経営者が武彦を頼ってまた絵画の依頼を持ちかけてくるのは目に見えるようなもので、そうなるとなんらかの被害を受けるのは結局草間興信所を出入りする自分達なのだから。
「そうなのです。 最初はこのマークした地点に行って獣が出るのを待とうと思っていたのですが…」
 もう一度地図を見てマリオンはため息をつく。
 確かに、獣の出没地点はかなり絞られ、まるで一本道のように赤いマークは続いている。とりわけ多い所、少ない所に限らずそれはつまり今目にしている森の小道を全て辿っていくかのような。
「この状態だと森全域に出没していそうですね…」
 秋成が苦笑しながら言うとマリオンもその通りなのです、と頷いた。
 何にしろこの森、入るのは一本道のこの小道。結局他の経営者や取引役は全てここから入り、ここから出てきたのだ。こう全ての場所に赤いマークがついていると流石に森全域に獣は生息しているとしか思えない。

「ふう…でもとりあえずはこの場所に集中しているようですし、行ってみましょうか都築さん」
 言うなりマリオンの持つ地図から光が射し、人一人が楽に行き来できるような道が出来る。いや、これはどちらかというと何処に続くかはこの能力を行使する本人にしか分からない光の扉というべきか。
「そうですね、じゃあマリオンくんの能力、使わせていただきますよ」
 目の前の光に驚きはしたものの秋成の顔にはそれが出なかったらしい、ただこういう事もあるものだ。と黒曜石のような瞳を頷かせマリオンと共にその扉をくぐった。

「いやあ、驚きましたねぇ」
 光の扉をくぐった秋成の第一声である。が、この声はどこをどう聞いても驚いたようには聞こえず、すぐにあたりの確認をしてしまうあたり本人もそれ程驚いてもいないのかもしれない。
「それにしても断崖絶壁に出てしまいましたね」
 大きな岩が道に埋るようにして出ており、そこには最近できた車が事故を起こしたような跡がある。更に上には土砂が崩れたような跡。これは随分と危険な場所だ。
「どうやらこの森…、いえ、この道で一番事故が起こりやすそうな場所のようですね」
 道中がどうなっているかはマリオンの能力を使用してきた為わからなかったが、岩に残る車のタイヤの跡、それに他にも足を滑らせ脆くなった場所が崩れたのだろう、欠けた所もいくらかあり、そこには獣の爪跡がどちらかというと押し留まるような、引っ掻き傷の縦長いそれとは別に体重をかけていたような点が大きく残っている。
「タイヤの跡は随分新しいもののようですね…それに爪跡もかなり新しい…」
 秋成はタイヤの跡と爪跡の距離を眺めながら矢張り、獣は知能を有したものではないかと推測する。なにしろこの跡、もし同じ時刻に出来たとしたならば事故になりかけた車を獣が身を挺して守ったようにも見えるのだから。
「でもこんなに事故の多い場所だと何処を見張っていいのかわかりません…出来れば獣とお話してなんとかしたかったのですが…」
 こう頻繁に出て、そして次いつ現れるかわからない獣を見張る事は何ヶ月も待つという意味にも等しく、だからといってこの場で過去に戻る扉を開けば確実に事故の現場に遭遇し巻き込まれる事もありうる。
 流石に獣を追う手立ても行き詰ってしまったか、と秋成とマリオンは互いに顔を見合わせため息をつくも、そのすぐ後ろ、森の奥の方から小さな足音が聞こえてきて。

「あの…お客様でしょうか?」
 振り返れば一人の少女が立っていて、翠の瞳に黒い髪、そして白いワンピースが特徴的な、
「もしかして…島崎画家のモデルさんでしょうか…」
 秋成は少女に向き直り自らの名前と共に居るマリオンの名を名乗り、来た理由を説明した後、どうして良いかわからないという風に胸に手を当てている少女の顔を覗き込んだ。
 なる程、画廊で見た絵画の少女にそっくりであるが本人はその画に描かれているとは思っていないらしい、秋成の言葉をよく理解できないといった風に首を傾げただけであったがとりあえずは島崎の名を知っている事や田島の話を聞くと嬉しそうに微笑む。
「良かった、田島さん。 また悟さんの絵画を飾ってくださるのですね…」
 以前にも田島の依頼で人が来たらしく、少女は自分の名を仁美だと語ると嬉しそうに二人を森の中へと案内する。
 どうやらこの岩のもうすぐ先にあるらしい島崎画家の家だが、
(獣…どうにか出来ませんかね…)
 依頼も大切であるがもう一つの問題を解決しなくてはいけない。マリオンはそう思いながら仁美と秋成の後ろを静かに進んでいった。


■ 絵画


 島崎悟画家の家とはかなり貧乏な掘っ立て小屋の雰囲気が否めない場所である。木造の小屋には水車がついており、母屋と離れが一応あるものの、外見からすればかなり小さく、食う寝るを考えればそれほど住み易そうには見えず、マリオンはこんな所で描く絵画もあるのですね、と目を丸くしたが秋成の方は逆にこの日本の文化をそのまま残したような家が随分と好みらしく、仁美に連れられ入るまで風流にも水を絡めてまわる水車を嬉しそうに見つめていた。

「酷い家でしょう? あまりいいおもてなしも出来ずすみません」
 家の中に入れば既に仁美の話を聞いているのか自分が島崎だと名乗る作務衣を来た青年は二人に頭を下げて苦笑する。
「いえ、俺はこういう所が結構好きですから、見せていただくだけでも楽しいですよ」
 テーブル、というのだろうか。木の切った板に棒をつけてあるだけの場所に椅子らしいこれまた切り株の小さい物がいくつかある場所に案内され腰を下ろす。
「私は西洋風の場所にばかり居ましたが、まるでログハウスみたいですね…」
 窮屈そうだと最初は思っていたが意外に木目も芸術的で良いかもしれない、マリオンはその芸術作品を見る者としてその場所を見ると腰掛ける。

「有り難う御座います。 ええっと、そうです新作ですね、これ…なのですが…」

 島崎の差し出した絵画は矢張り先程出会った仁美とそっくりな少女の描かれた絵画だ。画風もあの翠の瞳の迫力もそのままで、何枚あってもその生命が宿ったような目に吸い込まれてしまいそうな絵画。
 違う所といえばその少女の向きくらいだろうか、画廊にあったものが正面だとするとこの絵画は横向きになっておりそれでも尚、二人を見つめる瞳は視線が外れないように描かれていた。

「画廊で見た時と同じ迫力ですね…視線がまったく外れない」
 秋成はその絵の横、そして正面を軽く見た後不思議な物だというように言葉を紡ぐ。なによりこの絵画、顔の他のパーツをモザイクのように仕上げる事で少し遠くから見れば浮き出た彫刻のようにも見えるのだ。
「本当に、流石です。 これだけ描くのにはかなり時間を有したでしょうに」
 マリオンも暫しこの絵に見惚れるようにため息をつくと、島崎は少し頷き、
「はい、書き続ける内に目も見えなくなりモデルをこっそり仁美にしながら描き続けました。 今は記憶と感覚でしか描けていませんが…僕の絵を気に入ってくださるという声を聞けるだけでとても嬉しいです」
「仁美さんにはモデルの事は話されないのですか?」
 折角素敵な絵に描いて頂けているのに勿体無い、とマリオンが言うがどうやら島崎はそれを言うのが恥ずかしいらしい。一瞬顔を赤くしてから、仁美は食事の時と寝る時に離れに来るだけですから、と付け加えた。
「ですが目が不自由なのに一人で絵を描くのもなんだか寂しい気がしませんか?」
 秋成がふいに口にした言葉ももっともなのだろう、歩数で家の中を把握しているとも言った島崎はそれでもどこか寂しげで、
(想っても言えない思慕ですか…これは確かに寂しいですね…)
 少しだけ気の毒な事を言ってしまったかと口元に手を当て考えるがこの状況、自分がどうしてやれるわけでもない。

「ま、まあ辛気臭い話はやめにしましょう? 今日はもう歩いて帰られては遅くなってしまうでしょうし一夜お泊りになられてから帰られては?」
 沈黙が堪えられなかったらしく、島崎はまだ少し赤い顔で秋成とマリオンに提案する。
「どうします、マリオンくん?」
 秋成は別にこれから帰る体力はあるだろうし何よりマリオンが行きに使った力をもう一度使用すれば時間など関係なく家路につける事だろう。
「そうですね…、じゃあ今夜だけ画家さんのお家に泊まらせて頂けますか?」
 マリオンの思いがけない返答だったがそれについては秋成も依存は無い。何よりこの家の造りに酷く興味を惹かれているのだから。
「良かった…夕飯もろくなものは出せないかもしれませんが…ごゆっくりしていって下さい」
 きっとここに泊まるという人間も、今は獣が出るという事で客人すらもあまり来てはいないのだろう。島崎は心底嬉しそうに数少ない部屋を案内したのだった。


■ 黒イ獣


 島崎の話によると、この家は最初に入り話をした場所を中心に左右と奥に一つづつ離れがあるらしい。丁度人数分、と言いたい所だが最初の場所を居間とするなら誰かが余る事になる。
「いえ、元々絵にかまけてどの部屋をどう使う、なんて考えてはいませんよ」
 一度はその疑問を島崎にぶつけたがあっさりとそう返され、奥の離れは仁美が使っているという事もあり、右には秋成、左にはマリオン。そして島崎自身は最初の部屋で寝る事に決まる。
 依頼されている絵画はどの道明日持って行くという事で島崎の居る部屋に置き、各々は食事の後、自らに当てられた部屋に戻った。


「わあ…矢張り画家さんのお家となると色々違うのですね…」
 左の離れを当てられたマリオンはその壁、壁、壁。四枚の板に囲まれている筈だというのに全てが何かしらのデッサンが描いてある紙が貼られた部屋を楽しそうに眺めていた。
 きっと島崎がまだ目の見える時に書き散らした物をはったのだろう、これだけで一つの美術館のようで。 夕食が終わってすぐに秋成がビスケッドとバゲットの入った鞄を置いていってくれたので紅茶さえあれば楽しい事になる筈である。少なくともマリオン一人にとっては。
「このガス灯も年代物ですね…うーん、もう少し保存状態が良ければ鑑賞する物としても十分なんですけれど」
 山という事で電気は勿論通っていなく、マリオンの部屋にぽつりと置かれたガス灯をまた嬉しげに眺めて寝床に座る。
「あ、でも流石に布団は…」
 寝た事がありませんね。とマリオンはある意味未知の領域で戸惑ったというように眉間に皺を寄せた。いつもは屋敷のベッドの上、それをもう覚えているのも面倒な程に過ごしてきたのだ。布団もある意味では珍しい。

(とりあえずは、獣ですよね…。 昼間は無理でしたが今度は…)
 布団の事はとりあえず後にしなくてはならない。そもそも家に泊まるという事は夜動く事ができるという事だ、今まで獣に襲われた人間は確かにまばらでどこをどう行けばいいかわからないが唯一つ、この家に出入りした人間だという事は全て一致している。
「何か良い『絵』はないでしょうか…」
 良いというだけならば全てが良い絵画になりそうだが、マリオンの求めているのは獣に会う手段になる絵であり自分の部屋にそんな物は無い。考えてみれば一番手っ取り早い方法、それは島崎の居る部屋にある依頼品という事にならないだろうか。
(傷つけないように…頑張らないといけませんね)
 ビスケットとバゲットを少々、鞄から取り出して島崎の居る部屋に向かう。当然、画家は屈託のない表情で寝ていて、その寝顔に少しだけ謝るとこれも獣と絵画の為、と横を向く少女の姿に手をかざした。

 見慣れた光の中、そこから出た先。だが、新作から入ったのは間違いだったのか、マリオンが絵画の瞳から抜けた先は本当に今しがた居た森の中である。
(失敗…する筈は無いのですけど…)
 同じモチーフなら新作でも可能なはず、と入った先。あたりを見回せばあの島崎家近くの大岩のある道に立っている事がわかり、その岩にタイヤの跡も爪跡も無い事から矢張り過去に来る事が出来たのがわかった。

「あなた、どうしてここに居るの?」
「? 仁美さん?」
 マリオンが島崎家を向いているとすればこの仁美に良く似た、しかし何か疲れ切った喉を鳴らす音はまた後ろから聞こえている。
「仁美さん、貴女が黒い獣…」
 振り向けばそこには下半身だけを獣の姿にやつし、上半身は人間の女という異形の化け物になった仁美が居た。違う所は矢張り身体だろう、一番は未来の仁美は少女でありここにいる仁美は大人の女らしさが顔にあるという事か。
「貴女が獣になって絵画を取りに来る人達を襲わないようにお話しに来たのです」
「かい…が? 私はそんなの知らない」
「あっ…」
 そうだ、とマリオンは声を詰まらせる。少し過去に飛びすぎ、どうやら仁美が島崎と出会う前に来てしまったらしい。能力の調節が悪かったのだろうかと一度思い、そうではない筈だと研究員の頭は否定した。ならば何故なのだろう。
「襲うというのなら人の方でしょう。 わたしの森を荒らした挙句に人の身体に魂を繋いで…こんな物ッ!」
 どうやら仁美というのは元々獣の方が本性だったらしい、上半身が何処から持ってきたのだろう、宝石のような物体を潰しては憎らしげに口を荒げる。
「待ってください! 今の貴女の状況は私にはわかりませんが…でも人間の身体になったならあまり無茶をしてはいけません」
 マリオンは仁美に近寄るとその背中を撫でる。と、敵意が無いとわかったのかその背からみるみるうちに白いワンピースのような布が現れ下半身まで覆い、そして人の姿となった。
「私も、あなたがよく分からない。 この森に居る人間は追い払った筈なのにあなたはここに居て、私に優しくしている」
 それが不思議だと言い仁美は虚ろになった翠の瞳を煩わしそうに動かした。どうやら元は霊体の類だったらしく、何か物体というものに慣れないのだろう。
「私は獣…いえ、貴女とお話をしに来たのでこう接するのは普通ですよ。 はい、身体があるって事はお腹も空きますからビスケットをどうぞ」
 普通の意味すらわからないのか、目を丸くした仁美はマリオンの言ったとおり人の身体になって腹が減っていたのだろう、その手からひったくるようにして取ると大人の美しい女性では考えられない仕草で菓子類を平らげていく。
「うーん、でも困ったなぁ。 人を襲わないように頼みに来たのに当の本人がこれじゃあ…」
 島崎と会っていないなら絵画も知らず、そして獣の噂はまだ無いという事になる。ならば自分はこれからどうするべきかと考えれば。
「困ってるの? いいわ、あなたはまだ良い方みたいだから、この先の事は知らないけれど一つだけ約束する」
 言葉が妙にたどたどしく、そして何を指しているのかわからないのは矢張り何処かで何かあったのかもしれない。ただ、それを探るのにはこの仁美だけではわからず、とにかくこれから先、
「じゃあ一つ。 もし人の姿を維持できるようになったら今さっきの姿で人を襲う、或いは人前に出ないで頂けませんか? そうしないと色々な方の誤解を受けてしまいますから」
 人を襲うという噂が流れればいつか自分達のような能力を持った者が現れ悪意が無くとも彼女を攻撃してしまうかもしれない。絵画の事を含め、今一番大切なのはそれだろう。
「言っている事が不明確だけれど恩にはむくいなければいけないから、そうする」
 仁美の目線がマリオンの空になった手を見、その中に約束だと言って先程持っていた宝石のような物を渡す。
「本来は約束する時わたし達は物実を使うけれど、今はもうないからこれだけ」
 本当に理解しがたい言葉遣いではあるが、つまり約束の証の代わりにくれるらしく、そう言って仁美は人間以上の身体能力で飛び跳ね、森の奥へ消えていった。

(物実。 もしかして、私がここに来たのはあの絵の瞳の魔力に引き寄せられたからでしょうか…)
 心に引っかかるようにして残った言葉。そして手の中の約束の証は小さく白と緑に光っている。その光は美しく、何かの力を感じさせる物だったがこの物体が何なのかは矢張り研究してみないと分からないのかもしれない。
 静かに開くマリオンの能力。それは確実に幼い仁美の居る現代へ戻る道だったが、果たして彼女がそれを守っているのかが今のマリオンにとって一番心配な事であった。


■ 朝


 目が覚めて全ての感覚が変わっている。というのは何処かの小説で読んだ事があるかもしれない。昨日、たった一つの行動で島崎の周りは随分と変わっていて、
「おはようございます。 次の新作の件でこの後他の画廊関係者さんが来て下さるそうなので、すみません。 あまり長くおもてなし出来なくて」
「いえ、俺達の事はおかまいなく。 ですがもう次回作ですか…」
 俺達、というのは少々言い方がおかしかっただろうか、秋成はマリオンの方を横目で見るが、逆に嬉しそうな顔で微笑みじゃあ私達はもうお暇させて頂きます。と軽く言った。

「随分ご機嫌ですね。 何かあったのでしょうか?」
 マリオンに問うてみても嬉しそうに首を竦め、そして布団が彼の身体に合わなかったのか痛めた身体に少し顔を歪める。
「いえ、ただ獣さんはきっともう出てこないだろうな、って思っただけです」
 昨夜の件で、と付け足すマリオンはどこか上機嫌で、黒い獣の噂など無かったかのように客の出入りする森の小道を適当に能力の使える場所まで歩く。

「都築さん、マリオンさん。 もう帰ってしまうのね…」
 呼び止められ立ち止まると、いつの間にか目の前に翠の瞳の女性が立っている。少女などではない背の高さと独特の色気は出ているものの、どちらかというと精練された気を纏うどこか神々しい霊気を放った女性。
「あ、あれ…仁美さん…?」
 今度はマリオンが不思議そうに目を丸くすると、秋成がまた昨日の事か、と何処か合点のいったとい表情で、
「ええ、俺の依頼は終わりましたから。 と、言っても本当の依頼人にはまだ何も礼はしてもらってはいませんが」
 そう言うと逆に自分の事だろうかと困った顔をする仁美に秋成は草間という探偵の事ですよ、と付けたし微笑んだ。
 秋成にとってはもう、きっと会う事は無いだろう画家と共に生きる女性はきっとこの森と共に島崎を守っていくに違いない。細く美しい声はマリオンの能力で都会の喧騒に帰って来るその瞬間まで耳に残っている。

「なんだか夜のうちに色々秘密が出来てしまいましたね」
「確かに、今ここで互いの秘密を打ち明けてみますか?」
 どちらともなくそう言い、そしてやめにしましょう。と笑いあう。
 結局どちらも話す気は無く、別れの時が来るまで他愛の無い話と島崎の今後について話し合うだけで、自分達の帰るべき場所に着く頃には今のこの話題すら忘れているに違いないのだった。


 静かに光る現在と過去。それは二人の手中でどう変化していくのかはわからない。だがマリオンはこうも思う、自分が動く事によって今まで誰も変えられなかった過去を救う事も出来るのかもしれないと。

 ―――ただ仁美という黒い獣との約束の証だけはマリオンの手の中で未だ美しく、不気味な程に輝いていたのだが。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3228 / 都築・秋成 / 男性 / 31 / 拝み屋】
【4164 / マリオン・バーガンディ / 男性 / 275 / 元キュレーター・研究者・研究所所長】


【NPC / 島崎・悟(しまさき・さとる) / 男性 / 画家】
【NPC / 田島・栄一(たしま・えいいち) / 男性 / 画廊経営者(草間興信所依頼人)】
【NPC / 仁美(ひとみ) / 女性 /  ?】

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■         ライター通信          ■
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始めまして、ご発注有り難うございました。やっぱり新米でいたいライターの唄です。
『新鋭ノ画家』第二回目の窓開けへのご参加有り難うございます。
物語の中で一回目の方の話に出た場所等ちょっとした所がリンクしているのでもし宜しければ一回目の方とも
合わせて読んで頂ければ幸いです。
話の内容的に今回は一本道、そして矢張り地味な行動、地味なエンディングですが、黒い獣の謎を中心に
今回は色々と動いております。途中大切な所でお互い個別になっておりますのでこれもまた合わせてご覧に
なってくださればラストの意味が見えてくるかもしれません。
仁美という獣、だけれどその後ろに何があったのか、謎と少しの希望を残したエンディングとなりました。
テーマ的には過去と現在なのですが、ご参加されたお二人ともに少しづつそのテーマを入れてしまったので
少し曖昧になってしまったかもしれません。申し訳ないです。


マリオン・バーガンディ 様

始めまして、ご発注有り難うございました。
プレイングとご相談の結果都築様と同じく興信所で情報を得、そして色々と探索していくお話になりましたがいかがでしたでしょうか?
結果的に仁美という獣に会われお話もできましたがその裏で働く何かに情報を遮られつつも、彼女と島崎の未来を案じるラストになりました。
また、前回の窓開け時の方々の過去は消えず、仁美の行動を抑える形のみで噂は静まっている、という形ですので不思議に思われたなら申し訳ありません。
何より終始甘党のイメージが強く、そういった描写も多くなってしまいました。人物像が崩れていないと良いのですが。

それでは、この文が少しでもマリオン様の思い出になれば幸いです。
誤字・脱字、或いは表現方法等のご意見が御座いましたらレターを頂けると幸いです。

それではまた、依頼でもシチュでも出会えますよう切に願って。

唄 拝