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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


もらったリンゴ =草間零の場合=

【オープニング】
 ある日の午後のこと。
 草間は仕事で出かけていて、事務所には零一人だった。
 そこへやって来たのは、妹尾静流である。手には、リンゴの詰まった紙袋を抱えていた。
「人からもらったんですが、たくさんありすぎて……。よかったら、もらっていただけませんか?」
 差し出されたそれは、赤くつやつやと輝き、いい香りを放っている。
「いいんですか?」
「ええ。むしろ、もらっていただければ、ありがたいです」
 尋ねる零に、静流が言った。
「じゃ、遠慮なくいただきます」
 零は笑顔でそれを受け取った。
 静流が帰った後、台所のテーブルに中身を開けてみると、リンゴは九つあった。
「ほんとに、たくさんありますね。でも、熟しているみたいですから、早く食べた方がいいですよね」
 それを見やって、零は呟き、どうやって食べようかとしばし悩む。が、やがて小さく手のひらを打ち合わせると、いそいそと料理の支度を始めた。
 やがて、あたりには甘酸っぱい香りが漂い始める。そして、日が暮れるころ、いくつかの瓶に小分けされたリンゴのジャムが出来上がった。
「美味しくできましたから、明日はこれと、スコーンでも焼いて、お茶会をしましょう。お友達のみなさんにも来ていただいて」
 それを眺めて、楽しそうに呟くと、零はさっそく心当たりの人々に電話し始めるのだった。

【1】
 零からお茶会の誘いを受けて、マリオン・バーガンディは、約束の三時きっかりに、草間興信所を訪ねた。
 笑顔の零の出迎えを受けて、彼は奥の台所へと案内される。
 テーブルの中央には、スコーンを盛った大皿が置かれ、三つの席にそれぞれ、取り皿とジャムを入れたやや小さめの器、そしてグラスが用意されていた。だが、そこにいるのは零だけだ。たしか、シュライン・エマも来ると聞いていたマリオンは、怪訝な顔になる。
「シュラインさんは、どうされたんですか?」
「何か、ご用があって、三十分ほど遅れて来るそうなんです」
 零が言って、彼に席を勧めた。
 言われるままに腰を下ろし、マリオンは器の中のリンゴジャムを見やる。さほど近くにあるわけでもないのに、甘酸っぱい、いい匂いが漂って来た。
「とてもいい匂いなのです」
「ええ。私も、驚きました。ジャムって、冷えてしまうとこんなに香りの強いものじゃ、ないんですけど」
 思わず言うマリオンに、零もうなずく。そして、彼のグラスにアイスティを注いだ。
「あ、レモンやミルク、お砂糖は、お好みでどうぞ」
 言って零は、スコーンの皿の隣に置かれた、レモンの輪切りの入った器と、ミルクと砂糖の壺が乗った小さな盆を、示す。
「ありがとうございます」
 礼を言って、マリオンは砂糖だけをアイスティーに入れた。軽く口をつけ、どうやらアールグレイらしいと判断する。ストレートでも充分美味しいので、砂糖を少しだけにしたのは、正解だったようだ。
 零も彼の向かいに腰を下ろすと、アイスティーを注ぎ、砂糖を少し入れてレモンの輪切りを一切れ浮かべている。
 それを見やってマリオンは、さっそくスコーンに手を伸ばした。リンゴのジャムをたっぷりつけて、ほおばる。
「美味しい……!」
 思わず、呟きが漏れた。スコーンの焼き加減もなかなかのものだったが、なによりジャムが絶品なのだ。
「すばらしい味なのです」
「ありがとうございます。でもジャムが美味しくできたのは、きっと材料のリンゴが美味しかったからだと思います」
 幾分はにかんで、零が言う。
「そういえば、誰かからもらったとか言っていましたね」
「ええ。……妹尾静流さんといって、時空図書館の管理人さんのお友達の方から、いただきました」
「時空図書館の管理人?」
 うなずく零の言葉に、マリオンは軽く眉をひそめた。初めて聞く名前だ。
 それへ零は、世界中のどの時間、どの場所からもつながっており、古今東西、ありとあらゆる時代の書物が全て収められているという時空図書館と、そこの管理人・三月うさぎのことを、マリオンに語った。
「――時空図書館には、とても不思議な庭園があって、そこにはたくさんのお花や木があるんです。妹尾さんは、そこの管理人さんのお友達なんです。……リンゴは、妹尾さんも人からもらったと言ってましたから、もしかしたら、あの庭園で採れたものなのかもしれません」
 零の言葉に、マリオンは改めてしげしげと目の前のジャムを見やる。
(不思議な庭園で採れたかもしれないリンゴ……ですか。まさか、そのリンゴにも何か不思議な効果とかが、あったりするんじゃないでしょうね? 一定の量を越えて食べると駄目だとか、何か妙なことが起こるとか……)
 ふとそんなことを思い、彼は眉間に小さくしわを寄せた。もしそうなら、食いしん坊の彼としては、少し辛いものがある。
「どうかしましたか?」
 零に問われて、彼は慌ててかぶりをふる。
「いえ、なんでもありません」
 言って、再びスコーンをほおばった。
 二つ目のスコーンをたいらげた後、彼はふと、ジャムをバニラアイスに乗せて食べると、いいかもしれないと思いつく。室内は一応エアコンが効いてはいるが、閉め切った窓の外からは、蝉の鳴き声なども聞こえて来て、いかにも暑そうだ。こんな時は、やはりアイスに限る。
 彼がそれを口にすると、零は買い置きのアイスがあったかもしれないと、立ち上がった。が、冷凍室の中には、買い置きの冷凍食品や肉などが入っているだけで、肝心のアイスはなかった。
「すみません。いつもは買い置きのがあるんですけれど……」
 しゅんとして謝る零に、マリオンは慌てて手をふる。
「いいんです、気にしないで下さい。じゃあ、私がそこのコンビニまで行って、買って来ます」
「あ、買いに行くなら、私が。お客さまに買い物に行かせるなんて……」
 言いかける零を、彼は遮った。
「食べたいと言い出したのは私ですし、本当に気にしないで下さい。すぐに戻って来ますから」
 言って彼は立ち上がると、零に止める隙を与えず、台所を後にした。

【2】
 草間の事務所から片道五分ほどの場所にあるコンビニで、ファミリーサイズのバニラアイスを買って、マリオンはそこを出た。たった五分の距離ではあるが、外は信じられないほど暑い。溶けては困るからと、一応、ドライアイスももらった。
 だが、コンビニの外に出て、彼は思わず眉をひそめた。
 周囲の風景が、来た時と微妙に違っている気がするのだ。
(気のせいですよね)
 胸の奥で笑って呟き、さて帰ろうと足を踏み出しかけて、今度は首をかしげる。右と左、どっちへ行けばいいのかわからないのだ。
 しばし、来た時の道順を頭の中で反芻し、右だと思い定めて、そちらへ歩き出す。しかしながら、いくら歩いても、見慣れた草間の事務所のあるビルは見えて来ない。それどころか、周囲の風景もなんだか、見たことのないものばかりだ。
(こんな所に、板塀なんかありましたっけ? それに、さっきの郵便ポスト、丸くなかったですか?)
 草間の事務所には、黒電話のような、とてつもなく古いものが時おり見受けられるが、さすがに外でまで同じような古さのものを見ることは、今までなかったはずだ。
 首をかしげながらも、彼はとにかく歩き続けた。とはいえ、すでに五分以上が過ぎ去っていて、いまだに事務所のあるビルは影も形も見えて来ない。
 さすがに疲れて来て、彼は足を止めた。じりじりと照りつける太陽のおかげで、体中、汗でびっしょりだ。色素の薄い目を守るために、色付きのメガネをかけているが、それでも空をふり仰ぐと、まぶしくてしようがない。
(おかしいですね。道に迷ってしまったんでしょうか……)
 あの近さで、道に迷うなどあり得ないと思いつつも、彼は首をひねる。それから、ふといくらドライアイスを入れているとはいえ、この暑さの中、あまり長く歩き回っていては、アイスが溶けてしまうかもしれないと気づく。
(こうなったら、奥の手ですね)
 彼は、胸にうなずいた。
 彼には、空間同士をつないで、それらの間を自由に行き来したり、それらの空間を操作したりする能力があるのだった。それを使おうというのだ。
 彼は、今いる場所と、草間の事務所とをつなごうとした。
 ところが、どういうわけか、つながらない。いくら懸命に意識をこらしても、まるで何かが邪魔でもしているかのように、うまくいかないのだ。
「こんなことが、あるはずがないのです。私の力が、使えないなんて……!」
 呆然と呟き、ふいに彼は気づく。もしかしたら、草間の事務所で思ったとおり、あのジャムを作ったリンゴには何か不思議な力があって、それが食べた自分にも影響しているのではないのかと。
「そんな……。だとしたら、私はこのままずっと、あてもなく草間興信所を目指して、歩き続けなければならないということですか?」
 思わず呟き、彼はふるふると首をふった。
「いえ、そんなことはありません。大丈夫、きっと私は帰れます」
 自分を励ますように言うと、再び歩き始めた。
 だが、しばらくして彼の目に飛び込んで来たのは、あのコンビニだった。しかも、入り口を出て右の道を選んだはずなのに、コンビニは進行方向に対して左手側に建っている。つまり、いつの間にか彼は道をコンビニに向けて戻っていたわけだ。
 眉間にしわを寄せながら、彼はそのままコンビニの前を通り過ぎて、真っ直ぐ進む。
 だが、さんざん歩き回って、気がつくと彼は再びあのコンビニの前に戻っていた。しかも、せっかく買ったアイスは途中で落としたところを、車に轢かれてしまって、駄目にしてしまった。新しいのを買おうかどうしようかと、暑さと疲れで朦朧とした頭で、考える。
(新しいのを買っても、また駄目にしてしまうなら、同じですよね……)
 そんなふうに思ってもみるが、手ぶらで道に迷い続けるのは、なんだかむなしい気もする。
 結局決めかねて、コンビニの入り口横に置かれた自動販売機の傍に座り込んでいると、ふいに声をかけられた。
「マリオン。どうしたんだ? こんな所で?」
 顔を上げると、草間武彦が立っていた。
「草間……さん?」
 まさか、こんな所で彼と出会うとは思いもしない。驚いて目をしばたたきながら、呟くような声を上げる。草間は、そんな彼を心配げな顔で覗き込んだ。
「どうしたんだ? 気分でも悪いのか?」
「え? ええ……まあ……」
 理由を説明する気にもなれず、ただうなずいて、弱々しく笑う。
「ちょっと、暑さにやられてしまって……。草間さんは……」
 何をしているのだと問いかけて、ふと気づく。もしも草間が事務所へ帰るつもりなら、このまま一緒に行けば、戻れるかもしれないと。
「事務所へ帰るんですか?」
 思わず立ち上がって尋ねる。
「あ? ああ、そうだが……」
 草間は、彼の剣幕に驚いたようだ。だが、彼の方はそんなことにかまってはいられない。
「なら、私も一緒に行きます!」
 言って、しっかりと草間のジャケットの裾をつかんだ。小柄で色白で、一見すると十八歳前後の美少年である彼が、そういう仕草をすると可愛くはあるが、何か誤解を招きそうだ。が、今の彼にはそんなことも眼中にはない。
 草間はとまどったようだが、自動販売機でタバコを買うと、歩き出した。マリオンも、彼のジャケットの裾をつかんだまま、従う。
 ほどなく、草間の事務所の入ったビルが見えて来た。マリオンは、心底ホッとしたが、それでも事務所の玄関を入るまでは、草間のジャケットの裾をきつく握りしめたままだった。
 事務所に戻ってみると、シュライン・エマはすでに来ており、なぜかシオン・レ・ハイがいた。
 シュラインは、本業は翻訳家だが、ここの事務所で事務員としても務めている。年齢は二十代半ばというところだろうか。長身の体にはノースリーブのパンツスーツをまとい、長い黒髪は後ろで束ねて、一つにまとめてあった。胸元には、いつもどおり、色つきのメガネを下げている。
 一方、シオンは、四十前後だろうか。長身でがっしりした体に、長く伸ばした黒髪と青い目、そして顎には髭をたくわえ、洒落た衣服に身を包んでいる。が、稼いだ金の大半をその衣服やよくわからない余計なものに使ってしまうため、いつもピーピー言っているびんぼーにんだった。
 テーブルの上には、シュラインが持って来たのだろうか、大皿に盛り付けられたレアチーズケーキとプチシュー、それに揚げたパンの耳が並べられている。レアチーズケーキは、マリオンの分だけが小皿に別にされて、彼が出て行くまでいた席に置かれていた。
 マリオンが草間と共に台所に入って行くと、シュラインが軽く目を見張った。
「あら、マリオンくんも一緒だったの?」
 そうして、思い出したように言う。
「あ……。そういえば、アイスを買いに行ったんだったのよね。ごめんなさい。零ちゃんに電話した時、言えばよかったんだけど。アイス、私が持って来たのよ」
 それを聞いて、彼はのろのろと顔を上げた。
「いえ、いいんです。……私が買ったのは、溶けてしまったのです。だから、シュラインさんが持って来てくれているなら、それをいただきます」
 言って、自分の席に幾分力なく腰を下ろす。実際、事務所へ戻れてホッとしたせいもあってか、疲れきっていて、しゃべる元気もない。それに、喉も乾ききっていた。
 そんな彼を見やって、シュラインが小さく眉をひそめて、草間に事情を聞こうとしているらしいが、こちらも何があったかなど、知るはずもない。
 それへ、シオンが横から言った。
「アイスがあるなら、私もいただきたいです。……すみません、今年の夏はまだ、一度もアイスを食べてないものですから……」
 恐縮したように付け加える彼に、シュラインが笑って立ち上がる。
「そうね。アイスも出しましょうか。最中の皮や餡子も持って来てあるから、アイスとジャムを一緒に乗せて食べても美味しいと思うわ。キャンディティーと煎茶の茶葉も用意して来たんだけど、アイスと一緒なら熱い方がいいかしら」
「私は、冷たい方がいいのです。その……外を歩き回って、喉が乾いてしまって……」
 マリオンが、力なく言った。
「俺も冷たいの」
 言いながら、空腹だったのか草間はレアチーズケーキにかぶりついている。
「私は、温かいのをいただきます」
 シオンが、控えめな口調で言った。
「んー、じゃあ、私も温かいのにしよう。アイスと餡子と最中の皮なら、煎茶の方が合うかしら」
 そんなことを呟きながら、シュラインが零と共に台所に立つ。
 やがてシュラインがテーブルに運んで来たのは、一人づつ器に盛り分けたバニラアイスと、大きな器に盛られた最中の皮と餡子だった。それぞれ、好きなものとアイスを組み合わせて食べられるように、との配慮だろう。
「なんだか、アイスの手巻き寿司みたいですね」
 中央に置かれた最中の皮と餡子の器に、シオンがそんなことを言い出した。
「そういや、そうだな」
 レアチーズケーキを食べ終わった草間が、今度はスコーンとプチシューとパンの耳に手を伸ばしながらうなずく。
「武彦さん、お腹すいてるなら、サンドイッチでも作りましょうか?」
 その食べっぷりが気になったのか、シュラインは問うた。
「いいよ。これで充分腹がふくれる」
 スコーンをほおばりながら、草間が返す。
 そこへ零が煎茶を持って来た。先に温かいのを配り、それから冷たいものが配られる。
 配り終えると、零も腰を下ろした。
「なんだかやっと、お茶会らしくなったわね」
 テーブルを囲む一同を見やってから、シュラインが零に言った。
「はい」
 笑顔でうなずき、零も一同を見渡した。
「……あの、ジャムのお味はいかがですか?」
「とても美味しいです」
 真っ先に言ったのは、シオンだ。
「どのお菓子とも、とても相性がよくて、すばらしいです」
「私もそう思うのです。……でも、このジャムの材料になったリンゴって、何か不思議な力を持ってたりするのでしょうか。たとえば、食べすぎると駄目とか」
 マリオンは、思わず言った。
「さあ、どうでしょう。妹尾さんは何も言ってなかったですけれど……」
 零は首をかしげて問い返す。
「あの、何かあったんですか?」
「あ……いえ。たいしたことじゃないのです」
 さすがに、自分が遭遇したことを話すだけの気力はまだなくて、彼は言葉を濁した。そして、冷たい煎茶を半分ほど飲み干す。取り分けられたリンゴジャムからは、相変わらずいい匂いが立ち昇り、これを口にしてまた何か起こっては……という彼の危惧を、すっかり頭の隅に追いやってしまった。彼は目の前に置かれた器のバニラアイスに、ジャムを乗せて口に運ぶ。それは、最初に思ったとおり、バニラアイスの甘さとジャムの酸味が溶け合って、なんともいえない味だった。
 彼は、喉を落ちて行く冷たい感触と口の中に広がる絶妙な甘さに、しばし恍惚となった。

【エンディング】
 出されたアイスを思い思いの方法で口に運びながら、マリオンたちの会話ははずむ。
 シオンが、リンゴのジャムを使った料理があるのだろうかと言い出したことから、話題はもっぱら、そのことになった。
 シュラインが、スペアリブやカレーにも使えるのだと教えると、シオンはちょっとうっとりした目つきで、天井を見上げる。おそらく、それらの料理を思い浮かべているのだろう。
「ジャムじゃないですが、リンゴそのものもパイとかゼリーとか、いろいろ使えますよね」
 お茶とアイスを食べて、すっかり元気を取り戻したマリオンも、もちろん会話に加わった。
「そうね。他の果物と一緒に、ヨーグルトで和えたサラダとかね。……そうそう、料理とはちょっと違うけれど、お餅にリンゴジャムもけっこういけるわよ」
「あー、あれは上手かったな」
 シュラインの言葉に、草間が食べたことがあるのか、思い出したように言う。
「リンゴジャムって、本当に用途が広いんですね」
 シオンは、まだうっとりした目をしながら、感心したようにうなずいた。
 そうこうするうち、テーブルの上のアイスや菓子類もほとんど彼らの胃袋に姿を消し、全員が満足の溜息をつく。
 シュラインが持参したキャンディティーも、こちらは全員が冷たいのを欲しがったので、零が入れてくれて、彼らの喉を潤すことになった。
 そろそろお開きと、席を立つマリオンたちに、零は一瓶づつリンゴジャムを差し出した。
「どうぞ、持って帰って下さい。私とお兄さんだけでは、使いきれませんし、みなさんのお口に合ったようですから」
「ありがとう。今度、これを使ったカレーを持って来るから、三人で食べましょ」
 言ったのは、シュラインだ。
「はい。楽しみにしてます」
 うなずく零に、シオンも横から礼を言った。
「飛び入りで来たのに、ジャムまでもらってしまって、すみません。……ありがたく、いただきます」
「いえ、気にしないで下さい」
 笑って零は、シオンに瓶を渡すと、マリオンにも差し出した。
「あ……。私は……」
 マリオンは、とっさにそれを辞退しようとする。とりあえず、帰りは迎えの車が来ることになっているから、大丈夫としても、また何かあったら困る。だが零は、単純に彼が遠慮していると思ったようだ。
「遠慮しないで下さい。どうぞ」
「え、ええ……。じゃあ……」
 無邪気に言われて、断りきれず、しかたなくマリオンはその瓶を手に取った。
 やがて彼らは、事務所を出るとそこで別れる。
 迎えの車を待つ間、どうしたものかと考えていたマリオンは、直接その妹尾静流という人物に、リンゴのことを訊いてみようと思いついた。事務所へ引き返して、零から静流の携帯電話の番号を教えてもらうと、再び外に出て自分の携帯から電話してみる。
 初対面だったが、事情を話すと静流は笑って言った。
『たしかにあのリンゴは、時空図書館の庭園で採れたもので、管理人からもらったものです。でも、味がいいだけで、普通のリンゴと同じですよ。ただ、完全に我々の知っているリンゴではないかもしれませんから……もしかしたら、あなたが「このリンゴには不思議な力があるのかもしれない」と思ったために、そういうことが起こったのかもしれませんね』
 そういえば、他の者たちは結局なんともなかったらしいと改めて思い出し、マリオンは軽く落ち込んだ。つまり、思い込みが、自分をあんな目に追い込んだということだ。
『あまり、気にしない方がいいですよ。時空図書館というのは、基本的にはそこに迷い込んだ人間の想念を形にする場所のようですから、そこにある花や果物も、多かれ少なかれ、そういう性質を持っているのかもしれませんし』
 静流は、敏感に彼の気持ちを読み取ったのか、そんなふうに慰めらしい言葉を電話の向こうで口にする。マリオンは、小さく苦笑いして礼を言うと、電話を切った。
(シュラインさんや零さん、シオンさんのように、何も疑わずに口にすれば、大丈夫ということですか。……極力、そう思うようにしましょう。もうあんなふうに道に迷うのは、ごめんですからね)
 やって来た迎えの車に乗り込みながら、彼はそんなことを胸に呟くのだった――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4164 マリオン・バーガンディ 男性 275歳 元キュレーター・研究者・研究所所長】
【0086 シュライン・エマ 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3356 シオン・レ・ハイ 男性 42歳 びんぼーにん+高校生+α】


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■         ライター通信          ■
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●マリオン・バーガンディさま
2回目の参加、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
前回は、楽しんでいただけたようで、うれしいです。
今回は、いかがだったでしょうか。
またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。