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<東京怪談ノベル(シングル)>


雨の日の邂逅

 
 夏のはじまりを知らせる長雨は、それが訪れる場所であれば、等しく陰鬱なる気配をもたらし、降り続ける。東京の都心部、天候に関わらずに人ごみでごったがえしているビルとビルの挟間にも、それは静かに降っていた。
 灰色の重々しい雲の下、花開く多彩な色を示すがごとく、色とりどりの傘が街を往く。路には揺れて咲くあじさいの青。空の色など何処吹く風か、地は斯様にも色で溢れかえっている。
 しかしながら、その色とりどりの下で語られる言葉はといえば、このしばらく人々を恐れ戦かせている”通り魔”の噂。

 初めに見つかったのは、二十代初めの年若い女の屍であった。体中に鋭利ななにかで裂かれたような痕があり、アスファルトの上には、おそらくは犯人の手から逃れようとしたのであろう、血だらけの躯を引きずったような痕跡が残されていた。それが、ほんのひとつきほど前の事。以来、似たような痕をのこした屍が、毎日のように発見されるようになった。
 否。発見される屍は、日を追うごとに凄惨を極め、終いには、あきらかに食い千切られたとしか思えないような痕跡さえもが残されるようになっていた。
 共通する点はひとつもない。被害者の年齢は、それこそ十にも満たない子供から、腰のひん曲がった老人まで、幅広く広がっていたのだから。
 無論、性別も特に関係はないようだった。男女の判別は、特には見当たらなかったのだ。
 その犯人が、見目麗しい青年だと報道したのは、規模としてはさほどに大きくもないゴシップ雑誌だった。オカルト性を主張するその雑誌はわずかばかりの抗議を受けたりもしていたが、人々の噂では、その犯人像はまことしやかに形を成していったのである。
 その記事が事実であるのかどうかは、さだかではない。
――――そう、それは、通り魔の毒牙にかかってしまった憐れな被害者と、そして、ただ一人、血色の眼をもった鬼女だけが知っている真。

 
 長雨がさあさあと降り注ぐビルの影に、とうに人々の記憶から忘れ去られた路地裏が在る。そこは、野良猫でさえも迷いこむことのない、まさに東京の闇といった空間だ。
 その路地裏で、今、この世のものとは思えぬ形相の男が、奇怪な笑みをこぼしながら刃をふるっている。
 男の腕の中には、すでに事切れていると思わしき女が一人。栗色に染められた美しい髪は血糊でねっとりと顔にはりつき、すでに命の輝きのうせた眼差しは、恨めし気に雨雲を眺めている。
 男はひとしきり食事を続けると、恍惚の表情を浮かべて空を仰ぐ。
「――――――――はぁぁぁ……美味だ……」
 歓喜に身震いさえおこしてみせながら、男は天に向けて両腕を伸ばす。地鳴りにも似た咆哮は、男の心を形と成したものだ。
「しかし、なによりも美味いのは……」
 口の端を手の甲で拭い、男は女のふっくらとした唇に顔を寄せる。ずるりずるりと音をたてつつ吸いこむそれは、女の内でとどまっていた女の魂であった。

 さあさあと、霧のような雨が降る。
 かつり。何者かの足音を耳にとめ、男はぐわと眼を見開いた。
「誰だ?」
 振り向いた男の目に映り込んだのは、色気のないこうもり傘を手にもった、華奢な体躯の女の姿。女は男の姿を見とめると、恐怖するでも逃げ出すでもなしに、形のいい唇の片側を、にぃとつりあげてみせた。
「血臭に足を運んでみれば……これはまた、食事時であったか」
 女はひきつったような笑みを浮かべて歩みを寄せ、舞いを心得ている者であるかのように、傘を持つ手をすらりとさげた。
「……おまえは」
 訊ね、立ちあがった男に、女は肩を竦ませ微笑する。
「威伏神羅。なぁに、少し、この近くに用があってのぅ。寄ってみれば、なんとも懐かしい臭いが鼻についたからのぅ、しばし立ち寄ってみただけのことよ」
 赤い眼をゆるりと細ませ告げる神羅の言葉に、男は「あぁ」とうなずいて、手にしていた屍を無造作に放り投げた。
「なるほど、我が同族か。あるいは似たような者だと見受けられる」
「――――同族?」
 男の安堵した表情に、神羅はしばし喉を鳴らす。
「なるほど、ならば私は、同族殺しの咎を負わねばなるまいのぅ」
 赤い眼をゆるませて、神羅は愉悦をにじませる。
「……同族殺しだと?」
 男は、見る者の心を射るような美しいその面持ちに、かすかな疑念を浮かべ、神羅の顔を確かめた。神羅は男の視線を真っ直ぐに見据え、首を傾げて足を進める。傘を持っていたはずの手の中には、一振りの刃が握られていた。
「密やかに生きておったつもりじゃろうが。少々ヒトを喰らい過ぎたようじゃな」
 笑みを共にそう述べると、男はぎしゃりと顔を歪ませる。
「貴様、俺を屠りに来たかッ」
 吼え、男は足元に転がっている女の屍をぐしゃりと踏みつける。神羅がその屍に目を向けたその刹那、男は疾風のごとく駆け、両腕をふりあげて、十指を刃のそれに変容させた。
「威伏とやら! 露となって消え失せよッ」
 振り上げた凶刃を神羅の首と腹をめがけて振り下ろす。神羅はようやく男へと目を向けなおし、ゆらりと頬をゆるませた。
 
 
「……神羅め、俺が用事済ませてる間ぐらい、じっとしてろっつうんだ」
 白王社ビルを後にした男は、ロビーで待っていたはずの神羅の姿がないのに気がつくと、眉根を寄せてばりぼりと頭を掻いた。
舌打ちなどしてみせつつ空を見る。雨はまだ降り続け、とてもじゃないが止みそうにもない。用意してきた傘は、
「神羅、俺の傘持っていきやがった」
 そう吐きだして、雨空の下に身を躍らせる。
 神羅の居場所は、どうしてかわかるような気がしたからだ。なぜなら、雨の匂いに紛れ、確かに、血臭が流れてきていたから。


 本性をさらけだした男の凶刃は、神羅の髪の一筋にさえも触れることなく、宙の中を虚ろに踊っているばかり。
 さあさあと雨は降り続け、醜くひしゃげた男の体を、容赦なくうちつけていく。
 
 それはまるで、美しい舞いを見ているような光景だった。
 神羅の華奢な体がひらりと踊り、一振りの刃が、妖の腹をつきぬけて、廃ビルの壁へと突き立ったのだ。
「ヒトを喰らうのが罪だとは言わん。じゃが人に化けて人の世に紛れていくばらば、血臭に我をなくさぬことじゃ」
 ひどく鼻をつく悪臭を放つ男の耳に顔を寄せ、神羅はそっと、言い聞かせるようにささやいた。男はすでに返事をなすことも出来ず、泥のようなものを吐瀉している。
「……しかし貴様が喰ろうた魂の量。貴様と共に消し去るには些か惜しいな」
 泥を吐瀉している妖を眺め、神羅はふと口を閉ざす。
 ヒトの中でもっとも美味なるものは、肉でもなく血でもない。ましてや悪臭を放つ臓物でもない。
「そなた、確か、実に多様なるヒトの魂を喰ろうてきたはずじゃのぅ。……どれ、ひとつ、そなたが味わった美味を分けてもらうことにしよう」
 ささやき、妖の顎に手を伸べる。そして泥を吐き出しているその口に唇をのせると、一息に、妖の腹の内をさまよっていた魂達を吸い上げる。

「神羅ァ? おまえ、俺の傘もってフラフラすんなよ」
 身にまとった黒スーツを雨で濡らし、不精に伸ばしたアゴヒゲをごしごしと撫でながら、さきほどの男が姿を見せた。
「おまえ、俺の作った和菓子が食いてぇとかいうから、わざわざ迎えに来てやったっつうのに」
 ぶちぶちとぼやきつつ、男は神羅の姿をみとめる。そしてようやく、その場の空気を知ったのだ。

 もはやヒトの形をとどめていない屍と、その場に漂う色濃い血臭。
 神羅は男の声に耳を傾け、ゆっくりと妖から唇を離す。本来、それは恋人同志が交わす甘い行為であったのかもしれない。
しかしそこにあったのは、鬼女が、砂塵となって消えゆく妖の胃袋から、犠牲となってきた数々の魂を吸い上げ、平らげている、おぞましい場面であった。
「……おまえ、食ったのか?」
 問う男の言葉に、神羅はゆっくり踵を返し、首を傾げて微笑んだ。
「案じぬとも、腹八分目にも満たぬ。そなたの作る菓子、存分に食させてもらうぞ」
 
 美しい面立ちに、どこか悪戯っ子を思わせる笑みをのせて、神羅は笑う。
 雨は、さあさあと降り続く。


―― 了 ――