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<東京怪談・PCゲームノベル>


緑の鈴 〜春やまぼろしまぼろしの〜

 掌を上向かせると、まるで待っていたかの様に舞い降りた花弁が、はらり、一枚。絹よりも薄いひとひらが眠り伏す風情で落ちてきて、その愛らしさに嘉神しえるはやんわりと口角を吊り上げた。笑みは甘い。しかし、常の凛々しさは損なわれずに彼女の頬を彩り、顔を上げた角度そのままに向かい合った男の瞳へと直な視線を一矢射る。
「それが、人に物を頼む態度かしら。嵯峨野サン?」
 わざと軽い敬称と、低めに反り上げる語尾の響きと。聞いて、征史朗は興味深げに笑みを深めたようだ。
「おまえ名は……ああ、俺から名乗らなければ答えても呉れなさそうだな。いいだろう、俺は嵯峨野征史朗だ。おまえの名を、懇願してでも聞きたいと思っているんだが、どうだ」
「それ程に言葉を尽くされて悪い気はしないわ。私は嘉神しえる。……それで、ねえ」
 五指の内から解放した薄紅色が、温かな東風に乗って流れていく。
「夢だから……そうね、夢だからこそ貴方の態度が気に入らないの。仮にも貰ってくれと私に頼むなら、何故あの鈴が必要なのか教えなさいな。理由も与えずに人をいい様にしようだなんて、甘いわよ」
「成る程、正論には負けるな。頼もしい限りだ」
 胸元に落ちた黒髪を無造作に払いながら、征史朗はゆったりと視線を樹下の少女へと戻す。しえるもそれに倣えば、少女は未だ夢見心地な表情で桜の幹と戯れるかの仕草。しえるは少女を、その桜色の手首に覗いた鈴を具に観察する。反射の具合から見てあれは何か鉱石で出来ているのだろう、近しいモノを挙げれば、そう雪の女王が備えた翠玉の深い緑。欧州総ての森をたった一滴に封じ込めた様な色のその石を、しえるは自然想起した。
「あれが、要るというの?」
 そうだ、征史朗は躊躇うことなく首肯する。
「他の何かを犠牲にしてでも叶えたい願いが俺にはある。そしてその大願を果たすためには、どうしてもその鈴が必要なんだ。それ以上でもそれ以下でもない。どうだ、これでは不足か?」
 淀みなく述べられた口上に、まあ合格かしら、と及第点を与えたら。
「ならば今ひとつの誠意を見せようか」
 和装の男が迷いも見せずに膝を折る。跪いたその姿にしえるは多少面食らって、逆に彼は飄々たる表情を崩しもせずに言葉をじっくりと紡いだ。
「どうか、頼まれて欲しい。……巡り会った、縁だ」
 風が、二人の長い髪を一房二房撫でていく。
 自分は恐らく、この男を知っている。彼は現世では既に鬼籍に入っていて、だからこそあの“人形”は彼を捜し求めているといたはずだ。ならばこの世界は、少なくとも“今”ではなく、つまり“夢”に他ならないのだろう。
 しえるは今一度眼下の彼を見遣った。予想よりも随分と子どもじみた男だ、というのがひとまずの感想か。身勝手と突き放せばそれだけの我が侭を聖典の如く振りかざし、己が道を推し進めるためならば手段を選ばないと平気で膝をつく。安い魂は嫌いだ、しかしいっそ潔い姿は興味惹かれないこともない。何処とも知れぬ夢中で邂逅した、そう、その“縁”で、今に繋がる物語を紐解いてみてるのもまあ悪くはないだろう。

 それに。
 唯一を追い求める切々たる熱望は、誰より何より、自身が一番魂にかけて知っているのだから。

「わかったわ」
 やがてしえるは嘆息交じりにそう答えた。ついでに、顎でくいと立ち上がるようにも示す。
「とりあえず、その似合わない格好は止めて頂戴な。それでゆっくり、果報を待ってなさい?」
「ああ、そうさせてもらうとしよう」
 脚を崩した征史朗はそのまま緑の大地の上へと胡坐を掻く。すっかり寛ぐ姿勢の彼は鷹揚にひとつ頷くと、待っているぜ、と片手をひらひら振って見せた。
「……調子の良いコトね、まったく」

 若草が緑為す丘を登って行くにつれ、舞う花弁が量を増したような気がする。散っても散っても散りきらない花、と征史朗は言った。確かに、風の穏やかさに比して枝を離れる花が多いし、そのくせ、霞の様に空へと広がる薄紅色は一向に退色していく気配がない。
 何故? 当然の疑問が脳裏を掠めるが、同時に見惚れもしたのは事実。向かい風に流されてくる花は温みと共にしえると擦れ違い、まるで遠く、この世界の果てにまで飛んでいく様な風情を匂わす。耳を澄ませば天空彼方より聞こえ来る雲雀の囀り、複雑な節回しで春を謡う告天子は遠ざかるのか近付くのか。どうにも距離感が曖昧で、方向までもが掴めない甘いもどかしさ。
 この霞のせいかしら。思い、しえるは爪先を止めた。少女の座す大樹の根まではあと十歩ほど。日の本の邦特有の淡く一切がかすむ色彩の中で、常に明確さを求める思考までもがぼんやりと蕩けていく様だ。
「お邪魔するわよ、貴女」
 腰に手を当てた呼びかけに、少女は緩やかに首を巡らせて小さく小首を傾ぐ。蜜を含んだ様な至福の表情がその頬を薔薇色に、いや桜色に染め上げているのが愛らしい。貴女、何をしているの? と差し障りのない言葉を選べば、少女は薄らと目を細めて、一言。
「……咲いているの」
「咲いて?」
「わたしは……花だから」
 衒いなく少女は答える。それが絶対唯一の真実だと言わんばかりに、笑みさえ浮かべて。
 しえるは桜と少女とを見比べた。花だから、音もなく唇に載せて反芻しても意味を捉えきれない。どうして、と呟くのが精一杯で、少女は一拍焦らして言葉を継ぐ。
「……あなた、いとしい人がいる?」
 唐突な問い、それも幼き子が口にするには随分と艶めいた。意外さに興をそそられて、しえるは重心を右足から左足へと移し腕を組む。心持ち顎を上向かせ、ええ、ときっぱり答えてやった。
「いるわ。とても永い想いと、深い想いを知っている。そう言う貴女は?」
「わたしも……花咲く想いと、色に染まる想いとを知っているの」

 ──── ………… ”林” 。

 少女の腕で鈴が鳴る。合わせて、ざああざああと大樹が枝を鳴らす。視界を遮るほどの花吹雪、いや花嵐。思わず片手を眼前に翳し────晴れて瞬いた時はもう、その“乙女”が樹下に佇んでいた。
「昔々の、話を聞いてほしいの」
 少女が言うのを横目で聞いて、突然現れた乙女を多少瞠いた瞳で見遣った。年の頃は十代の半ばか、しえるよりはやや歳若い彼女は腰に届く長い黒髪を風が弄ぶのに任せ、淡い色彩の春の野でいっそ異質なほど鮮やかな緋の振袖を纏っている。きっちり整えられた襟元と、丹田の辺りで揃えられた五指。乙女は遠く、霞む彼方を見つめていた。その表情は、見送った後の様な、逆に待っているかの切なさを湛えていて。
 しえるは不審さと興味の混じった瞳を少女に戻した。二つの双眸がかち合い、少女は軽く瞼を閉じて、言った。
「一人のおんなと、そのおんなが愛した人のささやかな物語。……そしてその、夢のお話よ」

*******************

 とても、美しい人を好きになりました。
 彼は蝶、だったのだと思います。女という、美しい花の間を当て所なく彷徨い、決してひとつ所に留まることのない華々しい蝶の姿。本当は羽を休めたいのに、飛び回らずにはおれない哀しい性をもっているのだと、彼に愛され、愛し捨てられた女達は負け惜しみの様に口にしていたものです。
 彼が選ぶのは何かしらに秀でた人ばかり。容貌を誇る方、楽器を得意とする方、出自が煌びやかな方。女にとって噂は甘露の様なもの、わたしの耳にも彼が慈しんだ方々のお話はよく聞こえてきましたね。美しい蝶と美しい花と、何の取り得もないわたしには、御伽噺でしかない遠い遠いお話でした。

 それが。
 一体どんな悪戯だったのでしょう。

 巡り会わせとは異なもの。わたしが十六になったある晩に、蝶が一夜の雨宿りを借りました。羽根が濡れては飛べないでしょうと、わたしはただ宿の主として、そうですね、一本の樹として蝶を迎え、葉で庇うかの如く持て成した覚えがあります。彼が求める女性とはまるでかけ離れたわたしでしたから、まさか夜陰に紛れて寝所に忍び込まれるだなんて、だって、思う筈がないでしょう?

『 ……君は、花だね…… 』

 ────そんな風に彼の腕の中で名付けられるだなんて、思えたはずが、ないでしょう?

*******************

「嫌よ、そんな気障ったらしい上に実のない男」
 忌憚ない、というか率直そのままな意見を述べたしえるに、背中の向こうで征史朗が声を立てて笑った。
「違いない。だが、好いた女を花と愛でたくなる気持ちはわかるな」
「なあに、貴方にも恋しい人がいるの?」
「そっちこそ。ああそういえば、先刻そんなことを答えていたな」
「ええ、彼女の男よりも貴方よりも、ずっとぐっと可愛くてステキな人よ。……まあ、コブ付きが玉に瑕だけど」
「それで、話の続きはどうなるんだ?」

*******************

 一夜限りの戯れだと、東雲色に染まる明け空を眺めながらわたしは自身を納得させました。わたしのことなど、噂にも上らず消えてゆくただの気の迷い。悪くはない、いえ夢のように甘美であった思い出ですから、どちらにしても傷にはならないはずでした。……そう、なるはずだったんです、本当は。
 君は花。彼の言葉が何度も甦り、あの時の様に耳朶に注ぎ込まれて身を震わせる。わたしは花、彼の腕の中で咲く花。蝶はひとつの花を愛しはしない、けれど花は、たったひとつの夢のために咲く。わたしは花、彼の花。二度とあの指先に触れられなくてもわたしは、永遠に──── 花。

 わたしが十七になったある日に、蝶はあっけなくこの世を去りました。
 誰かに羽根を毟り取られたのか、それとも天命に従って次の世へと旅立ったのか。最期を、わたしは知りません。知る必要もありません。彼がいようといまいと、彼の花であるわたしはただ彼のために美しく咲き誇るのみ。彼が愛してくれたあの日のわたしのまま、もっと、もっと綺麗に。彼への想いが決して枯れないように、春の野に咲く花に、花に。

 私は、花だから。彼が、花と名付けたから。
 咲いているんです。何時までも、何処までも。
 ──── 永久に。

*******************

 “林”、と再び鈴が謡う。
 緋色の乙女は身動ぎひとつしないで、きっと、野辺に立ち昇る細煙を見つめているのだろう。しえるにも、恐らく征史朗にも見えていない過去の景色。花である彼女があんな表情で目に映すとしたら、それは彼が荼毘にふされた末の姿に違いない。──なれば、この散る花弁は彼への散華。花盛りを花と愛でられて、降る様さえも彼に捧げたというところか。
 一途、そう愚かしいほどに一途な女だ。通じていたかもわからない恋に輪廻を捨て、こうして夢の世界でまだ、彼のために咲いている。
「……恋しい人のために綺麗でいたいと思うのは、女として同感だけど。不変というのは、意外とツマラナイものよ」
 焦茶の強い光を宿す瞳。それが真っ直ぐ、完璧な微笑を湛えた少女を捉えて言う。そうかしら、と彼女は大人びた口調で答えた。
「夢の中ならなにも、こわくないし、悔いはないの」
 言い切る彼女の内では、きっと花となる決意は何よりも尊く正しいものなのだろう。征史朗が自身の願いを譲らぬ様に、彼女は彼への想いのために何も恐れない。もしかしら自身の愚考を自覚しているかもしれないのに、想いが、それを上回って余りあるのだ。
 聡い思考が次々と彼女の胸中を理解していって、けれどしえるは形の良い眉を面白く無さそうに寄せる。
「……嫌になるわね、ああ、もうっ」
「絆されたのか?」
「いいえ、むしろ逆かしら。解らないわけじゃないから、こそよ」
 爪先で弧を描き、しえるは征史朗へと振り返る。「ねえ、傘をもっていない?」
 さすがに彼も面食らったらしい、数度ぱちぱち瞬きしそれから上目で空を見て。
「雨は降りそうもないがな」
「そうじゃなくて。和傘、そう舞傘なら言うことないわね。此処は夢なんでしょう、それくらい出して頂戴な」
「無茶を言う。俺には何の力も無いんだぜ、ただの男に頼ってくれるな」
「……本当に調子がイイのね貴方」
「ねえ」
 応酬するしえると征史朗の間に一石を投じたのは、当然ながら少女の声だった。肩越しに振り向けば、彼女の両手には大振りの桜の枝が捧げもたれていて、成る程花を爛漫に咲かせたその一枝、形が傘と似ていなくもない。
「桜って、折ってはいけないんでしょう?」
 言いつつもしえるは少女へ歩み寄る。
「あなたが何を見せてくれるのか、楽しみなの」
 少女の言葉に賛同する様に頭上でまた枝がざわめく。花を咲かせた樹、そういえば、先の昔語りで彼女は自分を「樹」と言った。それがやがて「花」となった。────じゃあ、この桜の樹は。
 ひとつの確信を導き出しながら、しえるは桜の枝を取った。重さ、姿は申し分ない。見晴るかす舞台も良好だ。
「あなたはわたしをわかると言った。そんなあなたが、でもわたしとは違う考えをもっているよう。……あなたはわたしの夢を、覚ましてくれるのかしら」
「私に喧嘩を売った相手は、必ず後悔するのよ」
『……ならばこの夢を、醒ませるかしら』
 答えた聞きなれぬ声。主を求めれば、緋色の乙女がこちらを見ていた。少女とは異なる哀しい、寂しい表情。
 しえるは察する。そう、そうなのね。丘を下りながら、この世界に込められた彼女の真意を咀嚼する。

 わたしは花。あの人の花。
 唯一になれない哀しみと、二度と逢えない寂しさを。
 花になることで凍らせた。想いを閉じ込めることで、耐えた。

「どうするつもりだ」
 麓までやって来ると征史朗が立ちもしないで訊く。その足元に靴を揃えて脱いで、観てればいいのよ、と強い言葉で応じる。

 わたしは花。あの人の花。
 花になる以外に、この想いの逝く先が見つからなくて。
 ただの樹でしかないわたしには、夢の世界以外にどうしようもなくて。

「そんな後ろ向きの決意で私に勝とうなんて、一千年早いわ」
 舞台、と決めた区切りの中央に枝を置いた。舞の始まりは傘に隠れた格好、そこから連なる花の舞。この邦と初めて自分が響いた、あの時に感じた“花”の姿。
「見せてあげる」
 しえるは少女に、乙女に告げた。
「──── 本物の、花を」


“春やいくとせ惜しまるゝ 身にふさはしき

振の袖 つゝむに余る色草や

うつゝなき 桜の色に戯れて 東風は心に流れくる”

 朗々と謡い、舞いだしたしえるの艶やかな姿に、気付けばその場の一切が見入っていた。
 やや呆気にとられている少女達を見上げ、また世界の中心で舞うしえると見比べ、「惜しむ春」か、と征史朗が一言呟く。

“空さえ夢の銀砂子

燃ゆる想を陽炎に たゆたひよればいつしかに”

 思い出しなさい。永遠の花なんて、それはもう花じゃない。貴女の想い、私ならば解るわ。たった一人を請い恋い求めて、満たされない切なさや苦しみを、どうにかしたいと目を閉じてしまうその気持ち、ねえ、わかるのよ。だから、だからこそ。
 舞い手は春の野に花と咲き、豪奢な桜花よりもいっそ真の花として指先を、爪先を伸べて春を謡う。いや、ただの春ではない。この唄に切々と謡われるのは春の情景、そして誰かに向けた乙女の愛しさ。

──── “君が恋ひしや”

 乙女が五指を絡め合わせてぎゅっと握った。しえるはそれを眇める。思い出して、思い出すのよ。舞う端々に視線を送るしえると、瞳を震わせていく乙女と。少女は何も言わない。代わりに、征史朗が小さな声で問うた。
「先刻から、ひとつ疑問に思っていたことがある。何故、おまえの愛した男は、一夜の宿りに“花”ではなく“樹”を選んだ?」

 君は花、あの人はそう言った。いいえいいえと驚いてわたしは首を振った。どうしてわたしなどを、どうして、繰り返すわたしにあの人は。そう、あの人は言った。君はまだ咲き初めぬ花、花咲くことを知らない大樹の花。地中に根を下ろし、激しい風雨にも耐える芯の強さをもっている。ただのたおやかな花にはない強さ。蝶は、だから樹に惹かれたのだよ。
『……ねえ、君ならば、私を止まらせて、休ませてくれるかな……』

“忍べばまして偲ばるゝ”

『 ずっと、安らかにその胸で、眠らせてくれるかな……? 』

“春やまぼろしまぼろしの”

 幸せ過ぎて、あの人が呉れたたったひとつの真実を、私は嘘と見て捨てた。誰よりも自分が信じられなくて、あの人の腕を振り払い、独りきりの夢へと安寧を求めた。愛していたのに、愛されていたのに、想いが通じることが怖くて、いつか心変わりされることが怖くて、初めから恋を、殺していた。わたしが、わたしが、自分で。

──── “春の調べを君に 贈らん”


「……花は」
 泣き崩れる乙女を傍らに。無言でこちらを見遣る少女へと、舞い終えたしえるは厳かに口を開く。
「花は、廻るからこそ美しいと思うのよね。散って惜しまれ、また次の季節で咲き誇ることを待たれるもの。ひとつ所でうじうじしてたら、貴女を花と言ってくれた人の言葉を、今度こそ嘘にしてしまうのよ」
『わたしは……わたしは……』
「貴女の愛しい人はもう、輪廻へと還ったのでしょう? 貴女にかけてくれた言葉が本当だったならば、彼はまた、貴女と廻り逢うことを待っていると思うのだけど」
 だから貴女もお逝きなさいな。地に伏す乙女が嗚咽を漏らし、少女は暫しの逡巡の後に手首の鈴を一振り鳴らして。

 ──── ………… ”林” 。

 鈴の音に呼応する様に、一際激しい風が駆け抜けた。澄む蒼穹に浮かぶ雲が西へ西へと流されて、見る間に東の際から宵の茜色が天を覆っていく。穏やかだった落花は嵐に揉まれて散り乱れ、今度こそ本当に、終わるために散っているのだと判る速さで散り急ぐ、花。
「終焉なんかじゃない」
 その乱風に髪を旗めかせながら、しえるは花へ──そして“花”へと、優しく微笑みかけた。
「……再会のための、始まりよ」

 ──── ”林”………… 。


 最期の音は、梵鐘を真似て長く細く響き渡った。天は既に入相の暮空、濃き橙に照らされて男と女の影が二つ、黒々と墨色に伸びている。しえるの持つ枝の、また大樹も少女も乙女も、総て花々は散り失せ、それはつまり、夢の終わりを意味しているのだろう。
「やるよ」
 不意に、丘の上にいた征史朗が高い位置から何かを投げて寄越す。しえるは枝を片手にそれを掴み、掌を開けて見てみれば。
「……どうしてよ」
 彼が切に求めていたはずの、これは二つと無き緑の鈴。不審に、問うしえるへと征史朗は片手を掲げて何かを見せる。自然瞠目する焦茶の瞳、彼が持っていたのは紛れもない、ここにあるはずの、いやそれと全く同じ色彩を放つ────。
「ま、片恋が双恋になったというところか。あの女が気付いてなかっただけ、という顛末だがな」
「じゃあこれは、あの子が貰った想いということ?」
 どうとでも解釈すればいい。征史朗は笑い、今ひとつの鈴を袂に仕舞い込む。
 鈴は、想い。唇の形だけで呟いて、しえるは遠く、暮れていく春の彼方を見遣った。あそこは花が散る果て、人が命を越え、またの生へと向かう先。
「……そう、緑は安らぎ」
 ────煌、と光を弾く鉱石を、五指の中に閉じ込める。
「黄に藍を────樹に、愛をかけて出来る色なんだもの」


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「……戻ったか」
 気が付くと、自分は再びあの夜の岸辺にいた。
 声をかけてきたのはこの闇の中の唯一の白。別れた時そのままの位置そのままの姿で、名無花はそこに佇んでいた。
「礼を献じよう、まろうど。よくぞ、あれを助けてくれた」
「ええ、少なくとも悪い夢ではなかったわ。お土産も出来たことし」
 しえるは耳元で、りん、鈴を鳴らして答える。急に戻ってきたことを訝しむつもりは最早ない。この場所もあの桜の場所も、やはり、夢なのだろうから。
「夢、か。なればまろうどが散らせた女もまた夢の女。夢に逃げ、偽りの花と成り果てた女に真の花を、咲かせて見せたのだな」
「え、それじゃあこの鈴も、夢が終わったら消えるというの?」
 自分の口をついた質問に自分で驚く。これではまるで鈴を惜しんでいる様だ、と思って逆に納得の苦笑を漏らす。そうか自分は、この鈴に愛着を持ち始めているらしい。
 名無花は相変わらず遠くを眺める半眼のまま。こちらを見ているのではなくこちらを向いているだけの茫洋とした表情で、それでも一瞬、僅かに幽かに、微笑んだ様な気がした。
「……まろうどが消えぬようにと願えば、消えぬ。夢は夢、しかし夢を生きる心は……夢ではない」
 どういうこと? 問い返す視界が急に狭まる。眩暈に似た暗闇が意識を遠退かせ、ふらり、よろめく体が宙に浮いた気がした。
 最後に聴こえたのは手の内の鈴の音。”林”と柔らかな緑の音が、霞む脳裏に響いていた。

 ────そんな、夢を見た。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2617 / 嘉神・しえる (かがみ・しえる) / 女性 / 22歳 / 外国語教室講師】


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■         ライター通信          ■
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嘉神しえる様
こんにちは、いつもお世話になっております。ライターの辻内弥里です。
この度は当ゲームノベル「名無花の世界 〜緑の鈴〜」にご参加くださいまして誠に有難うございました。少しでも楽しんでいただけますよう努めましたが…如何だったでしょうか。
嗜んでらっしゃる長唄(日舞)を引いてのご説得、そして桜の少女の物語。具体的で美しい世界を描かれるしえるさんのプレイングに、今回は(むしろいつも…)胸を借りる形となりました。予想とご期待を良い形でお返しできていれば、と思います。
また緑のご解釈。嗚呼、と思いました。言の葉を創った人は、意識的に、それとも無意識にか世界を構築していたのですねえ。……ちょっと好きな話題なので食いついてしまいました。あは。
それでは、今回はどうも、有難うございました。宜しければまた、征史朗に会いにきてやってくださいませ。