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子猫の気持ち
久しぶりに店を休んだ。さて、今日はゆっくり趣味の世界に浸ってみようかと、ディオシス・レストナードは思っていた。
しかし、その予定は朝食を終えた直後に変更せざるを得なくなる。他でもない、彼の同居人たち二人の「お願い」によって。
「わたくし、お洋服が欲しいのです」
と。真っ白い猫が目をキラキラさせながら言った。
「あぁ? 猫にゃ要らねえんじゃねえか、そん……」
そんなもん、と面倒くさそうに言い放つところを、ディオシスはぐっと飲み込んだ。子猫の目が、潤んで輝いていることに気付いたからだ。
「確かに、この格好なら外に行くにもお洋服は必要ないわ。でも、たまには人間の格好で外出したいんですもの……」
猫――メイリーン・ローレンスは、くすん、と小さく鼻を鳴らした。
本来はディオシスと同じく竜の眷属であるメイリーンは、普段は現代日本という場所に違和感無く馴染むためにこの白猫の姿でいる。人間の姿にもなれるのだが猫のほうがデフォルトなのは、洋服を持っていないからという単純な理由もあった。
「街ならよく一人で出かけてるだろ。服くらい……」
勝手に買いに行きゃいいじゃねえか、と言おうとしたところに、
「一人じゃ心細いんだよね?」
膝に乗せたメイリーンの背を撫でながら、ディオシスのもう一人の同居人である少年が、目尻に涙を光らせたのが止めだった。
「わかったよ、一緒に行ってやるよ!」
自棄気味に言ったディオシスに、メイリーンたちが歓声を上げる。先ほどまで瞳を潤ませていたのは一体何だったのか(もちろん嘘泣き)。
「ただし! 付いて行くだけだからな。俺にアドバイスは期待するんじゃねぇぞ!」
ディオシスが付け足した言葉は、聞こえているやらいないやら――。
+++
街に出てしばらく歩いて、メイリーンがまず足を止めた店は、いわゆるゴシック・ロリータ系のブランドを集めたセレクトショップだった。客層も店員も女の子ばかりの中に長身の男が混じると、とても目立つ。しかも女の子向けにこまごまとしたディスプレイがなされている店内は、通路がとても狭くて居心地が悪い。
そういうわけで。
レースとフリルとリボンとレースとフリルとフリル……大量の布が織り成すお花畑の中に、ディオシスは所在なさげにたたずんでいた。ならば外で待っていれば良いと思われるかもしれないが、そうもいかない。なぜならば。
「これなんてどうかしら?」
メイリーンがいちいち、気に入った服を持って見せにくるからだ。襟ぐりと裾にケミカルレースのたっぷりついた黒いサマードレスを広げたメイリーンの腕には、他にも数着の服が掛かっている。
「ああ、良いんじゃねえか」
因みにディオシス、さっきからこれしか言っていない。しかし、内心では連れて来てやって良かったかな、と思っていた。
人間の姿のメイリーンは、一見黒に見えるほど深い青の髪と瞳を持った少女だ。嬉々として店内を物色している彼女が家から着て来た服は、知り合いに借りたというシンプルなシャツとジーンズで、これがあまり似合わない。しかもその知り合いというのが長身なのだろう、袖や裾がかなり余っていていかにも借り物といった風情。そういえば、ディオシスはメイリーンが借り物以外の服を着ているところを見たことがなかった。もう一人の同居人も、この状態を不憫に思っていたのかもしれない。
一通り見て回った後、メイリーンは気に入った服を全部抱えて店員に試着を申し込んだ。
「おサイズは如何ですかー。パニエもどうぞー。それとこちらのチョーカー、その紺のワンピースと同メーカーで、レースがお揃いになるんですよー」
女物というのは男物と違って付属品が多い。メイリーンがまず一着目を試着中のカーテンの向こうに、店員があれやこれやと服に合わせた小物を差し入れてゆく。ディオシスとしてはさっさと買い物を済ませて欲しいのだが、試着一つにもかなり時間がかかるようだ。
「ねえ、ディオ。どう?」
ややあって出てきたメイリーンは、ディオシスの前でくるりと回った。
「ああ、良いんじゃねえか」
「もう。ディオったら、さっきからそればっかり!」
例によってディオシスが一言で答えると、メイリーンは少しだけ唇を尖らせた。ディオシスとしては苦笑するしかない。
「だから、アドバイスは期待するなって言っただろうが」
メイリーンが着ているのは、ウェストを後ろリボンで締めるデザインのワンピースだ。動くと、フリルのついたスカートの裾がふんわりと揺れる。色は大きく開いたデコルテに覗く肌の白さを強調するような紺。似合うか似合わないかと問われれば、似合う。しかし、それ以上はディオシスにはわからないので、良いんじゃないか以外に言えないのだ。けして面倒くさがっているわけではない。
「そのお色、とてもお似合いだと思いますよ。おサイズもぴったりのようですし。後ろ、簡単にバッスルが作れるようにボタンがついてるんですよー」
ディオシスとは対照的に、流石にプロ、店員のほうは饒舌だ。彼女は立て板に水の説明にあわせて手早くスカートの後ろを両脇からたくし上げ、後ろリボンをその上に重なるように蝶結びにした。段フリルのついた黒いアンダースカートが覗き、もともとの可愛らしさにクラシカルな雰囲気がプラスされて、鏡を見たメイリーンが目を輝かせる。
「そうですね、それから……夏ですし日焼け防止を兼ねて、こちらの手袋も合わせて見られると如何でしょう。お靴はこちらのサンダルでも可愛らしいかもしれませんね」
口を動かしつつ、店員は次々と商品を出してきた。ディオシスには途中で何が何やらわからなくなったが、そのあれこれを次々と身に付けながらメイリーンはこの上なく楽しそうだ。
何着か試着した後、結局メイリーンは最初に試着したワンピースを購入した。それだけでなく、パニエや靴下、揃いのチョーカーといった小物と、編み上げ紐のついた水色のサンダルもあわせて買ったので、いきなりかなりの大荷物だ。
店を出たところで、周囲の視線がちょっぴり痛いことに気付き、ディオシスはメイリーンに手を差し出した。
「猫、荷物よこせ」
華奢な少女が紙袋をいくつも下げているというのに、隣にいる大の男が手ぶらというのは確かに妙だ。例え、少女が人外の者で、かつ怪力の持ち主であったとしても、見た目的によろしくない。
「あら。なんだかデートみたい」
くすくすと笑いながら、メイリーンはディオシスに荷物を渡した。
「ええと、次はこっち!」
身軽になったメイリーンが、ディオシスを先導して歩く。先ほどの店の店員から、同じような系統の店を教えてもらったらしい。
「そちらのお店は“甘ロリ”さんなんですって」
何がどう違うんだ、とディオシスは思ったが、店に着いてみて納得した。
レースとフリルとリボンとレースとフリルとフリル……大量の布が織り成すお花畑の色柄が、乙女度アップ。先ほどの店内ではどちらかと言うと黒など濃い色をメインにした服が多かったが、次の店ではピンクだの水色だの、明るい色合いが目立つ。
居心地悪さアップの店内で、またもやディオシスは所在なさげにたたずむ羽目になった。
何着目かの服を着て、メイリーンが試着室のカーテンを開ける。クリーム色とグレイのストライプに、トランプ柄の散った提灯袖のワンピース。付属品は、フリルたっぷりの白いエプロンと、赤いリボンのヘッドドレスだ。イメージは不思議の国のアリスらしい。
「どう?」
「……ああ、良いんじゃないか?」
「ふふ。じゃあ、次ね」
心なしか精神的に疲れてきた風のディオシスに、にっこりと笑って、メイリーンはまたカーテンの向こうに顔を引っ込めた。
「まだ着る気かよ!」
その後も延々と、蝙蝠羽根のついたモノトーンのメイド服だの、砂糖菓子みたいなピンク色をしたジュリエットスタイルのドレスだの、ボンネットからドロワーズまで揃ったいわゆる白ロリだの……。乙女チックの洪水に晒され、ディオシスがぐったりする頃に、やっとメイリーンはレジに向かう。
その調子で数店を回り終える頃、荷物は膨大な量になっていた。どれくらいかというと、腕にかけた紙袋の一部が地面に対して直角になるくらいの量、プラス帽子の箱を手に数個積み上げている状態だ。
ちょっと異様な姿である。フラつきながら道を行くディオシスを、道行く人々が振り返ってゆくのも無理はない。
「ええと、次はー……」
「おい。これだけ買えばもう充分だろ!?」
まだ次の店を考えているらしいメイリーンに、ディオシスが流石に音を上げた。
「もう重い?」
「重くはねぇんだけどな、足元も前も見えねぇんだよ!」
すれ違う人を避けながら、ディオシスは機嫌の悪い声を出す。荷物が崩れないように気を使いつつ、視覚以外の知覚を総動員しながら人通りの多い道を歩くのは、さすがに骨らしい。
「でも、まだ足りないものがあるの」
不意に、箱を抱えた手に温かい感触を憶え、ディオシスは目を瞬いた。隣に並んだメイリーンが、指先を重ねてきたのだ。
「次のお店で最後だから」
「ったく。俺の腕は二本しかねえんだからな。本当に次で最後だぞ!」
そうして手を引かれて向かった先もまた、レースとフリルの溢れる店だった。ただし、こちらはもっと目のやりどころに困るものを扱っている。
「ねえ! ここの試着室、彼氏も一緒に入って良いんですって」
「冗談じゃねえ!」
試着室のカーテンから顔を出したメイリーンに、ディオシスは店の外から大声で言い返した。
「一緒に選んでくれたら良いのに」
ディオシスが何故店内に一緒に入ることすら拒んだのか、メイリーンはどうやら理解できていないらしい。首を傾げた拍子に、カーテンがはらりと開いた。白いレースがたっぷりの下着姿に、ディオシスは慌てて顔を背ける。
「バカ! さっさと仕舞え!」
どうすればいいのか、どこを見ていれば良いのか、わからない……。下着屋の前、頭を抱えるディオシスと同じ思いで連れを待っているらしき男性諸君が、同情の目で彼を見ていた。
+++
買い物を終え、帰り道。
癖のある銀色の髪が、夕日の色を吸ってオレンジ色に染まっている。鼻梁の通った男っぽい横顔を隣に見上げて、メイリーンは抑えようとしてもこみ上げてくる幸福感に唇を緩めた。
ディオシスの前世は確かに彼女の以前の主だが、けして彼その人ではない。それは重々承知しているのだが、二人並んで歩いていると、まるで普通の恋人同士のようで。彼に好意を抱いていた日々を思い出さずにはいられなかった。
ディオシスはというと、少々機嫌悪げに、唇を曲げている。手にあれだけ抱えていたはずの荷物は影も形も無い。
下着屋での買い物の後、最終的にその荷物を、メイリーンは瞬間移動で自宅の玄関前まで送ってしまったのだ。
「瞬間移動で間に合うなら、最初からそうして欲しかったぜ」
「ごめんなさい。だって、荷物を持ってもらって、なんだかデートみたい……って思ったら嬉しくて」
「まあ、似合う服があってよかったよ」
メイリーンは途中の店で借り物の服を脱ぎ、買ったばかりの服に着替えていた。夏らしい、裾が蝶のようにひらひらとそよぐスカートが涼しげだ。ふふ、と笑って、メイリーンはディオシスの肘に手をかけた。
「あ?」
「デートみたいだったから、最後までデートみたいにしようかな、って」
家までね、と。
言われてはディオシスも邪険にすることはできなかった。
そして、この一瞬の後、最高(最悪?)のタイミングで、もう一人の同居人――魔剣の化身であり、ディオシスの相棒であり、かつ、自称婚約者が、角の向こうから現れる。その後どうなったかはご想像にお任せしよう。
なんだかんだとディオシスがえらい目にあった翌日、よれよれと寝室からリビングに出てきた彼が見たのは、今まさに散歩に出かけようとしている白猫の姿だった。
「俺の昨日の努力は一体なんだったんだ!」
ディオシスの嘆きをよそに、メイリーンは鼻歌など歌いながら外に出て行ってしまった。
汚したら勿体無いんだもの、だなんて乙女心は、彼には永遠にわかるまい。
END
期日ギリギリ納品にて、申し訳ありません。
二人の掛け合いをメインに、楽しく書かせて頂きました。最初の店で購入した服は、メイリーンさんのBUの服をイメージしています。
メイリーンさんからディオシスさんへの言葉使いなど、イメージに合っているかどうかとても心配なのですが、楽しんでいただけましたら幸いです。(階アトリ)
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