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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


切り裂き女


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 アトラス編集部に届けられた数多い郵便物の中に、匿名の手紙が一通紛れこんでいた。
 なんの変哲もない白い封筒に、幾分か妙齢を思わせるような文字。手紙のチェックを行い、その封筒に気がついた三下が、デスクで原稿のチェックをしている碇のもとへと駆けていく。
 碇・麗香は椅子に腰掛けた椅子を小さく軋ませながら、小走りに近寄ってくる三下をちらりと一瞥した後、大きなため息を洩らす。
「編集長ォォォ、お手紙が届いてますゥゥ」
「用件は簡潔に。どこの誰からどんな用件の手紙?」
 ため息を洩らした後に、デスクの上に広げていた原稿のチェックへと目を戻した碇に、三下はまだ封を切っていない手紙をあらゆる角度から眺め、答える。
「と、匿名ですぅ」
 
 オカルトに関わる雑誌をだしているアトラス編集部にとって、匿名の手紙などといったものはめずらしいものではない。
 碇は三下の言葉に、特に反応を示してみせるでもなく、ふぅんと軽い返事を返して続きを促した。
「そう、それで、内容は?」
「は、はいぃぃ」
 返事を返すと、三下はいそいそと手紙の封を切り、中におさまっていた手紙を取り出し、読み上げた。


S県のK市で頻発している事件をご存知でしょうか。
場所は、かつて”切り裂き女”として名を馳せた、とある老女が住んでいた洋館周辺です。
その洋館にはもうだれも住んではいませんが、無数の霊がさまよっているといわれています。
実際そういった霊を目撃したと主張する方も少なくはなく、私も、何度か目撃したことがございます。
ここしばらく、洋館に立ち入った者が時折行方をくらましてしまうという事件が頻発しています。
もっとも、その後死体が見つかったなどというわけではなく、単純に行方をくらましてしまうだけなので、
失踪という扱いで、派手な報道等は行われていません。
しかし皆はまことしやかに”切り裂き女”の再来だと噂しています。
どうか、洋館とその”切り裂き女”について調べてください。


「――――へぇ、なかなか面白そうね」
 三下がそれを読み終えて顔をあげると、碇が目を輝かせて頬づえをついていた。
「”切り裂き女”。猟奇事件として有名な事件の主犯だわね。若い子が泣き叫ぶ顔を見るのが面白くて、何人もの被害者をうみだしたっていう、資産家の未亡人よ」
「りょ、りょりょりょうき」
 声をうわずらせて退く三下に、碇は頬づえをついたままで微笑した。
「手伝ってくれそうな人を、何人か集めてちょうだい、さんしたくん」


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「資産家だと伺っていましたので、どれほどの規模かと思っていましたが」
 件の洋館を前に、車を降り立ったモーリス・ラジアルが、口の片側をつりあげてニマリと笑う。
「麗香さんから聞いた情報通りなようね」
 続いて車から降り立ったシュライン・エマが、顔にかかる前髪を軽くかきあげた。

 赤錆をおびた門の向こう、人気の感じられない洋館が建っている。
 
「……幽霊屋敷といった風ですね」
 尾神七重が、呟くようにそう言い放つ。車から降りかけていたシオン・レ・ハイが、七重の言葉に、踏み出した足をふと止めた。
「ゆ、幽霊ですか?」
 恐々振り向くシオンに、七重は表情一つ変えずにうなずいた。
「僕は乗ったことがないのですが、千葉にある遊園地に、確かあんな感じの幽霊屋敷がありましたよね」
「あるわね。結構好きよ、私」
 シュラインが口を挟むと、モーリスがそれに続き、うなずいた。
「大丈夫ですよ。あのアトラクションは作りものですが、こちらは本物ですから」
 穏やかに微笑んで、モーリスは車の中を覗きこむ。七重の向こうには、怯えきって体を丸めている三下の姿があった。
「あんな陳腐なアトラクションではなく、こちらはきっと楽しめますって。だから早く行きましょうよ、三下さん」
「ほ、本物がいるんですか」
 少しばかり声を震わせて呟くと、シオンは呆然と洋館に視線を向けた。
 三下がか細い悲鳴をあげる。その腕を力任せに引きながら、モーリスは満面の笑みをたたえている。
「大丈夫よ。麗香さんが教えてくれた情報だと、館の間取りはそんなに多くはないみたいだから」
 必死の形相で車にしがみついている三下に一瞥してから、シュラインがメモ帳をぱらぱらと開いた。
「ええと、間取りは部屋数が、一階部分に四つで二階部分に六つ。お手洗いがそれぞれ一つづつで、お風呂が一階に一つ。リビングとキッチンも一階にあるそうよ」
「10LDKですか。まあ、一般家庭としては大きな方でしょうね」
 三下の手を引きながら、モーリスがシュラインの顔を見やる。シュラインはモーリスの視線をうけて、肩を小さくすくめてみせた。
「あの、麗香さんからいただいた情報を確認させていただいていいですか」
 響く三下の悲鳴を気にしつつ、七重もシュラインに目を向ける。
「いいけど、早めに入りたいところだわね。日が暮れてしまってからだと、何かと面倒だし」
 メモ帳のページに指をかけながらシュラインがうなずくと、シオンが唸りながら空を確かめた。
「ですよねぇ。まあ、夏ですから、日没まではまだ数時間ほどありますけれども」
「あわわわ……ぼ、僕はここで皆さんの戻られるのをお待ちしてますぅぅぅぅ」
 相変わらず車の中で縮こまりながら、三下がカクカクと震える。
「いいですけど……ここで目撃されている幽霊というのは、館の中にしか出没していないんでしょうか?」
 三下を哀れんだ目で眺めつつ、シオンは小さなため息を一つ。それを受けて、シュラインがメモ帳に目を落とした。
「そうね。報告されているだけだと、その門から外では目撃されていないようだけれど」
「でも、間違いなく大丈夫だという確証があるわけでもないのですよね?」
 すかさずモーリスが続けてそう言うと、三下は車から転げ落ち、蒼ざめた顔色で口をぱくぱくさせた。
「た、たたたたすけてくださいいぃぃぃ」
 裏返った声で助けを請う三下に、七重がわずかに首を傾げ、ため息をこぼした。

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 この館は、桂部紀絵(かつらべ・のりえ)という名の女が所有していたものだった。
 桂部という姓は紀絵のものではなく、嫁ぎ先の名字である。
 紀絵が桂部家に嫁いだのは、今から八十年ほど前。年の離れていた夫は、紀絵を娶ってからわずか二年の後に他界。事故が原因だと伝えられる。
 子を成すことなく死に別れた夫に操をささげてのことなのか、紀絵は以降再婚などする事もなく、それから十五年ほどこの館に暮らしていた。

「養子などは取らなかったんでしょうか?」
 赤錆びた鉄の門を押し開けて中に入った後、館までの距離――なにしろ庭が広いのだ。門から館の入り口まで、ゆうに五分、整えられた庭の中を歩くことになった――の中、碇から入手してきた情報を読み上げるシュラインに、シオンがふとそう訊ねた。
「亡くなった夫の弟さんが、その後当主になったらしいのだけど、この人もわずか一年半の後に他界しているのよ。実質的に桂部家を掌握したのは紀絵だったということね」
「八十年も前の事では、当時こちらで働いていらした方などを辿るのも難しいでしょうね」
 三下の手を引いている七重が告げたその言葉に、一番後ろを歩いていたシオンが続けた。
「ところで、こちらで頻発しているという失踪事件ですが、共通点などはあるのでしょうか? 例えば性別だとか年齢だとか」
「警察に届けが出されている分だけだと、年齢は比較的若年層が多いのかしら。性別の違いは特にないみたいね。どっちもそれほど変わりはないみたい」
「若年ですか……」
 シュラインの言葉にうなずくと、シオンはふと七重と三下に目を向ける。
「この中で一番年若いのは尾神さん、ですよね」
「三下さんも、結構若く見えますけどね。童顔ですしね」
 モーリスがくすりと笑う。三下は飛び上がってから大きくかぶりを振り、七重の腕を掴む手に力をこめた。
「ぼぼぼぼぼ僕やっぱりもう帰りますぅぅぅぅ」
 卒倒しそうになっている三下に微笑を見せて、モーリスは館に目を向けた。
「到着しましたね。さあ、調査といきましょう」

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 館の扉は施錠されていない状態だった。モーリスがそれに手をかけると、扉は彼らを迎え入れるようにふわりと開き、石床に赤い絨毯の敷かれた玄関が目の前に開かれた。
「……なんだか」
「人が住んでいそうなところですねえ」
 七重とシオンが同時に口を開き、視線を合わせた。
「そういえば、庭の手入れがきちんとされていましたが、この館はまだどなたかが住んでいらっしゃるんでしょうか」
「うーん、麗香さんの話だと、ここは今全くの無人であるはずなのよね」
 シュラインが首を傾げた。――と、その時。
「ひぃッ」
 不意に三下が声をあげた。
「どうしました? 三下さん」
 三下を見やった四人が見たのは、今四人が入ってきたばかりの扉が音もなく閉じていく場面。その扉の影を、赤黒い影のようなものが一瞬通りすぎていった。
「ねえ、今」
 シュラインが眉根を寄せる。
「なにかが通りすぎましたね」
 モーリスが満面に笑みを浮かべて周りを確かめる。
「歓迎されているのでしょうか」
 独り言のように呟かれたシオンの言葉が、しんと静まりかえった館の中に溶けいっていく。
「……進みましょう」
 周りの気配に気を配りながら、七重が声をひそませる。
 赤黒い影は、その気配さえも残さずに消えていた。

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「一階を手前の部屋から確認していきます」
 五人が立ち入った玄関から見て、まず向かい側に階段がある。そして左右には廊下が伸びている。
 二手に分かれて左右それぞれを確かめてはどうか、という話ものぼったが、それは”失踪者が館内で行方をくらましているのであれば、なるべく全員が場を共にするべき”だというモーリスの意見をうけて、五人全員が揃って一部屋ごとを確認して周ることになった。
「まず、玄関から向かって右側。こちらには二部屋あるようね。廊下の両端に一部屋づつ。まず、ひとつドアを開けてみます」
 IC録音機を片手に、シュラインが告げる。その視線をうけて、シオンがドアノブに手を置いた。
 ドアが押し開かれ、広がったのは、八畳ほどの洋間。
「応接間のようですね」
 ドアを開けたシオンが、眉根を寄せて告げる。
 たちこめているのは、カビくさい臭気。見れば、壁紙がいくらかカビている。反面、家具などはあまりホコリも積もっておらず、きちんと並べられている。
「やっぱり、誰か住んでるんですかね」
 思案顔のモーリスが、腕組みのまま部屋の中を一望してため息をこぼした。
「ほら、テーブルも椅子も、定期的に手入れされているような形跡がある。少しホコリが積もっているようだけど、時々綺麗に拭き掃除なんかがされている証拠だよ」
 木製のテーブルと、黒革の椅子。モーリスはそれらを丁寧に確認した後に、ドアの傍で自分を見ているシュラインと七重(と、七重に引っ付いて震えあがっている三下)に目を向けた。
「壁に飾ってあるこの絵画、レプリカなんでしょうけれど、美術の本なんかでよく見かけられるものですよね」
 モーリス同様、部屋の中を散策していたシオンが、壁にかけられた絵を見て感嘆の息を洩らす。確かにそれはモネの絵だった。
「館の中も、まだ一室だけしか見てないから分かりませんが、特に荒らされたというような印象もありませんよね」
 七重が呟くと、シュラインが録音機を持つ手をひらひらと動かして首を傾げる。
「館の所有者は不明。桂部さんの遠い親類が所有していることになっているんだけど、その足取りはどうも掴めないのよね。だから手入れなんかしに通ってる人がいるなんて考えられないんだけど」
「でも、現に誰かの気配は残っている。庭の手入れも、結構丁寧にされていたしね」
 立ちあがったモーリスが肩をすくめてそう返すと、三下がおずおずと口を挟んだ。
「そ、それじゃあ、僕達は今、ここに不法侵入しているっていう事に……」
 一拍置いた後、シュラインが片眉をつりあげて笑った。
「まあ、そうなるわね」
「ヒィィィィィィィ」
 
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「一階は、応接間の他は何もない洋室が三つ。寝室とかかしらとも思えるけど、もしかしたら子供部屋とか、住み込みの使用人用の部屋だったかもしれないわね」
 IC録音機にそう入れながら、シュラインは他の三人(正しくは四人)の姿を確かめる。
 彼らは二階に続く階段の下に集まって、一階を見まわってきた結果について話し合っているのだ。

 どの部屋も、少しばかりホコリをかぶっているだけだった。興味半分で足を運んできたはずの人間達が残しているであろう痕跡は、どこにも残されてはいなかった。

「やはり通って手入れしている方がいるのではないでしょうか」
 アゴを撫でながら目を細ませるシオンの言葉に、モーリスが同意を見せる。
「それなりに大きな屋敷なのですし、第一、戦争の被害もうけていないわけですしね。どなたか、関係者が残っていて、通っているのかもしれません」
 腰に片手をそえてうなずくモーリスに、シオンが小さな唸り声をあげた。
「だとしたら、アトラス編集部にお手紙をくださった方が、その関係者なのかもしれませんね」
「――――ところで、切り裂き女、ええと紀絵さんでしたっけ。紀絵さんの写真なんかは残っているんでしょうか?」
 モーリスがシュラインを一瞥すると、シュラインは軽くうなずいてメモ帳を開く。
「一枚だけ。当時のものだから、今の写真に比べたら、やっぱりちょっと見づらいけど」
「お借りしても?」
 シュラインがうなずいたので、モーリスはそれを受け取り、シオンと七重と共に覗き見た。

 そこに写っていたのは、三十項半ほどの、痩せぎすの女の顔だった。
 落ち窪んだ眼孔はカメラを睨みつけるように向けられて、口もとは機嫌の悪さをうかがわせている。
 いでたちは質素な洋装で、黒々とした髪が腰にからみつくように伸びている。

「ところで、この紀絵さん、切り裂き女なんて呼ばれ名の由来は?」
「それは私も少し調べてきました」
 写真を見ていた目をあげてシオンに視線を合わせると、シオンが前髪をかきあげつつ述べた。
「なんでも、若い人の苦しむ顔が見たくて、近場の若者をさらってきては、体中をゆっくり切り刻んでいったそうです」
「……苦しむ顔が見たくて、ですか」
 七重が眉をしかめると、シュラインがメモ帳をぱらぱらとめくりつつ口を挟んだ。
「ご主人が亡くなって、子供もいなくて、生きがいが見出せなかったって、本人は書き遺したそうよ。それで、若い人が苦痛で転げまわるのを見るのが楽しかったんですって」
「サディスティックな行為にしか、愉悦を感じられなくなったということなんでしょうね」
 モーリスが肩をすくませる。
 七重が、しばし思案した後に口を開けた。
「近場の人間をさらってきたといいますが、それは紀絵さん自身がやっていたわけではないんですよね? 誰か、その役割を担っていた人がいたはずですよね」
「そうね。写真から察する限り、こんな痩せ細った体じゃ、体力のある若い人なんかには到底かなわないでしょうし」
 うなずき、シュラインは階段の上に視線を向ける。――何者かの視線を感じたような気がしたのだ。
「それで、その役割を担った方というのは?」
 シュラインの目線を追って自分も階上に目を向けながら、シオンが訊ねた。
「……それは記録が残っていないみたい。なにしろ、戦前の話でしょう? 残っている情報が少ないのよ」
 返し、何事かを思案しているような表情をにじませて、シュラインはそっと腕を組んだ。
「その役割を担っていた方が、実は今も健在で、この館の手入れなんかをしていたりしたら、楽しいですねえ」
 モーリスはそう笑いながら三下に目を投げやった。三下は声にならない悲鳴をあげて、ぐらぐらと揺れる頭をようやく持ちこらえている。
「そんな……八十年は前の事なんですよね。……関係者の方が生きていて、今もここにいるとは、とてもじゃないけど考えられません」 
 三下をかばいながら、七重がそっとモーリスの言を否定する。モーリスはくすくすと笑いながら階段に足をかけ、振り向いた。
「ともかく、二階の確認に行きましょう。……失踪者がここで出ているのであれば、何らかの痕跡はあるはずですし」
「隠し部屋とかあったりするかもしれませんね」
 シオンもまた階段に足をかけ、モーリスを見やる。
「……そうね」
 シュラインは小さくうなずいて、階段の手すりに指をかけた。

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「二階の六部屋の内、五部屋までを確認。やっぱりどこもあき部屋で、以前なんのために使われていたのかは分からない」
 
 六部屋目。廊下の一番突き当たりの部屋のドアノブに手をかけているモーリスを見やりつつ、シュラインは録音機にそう告げた。
 シオンは、突き当たった壁にかけられていたランプを眺め、感嘆のため息を洩らしている。
「ほら、見てくださいよ、このランプ。灯りが点いたら、きっと綺麗なんでしょうねえ。ああ、なんだか新しい詩が浮かんできそうだ」
 言うが早いか、胸ポケットから掌大の手帳を取り出したシオンは、ほくほくと頬をゆるめ、なにかをそこにしたためた。
「開けますよ」
 シオンの行動を見とめながらそう述べて、モーリスはドアノブを押し開けた。

「……寝室でしょうか」
 部屋を眺め、七重はわずかに目を見張る。

 その部屋の中には、小さな机と、大きめのベッドとが置かれていた。木綿らしきカーテンが窓にさがり、さしこむ陽射しから部屋の中を守っている。
「紀絵さんの寝室かしら」
 呟くと、シュラインは部屋の中に立ち入って、隅々までに視線を向けた。
 不思議と、カビ臭さがあまり感じられない。他の部屋よりもよく手入れの行き届いた部屋であるようだ。
「日記なんかがあればあいいんですが」
 モーリスはシュラインの横をすり抜けると、机の上や引きだしの中を確かめて首を捻る。
「なんにもありませんねえ」
「も、もう帰りましょうよ。結局なんにも見つからなかったじゃないですか。単なる失踪ですってば」
 七重の腕に掴まりながらも、三下はそう口を挟み、弱々しく首を振った。
「……そうねぇ……。不審な点はいくつもああったけど、特になにかが見つかったっていうわけでもないし」
 シュラインはそう述べると肩をすくめ、録音機を持ち上げて調査の結果を入れようと口を開けた。
「結果。この館には特に何も」
「あぁ――――!」
 同時に、廊下に残っていたシオンの声がした。
「皆さん、来てください。この壁の向こう、部屋がありますよ!」

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 シオンは、それをたまたま偶然に見つけたのだった。
「詩を書こうと思って、それでランプを触ったりしてたんですよ。こう、綺麗なランプだなあなんて思って。そうしたら」
 壁が、小さな軋みをあげてゆっくりと回転し始めたのだ。そう、その壁は壁ではなく、
「隠し部屋への隠し扉だったってわけですね」
 モーリスは微笑を浮かべつつ壁を押しやった。

 鼻をつく異臭。肉の腐ったような臭いと、汚物の臭い。
 むせかえるほど立ちこめた血の臭いに、シュラインと七重が半歩退いて眉根をしかめた。
「……見つかりましたね」
 モーリスはそう声をひそめて呟き、それからゆっくりと部屋の中を見渡した。

 二十畳はあるのだろうか。広い部屋の中、いくつもの屍が転がっている。
 否。天井からぶら下がっているものもあるが、共通して言えるのは、それらがまるで人形かゴミのように、ぞんざいな扱いを受けているということだ。
 部屋の隅には、無数の屍が山となって積まれている。中には白骨化したものも見うけられる。
「見てください、あれ」
 ハンカチを口許に押し当てて、シオンがその山の方に目を向けた。
「あそこ、窪んでますよね。ここからじゃよく見えませんが、もしかしたら血液をためておくための場所ではないでしょうか」
 そう述べたシオンの言葉に、モーリスがゆっくりと足を進める。
 部屋の中を進み、屍の山へと近付いて、モーリスはそれを確かめた。
「――――そのようですね。……ためられた血液は、どうやら階下の部屋へと流れ、運ばれていくようになっているみたいですよ」
 そう言って顔をあげたモーリスが、不意に声を荒げて腕をふるった。
「後ろ! 皆さん、伏せて!」
「――――え?」
 振り向いた七重の目に映ったのは、枝のように細い、老人の腕だった。

 がうん!
 枝のようにか細いその腕が、大きな鉈を握りしめている。その鉈が、七重の横をすり抜けて床板へと突き刺さったのだ。
「あなたは、」
 咄嗟に避けた勢いで転げてしまった七重を庇い、シオンが老人の顔を確かめる。
 老人のその顔は、愉悦に浸りきった狂気そのものといった表情をたたえている。
「紀絵さんじゃあないわよね」
 卒倒して気を失ってしまった三下を庇い、シュラインが口を開けた。しかし、老人はそれに答えようとはしない。
 再び振り上げられた鉈を避けて、シオンとシュラインは隠し部屋の中へと踏み入った。
 
 オ、オオオ、オオ、オオオオオオオ――――ン!

 老人は鉈を振り上げて咆哮を響かせると、ニマリと笑って壁に手をあてた。
「……!」
 モーリスが駆け出したが、壁は呆気なく閉ざされ、そこは密室と化した。
 
 夏の気候が、密室の中にたちこめている汚臭を、さらにどんどん腐敗させていく。
「……三下くんが気を失ってて良かったわ」
 部屋の隅。積み上げられた屍の辺りに目をやって、シュラインが一人ごちた。
 七重がそちらに目をやると、そこには、さっきはなかったはずの、赤黒い人影が揺れていた。
「紀絵さん」
 シオンが呟く。
 屍の山の上、悦楽の表情を満面にたたえた紀絵がいた。

 紀絵は四人を確かめて、紅――血かもしれない――をひいた唇を歪め、首を傾げた。
 その足が、ぎしりと動いて屍の山を踏みつける。
 手が、ぬらりと伸びて、七重の腕を掴もうと揺れた。
 どこからか風なりのような音がして、それが女の声を成した。

 わたくしにえいえんのいのちを――――

 ぬらり。伸びた細腕が七重の腕を取ろうとした、その刹那。
 
「いや、でもあなた、もう亡くなっているのでしょう?」
 モーリスが腕を揮った。
 紀絵は、光る鉄格子の内へと捕縛されたのだった。


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「永遠の命。……そう言ったのね?」
 
 編集部に帰還した五人を迎えると、碇はモーリスが撮った写真を眺め、頬をゆるめた。

「結局、憶測でしかないんだけど、それでも良かったら、結果報告もするわよ」
 ソファーに腰をおろし、出されたコーヒーを一口飲んでから、シュラインが顔をあげる。
 碇はシュラインの向かいに腰をおろすと、興味深げにうなずいて、それを促した。

 館にいたのは、紀絵と、おそらくは紀絵の使用人だろうと思われる男。二人とも、怨霊と化していた。
 紀絵は、夫に先立たれてから、死というものを極端に恐れるようになり、その結果、それまでは楽しいと思えていたはずの数々も、彼女の心を慰めるに足りなくなったのだ。

「なるほどね。それで、切り裂き女になった、と」
 写真を眺め、その場に映っている惨状に眉をしかめながら、碇がうなずく。
「生への執着というんでしょうか。そういった、こう、どろどろとした念のようなものが、その場に渦巻いてました」
 シオンが告げた。
「そう。……それで、一階部分には何があったの?」
 碇が問うと、七重が、口ごもりながら答えた。
「バスタブが」
「……そう」
 唸るように返事をすると、碇は写真をテーブルの上に置き、足を組み、声をひそませた。
「それで、あの館、これからどうなると思う?」
 その問いに、モーリスが小さなため息をついた。
「匿名の手紙が発端でしたね。それは多分、私達を招くための手段だったのでしょう」
「……」
「あのままなんの手もいれずに放置すれば、これからも被害は続くと思われます。……私は、あの館は無くしてしまうべきだと思ってます」
 シオンが声をひそめ、モーリスの言葉に続けた。
「……そう」
 碇は、テーブルの上の写真を見つめながら言葉を濁す。

 写真には、無数の屍を背負った、骨と皮ばかりの紀絵が映っている。
 その表情は、不気味に歪み、恍惚とした色をたたえていた。
 手が、今にも碇の腕を掴み取りそうに伸びている。


 数日後。
 S県で、主のいない洋館が焼失するというニュースが流された。
 それはほんの小さな事件として扱われ、大きな事件の影に、ひっそりと消えていったのだった。    




 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男性 / 42歳 / びんぼーにん+高校生+α】



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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。いつものように(?)予定が押してしまいまして、お届けが納期の数日前となってしまいました。
申し訳ありません(礼)。

今回は、総体的にホラーな雰囲気を目指してみました。
こっそりと、暑中お見舞い的なノベルとなっていれば幸いです(笑)。

少しでもお気に召していただければと願いつつ、今回はこの辺で失礼します。
また機会がありましたら、依頼やシチュノベ等でお会いできればと思います。
今回はご参加いただき、まことにありがとうございました。