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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


バブ・イルの悪魔 〜 Gate of the Heaven 2 〜


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 過去の調査資料を広げて大きなため息をもらした後に、三上可南子は目を細ませて頬づえをつく。
「可南子さん、なんの資料みてるんですぅ?」
 麦茶を運んできた中田がそれを覗きこみ、のんきな口調で問いかけた。
「あぁ、冬に起こったバブ・イルの」
 資料の中身を確かめて納得したようにうなずくと、中田は自分のコップを片手に机へと戻っていく。

 半年ほど前になるだろうか。
 東京に、突如としてあらわれた奇妙な塔。その周辺には無数の屍体がうごめき、近付く者を次々に屠り食らっていたのだ。
 塔には緑色の竜の形をした悪魔――ブネが居つき、ひとりの哀れな少女を連れ去っていった。
 バビ・イルと名付けられたその塔は、しばらく後にやはり突如姿を消して、そして東京は平穏を取り戻したのだった。

「あの女の子、今、どうしてますかねぇ」
 どこか遠くを見やりつつそう述べる中田の言葉に、三上は眉根を寄せて低い唸り声をあげる。
「――――行方不明になったらしい」
 ぽつりとそう呟き、頬づえをついたまま中田を見やる。
「はぁ?」
「二日ほど前になろうか。あの少女をひきとっていった女から連絡がきての。突然いなくなってしまったのじゃと」
「まさか、またあの父親が……」
 がたりと椅子をころがして立ちあがった中田の言葉に、三上はかぶりを振って頬づえをといた。
「あの男は今や廃人じゃ。娘のことはおろか、かつて自分がネクロマンシーを行って引き起こしたあの事件のことさえも、まるで覚えていないらしいのじゃ」
「――――それでは、いったい誰が」
 眉をひそませる中田に、三上は一枚の紙をさしのべる。


あの子のちからをほしがっている人がいます。
でもあの子はその人のもとへかえりたいと思ってません。
だからわたしはあの子をまもります。
おばさん、ごめんなさい。わたしはあの子といっしょにおしろにいきます。


 可愛らしい文字でそう記された紙を確かめて、中田は三上の顔を見据えた。
「あの子というのは、もしやあの悪魔のことやもしれん。そうだとすれば、おしろというのはバブ・イルのことじゃと考えられる」
「しかし、バブ・イルはもう消えてしまったではないですか」
「霊的に鋭敏な者の目にはいまだ確とうつっていたともいわれておるのぅ」
「…………」
「あの悪魔のことだとすれば、それをほしがっている者がいるということじゃ。……もしかすると、厄介なことになるやもしれんのう」
 沈黙してしまった中田から目をそらし、三上は小さなため息をもらす。


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 バブ・イルと称された塔が出現し、消失したその場所で、デリク・オーロフはわずかに表情を曇らせながら佇んでいる。
 半年前。まだ冬の気配が色濃いものであった頃、デリクはその塔の中に足を踏み入れ、そしてその天辺に居た存在との面会を果たしてきたのだ。
 ダークブロンドの髪が、夏の風によってふわりと舞い、流れる。デリクはそれを片手で軽く制すると、小さなため息を一つこぼして首を鳴らした。
「困りましたネェ。せっかくバブ・イルから逃してさしあげたのに。再びここに戻るとハ、困ったラプンツェルもいたものでス」
 ため息と共にそう吐き出して、デリクはゆっくりと振りかえり、そこにいた男に向けて「ネェ?」と同意を求める。
「あの少女――名前を伊織さんと言いましたか。伊織さんは、この世界と魔界とを繋ぐ巫女であったのですよね。そして、この塔に囚われた」
 デリクの言葉にそう返したのは、絹糸のような美しい銀髪をもった青年、セレスティ・カーニンガム。セレスティは、盲いた眼で真っ直ぐに一点を見据えている。
「そうデスね。でもまあ、今回の行動を思えバ? 囚われていたという表現は、もしかすると正しくはないカモしれまセンが」
 セレスティに一瞥してから、デリクもまたセレスティの視線が見据えている場所を確かめた。
 高層ビルが立ち並ぶその場所に、まるでモヤかなにかのように、大きな塔の姿が重なっている。無論、それは全ての者の目に映るわけではない。バブ・イルと呼ばれるその塔が突如消失した後に、オカルト信者達が口を揃えて主張していた事は、はからずも真実であったといえよう。
 すなわち、”バブ・イルは消えたのではない。霊的に鋭敏な者であれば、今もなおそこに在り続けているのが分かるだろう”という主張。
 絵空事として一笑するにおさめられてしまったその主張は、まさに事実であったのだ。証拠に、今デリクとセレスティが見据えているそれは、紛れもなくバブ・イルそのものなのだから。
「……あの子というのは、やはりあの悪魔の事ですよね」
「そうだと思いマス。龍公ともいわれる、72柱に数えられる悪魔、ブネでしょうネ」
 眼鏡のフレームに指をかけ、デリクは小さく笑うとセテスティの顔を覗きこんで首を傾げた。
「……参りますか? ラプンツェルのもとへ」
 セレスティはデリクの言葉にやんわりと口もとをゆるめてみせると、ふと、双眸をバブ・イルへと寄せる。
「悪しき者が野ぢしゃの姫に近付くであろう事は、容易に想像出来ること」
 告げて、セレスティはデリクへと視線を向けた。
「参りましょうか、デリクさん」


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「悪魔と称されるような存在と行動を共にするなんて……」
 あまり歓迎されたことではありませんよねぇ。
 そう呟くと、一色千鳥は人ごみの中を歩き進める。印象的な黄金色の眼差しが見据えているのは、巨大な不可視の塔。
 
 半年前、東京を恐怖の色で染め上げたバブ・イルの塔。
 人を食らう亡者達がうごめき、撮影さえもままならず、出現したその理由も、その存在理由でさえも、なにもかもが謎で包まれていたバブ・イル。
 しかし、千鳥がきりもりしている小料理屋・山海亭の周りでは、その騒ぎの影響は、実はさほど大きく受けてはいなかったのだ。
 それは山海亭が都心を外れているためかもしれないし、バブ・イルが人の目に触れていたのが、実質短期間であったがため、そして何事もなかったかのように消失したために、思いの他甚大な被害を生み出さずに済んでいたためかもしれない。
 千鳥にとって、バブ・イルの一件は、テレビ等の向こうの出来事でしかなかったのだ。
 それが、ある日偶然店に立ち寄った男がきっかけになり、一変した。
 男は、名前を中田と名乗り、主にオカルトに関わる事象に関する情報屋なのだと、名刺をさしのべた。
 そしてつい先日。千鳥のもとに、中田からの連絡が入ったのだ。
 ――――それは、バブ・イルを呼び起こす原因の一つとなった少女が、自ら失踪したというものだった。
「お暇でしたら、ご協力いただけないかと思いましてね」
 受話器の向こうでそう述べる中田に、千鳥は二つ返事で了承していた。
「まず、改めて詳しく事件の概要をお聞かせ願えますか?」

 そして、今。
 千鳥はバブ・イルを目指し、足を進めている。前を行く二人連れは、おそらくは目的地を同じくする者であろうか。
 銀髪の男とブロンドの髪の男の背中を追いながら、千鳥は、再び塔に視線を向ける。
 その最上階には、確かに少女の姿が視える。緑色の竜と共に在る少女の姿が。


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 不可視の塔を前に、亜矢坂9・すばるは、目の前に立つ黒髪の男を見上げていた。
 男は、自分よりも大分背丈の低いすばるを横目に見やり、不快げに片眉を吊り上げてみせる。
「俺に何か用か? チビ」
 発せられたのは、静かで低い声音。すばるはしばし思案した後に、首を傾げつつ言葉を返した。
「あなたも、あの塔を目指しているものとお察しする。三上可南子・中田両氏より依頼を受けた方であるのだろうか?」
「おまえもあいつらの知り合いか」
 男は小さな舌打ちをしてみせた後に、スーツの裾を風になびかせながら早足で歩き出す。
「亜矢坂9・すばるという。あなたのことは何と呼べばよろしいのか」
 男の後を追いかけながら訊ねると、男はゆっくり振り向き、面倒くさげに眉根を寄せて首を鳴らした。
「杜埜犬鴉悸。好きなように呼ぶがいい」
 返し、鴉悸は再び前を向きなおす。その手には、真鍮製の指輪が五つ、握られていた。
「その指輪は」
 鴉悸の背を追いかけながら、すばるは再びそう問いた。が、鴉悸がそれに応じることはなかった。

 しばらく歩いた後に、二人は高いビルの影になった場所で足を止めた。
 人通りも少なく、車の往来もない。何より、不可視の塔――バブ・イルが、すぐ目の前に建っている。それを見上げつつ、それまで無言のままだった鴉悸が、独り言のように口を開いた。
「この指輪には、多重の結界を張ってある。相手が人間や魔であれば、今ここに在ることに気付くはずのない類の結界だ。……おまえ、そのどちらでもないのか」
 睨みつけるように見下ろす鴉悸の視線に、すばるは微塵も怖気づく様子を見せず、やはりしばし思案した後に視線を持ち上げた。
「すばるは、神聖都学園の平穏を願う。そのために必要であれば、こうして各所に足を運ぶことも厭わない。学園に怪しの者が跋扈しているという現状、慙愧の念に絶えず。ゆえに、三上と中田の依頼に対し応と答えた」
「俺の質問への答えになっていないぞ、チビ」
「……どうやら、他にも塔へのぼる者がいるようだ」
 すばるが片腕を持ち上げて指を示した方向に、鴉悸もちらと目を向ける。
 
 そこには、三人の男の姿があった。


 + + +

「さてと。これで全員揃ったわけデスね」
 シャツの襟をただしつつ周りを確かめて、デリクが小さくうなずいた。
「それで、どうやって中に入りましょうか?」
 千鳥が、不可視の塔の壁に触れながら、塔の最上階に視線を向ける。
「あぁ、それなら、それほど難しくはないでショウね」
 千鳥の言葉に笑みをこぼすと、デリクはつと両手を持ち上げ、両掌に痣として浮かぶ魔法陣を、塔の壁へとかざした。
 不可視の塔は、可視の世界とは、例えるならば膜一つ隔てて建っているような状態に見える。
「この膜を、ちょっとだけ歪めてやればいいのデス」
 言うと、デリクはその群青色の双眸をゆっくりと細め、掌をふわりと動かした。――と、”膜”がぐにゃりと歪み、そこに人一人くぐることが出来る程度の入り口が出来たのだ。
「……これは。この場所だけが、塔へと通じだということだろうか」
 腕を伸ばして膜の向こう側で指をひらひら動かして、すばるがデリクを見上げる。
「そうデス。むろん、我々が向こうへ渡ったら、この入り口は封鎖しマス。うっかり迷子が入ってきても難ですしネ」
 笑うデリクの横を、鴉悸が無言で過ぎていく。鴉悸は片手で膜を持ち上げてその中へと足を踏みこむと、なんの躊躇も見せず、そのまま歩みを進めていった。
 それを追うように、セレスティが杖でアスファルトを叩く。
「迷子でなくとも、お客様がお見えになるであろうことは、想像にかたくありませんね」
 その杖を膜の向こうへ動かすと、セレスティは穏やかに睫毛を伏せて首を傾げた。
「お客様?」
 言葉なく膜の向こうへ消えていったすばるの背中を見つめながら、千鳥が訊ねる。
「ええ。伊織さんが残した手紙に記されてあった『あの子の力を欲している人』という存在に、心当たりがあるのですよ」
 千鳥の顔を映さない瞳をふと細ませると、セレスティはそう返し、膜の向こうのバブ・イルへと目を向けた。
「……確か、ソロモンの転生者だと名乗る少年だと」
 かすかに眉根を寄せた千鳥の言葉にデリクがうなずく。
「真偽のほどはわかりませんけれどもネ。さあ、ともかく、行きまショウ。一般の方がこの場面を見たラ、また大騒ぎになってしまいマスよ」
 笑いながら膜の向こうへと促すデリクに、千鳥もまたうなずいて、セレスティの後を追って消えた。


 + + +

 膜の内側は、異世界そのものだった。
 赤土の大地の上には緑らしい姿も見えず、吹く風はどこか生ぬるく、じっとりと湿った空気が、重々しい灰色の空の下一面にたちこめている。
 バブ・イルはその荒涼たる大地の上に在り、そこにうごめく者の気配さえも感じさせず、ただただ静寂を守っていた。
「屍共の姿は見当たらないな」
 鴉悸が片眉をつりあげ、ため息をこぼす。
「……期待してらしたんですか?」
 千鳥は鴉悸の言葉に苦笑いを浮かべ、それから塔の内部へと足を踏み入れる。
 円筒状の塔の全体はシンプルな石造りがなされていた。内部には何も見当たらず、ただがらんとした広い空間が広がっているばかり。
「バブ・イルの塔。一般にはバベルの塔という名称のほうが有名でしょうか。バベルは八階建てだったといいますが、この塔もやはりそうなのですか?」
 訊ね、セレスティとデリクを見やる。すばるもまた千鳥同様に二人を見つめ、その横で、鴉悸も聞き耳を立てていた。
 セレスティとデリクは互いに視線を合わせ、肩をすくませると、声を唱和させてうなずいた。
「ちなみに、上にのぼるための階段等はありまセン。正しくハ、三階までは階段が続いているのデスが、それより上には続いていないのデス」
「ならば、如何にして上までのぼるのであろうか?」
 すばるが問う。
「私が通路を開きマス」
 なんの問題もありまセン。そう答えてニコニコと笑うデリクの顔を、すばるは表情なく見上げ、うなずいた。


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(……伊織)
「……どうしたの?」
(客人が見えたようだ)
「うん。今五人入ってきたね。もうすぐここに来るよ」
(……オセと王も、じきにここに来る)
「……うん。でも、」
(我は、王のもとへは戻らぬ。もとより、あれは既に我が王とは異質なる者)
「……そうなの?」
「我が王の御霊を持って生まれたとて、……あれは既に狂気の徒)
「……」

 
 + + +

「この膜は、きみのその爪で破けるかな?」
 デリク達がくぐった場所で、二人の少年が足を止めている。
 少年の一人が、自分よりも背の高いもう一人の少年の顔を覗きこむ。 
 背の高い方の少年は、その視線を受けると、赤の斑が入った緑色の目で膜を見つめ、そして片腕を振りかざし、それを真っ直ぐに振り下ろした。
 しかし、膜は傷一つつけることもなく、その片腕は虚空を切り裂くばかり。
「冗談だよ。今のきみの能力で、それだけのことが出来るとは思っていない」
 少年はそう述べてくすりと笑うと、慣れた手つきで指を動かし、虚空に円陣を描き出した。
 不可視の円陣は、はらはらと光り輝くと、膜の中へと浸透をはじめ――、ほどなくして、そこにデリクが作り上げたものと同様の入り口が姿を見せた。
「――じゃあ、行こうか、オセ。改めて挨拶と顔見せをしに」
「……ブネの処遇はどうしましょう」
 オセと呼ばれた少年が、膜を両手で持ち上げて、彼の主である少年を引き入れる。
「彼等がどういう対応に出るかは目に見えている。どうせブネと巫女とを契約で結びつけるとかなんとかだろう。その術式の完遂が間に合えば、ブネはくれてやるさ」
 少年は口の端を引き上げてニィと笑ってみせると、バブ・イルに向けて足を進めた。


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「悪魔と呼ばれる存在と連れ立ってあろうとするのは、一般には異端であると評される行為ですよ」
 緑色のドラゴンに寄り添い座る少女――伊織を見やり、千鳥は小さなため息をもらす。
 伊織は確とうなずいて、笑顔を満面にたたえた。
「わたしが異能を持って生まれついたのは、きっと、ブネや、ブネのようなひとたちと出会うためだったんです」
「キミは以前、この塔で、ブネと共に居ましたね。あの時キミの意識は、意思はなかったように思えるのですが。……ブネに接触をはかったのはなぜですか? なぜブネが狙われていると思ったのです?」
 少女の顔を真っ直ぐに見据え、少女の心を見通すような眼差しで、セレスティがそう訊ねると、
「あの時は……パパがまだ生きていた頃は……わたしはパパの目指すもののための道具だったから。でも、ブネがわたしを助けてくれた。ブネがわたしをパパから離してくれたから、わたしは自由になれたんです」
「だから、今度はあなたがブネを助けるのだト? そういうコトですカ?」
 少女とブネの周りに円陣を描き終えたデリクが顔を持ち上げる。伊織がうなずくのを確かめて、デリクはニマリと笑みを浮かべた。
「巫女として生きるコトを選ぶなら、後戻りはできまセンよ」
「はい!」
 満面の笑みでうなずく少女に、それまで黙していた鴉悸が重たげに口を開ける。
「”パパが生きていた頃”と言ったな?」
 漆黒の眼差しが少女を見やる。
 少女は言葉なくうなずき、首を傾げた。
「だから、わたしは、わたしの心で、ブネと一緒にいることを選んだんです」
「――――お話中に申し訳ない。少年が二人、この階へと向かっているようですよ」
 千鳥が口を挟むのと同時に、すばるが構えの姿勢を取る。
 二人は、塔の壁にぽっかりと開いた無数の窓のような穴の内、一ヶ所に視線を向けている。
「時間がありませんネ。……お二人を繋ぐ契約を結ぶため、これより術式を行いマス」
 デリクがその指を鳴らすと、描かれた円陣が青白い光彩を放ち、その中にいる伊織とブネとを包みこんだ。
「ソロモン王が記したとされるゲーティアを、私の変則的解釈で組みなおした手法を使いマス。応戦は皆さんにお任せしマスね?」
 ほの暗い眼光をゆらりと細めたデリクに、セレスティが艶然とした微笑みを浮かべる。

 その時。獣の咆哮が響き渡り、風が大きくうねり出した。
 千鳥とすばるが見据えていた場所に、二人の少年が姿を見せたのである。


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 少年は二人共に神聖都学園の制服を身につけていた。
 学年章を見れば、彼等が二年と三年であるということが知れる。
「三年の野田充明と、二年の今鞍流」
 すばるが呟くと、今鞍の方が軽く頭をさげて微笑んだ。
「以前、学園内でお会いしましたね、亜矢坂さん。セレスティさんにデリクさんも」
 人懐こい笑みを浮かべつつ、今鞍はそう述べて首を傾げる。
「鴉悸さんには、以前、僕の連れである彼がお世話になったそうで」
 次いでそう述べて鴉悸を見た今鞍に、鴉悸は眉根を寄せて不快をあらわにしてみせた。
 今鞍は鴉悸の表情を確かめて笑みを浮かべると、千鳥に視線を止めて、茶色がかった目をわずかに歪める。
「あなたとは初めましてですが……どうやらあなたは、なかなか厄介な能力をお持ちのようだ」
「それはどうも。……それは、あなたはあらゆる姿に変容できる力をお持ちだが、私にはそれをことごとく見破ることが出来るから、という事でしょうか?」
 今鞍の言葉に、千鳥は金色の双眸を細ませて微笑した。
 今鞍は忌々しげに千鳥を一瞥して、それから四人の後ろにいるデリク達に目を向けた。
 術式は、八割ほど進んだところのようだった。
「それは僕のものだ。返していただきましょうか」
 つ、と。今鞍が足を進める。と、その姿は水輪で取り囲まれて、四人の視界から遮断された。セレスティが水を操する能力を行使したのだった。
「いいえ。ブネは、もはやキミのものではありませんよ」
 水を揮いながらセレスティが今鞍を睨む。しかし今鞍はその水を容易に解いてみせ、さらにその手を高く持ち上げた。
 それを合図にしていたかのように、野田が荒れ狂う獣へと姿を変えて、その鋭利な爪でセレスティの喉を狙い、振りかぶる。
 その爪を、鴉悸の両腕がさえぎる。鴉悸は鋭利な眼光で豹の姿をした悪魔オセとなった野田を見据えると、手にしている数枚の符を広げ、爆を告げる呪を口にした。
 符が着火し、爆発するのと同時に、すばるが放った波動ミサイルが野田の腹を目掛けて射出された。しかしそれは野田の腹にめり込む前に避けられ、窓の向こうへと失せていく。
「ああ、もう、酷いですね、皆さん。僕は出来る限り平穏な手段をとりたかったのに」
 波動ミサイルを避けて壁に寄った野田――オセを確かめて、今鞍が深いため息をもらした。
「僕は、僕が本来持ち得るべきものを取り戻そうとしているだけなんですけれどもね。……皆さんがそれを邪魔されるのであれば、……どうしようもありません」
 独り言のようにそう述べて、伊織と共に円陣の中にいるブネの姿を一瞥する。
 契約のための術式は、完遂されたのだった。
「あなたが真実ソロモン王であるのかどうか、それは分かりまセン。しかし、ソロモン王が従えていた精霊は72あったと伝えられマス。その全てが、再びあなたの元に従うというわけデハ、決してないのですヨ」
 契約で繋がれたブネと伊織とを見つめて微笑みながら、デリクがそう告げる。
 今鞍はその言葉にしばし小さく笑い、それから恭しく頭をさげて、野田のそばへと近寄っていく。
「帰ろうか、オセ。自己紹介も済んだことだし、今回はこれで引き下がろう」
 笑い、野田の肩をたたくと、オセは人としての姿を取り戻し、不服そうに眉をしかめた。
「ああ、それと。指輪は大事に持っていてくださいね。……おそらくは、最終的に、その子が持つことになるのかもしれないけれど」
 不服そうにしている野田の頬を撫でながら今鞍が笑う。セレスティが再び水輪を放ったが、それは二人の体を捕える寸前で、美しいアクアマリンへと姿を変えて散らばった。
「わたしは、ブネ達をあなたにあげない!」
 円陣の中で立ち上がって声高にそう返した伊織に、今鞍は微笑を返し、そうして姿を消した。


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「彼等はこれからも、姿を変えて現れるのでしょうか」
 二人が消えた場所を確かめながらセレスティがそうため息をつくと、千鳥がアゴを撫でながらかぶりを振った。
「いいえ、おそらくは、あの姿のままで現れるでしょうね」
「姿をごまかしても、それを見とおしてしまう能力を持っている人もいるト、今回実感したようですしネ」
 窓から外の景色を眺め、デリクがうなずく。
 窓の外、重々しい灰色の空の下で、緑色のドラゴンに乗って空を飛んでいる伊織の姿が見える。
「あれが新しいソロモンとなるのか」
 フンと鼻を鳴らし、鴉悸もまた伊織を見やる。
「少なくとも、彼に渡すよりは、よほどましでしょうね」
 床に散らばるアクアマリンの一つを手に取ってそう返し、セレスティも窓の外へと視線を向けた。
「……学園の平穏を守るのは、すばるの使命。学園内に不穏があるならば、いずれはきっと必ず」
 独り言のように呟いたすばるの髪を、生温い風が梳いていく。

 少女の指には、鴉悸が渡した五つの指輪がおさめられている。
 真鍮製のそれは、ソロモンの英霊と呼ばれた72の悪魔を従えるためのもの。全部で六つ揃えることで、英霊の主となれるのだ。
 無垢なる巫女か、あるいは狂気の王か。
 指輪は、残る一つを待ちわびながら、今はまだ、主を決めかねているようだった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2748 / 亜矢坂9・すばる / 女性 / 1歳 / 日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【3432 / デリク・オーロフ / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【4471 / 一色・千鳥 / 男性 / 26歳 / 小料理屋主人】
【4814 / 杜埜犬・鴉悸 / 男性 / 352歳 / 骨董屋】


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■         ライター通信          ■
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このたびはご発注いただき、まことにありがとうございました。
私の初の試み、続きもののノベルとなりましたこのシリーズ、第二話をお届けいたします。
今回は、ソロモン=今鞍君とオセ=野田君の紹介、そしてそれに対抗する存在となるだろう巫女=伊織の紹介を兼ねたノベルとなりました。
次回より、今鞍&野田はもう少し攻撃的になってくるかと思われます。
伊織は、まあ、良くも悪くも”無垢”だという設定で…。

今後、展開の仕方によっては、指輪はアイテムとして皆様にお渡しすることになるかもしれません。

それでは、このノベルが少しでもお気に召していただけますことを祈りつつ。