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Calling 〜渡夢〜
「汐耶」
声がする。
瞼をぱかっと開けた綾和泉汐耶はゆっくりと視線を移動した。
ここはどこだろう?
やけに白い世界だ。
真っ白だ。
遠目に檻が見えた。黒い鉄格子が、長い影を汐耶の足もとまで伸ばしている。
汐耶は怪訝そうにした。
「…………」
檻の中で本を片手にしている、壁に背を預けている女性は汐耶にそっくりである。
それはそうだろう。アレは汐耶の人格の一つだ。
距離はかなり離れているというのに、彼女がページを捲る音ははっきりと汐耶の耳まで届く。
「おまえの友人に、遠逆和彦がいるだろう?」
「それが?」
他人よりも本に興味を抱く彼女が、珍しい。そう汐耶が思う。
彼女はゆっくりと立ち上がり、本を床に置くと鉄格子にそっと触れた。
檻には出口がない。鍵がない。
だから、出てこられるわけが――――。
*
(遠逆くん、遠逆くん……)
何度も心の中でその名前を呼んでみる。
今、この状況で頼りにできるのは彼しかいない。妖魔退治のスペシャリスト、遠逆和彦しか。
(遠逆くん……)
でも無理かもしれない。
汐耶はゆっくりと自分の記憶を辿っていた。遡ると、結局最後は昨晩寝付いたところのみ。
そこから推測するに……ココは夢の中だと思う。
そんな不安定な世界に彼が出てくるとは思えなかった。
(夢ってことなら……私のイメージが優先されるとは思うんだけど)
和彦のイメージを強く作れば、きっと助けてもらえるはずだ。
しゃん、と大きく……鈴の音が世界に響いた。
「ん?」
不思議そうに頬杖をついていた手から顔をあげると、目の前にふわりと誰かが降り立つ。
とはいえ、鉄格子の外、ではあったが。
黒髪に、不吉な色違いの瞳。眼鏡を押し上げて彼はまず……嘆息した。
「なにやってるんだ、あんたは」
「うーん、ちょっと捕まってね」
「ちょっと?」
どこがちょっと?
そう言わんばかりの口調で彼は小さく首を傾げ、鉄格子に触れようとして手を止めた。
瞳が鋭くなる。
「……危ない。不用意に触るとまずいものだったか」
手を引っ込める和彦は、腰に手を当てて檻の中の汐耶を見遣った。
「で? 敵はどこだ?」
「……あのね、質問があるの」
「なんだよ?」
「本物?」
口調といい表情といい、どう見ても本物だ。自分はここまで想像力が豊かだったのかと感心しそうなほど。
和彦は大仰に嘆息してみせた。
「本物だよ」
「え? 本当に?」
「本当に」
「でも、ここって……夢の中じゃないの?」
「正解。なんだ、ちゃんと自覚はしてたのか」
「まあ最後の記憶が寝付く前だったから」
苦笑する汐耶に、彼は言う。
「妖魔の波動がこの夢の中に広がっている。あんたの夢に干渉したってことだろうな」
「妖魔……ということは、憑物ね」
「そういうことだ。あと、何度も呼ぶな」
「え? 声、届いてたの?」
驚く汐耶の前で、和彦は肩をすくめてみせた。
「当然だろ」
それは果たして、当然、というものなのだろうか?
汐耶は不思議な嬉しさを感じて照れ笑いをする。
「ご、ごめんなさいね。キミならなんとかしてくれるかなって思ったの」
「……どうして」
「どうしてって、こういう怪奇的なものはキミのほうが得意でしょう?」
「…………」
和彦は吹き出して笑う。
「そうだな。ああそうとも。得意だ。では、あんたを助けるためにも話を聞かせてもらおうか」
汐耶は事情を説明する。
「実は私の別の人格が、ここから出ちゃったの」
「別の人格? あんた多重人格者だったのか?」
「ちょっとあったのよ。曰くのある本と関わってると、そうなっちゃったの」
「懲りないヤツだな、あんた」
馬鹿にしたように見てくる和彦だったが、顎に手をやって何か思案し始めた。
やがて、何か納得したように頷く。
「憑物が憑いてるのはその人格だろう」
「え?」
「内側からあんたの肉体を手に入れるつもりだろうな。夢は、脳や魂と密接な関係だし」
「私の肉体を!?」
仰天する汐耶は、なぜか上を見上げる。勿論天井も真っ白だ。鉄格子は空まで続くのではというくらい、長い。それに掴まって汐耶はがたがた揺らす。びくともしないが。
「危ないのよ、あの人格。せっかく協定でなんとかやってきたのに」
「協定?」
「『彼女』も、本が好きなのよ。だから、大人しくしているのを選んだの。表に出て暴れるより、本が読めることを優先した結果ね」
「……活字中毒なのか、あんたは」
呆れたように言う和彦であった。
汐耶は慌てる。
「どうしよう、遠逆くん」
「大丈夫。あんたの肉体に影響はまだ出ていない」
「?」
「主人格であるあんたを捕まえている事から考えても、間違いなさそうだ。ここから出る糸口を探っているんだろうな」
「そうなの?」
「…………戻ってきたか」
和彦がゆっくりと振り向く。
その視線を汐耶が追った。
白い世界に立つ、もう一人の汐耶。瞳の色が青ではなく、紅く、にぶく光っている。
「もう来たのか、早いものだ」
つまらなそうに言う彼女を和彦はじっと見ていた。
「と、遠逆くん?」
「…………」
小声で汐耶が囁きかけるものの、ぶつぶつと何か呟いている和彦はこちらを振り向かない。
「キミが、遠逆和彦」
名指しされて和彦は僅かに目を見開くものの、応えはしなかった。
「汐耶から聞いてはいると思うが、私も汐耶だ。そうだな……セキヤでも、セキでも好きに呼べばいい」
気だるそうに言うセキヤを見て和彦は怪訝そうにするものの、何も言わない。
汐耶は和彦のほうをちらちらと見る。
「……なんだか気に入らない目をしてる」
セキヤはムッとしたように目を細めた。その瞳の奥にゆらめく怒りの炎。
「遠逆くんに何かしたら、私が黙っちゃいないわよ!」
威嚇する汐耶を、馬鹿にしたようにセキヤが見る。
「随分肩入れしているじゃないの」
「いい子なんだから、当然でしょう!」
いい子と言われて和彦の顔が痙攣し、引きつった。だが彼は何も言わない。
早口で何か呟いていた和彦は、そこで両手をパン! と合わせる。合掌、というやつだ。
「遠逆和彦の名において、具現せよ!」
刹那、白い世界が急激に変化した。本棚が床から天井まで伸びていく。世界を占めるのは本棚だけだ。
セキヤは不思議そうに様子を眺める。
「和彦は、何か策でもあるのかな」
「ここは汐耶さんの夢の中だ。俺が不利なので、手を打たせてもらった」
「?」
「こうする」
足もとの影を刀にして手に持つと、真横の棚の本を切り裂いた。ぎょっとして目を見開くセキヤは、思わず一歩前に出る。
「蓄積された知識が切り裂かれる気持ちはどうだ? 胸の辺りが痛いだろう?」
「遠逆くん!?」
「黙っていろ」
きつく汐耶に言い放つ。汐耶は押し黙った。
彼のことだからきっと何か考えがあるのだ。信じよう。
「ふっ。私は汐耶が見たものを見、聞いたものを聞いている。キミがそういう無情なことをしないとは、知っているがね」
「さて。それはどうだろう?」
「? どういう意味?」
「……俺に関する知識があるから、利用されている。だからそれを叩き潰そうと思ってな。だがどこに俺に関する知識があるのかわからない」
だから片っ端からやろうと思って。
その言葉にセキヤは不敵な笑みを浮かべた。
「それは上辺だけの言葉でしょう?」
ふいにその真横に並んだ本棚が破壊される。衝撃がセキヤの髪をなびかせた。
和彦は冷たい顔で言う。
「憑物になど、誰が容赦をするか」
ぞっとする、その冷えた声音。
これはなんだ?
汐耶はぶるぶると震えた。
(怖い……?)
恐怖をセキヤが感じている。
和彦が一歩ずつ前に出てきた。足音がしない。存在していないかのように。
「か、ず、ひ……」
「悪いが、俺の『名』を呼んでいいのはアンタじゃなくて……」
美しい微笑で彼は、囁く。背筋を寒気が走り抜けた。
「汐耶さん、なんだよ」
その喉元にひやりとしたものを感じる。刀の刃が皮一枚上を通っているのだ。
セキヤの身体ががたがたと震え、その背から黒い霧がど、っと溢れた。
霧は収束してカタチをとっていく。和彦はそれをただ眺めていた。
眺めて――?
刀を霧に向けて繰り出す。貫くはずはないのに……貫いた。剣先からその衝撃が霧に広がっていく。
*
本をじっと読んでいるセキヤを、汐耶は振り向いて見る。
鉄格子の向こうで、座って本を読んでいるもう一人の自分。
世界は白だけのものに戻ってしまっていた。元の、あるべき世界だ。
汐耶は和彦と並んで歩く。どんどん遠ざかっていくセキヤの檻。
前を向いてから、和彦を見遣る。
「さっきの本棚は?」
「あれはまやかしだ」
「まやかし?」
「あんたは本が好きだから、本を出せば怯むと思ってた。それに、あのセキヤというやつも、本が好きだと言ったろう?」
平然とした顔で言う和彦を見て汐耶は嘆息した。やる事が極端というか、なんというか。
「そういえば、憑物ってもうすぐ全部集まるんじゃないの?」
「それが?」
「……その後、どうするの? ううん……どうしたいの?」
「…………」
無言だった彼は苦笑する。
「なんでそんなこと訊くんだ?」
「キミの力になりたいのよ、和彦君」
「さあな……」
遠い目をして彼は軽い溜息。
「よくわからないから……どうもなあ」
「よくわからない?」
「想像ができない。他の……俺の」
退魔士以外の、ということだろう。
「なりたいものとか、ないの?」
「そんなものあるか」
どうでもいいように面倒そうに和彦は言い捨てる。
歩く汐耶は、いつの間にか和彦が歩みを止めているのに気づいて振り向いた。
「どうしたの?」
「……ここから先へは俺は行けない」
「どうして?」
「……いいから早く行け。目を覚ましたいんだろ?」
「和彦く……」
「早くしろ。………………気持ちは、ありがたくいただいておくから」
汐耶と和彦の視線が、合わさる。
彼の姿が徐々に薄くなり、消えていった。
消える直前の彼の口が言っていたのを汐耶は見ている。「行け」と、言っていた。
ぱち、と汐耶は瞬きをしてから起き上がった。
周囲を確かめるとそこは自分の寝室で。
目覚まし時計を見遣り、時間を確認する。まだ夜明けには早い。
かち、かち、と秒針の音が部屋に冷たく響いた。
「……今の、夢?」
いいや、夢ではない。なぜなら……まだ、耳にあの鈴の音が残っているのだから――――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/女/23/都立図書館司書】
NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、綾和泉様。ライターのともやいずみです。
呼び名変更というこで! 和彦も心を許しておりますので、二人の関係は良好です。
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
和彦の憑物封じにお付き合いくださり、ありがとうございます!
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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