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<東京怪談・PCゲームノベル>


Calling 〜渡夢〜



 涙で前が見えない。
 辛くて胸が張り裂けそう。
 荒野を逃げる二人。手を引かれる自分。
 荒い息が聞こえる。だけど、それを言ってもなにもならない。
 彼は止まらないだろう。
 彼の背が赤い。あれは血だ。
 彼の手はとても暖かい。それが安心させるが、余計に悲しくなった。
 もうどれくらい逃げてきたのかわからない。
 追手たちを食い千切り、その返り血で真っ赤になって。
 どうして。
 どうしてこんなふうに。
 涙がこぼれた。
 自分の手を握る、彼の手。その伸びた爪は、もはや人のものではない。獣の爪だ。
(わたくしのせいで……)
 長い髪が風に揺れる。
 夕焼けの空。
(あなたばかり)
 あなたばかりが……。そうやって、傷を負っていく。
 一緒に居られるだけで幸せだと思っていた。それだけで十分だと思った。
 だが甘かったのだ。
 彼は自分を庇って戦うたび、傷つくたびに……あなたでなくなっていく。
 そんな結末、誰も……自分も、あなたも望んでいなかった。
 どうせなら。
 せめて。
 あなたの爪で――殺されたい。
 涙がまた落ちる。
 落ちる。

 どれくらい歩いたろう。
 足が痛みを訴える。
 無我夢中で歩く、目の前の彼はこちらを振り向かない。
 憶えているのだろうか。
 どういう理由で逃げたか。
 ねえ、憶えている?
「…………」
 声をかける。
 振り向かない。
 ああ……もうダメなのだ。
 視線を伏せる。
 突如、耳に鈴の音が届いた。
「え?」
 そして、橘穂乃香の意識が急激に戻された。
 びくりと痙攣して目の前を凝視する。
(え? だ、だれ……?)
 先ほどまでは憶えていたはずだが、穂乃香の意識が浮上した途端に忘れてしまった。
 ぐいぐいと引っ張って歩く姿に、穂乃香は知り合いの少年を思い浮かべる。
 と。
 握られていた手が離れた。離さないで、とつい叫びそうになる。
「ま、待って……!」
 小さな声で叫ぶ。どうしてこんなに声が小さいの?
 呼び止めないと。
 だが彼は穂乃香との距離を開いていく。追いつけない。背中が遠くなっていく。
「待ってくだ……!」
 もつれる足で追いかける穂乃香は、息遣いに気づいて冷汗を流して足を止めた。
(な……に……?)
 ばき。
 鈍い音がする。
 目の前の光景がひび割れた。まるでガラス越しに今までの様子を見ていたように。
 ひびが広がり、とうとう砕け散る。
 世界が……砕けた!
「え……?」
 戸惑う穂乃香は、あの荒い息遣いに振り向いた。闇の色を全身に纏った獣が、穂乃香をじっと見ている。
 恐怖が具現した姿のように、爛々と輝く瞳でじっと穂乃香を見つめていた。
 青ざめる穂乃香はじりじりと後退していく。
 どうして自分はこんな暗いところで、一人でいるのだろう。
 一人は寂しいのに……!
 唸り声をあげて襲い掛かってくる獣。穂乃香は咄嗟に手で顔を庇う。勿論、そんなことをしても獣の攻撃を防げるわけがない。腕ごと頭を切り裂かれるだけだ。
「おまえの相手は俺だ」
 静かな声と共に、闇の中からぬうっと腕がはえた。穂乃香の頭の上からだ。
 はえた右腕は拳を軽く握ってから開く。その手に黒一色の刀が握られている。
 闇から腕が伸ばされ、刀という媒介を使って衝撃が放たれた!
 獣が身をひるがえしてその攻撃を避ける。闇から腕、肩……と『彼』は姿を現した。
 とん、と軽い足音。着地した音だ。
「か、和彦さ……?」
 どうして彼がここにいるのだ?
 混乱する穂乃香を守るように立つ和彦が、ひゅっ、と呼気を洩らす。それは彼が攻撃をするために一気に加速する音だ。
 獣はその刀の餌食となって、千々に引き裂かれた。
 黒い霧になって消えていく獣は闇に溶けてしまった。
「和彦さん……どうしてここに……?」
「…………」
 こちらを振り向いた和彦は、しばし無言で穂乃香を見つめ……それから目を凝らす。
「……なんだその格好は」
「は?」
 穂乃香は、言われてから自身を見下ろす。
「へ、変ですか?」
「……まるで西洋の姫みたいだ」
 呆れている和彦は、顔をしかめる。
 穂乃香は慌ててしまう。
「派手、ということですか?」
「…………動きにくそう」
 きっぱりと言う和彦は、穂乃香の手を握る。どきりとして穂乃香は和彦を見上げた。
 にっこり笑う和彦は、ふいに目を細めて穂乃香を担ぎ上げる。ぎょっとする穂乃香は、見た。
 この世界が崩れていく様を。
 床がぼろぼろと崩れ、それがこちらへと向かってきているのだ。
「かっ、和彦さん!」
「知っている!」
 和彦は肩に担いだまま、つま先に力を込めて爆発させるように駆け出した。
 前のめりになるように走る和彦の肩の上で、穂乃香は迫ってくる崩壊をじっと見ている。崩壊の速さのほうが、和彦の足の速さより、はやい。
 音をたてて崩れ落ちていく床は、もうそこまで迫っている。
 がくんと和彦の体がバランスを崩す。片足が、落ちた。
 落ちそうになる穂乃香の体を咄嗟に手でしっかと握り、和彦は歯を食いしばる。
 額に汗がにじんだ。
 もうダメだ。
 右足に影を集中させた。小さな結界を作り、かろうじてバランスをとる。
 しかし時間の問題だろう。
「ま……ずい」
「え?」
「わあ!」
 声をあげて和彦は穂乃香を強く押さえる。
 ぐらぐらと揺れる和彦の肩の上で穂乃香は底のない闇の奥を見下ろす。
 深い。底など存在していないようにすら……いや、ないのだと……直感した。
 和彦の額から汗が流れ落ちる。
(和彦さん……苦しそう……)
 彼は何かに対して激しく抵抗していた。
 それは周囲を占める闇そのもの。この世界そのもの。
 上下左右の壁が徐々に迫ってくるような圧迫感。
「ほ、穂乃香……さ……」
 掠れた声で和彦が呟く。
「なんとか……あんただけでも……逃がす、から…………あ、安心……し」
「和彦さん!?」
「嫌だ、とか言うなよ。俺一人なら、なんとか……」
 言葉はそこで途切れた。和彦の身体が、闇の底へ一直線に落下したのだ。
「きゃあああっ!」
 和彦にしがみつく穂乃香。それを押さえて和彦は周囲を見回した。
 左手を軽く振った和彦は、武器を作り出す。巨大な鎌を片手に、その刃を力任せに振るう。
 闇が揺らいだ。
 だが揺らいだだけだ。
 闇の向こうに見え隠れする、様々な記憶の断片。
 穂乃香からは、彼女の知らない『彼女』の記憶がちらほらと見えた。それは泣きそうになるほど、悲しい……かなしい、きおく。
 手を伸ばす穂乃香。だがその手が届くことはなかった。
 そうだ。
 アレは……あれは、もう……今の穂乃香には手の届かない過去のマボロシ。
「くっ……!」
 和彦が小さく声を洩らす。
「クソ……! 下に引っ張られる……っ」
 顔をしかめる和彦のその呟きは、穂乃香の耳には届かなかった。
 周囲は闇だけ。黒一色だ。光さえない。
 見えるのは和彦が青白い光を放っているからだ。
 和彦は何かずっと思案していたが、やがて嘆息した。
「穂乃香さんの夢って、とんでもなく深いんだな」
「え? どういうことですの?」
「なんでもない。まさかこんなに深いとは……計算違いだった」
 一人ごちる和彦は足もとを確かめるように何度も下を見て、それから真上をじっと見つめる。
「…………ふむ。罠にはめられたのかな、俺は」
「え?」
「いや……最近頻繁に気配を感じていた妖魔……憑物がいて。逃げ足が速いから機会をみていたんだが、逆に俺のほうが誘われたか」
「で、では、これはその憑物のしわざ……?」
「穂乃香さん、今からちょっと危険な方法を使うが……大丈夫か?」
「は、はい!」
「本当なら、あんただけでもさっさと逃がそうとしたんだが……どうもあんたは想像以上に深い因縁があるようだな」
「因縁、ですか?」
 肩の上の穂乃香は疑問符を浮かべる。
 和彦が微かに揺れたので、彼が笑ったのがわかった。なにせ彼からは穂乃香の足とスカートしか見えていないのだから。
「あまりに深いその鎖……ちょっと甘くみていた。目算を誤るとは、情けない」
「そ、そんなことありませんわ。和彦さんは……」
「いいんだ。では、少ししっかり掴まっていてくれ。無理やりこじ開けて、ここを脱出する」
「ええっ!?」
 仰天する穂乃香は振り向き、和彦をうかがう。彼の横顔がちらりと見えただけだ。
 だがそのこめかみからは汗が流れ、とても余裕は感じられない。
 彼は考えている。ここから出る最大限の方法を。己のすべてを駆使して、脱出する方法を。
「仕方ない……使いたくはなかった……が」
 呟く和彦は何かを手繰り寄せるような動きをする。左手で、見えない糸を引っ張るように。
 遠くから声が聞こえた。楽しそうな笑い声。怒られる声。叱る声。
「行くぞ!」
 和彦の声にハッとすると、今まで聞こえていたものが消え失せていた。
 使いたくない手というのは、もしや。
(……和彦さん自身の、夢を……)
 使っている?
 彼は一気にまた駆け出した。小さな星のような光がいつの間にか周囲に散りばめられている。
 そのどれもを和彦は踏み台にするように足場にし、跳躍し、駆け抜けた。
 砕けていく星を穂乃香はなにも言うこともなく、ただ見ている。
 悲鳴。怒号。哀愁の歌声。
 闇を抜けるとそこは荒野だ。遠くに、手を繋いで逃げる二人の男女の姿がみえる。
 和彦の速度のせいか、あっという間にその男女とすれ違ってしまった。
 傷だらけの黒の少年と。涙を浮かべて堪える少女。その少女と、穂乃香は……目が合った。
 驚く少女。穂乃香はその一瞬の交錯に胸が痛い。
 思わず和彦に止まってくれと懇願しそうだった。
 止まってください。あの二人を助けてください。
 もしも。
 もしもここが現実だとするなら、和彦に助けを願ったら……悲しいと、辛いと訴えたら。
(和彦さんは……きっと、きっと)
 何か策を考えるだろう。わかった、と小さく言って。
 笑って。苦笑して。わがままを、きいてくれるだろう。
 だが。
 穂乃香にはわかっていた。
 穂乃香を助けることを和彦は一番優先するだろう。
 だからあの二人は助けられない。穂乃香を助けるためには。
「もうすぐだ……! もうすぐ出られる!」
「かず……」
「大丈夫。あんたは目が覚めるだけだ。あとは俺に任せておけ!」
「でも! 和彦さんは……!」
「俺は死に難いと、言っただろ!」
 その怒鳴り声と共に、穂乃香は目を開けたのだった。



 朝日を、あびて。
 穂乃香は唖然とした表情で窓を見遣った。汗が、流れる。
「いい……天気」
 疲れたように呟いた穂乃香はその耳に、鈴の音をとらえた。
 ああ、と思う。
「……無事だったんですね、和彦さん」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】

NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
 色々と意味深な感じで書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか? 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 和彦の憑物封じにお付き合いくださり、ありがとうございます!

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!