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<東京怪談ノベル(シングル)>


白き花は過去を視る



 五年という歳月で、彼は変わったのだろうか?
 それは……きっと、本人にもわかりはしないのだろうが。

 重苦しい空気に草薙秋水は大きく溜息をついた。
 五年だ。五年も、と言うべきか、五年しか、と言うべきか。
(5年経ってるが、なにも変わってない)
 自分が抜けたところで、本家が変わるとは思ってなかったが。
 秋水は歩き出す。彼が目的としたのは……ここではない。

 顔をしかめた。
 無縁仏のように小さな石がある。
 秋水は持ってきた花を、添えた。
「あんまり食べ物は好きじゃなかったよな。花のほうが綺麗で好きだったから、花を奮発した」
 薄く笑う秋水は屈む。
 だがその表情がすぐに曇った。
 この墓石の下に眠るのは、秋水の弟弟子だ。小さな頃はいつも彼の後ろをついて回っていた。
「おまえってさ、ほんとに嫌なことがあったのかどうかさえわかんないくらい……ヘラヘラ笑ってたっけ」
 寂しそうに笑う秋水の前髪が、風に揺れた。
 それが不愉快になった時もあった。秋水は草薙という家に縛られていたのだから。
 置いていってしまった。だって……あの時は、自分だけで生きていくことで頭がいっぱいだったのだ。
 慣れてくると……余裕もできる。だが、あの時は……そんなものすら考える暇もなくて。
「そうだ。家を出てからのこと、おまえは知らないんだっけ」
 語りかける秋水は、苦笑する。
「やっぱり、最初はすごく大変だった。ある事件に巻き込まれて、死にそうにもなったんだぞ?」
 笑って話せるようになったんだと、秋水は切なく感じた。
「死ぬかどうかっていうヤバい状況にはなったんだが、まあなんとか助かって…………ある人と出会ったんだ」
 あれが、いわゆる『分岐点』というヤツだったのかもしれない。
 会っていると会っていないとでは、今の秋水を構成するものが違ってくる。
「でさ、今は居候が一人いるんだ。大変だぞ、やっぱり」
 食べていくってことは。
 呟いてから秋水は立ち上がった。
 瞼を閉じる。風がさらさらと吹いて、通り過ぎる。
 目の前の、もう死んでいる『彼』を殺したのは秋水だ。いくら理由があっても、殺したことは本当のこと。
 『彼』は力に溺れていた。そして、殺せと命令を出したのは秋水の家で。
 家が嫌いだったが。
 命令を、受諾した。
 止めたかった。まだ、その余地があると思っていた。
 話をすれば、きっと止められると。救えると。
 ……甘かった自分。
 結局は止められなかった。殺すしかなかった。
 話が通じなかった。言葉が通じなかった。もはや秋水の声すら、その耳に届かなかった――。
 自分はそういう意味で「壊し屋」になったんじゃない。命を壊すためになったんじゃない。
「助けたかったよ……」
 独りごちるように、囁く。それは泣きそうなほど切ない。
 もう、戻れない時間だ。
 『もし』なんてない。
「一緒に行こうって、家を出ようって言えば良かったなんて……思えないんだ」
 それがいい結果に繋がるかどうかなんて、わからない。責任という重いものに秋水は耐えられなかっただろう。
「だけど、言っていれば……おまえは、無残に死ぬこともなかったかもしれない……!」
 悔やんで悔やんで。
 秋水は平常通りに日々を過ごしていても、ふいに思い出しては辛くてたまらなかった。
 秋水が知っているのは、幼い時の『彼』。再会の時は、秋水の知る彼ではなかった。
 もはや秋水の知っている遠い思い出の中の少年はどこにも存在していない。
「救いたいって、救えるって……思ってたのに」
 掌を伸ばし、そしてふいに握る。ためらうように。

「秋にぃ」
 そう呼ばれて足を止める。
 振り向く秋水。
 小さな白い花を差し出している少年。
「きれいだねえ」
「…………」
 同意を求めているのだろうか。
 呆れる秋水はごつ、と握り拳を少年の頭に振り下ろした。
「うは」
「なに笑ってんだよ、おまえは!」
「きれいだねえ」
「…………そんなの、どっから取ってきたんだ?」
 少年は指差す。秋水はそちらを見遣った。
 唖然とする秋水は、腰に手を当てて嘆息する。
「修行中に道で拾ってるの見つかったら怒られるぞ」
「きれいだねえ、秋にぃ」
「…………おまえ、聞いてないだろ俺の話を」

 ああ、どうしてだろう。
 振り返れば振り返るほど、ほかにも道があったような気がしてならない。
 結局あの時は「きれいだ」と同意してやらなかった。
 外に出た自分は変わっていこうと思った。
 いつかの、再会の時に笑顔で胸を張れるように。



「どうして、ですか」
 無理やり押さえた、低い声音で言う秋水は、俯いていた。
「どうして彼がこんなことに?」
「力を求めすぎたのだ」
 老人の声に秋水は目を細める。
「力……? なぜですか」
「劣っておったのが理由であろう」
 確かに彼は何をするのもトロくて、鈍くさかった。
「山に結界を張って閉じ込めてある。ゆけ、秋水」
「…………どうして、俺に」
 声が震える。ここに来るまでそればかり思っていた。
 なぜなら自分はココを飛び出したのだから。微かな繋がりしか、今はない。
「おまえが適任だからだ」
「適任……? それは、知り合いだからですか!」
 激昂して言う秋水。
「そうだ」
 冷たい声が返ってくる。愕然とする秋水は、小さく「は?」と声を洩らした。
「あやつの癖を知っておるだろう?」
「……癖?」
 青ざめる秋水は、何度も何か言いかけては口を閉じる。
 戦いの癖がわかっていれば、確かに容易いかもしれない。けれど……けれども。
「理性があるのなら、おまえの声に反応するやもしれぬ」
「…………処断、では?」
「人目につくのは困る」
「…………連れ帰れと? 閉じ込めてあるのでしょう!」
「おまえがよく行っておった山に、あやつが行ったのだ。罠を張っており、それにかかっただけぞ?」
 冷水を全身に浴びせられたように、秋水は身体全体を強張らせた。
 さむい……とても、さむい。
 花が好きで。
 振り向く幼い秋水。咎める秋水。笑う……彼。
「なれの果てにすぎぬが……じっくり見聞するのも悪くはなかろう。無理なら殺せ」
「…………ひとの」
 歯軋りが聞こえてきそうなほど。
 歯の隙間から搾り出すように言う秋水は、怒りに瞳を染めて睨みつける。
「人の命をなんだと……!」
「自業自得じゃ」
「それかもしれないけど!」
「出て行ったおまえが、とやかく言えることではなかろう」
 ――――なにも、言い返せなかった。



 寂しくて、力を求めた。
 寂しくて、力をつけた。
 寂しくて…………孤独を埋めようとした。
 かの少女が言っていた。秋水の、知り合いの少女が、そう言っていた。
 味方のいない場所。友人のいない場所。心を許せる相手のいない、場所。
 そんなココで、もうすがりつくものは力しかなかったのだろう。
「花は、喋ってくれないもんな」
 秋水はそう言って墓石に背を向けた。自分しか、もうここには来ないだろう。
 一門の誰もが、きっと『彼』を恥と思っているはずだ。
 ふいに足を止めて、秋水は拳を握りしめる。
「また」
 そう、また。
「また、来る。今度はおまえの好きな甘いものでも持ってくる。しばらくはこっちに来ないだろうけど」
 小さな手だ。太陽にかざす。
 まぶしい。まぶしい……とても。
「目が……いてぇ」
 目元を手で覆い、秋水は苦笑して歩き出す。
 風が吹く。
 墓石の白い花が揺れる。
 振り向けばそこで彼が笑っている気がした。いつものように「秋にぃ」と呼んで。
 だからこそ――――秋水は振り向かなかった。