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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Matthew, Mark, Luke, And John

 透明なティーカップに注がれたアイスティーの琥珀の中には透明な氷山が今にも溶けようとしていて、角が無くなった二つの塊は静かに紅茶の中に沈む。
 特注の硝子製カップは夏の暑い時に、と調達したもので機能的に彫りも少なくただ取っ手だけが繊細なカーブをしているもので、アイスティーを飲むのには最適だ。尤も、アイスティーならばソフトドリンク等に使用するタンブラーも適しているのかもしれないが、セレスティは独特な丸みのあるティーカップの方が好みで、ホットティーに使用する陶器製の物は夏の暑い時期にはどうかと硝子製の物を用意していた。



 冬より夏の方が良い、世の人間、特に子供達ならばそういうものであろう時期、セレスティ・カーニンガムは逆にその焼けるような日差しと、そのまま地に伏してしまいそうな暑さで窓を開け、レースのカーテンを何重にもし、冷却機を最大活用して生きなければならない。
 別に青い空が嫌いというわけではないが、出来る事なら冬空の快晴の方が彼にとっては素敵な美術だ。
「全く、暑いにも程がありますよね…」
 白く透き通った肌を惜しげも無く出せるのは袖の無い白い服と柔らかい生地でその腕を涼しくしてくれる上着のお陰だろうか、普段から銀色の長い髪に青い瞳、何より本当に陶器のような肌を持ったセレスティだからその格好は本当に海に儚く散る泡のような美しさである。
 尤も、本人はそんな事よりもこの暑さをどうにかして欲しく、自室の豪華なテーブルの前、車椅子に腰掛け、酷く辛そうに顔を顰めていた。

 人魚の体質とはいえ、もう少し趣味の時間を大切にしたい。それについては自分の出来る限りの努力と環境づくりをしているのだが、こう暑くては気温の高い所や強い光を弱点とするセレスティには酷く辛すぎる。長い時を生きてもこれだけは変わらず、車椅子の背もたれに身体を預けアイスティーの入ったカップに指を滑らせれば水蒸気で出来た涙がそこから伝わっていく。
「折角のアイスティーもこう薄くなっては台無しです」
 使用人に持ってこさせたアイスティーだが、なんだかんだと日差しに参っているうちに中の氷はどんどん溶け、今ではただ味を薄める為だけの無意味な液体となってしまった。

「全く、日差しさえ無くなってくれれば私は外に出られるのですが」
 その強い光に目を細め、小さく恨み言を言ってみるが本心では無い。
 確かに日差しが無くなればセレスティの活動の場は広がるだろうが彼の友や自分以外の生き物達がそれを欲している事くらいは重々承知なのだから。
「まぁ、でもこうして暑い日があるからこそ、書斎の本を読む時間も増えるというものですよね」
 物事には発想の転換が必要だと本当に昔それこそどこかの本で読んだかもしれない。そうでなくともセレスティはそういう発想をいつもしながら彼独特の興味の世界を渡り歩いているのだ。

 口元からすべり出た、らしからぬ言葉に苦笑し、硝子のティーカップをなるべく使用人が片付けやすいようにテーブルに置いたハンカチでくるむようにして手を水滴で汚さぬようにと置いておく。
 セレスティ自身は自室の、彼にとっては狭い空間を抜け出し、日課になりつつ書斎へと車椅子を向かわせ広い屋敷内の廊下を静かに移動する。
 何にしろ大きな音はこの暑さを倍にして自分の身体を蝕みかねない、自室もなかなか快適に造ったつもりだが如何せんコレクションが増えすぎたためだろうか、その物品の管理も兼ね空調機能も一定の位置しか使用できなく、何より常人と違い幅のある車椅子で移動するという自分にはいささか狭すぎるのだ。

「やはり寛ぐなら書斎が一番、最適ですね」
 何より、セレスティの趣味で集められる書物は日々多くなっていき、主が早く読んでくれないかと待っているのだから、こんなにも退屈な日に行かないという手は無い。

 大きな扉は自室のそれよりも簡素なデザインにはなっているが機能美は優れていて、そこをくぐれば中は心地よい空調システムと窓の位置も良いのだろう、少しだけ開いたそこからは時折涼しい風が銀の髪を柔らかくなびかせる。
「何事も知識と好奇心には勝てません、…そう、今日は永遠のベストセラーでも読みましょうか」
 涼しい室内にいつもの気分が戻ってきたのか、少しだけ身体が軽く、中央に一番広くとってある読書スペースに何冊かの聖書を持ってくると自国から取り寄せた木製のテーブルに、今日はどの物語と出会おうかと心も軽くなってきた。

 セレスティの車椅子の他には同じく木製の椅子、客人や友人が自分の趣味に共感してくれた時にいつでも案内し、互いに寛ぎながら話せるようになるべく広く、だが決して隣同士で話せないような下手な空間にせずにしているのがこの書斎の特徴だろうか、本棚の近くには無いが赤く模様が幾つも入った絨毯がテーブルの下に敷いてあり、テーブルにも布製のクロスがかかっていて堅苦しい木材の雰囲気を柔らかく調和させている。

(ある意味ではこの聖書の中身も調和でしょうか)
 一冊一冊が既に芸術品に近いそれらは表紙、背表紙と様々な絵画や皮を掘った物で出来ており市販の物がないわけではないがそういう何処かの教会で地位の高い人間が読み、そして大切にしているような聖書が多数ある。
 その中を見てセレスティはよく面白い解釈をした。
 例えば信仰の中での戦争の比率や唯一神と何人も存在する神を持った宗教、中でも多数存在する神を持つ宗教はどこかその神々の顔も役割も似たものが多く、人が何時の時代も神という肖像に祈りを捧げてきたのがわかった。
(ですが唯一神の場合は一つの集団を調和する事に矢張り適していたのでしょうね)
 聖書の中の登場人物は皆、神は一つであるべきでそれ以外は無しと見ている事が多く、どちらかというと信仰目的もあるが国家統制に使用された物かもしれないという邪推もできる。あくまで、推測の範囲で留めておくが、神話、伝承、宗教というのは個人で様々な意見が述べられる物なのだ。

「それにしても、天使というものは随分奇妙な身形をしているのですね」
 何度も読んだ聖書を今更だが少し面白く感じてしまう。そこに至るのは矢張り発想の転換、一度読んだ物であっても別の書物や訳者が違うもの、或いは国が違うものを読めば随分変わって来る物で、特に長年を越え、既に永遠の書物となった聖書ではその発想が何度でも楽しめる。
 ある時はただ美しいだけの天使が、また違う場所では何枚もの羽と何個もの目、そして鼻や口を持っているのだからそれに祈るというのは矢張り信仰心あっての物なのか、それとも聖書の中の神というものがそれを美しいと認識しているのか。
「美に関する認識も多種多様、という事ですか。 先入観だけで物事は見れない、と」
 他人から見ればとても退屈な話かもしれないがセレスティにとってはこういう考え方、感覚を研ぎ澄まし空気やその世界を感じる事が酷く楽しい事なのだ。

(おっと、アイスティーはもう無かったのでしたね…)
 膝の上に重い本を載せながら、そろそろ喉も渇いたと手をやったがテーブルにはペンと手元を照らす照明しかなく、仕方ないと苦笑しながらまた車椅子の背もたれに身体を預ける。
 自室に居た時と違い、とても心地良いのは空気調節された場所の恩恵だろうか。先程から少し、また少しと入ってくる風も淡く薄い生地で出来た服を揺らせ、甘い眠りと心のゆとりをセレスティに静かに提供してくれるのだった。



 ここ数日の天気と丁度数日前降った雨とで庭園の花々は随分と美しく咲き誇った。特に育ったのは一度は害虫にやられかけたがなんとか能力によって持ち直した薔薇園とハーブ園だろうか、まだ季節ではなく咲いていない物もあるが十分見応えがある程度には育ってくれたとモーリス・ラジアルは思う。
 多少直射日光が辛いがモーリスにとってはそれほど気にする程度の物ではなく、そして汗という汗もそれほどかかない。それがどうしてなのか、自分の種の特徴なのかは知らないし別に興味も無かったが、雨と違って見苦しくも感じる液体が流れなくて済むのならそれはそれで良いのかもしれない、主であるセレスティがこの暑さに弱いのもあって見目をもう少し涼しくしようと淡い水色のスーツを着てみたが如何せん、スーツ姿自体が暑苦しいのではないかと言われてしまうかもしれない。

「そろそろティータイムですね…。 今日は良い咲き具合ですし少しでも美しい涼みの入った物をお淹れしましょうか…」
 プライベートならいざ知らず、セレスティに付き添う時は矢張りしっかりとした服装で彼の一部下である事を認識していたい。たとえ主が堅苦しい付き合いを気にしない人物であっても、モーリスは自分が彼の一番近い人物であると自らが認識していたいのだ、全てはその為の服装、言動。
 ただ、ティータイムやセレスティの趣味に同行した時は彼の良き理解者であり話し相手でもありたいと思うが、それでも部下という地位を忘れたわけではない。

「それにしても、遅いですね…」
 庭園にあるのは直射日光を避ける為の白亜色の屋根であり、その周りには更に涼しい風を入れようと木々も植えてある。
 そこにいつもはセレスティ自ら出て大抵はモーリスなのだが―――部下、と共に静かなティータイムを過ごすのだが、今日に限って全く姿を見せないというのはどういう事か。
 具合が悪い日はそれとなく言伝なりモーリス自身に言って来る筈であるし、何処かへ行く時も然り、兎に角ただ暑いから、というだけでいつもの日課を無い物にするような人物ではないのは確かである。
(と、すると…)
 嫌な予感がモーリスの頭を過ぎる。まさかとは思うがこの暑さに倒れているのではないか、と。
 だが、そうなる前に車椅子についている携帯機器で連絡は取れる筈だと冷静に考え、茶器を左手にモーリスは屋敷内に入る事にする。勿論、主とのティータイムの為でもあるが一番は水分を補給しなければ暑さに弱いセレスティだ、もしかすると、という事もある。

「いえ、本当にまさか、ですよね―――」
 屋敷の廊下を寸分の乱れも揺れも無く茶器を片手で運ぶモーリスは流石長年の経験もあるのか酷く慣れた足取りで、走りもせずだが歩く速度は非常に早く一階でセレスティの居そうな場所を手当たり次第当たってみる。が、何処に行こうが何処を覗こうが居るのは使用人くらいでセレスティの影も形も無いというのは矢張り、少しづつ焦りがこみ上げてくるというもので、主の自室の前に来た時はこれ以上居ないとすると最悪自分の知らない所で倒れているのではないかという不安にすら心を支配されそうになってきていた。

「セレスティ様…」
 軽く、だが聞こえるようにノックをするが当の主は出てこず、何度それを繰り返そうともただただ虚しい木を叩く音だけが廊下に木霊し、
「失礼致します」
 無礼極まりないかもしれないと理解していながらも実際何かがあってからは遅く、扉を開ける手を止める事も躊躇わずに、モーリスは主の部屋に入る。
 空調システムが美術品に合わせてある室内、カーテンから零れる日差し、ハンカチに包まれたティーカップ。ベッドの上にもセレスティの姿は無く、そして車椅子も無い。
(あのお方は…)
 ほっとしたのか、それとも主の不在で気が抜けてしまったのか、茶器を持たない手でモーリスは額を押さえる。
 とりあえず杖で出歩かなかった事にモーリスは安堵した。車椅子で移動しているという事は少なからず携帯機器は利用できる状況下でありセレスティは自らの体調の変化に気付かない程鈍感ではなく、逆に少しでも感付いて一日の初めには床に伏せるなりなんなり言う人物なのだ。

(という事は鑑賞部屋か書斎でしょうか)
 どちらもセレスティが行きそうな所だがこんなにも暑い日に行きそうな所と言えば書斎しかない。
 鑑賞部屋は美術品の為に主好みの空気調整が限られているし、この間行ったという事で様々な知識や好奇心に駆られるセレスティならば空気調整も可能で書物の沢山ある書斎が妥当な線である。



「―――セレスティ様?」
 本日何度目になるだろう、主の名を呼びながらモーリスは書斎の扉を開く。
 途端、心地よい風と気持ちの良い空気調整の涼みに一瞬気持ちが和らぐも、すぐに顔を引き締めてその中へ足を進めた。

「こちらにいらっしゃられたのですか? 心配しまし…」
 案の定セレスティを乗せた車椅子は書斎の一番広く、そして居心地の良い場所で静かにしてい、後ろから見れば聖書を読んでいたのだろう。何冊もの同じタイトルの本がテーブルの上に置かれていて。

 どんなに心配したか、そう言いかけて、モーリスは口をつぐんだ。

 元々読書をしているのだ、静かで当たり前だが今のセレスティからは本のページをめくる音すら聞こえず、近づいたモーリスの目に映ったのは膝に厚い聖書を置き、車椅子の背にもたれかかって眠りについているセレスティの姿だった。普段見ている深海のような蒼い瞳も美しいが閉じている瞼に添えられる花の如く長くしっとりとした睫毛もそれ自体が月の様で美しい。
(困りましたね…)
 主が寝ている事自体は困る事ではなく、どちらかというとこの部屋で寝ていれば風邪をひきかねないかなどそういう事が心配でモーリスは起こそうとその手を伸ばし、
(セレスティ様のお休みに声をおかけするのも…無粋過ぎますね)
 寝息と共に微かに上下する肩と髪、そんな小さな動きを見ていてもこの主が幸せにしていてくれる証拠ではないかと、それだけでモーリスはセレスティの安眠を守りたくなる。

「ですが、お風邪だけはひかれませぬよう」
 モーリスはセレスティの膝に開かれたまま置いてある聖書を退け、その続きをまた読めるようにテーブルに常備してある金の蝶の形をした栞を挟む。これで主の足が疲れることも、起きて読書を楽しむ事もできる筈だ。

(ティータイムはどうしましょうか…)
 眠っているセレスティの近くに座り茶器を置くと涼しげな空気と共に甘い香りも漂ってくる。それはいつも茶請けのようにして食べる焼き菓子のせいでもあるのだが、もう一つ咲き始めた庭園からモーリスが取ってきた彼なりのセレスティの心遣い。
(このままだと花が出て来てしまいますが…また作り直し致しましょうか)
 冷たいカモミールティーに白く清楚な花が丸ごと氷に入っていて、まるでこの紅茶を飲めば花の香りまで吸い込んでしまいそうな逸品。それがこの氷を入れるために用意したタンブラーの中でゆったりと泳いでいる。
 セレスティのいつも使用している硝子のティーカップはあまり数多く用意されているわけでもないし、この花氷を入れるのにタンブラーは丁度良い大きさで、コップ自体はそうでもないが主もきっと喜んでくれるだろうと用意していた物なのだけれど。

(セレスティ様が起きられましたらまた、お作りいたします)
 モーリスは心の中で微笑み、セレスティの寝顔に少しだけ礼をとる。気付かれもせず、矢張り寝息だけの動きだがそれすらも嬉しく、心優しい一時となって自分の心を満たしていくのを理解しながら。

 また、冷たく涼しいアイスティーと共に、夏独特の恵みを主に楽しんでもらう為のとっておきの花氷を作りましょう、と。


END