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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢日記のススメ −チャイルド・コンプレックス−

 壁の時計は十一時を指していた。平日だったので、この部屋の主は学校にいるはず。三時間目の授業を受けている最中だ。室内は静寂に満たされていた。そこへ突然、開けっ放しの窓から風が吹き込んできた。
薄い色のカーテンが揺れ、勉強机の上に開かれた、小さな日記帳のページがさざなみのようにめくれあがる。一緒に置いてあった青色のペンが机から転がり落ちる、学校へ提出する予定のプリントが室内を舞う。風は机の上を、部屋の中を散らかして楽しんでいた。
 だがやがて、遊ぶのにも飽きたらしく風は静かに去っていった。机の上には小さな日記帳だけが残された。風が開いた場所は偶然にも、日記帳の最後のページ。昨日見た夢のことが書かれていた。

 ○月×日 (くもり)

 夢の中でボクは、大人の男になりたかった。昨日の夜、寝る前にお願いしたんや。どうしてかって、ボク、前の日にクラスの女の子に告白したんや。けどその子、
「あたし、大人の男の人が好きなの」
やって・・・・・・。あっさりフラれてもうた。あの子、ボクが大人やったら振り向いてくれたんかなあって、思った。
せやからボク、思いついたんや。夢の中やったらボクかて今すぐに、大人になれるて。



 日記の持ち主、門屋将紀はゆっくりと目を開けた。寝る前に自分が強く願ったことはしっかりと覚えている。今、自分が夢の中にいることもぼんやりとだが感じている。肝心なのは果たして、夢が願いを聞き届けてくれているのかどうか。
「・・・・・・」
まず将紀は、自分の手を見た。というより目を開いた瞬間飛び込んできたのが自分の手だったのだ。
将紀の右手には小さなほくろがあった。その手にも、ほくろはあった。だから、今自分の見ている手が自分のものに違いないと将紀は認識する。そして認識した瞬間、歓喜の声を上げそうになった。なぜなら、その手は見慣れているピンク色の爪がついた可愛い小さな手ではなく、関節の節だった、血管の浮き出ている浅黒い大人の手だったからだ。
 次に将紀は、その手で自分の顔をぺたぺたと触った。この感触もやはり、普段とは違いしっかりと骨格が張っている。顎には、かすかに髭らしきものもある。
「よっしゃ、上手くいった」
心の中で喝采と共に拳を強く握る将紀。今ここに鏡があれば自分の姿を映してみたいところだった。さぞや男前なのだろう、いや、男前に決まっている、違いないと将紀は未来の自分を信じる。
 が、ただ一つ難を挙げるなら自分の服装についてである。確かに、寝る前願ったのは
「大人の男になりたい」
ということだけだったので身なりについてはとやかく言えないのだが。
「・・・・・・ボク、こんなんがかっこええって思うとったんやろか」
思わずため息が出てしまった。
大人になった将紀が着ていたのは胸元の大きく開いた白いシャツにダークグレイの高そうなスーツ、履いているのは爪先が鋭く尖った革靴。一言で表現するなら「ホストのような」服装だった。手に指輪がはまっておらず、耳にピアスが開いていないのが不思議なくらいである。
「・・・・・・ナンパやなあ」
上着の光沢がどうにも気になって、将紀は着たり脱いだりを何度も繰り返す。と、背後で誰かがクスリと笑った。

 振り返った将紀の目の前には、誰も立っていなかった。ただし視線を下げると、そこに一人の少女がいた。言うまでもなく、将紀がフラれたあの少女だ。現実では将紀と少女の背はほとんど同じくらい、実を言うと少女のほうが少し高いのだけれど、今の少女は将紀の腰くらいまでしかなかった。
「あ・・・・・・」
上着をどうしようか迷って、将紀は結局脱ぐことにした。
「へ・・・・・・変や、いや、変じゃない?」
「ううん」
少女は首を横に振ると体育の時間のぼり棒にしがみつくように、将紀の腕に両腕を絡めてきた。胸を高鳴らせつつも将紀は、もっとロマンチックな表現ができないものかと自分を悔やんだ。だが、小学生の十年にも満たない経験ではこれ以上の形容ができるはずもない。
「可愛いね」
どうにか、標準語を使うだけで精一杯だった。
「あなたもステキよ」
「本当?」
「うん」
もう一回言って、と頼みたくなるのを将紀は堪えた。大人の男は自分に対する誉め言葉を何度もせがんだりしないものだ。それよりももっと、大切なことがあるだろう。
 自分を落ち着けるために深呼吸を一つしてから、将紀は少女に切り出した。
「ねえ、ボクと一緒にどっか行か・・・・・・どこか出かけない?」
「いいわよ」
即答する少女。よっしゃ、と将紀は再び心の中で拳を握る。夢の中だということはわかっていたけれど、それでも願いが叶うことは嬉しかった。小学生のままの自分だったなら、誘うことさえできなかったに違いないのだ。
「それじゃどこに行こうか」
可愛い彼女を連れて、将紀は歩きだそうとした。が、そこで目覚し時計のベルが鳴り響き、将紀は現実に引き戻され、夢は終わってしまった。

「・・・・・・」
時計の針は七時十分を指していた。もう一度寝たくてたまらなかったが、夢の続きが見られるともわからなかったので、しぶしぶベッドから起き上がった。服を着替え、洗面所で顔を洗い、叔父の作ってくれた朝食を食べてから部屋に戻ってきた。
「えっと、今日の授業は・・・・・・」
連絡帳に書かれた時間割を見ながら、教科書とノートを揃える。今日は三時間目に体育の授業があった。のぼり棒や、と呟いて将紀はため息をついた。少し俯いて、それから体操服の準備をした。
 時間割の準備が終わっても、登校の時間にはまだ十五分ほどあった。将紀は勉強机に座ると青色のペンを取って夢日記を書き、書き終えると学校へ行ってしまった。昨日の夜から窓を開けっ放しにしていたことは、すっかり忘れていた。



 今日の日記だけはほんま、おっちゃんには見せられんわ。ボクが女の子にフラれたことも、こんな夢見てもうたことも、絶対知られたらあかん。ボクの「こけん」に関わることや。
 ・・・・・・それにしても、心配なことが二つある。一つは、ボクが心の中でああいう格好をかっこええって思うとるかもしれんってこと。ボク、ナンパは嫌やのにどうしてやろ。おっちゃんに聞いたら多分、しんそう心理がなんとか・・・・・・ってこむつかしいこと言うに決まっとるけどもちろん、聞けへん。
 あともう一つ心配は、こっちのほうがもっと心配なんやけど、あの子が大人は大人でもナンパな大人が好きやったらどうしようかってこと。・・・・・・うん、こっちのほうがずっと重要な問題や。