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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


真夏の大掃除・ゴキブリ殲滅大作戦!
 
 思えばなぜ、今までそいつを見たことがないのかと不思議なくらいこの部屋は汚れていた。
 古い雑居ビルの小狭い一室、草間興信所のオフィス内はいつも、所長の草間・武彦(くさま・たけひこ)が散らかした資料だかゴミだかわからない物でごった返している状況なのだ。
 それでもまだ普段はきれい好きな妹の零(れい)が掃除をしているために、奇跡的に『奴ら』の侵略の手を逃れ続けてこられたのだろうけれど…。
 近所の商店街で行われる『夏の恒例大謝恩セール』。一定額毎に引ける福引の、今年の特等は『豪華ハワイ十日間の旅』。
 お目当てのサイフォンセットをはずして見事特等を引き当てた武彦は、海外旅行など行った事もない零にチケットを譲ることにした。が……。
 それが後に、こんな悲劇を生み出すことになってしまうとは!!
 零が出発してちょうど一週間、アバウトな武彦の管理の下、興信所はちょっとしたカオスとなり始めていた。
「さすがにこれは……ちょっと…マズい…か……?」
 壁を走り回る黒色の塊に、武彦の背中を生ぬるい汗が伝い落ちてゆく。もちろん彼には、そこまで汚くしたという気はないのであるが、現実問題として『例のヤツ』が発生しているのだから仕方ない。

『本日臨時休業。取り込み中につき入室は厳禁!!』

 入り口のドアにそう張り紙をして、武彦は戦闘準備を整えに近くのドラッグストアへと向かった。



 よく晴れた夏の日の午後だった。高校生兼大道芸人の楽天型勤労青少年志羽・翔流(しば・かける)は暑さにあえいでいた。
「うぅ〜……暑い。今いったい何度だよ!?猛暑ったってちょっと暑すぎじゃない?」
 連日連夜の真夏日・熱帯夜に翔流もいい加減へばり始めていて、『芸』を見せるはずの路上にぺったりと、座り込んで大きく息をついた。
「もうダメ。これじゃあ水も出せないよ…」
 自慢の水芸で涼を取ろうにも、いまいちうまく水を操れない。さすがに少し休憩をすべきかと、翔流は知り合いの顔を思い浮かべる。
「白王社…はやめておこうかな。こっからじゃ電車乗り継ぎになるし、なによりあそこじゃ涼みきる前に仕事渡されて追い出されるもんな…」
 アトラス編集部の人使いの荒さは、今更噂にすらならないくらいれっきとした『公然の事実』である。ちょっと涼みに行っただけの翔流に厄介そうな取材を押し付けるなど、朝飯前の軽い出来事として当たり前のように起こりかねない。
「学校はもう夏休みだしな。あやかし荘もけっこう遠いしぃ…やっぱここは、草間さんちっきゃないか!」
 翔流が現在いる大通りから草間興信所までほんの十数分。すぐ近く、とまでは言えないものの他の場所に比べ格段に近い。「よっこいしょっ!」と掛け声をかけて干からびた身体を立ち上がらせると、翔流は興信所のあるビルに向かい、鼻歌交じりに歩き出し始めた。
「くっさまさん、くさまさん。らららら〜♪」
 自作の(それも意味不明の)歌を歌いながら翔流は雑居ビルの中へと入っていく。老朽化し角の欠けた階段を、上ればそこに目指す事務所はあった。
「いやあ、それにしても何日ぶりだろ……草間さん元気にやっているかな?」
 独り言、というにはあまりにも大きすぎる声で呟いた後、翔流は狭い踊り場から廊下へトン、と大きく踏み出した。

「あれっ…先客?」
 廊下に出た途端、目に飛び込んできた褐色のがっしりした人影に翔流は小さく首を捻る。
「あ、どうも…草間さんのお知り合いの人ですか?」
 ペコリ、と頭を下げてきたのは翔流より大分年上に見える男で、身長の割りに逞しい体つきは、肉体労働系の職種を思わせた。
「どうかしたの?そんなとこに突っ立って…」
 訪ねる翔流に苦い笑みを見せて、男は「いや、それが…」と呟いた。
「妹さんが旅行中なんで西瓜とメロン差し入れに来たんだけど、どうやら今日は留守にしてるみたいで…」
「留守?だってここ探偵事務所でしょ。普通そーゆーとこは年中無休じゃないの?」
 そう言って翔流が扉を見ると、確かに『臨時休業』と書かれている張り紙らしきものが張られていた。
「うわっ、ホントだ。じゃあ、誰もいないのかな…あっ、でもドアの鍵かかってないよ。だったらすぐに戻ってくるんじゃん?」
「あっ…ちょっと、君…」
 カチャリと扉を開けて中に入る翔流の肩を男の手が掴む。
「えっ…?なに……」
 翔流が呟きかけたその言葉は、目の前の光景にかき消された。
「うっわー!!なんだこりゃ!?ここはゴミ屋敷かぁ?」
 部屋に散乱するゴミと虫に、翔流は驚いて奇声を上げる。彼を止めようとしていた男も、そのあまりの汚れ方に声をなくし、唖然として部屋の中を見つめている。
「なんだよこれ、人の住処じゃないじゃんか。草間さん、いったい何してたんだ?」
「…確かに、これはちょっと酷いですね。妹さんがいないってだけで、ここまで部屋が荒れはてるなんて…」
 眉をひそめる男の目に映るのは成長中らしきカラフルなきのこ。赤や緑、紫に染まるそれは机の上の書類から生えている。
「いやホント、きったなくなったなあ…零ちゃんいつから旅行行ってるって?」
 ひょっとして一月近く前?尋ねる翔流に思わぬところから不機嫌そうな答えが返ってきた。
「…一週間前だよ、明々後日に戻る。大体一カ月分の旅費なんぞ、商店街の福引ごときで出すか!!」
 怒鳴り声に振り返ると武彦が、買い物袋を抱えて立っていた。
「あ…」
「草間さん」
 同時に振り返る二人の背後でガタリと物音がする。
「草間さ〜ん、やっと戻られたんですね!!」
 涙交じりのその声に武彦は、「なんだお前も来てたのか」と返す。二人が再度部屋の中を振り返ると、そこには角とピンと立つ耳を持つ半人半獣の幼い少女がいた。
「あれっ?君、いったいどこに隠れて…?」
「あんたさっきからそこにいたっけか?」
 ほぼ同時に二人が問いかけると、少女はビクリと肩を揺らしてまるで空気に溶けていくように姿を消した。
「えっ…!?」
 翔流は何回も瞬きをし、少女がいたはずの場所を見つめる。だがそこには少女の姿はおろか、蠢き回る虫の姿すらない。
「…幻?」
 首を傾げた翔流に武彦は、「いや、違うな…」と軽く首を振った。
「隠れるなよ、誰も食ったりはしないぞ。前にも言っただろ、うちの連中に、そこまで飢えてる奴はいないってさ…」
 苦笑交じりに武彦がそう言うと、誰もいない部屋のカーテンが揺れる。
「ほほ、ホントに誰も食べたりしませんか?…私のこと、殺そうとしませんか?」
 震える声がカーテンの隙間から、漏れるように微かに響いてきた。
「大丈夫」
 もう一度囁くと、武彦は部屋に腕を差し伸べた。
「ほらっ、出てこいって…」
 カーテンがひらめいて、その影から白い少女が現れる。先ほど見たそれが幻のように、少女はカタカタと揺れる両足で、白い床を踏みしめそこに立っていた。

「俺、志羽・翔流」
「あっ、俺は榊・圭吾っていいます」
「あの、わ…私、クリスティアラ・ファラットです。あの…その…お二人は本当に、私を食べたり殺したりしませんか?」
 一度皆ビルの廊下へ移動して―――なにしろ事務所内には落ち着いて話をする場所が皆無だったので―――三人は互いに自己紹介し、そのついでに武彦から事情を聞く。
「…まあ、そういうわけだからお前らも、事務所の掃除を手伝ってってくれ」
「まあ、仕方ないですね」
「まっ、別にいいよ」
 圭吾と翔流が二つ返事をして武彦にうなずき返す中クリスティアラは、「あの、それはちょっと…」と口ごもった。
「…いえ。その、掃除はいいんです。もちろんお手伝いさせてもらいますが…ただ、あの、ゴキブリの退治はちょっと……特定の種族の利害の為に他の種を殲滅させる行為は、禁止事項に抵触しますから…」
 ごめんなさい、と涙目で謝るクリスティアラの頭を軽く撫で、武彦は「別に構わんさ」と言った。
「ゴキ退治はこれでする気だったしな。もとよりお前らの手は必要ない」
 腕の中の買い物袋を開けて、武彦は幾つもの赤い缶を出す。『水だけ簡単』と書かれたその缶は、いわゆる蒸散型殺虫剤で…。
「あれっ、これ『パルサン』じゃん。なに?買ってきたの?」
「ああ。すぐそこのドラッグストアでな」
「でもこれ後始末が面倒ですよ。スプレーとかの方が良くないですか?」
「いや、そうも言ってはいられんだろう。なにしろ部屋中にはびこっているからな。第一『パルサン』じゃネズミは死なんから、その後ネズミ退治もするんだぞ」
「えっ、ネズミ?そんなもんまでいるのかよ!?」
「あっ、はい…それは私も見ましたけど……ネズミさんも殺してしまうのですか?」
 可哀相と全面に書いた顔でクリスティアラが武彦を見つめる。「仕方ないだろう」とぼやく武彦に、彼女は涙ながらに訴えた。
「あの、私がネズミさんを捕まえて、どこか余所に逃がしてあげちゃダメですか?あっ…もちろんこの事務所からは遠く離れたとこに逃がしますから……」
「……う〜ん、しかしなあ…」
「別にいいんじゃん?」
 悩む武彦に、翔流が気楽そうな口調で告げる。
「近所に逃がす訳じゃあないんだから、ここに戻ってくる心配はないよ。クリスティアラがそうしたいんなら、好きにさせてやればいいんじゃないの?」
「う〜ん………じゃあ、まあ…好きにしろ」
「あ…ありがとうごさいます、草間さん!」


「じゃ、後のことは頼んだからな」
「はい、お任せしてくださいです!!」
 部屋の数箇所に『パルサン』を仕掛け、武彦は入り口の鍵を閉める。事務所内にはクリスティアラが一人、ネズミを捕獲する為に残された。
「いやあ、でもホント助かりましたね」
 感心したように呟く圭吾。その手には相変わらず差し入れのスイカとメロンが抱えられている。
「クリスティアラさんって言いましたっけ?『パルサン』焚いてる中で動けるなんて、便利な体質していますよねえ…」
「ああ…まあ、体質っていうかアイツは、正確には人間じゃあないからな……」
「あっ、ねえ、草間さん、そんなことよりも二時間なにして時間潰すの?……俺すっごいお腹空いてる上に、のどもカラッカラだったりすんだけど…」
「………わかったよ。下の喫茶店で、なんか食わせてやればいいんだろ?」
 やったー、とはしゃぐ翔流を先頭に三人は階段を下りていく。一時間後同じ階段を自分が、全速力で駆け上るとも知らずに。


「イヤー!………アクマー!!」
 そんな悲鳴と前後して銃声が響いてくるのを聞いて、武彦達はピクリと顔を上げた。ちょうど食事を終えコーヒーを飲みつつ、この後の予定を話していた時だった。
「悪い、会計頼む!」
 テーブルに財布を置き、武彦は素早く店を飛び出す。その動きにつられるように翔流と圭吾も椅子からすっと腰を上げた。
「ひょっとして、あれ、事務所で…かな?」
「さあ、俺にはよくはわからないけど…」
 あれほど素早く反応をしたのだから、武彦には心あたりがあるのだろう。二人は互いの顔を見合わせて、ほとんど同時にこくりと頷いた。
「行こう!!」
 数分後、全力で階段を駆け上った翔流と圭吾が目の当たりにしたのは、ピンが外れた手榴弾を片手に、赤髪の女を怒鳴りつけている顔中汗だくの武彦だった。



「しゃあないなあ、俺が一肌脱ぐか…」
 赤髪の女ジュジュ・ミュージーの働き(?)により、『パルサン』の煙は拡散されてゴキブリたちもかなり生き残った。こうなったら直接駆除しかないと、意気込む武彦に翔流は、スッと鉄扇を向けそう言った。
「要するに追い出せればいいんでしょ?…まあちょっと、俺に任せてみなよって!」
 ふわり、と彼が鉄扇で仰ぐと部屋の中に突風が巻き起こる。その風に煽られるようにゴミや、武彦の机の上に置かれた書類の束が中空へ舞い上がった。
「隠れる場所と餌さえなくなったら、『奴ら』だって姿を見せるんだから…」
 その声が聞こえているかのように、部屋のあちこちから黒い塊が、何匹も群れをなして現れる。
「イヤー、やめて!アクマが、アクマがくるぅー!!」
 絶叫して武彦にすがりつくジュジュの瞳には涙が浮かんでいる。
「大丈夫だって。『奴ら』は水龍が、ちゃんと事務所の外に追い出すからさ」
 軽くウインクして今度は右の手を、ゆっくりと舞うように動かし出す。その広げた指の一つ一つから、ごく小型の水龍が出現し、無数の水しぶきを上げ虫たちを、窓の外に向かい追いやっていく。
「…ほいっ、終了。後は部屋の中とか、ちょこっとだけ片付ければOKさっ!」
「………これのどこが『ちょこっと』なんだ!?」
 翔流が出した龍のしぶきによって、事務所の床は水浸しになっていた。おまけに識別なくなんでも飛ばす“突風”がゴミから要る書類まで、何でもかんでも一緒くたに飛ばし、部屋の隅にごみ溜めを作っている。
「…いや、でもゴキブリはいなくなったし……」
 「ねっ!」と苦笑する翔流に武彦は、額に手を当て深く後悔する。
(手伝いを、頼まなきゃ良かったのか…?)
 自分一人で地道にゴキブリ除去と、掃除をしたほうが懸命だったかと、武彦は今更ながらい思った。
「わかってるって。ちゃんと拭いてくから…」
「もちろん俺もお手伝いしますよ。大丈夫、夕方くらいまでには、すっかり綺麗に片付いてますって」
「わ…私も、がんばって掃除します」
「ミーもよ。タケヒコ、そんなスネないで」
 すっかり沈み込んだ武彦を気遣い、皆が皆懸命に声をかける。
「まあ……そうだな…みんなで頑張れば……」
 それにこれ以上は状態の悪化も起こりようがないもんなと自嘲して、武彦は雑巾を手に取った。
「じゃあ、まあ、掃除に取り掛かるとするか」

 が、数分後武彦はもう一度、自分の判断の甘さを後悔する。
「あれっ?この袋なんか動いてません?」
「あっ……それは…」
「うわーーー!!」
 ゴミ山から現れた布袋を、何の気なしに開いた圭吾の顔が混乱の色に染まる。
「ネ…ネズミ……ネズミの大群がぁ〜!!」
 十数匹のネズミが波打つように、袋から室内へと逃げていく。それを見てクリスティアラが小さく悲しそうな声でそっと呟いた。
「…ああぁ〜……やっと全部『保護』したのにぃ…」





『…振り出しに戻る?』

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

☆ 0585/ジュジュ・ミュージー/女/21歳/デーモン使いの何でも屋(主に暗殺)

★ 2951/志羽・翔流(しば・かける)/男/18歳/高校生大道芸人

☆ 3954/クリスティアラ・ファラット/女/15歳/力法術師(りきほうじゅつし)

★ 5425/榊・圭吾(さかき・けいご)/男/27歳/メカニック