|
<Milkyway>
文明の力というのはかくもすばらしいもので、たとえそれが仮初のものだったとしてもそのときだけはまるで王様か何かにでもなったような気分にさせてくれる。
「図書館ってすばらしいもんだね、ほんと」
草間は陽に焼けた本の香りにひたることもなく、館内に設けられた椅子にふんぞりかえって”めいっぱい”普段では味わうことなどこれっぱかりもない冷房の風に全身をさらしていた。
読むためにある図書館というこの場所において、本は当然のごとく手にはなく──日よけかわりに顔の上に乗せられているのであった。
職員の視線が痛い気がするのはご愛嬌。
「お兄さん、この本おもしろいですよ。あ、これもおもしろそう! うぅんでもこっちもおもしろうそうだなぁ……どっちを借りてかえろうかしら?」
零はというとさっきから棚にある本をいろいろと物色している。いろいろと興味を惹かれるものがあるようだが貸し出し本数が決まっているらしく、あ〜でもないこ〜でもないとあちらこちらの棚をいったりきたりしていた。
「こら零、あんまりはしゃぐんじゃない。図書館ってのは静かにするもんだ」
かといってページをめくろうともしないというのもどうかと思われる。きっと自分の顔にかかっている本のタイトルすら彼は知りはしないだろう。
と、
「お兄さん、お兄さん」
「ん? なんだ?」
三匹目の羊ですでに意識を手放そうとしていた草間の肩を零がゆする。
その手には一枚の”しおり”と”鍵”が握られている。
「どうしたんだ? これ」
和紙でできたしおりにはこれといって飾りはなかったが、ひょいと裏をかえすと
──慎ましやかな織姫への想い、三日月に託す──
とお世辞にも達筆とはいえない筆でそう書かれていた。
「なんだこりゃ?」
「この鍵はなにかなぁ?」
鍵はというと人差し指程度の大きさで、アンティックなデザインではあったがそれほど古いようには感じない。細工が施してあるようにも思えない、普通の鍵だ。
「ふぅん?」
しばらくその二つを交互にみやっていた草間だが、すぐに興味をなくしたらしくそれらを零に返すと再び椅子にふんぞり返って居眠りを始めた。
「お兄さん?」
あっという間に寝息を立て始めた草間を零はしばらく待ってみたが、それ以上の反応はいつまでたってもない。
「……うん」
一人頷いた零はおもむろに抱えていた本をテーブルに置くと、自分も椅子に腰をかけるとしおりと鍵をじぃ、っと見つめてなにやら考え込み始めた。
草間は興味を示さなかったが、零はふとみつけたこれらのことが……そう、
「もしかして宝物の暗号じゃないかなぁ」
そんなふうに思えてしかたがなかったのである。
「慎ましやかな織姫への想い、三日月に託す……かぁ」
零はしおりとにらめっこをしながら、どきどきと胸が高鳴っていくのを感じた。
外はギラリとした陽射しが容赦なく照り付けていたが、それ以上に零の探偵見習いとしてのやる気はメラメラと音をたてて燃え盛っている。
「きっとこの図書館のどこかにあるはず」
手がかりは少ないけれど、好奇心はありあまるほどだ。相手にとって不足はない。
「みつけてお兄さんをおどろかせちゃおう」
こうして彼女の宝探しは始まったのである。
さて、と零がまず考えを巡らせたのはしおりに書かれていた暗号のことである。
「これが宝物場所を示すんだろうけど……どういう解釈をすればいいのかなぁ?」
今までにも草間のところにこういった暗号解読の場面はいくつかあった。そのときに草間がいっていたことを思い出してみる。
「確か……暗号にはいくつかパターンがあるっていってた。記号化するもの、単換え字式のような決められたパターンに当てはめるもの、それから隠喩……」
おそらく、今回は一番単純な隠喩だと零は考えた。根拠らしい根拠はない。どちらかというと他の専門的な解読方法が必要となるととてもじゃないが手に負えないからだった。
とはいえ。
「どれが何をさしてるのかなぁ……」
今のところ皆目見当もつかないことには変わりない。
と、
「あら、零さん?」
「みなもさん?」
不意にかけられた声の方を振り返ると海原みなもが物珍しげに──寝ている草間をみて──近づいてきた。普段のセーラー服ではなく今日は私服で肩からはトートバックを下げている。そういえば今は学校は夏休みである。
「みなもさんも本を借りにきたんですか?」
自分と同じというのが嬉しいのか、にこりと笑う零に「あはは」と曖昧な笑みを返すみなも。
「?」
「この時期はほら、恒例の学校”イベント”があった後でしょう?」
「後、ですよね?」
ちらりとバックからのぞく物はどうやら参考書の類らしい。受験勉強にはまだ早かったはず、と零は思ったがみなもは少し視線を斜め下に落とすと、
「ここのところバイトのしすぎらしくて……ちょっとがんばろうかなぁ、って」
たとえ受験生でなくともときに学問にいそしむときが学生にはやってくるものなのである。
学校にいっていない自分には”はかりしれない”苦悩があるんだろうなぁ、と心の中で零は十字をきった。
「ところで零さんは何をしてるんです?」
ひとり落ち込みそうになったみなもは気分を切り替えたかったのか興味を持ったのか、零が手にしていたしおりとテーブルの上に置かれた鍵を交互にみながら尋ねてきた。
「あのですね……」
ひととおり説明を終えると、
「ロマンス、感じちゃいますねぇ……」
「みなもさん?」
詩そのものが気に入ったらしく、うっとりとした表情で天井を見上げるみなも。零にはよくわからなかったが。
なんにせよ、みなもは自分も宝探しに協力させて欲しいと零にとっては願ってもない申し出をしてくれたのだった。
「と、いってもあたしも暗号解読なんて得意じゃないんですよね……誰かこういうことに詳しい人が……」
「あら? 零ちゃんにみなもちゃんじゃないの。おそろいでお勉強かしら?」
「シュラインさん! っと……」
思わず大声を出してしまった零に怪訝そうな顔のシュライン。
零とみなもの二人は互いに顔を見合わせて頷くと、おもむろにシュラインの手を握り締めてこういった。
「ロマンスの謎を解く手助けをしてくれませんか?」
「はい?」
間の抜けた返事をしてしまったのはいうまでもない。
ところが数分後には、
「なんだか面白そうじゃない!」
はたしてそのキラキラと光る瞳が零やみなもと同じ意味でのものなのかどうかは定かではなかったが、この瞬間、三人の中で最も頼りになる人物が隊員となった。
女三人寄ればなんとやらだがあいにくと騒々しくするのは御法度なこの場所で、零たちはさっそくひそひそと密談を交わすかのように額をぶつけあいっこしながら知恵を絞り始めた。
「まずこういう暗号文を解くには鍵となる言葉に的をしぼるといいわけだけど」
「となるとやっぱり織姫と三日月、ですよね」
「えぇ、私もそう思います」
「でしょうね。問題はそれが何を指すかなんだけど……例えばこの三日月、七夕の物語ではこの三日月が舟となって彦星が天の川を渡って織姫に逢いに行くのよね」
「へぇ、そうなんですか。日本の伝説でも月は舟に例えられるんですね。といっても僕が知ってるのは銀河を渡る舟ってことぐらいですけど」
「そうね、外国の神話なんかだと魂を運ぶ船だったり、方舟なんかにも例えられ……って、あんた誰?」
気づくと彼女たちの後ろにひとりの男の子が立っていた。
「こんにちわ、零さん。事務所の方にいってみたら今日はこちらにいらしていると聞いたもので」
自分も一緒に日本のこと勉強しようと思ってきました、と無垢な笑顔を向ける少年。
「零さんの知り合いですか?」
「あ、はい。名前はブルーノといって……」
「零さんの弟です!」
「弟!?」
「初耳だわね」
「あ、いえ……本人がそういう風に思ってくれてるだけで、本当の弟というわけじゃないんですよ」
似たような境遇が彼にそういうことをいわせているらしい。
「ところでみなさん何をされてるんです?」
気になって声をかけてみたものの、彼女たちが何をしていたのかさっぱり理解していなかったブルーノはそう質問を投げかけた。
「……何って」
「それは……」
「ねぇ?」
零たちはそれぞれに顔を見合わせると、クスリ、と笑って彼に向き直ると、
「ロマンスの謎を解いてるのよ」
声をそろえていったのであった。
まず手始めに零たちが探したのは”月”と”船”それから”天の川”に関する本だった。場所をしめすと思われる”三日月”を意味する本を当たることにしたのだ。
「うぅん、これじゃないわねぇ……」
「零さん、どうですか?」
「これといって変わった本はないですね」
「ふむふむ、織姫が琴座のベガで彦星が鷲座のアルタイル……」
それぞれに探してみるもののこれといって怪しい本はみつからない。
「違うのかしら……他に連想できるものといったら……」
単純に三日月が象徴するものではないのだろうかと首をひねるシュライン。
「例えば月の模様が彫ってある何か、とか」
「でも月がタイトルにはいってるものや題材にされてる本はさっき探しましたよね」
「えぇ。零さんと館内の本を検索する端末でリストアップしましたから、漏れはないはずですね」
「へぇ、七月七日が七夕なんですね。あ、でもこの時期は曇りや雨が多いんですね。それはなんだかせつないなぁ」
最初の試みはどうやら失敗に終わったようだった。
案外本以外のところに隠されているのかもしれないと思って館内のどこかに月の模様が施された物がないかと時計や棚などを調べてみたがそれもはずれに終わった。
一旦ふりだしに戻る一行。
「やっぱり一筋縄ではいかないみたいね……ふふ」
「なんだか楽しそうですね、シュラインさん」
ちっとも見当がつかない状況にあって楽しげに笑みをこぼすシュラインに零が不思議そうに小首をかしげる。
「そうね、大変だけどこうやってみんなで宝探しするのってわりとおもしろいなぁ、って」
「確かにそうかもしれませんね、あはは」
いたずらっこのようなシュラインの笑顔につられて眉間に寄っていたシワをほどくみなも。
とはいえまだまだ宝物探しの序盤。このままではただの骨折り損になってしまう。
しかし三日月に関する本をいろんな角度から絞って探してはみたものの手がかりらしい手がかりはないままだ。中にはシュラインが図書館を天の川に見立てて琴座の星座位置から鷲座の位置までを調べてその間を結ぶラインにある月の本を探してみたりもしたが、結局時間を要しただけでなんの手がかりにもならなかった。
「そもそも隠してあるのはどんなものなんでしょう?」
「詩から当てはめるとしたら”慎ましやかな織姫への想い”になりますよね。それを三日月に託すわけですから」
「それに鍵も何に使うんでしょう? ってブルーノさんも本に読みふけってないで手伝ってください」
「あ、ごめんなさい! なんだか探すと同時に七夕のことを調べてたらすっかり夢中になっちゃって。はは」
相談の輪からひとり外れていたブルーノが零に叱られて──そのワリに満足そうな顔で──戻ってきた。
「さぁて、今度は何処の何を探そうかしら?」
「そうですねぇ」
「うぅん……」
零たちが頭をひねっていると、申し訳なさそうにブルーノがおずおずと手を上げながら尋ねてきた。
「あのぅ……」
「ん? どうしたんだい?」
「ちょっとだけ教えて欲しいことがあるんですけど、この本の背に貼ってある番号は何なんです? 同じような番号がずぅっと貼られてますけど」
本題とは関係ない質問という自覚からか、ひょいと背中を丸めるブルーノ。
「あぁ、それはね……」
シュラインが彼の質問に答えようとして、はた、と動きを止めた。
「あ、あの!? ごめんなさい。今は関係ないことでしたよね、すみませ──」
「そういうことか!」
ひらめきがシュラインの頭に舞い降りる。
「あ! もしかして?」
彼女の表情から何かを察したのか、みなもも声を上げる。
「何かわかったんですか?」
二人の様子にいまだ疑問符を頭からかぶったままの零とブルーノは互いに顔を見合わせて小首をかしげる。
「番号、ですよ」
まずみなもが先に口を開く。
「番号?」
「そうです。例えば三日月は新月から数えると三番目でしょう? だから三番目の本棚にある、といったように」
「あぁなるほど! じゃぁ三番目の本棚を探せばいいんですね。じゃぁさっそく」
「あぁ、ちょっとまってまって」
急ぎ足で本棚に向かおうとしたブルーノをシュラインが呼び止める。
「違うんですか?」
確信を得たかと思えばスタートダッシュをフライングで取り消しにされたような気分に早代わりさせられたブルーノがますます脳みそをこんがらがらせてなんともいえない表情で振り返った。
そんな彼の表情に思わず吹き出しそうになったシュラインだが、なんとか押しとどめてみなもの説明に付記を加える。
「基本的な考え方はそれでいいはずよ。ただね、私たちはこの”詩”が暗号だってことをすっかり忘れてたってことなのよ」
「?」
「あ!」
「気づいた? 零ちゃん」
”詩”が暗号。この言葉に零が反応を示し、以前に草間から聞いたことをゆっくりと確かめるようにして思い出しながらそれを口に出し始めた。
「前にお兄さんから聞いた話だと、暗号というのはそれだけで”場所が限定されなければならない”んだそうです。例えば”森の中”という答えでは”森のどこにあるのか”がわからない。それでは隠した本人が後になって困ってしまうから、って」
仮に”舟”という答えが個人の部屋にある本棚であるならば十分な役割を持つことができるけれど図書館のように大量の蔵書がある場合にはしらみつぶしに探すのと大差がないのである。
つまり、シュラインは”詩全体”でひとつの場所を示している、というのだ。
「それともうひとつ」
話を付け加える零。
「”目印”は変わってしまってはいけない」
例えば館全体を地図に見立てて場所を導き出す方法の場合、模様替えをしてしまうとその時点で暗号は使い物にならなくなる。棚番号にしても蔵書が増えれば棚変えをしてしまう可能性がある。
では何が”目印”として一番都合がいいか……それは、
「この書籍分類シールなのよ」
適当な本を一冊手にとって”それ”を指差すシュライン。
「これならいくら蔵書が増えようと模様替えをしようと変わらず目的の物の目印として有効だわ」
「なるほど」
「ふわ〜。さすがシュライン様」
「これならお兄さんのいっていた暗号の条件に当てはまりますね」
一同が納得する中、実のところシュラインは内心「でも……」という考えが頭をよぎっていた。仮にこの推測が当たっていたとして、はたして本当にそれは”不変”足りえるだろうか。万が一、その本を誰かが借りて帰ってしまい何かの都合や失くしてしまうようなことが起きてしまった場合、やはりこれも暗号の条件としては成立しないのではないだろうか。
しかし、これ以外に有効的な印が思いつかない今は、自分たちが辿り着いた結論を信じる他ない。
「さて、じゃぁもう一度全体から暗号を見渡してみましょうか」
「書籍分類の番号をまずはあてないと、ですね」
実のところそれについては見当はついていた。
「やっぱり、これでしょうか?」
零がしおりのある部分を指す。
「”織姫”ですか? 三日月じゃないんです?」
ひとり見当がついていなかったブルーノが、はて、という顔をする。しかし零たちに迷いはなかった。
「これは暗号ですから。安易に三日月の三をとるよりも……」
「ブルーノさん。さっきなんておっしゃいました?」
「え?」
みなもの問いかけの真意を測りかねたブルーノだが、すぐに自分がさきほどいった言葉を思い出す。
「そうか、七夕。七月七日!」
「御名算。つまり七七、ね」
ぱち、っとウィンクを投げるシュライン。
「で、あと必要なものといえば……」
書籍分類のシールに記入されている字には二パターンある。数桁の数字が一段目に記入されており、二段目にカタカナが一ないし二文字書かれているかアルファベットが書かれているか、この二パターンだ。
「この場合はどちらでしょうね」
「たぶん、ここで三日月が出てくるんじゃないかしら? ほら、三日月って何かに似てると思わない?」
「えぇっと……」
シュラインにいわれて零が三日月を思い浮かべる。
「三日月の形ってこういう──っあ!」
指で中に三日月の形を書くとそれはすぐにわかった。
そう、三日月とはすなわち、
「”C”ですね?」
零の答えににっこりと頷くシュライン。
「”七七”の”C”……これが答えなんでしょうか?」
「どうでしょう。でも探すだけの価値はあると思います」
「そうね。とにかくこれで調べてみましょう」
少なくともさきほどまでよりは答えに近づいているはずだ。
一同はさっそくそれぞれ散らばってこの”七七のC”の本を探すことにしたのである。
しかして数分後。
「…………」
「…………」
「……これじゃ」
「なかったわねぇ……」
残念ながら”七七のC”は答えではなかった。正確にいうと”七七のC”の本は確かにあった。 ただ、
「あれじゃまだ絞りきれたとはいえないですしねぇ」
その条件に合う本はなんと数十冊存在したのだ。これでは暗号としての条件にはあてはまらない。
ちなみにそれらの本を全部調べてみたがそれらしきものはどこにもなかったので、やはりこの回答では不十分ということになる。
「うぅん。的を絞りきれなかったとはいってもあの本たちの中に正解があると思ったのになぁ」
つまりは”七七のC”という数字と記号自体が違うということになる。
”織姫”と”三日月”がそれぞれに数字と記号を指すのはおそらく間違いはないはずなのだが、その解釈の仕方が間違っているのだ。他に考えられる視点となると、
「旧暦、か」
「やっぱりそうなりますよね」
新暦の七夕、七月七日でないとなると旧暦の七夕なら、とシュラインとみなもは考えた。
ただ旧暦の七夕といってもすぐに何月何日とわかるわけではない。なぜならその年毎に日にちが前後してしまうからだ。となるとこのしおりが書かれた年が必要になってくる。
「何年なのかがわかれば……」
みなもはしおりを裏表をじっくり眺めてみたり光に透かしてみたりしてみたがどこにもそれらしきことは書かれていなかった。
と、ブルーノが口を開く。
「あの、そのしおりがはさまれてた本ってどれですか? もしかしたらそこからなにかわからないですかね。例えばしおりがはさんであったページに書かれてる何か、とか」
それはいいところに気がついた、とシュラインとみなもは思ったが、なぜか零は逆に少し顔を青ざめていた。
どうしたのだろう? とブルーノたちが見ていると、零はゆっくりとした仕草でしおりがはさんであった本をテーブルに置いて、ぽつりと、
「あの、持ち上げた拍子に、ぽろっ、て落ちてきたから……どのページにはさまれてたかわからないんです」
今にも泣き出してしまいそうなほどの声でそんなことをいわれれば誰一人として責めるなんてことができようはずもない。
「あ、でももしかしたら」
ふと、みなもは零から本を受け取り裏表紙をぱらりとめくったかと思うと、
「これに……」
彼女は裏表紙につけられた”ポケット”から一枚の紙を抜き出した。
「それはなんです?」
「図書カードっていって、本を借りるときにはこれをカウンターに出すんですよ。最近はバーコードで登録するところもあるみたいですけどね」
この図書館では貸し出しに関してはまだまだアナログらしい。
「やっぱり!」
ちいさく声を上げたみなもは、少し顔を紅潮させながらカードを皆に掲げて見せた。
カードには貸出日の日付と名前が記入するようになっており、その一番下のところをみなもは指差した。その日付は二〇〇〇年九月二六日と書き込まれており、名前のところには、
「間違いないわね」
しおりに書かれた詩と同じ筆跡で”彦星”という名前があるのだった。
さっそく二〇〇〇年の旧暦七夕の日付を調べてみる──幸いにもその手の本が館内にあった──。そこには八月六日と確かに記されていた。
「やった。これで番号がわかりましたね」
「あとはプラスアルファねぇ」
「これだけじゃ先ほどと同じですものね」
そうである。番号と記号があったとしてまた何冊も何冊も同じものがあったのではたまらない。もう一手を読み解かねばならないのだ。
「でもあと鍵として使えそうな言葉といったら”慎ましやか”くらいですよね」
「そうねぇ」
「”慎ましやかな織姫”ってもしかして星がなかなか出てこないってことでしょうか? ほら、この時期の日本は梅雨ですし」
「なかなか出てこない……出られない……あ!」
そのブルーノの意見からイメージを膨らませていた零はひとつの答えをワシづかみにしたのか、おもむろに館内を見回すとやがて一点に視線を定めた。
「零ちゃん?」
「出られない。つまりはこの図書館から出られないってことでしょう? ということはそれは……」
「貸出禁止の本!」
「ひゅぅ。さすが武彦さんの妹さんね。冴えてるわ」
「さすがお姉様! じゃなかった、零さん!」
「どっちにしても館内では静かにしてくださいね? ブルーノさん」
ようやく答え合わせの時間がやってきたようだ。これならば先ほどのシュラインの不安を解消することができる。館内から持ち出しができない本であるならば紛失してしまうことはないし貸出禁止のような本であるならば子供がふざけて汚したりやぶってしまって使い物にならなくような心配もない。
四人ははやる気持ちを抑えながら貸出禁止書ばかりを集めた部屋に足を向けつつも、いよいよという思いに胸を高鳴らせずにいられなかった。
「んん〜。最後の扉はもう間もなくって感じね」
と期待という文字を整った眉と艶やかな唇に浮かべるシュライン。
「ロマンスの謎がいまここに、というところでしょうか」
胸の真ん中に両手を乗せて頬をほんのり紅くさせるみなも。
「そして彦星はたおやかなる月の舟にて織姫のもとへ、ですね」
はたしてブルーノはこの状況に酔っているのか、自分の言葉に浸っているのか。
「お兄さんに教えたらびっくりするかしら? それとも褒めてくれるかな」
ついに役割が巡ってくるだろう鍵を握り締めて一歩一歩確かめるように歩を進める零。
そして暗号の示す場所にその本は──
「え?」
なかった。
「どうして? これも違うの?」
”八六”の番号はあった。が、しかし”A””B”とあったもののその次の”C”はなく、それまで十数冊ずつあった本は唐突に飛んで”G”になっていたのだ。
「これでも駄目なの?」
「いいえ、近いところまではきてるはずよ。きっとあともう一ひねり必要なんだわ」
そうなるとあとは何が足りないのだろう。いや、解釈の仕方が違うのか。なかば意地になっているかのように必死に頭をフル回転させるシュライン。
「七夕が新暦じゃなくて旧暦だったわけでしょ? じゃぁ三日月は……」
新暦ではなく旧暦ということは”本来の”七夕がキーワードになっているということだ。そうなると"三日月
はどうなるか。
「三日月は三日月でも” 上弦の三日月ってことかしら?」
「上弦の三日月って新月から満ち始める月の形のこと指すんですよね」
「あれ?」
シュラインとみなもがいった言葉であることに零が気づいた。
「上弦の三日月じゃ”C”にならないです」
そうなのだ。”上弦”の場合では”C”が反転した形になる。
「”C”の逆……」
「逆ですか? アルファベット順で逆位置にあたるのは”Z”……”Y”……ときて」
「”X”!」
これが正解でないとするともはや自分たちでは手に負えない。ネタはこれ以上脳みその隅々までつっついてみても米つぶひとつでてきやしないだろう。
「じゃぁ……」
「えぇ」
「はい」
「いきましょう」
今までとは少し違い、胸は期待でこれ以上ないくらいに膨らみ破裂寸前だというのに一歩を踏み出すことすらどこか怖いくらいで零たちはまるで一本橋でも渡るかのような慎重さで”その本”に近づいていく。はたからみれば近所の強面の狂犬に数珠つながりになりながら度胸試しにすり足で近づいていく子供のように映っていることだろう。
当の本人たちにしてみても案外そういう気分なのかもしれないが。
なんにせよ。
「あった……」
”八六のX”は身じろぎすることもなく、薄暗い、本棚の隅の隅に鎮座していた。
「これって……」
「日記帳、ですよね」
つぶやいたみなもの言葉どおり、それはいくらかの厚みをもった簡素でありながらもノスタルジックな感の漂う茶色い表紙の日記帳だった。小口の部分に帯が渡してあり、そこには鍵穴がつけられていた。
「ようやくこれの出番がやってきたみたいですね……」
零はしおりと共に出てきたあの鍵を取り出すと、一同が息を呑む音をいやに大きく感じながらゆっくりと、とてもゆっくりとした動作でその鍵穴に差し込んだ。
そしてほんの少し力を入れて鍵を回す。
「あ……」
思っていたよりもずっと軽い抵抗を指先に感じたその瞬間、かちり、と音を立てて鍵は解除された。
「まるでこれそのものが宝物みたいね」
そのシュラインの言葉はあながち間違いではなかったのだった。
草間が目覚めたのは館内に閉館の音楽が流れ始めたころだった。むしろその”蛍の光”を目覚まし代わりに草間は目を覚ました。
「っあ〜、よく寝たな……くぁ……あふ」
無事に顔からずり落ちることのなかった本に感謝の気持ちを心の中で唱えつつ、首をぐるりとめぐらせて零を探す。彼女は草間から少しはなれたところに据えられていたテーブルの上にまだ本を開いて熱心に読書をしていた。
「ほら、零。そろそろ帰るぞ」
「あ、お兄さん。おはようございます」
確かに外はまだまだ明るかったがおはようございますという言葉は業界用語として使用しているのでなければ不似合い以外の何者でもない。五時とはいっても今は夕方の五時だ。
「悪いな、相手してやれなくて」
「ううん。すっごく楽しかった。とっても素敵な”本”にも出逢えましたし」
「? そっか。それならいいんだが」
いつにないやわらかな笑顔を向ける零に不覚にも、ドキっとさせられそうになる草間。
けれどもその理由をたずねることはなかった。あまりに彼女が楽しそうな表情をしているのでなんだかそれに水をさしてしまうような気がしたからだ。
ただ、彼女が何やらとても素晴らしい”宝物”をその胸のうちに抱きしめている……そんなことだけははっきりと感じ取ることができた。
「また、くるかな」
「はい!」
結局のところ、歓喜に打ち震えて持ち帰るような宝物はどこにもなかった。
しいていうならばシュラインが口にしたとおり、あの日記こそが宝物だったのである。
彼女たちはあの後、日記帳に皆で囲んで目を通してみた。
そこには読書好きな少年の、一人の同じように図書館に通う読書好きなのであろう少女への想いが少ない言葉で、けれども甘酸っぱい香りをただよわせながら滔々と書き連ねられていた。
彼が彼女に出逢ったのは夏が始まったばかりのこと。夏休みにまとめて借りて帰るための物色をしにこの図書館にやってきたついでに数冊読もうと考え席に着いたとき、ひとつほどテーブルをはさんだちょうど向かい側の席にその少女はいたのだという。さらりとした、陽の光とは対照的な、けれどつやつやとした前髪。その前髪がいつも少しうつむいているせいで顔の半分を隠していたので表情はよくわからなかったがときおりみせた──物語が面白かったのか──桃色の唇が綺麗な三日月を形作る様にいつしか惹かれていったのだそうだ。
テーブル越しの片想い。
それはさながら天の川をはさんで向こう岸の相手を想う織姫と彦星のようだ。
しかしある日突然彼女は姿をみせなくなったのだと日記には書かれていた。
少年はなぜ声をかけなかったのかと、自分の不甲斐なさと後悔とで深い哀しみで何日も塞ぎ込んでしまったらしい。
それからしばらくして──彼は日記帳と一枚のしおりを買うことに決めたのである。二度と報われることのないその恋心を彼女の面影残るこの図書館に閉じ込めるために……
「現実の織姫と彦星は、必ずしもうまくいくわけじゃないんですね」
日記の最後の部分を読み終わったときに切なさと哀しさをはらんだつぶやきをもらしたのはみなもだった。自分と年が同じくらいだったせいかずいぶんと感情移入してしまったらしかった。
それは零も同じで、彼女もまた少し瞳をうるませながら感極まる思いで日記帳を閉じ──
「あら?」
と、そのときだった。
閉じた表紙に一枚の長細い紙が、ひらり、と日記帳の最後のページのあたりから滑り出てきたのだ。
「あぁ……」
そこには、
──星はふたたび巡り逢い、ともに永久なるときを紡ぎたまふ──
と、最初にみつけたしおりに書かれていた字とは”別の筆跡で”記されていた。
「これって」
「そういうことですよね?」
「彦星と織姫は」
「幸せになることができたんですねぇ」
少し丸めの文字からは幸せな気持ちが滲み出ているようで、零たちもまたとてもあたたかな想いで胸を満たされたのだった。
「さて、んじゃそろそろ帰るか」
結局タイトルすらろくにみなかった本を棚に返した草間が零に声をかける。
「どれか借りて帰るか?」
「あ、はい」
何冊か読めなかった本があったのだ。
「んじゃそれを受付に持ってって手続きしてきな。貸出用のカードは俺のを使えばいいから」
草間からカードを受け取ると、教えてもらったとおり零は受付に向かった。
「あの、これを貸してください」
「はい。じゃぁカードをよろしいですか?」
「あ、はい」
受付の女性に本とカードを渡す零。女性がいくつかの項目を管理用のパソコンに打ち込むと手続きはあっという間に済まされた。
「はい。じゃぁ期限は二週間後ですので気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
零は本を胸に抱えるようにして深々と丁寧におじぎをすると、入り口の外で煙草を吹かし始めていた草間のもとに向かい──
「あ、そうそう」
と、女性が思い出したように零に話しかけた。
「はい?」
何か手続きのし忘れでもあったのだろうかと小首を傾げて振り返る零に、女性がにっこりとやさしい微笑を浮かべて、
「織姫にはもう三日月は必要ないそうよ?」
そういった彼女の左手の薬指には銀色のそれが、まるで夜空にたたずむ星のようにただただ静かな光を讃えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ CAST DATE ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【3948/ブルーノ・M (ぶるーの・えむ)/男/2/聖霊騎士】
【NPC/草間・武彦(くさま・たけひこ)/男/30/私立探偵】
【NPC/草間・零 (くさま・れい)/女/不明/探偵見習い】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ writer note ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
生まれて初めて推理物?です。
みなさんのプレイングがうまく生かしきれたかどうか……(苦笑)
思っていたよりもいろいろな推理があって書かせていただいた私
自身もとても楽しかったです。
かなり長いお話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
ちょっぴり恋愛風味なのはご愛嬌といことで(笑)
|
|
|