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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


 □七夕前日七色騒動□


 どこまでも続いているような草原で、香乃花はひとり空を見上げていた。いつもの着物姿のままべたりと草の上に座り、時折吹く風に可愛らしく結った髪を揺らしながら、ぽかんと口を開けている。

「きれーい」

 少女の上空には遮るもののない深い色の夜が広がり、輝きが点在していた。月よりも弱く、けれど確かにそこに存在する星という名の小さな灯りは、ただ静かに瞬きを続けている。決して都会からでは見られないその数と、あまりに広すぎる空に圧倒されるように、香乃花は時を忘れて星に見入っていた。
 風が草をかすめる微かな音だけが、香乃花の耳を通り過ぎてはまた響く。上向いた視界には一面の夜空。空と自分との境界線が曖昧になる感覚に、少女は眠気にも似た心地よさを覚えた。
 ――――と。

「ん?」

 夢見心地だった瞳が、瞬きを繰り返す。香乃花の視線は空の一点に注がれていた。何かが動いたような、そんな感じがしたのだ。

「気のせい……?」

 香乃花の言葉を否定するかのように、再び星の一部が蠢く。再び繰り返される瞬き。しかし、瞬きをするたび分解写真のように星が大きくなってくるのは何故なのだろうか。
 そんな香乃花の疑問はすぐに氷解した。何故なら、光をまとったその物体がどんな形をしているのか肉眼で判別できるほどに迫ってきていたからだ。それはつまり星が自分の方へ落ちてこようとしているということ。
 いや、それはもう星とは呼べない代物だった。ましてや隕石でもない。硬そうな毛、両側に生えた角、そして大きな鼻。香乃花は迫り来るその物体を見て、逃げる事さえ忘れて見入る。

『ンモ――――――――――――……………ッ!!!!!!!』

 何故か涙目になって落下してきたそれは大きくいななき、そして。
 香乃花へと、一直線に突っ込んだ。

「わっ!」

 ど――――ん。間抜けな、としか表しようのない音を立ててふたりは衝突し、
 ぱ――――ん。という威勢のいい花火のような爆発音と共に、幾つもの光が七つに弾ける。

 きらきらと光の粉を撒き散らしてかっ飛んでいく七つの物体をかすむ目で見つめながら、香乃花はそのまま意識を閉じた。
 ああ、何だかお腹の辺りが重く感じるなあ……もしかして今ぶつかった時にお腹に穴が開いちゃったのかもしれない――――





「ふわ」 

 自分の声に意識を引き上げられ、香乃花は大きな瞳を開く。夜空はなく、見慣れた木の天井と電灯の紐がゆらゆらと揺れているのを見て、少女は小さく息をついた。
 障子の向こうからは朝の気配。早朝独特の湿気を含んだ匂いをお腹一杯に吸い込み大きく吐くと、ようやく今の出来事が夢だったのだと香乃花は理解し、布団に包まったまま瞬きをした。

「でも何で、牛さんが落ちてくる夢なんて見たんだろう……?」

 いくら夢でもこれほど突拍子もないものは珍しい。うーんと枕の上で首を傾げて考えるも、考えても答えが出るようなものでもなかったので、やがて少女の興味はおかしな夢より今日の朝餉はどうしようか、という方向へと移っていった。
 だが、朝餉のみそ汁の実を決めたところでお腹の辺りに違和感を覚え、一気に夢へと思考が引き戻されると同時に少女の顔が青ざめる。
 まさか、まさかまさかまさか。本当にお腹に穴が開いちゃったんじゃ。
 しかしそんな香乃花の不安と動揺をよそに布団に包まれたお腹の上から聞こえてきたのは、

「モウ…………」

 という、か細くかつ妙にかわいらしい声だった。





 出勤途中のサラリーマンの隙間を縫うようにして、如月 佑は古びた商店街の狭間を歩いていた。
 時々喉の奥から湧き上がる欠伸をかみ殺しつつ、アルバイト先を目指していく。とはいえ、 実際に勤務が始まるまでにはまだ時間があるというのに、何故こんなに早く出勤しているのかというと、アルバイト先である香屋『帰蝶』の女主人に頼まれた事があるからだった。
 所用で遠出をする事になったので、店に残っている手伝いの少女をみてやって欲しいという言葉に頷き、いつもより早起きをしたというわけである。幸い今日は講義もないので、昨日の夜にきた女主人からの頼みの電話に、寝ぼけた声で佑は了承の返事をしたのだった。

「……まあ、ちょうどいいか」

 以前から「佑お兄ちゃんのたまご焼きのつくりかた、おしえて」と言われていた事だし、折角だから今日の朝食の手伝いをしがてらコツを教えるとしよう。
 そんな事を思いながら足を前に進めていた時。

「もし」

 不意に聞こえてきた声に足を緩め耳をそばだてると、続けざまに声が鼓膜を叩く。

「もし、お待ちをそこの方! 牛を見かけなかったであろうか?!」

 牛?
 およそ都会では聴き慣れない単語を耳にし、とうとう佑は足を止め振り返った。
 が、背後には突然立ち止まって振り向いた佑に怪訝そうな顔を向ける勤め人がいたぐらいだった。およそ牛とは縁などなさそうにない。
 いたずらだろうか。そう思い踵を返そうとした時、更に声がした。今度は足元からだった。

「そこの方、私の声が聞こえていますな? ここです、こっちです!!」

 何とはなしに嫌な予感を感じて下を向いた佑の視界に入ってきたものは、古めかしい格好をした身の丈僅か数センチの青年が、自分の靴にしがみついているという姿だった。

「ああ、ようやく気付いて下さった……。私を見ることができる人にめぐり合えずにほとほと困り果てていたのですよ!」

 佑は三秒考えるとごく小さな声で「掴まっておけ」と告げ、親指大の人間を靴にへばりつかせたまま足早に手近な路地へと入り、人目がないのを確認して膝を付く。青年は目を回したのか、頭の周りに星を飛び交わせていた。

「……で、牛がなんだって? 用件なら手短に済ませてくれ、こっちも暇じゃないんだ」

 溜め息と共に問いかければ、青年は「はっ」とようやく意識をはっきりとさせ、改めて佑へと向き合う。

「ええ、実は…………」





「もうひどいったらないんですよっ?! 全く、これじゃあ一体何の為に私たちがいるんだか分からないじゃーありませんか!! ね、あなたもそう思いません?」
「……うーんと……」

 香乃花は布団の上におーいおいおいと泣きながら突っ伏す豆粒大のかたまりを見て、困ったように小さく唸った。起き上がって間もなくわけのわからない物体に泣かれ、少女としても何が何だかというものである。
 突拍子もない夢が現実になってしまっただけでも驚くのには十分だというのに、それが動いたり喋ったりするだけならまだしも、何故か泣いているのだ。困惑しない方が無理というものだろう。
 しかし香乃花の困惑をよそに、当のかたまり……何故か大きな星マークが額にある豆粒のような黒い牛は、どこから取り出したのか、身体のサイズに合ったこれまた小さな手ぬぐいを取り出して、なおも滝のように流れる涙を拭いつつ訴え続ける。

「ここ数十年、牽牛様は七夕馬でばかり織姫様の所に! 私だってお二人をお乗せしたいのに〜! あんまりな仕打ちにモーウいい加減腹が立ちましてね、私たち家出してきたんですっ!! 牽牛様ったら、いなくなってから私の存在のありがたみに気付いたってもう遅いんですよーだ、ふふんのふんっ!!」
「牽牛、さま?」

 豆牛の口から出た、今の時期によく聞く名に反応した香乃花が何かを言おうと口を開くが、不意に雨戸を叩く音が遮る。

「おはようございますっ、佑お兄ちゃん。……あれ? どうしたの、そんなお顔して」

 うんしょ、うんしょと雨戸を開けた香乃花の前には、どこか疲れたような佑が立っていた。

「おはよう、香乃花。……いや、どうも朝から妙なものにひっつかれてな……」
「ほほう、ここが佑殿の仕事場であると! いや、なかなかに風情のある佇まいであることだ」

 ほれ、とばかりに佑が差し出した手のひらに乗っていたのは、ちんまりとした青年だった。

「うーんと、うーんと……このひと、だあれ?」
「俺にも分からん。偶然道で会って、そのままくっついてきたんだ。迷惑だとは言ったんだが、こいつしぶとくてな……。すまん、仕事場にこんなの連れてきて」
「ううん、いいよ。だっていま香乃花のところにも同じようなお客さま、きてるもん」
「何だって?」

 更に問おうとした佑の言葉は、香乃花の背後から響いてきた超音波のような泣き声にかき消されてしまう。

「あ――――っもう、くやしいくやしいくやしーいっ!! 牽牛様の馬鹿阿呆間抜けスットコドッコイのハゲチャビンっ!! 牽牛様なんか氾濫しまくった天の川でアップアップしちゃえばいいんですよキーっ!!!!」

 しかしその声に、親指大の青年が反応した。佑の手のひらから飛び降りると、一目散に香乃花の寝室へと駆けていく。
 あっという間の出来事に二人はそのままの体勢で呆然としていたが、寝室が更に騒がしくなったのを聞き、急いで寝室へと向かった。とはいってもたったの数歩だが。
 そして寝室に入った佑と香乃花を待っていたものは、昼メロのような光景だった。
 
「いやもうこの件に関しては私が全面的に悪い! だから機嫌を直して戻ってきてくれないか、牛よ! そなたがいなければ私はあの川を越えることができんのだ……!」
「けっ、牽牛様、何故ここに!! ……い、今更迎えにきたところで遅いにもほどがありますよっ。大体後悔するくらいなら、最初からえこひいきなんかしなきゃいいじゃないですか! 謝ったぐらいで私が許すとでも……。それに大体、あなたには七夕馬っていうかーわいい子がいるじゃありませんかっ!!」
「あいつはここ数年仕事をしてきて疲れたからと言って、今久しぶりの休みを取っているのだ。牛よ! 遙か昔より運命を共にしてきた者よ、ほんっとーうにすまなかった!! 反省している!! だ、だから頼むからどうぞ戻ってきてはくれまいか? でないと……」
「ないと?」

 香乃花の言葉に、牽牛と呼ばれた青年が一気に顔を青ざめさせ、更には脂汗までをもダラダラと流し始める。

「……で、でないと、今年の逢瀬に間に合わなくなってしまう……!! あああただでさえ今年は天気が不安定だからきっと機嫌が悪いだろうに、それに加えて、も、もしも、七夕の逢瀬にまで遅れたりしたら……!!」

 いっそ気の毒になるほどに身体を震わせつつ悶える牽牛を見てさすがに哀れに思ったのか、そっぽを向いていた牛がそろりそろりと顔を戻す。

「織姫様、そりゃモーウ見事な姉御系ですもんねぇ……。二十年前はちょーっと機嫌損ねただけで関節決められてましたっけ牽牛様」
「うわああああ止めてくれそれ以上思い出させないでくれ、牛……!! 記憶の隅をちらりと横切るだけでも恐ろしいというのに!! あの日私はこの世の果てというものを確かに見たぞ!」
「……果てなんぞもうとっくの昔に見ているんじゃないかというのは、この際無粋な突っ込みだと思うか? 香乃花」
「うーん、どうだろうねえ。ぼけならつっこんでもいいんじゃないかなあって思うけど」

 額を押さえながら呟いた佑の言葉に香乃花が返しているうちに、牽牛と牛の興奮も落ち着いてきたらしい。
 やがて一人と一匹はその後数分昼メロのような惨状を繰り広げつつも和解したらしく、揃って香乃花たちへと頭を下げてきた。

「どうもご迷惑をおかけしてすまなかった。そして佑殿よ、あなたのおかげで牛と巡り会えた。ありがとう」
「俺は別に……お前が勝手にへばりついてきただけだろう」
「いやいや、佑殿が偶然歩いてこなければ私は顔面に掌底及び回し蹴り数十回を食らうところでした。本当に感謝してい」
「モ――――――――――――――――っ!!!!!」

 語尾を牛の絶叫にかき消された牽牛は、突然の絶叫に頭をくらくらさせながら叫び返した。

「き、急に一体どうしたのだ、牛?!」
「けけけけけ牽牛様ぁ」
「うむ」
「こっ、このままじゃ私、帰れないということにたった今気付いたんですけど。どうしましょ……」
「なに?」
「だって今ここには、私一匹だけしかいないんですもんー」
「……どういう事だ、それは」 

 佑の問いに、牛は足でかりかりと頭をかきながら答える。

「えーとですね、私たち実は七匹で一頭あつかいなんですよ。でもここに落っこちてきた時に香乃花さんとぶつかっちゃいましてね、そのままぱーんと四方八方にちらばっちゃったと、まあそういうわけでして。私一頭じゃあとてもお空へ帰るなんて芸当は……」
「何だと? それでは他の牛は」
「モーウどこ行っちゃったんだかねぇ」
「落ち着いている場合じゃないんじゃないのか」

 呆れたように呟いて、佑は続けた。

「どこまでその牛とやらが散らばったのかは知らないが、急いで探さないと間に合わないだろう。つまりこのままじゃ牽牛、お前は確実に織姫にしばかれると思うんだが」
「!!!」

 びしーっと音がするほどに背筋を凍らせながら牽牛が固まる。
 折しも今日の日付は七月の六日、時間がないのは誰の目から見ても明らかである。

「七夕って明日でしょ? うわーうわー、それじゃあ早くさがさないとだめだよ! まってて、いそいでお布団あげちゃうから」
「おい、香乃花。まさか手伝うつもりじゃ……」
「だって、こまっているじゃない。それにこの人たち、こんなに小さかったらさがしに行く前に誰かにふまれちゃうかもしれないでしょ?」
「それはまあ、確かにそうだが……。でもどこに散らばったか分からない、それもこんなに小さな牛を一日で探すなんて、並大抵の事じゃないぞ」
「ああ、それなら心配ご無用だと思いますー」
「何?」

 いぶかしむ佑の足元へとちょこちょこと歩いてきた牛が、自分の頭を足で叩いてみせた。

「ほら、見て下さいよここ。おっきな星マークがついてますでしょ。私、分裂した牛の中でも核の意味合いを持っておりましてねぇ。他の牛の居場所なら、探しに出れば大体分かるんじゃないかと思います。大体、落下のショックで分裂したっていってもそんなに広範囲に散らばるような衝撃じゃありませんでしたしね。一番遠くに散ったとしてもせいぜい二町分ぐらいの距離かと」
「それなら香乃花もぜんぜんお手伝いできるね。それじゃあ佑お兄ちゃんと皆はまっててね、すぐにお布団かたづけて、戸締りしてくるから!」
「あ、おい」

 止める間もなくきびきびと動き出してしまった香乃花をつかまえようと差し出した手は、あっという間に行き場がなくなり、佑はその手を頭へともっていき溜め息をついた。

「……面倒ごとは嫌いなんだがな、まったく……」





 佑は走った。

「――――――――っ!!」
 
 間一髪、駆け抜けざまにその存在を掴み取る。佑が駆けたすぐ後ろで、クラクションが高らかに響いた。 

「佑お兄ちゃん、だいじょうぶ?!」
「佑殿、お怪我は?!」
「いや……平気だ」

 今は赤信号が点る横断歩道。その反対側で待っていた香乃花と牽牛が、慌てた様子で佑へと寄ってくる。牽牛は踏み潰されないようにと、香乃花の肩に乗っていた。
 しかし、と佑は電柱に寄りかかり、そっと掌を開く。手の中には目にも鮮やかなパステルブルーの豆牛が、すいよすいよと鼻からちょうちんすら出して眠っていた。のん気にもほどがある、と思いながら佑が人差し指で牛の頭を叩いてもちょうちんを破裂させただけで、何事もなかったかのようにブルーの牛は再び安らかな寝息をたてる。

「まったくいい気なもんだな。おい、いい加減起きろ」
「むに」

 しかしブルーの牛はつつこうが何をしようが一向に起きる様子を見せない。

「あー、それは私たちの中でも眠たがりの要素がつまったやつですねえ。放っといて構いませんよ、本番まで起きやしないんですから。さてはて、次の波長をびびっとつかみましたよ佑さんっ!! ささ、早く北斜め20度の方向へ!!」
「そのガイド、分かりやすいんだかそうでないんだかよく分からないんだが。もっと具体的な目標とかを提示しろよ」
「それではそこのネズミ穴を抜けてですね」
「人間が通れる道を提示しろ」
「ええと、これで今なんびきなの? 牛さん」
「ひいふうみい……今捕まえたブルー牛を入れて五匹、私を入れれば六匹です! もうすぐですよ牽牛様あっ」
「おおっ、よくぞやってくれた牛よ!! あと少しだな!」
「実際に捕獲したのは俺だろう……」

 どたばた、わいわいと騒ぎながら三人+一匹(正確には六匹)が小走りに去っていくのを、けれど周囲を通り過ぎる者たちは特に奇異な目で見るわけでもなく、平然と通り過ぎていく。傍から見れば、香乃花と佑が話しているようにしか見えないだろう。
 
「えーっと、つかまえたのはピンクさんとグリーンさん、イエローさんにパープルさんにブルーさんだよねえ。のこりの子はどんな色をしているの?」
「最後は白ですよ。いわゆるパステルホワイトってやつですね。しかしあいつは汚れやすいから今頃違う色になってるやもしれませんねぇ。くわばらくわばら」
「今まで見つけた奴らも皆、妙なところにいたしな」

 佑は数時間にわたる捕獲の記憶を反芻する。
 まず、ピンクは何故か隣の家の屋根の上でひらひらと踊っていた。次にグリーンはやはり同じような色の場所が好きなのか、道ばたの植え込みの上で葉をむしり、帽子などを作って遊んでいた。イエローは総菜屋の前にいたところを捕獲。どうやら惣菜のカレー粉の香りに引き寄せられたらしい。
 続いてパープルには多少の苦労がいった。佑が捕まえようとするとさっさかと逃げてしまい、おまけに身体が小さいものだからなかなか容易には捕まらなかったのだ。しかし香乃花が手を伸ばすとあっさりその中に飛び込んできた。黒牛曰く、女の子好きらしい。
 そして先程佑が捕まえたばかりのが、あのブルーだった。一体何を考えているのか横断歩道のど真ん中で、しかも信号が点滅している時に寝入ってしまったのを見つけ、大慌てで飛び出し捕獲したのである。一歩間違えれば大惨事だった。

「ところで黒牛」
「はいはい、なんでしょ佑さん」
「念の為に聞いておきたいんだが、最後の白牛っていうのはどんな性格だ」
「あいつはですねぇ、イエローに近いものがありますよ」
「食い意地がはっているって事か?」
「まあそうなんですが、ホワイトの場合はちょっとばかり嗜好が偏ってましてね……っとぉ、ここですここ、ここっ!!」
「!」

 勢いのついていた足を無理やりに立ち止まらせ、しばし一行は呆然と目の前にそびえるものを見つめる。

「ねえ、佑お兄ちゃん。ここ……乾物屋さん、だよねえ」
「……だな」
「おやまあやっぱりだ。ささ、早く早く入りましょー。ホワイトはきっとここにいますよ」
「うんっ」

 そう言って香乃花が古めかしい引き戸を開くと、奥から「いらっしゃい」という声と共に、ゆっくりとした足取りで老婆が現れた。割烹着を着て、人の良さそうな笑顔を浮かべている。
 さほど広くない店内はからりとした雰囲気だった。埃も湿気もなく、乾物のいい香りがほのかに満ちており、香乃花は顔をほころばせる。

「うわあ、いいにおい。ねえねえ佑お兄ちゃん、ホワイトさんつかまえたら、おみやげ買っていこうね」
「こら、あんまり大きい声で言うんじゃない。……ところで黒牛、奴はどこだ?」
「うーんとですね、それがちょっと……どっかに隠れちゃってるんでしょーかねえ。こりゃ厄介だ」
「だからってここを隅々まで調べるというわけにもいかないだろう。これでラストなんだから、
もう少し気張ってくれ。大体こっちは店閉めてまで付き合っているんだからな」
「そうですね。それじゃあちょっと牽牛様ー」
「うん? 何だ……って、う、うわあっ!! 何をするのだ牛!!」

 ちょいちょい、と手招きされるままに香乃花の肩から佑へと移った牽牛だったが、足をかけた途端に黒牛の足が牽牛を叩き落したのだ。
 地面に落ちてわめく牽牛を見下ろしながら、黒牛は白い手ぬぐいを振ってみせる。

「私たち牛どもは、主である貴方様の匂いというか気配にけっこう敏感なんですよー。だから牽牛様が比較的匂いの伝わりやすい場所にいれば、きっとホワイトも何かしらの行動起こすと思いますので、頑張って匂いと存在感を振りまいてやって下さいなー」
「牛よ、お前たちは犬ではないのだから、そんなに匂いに敏感なわけは……」
「……どうやらそうとも言い切れないらしいぞ、牽牛。後ろを見ろ」
「何?」
 
 かりぽりかりぽりかりぽりかり。
 珍妙な音に気付いた牽牛が振り返った先には、のんびりとした顔で干ししいたけをかじっている、どこか温かみのある白い色をした牛がいた。

「はーいおびき出し成功ですね。というわけで香乃花さん、さっくり捕獲お願いします。干ししいたけがあるうちはいいですけれど、それを食べつくしちゃったらあいつきっと牽牛様までばりばり食おうとしちゃいますから。あいつ白っぽい食べ物大好物ですからねぇ」
「……お前ら一体どんな牛だ……。それじゃ香乃花、俺が壁になるからお前は商品見ているふりをして、白いやつを捕まえてくれ。ついでに牽牛も」
「うん、わかった」
 
 そう言った香乃花がしゃがむと、佑は見るともなしに老婆の前に陳列されている商品を眺めていく。

「乾物って、スーパーとかでしか買ったことないからな……。こうやって見ていると新鮮だ」
「お兄ちゃん若いのにこういうのに興味あるのかい? 何だかうれしいねえ。ほれ、これ食べてみなさい。さっき作ったばかりだから、まだあったかいよ」
「え、でも」
「いいからいいから、ほうら」

 試食用の白い容器に入れられた、煮たかんぴょうを爪楊枝で口に運び、佑は煮汁のうまさについ首を縦に振る。

「……うまい」
「ほうら、そこのおじょうちゃんも。かんぴょうは好きかい?」
「うん、好きだよ!」

 無事に白牛と牽牛を捕獲した香乃花も立ち上がり、かんぴょうを咀嚼すると嬉しそうに微笑んだ。
 しわくちゃの顔をもっとくしゃくしゃにしてその光景を見つめていた老婆だったが、香乃花にどうやって煮物の出汁を取っているのかと聞かれ、

「うちで売ってる干ししいたけがあるだろう? あれとお砂糖とおしょう油とね、それぐらいだよ」
「そっかあ……。ねえねえ佑お兄ちゃん、しいたけさん一ふくろ買っていこうよ。ほら、もうすぐ七夕さんだし、おそうめんのつけ汁とかこれで作ろう?」
「なら彩りついでに錦糸たまごでも作ってやるよ。俺のたまごの焼き方どうやるのか知りたいって香乃花、言ってただろう? ちょうどいい機会だしな」
「うん!」

 にこやかに笑う香乃花の肩で、白牛が小首を傾げる。
 そのきょとんとした仕草にほんの少しだけ苦笑すると、佑は干ししいたけの袋と代金をそっと老婆へと差し出したのだった。





「本当に何から何まで迷惑をかけてしまい、すまなかった。これからは牛が寂しがらないように、七夕馬とは交互に乗ることにしようと思う」
「それだとこっちも異存はないですよ。ねえみんな」
『モ――――――――』

 色とりどりの牛が一斉に足を振り上げて賛同するのを見て、香乃花もうんうんと真剣に頷く。
 全てが終わってここ『帰蝶』に戻ってくると、既に六時を回っていた。ほんのり日が傾いた、それでもまだまだ明るい夕方の空の下、佑と香乃花は縁側で小さな客人たちと向き合っていた。

「もうけんかしちゃ、だめだよ?」
「ええ。しかし助かったですモー、お二人がいてくれなければ明日の今頃牽牛様、天の川の藻屑になっていたと思いますよきっと! あーこわい」
「言うな牛! 考えるだに恐ろしいとはこの事だ……!!」

 一気に血の気が引いた牽牛は牛の言葉を手で制し、「それでは」と頷いた。
 牛たちもまたそれに頷きで返すと、発光を始める。最初はぼんやりとしていた光は徐々に輝きを増していき、やがて縁側に夕暮れの光よりも強く眩い輝きが満ちる。
 だがそれも一瞬のことだった。光は瞬く間に収束し、目をかばっていた二人が再び目を開くともうそこには既に色とりどりの牛たちの姿はなく、光の加減によって七色に煌めく一頭の大きな牛がそこにいた。
 それにまたがっているのは、普通の人間と変わらない大きさへと戻った牽牛。
 一人と一匹は同時に礼をすると、身体の重さなど感じさせないように軽やかに地を蹴り、薄い色の空へと舞い上がっていく。
 牽牛が手を振り、牛が尻尾を振った。香乃花も首が痛くなるほどに空を見上げ、力いっぱい手を振り返す。佑はただ黙って見上げているだけだったが、ほんの少しだけ心の中で手を振った。

「いっちゃったね」

 牽牛たちが残した輝きの残滓すらも大気に溶けてしまってから、ようやく香乃花が口を開いた。
 まだ名残惜しげに上向いた小さな頭を、黙って佑がその大きな掌で撫で、そして促す。

「……ほら、香乃花。もう少ししたらご主人帰ってくるだろ。晩飯のしたくもしないとな」
「…………うん」
「飯のしたくが終わったら、笹、もらってくるから。……折り紙とかあるだろ、それ切って紙の鎖とか作ったりしてさ」
「……うん」
「短冊も作ってやる」
「あのね、佑お兄ちゃん」
「?」
「香乃花ね、たんざく作ったらいっぱい、いっぱいおねがいごと書くね。そしてね、織姫さまと彦星さまが今年もあえますようにって書くの」
「…………ああ。いっぱい書いてやるといい」

 そう呟いて、佑は空を見上げた。
 





 帰宅した女主人と共にひと足早い七夕の料理を食べた香乃花と佑は、その夜揃って短冊を書き、鮮やかな折り紙で作った飾りを、ひとつひとつ丁寧に笹につけていった。
 天候の気まぐれか、はたまた神が二人の願いを聞き入れたのかは定かではないが、次の日の夜はそれは見事な天の川が夜空を走ったという。

 女主人はその日の事を、後にこう語っている。

「ええ。あの時はあの子たち、同じような顔をして夜空を見上げていたものよ」

 ――――と。







 END.