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世界は混沌としている
●オープニング【0】
いったい、何が起きているというのだろう。
いつもと同じように見える世界。だけど――微妙に少しずつ、少しずつ何かが変わってきているような気がする。
混沌、とでも呼ぶのだろうか。先の未来が見えにくく思えるのだ。
だが立ち止まっている暇などない。混沌としている間は、まだどうにでもなるのだ。動きさえすれば。
事実、動いている者たちは多く居る。例えば『白銀の姫』のモンスターデータベースを作ろうとしていたり、接点の探知システムを構築していたりなどなど。前者はようやく稼動し始め携帯電話からもアクセス可能になっており、後者も稼動までもう一息といった所のようだ。
動くことにより、新たに見えてくることだってある。その目で、その耳で、自らの心で、今の世界を感じ取るといい。そこから真実をつかみ取ることだって出来るだろう。
世界は混沌としている。あなたの行動に女神の祝福あらんことを――。
●タネを仕掛ける【1】
新宿某所・とある探偵事務所――いつものように超ミニスカートをはいているため、すっかり露な御脚を机の上に投げ出していたジュジュ・ミュージーは、事務所の電話を手にしてどこかへかけているようであった。
1コール、2コール、そして相手が電話に出る。
「はい、神聖都学園大学部……」
事務方だろう、女性職員がそう名乗った。次の瞬間、ジュジュの真っ赤な唇の端が軽く上がった。
「ン……よろしくデスネェ」
とだけ言うジュジュ。用件も何も言ってはいない。けれども、若干の間があってから相手の女性は答える。
「……かしこまりました」
ジュジュが何も言っていないのに、だ。まるで全てを把握したかのように。
そして電話を切るジュジュ。そのまま椅子の背もたれに大きくもたれかかり、窓の外の風景を逆さに見た。
「フフ……後は待つダケネ」
ジュジュが妖しい笑みを浮かべる。机の上には、フリーライターである鷹旗羽翼の名前と携帯電話番号などが記されたメモが1枚あった――。
●調べる者、2人【2】
「ふう……」
シュライン・エマが大きな溜息を吐いたのは、何も暑さのせいだけではないだろう。神聖都学園敷地内でのことである。
(それほど気にしていなかったのが、逆に心苦しかったわね)
今日のシュラインは、冬美原情報大学の坂上史郎教授に会ってきていた。そこで、坂上に謝罪をしてきたのである。先日坂上が狙われたのは、シュラインが書いてもらった紹介状を神聖都学園の大学部に持ち込んだからではないか――と思ったのだ。
幸い坂上は怒ってなどおらず、むしろシュラインに気にしないようにと言ってさえくれていた。『紹介状は万能ではないからね』とは坂上のその時の言葉である。
しかし、そう言われると余計に心苦しくなるのがシュラインの性格な訳で。
(ともあれ、これからは注意して動かないと)
シュラインは改めて気を引き締め、調査をすべくどこかへと歩いていった。
その数分後、それまでシュラインが居た付近に、神聖都学園高等部の制服に身を包んだ小柄な少女が姿を現した――亜矢坂9すばるである。
「……何かがおかしい」
ぽつりつぶやくすばる。けれども近くに人は居ないので、そのつぶやきを聞かれることはない。
(どうして、日中からあれほど警備員を配置する必要があるのだろうか?)
すばるのこの疑問は、先程大学部の校舎を調べに行った時に浮かんだものであった。
神聖都学園の生徒である(任務上、全ての高校の生徒となりうるのだが)すばるだから、同じ敷地内にある大学部を見に行ってもそれほど怪しまれることはない。大学部はどんなことをしているのかと、見学に来る高等部の生徒は別段少なくないからだ。
しかし、今日の場合は妙であった。やんわりと(それでいて有無を言わさない雰囲気もあり)ではあるが、警備員に制止されることが少なからずあったからだ。その頻度が多いと感じられたのは、電子工学科の研究棟に入った時だったろうか。
「そういえば……」
すばるはふと気付いた。警備員の数も、電子工学科の辺りは多かったのではないかと。いや、全体的に多いように思えたのだが、気のせいか電子工学科にはより力が入っているような……。
(隠蔽工作の対象場所……かもしれない)
調査の過程で、神聖都学園が何かを隠しているらしいということは徐々に分かってきていた。ひょっとすると、警備員の増強と隠蔽工作には強い関連性があるのかもしれない。
「……やはり一刻も早く強権を発動すべきだ」
すばるは再びつぶやくと、足早にどこかへ移動していった。連絡を取るべく――。
●それを手に入れた経緯【3】
アンティークショップ・レンはにわかに賑やかであった。
「頼まれてた件だけどさ」
店を訪れた田中裕介を少し待たせ、奥から戻ってきた碧摩蓮は1枚のメモを手にしていた。
「分かりましたか?」
間髪入れず聞き返す裕介。
「そう慌てることもないだろう? 結果は逃げやしないから」
蓮ははやる裕介を制し、話し始めた。
「そもそも、あたしはあれを直接仕入れた訳じゃないのさ。業者から『こんなのがある』って言われて引き取ったもんだからね」
少し先にあるテーブルを指差す蓮。そこにはアリアが出てきた件の壊れたノートパソコンと、自分のノートパソコンを持ち込んで何やら作業を行っている金髪女性の姿があった。
「……しかし物好きだねえ。壊れたパソコン相手に、あんたの義姉さんは。最初一瞬、年上の彼女でも連れてきたのかと思ったけどさ」
金髪女性――隠岐明日菜に視線を向け、蓮がニヤリと笑みを浮かべた。明後日の方を向き、ぽりぽりと頬を掻く裕介。蓮がそう言うのも仕方がない、何せ店に入ってきた時には明日菜は裕介の腕を抱いてとても嬉しそうにしていたのだから。
「あの、話の先を……」
この話題を延々と引っ張られるのは照れるのか、裕介は蓮に話の先を促した。
「ああ、そうだったねえ。その業者はあれだよ、事故死した人の遺品を引き取ってきたのさ。ほら、時々聞くだろう? 遺品がそばにあると、その人のことをついつい思い出して悲しくなってしまうから、手放してしまうなんてケース」
「ああ……なるほど」
頷く裕介。その気持ちは理解出来なくもない。遺品というのは在りし日のその人のことを偲ばせてくれるが、逆に失った悲しみを再び思い起こさせることだってある。遺品を処分したからといって、何ら責められることなどない。
「それで頼まれた業者が引き取って、あのノートパソコンがうちに回ってきたという訳さ。何でも愛用品だったらしいから、うちに回す方がいいと業者も思ったんだろうね。愛用していたら、想いも詰まってるだろうし」
ここまで聞いて、裕介は合点がいった。レンとノートパソコン、何だか不似合いに感じられたのだが、想いが詰まっているとなれば別だ。やはり、ここへ来るべくして来たのだろう。
「ただあいにく、誰から引き取ったのか業者も覚えてないらしくてね。そこも下請けだから。でも、どこで引き取ったのかは覚えてるそうだから、住所聞いておいたよ。ほら、これ」
と言って、メモを裕介に手渡す蓮。そこにはマンションらしき住所が記されていた。裕介は礼を言うと、すぐさまそこへ向かうべく店を飛び出していった。
●そこに、残された物【4】
「はあ、なるほど。やはり正確ですねえ」
裕介の店を出てゆく足音を聞きながら、セレスティ・カーニンガムは感嘆の言葉をつぶやいていた。
目の前では、方眼紙に地図を記すアリアの姿があった。描いているのはアスガルド、つまり『白銀の姫』ゲーム内の地図である。アリアの記憶にある地図を、そのまま記しているのだ。
といっても、現実世界で売っている地図みたく事細かに詳細が記されている訳ではない。それでもどこに何があって、街道はどうなっていてというのは十分把握出来る内容であった。
「変更が加えられていない限り、こうだと思いますが」
地図を描き終え、アリアはセレスティに方眼紙を差し出して言った。セレスティはそれを受け取ると、しげしげと眺めた。
「いえ、ありがとうございます。確かこんな感じでしたよ」
ゲーム内での記憶と突き合わせ、セレスティが言った。地形に関しては、アリアがこちらに来た時点とまだ同一であるらしい。
「その地図を、どう使われるんですか?」
アリアが素朴な疑問をセレスティに投げかけた。
「……突き合わせてみるんです。こちらで起こっている事件の、発生場所と」
ふっと笑みを浮かべるセレスティ。その時、明日菜の声が店内に響き渡った。
「あーっ、もうっ!! 何なのこのディスクってば!! エラーばっかで、ろくに読めやしないわよっ!!」
明らかに苛立ちの声である。これが喜びの声であるならば、声を発した人物はやや特殊な性癖を持っていると言わざるを得ないだろう。
さてさて、明日菜が何をやっているかといえば、壊れたノートパソコンのハードディスクから、データが読み出せないかと試みていたのである。
一口にノートパソコンが壊れたといっても、その症状は多種多様。メモリなどパーツの異常により動かなくなった場合もあれば、液晶画面が使えなくなった場合だってある。はたまたハードディスクの故障だとか、単に内蔵電池が切れて起動しなくなったなんてこともある。
で、件のノートパソコン。アリアが飛び出してきたおかげで液晶画面は完全に壊れてしまっている。けれども、ハードディスクの方は外見からすると壊れてはいなかった。となれば、ハードディスクだけ取り出して、外付けディスクなりにして別のパソコンに接続すれば、データにアクセス出来るかもしれない。そう考えて明日菜はやってみたのだが……先程の言葉通りである。
元からだったのか、あるいはアリアの飛び出してきた影響を受けてしまったのか、データにアクセス出来ないのである。ディスクユーティリティツールで調べてみると、エラー報告が出てくる出てくる。けれども、それを回復させようとしてもまたエラーとなってしまい、遅々として作業は進んでいなかった。
「ふふ、もうこうなったら奥の手ね……」
明日菜はそう言って不敵な笑みを浮かべると、何やら別のアプリケーションを起動させた。そして、件のハードディスクにアクセスしてゆく。
「……セクタの内容を取り出して……復元して繋げて……」
キーボードを叩きながら、ぶつぶつとつぶやく明日菜。視線は画面を一点凝視。……ああ、何かここだけ別世界って感じ?
●失われた痕跡【5】
裕介はメモに記された住所に来ていた。そこは5階建てのマンション、メモにあったのはその4階の一部屋である。
「ここですか」
部屋の扉の前に立つ裕介。しんとしていて、中に誰か居るような気配は感じられない。が、とりあえずチャイムを鳴らしてみる。……反応がない。
「すみませーん」
裕介はドンドンと扉を叩いて呼びかけてみた。少しして扉が開いた。隣の部屋の。
「うるさいわねっ!!」
隣の部屋から顔を出したのは、パジャマ姿の眠た気でご機嫌斜めな女性だった。この時間に寝ていたということは、ひょっとしたら夜のお仕事な女性かもしれない。
「こっちは夜から仕事あんのに、寝れないじゃないっ!!」
ほら、やっぱり。
裕介は慌てて非礼を詫びると、訪ねた部屋の住人のことについて聞いてみた。すると、こんな話が返ってきた。
「え、お隣? 何か学生さんだったみたいだけど……よく知らないわね。だいたい時間帯が違うし。あ、今は空き部屋よ。何か事故で亡くなったんでしょ? 荷物運び出してる時に、母親らしい人がそんなこと言ってたの聞こえたから。そんな部屋、なかなか次決まらないわよねえ……」
それを聞いて、裕介は表札を見た。確かに、そこは空白になっていた。空き部屋となっているのなら、無理矢理入っても仕方がないだろう。そもそも何も調べる物がないのだから。だが、学生であったというのは大きな手がかりである。
「名前は分かりますか?」
「えっ? あー……確か引っ越してきた時に、挨拶に来てくれたから……あ……あさ……あさぎ……?」
記憶が定かでない女性。下の名前を聞き出すのは困難そうだった。下手すると、上の名前もどこまで正確か分かったものじゃない。
「酔ってたから覚えてないんだけどさぁ……何かひょろっとした感じのメガネくんで……。そうそう、神聖都学園だっけ? そこの学生だって言ってたかも」
はい? 神聖都学園の学生?
●消された痕跡【6】
裕介が件のノートパソコンの持ち主の部屋だった所を訪れていた頃、シュラインもまたとあるアパートを訪れていた。
それは神聖都学園での聞き込みによるものだった。最近亡くなった学生は居ないか、聞いたことはないかなどを尋ねていると、ある学生2人組からこんな話を聞くことになったのだ。
「それは知らないけど、最近姿見ない人は居るかなあ」
「あっ、あの偉そうな院生?」
「そ、そ。何かいつも俺らのこと馬鹿にしてんだよなー。見下した目してるっていうか」
「見なくて清々するよ」
その話に興味を覚え、その院生の住所などを聞き出してやってきたという訳だ。
「……留守かしら」
2度3度と扉を叩いて返事がなく、シュラインが溜息とともにつぶやいた。すると、不意にシュラインに向かって声がかけられた。
「引っ越されましたよ?」
それは同じアパートの住人のおばさんだった。何でも、1ヶ月ほど前に急に出ていったのだという。
「こんなこと言っちゃああれだけど、うるさかったし、ごみはきちんと分けないし、夜中に何かごそごそやってたしねー。出ていってくれて、ほっとしてんのよ、あたし」
聞いてもいないのに、勝手に話してくれるおばさん。どうやら、近隣住人とはあまり親しくはなかったようである。
「あの、それでどちらに引っ越されたとかは分かりませんか?」
「分かんないわよ、そんなの。付き合いないんだもん。会社に聞いてみたら?」
おばさんは言いたいことだけ言うと、さっさと自分の部屋に入ってしまった。仕方なく、シュラインは携帯電話を取り出してこのアパートを管理している会社に電話をかけてみた。
その結果、引っ越し先は管理会社も知らないということであった。『教えられない』ではないことから、本当に知らないのであろう。しかし、お金の関係などはきちんと処理していったので、管理会社としては問題視していないらしい。受け取る物は、きちんと受け取っているのだから。
「タイミングよすぎない?」
礼を言って電話を切ったシュラインは、眉をひそめた。何でこのタイミングで引っ越しをしたのか。それも、管理会社に引っ越し先を知らせることもなく。まるで、自分に繋がる糸を消すかのように。
「木場鋭次……かあ」
シュラインは探しているその院生の名を、しっかりとつぶやいた。
この時、かなり遠くで竜の咆哮に似た音が聞こえてきたのはシュラインの気のせいだったろうか――。
●タネは破られる【7】
「SHIIIIIIIT!!!」
室内に、強く机に拳を叩き付ける音が響き渡った。夕日差し込む、ジュジュの探偵事務所でのことである。
「……よくもやってくれたデスネ」
爪を強く噛むジュジュ。様子が穏やかではない。
それもそのはず、ジュジュの作戦が途中で阻まれてしまったからである。自らの使役するデーモン『テレホン・セックス』により、大学上層部の人物に憑依させて情報収集し、その後洗いざらい記者会見を開かせて語らせよう……そう考えていたのだ。その取っ掛かりとして、少し前に神聖都学園の大学部に電話をかけた訳である。あの時、女性職員にはもうデーモンを憑依させていたのだ。
途中まではそれは上手くいっていた。ジュジュの今回の雇い主たる羽翼の元には、データが少しずつメールで送られてきていたのだから。だが、思わぬ邪魔が入ったのだ。
敵は同じ眷属であっただろうか。敵は憑依していた人物からジュジュの使役するデーモンを強制的に追い出すと、攻撃を仕掛けてきたのである。ミクロ単位であるというのに、それもほぼ正確に。
それによりデーモンを傷付けられたジュジュは、作戦を中途で切り上げざるを得なくなってしまったのだった。それで、先程の怒りに繋がる。
「ミーを馬鹿にした罪は大きいデス……クククッ……」
首をかっ切る仕草を見せるジュジュ。夕日がジュジュの真っ赤な髪を、さらに紅く染め上げていた……。
●ままならぬことだってある【8】
「もう1度、お願いします」
すばるは電話の相手に、そう言い返した。だが、再び返ってきた言葉は一言一句変化がなかった。
「……強権が発動出来ないとは、どういうことか」
思わずすばるは詰問調になっていた。納得出来ない答えであったからだ。
「強権を発動するに至る根拠に不足が生じている。現場のなおの調査に期待する」
電話の相手は淡々とそう答えた。
「どこに不足が生じているのか、教えていただきたい。調査によりまとめたデータは送信しているはず」
「無論、目は通させてもらった。よくまとまっていると思われる。神聖都学園が何かを隠していることは、揺るぎない事実だろう」
「ならば何故」
相手の回答に納得出来ないすばるは、さらに聞き返した。すると電話の相手は、声をひそめてこう言った。
「……権力を持っているのは、何も我が省だけではない」
その瞬間、すばるは気付いた。何故に神聖都学園がこの巨大な学園を維持出来ているのかということに――。
「……圧力……」
すばるは独り言のように言った。合っているか、確認する気もなかった。
「そろそろ、衆議院解散の声も聞こえてきてね……それだけでもないが……」
電話の相手も独り言のように言う。このやり取りだけで、おおよそ何があったか分かったような気がした。巨大な学園を維持するためには、それなりの力が必要なのであろう、やはり。いやはや、政治の世界は複雑怪奇である。
「ともあれ、我々は現場のさらなる調査に期待する」
電話の相手は、そろそろ締めに入ってきた。
「……現場の活動を、規制する気はないから頑張ってくれたまえ」
最後にそう言って、向こうは電話を切る。それはすなわち、現場レベルで何が起ころうと、黙認するという意味合いではなかろうか。
この件に関しては、省レベルでのバックアップはもう期待出来そうにもない。しかし、すばるはいくらでも動くことが出来る。
まだ、この件は終わっていないのだから。
●報告【9】
夜・鎌倉のとある教会――そこのシスターである隠岐智恵美は明かりの下で、繕い物をしていた。その時、電話のベルが静かな教会に鳴り響いた。
「あらあら、どなたかしら」
繕い物を中断し、電話に出る智恵美。受話器の向こうから低い中年男の声が聞こえてきた。
「先日振りですね」
それは智恵美のよく知った声であった。
「ええ、そうですね……アルベルト」
静かにつぶやく智恵美。相手の名前はアルベルト・ゲルマー、IO2の捜査官である。
「で、何のご用です。世間話をするために、わざわざ電話をかけてきた訳ではないでしょう?」
「もちろんです。1つだけ、お伝えしたいことがありまして」
「……何です」
「組織として、正式に動くことになりました。以上です」
「そうですか。思ったより早かったですね。わざわざ知らせてくれてどうもありがとう、アルベルト。近くに来ることがあれば、お寄りなさい。和菓子をご馳走してあげますから」
「……子供じゃないんですから」
「私からすれば、あなたも子供ですよ」
困ったようなアルベルトの言葉を聞いて、智恵美はくすっと笑った。
そして電話を切る智恵美。繕い物に戻ることなく、思案を始めた。
(きっと向こうも、神聖都学園には目をつけているでしょう)
それはもはや確信であった。裕介からの報告では、件のノートパソコンの持ち主は神聖都学園の学生だったという。また、明日菜からの報告では、ハードディスクのセクタから可能な限り情報を取り出してみたら、所々に『神聖都学園』『白銀の姫』『浅葱孝太郎』などという文字が発見出来たという。
「……明日菜が今夜動くのは、正解だったという訳ですね……」
そうつぶやいた智恵美は、今頃は神聖都学園に居るであろう明日菜に思いを馳せた。少なくとも今夜は、IO2の邪魔は入らないだろうから。
●潜入【10】
(とにかく急がないと)
その頃、明日菜は神聖都学園大学部の電子工学科の研究棟に居た。より詳しく場所を言うなら、研究棟の排気ダクトの中に。この場所と時間からして、見学に来たのだなと思う者は皆無だろう。この状況は、忍び込むというのだ。
義母の智恵美が入手した見取り図をしっかり頭に叩き込み、明日菜が目指すのはその中でもっとも大きな部屋であった。
考えてみればいい、あんなに複雑な世界を構築している『白銀の姫』が小さなパソコン1台で動いているはずもない。スーパーコンピュータなりが使用されていると考えるのが普通だ。ならば、大きな部屋が自ずと必要となる。そこを目指すのは、もっともなことであろう。
しかし、明白に目的地が決まっていて、排気ダクトを伝っていても、ぼやぼやしている時間的余裕はなかった。セキュリティシステムは入っているし、警備員もうろうろしている。
一応、セキュリティシステムはハッキングして少しの間黙らせている。セキュリティシステムのエリアがブロック化されていなかったおかげで、1回黙らせるだけで済んだのは幸いだった。
それでも、時間が経つと誰かがセキュリティシステムの異常に気付くに違いない。せいぜい30分くらいだろう、活動出来るのは。
手慣れた様子で、排気ダクトを進んでゆく明日菜。きっと過去何度もこんな経験があるのだろう。でなければ、狭い排気ダクトを速やかに動けるはずがない。
やがて明日菜は、目的の部屋に到着した。蓋を外し、部屋へ降り立つ明日菜。そして、ぐるりと部屋を見回した。
「これはちょっと……予想外……?」
首を傾げる明日菜。その部屋には、スーパーコンピュータにアクセスするための端末となるパソコンが何台も置かれていた。だが、不自然にぽっかり大きく空いた空間が1つ。思うに、スーパーコンピュータの1台くらい十分に置くことの出来る空間が――。
(どこか別の所に移動させたって訳ね)
この状況は、そうとしか考えられない。問題はどこに移動させたのかということだが、それを今考える暇はなかった。部屋の外で足音が聞こえてきたのだ。
明日菜は慌てて、排気ダクトに戻っていった。
●秘密の情報【11】
真夜中、冬美原――冬美原情報大学にある坂上の研究室。セレスティが訪れ坂上とあれこれ話していた所に、羽翼がやってきた。
「おや」
意外そうな視線をセレスティに向ける羽翼。まさかこんな時間に誰か来ているとは思わなかったのだろう。それを言ったら、自分もそうなのだが。
「はは、夜に千客万来か。居酒屋を開くと儲かるね」
笑って羽翼に席を勧める坂上。半分冗談に聞こえないのが、少しあれなのだが。
「何の話してたんです、教授?」
羽翼が尋ねると、代わってセレスティが答えた。
「探知システムの件で少し。今までモンスターが出現した場所に、カメラを設置したということを教授へご報告に。ひとまず、データを蓄積させています」
どうやらモンスターの種類を照合するために利用するつもりのようだ。この辺りは、画像処理とパターン認識を用いて、データベースと突き合わせることになるのだろう。
「そういう君はどうしたね?」
坂上が聞き返すと、羽翼は答える代わりに紙の束を鞄から取り出して見せた。
「……これは?」
坂上とセレスティが揃って羽翼を見た。
「出所はまあ、聞かずに。神聖都学園に関わるものですが、とにかく見てもらえば」
苦笑する羽翼。ともあれ、目を通し始める坂上。しばらくして、驚きの表情を見せた。
「アクセス不能によるプロジェクト中止……?」
「だそうですよ。コンピュータに何かトラブルが起こったんでしょう」
羽翼が坂上に答える。坂上は、なおも書類の文字を追ってゆく。
「……何だい、これは。チームの教員の大半が、別の大学に転出してるじゃないか」
そうなのだ、プロジェクトに関わった教員の大半が別の大学へ出ていってしまっているのである。偶然なのか、それとも意図的なのか……?
「教授はどう思います?」
「まさか、プロジェクトの失敗を徹底して隠そうとしてるのかい?」
「それだけならいいんですがねえ……」
羽翼が眉をひそめた。本当なら、今頃は記者会見の原稿を書いている真っ最中だろう。だが予期せぬ邪魔が入り、こんな中途半端な情報しか手に入れることが出来なかったのだ。
(絶対まだ何かあるよなぁ……)
神聖都学園により怪しさを覚える羽翼であった。
「ここでもまた神聖都学園ですか……」
セレスティは持参していた2枚の地図に視線を落とした。1枚はアリアに描いてもらったアスガルドの地図、もう1枚は事件の発生場所をプロットした現実世界の地図である。
2枚の地図を重ねると、事件の発生場所などはアスガルドの街のある場所などに重なってくる。そして、兵装都市ジャンゴと神聖都学園の位置も見事に重なっていた。
そこで1つ気になるのは、事件の発生場所である。日時も合わせて記しているのだが、それらは次第に神聖都学園に近付きつつあって――。
【世界は混沌としている 了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 整理番号 / PC名(読み)
/ 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0585 / ジュジュ・ミュージー(ジュジュ・ミュージー)
/ 女 / 21 / デーモン使いの何でも屋(特に暗殺) 】
【 0602 / 鷹旗・羽翼(たかはた・うよく)
/ 男 / 38 / フリーライター兼デーモン使いの情報屋 】
【 1098 / 田中・裕介(たなか・ゆうすけ)
/ 男 / 18 / 孤児院のお手伝い兼何でも屋 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)
/ 男 / 青年? / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 2390 / 隠岐・智恵美(おき・ちえみ)
/ 女 / 46 / 教会のシスター 】
【 2748 / 亜矢坂9・すばる(あやさかないん・すばる)
/ 女 / 16? / 日本国文武火学省特務機関特命生徒 】
【 2922 / 隠岐・明日菜(おき・あすな)
/ 女 / 26 / 何でも屋 】
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■ ライター通信 ■
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・『東京怪談 白銀の姫・PCクエストノベル』へのご参加ありがとうございます。本作の担当ライター、高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・なお、本作の文章は(オープニングを除き)全11場面で構成されています。今回は全員同一の文章となっております。
・今回の参加者一覧は整理番号順で固定しています。
・大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。ここに、現実世界での状況をお届けいたします。この状況で、第3回ミッションに至るということになります。
・シュライン・エマさん、ご参加ありがとうございます。今回は周辺情報が手に入ったかもしれません。名前もフルネームで判明していますしね。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。きちんと目を通させていただき、今後の参考といたしますので。
・それでは、またお会い出来ることを願って。
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