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<東京怪談ノベル(シングル)>


残炎涙々


 さらさら、と流れる川が落ちた葉を運んでゆく。
葉を落とした本人は、その流れてゆく緑色の葉をじっと眺めていた。
そして川の先に消えると、また手近な葉をぶち、とちぎって川辺に落とす。
 そんなことをしているうちに、赤い陽は川べりの向こうに落ちてゆく。
まるで沈んでいく太陽を見送るように、彼女は川辺に立ったまま、動かない。
 やがてあたりには段々と闇の濃さが増してゆき、彼女の姿を覆い始めた。
その彼女を守るかのように、淡い光が一つ、また一つ、と彼女の周囲で舞い始める。
彼女はゆっくりと首を動かし、「…嘘。」と呟いた。
本当に現れるとは思っていなかったのだ。
思っていなかったから、彼女は立っていたのに。
「嘘じゃねぇぜ。ようこそ、琳琅亭へ」
 彼女の呟きに答えるように、低い声が響いた。
彼女が振り返ると、川辺の端に、長身で体格の良い男が一人、立っていた。
黒いサングラスをかけ、頭を坊主のように丸めているその姿は、こんな刻でなくても異様に感じられた。
「…蛍屋さん?」
 男は彼女の問いかけに苦笑を浮かべて、首を横に振った。
「惜しい。蛍の、風鈴屋さんだ」
 そう答えると、くるりときびすを返して道にほうへ帰って行く。
彼女は置いていかれた気分になって、慌てて彼の背中を追いかけた。









「あんたは、此処がどういうところか知ってるのかい?」
 男―…フェンドは長椅子に腰掛けさせた少女に煎茶を淹れながら、尋ねた。
少女は曖昧に首を振る。
「…噂だけ。亡くなった人が、風鈴になってるんでしょう?」
「よくそんな噂を信じたもんだ」
 フェンドはまるで都市伝説のような自分の店への噂に、思わず苦笑を浮かべた。
流した奴も奴だが、それを信じてわざわざ川辺までやってきた彼女も彼女だ。
「信じてないわ。本当に信じてたら、来てない」
 彼女は不必要な愛想を振りまこうとはせず、短く返す。
少女の歳の頃は16程。歳の割りに素っ気無い態度を見せる彼女に、フェンドは湯飲みを差し出しながら云う。
「そういや、まだ名前聞いてなかったな」
 フェンドの言葉に、少女は短く一言だけ答えた。
少女の答えに満足し、軽く頷いてからフェンドは云う。
「そっか、俺はフェンドという。此処の責任者だ」
 フェンドはそう言って、手近にあった椅子に軽く腰掛けた。
少女はふ、と顔を上げてフェンドを見た。
「…お兄さんが、風鈴を作ってくれるの?」
「俺は作らねえ。探すだけだ」
 少女は信じていないと言いつつも、すがるような目でフェンドを見上げた。
そしてふぅ、と溜息を吐く。
「…風鈴、二つあるよね」
「二つ?」
 フェンドは眉をぴくりと動かして、少女を見つめる。
この店の風鈴は、全て故人の想いから作られるもの。
故に同じものは二つとしてなく、また故人に縁がある者が求めるそれもまた一つのみ。
店は遺族だけしか見つけることは出来ない。ならばこの少女も、誰かの遺族ということになる。
―…だが、その少女が求める風鈴は二つだという。
 フェンドは考えるように顎に手を当て、ふむ、と呟いた。
「―…双子、か?」
 フェンドの短い一言に、少女はぴくり、と反応する。
「…そう、双子よ。そして私は、あの子たちの姉だった」
 蒼花の言葉は過去形で綴られる。
それは彼女の言う双子が、既にもうこの世にはいないことを示していた。
「私たちは孤児院で育ったわ。私とあの子たちは一緒の日に捨てられて、ずっと一緒に育ってきたの。
末の妹はおてんばで、上の男の子は大人しい子。…私たち三人、仲が良くて。
孤児院の先生たちにも、あんたたちは本当にそっくりねって言われてた」
「…つうことは…三つ子、か?」
 フェンドの言葉に、少女は暫し床の方を見て固まる。
そして暫く経ったあと、彼女は微かに頷いた。
「そうよ。…三つ子が何か悪いことでも?」
 フェンドは肩をすくめて、
「いいや、誰も悪いなんて言っちゃいねえよ。それで?」
 椅子に腰掛けた足を組み、少女に続きを促した。
信じていないと豪語する彼女が、自分の妹弟のことを語りだしたことに、フェンドは驚きはしない。
この店は、そういう店だからだ。
 蒼花は先ほどフェンドから手渡された湯飲みを手の中で回しながら、独り言のように言った。
「…私たちのいた孤児院は、恵まれてた。そりゃあ貧乏だったけれど―…環境が良かったの。
先生たちも優しくて、私たちを必死に守ってくれた。
そんな中で私たち、不自由せずに育ったわ。
先生たちが優しかったのは、私はとてもありがたいことだったと思ってる。
弟―…真ん中の男の子はね。頭が少し弱かったの」
「―…知的障害、か?」
 フェンドの声に、少女はしっかりと頷く。
「あの子の世界は、7歳のままで止まってたわ。止まった刻の中でずっと暮らしてたの。
でもあの子、とても優しくて、人の気持ちに敏感で―…とっても良い子だった」
 少女の握る湯飲みの中に、ぽつ、と水滴が落ちた。
それは少女の瞳から零れ落ちたもの。
「妹のほうはね、逆にどんどん自分から離れた世界に行ってしまう弟に対して、いつも苛立ってた。
…弟が離れたんじゃない、私たちが弟の居る世界から巣立ってしまっただけなのに。
何故こっちに来れないの、っていつも怒鳴ってたわ。…私は弟が可哀想だった。私が、あの子ならいいのにって、思ってた」
「―…あんたはあんただろう?その妹じゃないさ」
 あくまで抽象的な表現を使う少女に、フェンドは苦笑を浮かべて返した。
だが少女は首をぶんぶん、と横に振り、激しい口調で云う。
「違うの。私は、妹じゃなかった。私は―…私だけは、違ってた!」
 うわ言のように叫ぶ少女をジッと見つめ、フェンドは漸く判った、というように頷いた。

「…あんた、姉じゃなかったんだな」

 少女はフェンドの言葉に、暫し固まったあと、ゆっくりと首を横に振った。
「…そう。あの子達は正真正銘の双子。私は、同じ日に捨てられただけの他人。
でも、皆に似てるって言われてたわ。あんたは、あの双子のお姉さんだねって、言われてた。
赤ん坊のときから一緒に育ってきたのよ、同じ血が通ってなくても関係ない。
そう思ってきたけど―…弟の世界と離れるにつれ、苛立つあの子を、私は見られなくなったわ。
私なら、私が双子の妹なら、弟を自分の世界から無理矢理巣立たせることはしなかった!」
「―…人の想いは様々さ。愛の形もな」
 フェンドは少女を慰めるわけでもなく、店に訪れたばかりの彼女のように、素っ気無く言った。
だが、彼女にはこれで十分だということを、彼は知っている。
 少女は先ほどの激情が嘘のように、ふ、と淋しそうな笑みをフェンドに向けた。
「…そうね、そうだわ。どちらが正しいって云うわけでもないのよね。
…事実、あの子が―…妹が死んだとき、暴れるあの子を、私抑えることが出来なかったもの。
弟があれほど感情を露にするのを初めて見たわ。
死んだあの子の名前を呼んで、泣き叫んでた。…僕を置いて逝かないで。私にはそう聞こえたわ」
 ―…少女は訥々と語る。
 ある日突然、妹の脳の細い血管が、ぶち、とちぎれた。
そのまま彼女は倒れ、病院に運ばれたけれど、数日後にそのまま息を引き取った。
医者の話によると、妹は生まれつき、脳の血管がとても細かったのだということだった。
弟の場合は障害という形で表に出たけれど、
妹は精神が普通のスピードで育った代わりに、15歳という若さでこの世を去った。
 そして一ヶ月後、少女の跡を追う様に、少年も息を引き取った。
心臓発作、ということだったが、未だに死因は謎のまま。
「―…あの子が連れて行ったのよ。私にはわかるわ。
だって弟が死んだのは、あの子が死んだ日の丁度一ヵ月後だったのよ。
あの子はようやく、弟と同じ世界に行くことが出来たの。―…私は出来ないのに!」
 少女はまたもや叫ぶ。
あれほど弟に辛く当たっていた妹は、彼を連れて行ってしまった。
自分だけを置いて。
―…あんたは連れて行かない、あたしたちと同じじゃないから。
 少女は妹の墓前に花を供えるたび、そう彼女が笑う声を聞くと云う。
「……だから、死ぬつもりだったのか」
 フェンドは静かな声で言った。
川辺で自分を振り返ったときの少女の表情。
あの悲壮な表情の意味が、漸くフェンドにも判った。
 少女はフェンドの言葉に、淋しそうな笑みを浮かべた。
「…だって、そうするしかないじゃない。一年も私、死ねなかったんだもん」
 自分ひとりが、後を追うことを許されなかった。
今か今かと待ち望んで、一年が経った。それでも未だにお呼びはかからない。
 フェンドはす、と立ち上がって、店内にぶら下がっている風鈴を見上げながら口を開いた。
「…死ななかったんじゃない、まだ生きてんだ、あんたは」
 そして色も柄も違う二つの風鈴を手にとって、少女の前に掲げた。
その一つは燃えるようなルビーの下地に蒼い紫陽花が。
もう一つは穏やかなベリドットの下地に、朱色の小花が。
 そんな二つの風鈴を見て、思わず少女は微笑んだ。
「…私の風鈴には、何が描いてあるのかな」
「さぁな、そいつはわからねえ。でも想像だが―…」
    少なくとも、翠色は入ってんじゃねえかな。
彼らの名に入っている、その色が。
 フェンドは、に、と笑ってそう言ってから風鈴をリィンと鳴らす。
店の外からか、もしくは風鈴からか。微かに届いてくる、少女の声。

 ―…姉ちゃん、あの子は自立できなきゃ駄目なんだよ。

    いつまでも、あたしたちがついていられるわけじゃないんだ。

    あたしはあの子を、一人でも立派に生きられるようにしてみせる。

    姉ちゃんみたいな、強い子になって欲しい。

「…っ!?」
 少女はガタン、と立ち上がって、周囲をきょろきょろと見渡す。
だが勿論、彼女の求める少女の姿は何処にもない。
 そして彼女が立ち上がった際に床に滑るように落ちた湯飲みが、ぱりん、という音を立てて砕け散った。
その音を合図にしたかのように、今度は違う少年の声が響く。

 ―…ネェちゃーん…。

    …ないちゃ、いたーいよ。いたーいの、やだよぉ。

    ネェちゃんないちゃ…やだよ。


「……っ…」
 聞き慣れた少年の声が、少女に届いた。
もう一人の少女と同様に、もう何処にもいないけれど。
 少女はぼろぼろと零れ落ちる涙を拭いながら、嗚咽の中で少年の名を呼んだ。
その少年の名に混じり、少女の名も呼ぶ。
次第にそれは混ざり合い、いつしか彼女は、少年と少女の名を、交互に呼んでいた。
 嗚咽の中にしゃっくりが混じり、もう十分に名を呼ぶことが出来なくなっても、少女は必死で叫んでいた。
二人の少女は、同時に少年のことを想っていた。
その形が違った故に、二人の少女はすれ違ってしまったけれど。
でも、その根底に流れるものは同じだった。
 そしてフェンドが見守る中、二つの風鈴は同時に砕け散り、少女の目の前にキラキラと輝く粉の雪を降らした。
「――………っ」
 少女は涙で顔をべしょべしょにしながら、きらめくガラスの雪を見つめていた。
そんな少女をふ、と笑って見守っていたフェンドは、ぼそっと呟いた。
「―…判ったろ?」
「……え?」
 少女はフェンドの呟きに、ゆっくりと彼を見上げる。
フェンドはサングラスの奥の蒼い瞳を笑みの形に歪めながら、言った。

「まだあんたが来るのは早いってさ」








                     End.