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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


晴れ渡る空の下


■a call

 劇団『God's recipe』へ一本の電話が舞い込んだのは、その日の稽古がほぼ終わりを迎えようかという頃合だった。
 電話に出たスタッフが奇妙な歓声を上げたのに周りの劇団員が驚く中、薫は我関せず、といった顔で黙々と残りの自主練習をこなしていた。
 どうせ、自分たちに関わってくる事なら後で嫌でも知ることになる。今聞き耳を立てたところで時間の無駄だ。
「――俺?」
 そんな風に構えていたものだから、受話器を電話の傍らに置いたスタッフが大声で自分の名を呼んだのには少々面食らった。薫には何ら見に憶えの無いことである。
 それが良い事であれ、悪い事であれ。
「もしもし」
 相手が一体誰なのかも教えてくれずに去って行ったスタッフの背中を一睨みしつつ、薫はためらいがちに受話器を取った。保留にすらされていなかったらしい電話線の向こうから、相手の笑い声がまず耳に届いた。
 他の団員の視線がちらちらとこちらを盗み見ているのがわかる。それを避ける様に身をずらすと、今度は遠慮のない好奇の視線が次々と背中に突き刺さってきた。
『あのコったら、慌てて受話器を乱暴に置くんだもの。びっくりしちゃったわ。それに保留も忘れて「東條さーん!」だものね。自分の古巣に電話してあそこまで驚かれるのも意外だわ』
 くすくす、くすくす。
 全く以って気分を害した風もなく笑う女の声は、以前よりもまた艶を増した様に思える。
 九音奈津姫。世界で名の知れた女優であり歌手だ。
「まだ新人だ。あんたの劇団時代を直接知らない」
『あら。今でも劇団時代よ。たまに出るじゃない』
「たまにな」
 ふぅ、とため息をついて薫は前髪をかき上げた。なぜ突然、彼女が電話をかけてきたのか、それを考える。
 思い出すのは、奈津姫が薫と共に劇団にいた頃に、しょっちゅう彼女の我侭に振り回されていたこと。一時期などは、「奈津姫の尻拭い役」と言ってしまっても良いほどだった。度重なれば周囲は次第に薫と奈津姫をワンセットと見なすようになり、その内に薫自身の中にもある種の腐れ縁という認識が芽生えた。
 アメリカと日本を行き来する奈津姫がいないときには意識しない事だが、こうして彼女からのコンタクトがあれば思い出すのに多少複雑な記憶も蘇る。
『あのね、薫ちゃん』
 笑いは引っ込めたものの依然として楽しそうな口調のまま、奈津姫が切り出した。
「なんだ?」
 無言で促す、という行為は電話では通用しない。同時に薫の脳裏を警告めいたものが駆け抜けた。
『空港まで迎えに来てくれない?』
 沈黙。
 薫はたった今聞いた言葉と、己が知りえた限りの奈津姫のスケジュールとを慌てて照合し始めた。
 程なくその回答が頭の中で弾ける。
「何で俺があんたを迎えに行かなきゃならない? そもそも、映画の撮影中じゃなかったのか!?」
 そう、アメリカで。
 今、迎えに来てくれという空港が日本国内の、しかも東京にある空港だという事は確実で。
 しかし、スケジュール上、有り得ない事のはずで。
 彼女の口ぶりからは、空港にいる事を疑いようもなかったのだけれど。
『あぁ、あの映画。面白くなかったからキャンセルしちゃったわ』
 あとはマネージャーが何とかしてくれるわよ。
 そういう奈津姫の言葉を、薫は以前にも何度か耳にしたことがある。現に、何とかなっているのだからすごい。
 そんなだからスキャンダラスな話題がついて回るんだ、とは己の胸中でのみ吐き出して、薫は代わりに盛大なため息を以って奈津姫に応えた。


■God's recipe -five years ago-

 その日、劇団『God's recipe』は新入団員を決定するオーディションを開催していた。大手の劇団であるここへは、オーディションの度に舞台に立とうという夢を抱いた若者が大勢詰め掛ける。
 その分、夢への一歩すら敵わずに涙を呑む者も多く生まれていた。
 19歳という若さながら既に劇団のトップスターであった奈津姫は、以前は己もその場所に立っていたのだという仄かな感慨と共に、審査員席に腰を落ち着けていた。
 緊張を隠せない者、少なくとも表面上は平然とした顔を見せている者、自己主張をしすぎる者、逆に萎縮してしまっている者、それぞれだが目標は同じだろう。
 簡単な面接と課題演技、重要なのはプレッシャーの中でどれだけ実力を発揮できるかだ。
 奈津姫がその少年を見たのは、最初は奈津姫が入団した時と同じ年頃の少年だったから、という理由だけだった。他にも同じような年代の少年少女はいたから、すぐに意識は逸れてしまっていた。
 ただ、少し、他の応募者とは違う。そう思いはしたけれど。
 それが明らかになったのは、ある審査員の質問からだった。何の変哲もない、どこのオーディションでもしている質問だ。
「この劇団を志望した理由は?」
 大概の志望者は、劇団への想いをここぞとばかりに語ってくれる。それは美化されすぎていて反応に困る者もあるけれど、気持ちはよく理解できるものばかりだった。
 だが、その少年は。東條薫、と名乗ったその少年は。
「別に。名前が気に入っただけだ」
 面白い、と思った。だからすぐに奈津姫は質問を繰り出していた。
「ねぇ、私が誰だか知ってる?」
 どこか冷めた様な目で奈津姫を見た薫は、素っ気無く答えを返してくる。
「さぁ? 知らないな」
 この劇団を志望しておいて、奈津姫を知らない。
 会場がどよめく中、当の薫は至って自然体でそこにいる。奈津姫はますます面白くなって、ついつい課題演技を無視して口を出してしまったのだ。
 そこにもう一人の奈津姫が現れるとも知らず。
「私を演じてみて頂戴」
 と。
 奈津姫を知らないと言い切った薫は、それでいて実に完璧に奈津姫を演じてみせた。
 薫の入団に、異議を唱える者はなかった。


■with

 入団したての薫に、脇役とは言え役が与えられたのはかなりの抜擢だったと言っていい。小さな劇団ならばともかく『God's recipe』には役者が沢山いる。新人でなくてもその役をこなせる者は他にもいたのだ。
 奈津姫がオーディション以来、何かと「薫ちゃん」と彼を構うのも気に食わないと感じる者もいた。ともすれば小さないざこざに発展しそうなそれが、そうはならなかった理由は矢張り、薫の実力が相応にあったから、であろう。
 新人ながら文句を撥ね付けるだけの力が、薫の演技にはあったからだ。
「ね、薫ちゃん。今度オープンするお店があるんだけど」
「こないだの彼氏と行けば」
 情報誌片手に懐いてくる奈津姫には目もくれず、薫は基礎トレーニングを一つ一つこなしていく。少しも手を抜く風はない。
「こないだ? ……あぁ。あの人とはもう別れちゃったの。だから、ね」
「じゃあ今の彼氏と行けば」
 付き合わされるのはごめんだとばかりに、薫の返答は素っ気無い。
 役者としての奈津姫は確かに尊敬できる、と薫は思う。だが、それ以外の部分に関してはあまり係わり合いになりたくないと感じる所が多い。
 例えば、強引さ。
 例えば、金。
 例えば、男。
 強引な我侭に引きずられるだけならまだしも、奈津姫に熱を上げる男達にあらぬ誤解をされるのはどうしても嫌だった。
 薫がすげなく誘いを断る理由は他にもある。
「つれないわねぇ」
「あんたこそ、今がどういう時期かわかってんのか?」
 奈津姫が主演し、薫が末席ながら役者として初めて名を連ねた芝居が、つい先日無事に千秋楽を迎えたところだ。
 無名の薫はともかく、名の知れた奈津姫がその辺をうろついていればすぐにメディアの人間に捕まるに決まっている。
「そうそう。無事に終わってお疲れ様。まだちゃんと言ってなかったわね」
「お疲れ。――じゃなくて」
「それにね、聞いた? 薫ちゃん」
 不意に何かを思い出したのか、奈津姫の目が俄に輝きを帯びた。
 何事かと訝しむ薫の前で、奈津姫の顔が役者のそれへと変わってゆく。
「すごいわよ! 初出演、しかも脇役なのに問い合わせが殺到してるんですって!」
 誰に?
 無邪気にはしゃぐ奈津姫を前に、薫がまず思ったのはそんな事だった。
「誰に? じゃないわよ。薫ちゃんに決まってるじゃない!」
 激励とおめでとうを言う奈津姫は、どこから見ても『God's recipe』のトップスター、「九音奈津姫」以外の何者でもなかった。
 金にも男にもだらしがないと薫が眉を寄せる女ではなく。
 役者として素直に尊敬し、かつ走り出したばかりの薫の目標となるべき先輩の姿だ。才能だけの女ではない、そう薫が認識した瞬間でもあった。


■at the airport

 ざわめきが絶え間なく空間を満たす。アナウンスが一際高く空気を震わせては、あちこちで誰かが立ち、誰かがやってくる。
 空港のロビーは縮小された群像劇の舞台だ。
 長く形の良い脚を組み、サングラス越しに風景を眺めながら奈津姫は人間観察を楽しんだ。
 いつ、どんな役を演じるかわからない。共演する役柄についても知識はあった方が深みを出し易い。引き出しは常に増やしていた方がいいのだ。
 様々な人間が入り乱れるここは、待ち人が来るまでの時間潰しを兼ねての人間観察にはうってつけの場所と言えた。
 窓から見える空は、綺麗な青をしている。
「全く……あんたってヤツは……」
 微かな靴音と共に、呆れ果てた薫の声が降って来る。サングラスをずらして見やれば、声音と同様に少年とは言えなくなった男が僅かに息を乱して立っていた。
 奈津姫はかけられた声に対して微笑んだ。艶やかなルージュに彩られた唇が魅惑的な形を作る。
「あら。私が誰か知ってる?」
 迎えには来たものの、荷物を持とうとも手を差し伸べようともしない薫に、今度はにっこりと破顔して奈津姫は立ち上がった。
 絡めようと伸ばした腕は至極あっさりと躱されてしまう。
 身を翻した薫がそのまま踵を返し、奈津姫の荷物を掻っ攫った。思わず脚を止めた奈津姫を肩越しに振り返り、薫が小さく笑う。
「さぁ? 知らないな。――ただの変人だろ?」



[END]