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<東京怪談ノベル(シングル)>


おいしい悪夢

「海原さーん、宅急便でーす」
 海原みなもの平穏な午後は、元気の良いその一言で破られた。
「サインか印鑑お願いしまーす。あ、あと重たいですからね、玄関先まで入れておきますね」
 ボーダー柄のTシャツに身を包んだセールスドライバーは、爽やかな営業スマイルを浮かべ、てきぱきと手続きを済ませると、「ありがとうございましたー」と清々しい挨拶を残して去って行った。
 後に残されたのは、一抱えほどもある段ボール箱が1つ。
「何かしら?」
 かなりの重さだったそれをはあはあ言いながら自室へと運び込み、みなもは軽く小首を傾げた。自分宛に荷物が届くというのは、なかなか心躍るものがある。それも予期していなかったものとなるとなおさらだ。
 が、差出人の名前を見た途端、みなもは動きを止めた。浮かれ気分は吹き飛んで、疑心が黒雲のようにわいてくる。そこにあったのは、みなもの父親の名前だった。
「……」
 みなもは用心深く箱を観察した。今までに何度も悪質ないたずらをしてきた父だ。今度もまた何か企んでいるのかもしれない。
「……」
 じっと睨んでみても、箱はただ黙ってそこに佇んで、開けられるのを待っているだけだった。
「……」
 それが危険であるかもしれないとわかっていても、なぜ、荷物というものは開けずにはいられないのだろう。結局、箱の無言の催促に負けたみなもは、表面のガムテープをはがし、段ボールの蓋を開けていた。
 中には、小さなカードが一枚。そして、その下には、一見して百科事典のような、豪勢で分厚い本が何冊も並べられていた。
 みなもは用心深くカードを開いた。中には「愛する娘へ」とだけ書かれている。この甘い言葉にだまされてはいけない。が、裏返しても透かしても、他には何も書いてなさそうだ。
 次にみなもは本へと視線を移した。
「グリム童話集?」
 豪華な装丁を施されたその背表紙には、みな一様に金色の文字でそう綴られていた。
 みなもは注意深く、重たい本を一冊ずつ取り出した。どうやら、箱に入っていたのは、童話集とカードだけ。何も注意書きのようなものは入っていない。
 いかにいたずら好きの父とはいえ、下手なごまかしまではしないだろう。今回は、純粋にみなもが読むと思って送ってくれたのかもしれない。
「お父さんってば……」
 みなもは思わず苦笑を漏らした。みなもだって、もう中学生なのだ。おとぎ話を楽しんで読むような年齢でもない。
 同級生たちと話をしていると、彼女たちの父親が、娘に話を合わせようと、涙ぐましい、けれど無駄に終わる努力をしているらしいという話題が出てくることがしばしばある。あきれ顔で話す友達を、けれどもどこか少し羨ましいような気持ちで見ていたみなもは、なんだか自分も彼女たちと同じ経験をしている気分になって、微笑ましい気持ちも湧いてくる。
 みなもは、何冊かを手に取って、ぱらぱらとめくってみた。それこそ童話の中のお姫様が手に取っていそうなほどの豪華な装丁の本は、挿絵もまた丁寧に描き込まれ、リアルすぎるくらいにリアルだった。
 実際、グリム童話の中にはシュールだったり、残酷だったりするシーンも多い。そういうシーンも実にリアルに再現されているものだから、その迫力ときたらちょっと言葉にならないものがある。やっぱりお子様向けではないのかもしれない。父もそれなりには考えてくれたということだろうか。
「……けど、こんなに豪華な本って……」
 みなもはふと、好奇心にかられて――というよりは怖いもの見たさだったのかもしれない――、裏表紙をめくってみた。おそるおそるページの下部に目をやる。そこには、みなもの想像を超えた数字が書かれていた。
「うわぁ……」
 思わず肩をすくめ、みなもは本をぱたりと閉じた。

 その夜のことだった。気付けばみなもはテーブルにつき、おいしそうに湯気をあげるロールキャベツの皿を前にしていた。
 ああ、これは夢だ、とみなもは思う。そして、今自分が遭遇しているのがグリム童話の一編、「キャベツロバ」の一場面だということにもなぜか気付いている。なのに、夢というのは不思議なもので、この先がどうなるかわかっていながら、みなもは至極無邪気にロールキャベツに手を出してしまっていた。
 まったりとしてそれでいてしつこくなく……などというお決まりな表現を思わずしてしまいたくなるくらいに、そのキャベツはおいしかった。
 柔らかいキャベツの葉は程よく煮込まれて、独特の歯触りを残しながらも、口の中ではとろりととろける。余計な味を添えない質素なソースがまた一段とこの甘みを引き立てるのだ。中に包まれている肉は、完全に引き立て役になっていた。
 一口食べて、そのあまりのおいしさに、みなもは二口、三口とさらに手を伸ばしていた。
 夢とはいえ、こんなにおいしいものを食べることができたなら、それはとてもお得なのではなかろうか。たとえこの後ロバになったところで、どうせ夢なのだし。
 幸せな気分に包まれてみなもがそう思った時、それは起こった。
 急に、身体の中心がかぁっと熱くなり、内側から引き裂かれるような強い痛みと、息詰るような苦しみがみなもを襲う。
「ちょ、ちょっと待って……」
 いくら何でも、これは想定外だ。みなもはその場から逃れようと、椅子から立ち上がった。が、その途端にバランスを失い、床へとつんのめる。反射的についたはずの両腕は、まるで棒のようにつっぱり、衝撃が肩へとそのまま走る。それに耐えかねて、みなもは床にうずくまった。
「やっ……」
 ふと、視界の隅に映った自分の左手を見て、みなもはかすれた悲鳴を上げた。女の子らしい手のひらは、いつしか分厚く、硬く、黒くなり、見るも醜い蹄へとその姿を変えていた。
 そこから視線をそらすことができず、ただ凝視するみなもの目の前で、白い手首が引き裂かれるように破れ、そこから褐色の硬い毛が飛び出してくる。それは何とも恐ろしい光景だった。背中に冷たいものが走り、喉には逆に熱いものがこみ上げる。
「いやあああっっ!」
 今度こそ耐えきれずに、みなもは甲高い声で悲鳴を上げた。その声に刺激されたかのように、みなもの身体の変化はますます加速した。
 手首から肘、肘から肩へとみなもの皮膚は裂けて、褐色の毛に覆われた無骨なものへと変わっていく。腕だけではない。脚もまた、同じように獣のそれへと変わっていった。
 これは夢、夢、夢……。
 みなもは必死になって頭の中でそう唱えていた。皮膚が引き裂かれていく痛みも、新しく生えて来た毛並みが揺れる感覚も、骨格が作り替えられていくきしみも、あまりにリアルで、そうでもしないと、自分がロバにされていく恐怖に呑まれてしまいそうだった。
 けれど、そんなみなもをあざ笑うかのように、今度は胴体が樽のようにふくれあがり、その身を包みきれなくなった衣服が背中から裂けていく。
「やめて……」
 みなもは涙ながらに、力なく呟いた。
 ああ、こんなことならロールキャベツなんて食べなきゃよかった、と今更ながらに後悔する。
 けれど、夢の中とはいえ、どんなに激しく悔やんでも、どんなに強く願っても、時間が逆戻りすることはなかった。
 ふと、誰かの足が目の前にあるのに気付いて、みなもはそれをたどるように視線を持ち上げた。うんと顔を上げたところで、冷ややかな若い男の眼差しとぶつかる。
 みなもは、思わず息を呑んで硬直した。身体の半分以上がロバになり、ところどころに裂けた衣服の切れ端をひっかけているこの姿をじっと見つめられているかと思えば、かぁっと熱いものがわき上がり、みなもの目の前は羞恥で真っ白になった。
「いい気味だな。自分のしたことの報いをたっぷり受けるがいいさ」
 青年は薄い笑みさえ浮かべてみなもを見下ろした。
 報いと言われたところで、みなもには身に覚えがない。話の一場面だから、みなもはこの青年から宝物をだまし取ったことになっているのかもしれないが、それにしても理不尽だ。
「あ……、うぐっ?」
 言い訳の1つでもと口を開いたみなもだったが、言葉が形になる前に、喉をソフトボールのようなものがせり上がってくるような感覚に襲われた。押し広げられ、長く伸ばされた喉からは、もはや人の言葉は出てこない。
 愕然と半開きになったままの口の中では前歯がせり出し、口自体も左右に裂けていく。その先にあるはずの耳はなく、頭の上に増えたわずかな重量感がぴくりと動く。前髪をわしづかみにされたような痛みとともに、額の皮膚は上へと引っ張られ、逆に厚く硬くなった唇はぼったりと下に伸びる。絶望に見開いたみなもの瞳に映る視界が、不意に左右にぐいと開いた。
「さて、その姿にふさわしい扱いをしてやろう」
 いつの間に用意したのか、青年が何やら金具を取り出した。意地の悪い笑みを浮かべながら、それをみなもに噛ませようとする。
 ――嫌、嫌、そんなに硬くて窮屈なもの……。
 みなもは必死に首を振り、抵抗しようとした。が、その左肩にぴしりと鞭の一撃が加えられる。その痛みと衝撃に身をすくませた瞬間、冷たい轡(くつわ)がみなもの口に噛まされていた。その途端、あたかも水面が凪ぐように、何かがみなもの中ですぅっと引いて行った。
 いまや青年の前にいるのは、珍しい青いたてがみと瞳を持った従順なロバだった。
「ちょいと、そこのあんた」
 青年は通りがかった中年の男に声をかける。
「このロバ、買わないかい?」
 こぎれいな身なりをしたその男は、足を止めて微笑み、ロバの額をそっと撫でた。
「可愛いね。思った通りだよ、みなも。とってもよく似合ってる」
 その言葉がわかったのかどうか、ロバはただその鼻を男の手にすりつけただけだった。

 奇妙な違和感が身体中を支配していた。なんだか妙にお腹がすうすうするような、背中が押し付けられるような落ち着かない感覚。そして、なんだか馴染まない匂いと肌触り……。
 軽く身をよじって、みなもははっと目を覚ました。そしてベッドの上にがばりと起き上がる。
 そこは、よく見慣れたはずの自分の部屋だった。高鳴る胸を抑えながら、自分の手へと視線を落とす。女の子らしい、白い、細い5本の指の先には桜色の爪がちょこんと乗っている。
「……夢、だったのよね……」
 思わず、誰にともなく確認するように呟く。それはそうだ。人間がロバになってしまうだなんて、夢でもないとあり得ない。
 なのに、ロバへと変化していくあの感覚はあまりにリアルだった。目覚めた瞬間にさえ、ロバの感覚が残っていたのだから。
「でも夢、よね」
 もう一度呟くと、みなもは着替えようとパジャマの上着のボタンを外した。左腕を袖から抜こうとして、その動きがふと止まる。視界の隅に映った左肩には、ミミズ腫れのような痣があったのだ。ちょうど、鞭で打たれたような。
「……夢、よね」
 再度、みなもは呟いた。

<了>