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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『咎の在り処』


 ぽつぽつぽつ、血が、床板の隙間を縫うように滴り落ちてきて、私の顔を塗らした。
 私が居るのは居間の床の下。私は昼間に悪戯をして、それで居間の床の下に罰として閉じ込められたのだ。
 それが今日の昼間。そのまま私は両親たちがやっている病院から戻ってくるまで閉じ込められていた。
 帰ってきた両親に私は床板の下から泣いて謝って、母は優しい笑みを浮かべて、父は床板に手をかけてくれた。
 それはその時だった。黒い、そう私が何よりも恐れる闇よりも暗い、昏い、漆黒の闇の澱のような色の風が部屋の中に入り込んできたのは。
 暴力的な破壊音を伴って。
 割れた窓硝子。
 天井のさして明るくはない電灯の明かりを浴びながら落ちる硝子の破片。
 母は壊れたような声をあげて、
 父は壁にかけてあった猟銃を手に取ると、それの銃口を母に向かうそいつに向けて、引き金を引いた。
 耳が痛くなるような音。
 だけど大きな大きな馬の上に居るそいつは腰の鞘から抜き放った剣で、弾丸を打ち落とすと、無造作に剣を横薙ぎに振って、どこかハエを追い払うように父の、首を打ち落とした。
 首の無い父の傷から赤い血が噴水のように迸った。
 母は悲鳴をあげる。それはもうほとんど声にはなってはいなかった。母は壊れた。
 その壊れた母にそいつはやはり剣を振るい、そうして母を、殺した。



 それから20年後。
 某国。
 草間武彦が仲間を伴ってそこへ来たのは殺人事件を解決するためだった。
 そうだ。もちろんそれは普通のごくありふれた殺人事件ではない。怪奇絡みの殺人事件だ。
 某国の片隅に周りの社会から切り離されたような中規模の街がある。貴族たちからなる議会による自治地区。
 東西に流れる川を境界線に南側が貴族の地で、北側が貴族の領民たちの地。
 その北側の貴族の領民たちの地で奇怪な病気が発生したのだ。生まれてくる赤ん坊たちの障害。しかもそれは領民たちの赤ん坊のみで、貴族たちの赤ん坊には発生していないとの事だった。
 それを受けて某国のとある医大がボランティアで医師団を派遣したのだ。もちろんそれには善意だけではなく、大人の事情も含まれているのだが、しかし今回の事件に関してはそれは関係無い。
 だがその医師団が皆殺しとなった。
 犯人はテログループ組織とされている。
 その医大がとある紛争において、そのテログループの正義に反する行いをしたとかで。
 しかし、それは関係無い。嘘だ。街の議会が作り上げた。
 事実はこうだ。
 月の無い夜に、首の無い騎士が現れて、皆殺しにされた。
 その事実を大学側は虐殺現場の片隅で震えていて生き残った地元コーディネーターによって知らされた。
 そして大学側が、とある情報筋から知った、日本の怪奇探偵 草間武彦にこの事件を解決してくれるように依頼してきたのだ。
 草間武彦、そして彼が協力を求めた五人の者たちは旅行者を装ってその国へと入り、そうしてその自治地区近くの街において、彼女と知り合った。
「た、助けて。あたしを助けて。今度はあたしの番。あたしが殺される」
 尋常ではない。そして彼女が口にした、首無し騎士に、という言葉。
 武彦たちは彼女に話を聞いた。彼女の両親はこれから行く街で医者をしていたのだと言う。貴族も領民も分け隔てなく診る医者。父は外科と内科で、母は産婦人科。
 そして二人は20年前に殺された。つい先日、医師団を殺したのと同じ首無し騎士に。
 その光景を同じく医者であった彼女も見てしまったのだ。彼女はそれを見て、失っていた記憶を取り戻した。そして犯人の手がかりも。
 彼女はそれをうわ言のように言った。「おばあちゃん、お母さんを苛めないで」
 それはどういう事か、ほとんど正気を保っていない彼女に辛抱強く武彦が質問しようとした時、首無し騎士が現れた。
 もちろん、彼らは戦う、その漆黒の亡霊と。だが百戦錬磨の彼らが、まるで歯が立たなかった。
 武彦の首が飛ばされそうになる。そこに飛び込む彼女。何かを叫びながら。
 ――――そして彼女は死んだ。首を飛ばされて。
 先ほどまで自分の邪魔をしようとしていた者たちすべてを殺そうとしていた首無し騎士はしかし彼女の首を得ると、戻っていった。被害にあった他の者(首無し騎士に挑んでいった酔っ払い客が何人か殺された。)の首はそのままに。
「どうやら、今回の事件の敵はどうにも性質が悪いらしい。それでもやってくれるか、おまえたち? 敵は、あの首無し騎士は無敵のようだが………」
 武彦は仲間を見据えた。



 ――――――――――――――――――


 精緻な図形が描かれた庭園を上から見れば、それを作り上げた庭師のセンスの良さと頭の良さ、空間把握力のずば抜けた高さを知る事ができるだろう。
 それはどうやらどこかからか逃げ出してきたカナリヤにも理解できたらしい。
 空中停止していたそれは、身近な木の枝で羽を休めながら、つぶらな瞳で庭を見つめている。
 主から任されているこの秘密の庭園の整備の手を休めて、モーリス・ラジアルは緑色の瞳をわずかばかりに細めてカナリヤを見つめた。
 その視線にカナリヤも気付いた?
 鳥の視線がゆっくりとモーリスに向けられて、二つの視線が重なり合う。
 モーリスは微笑んだ。
 彼の主であるセレスティ・カーニンガムの屋敷は広い。その広い敷地に植えられた木々は、鳥たちが羽を休めるには充分な本数を兼ね備えていて、彼しか居ないこの秘密の庭園には時折、そんな鳥たちの鳴き声や、羽ばたく羽音が聞こえてくる。
 そしてそんなモノが奏でられる度に、カナリヤは震えるのだ。
 モーリスはわずかに口を開く。
 それからカナリヤを見据える。
 野生の勘。人のそれは、安寧を求めた結果である科学の力によって減退してしまったが、動物たちはまだそれを確実に持っていた。しかしこのカナリヤは、周りにある自然に震えている。
 カナリヤは羽を羽ばたかせ、とまっていた枝を両足で蹴る。飛び立とうというのだ。
 一瞬、モーリスの瞳が揺らいだ。その躊躇いは何ゆえか?
 ――――運命に従おうと思った?
 人に飼いならされたカナリヤは所詮は篭の中でしか生きてはいけない。弱肉強食。すぐに自分よりも強いモノの牙にかかって、死ぬだけだ。
 そして篭を飛び出した瞬間に、それは決まっていた。
 そうなる事が運命。
 自分にそれを変える権限は無い。
 それはあのカナリヤが選んだ事の結果で、自分にはその先にある道の果てなど関係無いのだ。
 神は無慈悲だ。
 そしてそれがあるいは世の正しさ。そうであるから、人の世は、ここまで続いてきた。この世界に存在する生き物の中で、何よりも愚かしくって、弱々しい、実は動物界のピラミッドの最下層の人間の世は。
 無慈悲こそ、最愛のモノを守る、最良の策。
「ぴーちゃん」
 その時だった、女の子の泣き声があがったのは。
 ここは秘密の庭園。知っているのは主と、その主の最愛の人、それから自分。
 見れば、まだ幼い女の子が、そのおかっぱ頭に縁取られた童顔を涙と汗で汚して立っていた。
 一生懸命走って、ここまでやってきたのだ。怖れ知らずにもこの秘密の庭園にまで、カナリヤを追いかけて、忍び込んで。
 モーリスは再びカナリヤを見る。
 それは飛び立つ事を躊躇うかのように、羽ばたきを弱めた。
「迷いがあるのなら、篭の中へと戻りなさい」
 モーリスは呟く。
 能力、発動。
 ―――――アーク。視界内であるならば、それを閉じ込める檻を創造できる。
 それまで騒がしかった鳥たちの鳴き声は、沈黙が澱を為したように、静まり返った。
「ちーちゃん」
 女の子はカナリヤの木の下まで走っていく。
 モーリスはゆっくりと彼女の横に立って、そして、カナリヤを閉じ込めた鳥篭を手に取って、それを女の子に渡した。
「もう逃げないようにしませんとね」
「うん。うん」
 微笑むモーリスに女の子はこくこくと一生懸命に頷いた。
 それからモーリスは彼女の手を握って、屋敷の門まで連れて行ってあげる。
 女の子は嬉しそうに家路を走って、揺れる鳥篭の中のカナリヤは空を見つめていた。


 例えば、外が見えなければ、空には憧れる事など無かったのに………


 知る、とは哀しい事なのかもしれない。
 それを知らなければ、憧れなかった。
 無謀な事や、無駄な事などしなかった。
 知らなければ…………
「モーリス」
 背後からかけられた主の声。
 振り返ると、主が居る。
 契約者、セレスティ・カーニンガム。絶対服従を誓う相手。
「草間興信所に行きます。ついてきなさい」
「はい。セレスティ様」
 恭しく頭を垂れる。
 知る、は哀しい。
 …………知らなければ――――――
 こうしてモーリスの己のアイデンティティーをかけた戦いの幕は上がった。



 ――――――――――――――――――
【T】


 とある空港。
 今日、ここから一機の飛行機が秘密裏に発進する。
 リンスター財閥が所有する飛行機だ。
 向かう先はイシュヴァール国、ヴァートン空港。
 そしてその飛行機に乗り込むのは草間興信所に持ち込まれた事件を解決するために集った者たちだ。モーリス・ラジアル、真柴尚道、シュライン・エマ、セレスティ・カーニンガム、草間武彦、そしてジュジュ・ミュージー。
 彼女は草間武彦と同じ探偵だ。しかし裏の依頼も受ける。そして今回もそれを受けていた。依頼は、この事件の裏で暗躍している者の抹殺。故にジュジュは、草間武彦とその仲間たちを利用し、速やかにこの依頼を完遂できるように、協力者として搭乗したのだ。
「すまんな、セレスティ。いつも」
 草間武彦は座席のベルトを外しながら、通路を挟んだ隣の席に座るセレスティ・カーニンガムに笑いかける。
 セレスティは静かに首を横に振った。
「いえ。私は自分ができる事をいたしているだけですから。気になさらないでください。それにこの事件、早く解決させるにこした事はない。首無し騎士、それもそうですが、生まれてくる子どもたち、彼らがそうなっている原因を早く見つけて、何とかせねばなりませんからね」
 形の良い口許に軽く握った手を当てて、セレスティは考え込む。
 彼の頭脳を持ってすれば、これはすぐにでも解ける事だろうか?
「そうね。赤ん坊が、あのような状態で生まれてくるのは本当にかわいそうだわ。生まれてきた命も、そしてその命を産んだ母親もね。ここら辺はひどくデリケートな事だから、安易にモノを言ってはいけないんでしょうけど。それでも考えちゃうわね。今からでもその子たちのために何とかしてあげられたら、って」
「そうですね」
 シュライン・エマは一番前の席に座っている。しかも草間武彦が座っている列の。彼女の、武彦さんとは今は顔も見合わせたくないわ、という意志がありありと見て取れて、セレスティは苦笑を浮かべる。いつもなら武彦の隣に座るのに。これも早くこの事件を解かなければ、彼がそう想う理由の一つだ。
 そしてそれは武彦の後ろの席に座っている真柴尚道も同じようだ。
「本当にもう少し、素直になったらどうですか、草間さん? 傍から見ていればどう見てもこの喧嘩、子どもの意地の張り合いか、もしくは………」そこで彼が口をつぐんだのは、シュラインと武彦が尚道を同時に振り返ったからだ。彼は右手の人差し指一本立てて、無意味に明るくテンションの高い声で言う。「零ちゃんも心配していたし」
 零、その名前にシュラインと武彦は鼻を鳴らして、前を向いた。
 尚道は座席シートに深く身を預けて溜息を吐く。喧嘩をしていても、息はぴったりじゃないか。ったく。夫婦喧嘩は犬も食わないというのに。
 そう、尚道が飲み込んだのは、もしくは、夫婦喧嘩にしか見えない、だ。実際そうであろうし。
「失言でしたね、尚道君」
 セレスティの後ろに座っているモーリス・ラジアルはくっくっくと意地悪く笑う。尚道は細めた横目でモーリスを睨みつけた。
「意地悪な奴な、おまえって、本当に」
 モーリスは肩を竦めると、座席から立ち上がった。
 それから一端姿を消して、カートの上に飲み物類を乗せて戻ってくる。
 モーリスは人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら、用意した飲み物を渡していく。でも尚道はこのモーリスの微笑が当てにならない事を知っている。モーリスは尚道に時々意地が悪い。それは別にモーリスが尚道を嫌っているからではなく、実はその逆で二人は仲が良いからで、だからこそ見えるモノもあるという事。
 桜が美しいのは、根元にある死体の養分を吸っているから。もっと簡単に言えば、富士山は遠くから見れば美しいが、登ればゴミがいっぱい。
 尚道はくすりと笑うモーリスに大きく溜息を吐いた。
「ジュジュさん、どうぞ」
「サンキュー」
 ジュジュはモーリスに渡された飲み物を受け取って、それに口をつけた。
 モーリスはにこりと微笑んで、自分の座席に座る。
 それを見届けて、またジュジュは自分の飲み物に口をつけた。
 ジュジュが座っているのは最後尾の座席である。共に機内に乗っている者たちを見渡せれる位置。
 そこには彼女の本来の目的が実は見えていた。そう、家主の心性が家の塀に出てしまうかのように、位置でもわかるのだ、その人物が考えている事が。
 草間武彦は任侠心溢れる探偵として無論、これをほかっておくことはできない。
 シュライン・エマは言うまでもない。正義心はもちろん、彼女の行動理念にはいつだって武彦が居る。愛する彼の力になりたいと。
 セレスティ・カーニンガム本人は趣味だとかそういう風に言うであろうが、彼は仲間には絶大な愛情を注ぐ。武彦を死なせたくない、その友情のために。
 モーリス・ラジアルはそんな主を守るために。
 真柴尚道はどうやら今回の依頼者を助けた事から依頼参加をきめたようだ。それにモーリスとも仲が良い。
 では、ジュジュは? 彼女は、この事件の裏にいる者たちを皆殺しにするために向かっている。そうだ。事の真相などわかりはしない。悪に見えても、実は正義であるかもしれない。そして相手が正義であるのであるなら、草間武彦はそちら側に立つ男だ。もしくは悪でも情をかける。彼は任侠心溢れる男であるから。法の裁き、そういう方向で行くはずだ。無駄な虐殺は好まない。
 だが、それはジュジュの依頼された事には反する。彼女は依頼されたからには、暗躍する者すべてを虐殺せねばならない。
 だから状況次第では、ここに居る者たち全員はジュジュの敵となる。それがわかっているから、彼女は今からここで、武彦たちを見張っているのだ。
「ミーがここに居るのはユーたちヲ、ミーの仕事がやり易いようニ、利用するためヨ。でもそれは、どうやらユーには勘づかれているようネ」
 ジュジュはモーリスを見た。さすがは主を守るためにここに来た男。その有能さは侮れない。自分から何かを感じ取っているらしい。
 いや、おそらくは誰もが気付いている?
 しかし、それも利害が完全に別れるまでは、頼もしいのか? ジュジュは肩を竦めて、座席シートに身を預けた。
 それぞれの思惑を乗せて、飛行機は目的地へと向かった。



 ――――――――――――――――――
【U】


 飛行機の次は鉄道だった。
 しかもクーラーは無く、窓も車両が古いために半分も開かない。
 尚道は手で顔を扇ぐ気力も失って、へたれこんでいる。
 モーリスを見れば、彼は主のために献身的に働いていた。どこから用意したのだろうか? 冷たい水をグラスに注いで主に渡している。
「モーリス、おまえって、用意がいいのな」
「当たり前だよ、尚道君。大切な主がでかける先の事ぐらい、予め調べておくのが常識です」
「それはそれはご苦労様な事で」
 尚道はずるずると座席シートからずり落ちていくが、しかし半分も開いていない窓から入ってくるのは、容赦なく照りつける太陽の光の温度を孕んだ風であったので、げんなりと身を起こした。
「モーリス、水」
 もちろん、モーリスは尚道が出した手をぱちん、と叩いた。これは主のために彼が用意した水。主至上主義の彼の前では友情も儚いもの。
 思わず両目を半眼にする尚道。
 尚道の向かいの座席に座るシュラインは、そんな彼にくすくすと笑った。それから彼女は、この汽車に乗った駅で買った果物を取り出す。何も前もって風土とかを調べていたのはモーリスだけではない。シュラインもちゃんと調べていた。
「はい、真柴君。これ」
 ほんのりと冷たいそれは喉を潤すには充分のものであった。
「美味い」
「良かった」
 シュラインは微笑んで、尚道はそれに貪りつく。そして彼が満足げな息を吐くと、シュラインはちょっと、居心地悪そうな表情を浮かべながら、果物二つを尚道に渡してきた。
「悪いけど、真柴君。その、これをジュジュさんと、あの………」
 ごにょごにょと口の中だけで呟く彼女に尚道はくすりと笑う。ほら、やっぱり犬も食わないあれだ。
 彼はひぃっと肩を竦めて、それからシュラインから果物、二つ、受け取った。
「了解。渡してくればいいんでしょう、シュラインさん。ジュジュさんと草間さんに」
「え、ええ。お願いね。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
 幾分喉を潤したから元気だ。
 数少ないこの路線を走る汽車は大勢の人間を乗せていて、尚道たちはばらけている。
 通路にある荷物や、人なんかを避けて、尚道は後ろの車両へと移動した。
 そちらではジュジュと武彦が座っている。
「これ、シュラインさんからです」
 そう言うと、武彦はどこか憮然とした表情を浮かべた。何となくお見通しです、と言っているような彼女の顔が見えたのかもしれない。
 武彦は顔の汗を拭うと、それを受け取って、かぶりついて、溜息を漏らした。
「喧嘩、やめたら、どうですか?」
 多分、武彦から折れるのが正しいと思う。尚道はあの喧嘩の始まりを思い出しながらそう言った。
 しかし武彦は黙ったまま果実を食べている。案外この人もガキっぽい。尚道は苦笑した。
 この汽車の座席は全て指定制だ。人数を告げたら、この三箇所の四人がけの席のチケットが手渡された。確かに満席なのだが、しかし、ひとりで四人がけの座席を占領していたり、自分たちのように普通に四人がけの席二つで済むところを三つにされていたり。どうにも席ふりはおかしい。ひょっとしたら、車両にクーラーが無いから、鉄道会社の人間なりの心遣いなのかもしれない。そしてこれは本当に嬉しい心遣いだった。当分はシュラインと武彦の仲は戻らないようだから。
 尚道は武彦の隣に腰を下ろす。
「それでこれから俺たちは病院へと行くんですよね?」
「ああ。この汽車の終点の街に今回の事件の依頼者である大学があるんだ。そこでもう少し詳しく情報を聞きたい」
「何か有力な手がかりが掴めるといいっすよね」
「ああ、そうだな」
 頷く武彦。その彼にジュジュが言う。
「悪いけド、その街で、少しミーはユーたちかラ、離れさせていただきまス。イイですカ?」
「ああ、構わんよ」
 武彦は鷹揚に頷き、そして尚道は両目を細めた。
 それから武彦はサングラスを外すと、ジュジュに優しく微笑んだ。
「しかし無理だけはするなよ? 何か自分ひとりの手では負えない事が起こったら、俺たちに連絡しろ。草間興信所チームはおまえを助けるから。たとえおまえが別ルートからの依頼を受けているとはいっても、同じ事件に取り組む以上は協力し合った方が良いだろう?」
 ジュジュは肩を竦める。
「知っていたのですカ、やっぱり?」
「まあな」
「それでもミーを誘ってくれたのは………」
「おまえが別ルートから同じ事件に対する依頼を受けたらしい、という情報を得たから、俺はおまえを今回のチームに誘った。完全に利害が別れるまでは、共闘はできるだろう? 同じ事件に関わる以上は。そうだったら俺たちも早く事件を解決できるし、みすみす戦友を危険な目に遭わせずとも済む。それだけだ。要はこの事件を終わらせられればそれでいいんだからな」
 そう言うと、武彦はサングラスをかけた。
 ジュジュは小さく溜息を吐き、それから武彦に手を差し出す。武彦もその手を握った。ジュジュと武彦との共闘が約束されたのだ。
 尚道は武彦を見据え、苦笑を浮かべる。
「何だ、真柴?」
「いえ。あんたは本当によくわからない人だな、ってね」
 大きいのか、小さいのかわかりはしない。
 ―――ただ思うのは、こういう人だから、自分は協力するのだ。草間武彦に。
 まるでこの世の全ての清らかな物の結晶を寄せ集めた物を見るかのように尚道は武彦を見る目を細めた。
 そして彼は自分の席に戻る事にした。
 この汽車の車両内はほとんどサウナだった。
 冗談ではなくシュラインからもらった果実が無かったら、やばかったかもしれない。
 髪は代えのバンダナでもう既に後ろで縛ってある。
 そして彼は、セレスティとモーリス、シュラインに再び合流した。
「セレスティさん、大丈夫ですか?」
「ええ、何とか。しかしこの車両は、悪夢ですね」
 苦笑を浮かべるセレスティ。
 モーリスは心配そうだ。
 本当は車を用意していた。もちろん、クーラー付きの。しかしその車が空港へ向かう途中で事故ってしまったのだ。故にしょうがなく移動手段はこの汽車となった。いかにリンスター財閥といえども、この発展途上国ではそうは簡単にはすぐに車は用意できなかったのだ。
「あと、3時間足らずの辛抱です」
 尚道は言う。
 セレスティは静かに微笑んだ。
「では4時間後ぐらいには水風呂にでも入っていたいものですね」
「いいわね、水風呂。私も本当に早くシャワーでも浴びたいものだわ」
 シュラインもこくこくと頷く。
「でも、この終点の街で、すぐに大学病院に向かうのよね?」
「ええ。そう言っていました。情報を集める、って」
「情報、ねー」
 小首を傾げるシュライン。
 硬い座席シート、おそらくは40度はある室内の温度に辟易としながらセレスティは言う。
「惨劇の場となった街は貴族たちによる自治地区、そのために詳しい情報を得られませんでしたが、どうもそういった古い体制、秩序に足を引っ張られるかもしれませんね。とにかく情報が何も無いのですから、気をつけないと」
 セレスティが何気なく言った言葉が、尚道の心に波紋を浮かべる。
 古き体制、古き秩序、そうしたモノがある場所で起こった今回の事件。それは綻びではないのか?
 尚道の胸にある予感がまた少し、濃密なモノとなった。
 破壊神としての宿命が自分を呼ぶのだろうか?
 ―――やはり尚道はそれの答えを見つけられないでいる。



 ――――――――――――――――――
【V】


 駅のすぐ近くにその大学はあった。
 一同は会議室へと案内される。
 クーラーがよく効いた部屋で飲む冷たい炭酸水の味は格別だった。
「おまたせしました」
 会議室に秘書を連れて入ってきたのはこの大学の理事長であった。モーガン・ヘキサス。
「今回はこのような依頼を受けてくださり、ありがとうございます」
「いや。放っておけるモノではないからな」
 武彦は素っ気無くそう言いながら首を横に振る。その隣でセレスティは静かに微笑むのだ。ああ、だから人間は愛おしく、面白い。
 セレスティはほとんど見えない瞳を理事長に向ける。見えないからこそ、彼には見える。物の本質が。ずば抜けた高い知性、経験、そして最高級の占い師としての直観力。リンスター財閥総帥として人の上に立ってきた洞察力、そのすべてをフルに使って。
「それで今回の依頼は調査、という事ですが。首無し騎士に殺されたこの大学のスタッフの」
 理事長の顔色がわずかに変わり、目は左右に目まぐるしく揺れた。口にする事すらも畏怖する存在、首無し騎士。
 それはいかなるモノか………
「キミも理事長という立場であられるのなら、情報こそが全てを制する事は百も承知のはずです。違いますか? 私たちは少しでも多くの情報を必要としています。ですから、キミが知りうる限りの情報を私たちに伝えていただきたい」
 セレスティのその声は静謐で厳かな力を持っていた。
 場の空気が良い意味での緊張感を帯びる。
「そうね。まずはこの事件、最初はテロリストによる犯行だと思われたのでしょう? この大学が行った事に対する報復。でもそれはそうではなかった。でっちあげ。現場となった街を仕切る貴族の。それを崩したのが地元のコーディネーターなのよね? だけどどうしてその人だけ助かったのかしら? 皆殺しだったのでしょう。他のスタッフは」
 緊張が硬くなる。息苦しい、重苦しい空気が場を支配した。
 窓際に置かれた花瓶に生けられた花の花びら一枚、ひらりと落ちた。尚道はそれを見つめながら下唇を噛む。
「なるほど、シュラインさんの言う通りだ。そこには何か意味があるのか。病院関係者じゃないから助かったのかと思っていた。でもそこに何らかの意味があるのだとしたら………」
「そうですね。地元コーディネーターは深く殺された医師団と関わりを持っていたはずです。医師団が殺された理由は、おそらくは病気と何かしらの関係があるのでしょう。だとしたら少なからずコーディネーターだって、それを知る機会もあったはずです」
 モーリスは口許に軽く握った拳をやりながらそう呟き、そして人当たりの良さそうな笑みを浮かべながらも、どこか居心地の悪さを見られる者に感じさせる瞳で理事長を見据えた。
 モーリスも医者だ。だから現時点での知りうる情報から推測する。医学というモノを研究する科学者として。
「この街は随分と閉鎖的です。だから当然知っていて当たり前な事すらも知らない可能性があります。予防法を知らずに水や大地が汚染されている状況もあります。そういう危機的な状況が民衆を脅かしている。水俣病とか、そのような感じで」
 部下の推測にセレスティも同意を示した。
「東西に流れる川を分断していることで、貴族の領地には被害が出ていないのかも知れません。昔からある細菌が起こす土地独特の風土病の可能性もある。そういう事柄を秘密にしたい何者かが居て、事実に近づいた彼らを口封じした。病気を広めるためとか」
 セレスティの呟きにシュラインは皺を刻んだ眉間に手を当てた。
「最低ね。命をどう思っているのかしら」
「何とも思ってはいないのデショウ。この世ニハ確かニ自分の命以外は紙切れにシカ思えない人間は居るのですカラ」
 ジュジュは冷たく言い放つ。彼女は知っているから。自分自身がそうだという事を。そして他にもそういう人間は居ると。
 だがもう一つ可能性があった。この街を治めるのは貴族だという。だとしたら………
「とにかく情報です。情報が欲しい。一つ、一つの情報がピースとなってやがてそれが真実を描く絵となる。論理の鐘を鳴らすには地道な努力もまた必要なものです」
 セレスティは組んだ手の上に形の良い顎を乗せた。
「とにかくそのコーディネーター。彼に会わせてもらえないデスカ?」
 ジュジュは言う。だが彼女が訝しむように眉間に皺を刻んだのは、理事長が顔を左右に振ったからだ。
「彼もまた、首無し騎士に殺されました。つい先日」
 顔を見合わせる一同。
 クーラーの音だけが、しばらくその部屋をたゆたう。
「彼は警察から逃げている指名手配犯だったのです。名前を偽って、コーディネーターをしていました。しかし今回の事件でそれが警察にばれて、捕まったのです。そしてそれがテレビで報道された夜に、彼は殺されたと聞きます。警察の方も何人か犠牲者になったと。ですから話を聞くのは無理でしょうし、そして私たちもすみませんが何もわからない状況なのです。あなたたちだけが、頼りです」
 顔を見合わせる武彦たち。
 しかしセレスティは瞼を閉じて、小さく溜息を吐いた。
「論理の鐘はわずかですが音色を奏でました」
 尚道がわずかに目を見開く。
「何かわかったんですか、セレスティさん?」
「ええ」セレスティは、尚道に頷き、それから理事長に問うた。「医師団は、殺された者たちは皆、名前を名乗っていたのですよね。本当の?」
「は、はあ。だと思います」
 ぱちん、と手を叩く音がした。その音を奏でたシュラインに視線が集まる。彼女は瞼を瞬かせた後に、少し恥かしそうにしながらこほん、と咳払いをした。それから、顔つきを真剣な物にさせて、言う。辿り着いたひとつの真実を。
「名前、ね。セレスティさん」
「はい。おそらくは首無し騎士は名前がわかっていないと、殺したいモノを対象者にはできない。そして後は自分の邪魔をする者だけを対象者以外に殺すのでしょう」
 一を知って、十を知る。セレスティはそこまで思考していた。
 尚道は頷いた。
「なるほど。だとしたら、名前は、言わない方が良いという事ですね」
「そういう事だね、尚道君」
 モーリスはようやく数式の解を理解してくれた生徒を見据える教師のような顔をした。そんな彼に尚道は微苦笑を浮かべる。
 セレスティによって最大の脅威である首無し騎士の攻略方法の糸口は見つかった。
 次は、貴族が治める自治地区に乗り込むのだ。しかしそうなる前に一同は、今夜、運命の夜を迎える事になる。



 ――――――――――――――――――
【W】

 
 大学側が用意してくれたホテルで一夜を過ごす事になった。
 個人行動をしていたジュジュも再び合流して、一同はホテルの近くにある酒場で夕食をとることとなった。
 注文された様々な料理と酒でテーブルを埋め尽くして、一同は舌鼓を打っていた。
 店内には陽気な客の笑い声や話し声、店員の声などが大きく響き渡り、活気に溢れていた。この店はこの街で一番の店なのだ。
「さすがに美味しいわね」
 シュラインは自分が気に入った料理を小皿の上に乗せていく。
 それから右斜め前の席に座る武彦の皿が空なのを見て、つい、いつもの調子で………
「武彦さん、お皿………」そこまで言って、自分が彼と喧嘩中なのを思い出す。一同はシュラインを見る。
 なんとなく、そう、なんとなくこのままではダメよね? そんな風には彼女も思っていた。
 想っていたけどシュラインにだって意地はある。今回は絶対に折れてはあげられない。
 だから彼女は女の意地を貫き通す。
「………が、空よ。謝るんだったら、私のお勧めのお料理をとってあげるわよ?」
 そうそっぽを向きながら言って、横目で武彦を見る。
 彼は口に煙草をくわえながら、憮然とした表情を浮かべ、それから後はまるっきり子どもな行動をした。必殺、食べれもしないのに、料理全種類を皿の上に乗せる作戦。後は食べ合わせとか、味の相性とか、そういうモノは一切無視して彼は料理を口の中に放り込んでいく。
 シュラインは呆れる。それから彼女はグラスのビールを一気飲みで飲み干すと、ふんと鼻を鳴らした。
 尚道はそんな二人に苦笑を浮かべ、隣のセレスティにこっそりと囁く。まるで何かよからぬ相談でもするかのように。
「セレスティさん、この二人、どうすれば仲直りするんでしょうかね?」
「やめておきなさい、尚道君。夫婦喧嘩は犬も食わないのですから。ほかっとけば元の鞘に戻っていますよ。こういうのは気を使えば周りが馬鹿を見るだけです」
 主の前に料理をよそった小皿を恭しく差し出して、モーリスは微笑んだ。
「それに雨降って、地固まる。これを機に二人の仲が進むかもしれませんしね」
 今度は自分の分の料理を小皿によそいながらモーリスはくすりと笑った。
 モーリス、楽しんでいるな、そう感じた尚道は小さく肩を竦めた。
「さあ、ジュジュさんも食べて」
「サンキュー」
「いえいえ、どういたしまして」
 ジュジュの小皿にシュラインはお勧めの料理を乗せていく。基本的に彼女は面倒見がよく、そしてそういう事がやれるのが嬉しいのだ。
 そんな彼女を仏頂面で見ている武彦にセレスティはふふんと意地悪く笑う。
 尚道には肘で脇腹を突かれる始末。
 今の武彦は情けない。それを一番良く知っているのも彼自身だ。
「いつまでも小鳥が鳥篭の中に居ると思っていると、あとで空っぽの鳥篭を抱きながら泣く事になりますよ」
 モーリスがそう、言う。
 尚道はこくこくと頷いて、武彦の肩に片腕を回して、囁いてやる。
「ここはひとつ、草間さんが謝れば、丸く収まりますって。だってあれはどう見ても、草間さんが悪いっすよ?」
 その場に居た尚道がそう言うのだから、それはそうなのだろう。
「さあ、草間さん。謝りましょう」
「…………」
 尚道にそう詰め寄られて、武彦はくっしゃと前髪を掻きあげると、潔く逃げた。
 席から立ち上がって、さっさと席を離れていくのだ。
 思わず半眼になる尚道。
 モーリスは口許に軽く握った拳を当てて、それから実はずっと小耳を立てていたシュラインを意地悪そうに横目で見据える。シュラインはわずかに身を後ろにそらせた。
 そんな彼女の横顔をジュジュはとろーんとした目で見ていたが、わずかに小首を傾げた。
「どうシテ、喧嘩をしているんですカ? いつも仲良しさんデスのニ?」
 真顔で、そう言われた。
 シュラインはジュジュの顔を見て、それから顔を片手で覆う。
「仲直リ、しにくくナリますヨ、長引けば」
「わかっては、いるのよ。うん、私だってね。でもねー」
「女の子の意地ですか?」
 セレスティが意地悪く言う。
 シュラインは苦笑しながら頷いた。
 それから彼女はパンパン、と手を叩いた。
「はい。もうこの話はここでお終い」
 では、と、モーリスはジュジュを見た。
「今度はジュジュ嬢の得てきた情報を聞きましょうか? ジュジュ嬢はジュジュ嬢で、依頼を受けて、それで私たちと行動を共にしているのでしょう? その方が、有利だから。でしたらやはり………」
 ジュジュは肩を竦める。
「ギブ&テイクですネ。しょうがない。いいですヨ。と、言いたいところですが、ミーは依頼者とは会っただけで、情報は何ももらえませんでした。だからこそ、ユーたちと一緒にいるんです。そしてこれは、草間さんにも言いましたが、ミーはミーで今回の事件に関して、別ルートでの依頼がありました。その依頼の内容も依頼者も詳しくは言えませんが、しかし場合によってはユーたちと敵対するかもしれません。でも、それまでは草間興信所とミーとの共同作業です。ですから利害が一致する限りはミーはユーたちの味方です。OK?」
 セレスティは肩を竦める。
「草間氏がそれを認めている以上は、私はそれに従いますよ。それに最終的にはそれぞれの判断で動かねばならなくなるでしょうしね。そこでキミがどのような行為を取ろうと私にそれを言う権利は無いのですから。私は仲間を守るだけです」
「私も主がそれで良いというのでしたら、反対する権利を持ちません。分は、わきまえていますので」
 モーリスも恭しく言う。
「俺だってさ、いいさ。文句があるならあの汽車の中で言っていたさ」
「利害の一致、最後までする事を祈っているわ」
 シュラインは優しく微笑んだ。
 こうして晴れて完全に草間興信所と、ジュジュとの共闘協約が結ばれたのだ。
 そしてそれを見計らったように武彦がひとりの女性を連れてやってきた。その女性は美しいが、ひどくやつれていた。



 +++


「た、助けて。あたしを助けて。今度はあたしの番。あたしが殺される」
 彼女は叫んだ。
 ヒステリックに泣き叫んで。
 悲壮で、切羽詰っていて、尋常じゃない。
 その内容も。
「あたしは首無し騎士に殺される」
 彼女は顔を両手で覆って泣き続ける。
「とにかく落ち着いて。大丈夫だから」
 シュラインは温かな飲み物を注文してそれを彼女に勧めた。
「落ち着いた?」
 こくりと頷く。でもそれは嘘だ。彼女の全身は震えていた。それほどまでにその恐怖は植え付けられているのだ。
「一体何が? 首無し騎士にあんたは殺される、って言うけど、それはどうしてなんだ?」
 尚道は問う。
「あたしの父さんと母さん、病院やっていて………」
「それはあの街でスカ?」
 ジュジュの問いに彼女はこくこくと頷いた。
「父さん、外科と内科。母さん、産婦人科。あたし、見た、母さんとおばあちゃんが喧嘩をしているの。そうしたら、お父さん、お母さん、首無し騎士に殺されて」
 セレスティは瞼を閉じる。何かを思考する。
 モーリスは主の思考を邪魔せぬように口を閉じて、ただ待つ。主の思考が導き出した論理の鐘が奏でられるのを。
「それであたし、記憶を失って。だけどあたし、見て。あの人たち、殺されるの。首無し騎士に。それであたし、取り戻して、記憶。そうしたら、だからあたし………逃げてきて。だってあたし、殺されるから、首無し騎士」
 彼女はそれをうわ言のように言った。「おばあちゃん、お母さんを苛めないで」
 それはどういう事か、ほとんど正気を保っていない彼女に辛抱強く武彦が質問しようとした時、そうしてそれが現れたのだった。
 ………死の権化、悪夢のような現実、首無し騎士。



 ――――――――――――――――――
【X】


「リリーナ………かわいそうに。親の業を背負わされて」
 一同が見守る先で彼女は、首の無い孫娘の遺体に抱きついた。そして声を押し殺して泣き出す。
 その姿は誰が見ても悲壮で、痛々しくって、嘘はないように思えた。
 しかしそれをそのまま信じるには一同は、リリーナから聞き捨てならぬ事を聞かされていた。『おばあちゃん、お母さんを苛めないで』
 尚道は観察している。彼女を。温度の無い光を宿す瞳で、クールに。
「リリーナ」
 そしてそこに新に入って来たのは白衣を来た女性だった。30代前半ぐらいか。
「パールバティー。リリーナが………」
「母さん」
 パールバティー、そう呼ばれた彼女は、瞳に涙を溜めて、母親を抱きしめた。
 部屋の出入り口では小さな男の子がこちらを見つめていた。
 尚道は隣に立っているモーリスと顔を見合わせあった。
 リリーナ・カインが経営する病院がこの街唯一の病院であった。
 そして川を挟んだ向こうにある貴族の街にはパールバティーが診療に行っているらしい。
 まだ全てが推測の域を出ない。そして決定的な情報が無い。
「カイン先生。うちの子どもが」
 女性がひとり、まだ乳飲み子を腕に抱いて病院に飛び込んできた。
 セレスティはリリーナの祖母、ハルミナ・カインと、パールバティーを見る。それから視線をモーリスに向けた。
「モーリス。お願いできますか?」
「はい」
 恭しくモーリスはセレスティに頭を垂れた。
 それからモーリスはカイン母娘を見る。
「私は医者です。もしもよろしければ今日は私に診療を。クランケのプライバシー問題などがあるのでしたら、今日だけ私をこの病院のスタッフに。クランケのプライバシーは以後、守ります」
 セレスティはカイン母娘に頷いた。
「私たちはリリーナ嬢に大きな借りがあります。それを返させていただくためにも」
「俺たちは怪しい者じゃない。俺たちもここの病気の謎を解くためにやってきたんです。だから信じてください。救いたい気持ちは嘘じゃない」
 頭を振る尚道のその姿は誠実そのものだった。
 それがパールバティーの心を揺さぶったのかもしれない。
「母さんは、リリーナの傍に居てあげて。あたしが病院には出るから。あの、では、手伝ってもらえますか?」
「はい」
 モーリスは静かに微笑んだ。
 病人はモーリスが主に診て、それをパールバティーが横からサポートするというものだった。
 モーリスは結局、朝の9時から夜の11時までひきりなしにやって来る病人たちを診ていたのだが、そのほとんどが子どもだった。例の先天性の病気を抱え持つ子たちだった。
 こんな閉塞的な環境では最新の機器も無く、薬もはっきりと言って充分ではなかった。モーリスはそれでも知恵を働かせて、その状況での最良の措置を取っていく。
 そんな彼の医療行動に舌を巻きながらも尚道はセレスティの隣で、リリーナの祖母、ハルミナ・カインを見つめていた。
 本当にどちらなのだ、彼女は?
 そればかりが尚道の頭の中でぐるぐると回っていた。
 そんな彼の足に何かが当たった。何だ? 尚道は視線を下に落とす。紙飛行機。それから部屋の戸口の方を見ると、先ほどの男の子が居た。
 彼は尚道の顔を見ると、にこりと笑う。
 それから走っていく。
「遊んで、もらいたいのかな」
 空気は感じてはいるが、しかしそれを気遣うような事は子どもだからできない。
「あれはパールバティーの子どもです。私の孫。もう、たった独りの。病院は忙しいから、いつもあの子に寂しい想いをさせて」
 ハルミナはぼそりと呟いた。
「診察料は、取ってはいないようですね」
 セレスティが言う。
「皆、貧しいから。子どもを持っている所は特に。だから子どもの診察料はもらっていないんです。助けてあげる事もできないし。それに………」
「それに?」
「この病院は貴族の運営による物ですから、資金繰りには困ってはいない」
「なるほど」
 セレスティは静かに頷く。
 尚道はおや? と、思った。何となくだが、彼女は自分から何か、キーになるような事を言っているらしい。そしてセレスティはそこから何かを感じ取っている。
「あの…」
 まだ形を為さない、しかし事件に関してそれは決定的であるという事を感じながら尚道はそれを口から言葉に紡ごうとするが、その彼の足にまた、紙飛行機が当たる。
 決定だ。やはりあの子どもは自分に遊んでもらいたいらしい。
 尚道は肩を竦めると、セレスティを見た。セレスティは頷いてくれる。
「こら、こんな折り方じゃダメだ。俺がもっと飛ぶ飛行機の折り方を教えてやるよ」
 落ちていた紙飛行機を持って、尚道は戸口の方へと行った。



 +++


「うわぁ。すげー。飛んだ、飛んだ」
 パールバティーの子はガネーシャと言った。
 彼は尚道が折ってやった紙飛行機を追いかけて、はしゃぎまくっていた。
 ガネ―シャの話だと、彼と同い年の子どもはおらず、遊ぶ相手は誰も居ないそうなのだ。
 ガネーシャが心身ともに健やかに生まれてきたのは本当に心の奥底から喜ぶべき事だった。しかし………
「あー、クソぉ」
 尚道は苛だたしげに前髪を掻いた。そういう事も含めてカイン家を知れば知るほど、嫌な想像を膨らませてしまう。
 ガネーシャの前でそういう事を考える自分が嫌だった。
 ガネーシャは尚道に懐いていた。どうして自分なのか? それはわからなかったけど、でもそれは尚道だって嬉しい。
 いや、わかっていた。ガネーシャがどうして自分に懐くか。それは尚道が余所者だからだ。ガネーシャは子どもだが、しかし生まれた時からこの街で暮らしているのだ。子どもなりに何かを感じているのかもしれない。
「ガネーシャはずっと、独りだったのか………」
 尚道はその真実に行き着き、そしてそれから顔を片手でごしごしと拭うと、ガネーシャの身体をひょいっと、持ち上げて肩車をし、走り出した。
 最初はガネーシャは驚いたり、はしゃいだり、そういう子どもらしい反応を見せていたけど、でも、途中から尚道の頭にしがみついて、泣き出した。これまでずっと溜め込んできた物をすべて吐き出すように。甘えるように。
 尚道は夕日を見ながらガネーシャに言う。
「強くなれ。誰よりも、強く。そして祖母さんや母さんを守れる男になれ。おまえが二人を守ってやるんだ」
 そう優しく語りかける尚道に、ガネーシャはうんうんと頷いていた。
 夕日の光は優しく、二人を包み込んでいた。



 +++


 尚道たちは外出し、モーリスもずっと忙しそうだった。
 セレスティは孫娘の遺体の隣でずっと座り込んでいるハルミナを見据えていた。
 がちゃり、と戸口が開いた。
 誰かが入ってきた。頭から白い布を被った、細身の女性だった。
 その女性が入ってきた瞬間、部屋の空気が孕む匂いに、また違う匂いが混じった。
 きつい香水の匂い。果実が熟しきって、腐り落ちる寸前のような、そんな甘い香り。
 ハルミナの隣に立っていたセレスティは瞼を閉じ、そしてわずかに開けた瞳で、その女性を見据える。
 彼女は遺体をわずかに見ただけで、後はそれに構わずにハルミナに囁いた。
 それから部屋を出て行った。
「あれは?」
 小首を傾げるセレスティに彼女は隠そうとはしなかった。
「この街には土着信仰があります。信仰されている宗教、ソレル教のシャーマンの遣い」
「ソレル教。シャーマン。あなたは、その信者なのですか?」
「この街に住む者は皆、信仰しています。私がこちら側では一番の崇拝者ですよ」
「そうですか」
 再びセレスティは瞼を閉じた。それからずっと彼はどこか記憶の奥底にある書架から本を探すかのようなそんな思考を続けていた。



 +++

 
 カイン家はハルミナ・カインが経営する病院の隣にあった。
 この閉鎖的な街ではどうやら家屋に鍵をかける習慣は無いらしい。
 ジュジュはピッキングの道具を鞄にしまうと、扉を開けた。
 3階建て古い家屋。部屋の中の空気には薬の匂いが染み付いていた。
「サテ、何かありますかネ?」
 カイン家が怪しい。それは全員の共通の意見だった。
 ジュジュはだからカイン家の隠している事を暴き出すために家に侵入したのだ。
 気配を殺し、周りを見回す。家の中の隅々まで見渡して、どこかに、人が何かを隠そうとしている不自然さを見つけ出そうとする。
 そうだ。どれだけ上手く隠したつもりでも、何かを隠す、という行為自体が人の理性に負担をかけて、どこかに不自然さは現れてしまうものなのだ。
 そういう人間臭さが抜けきらない所をジュジュは見つけようという。
 真っ赤な口紅が塗られた唇の端をわずかに吊り上げてジュジュは隠し扉を見つけた。
 その扉を開けて、彼女は真っ暗な闇の底へと落ちていく階段を降りていく。
 闇の澱が沈殿するかのような一条の光も無い濃密な闇の中に降りて、ジュジュはすぐ間近にあった壁に指を這わせた。数分、そうやって闇の中で指を這わせた彼女はついに電灯のスイッチを見つけて、それを指で押した。
 天井にある電灯から明度の低い光が降り注ぐ。
 しかしそれはそこに沈殿していた闇を払拭するにはあまりにも儚かった。
 ほの暗い闇の帳がまだ落ちているそこの空気は冷たい。真冬の墓地に居るようなそんな泡肌の立つ寒気が漂うのは、そこが地下だから、という理由だけではないだろう。
 壁には一枚の大きな絵がかけられていた。そこから間違いなく冷気が漂い出しているのだ。
 おびただしい血の赤をバックに駆ける首無し騎士の絵。
「確証ネ。この絵、首無し騎士。だったら、この絵をどうにかすれば、首無し騎士を、どうにかできル?」
 ジュジュはポケットに入れてあったライターを取り出した。その火を絵に近づける。燃やしてしまえば、首無し騎士をこの世から消滅させられるかもしれない。
 しかし絵に近づけた火は蛇となって、逆にジュジュを襲う。火の蛇は彼女の首に巻きついた。人肉と髪が焼ける不快な臭いが濃密に闇の中に広がっていく。
「ぐぅがは」ジュジュは口から押し潰したうめき声をあげながら、手でライターの火を押し消した。転瞬、火の蛇も消えて、ジュジュはその場に崩れこむようにして座り込んだ。
 首無し騎士の絵は変わらずにそこにあって、そして相変わらずそれからは凄まじい墓場のような冷気が漂い出していた。
 ジュジュがわずかに目を見開いたのはその絵にネームが書かれていたからだ。この絵を描いた作家の名前だ。
 ほの暗い明かりの中で、それでも彼女はそれを読んだ。ジュ―ムズ・フリーガン。
 それはこの街を治める13家の筆頭貴族の当主の名前であった。



 +++


 居心地が悪い。
 いつもなら武彦と二人きりなんてシチュエーションは嬉しくって仕方ないのに、今回に限っては空気が重い。
 喧嘩継続中。
 女の子の意地は貫き通したい。
 どうしたって今回は武彦が悪いのだ! 武彦さんが謝るまで許してあげるもんですか。
 ―――だけど、武彦はかなりショックを受けていた。
 自分を守って、リリーナが死んだのだ。
 確かに首無し騎士の目的は彼女だった。そして百戦錬磨の有能な戦士である仲間が誰一人首無し騎士には敵わなかったのだ。
 しょうがない、事だった………。
「それでも納得なんて、できる訳が無いわよね、あなたは」
 シュラインはちらりと並んで歩く武彦を見る。
 何でも無い素振りをしながらも、しっかりと武彦は心にダメージを負っている。それが見抜けない自分ではない。これまでずっと自分は彼の隣で、草間武彦を見続けてきたのだ。
 痛々しい………小さな、子ども。そんなイメージが武彦を見るシュラインの心に過ぎる。
 そして彼女は、
「あー、もう。武彦さん、しっかりして!!!」
 あっさりと自分から折れた。
 確かに貫きたかった、女の子の意地。
 だけど大好きな人が、何よりも守ってあげたい人が、心にダメージを負っている。それを見過ごせる訳が無い。


 好きだから、こそ。


「シュライン」
 武彦は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「ほら、髭。剃り残し。零ちゃんに嫌われちゃうわよ」
 愛おしげにシュラインは武彦の顎の剃り残しの髭に指先で触れて、その後にその手で頬を触って、抓って、引っ張る。
「お、おい」
 意地悪く笑う。
「これでチャラにしてあげるわ、今回の事は。だからもう、仲直り。ね、武彦さん」
 サングラスの奥で武彦の瞳は柔らかに細められた。
「ああ。すまなかったな。すまん。本当に」
「もういいわよ。それよりも大丈夫じゃないでしょう? 武彦さんは。だから、私の前ではどんなにへたれててもいいから、それで持ち直して。あなたは草間武彦なんですからね」
 腰に両手を置いて言う。
 武彦は苦笑をし、それから、「ああ。じゃあ、そうさせてもらう」
 そう言いながらシュラインを抱きしめて、身を預けた。
「ちょ、ちょっと、武彦さん」
 頬をほんのりと赤らめながらも、武彦の背中をぎゅっと抱きしめた。
 ―――あなたは必ず私が守るわ、武彦さん。
「さてと、じゃあ、本格的に調査を始めましょうか、武彦さん?」
「ああ」
 二人で調査を始める。
 街の中央にある広場では、露天商が立ち並び、そしてそこにはよくわからない薬草とかの類と、干物とか、なんか色々と並んでいた。
「あんたらは旅行者の方かな?」
 英語で声をかけてきたのは老婆だった。
「ええ、そうよ、おばあさん」
「新婚旅行かね?」
 そう言われてシュラインは満面の笑みを浮かべながら武彦を見、武彦は真っ赤な顔でそっぽを向く。半眼になるシュライン。
 彼女は溜息を一つ、吐いて、老婆に話し掛けた。
「これは薬?」
「ああ、そうじゃよ。うちが扱っているのは殿方専用の薬」
「殿方?」
 手招きをする老婆にシュラインは顔を近づけて、老婆はいひひひひと笑いながらシュラインの耳に薬の効用を囁く。顔を赤くするシュライン。耳まで赤い。
「ああ、えっと、どうして、そんな薬を?」
「旅行者じゃ知らんね。この街にはね」
 そしてシュラインはその老婆から決定的に欠けていた情報のピースをもらった。
 この街の民はソレル教を信仰している。
 それは月を敬う宗教。
 女性は結婚前は性交渉はせず、そして、結婚後は子どもが月の神の加護を受けるように満月の日にだけ性交渉をする。
 それは貴族も同じだという事を………。



 ――――――――――――――――――
【Y】


 モーリスは水で手を洗いながら溜息を吐いた。
「ごめんなさい。モーリスさん。お疲れになったでしょう?」
 パールバティーがすまなさそうな顔をするが、モーリスは顔を横に振って、人当たりの良い笑みを浮かべた。
「いえ、問題ありません。それに診療の間は疲れを感じている暇などありませんでしたからね」
「今日は特に忙しかったです」
「外からの医療支援をもっと受けてはどうなのですか? 例の大学の医療チームの支援ももめにもめてようやく認められた、との事でしたが、やはりあなた方の医学の知識も、そして医療設備も遅れすぎている。私は、あの子たちのためにももっと最新の医療設備が整ったしかるべき所での治療をあの子たちに受けさせるべきだと思います」
「そ、それは………」
 口ごもる彼女から、モーリスは視線を外す。
「遺伝子解析をかけて、調べれば治療法はすぐに見つかるのではありませんか?」
 細めた目で観察でもするかのように見たパールバティーはそんなモーリスの言葉に動揺したようだった。
「あなた、もう………」
「情報はありません。だから推測です。推測でしかない。ですから私はそれを口にはできませんし、そしてそれはきっと私の主が行き着くでしょう。でしょうから私は何も言いません。私は分はわきまえていますので」
 にこりと笑うモーリス。
 パールバティーは俯く。
 部屋の扉がノックされ、扉が開く。
 ガネーシャを背負った尚道が入ってきて、そこにある張り詰めた空気に小首を傾げるが、しかしモーリスは別段それを意には介さなかった。
「尚道君、早くガネーシャ君をベッドの上に寝かせてあげては?」
「ああ、そうだな」
 尚道はベッドの上にガネーシャを乗せた。
 すやすやと眠っている我が子の顔を見るパールバティーの顔はとても優しく、そして悲しそうだった。
「パールバティーさん。ガネーシャは良い息子さんです」
 ガネーシャの髪を優しく撫でながら尚道は言う。
 パールバティーは尚道の横顔を見つめ、微笑んだ。まるでそれはくしゃくしゃの紙に包んだ、くしゃくしゃの花束のような、哀しい、笑みだった。
「ありがとう、ございます」
「そしてガネーシャは強いです。あなた方が思っている以上に。だからそれを忘れないでいてやってください」
 頭を下げる尚道。
 モーリスはそんな彼に微笑み、俯き、涙を落とすパールバティーを見据えながら、言う。
「私が今日診察した子どもたちの親、すべてが我が子を心から心配していました。それが本当に私は何よりもの救いだと思ったのです。そして確信しました。これは街ぐるみの事、暗黙の了解のうちに行われている事だと。だからこそ、私は、あなた方を救いたいと思いますし、そしてそれは私の主も同じでしょう」
 それだけ言うとモーリスは尚道の背中に片手を回して、共に部屋を出て行った。



 +++


 作戦会議室。
「ご両親の了解を得てDNA検査をすればばっちりとわかるわね、貴族と領民の子どもが変えられている、って想って、大学側に提出されていないか先ほど確認したら、今日それが到着したんですって。今調べているという事よ。宗教上性交渉時期も重なるから、出産時期も重なりやすくなるでしょうし、そしてカイン家なら、貴族と領民の子どもを代える事は可能よね。リリーナさんの母親と、ハルミナさんとの喧嘩もこれで説明がつくわ」
 シュラインは今日知り得た情報全てを報告して、メモ帳を閉じた。
「リリーナの母親はそれを告発しようとしたんでしょうネ。今回の医師団虐殺モこの秘密を知られまいト。カイン家の地下ニハ首無し騎士の絵がありましタ。ハルミナがシャーマンと親しいというのなら、彼女がシャーマンに頼んデ、リリーナの両親ヲ殺害させたノかも知れません。それにしても貴族ノ血は尊い、デスカ」
 ジュジュは肩を竦めて、鼻を鳴らす。
「誰が首無し騎士を本当に動かしているのか、ですね。所有者ならば絵の効果を知っているとは思います。リリーナ嬢は殺され、首が持っていかれました。しかしこれは他の被害者では行われてはおりません。絵に描かれた騎士の素性、それを知る事ができれば、良いのかもしれません。絵の作者は、貴族だったのですね、ジュジュ嬢?」
 問うモーリスにジュジュは頷いた。
「奇形の仕組みを知っているシャーマンと貴族が、証拠抹消のために、事実を知っている者を抹消している? リリーナさんたちの事は、ハルミナさんたちへの見せしめとか。とにかくハルミナさん。あの人にすべてを聞けばわかる。あの人、もう後悔していたようですし」
 尚道は苦しそうに呟く。手にはガネーシャの紙飛行機があった。
「そうですね。リリーナ嬢の残した言葉が真実に一番近いのでしょう。あるいは我々は勘違いをしているのかもしれない。事の発端を」
 セレスティが言った言葉に皆が視線を彼に集中させる。
「病院の経営状態と仕入れている薬品などを調べてみました。するとおかしな事がわかったのです。20年前はあの病院はカイン家の持ち物でした。苦しい資金繰りで運営していたようです。それはハルミナ・カインが貴族に逆らった経営をしていたからでした。貧しい領民のために。リリーナ嬢の母親たちこそが貴族と懇意にしていたようです。そしてまず20年前に初めて、この街の領民に病気を持った子どもが生まれてきました」
「では、まさかユーはリリーナの両親こそガ、最初に摩り替えをやったト言うんデスカ?」
「おそらくは」
「脅迫されている? 貴族に、ハルミナさんたちは今も。20年前、喧嘩して、それで、目覚めて、だけどそれ故に………」
 尚道は左手の手の平を右拳で打った。悔しそうに。
「自治地区での伝承、風習、宗教、習慣等を私はシュライン嬢に調査してもらうように頼んだのですが、その間、私も調べてみました。カイン家の過去を。どうやらカイン家は元は貴族だったようです。伝統的な軍人貴族として、この国の王に仕えていたのですが、ハルミナ・カインの亭主は、王への不敬罪によって首を落とされたそうです」
 セレスティは言って、瞼を閉じた。



 ――――――――――――――――――
【Z】


「どうしたんですか、パールバティーさん?」
 話を聞くためにカイン家を目指していた一同は、カイン家の前で言い争っているハルミナとパールバティーを見た。尚道は走り出し、いち早く二人の所に辿り着く。そして泣き崩れそうになるパールバティーを抱きとめて、彼はそう聞いた。
「ガネーシャが、ガネーシャがいなくなったんです」
「なっ」尚道は絶句する。脳裏を目まぐるしく色んな考えが過ぎった。しかしだからといって彼に言える事は決まっている。
「大丈夫。ガネーシャは生きている。どこかにいます。パールバティーさん。ガネーシャの奴が行きそうな場所はどこか心当たりはありませんか?」
 ハルミナとパールバティーは顔を見合わせあって、そしてふるふると二人とも辛そうに顔を左右に振った。
「体力勝負、という事か」
 この街全てを走り回る体力の自信はあった。
「尚道君。ひとりより、二人でしょう」
 今にも走りだそうだった尚道の肩に手が置かれる。モーリスだ。
「モーリス」
 顔を綻ばせる尚道にモーリスは微笑を浮かべる。尚道はモーリスが心許す数少ない人間の内のひとりなのだ。
 モーリスは主を見た。
 セレスティはこくりと頷く。
「頼むわね、尚道君、モーリスさん」
 シュラインは取り出したハンカチでパールバティーの涙を拭きながら言った。
「はい」
「ええ」
 二人は頷き、走り出そうとする。
 その二人にパールバティーは必死に訴えた。
「あたしも、あたしも連れて行って、ください」
「しかし、それは」
「そうだヨ。ソレハ危険ね。二人に任せテおいた方がイイよ」
 ジュジュは言う。しかしそのジュジュにパールバティーは微笑んだ。その表情は本当に先ほどまで取り乱していた彼女と同一人物かと疑わせるような、そんな力強く凛とした表情だった。
「あたしは、母親だから、あの子の。もうこれ以上私はあの子を独りにしたくない」
 ジュジュは表情を変えずにただその彼女を見つめている。
「わかりました。じゃあ、パールバティーさんも来てください。正直、道もわからないし」
 尚道はパールバティーに手を差し出す。彼女はそれを握った。
「あなたは私たち二人が守ります」
 モーリスも言う。
 そして三人は夜の闇に消えていった。
 それを見送り、それから、
「事はどうやら急を要するみたいだネ。ここでの不安材料は首無し騎士ヨ。だからミーはシャーマンの所へ行く」
「ジュジュさん」
 シュラインは悲鳴を上げるような声をあげた。
「ダイジョウブ」
 ジュジュはシュラインに頷く。
「ジュジュ嬢。おそらくはこのシャーマンはゾンビー使いです。気をつけてください」
 セレスティの忠告にジュジュは微笑んだ。
「アリガトウ。だけどダイジョウブ。ミーはデーモン使いだから」
 その彼女の言葉にセレスティは微笑を浮かべる。
「確かに、そうですね」
 そして皆はそれぞれの行動を開始した。



 ――――――――――――――――――
【[】


「良し、じゃあ、行こう」
 走り出そうとする尚道の足にモーリスは足をかけた。
 思わず尚道は転びそうになるが何とか踏みとどまる。
「モーリス、おまえ、何をするんだよ?」
 熱くなる尚道にしかし逆にモーリスは溜息を吐きながら肩を竦めると、右手の人差し指の先で、尚道の額を突いた。
「だから熱くなりすぎだよ、尚道君」
「だが、こうしている間にもガネ―シャは!」
「そうです。こうしている間にもガネーシャ君には危険が迫っているでしょうね。だからこそ、冷静になるべきでしょう?」
 微笑むモーリスに尚道も苦りきった表情を浮かべて頭を掻いた。
「セレスティさんの影響か? そういうおまえの思考の方向性は」
「いえ。そうではありませんよ。だからこそ、あの方は私をお傍に置いている」
 微笑むモーリスの表情の意味は尚道にははかりかねた。
 この二人の関係は尚道の目からしても言葉にはできない。きっとこの二人には二人しかわからぬ何かがあるのだろう。
 しかし今ここで確かにそれを考える余裕は無い。
 尚道は思考の方向性を変える。
「そうです。思考の停止はそれだけで罪です。だから考えなさい、尚道君。君は今日一日彼と一緒に居た。その時に何かあったのではないですか? 何を話しました? 彼は何を言っていました? 考えていましたか? それを思い出すのです」
「俺は…俺はあいつに強くなれ、と言った。ハルミナさんやパールバティーさんを守れるように。じゃあ、あいつは二人を守るためにどこへ行ったっていうんだ」
 尚道はパールバティーを見た。彼女は前髪をくしゃっと掻きあげながら顔をくしゃくしゃにする。
「あの子、寝言を言っていた。おじいちゃん、首を捜しているの、って、さっき」
 その言葉が尚道とモーリスに衝撃を走らせる。
「モーリス、まさか」
「ええ。彼は知っているのでしょうね、無意識に首無し騎士が祖父だと。そしてその鎮め方も。血、だというのでしょうか? 首無し騎士は首を求めて、リリーナ嬢の首を持ち去った。孫、の血が何かあるのかもしれませんね」
「呼ばれた、ガネーシャは? だけどどうして急に。まさか覚悟か。あいつは覚悟したから、その覚悟が首無し騎士…祖父とのチャンネルを合わせさせたのか? ガネーシャの意識との」
「ありえます。だったらガネーシャ君は祖父の首を探しに行ったと考えるのが妥当でしょうね」
 二人は再びパールバティーを見た。
「首、首と言っても、父の首は………どこにもありません。少なくともこの街には」
「でもカイン家の墓はあるのでしょう?」
 目を細めるモーリスにパールバティーは両手で口を覆った。
「案内して、パールバティーさん。失礼します」
 尚道は軽々とパールバティーを抱き上げた。悪いが刻は一刻を争う。彼女を抱き上げて走った方が速い。
 そうしてモーリスと尚道は案内された。カイン家の墓がある場所に。
 小さな墓所がいくつも並んでいる。レンガで造った小型のドーム…日本では沖縄で見られるようなあの独特の墓所の文化がここでも見られた。
 ガネーシャは墓所の前で身体を丸めて眠っていた。
「ガネーシャ」
 尚道は大きく溜息を吐く。
 しかし次の瞬間、彼はパールバティーを速やかに下ろし、そして自分の後ろに下がらせた。パールバティーを守るように尚道は陣取る。
「モーリス。あいつ」
「はい。遅かったようですね。あれはガネーシャではない。では、あなたは誰ですか?」
 モーリスは静かな声で皮肉げな声で言った。
「これは異な事を言う。おまえたちは私を知っているのではないのか?」
 顔をしかめる二人。
 パールバティーは悲壮な声をあげた。
「シャーマン!!! …………どうして………………」
 母親の涙声に、しかしそのシャーマンは幼い子どもの顔に老獪な老人の表情を浮かべさせた。
「下準備はしてあったさ。いつ貴様ら母娘や貴族どもに裏切られても良いように、本体が殺されても、こうして私がその瞬間に復活するようにな。さあ、新たなソレル教シャーマン様の復活だ。それを祝うには何と美しい赤い満月か。おまえら、全員皆殺しだ」
 笑うそれ。
 赤い満月の真下で笑うそれの姿は確かに子どもだが、中身は明らかに怪異であった。それに人の心などあろうはずもない。
 だから尚道は歯軋りをし、
 モーリスは冷笑を浮かべた。
 右手を何かを切り捨てるように、モーリスは振る。
 瞬間、
「モーリス」
 尚道は叫んだ。
 パールバティーが檻に閉じ込められたからだ。
「本気か。本気でガネーシャを」
 熱くなる尚道に、モーリスは鼻を鳴らした。
「肉体は彼でも、中身は怪異。そしてほかっておけば、主に災いをもたらす。だったらここでガネーシャごと葬らせていただきます。主のために」
 冷酷無比に彼は言い放った。
 ガネーシャの顔から笑みが消え去る。当然だ。彼はそう言ったモーリスの顔を見ているのだから。
「おい。さっさとそいつから出て行った方がいいぜ。こいつはやると言ったら必ずやる奴だ。俺は知っている。こいつは何よりもご主人様至上主義なんだ。おまえにガネーシャの身体に入ったままで、何かできるのか?」
 尚道は投げやりのように言う。それがかえって恫喝の響きを込めて言うよりも、それを追いつめた。
「入れ物を壊せば、あなたも滅ぶのでしょう」
 両手にはいつの間にかメスが握られている。
 檻の中からパールバティーが泣き叫んだ。
 しかし泣き叫ぶ檻の中の彼女を背にモーリスは冷たく笑っている。
 セレスティは月。モーリスは太陽。そんなイメージを尚道は二人に見ていた。それは正しいと思う。
 しかし太陽は太陽でも、モーリスは真冬の太陽だ。その光すらも冬の温度によって冷たく研ぎ澄まされている。故に美しい。その冷たさこそが誇りとでも言わんかぎりの真冬の太陽は。
 モーリスのメスが赤い月の光を反射させる。
「き、貴様、この人でなしがぁ―――――ァッ」
「あなたに、言われたくない」
 メスの刃を煌かせてモーリスはガネーシャに肉薄する。
 シャーマンは呪言を唱えた。転瞬、夜の空気は一変して、周りの墓所からさ迷い出してきたのはあの世から強制的に蘇らされた亡者どもだ。
 奴らは肉薄するモーリスに牙を剥いて踊りかかる。言い伝えではゾンビーはその苦痛から解放されるために人の脳を欲しがるとか。
「苦しみから解放される前に食中毒を起こすぜ」
 額のバンダナを尚道は剥ぎ取った。額の第三の目が、静かに開かれる。能力、解放。
 黒髪の奥にある黒曜石かのような輝きを誇っていた黒瞳が、瞬間、夜空にあるあの赤い満月かのように、真紅の輝きを放ち出す。
 己が苦しみに囚われて、それを紛らわすために凶暴性を特化して人の脳を貪らんとするゾンビーどもが、しかしその異変を生じさせた尚道に恐れ戦いた。
 破壊というひとつの方向性の権化。破壊の化身。破壊神。
 高揚する心は破壊への欲望と陶酔にあるがまま誘われようとする。もしもそれに心を任せれば、おそらくはこの世界は滅ぶだろう。それが破壊神の性だからだ。
 尚道はまるで夢の中に居るかのように己の実体の無さを感じながらも、それでも必死に茫洋な存在となって、溶け出しそうになる己の心をイメージして、形作ってやっていた。
「しゅぅはぁー」
 小さく呼吸をする。
 そしてその尚道に後ろから羽交い絞めして脳みそを齧らんとするゾンビー。
 しかしそんな物は揺れ動く空気の動きと、隠し様の無い欲望の気で百も承知だ。
 わずかに身を翻らせて、ゾンビーの手首を掴むと同時に返した腕の動きだけで、尚道はゾンビーを宙に舞わせて、大地へと叩きつける。その瞬間に叩きつけられた大地を呪いで汚染しながらも、ゾンビー本体の腐った身体はその衝撃に耐え切れずに霧散した。
 墓場の湿った土と、腐った人肉の臭いが噎せかえるほどに充満した空気が不快に揺れ動く。
 夜は吠く、獣のように、恐怖にとち狂って。
 死という終わりの停滞に囚われたゾンビーどもの身体に叩きつける掌底や、円を描く腕の動きにわずかな体重移動、それだけで尚道はゾンビーどもを倒していくのだ。それは合気道の技だった。破壊の神は、正しき破壊によって命の停滞をも破壊していく。
 その尚道の顔に浮かぶ、破壊への誘惑に誘われそうな表情と、一方でそれを嫌い怖れる表情とをモーリスは細めた横目で見据えていた。
 もしも尚道が破壊への衝動を押さえきれなくなって、完全なる破壊の権化となった時、それを止めるのはモーリスの仕事だ。親友として。
「親友だからこそ、そんなのは避けたいものですね」
 人体の事は知り尽くしている。
 だからどこにメスを入れれば、骨や筋などに邪魔される事なく人体を解剖できるかなど、モーリスは百も承知。故に、モーリスのメスはこれで数十体目となるゾンビーの身体をメスで切り刻んで、ただの肉塊と戻した。
 ―――圧倒的だ、この二人。
「くぅそぉ。おのれ」
 シャーマンは身を翻らせた。せっかくこの世にこうして戻ったのだ。それをまた殺されてたまるものか!
「おや、どこに行くのですか? 行かせると、お思いですか? 舐めないでもらいたい、私を」
 まるで氷で冷やした手でうなじを触られたように、ただ、そのモーリスの声を聞いただけで、シャーマンの全身の毛が逆立って、泡肌が立った。
 金縛りに遭ったように身体が動かない。恐怖で。
「アーク」
 そうモーリスの声が夜闇に響き渡った瞬間、シャーマンの身体は檻の中に閉じ込められた。
 そしてその檻へと近づいてくるのは尚道だ。
「うぅぅぅぅぅわあああぁぁぁぁぁぁ」
 殺される。また殺されるのか、自分は、この二人に。こんな小僧どもに。
 それが許せるか。許されるものか。だからぁー。
「首無し騎士よ、ここに来い」
 シャーマンはそう叫んだ。
 夜の帳よりもまだ濃い濃密な闇色の塊がぬらりと赤い満月の光を浴びて、反射した。
 いっきに押し黙った夜の気配。先ほどまであんなにも騒がしかったにもかかわらずにだ。それは夜が恐怖している故であった。
 闇の産道を通って、それがこの世に現れる。
 漆黒の巨大な馬。それの蹄の音に重なって擦れる鎧の音。
 静かな鞘走りの音は死への序奏曲だ。
「パールバティーを殺せ、首無し騎士よ」
 シャーマンはヒステリックに夜に笑いながら、叫んだ。
「なるほど、上手い」
 モーリスは素直に感心する。こちらの名前がわからぬ以上、それが最良の策だ。
「ちぃー」
 尚道は走る。パールバティーの元へと。
 ゆったりと獲物を恐怖で嬲り殺すかのように首無し騎士は馬を歩かせ、故にモーリスはパールバティーと首無し騎士の間に割り込めた。突如、手綱が操られて、黒馬は疾走しだす。
 黒き一陣の風となったそれが繰り出すは横薙ぎの一撃だ。
「尚道君」
 モーリスは叫び、能力を発動させる。アーク。尚道の身体をパールバティーを閉じ込めている檻ごと、また檻で包んだ。
 しかしおびただしい血で濡れてきた刃はそんなモノにはお構い無しで繰り出されるのだ。
 事実、意味は無かった。
 モーリスの檻はその一撃で斬られたのだから。
 しかし首無し騎士の動きは止まった。
 交差した腕に深々と刃を食い込まされた尚道はその痛みに迸りそうになった悲鳴を必死に飲み込む代わりに、自らの血で作り上げた血黙りに、片膝をついた。
 首無し騎士は戸惑っている。
 命じられた対象が、突如、二人となったから。
 リライト。モーリスは己の姿をパールバティーへと変化させたのだ。故に首無し騎士のルールというシステムに異常が生じて、それは動きを止めて、
 アーク。モーリスはそれを何重もの檻で閉じ込める。
 そしてパールバティーの姿でシャーマンを見据えて、メスを、冷たく煌かせた。
 後ろに後ずさるが、背がすぐに、檻に当たる。
 一歩ずつ、モーリスはシャーマンへと近づく。躊躇いは、無い。
 殺す気だ。完全に。シャーマンを器のガネーシャごと。
 パールバティーは自分の姿をしたモーリスが最愛の息子にメスを持って肉薄する現実に悲鳴を上げた。上げ続けた。壊れた音声機がずっと甲高く擦り切れたノイズをあげるように。
 息を押し殺した夜に悲壮な母親の声にはならぬ声が響き渡る。
 ならばそれはいかなる想いが生み出した奇跡だろうか?
 子を想う、母親の想いか、それとも娘を想う父の愛情か?
 まさしくそれはシュライン・エマが首無し騎士、ピエトロ・カインの首を見つけ出した瞬間だった。
 愛情、それはどのような感情よりも力強く、そして崇高な想い。故に人はその感情によって遥か古より様々な奇跡を起こしてきた。
 首無し騎士の首が現れて、そしてそれは首の断面から伸びる細胞や、筋組織、血管などが繋ぎ合わさって、一つとなって、そうしてそれはモーリスの檻を切り裂くと、疾風となってガネ―シャの前へと一瞬で移動をし、そうかと思えば高らかにシャーマンへと剣を振り上げた。
「我が孫から出よ、この悪霊がぁ――――ァ」
 叫び声は力強く、そして温かさに満ちていた。振られた剣は、ガネ―シャに憑依していたシャーマンのみを斬り裂いたのだ。
 夜に断末魔の叫び声をあげて、シャーマンは今度こそ消え去った。
 だがしかし、その瞬間に、悪夢はまたさらにその濃度を増したのだ。
 ピエトロ・カインを吐き出して、漆黒の鎧のみが再び巨大な黒馬を駆って、活動し始めた。それこそがおそらくは本来の首無し騎士の姿。ピエトロは首無し騎士を操るための道具として、それに織り交ぜられていたのだろう。
 純粋な死の闇に、夜の闇がヒステッリクに金切り声の悲鳴を上げた。
「冗談じゃ、無い」
 尚道は右腕の傷から零れる血を舐め取りながら、愚痴を零した。
 その隣に並んだモーリスは肩を竦める。
「あの主を無くした怪異は私が請け負います。だから尚道君。あなたはピエトロ・カインを」
 モーリスの視線の先には、また新たな漆黒の鎧でその身を覆われ始めたピエトロが居た。
「くぅそぉ。呪いはそこまで根深いのか」
「だけど尚道君には、浄化ができるでしょう?」
 微笑むモーリス。尚道は苦笑を零す。
「任せていいのか、あちらを。俺の浄化は時間がかかるぜ?」
「もう、あれは無敵ではない。私ひとりでも充分です」
 言い合って、二人、拳を軽くぶつけ合うと、散開した。
 尚道はピエトロの下へと。
 モーリスはメスを構えて、それに対峙する。
 未だ夜は明けそうにない。



 +++


 知らなければ、苦しくはなかった。
 目の前のそれは嬉しそうに見えるだろうか?
 楽しげに、満ち足りているように見えるであろうか?
 鳥篭の外にある蒼い空なんか、見えなければ憧れなどはしなかった。
 もしも暗い部屋の中に鳥篭を置かれてずっと飼われていたのなら、空なんか知らないから。
 だけどそうならどうしてあのカナリヤは、せっかく自由となった翼を羽ばたかせるのをやめて、またわざわざあの窮屈な鳥篭に、ただただ鳥篭の中から蒼い空を見つめ続けるだけの日常に戻ったのだろうか?
 ―――決まっている。
 モーリスは口許だけで笑う。
 そして縦横無尽に振るわれる剣撃をよけて、メスで首無し騎士が乗っている暗黒の巨馬を傷つけていく。
 大事な筋組織を傷つける事無く、ただ動脈を傷つけて、血を抜いていっているのだ。
 故にすぐに黒馬はダメとなり、血黙りの中に沈んだ。
 首無し騎士は馬を捨てて、モーリスに肉薄する。しかしそれが振るう剣にかつての鋭さは無い。
「弱くなりましたね、首無し騎士」
 せせら笑うような、そして哀れむような表情をモーリスはする。
 ―――私も知っている。契約者を無くした後のあの感覚を。
 カナリヤはどうして自由に飛べる空を捨てたのか?
 決まっている。それは自分を愛でてくれる飼い主が、好きだからだ。
 モーリスは微笑む。
 前の主を無くしても、彼は自分からは新たな主を探そうとはしなかった。当然だ。彼はそういう人ではない。
 そして自分のそういう所を彼は好きだといい、契約を持ちかけてきた。セレスティ・カーニンガム。
 彼は自分に触れさせない代わりに、モーリスにも触れてはこなかった。しかし逆にその距離と温度がモーリスの心を繋いだ。契約が、絆と変わった。
 首無し騎士が振るう剣を紙一重で避けながら、モーリスはそれに笑いかける。
「あなたは契約者に扱われていた時に、見える空に憧れていたか? 見えるから望んだか、自由を? ならばその得た自由にあなたは何を見る?」
 モーリスは語りかける。
 そしてそれに彼は自分で答える。
「見えるのは空っぽな鳥篭だ。自分の方こそが契約者を鳥篭の中に入れていたのだ。だけど契約者がその鳥篭の中から消えた瞬間、いつだって残されるのは空っぽな鳥篭ばかり。だからあなたは弱く、そしてあの方の温もりと言う絆の契約に繋がられている私は…」モーリスは首無し騎士と交差する。ハルモニアマイスター。彼は負のものであろうが、それがあるべき姿、最適な姿に調和して、それの姿を戻す。「あなたに負けよう筈も無い」


 そう。何も絆や感情で無限の力を発揮して、奇跡を起こすのは、人間だけの専売特許ではない。


 首無し騎士はその瞬間に消えた。
 そしてモーリスが見上げた空にはとても美しい蒼銀色の月があって、それがまるで労わるようにモーリスを照らしてくれていた。
「私もあのカナリヤと同じだ。たとえ自由に翼で飛べる空があっても、私はセレスティ様を選ぶ。それが何よりも大切な自分の居場所だから」
 前の契約者がいなくなり、そしてセレスティに出会うまでの自分を想い、モーリスはひとり苦笑して、それから尚道を見て、彼の方へと歩いていった。
 夜はようやく明けそうだった。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 救いは本当に領民の人たちが、本当の我が子の幸せを願い、そして縁によって出逢った子を、自分の子としてこれまでと変わりなく愛していくと語ってくれた事だった。



 空の鳥篭を見る度にモーリスはあの日に出逢ったセレスティの事を思い出す。
 その日から自分を縛る事となったセレスティとの契約の心地良い温度を、きっと自分は忘れる事はできないだろう。
 いつか来るかもしれない別れの時。その時になってまた胸に抱くのであろう空っぽの鳥篭。
 先の事などわかりはしない。それでもきっと自分はまた新しい主は自分からは探さないだろう。ただきっとまた出逢える生まれ変わりを待ち続けるだけで。空っぽの鳥篭を胸に抱きながら。
 だから今はまだ、胸の中の鳥篭の中で美しい蒼銀色の鳥が唄を歌っている間は、モーリスは青き空も何も求めずに、契約者のために働こう。
「モーリス、庭は、どうですか?」
「はい、セレスティ様。美しい、花が咲きました。ご覧になられるのでしたら、案内いたしましょう」


 ― fin ―





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者 】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】


【0585 / ジュジュ・ミュージー / 女性 / 21歳 / デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】


【2158 / 真柴・尚道 / 男性 / 21歳 / フリーター(壊し屋…もとい…元破壊神)】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、モーリス・ラジアルさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。



 本当に『咎の在り処』、参加ありがとうございました。
 今回のこの話、実はこのように草間興信所をステージに選ぶか、それとも白銀の姫をステージにするかで迷いました。
 今回のお話は少々、酷なテーマを取り扱いました。昨今、悲しい事ですが親による子どもの虐待が増えています。その理由の中に自分の子どもの発育が他の子と比べて遅い、そういう理由から親が子を手にかける事件がよくあります。
 そういう現実がある以上、これを物語の中に持ってくる事に、ひょっとしたら参加していただいたPLさまの中にも少なからず気分を害した方もいらっしゃるかもしれません。どうもすみませんでした。
 ですが、だからこそ、ステージに草間興信所を選ばせて頂きました。白銀の姫はゲーム。先天性の病気を魔法薬で回復させるとか、そういう事が可能だからです。
 それはどうしても避けたかったのです。現代の医学では生まれる前からもう、その子が先天性の病気をもっているかどうか、そういう事がわかるそうです。そしてそうなら堕胎する、という案がある事に対して、先天性の病気を生まれ持ちながらも懸命に生きて、そしてだからこそそういう案に対して裁判を起こしている方々もたくさんいらっしゃいます。そして私自身もその方々の想いを支持しますから。
 この作品の中でも、先天性の病気を持つ子も、そしてその義理の親も共に一生懸命に生きている。その姿や選択、そういう事を伝えたかった。そしてそれは軽軽しく扱って良い事ではないですが、それでも物書きの端くれ、としてその姿を描く事で、読んでくださる、参加してくださる方に何かを伝えたかったのです。
 草間興信所は、どのステージよりも子と親の生きる姿を真に伝えられると想い、ここを選ばせて頂きました。
 きっとこの街の子と親はこれからも力強く生きていくし、そしてカイン家もその罪を背負い生きていくと想います。
 生きる事への真摯な想い、覚悟、一生懸命さ、そういう事がテーマだったのだと想います。
 もしもこれを読んで何かを感じてくださっていたら、本当に作家冥利に尽きると想います。
 本当に参加、ありがとうございました。


 モーリス・ラジアルさま。
 参加者様それぞれにまたテーマをつけさせていただいて、そのテーマを描かせていただきました。
 モーリスさんのテーマはやはり契約者セレスティさんへの想いでしょうか?
 セレスティさんが月で、モーリスさんが太陽。それは髪の色から連想しました。
 それにPCプロフィールを見ていても、そういう雰囲気があるかなって。
 あ、でもドラマの演出上、というか私の感覚的にモーリスさんにはセレスティさんの前にも契約者がいた、という事にさせていただいたのですが、よかったでしょうか?(><;
 なんとなくそういう雰囲気が。これは作品内でも匂わせたのですが、その前の契約者さんの事もモーリスさんは大好きだった。
 だからこそ、今の契約者であるセレスティさんの意味合い、彼への想いが特別な意味を増してくる、と。
 個人的にはもしもまた自分の胸の中の鳥篭が空っぽになっても、また生まれ変わってくるセレスティさんに出逢うから、そういう想いがモーリスさんの中にあるような、そんな感じがしました。
 セレスティさんとモーリスさん、お二人の関係への私のイメージはこのような物です。
 そういうモーリスさんのセレスティさんへの想いを描くのも楽しかったのですが、あとはさりげなーくモーリスさんの意地悪な所を書くのが楽しく!
 PLさま的には大丈夫でしたでしょうか?
 もしもまた書く機会をいただけて、PLさまさへよろしかったら、うちのNPCの虫…もとい、スノードロップか兎渡辺りで、笑顔でこの子たちで遊ぶモーリスさんが書いてみたいです。^^ 実際スノーなんかはひどく虐め甲斐があるかと。兎渡なんかは笑顔で毒舌を吐いたり、ムキになる子なので面白いと想います。
 でも本当に甲斐甲斐しくご主人様のお世話をするモーリスさんが書けて嬉しかったです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。