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幻影に見ゆるは儚き思慕。
清き泉がサラサラと涼音を奏で、天を仰げば鳥達が仲睦ましくその翼を羽ばたかせている。
頬をくすぐるのは穢れ一つない、柔らかい風。
ヒトの言葉で表すのであれば、そこは『夢のような世界』。
海浬の住まう場所であり、仕える主も其処にいる。数多の神々が身を置く聖域――天界。
歩みを進める足元で、道端に自生している草たちが彼を歓迎するかのように小さく啼いた。
「……………」
視線の先には、美しい主がいる。愁いを帯びた表情で、綺麗に整えられている庭園の花たちを見つめていた。
「ああ…海浬、来てくれたのですね」
雪のような白銀の髪を持つ主、シャーナは海浬の訪れにゆったりと微笑んで応える。
緩やかな風に花びらが身をゆだねる中、海浬はシャーナの目の前で膝を折り恭しく頭を垂れた。
「シャーナ様にはご機嫌麗しゅう…」
決められているような言葉であっても、これは定められた響き。
そんな海浬の姿をシャーナは黙って見つめる。…愛おしいばかりの視線で、優しく柔らかく。
彼女の視線を黙し受け止めるのは、頭を垂れたままの海浬だ。
感じ取ることの出来る、その想いは―――。
「御覧なさい、海浬。…綺麗に咲いたでしょう」
シャーナが一歩、動くだけで彼女の身に纏う服が鈴の音のような響きを奏でる。
彼女の言葉に海浬がゆっくりと顔を上げると、シャーナは自慢の花畑へと手を差し出していた。視線を招くかのように。
柔らかい風が彼女の銀糸を浚う。
「……花は実に素直です。こちらの問いかけに、その花びらを大きく開いて応えてくれる…。
花だけに限りませんね…。この空を舞う鳥も、木々も風も…そして空気さえも…」
独り言に捉えられるような、言葉。
シャーナは花に視線を落としたままで、ぽつ、ぽつりと声音を零した。今にも溢れそうな、自分の抱えている感情を小さく小さく、滲みこませながら。
海浬は黙って彼女を見つめている。すると二人の頭上で、蒼い小鳥が二羽で楽しそうに舞を舞い始めた。
「…愛情は分け隔てなく…私は全てのものが愛おしいと思っています」
小鳥を見上げ、僅かな間を置いたシャーナが再び口を開く。
見つめる先の小鳥へと捧げる視線は、とても温かな慈愛に満ちていた。
「…ですが…私は…」
「――シャーナ様」
シャーナの竪琴の音色のような言葉を、遮るように口をひらいたのは海浬だった。
「なんでしょうか?」
無礼は承知の上で口を挟んだ彼にも、シャーナは顔色ひとつ変えることなく美しい笑顔でそう返してくる。
そんなシャーナを見て、海浬は彼女には解らぬように軽く自分の舌を噛んだ。
「……これを」
巡り回る内心とは裏腹に、海浬は涼しい表情でシャーナへと手のひらを差し出した。
その上に集まりしものは彼が持ち合わせる力。ゆっくりと淡い光が集中し、そこから幻影が生み出される。
幻が作り出した影は、どこまでも広く蒼い海。その中で悠然と走るのは、一隻の船だ。
「海はそこを走る船を…選ぶ事があるでしょうか?」
海浬はシャーナの瞳を捉えたまま、そう言い放った。
「―――……」
彼女は海浬の言葉を受け、ゆらりと瞳を揺らす。
海浬の告げたそれは、間接的なものだった。遠まわしに、最近の自分の位置が、シャーナに近づきすぎているのではないか。生まれた情により、自分を重く遇するような事はないように、と彼女に伝えたのだ。
シャーナに仕える身で、彼女をいつも庇い弁護し、その存在を守り続けてきた海浬が、初めて彼女の言葉を否定した…そんな瞬間だった。
気づいてしまった以上は、言の葉として生まれる前に容へとなってしまう前に、阻止すべきだと判断したのだ。例え酷だと思われようとも。
彼の言葉に驚きの色を隠せずにいるシャーナを、海浬は黙って見つめていた。
もし、誰かに『彼女を愛しているか』と問われることがあるならば、答えは迷わず『イエス』になるだろう。だがそれが恋慕になるかと問われれば、違う。
心も体も、そしてこれからゆっくりと刻んでいくだろう時間の流れすらも、全て彼女のモノでありたいとは思う。だが、シャーナの彼女自身の気持ちを望んだことは一度たりとも無かった。なぜなら、彼女の『愛情』は万人に等しく注がれるべき『想い』であるから。
「……貴方の、言うとおりです…。海浬」
シャーナは静かにそう言いながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
その言葉を音にするのに、どれだけの感情を胸の奥へと仕舞い込んだか解らない。海浬にとっては僅かな間ととれる刻(とき)も、シャーナにとっては永劫とも思えるほど、長いものだった。
自然と、組んでいた両手に力が入る。
海浬はそれ以上、何も言ってはこない。ただ、自分を見つめるだけ。配下としての姿を、崩すことも無いまま。
伝わらない。否、伝わったとしていても彼の心根には届かない。どんなに願っても、想い続けても。
それを思うと、シャーナは身を引き裂かれんばかりの激しい感情に飲み込まれるかのような感覚に陥りそうになった。
―――流されては、いけない。
彼女は再び、自分の手のひらを強く握り締めた。
「私はこの世界全てを――愛しています。それは未来永劫…不変となる想いでしょう」
震えるかと思った言葉は、意外にもしっかりした音として口から漏れる。そして彼女はゆっくりと瞳を開いた。
輝くばかりの金色の瞳からは、ひとかけらの雫も零れることなく―――シャーナは遠くを、懐かしむかのようにその視線を投げかける。
海浬もそれに倣うかのように、彼女と同じ方向へと視線を動かした。
淡く美しい青色の空の下。
言葉無く佇む二人を囲む庭園の中を、優しい緑風がゆらりゆらりと、休むことなく流れてゆくのであった。
-了-
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蒼王・海浬さま&シャーナ・ファヌイロスさま
初めまして、ライターの朱園です。
素敵なお二人のお話、書かせていただけてとても嬉しかったです。
如何でしたでしょうか…イメージが崩れてないといいのですが(><
今回は有難うございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸に思います。
最後に納品が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
朱園 ハルヒ
※誤字脱字が有りました場合は、申し訳ありません。
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