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輝け青年 星となれ
「もう、何処まで増えれば気が済むのよっ!」
上空から月見里千里を襲う大量の銃弾。
双神の扇『陽光』を全身が隠れる程に広げ、千里はその下から様子を窺う。鉄扇に銃弾が当たり何度も鋭い音が響くが、鉄扇に傷がつくことはない。
見上げた千里の目に映るのは空を埋める小さな鳥形のモンスターだった。その鳥は羽の部分が銃口になっており、羽という銃口を集めた翼はガトリング砲の様になっていた。それで空を飛べているのだから不思議なものだ。羽ばたきをする度に銃弾が発射され、それが千里を先ほどから狙っている。
千里は先ほどから何度か、千里の意志で伸縮自在の扇に付いている紐で上空の鳥を狙っては撃ち落としていた。しかし、キィ、と鳥が鋭い声をあげる度に何処からともなく仲間が現れ、空が黒に染まっていく。
キリがないのだ。
終わりの見えない戦いは千里の体力、そして気力を奪っていく。
時間をかけていては分が悪い、と千里は軽い溜息を吐いた。
「こういう時は一気に片付けないと駄目よね。仕方ない……」
ちょっと時間はかかるけど、と千里は『陽光』と『月光』の紐をゆるゆると編み始める。それは千里が直接手をかけなくても、意志の力だけで編まれていった。
「糸はそうね、鋼で、強度もあってしなやかで……」
その間も上空からの銃弾は降り注いでいたが、鉄扇がそれを防いでくれる。千里は脇から放たれる銃弾に気をつけていれば良かった。手にした『月光』でそういったものは排除する。
どの位編んだのだろうか。
空に拡がる巨大な網。それは鋼糸で編まれたもの。
飛び回る鳥たちは身の危険を感じたのか、ざわめきながら方々へと散ろうとする。しかしそれを許す千里ではなかった。これは一気にやらなければ意味がない。
鳥が声を上げる前に。
「逃がさないんだからっ」
千里は鳥が逃げ出す前に網を狭める。空を覆う網は急激に縮まると鳥たちの動きを封じ、身動きが取れなくなってしまっていた。鳥たちの武器である翼も広げなければ意味がない。窮屈そうに身体を重ね合わせた鳥たちは苦しげに藻掻くが、更に仲間を呼ぶ前に千里は一気にその紐を引いた。
一瞬にして鳥たちの身体は球の様に縮まった網の中で躯と化す。
網になった紐を解いてやると、その躯は地にばたばたと落ちた。
ふぅ、と漸く訪れた静寂に千里は安堵の溜息を吐く。
既に一戦を交えて帰路についていた所だったというのに、突然湧いたモンスターの群れにここまで時間を取られるとは。それは千里にとって思わぬ誤算だった。
体力も限界に近かったのにも関わらず、戦いを強いられ散々な気持ちで千里は宿屋へと向かう。
早めに帰ってきてゆっくりとする予定だったのに、全てが狂ってしまった。
とにかく今は疲れた身体を休めたかった。
千里はとっぷりと日の暮れた道を一人歩いていったのだった。
「お疲れさん。随分とぐったりしてるようだね、お客さん」
「戻ってくる途中でちょっと鳥が……」
その言葉だけで予想が付いたのか、宿屋の主人はくつくつと笑い出した。よくある事なのだろうか。
「そりゃ災難だったな。部屋は二階の角部屋だ。ゆっくり休むといい」
「えぇ、そうする。アリガト」
宿屋の主人と必要最低限の受け答えをし、千里は指示された部屋へと向かう。足取りは当然重い。
そして部屋へ向かう間にも千里の瞼はどんどん重くなっていく。
そんなに長い距離では無いのに、千里には辿り着くまでの時間がとても長いように感じられた。
漸く辿り着いた部屋に入ると、千里は部屋に鍵をかける事もシャワーを浴びる事も服を着替えることも忘れ、そのままベッドへと直行する。それらよりも眠気の方が勝ったようだ。
ふらふらとベッドまで近づくと薇が切れたように、ぱたり、とそのままの姿勢で千里は倒れ込んだ。良心的な値段の宿屋にしては随分とスプリングのきいたベッドで、優しく千里の身体を受け止める。
本当に限界だったのだろう。
千里は倒れ込んだまま安らかな寝息を立て始めたのだった。
一仕事を終えた直江恭一郎は、本日泊まる宿を探していた。日の暮れないうちに宿を探すつもりだったが、仕事が長引いてしまったため予定が大幅にずれてしまい今に至る。そのせいか、何処の宿も一杯で断られてしまっていた。
野宿という手もあったが、返り血を浴びてはいないものの仕事のあとは出来ればさっぱりと汗を流したい。
最後の一軒に望みをかけ、恭一郎はその扉を潜った。
しかしそこでも絶望的な言葉を聞く事になる。
「さっきのお客さんで満室になっちまったんだよなぁ。相部屋でもよければ泊めるのは構わないんだが……」
「あぁ、それでも構わない」
「それなら、直接その部屋のお客さんと交渉してくれるかい? えぇっと……確かこの部屋は人の良さそうな男だったはずだな。いや、それは二階か……それとも三階だったか……?」
最後の方はぶつぶつと呟く宿屋の主人。それに不安を覚える恭一郎だったが、次の瞬間主人が自信を持って告げた言葉に安堵する。
「二階の角部屋は男だ。もし駄目だった時は、また他のお客さんを紹介するから来てくれ」
分かった、と返答した恭一郎は素直に二階の角部屋を目指した。
こういった事は初めてではないから特に構える事もなかった。お互い干渉しなければたった一晩の事だ。なんてことはない。
恭一郎はさっさと交渉を済ませゆっくりしたかった。急く心からか、足幅も大きくなりあっという間に二階角部屋へと辿り着く。恭一郎は軽く扉をノックしてみた。
しかし返答はない。
シャワーを浴びているか、寝ているか、留守にしているか。それともただ単に無視をしているだけかのどれかだろう。
もう一度、先ほどよりも強めにノックをしてみるが、やはり返答はない。
扉に手をかけてみるとそれは抵抗もなくすんなりと開く。
「失礼する」
そう言って、中の様子を窺いながら恭一郎は中へと入り込んだ。警戒して襲いかかられる事もなければ、かたりと何処からか音がすることもない。
ただ人の居る気配だけが漂っている。
それに引き寄せられるように視線を向けた恭一郎の身体がぴきっと固まった。
そしてくるりと必死に視線を逸らしながら背を向ける。
無表情を装ってはいたが、恭一郎はパニック寸前だった。
今、恭一郎の目に映ったのは眠っている人物だった。そこまでは予測の範囲内だ。しかし宿屋の主人の言っていた男ではなく、艶めかしい姿をした女性だったのだ。
必死に自分を落ち着かせようと試みる恭一郎。
今のは見間違いだったんだ、と恭一郎は自分に言い聞かせ、覚悟を決めてもう一度ベッドに横たわった人物を眺めた。
心を何度も落ち着かせた。
妄想よ消えろ、と何度も願った。
此処の部屋の人物は男だ、と恭一郎は強く自分に言い聞かせてみた。
しかしやはりベッドの上に居たのは、腰のあたりまでスリッドの入った服の裾を大きくはだけ、胸元の紐が緩んだのかそちらもかなり際どくはだけた状態で寝ている女性―――― 千里だった。
うぅん、と千里が軽く寝返りを打つと、はらり、と更に胸元が大きく広がる。それにより千里は先ほどよりもかなり悩ましい格好になった。
その瞬間、女性に免疫の無い恭一郎は真顔で勢いよく鼻血を吹き出させる。
それでなくても恭一郎は女性と接する事が苦手で、面と向かって話をすることも、視線を合わせる事も苦手としていた。女好きな人物なら両手を上げて喜ぶこの状況だが、女性に免疫のない恭一郎に千里のこの格好を見て平常心を保てというのは無理な話だろう。
出血多量で貧血状態になった恭一郎が、鼻血の海に沈み込んだ音で千里は目を覚ました。
もぞもぞと起きあがった千里の胸の辺りの服がはずれて下着が露わになるが、それが床に突っ伏している恭一郎の視界に入る事はない。
軽く目を擦った千里が、床の自分の噴出した血に染まる生きる屍と化した黒装束の恭一郎に気付くのに数秒。それから自分の寝乱れた格好に気づき声を上げるまでにコンマ0.1秒。
「イヤーっ!」
脳が判断するよりも早く身体が動いてしまったようだ。
千里はぱっと胸元を押さえ、外れた紐をさっと結び手元の扇を手にとると、それを素早くハンマーへと変化させる。
「他人の部屋に勝手に入ってくるなんて信じられない」
それに対し恭一郎が反論する余地を与えず、千里は金色に輝くハンマーを振り上げた。
大きく振り上げたハンマーは恭一郎めがけて振り下ろされる。恭一郎はそれから逃れる術をもたなかった。
恭一郎に叩きつけられたハンマーはその触れた対象を光へと変えてしまうものだった。
勢いよくそのハンマーに叩かれた恭一郎は、光の速さでその部屋から外へと叩き出される。
壁に穴を開け、そしてあっという間に彼方へと消えていった。
残像のように残る光。
その時空を眺めていた人物の目には、光となった恭一郎が流れ星に見えたに違いない。
真っ暗な夜空に光る星の一つに恭一郎はなってしまった。
ただ恭一郎はゆっくりと休みたかっただけだったのに。
宿屋の主人の思いやりが恭一郎を星へと変えることになった。そう、たった一階間違えたばかりに。
偶然が重なり合い、それは余りにも哀しく、そして淋しい結末を恭一郎に与えた。
さらば、恭一郎。
星となって夜空に輝け、青年よ。
「はぁ。ビックリした。目が覚めたら他人がいるんだもの。眠かったのに目が冴えちゃった」
その頃、恭一郎を星に変えた張本人である千里は、気持ちよく寝てたのに、と残念そうな溜息を吐きつつ宿の廊下を歩いていた。壁に穴を開けてしまったことへの謝罪と不審人物の目撃報告をする為、宿屋の主人の下へと向かっていたのだった。
「これ終わったら、さっぱりしてからもう一度寝ようっと」
散々な一日だったな、という小さな呟きを漏らしながら。
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